提言・提案


  マニラの北方のブラカン、パンパンガ、ヌエバへシア、パンガシナン各州には関東平野を凌駕する広大な平野が広がり地平線が見えるほどだ。そのほとんどが水田で、この地域は雨を水田にためて稲作を行なうせいか、河がほとんどない。雨が降るときに稲作を行なって、降らなければ休耕させるという自然任せの農業なので、せいぜい二毛作が限界だ。   私の田舎のビコール地方も水田地帯だ。あの細長いルソン島の尾っぽの先端に平野が広がり、稲作が盛んに行なわれている。マヨン火山と水田のコントラストもすばらしく、自然と人との調和を感じる。   ところでフィリピンの稲作はほとんど堆肥を使わない。稲穂は短く刈り取り、残りのワラはたんぼを耕すときにすき込んでしまう。これが堆肥代わりになるのだろう。稲穂はたんぼでモミを機械で分離する。モミは袋に詰めて運び出し、田んぼのあちこちには短めのワラの山が残される。これらはその場で燃やしてしまうだが、これで堆肥を作らせようとする私の企ては、肥料や飼料そして農薬など大企業の製品を使うよう役場に洗脳された農夫のために、いつも頓挫する。モミはそのままでは発芽してしまうので、道路や広場に広げて乾燥させる。そして脱穀するまで袋に詰めて保管する。   さて、このモミ殻が来る日も来る日もたまってしまう精米所は、日本では許されていない焼却処分しか手がない。数百年という長い間、この資源が単に燃やされ続けてきたのだ。このモミ殻を粉砕して固め、炭の代替燃料を製造する技術が日本にある。これをフィリピン各市町村に一台づつ備えて、精米所を巡回し、モミ殻燃料を作ったらどうかと思う。その効果は下記だ。 1.モミ殻は人類がある限り永遠に産出される廃棄物(資源)である   2.精米所にモミとして集積され、改めて集積する手間がかからない 3.機械はトラックに乗る程度の大きさなので、一台で数十箇所の精米所を巡回処理できる 4.生産された製品は燃料として販売できる   5.フィリピンの農村地帯では未だ炭が炊事の主体燃料として使われているので需要はおおいにある 6.炭の生産のために必要とする樹木の伐採による森林の消滅を回避できる […]

モミ殻によるバイオ燃料の製造 2009年7月17日


  昨日、NHKワールドのクローズアップ現代という番組で「認認介護」というテーマを取り上げていた。認知症の夫を、これまた認知症の妻が介護をしていて、妻が夫を殴り殺してしまったという事件である。妻は傷害致死犯として告訴され、執行猶予の刑を受け、現在自宅で一人暮らしをしているという。また、妻は夫を殴り殺したという事実を記憶しておらず、なぜ夫が死んでしまったのかと首をかしげているそうだ。この事件が家庭内介護をとりまく問題を提起し、役所そして介護ビジネスに関わる人々がいろいろ議論を重ねているという。  この番組をフィリピンで見ていると、まず気になるのが家族はどうしていたのか、子供はいないのか、兄弟はいないのか、家族が一緒に暮らしていればこんな悲惨な事件は発生しなかっただろうに、ということである。フィリピンはご承知の通り、大家族で年老いた親が一人あるいは夫婦だけで暮らしているなどという状況はありえない。お年よりは多くの子供や孫に囲まれてたとえ貧しくても幸せに暮らしている。老老介護や認認介護などという状況はありえないのだ。 私の友達に、最近フィリピンで結婚したことを悔やんでいる方がいた。一人で暮らしていたほうが金はかからないし、気楽だし、それに妻が色々と用事を言いつけたり、小言を言われたり、うっとうしくてたまらんというのだ。数年前に結婚したときは周囲のアドバイスも聞かず結婚に夢中になったいたのにだ。この人には84歳の車椅子のお父さんが一緒にフィリピンで暮らしている。お父さんが2年ほど前に脳溢血で倒れたとき、一人っ子の彼は途方にくれたが、フィリピン人の妻がフィリピンに引き取ったらという思いがけない提案に、思い切って連れてきた。その後、お父さんの回復は目を見張るようで現在は車椅子も不要になり、元気に暮らしているそうだ。さらにお父さんの年金だけで十分家族一同の生活が賄えるという、願ってもない状況だ。もし彼が独り身だったらどうなっただろうか。日本に帰ってお父さんの面倒を見るという介護の生活が始まるのか。そしてもし自分自身も病気にでもなったら、一体どうなるのだろう。悠々とフィリピンで暮らしていられるのも妻とその家族のおかげであるわけで、その妻の要求をうっとうしいなどと言っては罰が当たるというものだ。 家族があれば介護の問題や、子供の世話などという問題は起こらない。家族のメンバーが、それぞれが役割も持って家族を維持すればすべては解決される。少子化大臣や介護保険など、ややこしい仕組みや議論は必要ない。この家族という仕組みこそが人類100万年の歴史が獲得した解決策なのだ。この家族のメカニズムが日本では核家族などと言って崩壊し始めているから、認認介護のうえの夫殺しなどというとんでもない事態が起こるのだ。 先日、NHKで非常に興味ある番組をやっていた。男と女の問題で、恋愛は子孫を残すためのメカニズムだというのである。恋愛をするとき、男は視覚脳が活性化し、女は記憶脳が活性化する。要は男は目で、女は頭で恋をする。男が女を見るとき、ほとんど腰と尻に注目しているそうだ。要は腰がくびれて尻が出ているセクシーな体型を好むのだそうだ。それはその女が子供を産むのに適しているかどうか見極めているのであって、男は自分の子孫を残す本能を働かせているのだ。一方、女はこの男が本当に約束を守り、自分に子供が出来て育児に専念しているときにしっかり養ってくれるかどうか、記憶脳を駆使して見極めているのだという。だから女は昔の約束やベッドで、男がついしてしまった約束を覚えていてその実行をせまったりするのだ。これも子孫を残すという女の本能なのだ(見てくれの悪い男性よ、あきらめることなかれ、誠意さえ尽くせば女は惚れてくれるのだ)。 それで二人は恋に落ちるのだが、他の動物のようにセックスをしたらおしまいでは困る。人間は二足歩行のために、母親の産道が狭く、赤ちゃんを未熟児のままで出産する。だから赤ちゃんは2~3年は母親の手厚い保護の下に育てられなければならない。そして母子は父親に食料の面倒を見てもらわなければならない。父親としてはセックスをして子供を作ってしまえば用はないはずであるが、それでは母子が生きて行けないので、無条件で相手に尽くすという恋愛のメカニズムが必要となるのだ。だから、この恋愛は赤ちゃんの手があまりかからなくなったら一段落するようになっている。そもそも恋愛は数年で冷めてしまうものなのだ。 NHKの番組はそこまでだったが、その先に結婚というメカニズムがあり、さらに家族というメカニズムがある。恋愛、結婚、そして家族、それが人類をして世界を制圧することを可能として、究極の仕組みだったのではないかと思う。子孫を残すという本能の恋愛から始まって、やがて恋に冷める男性を結婚で束縛して、家族を形成する仕組みだ。 老人問題が家族で解決できるのはいいが、なぜ役に立たなくなった老人がいるのか、その老人は家族に対して何の役割を持っているのか。動物界では狩を出来なくなったものは死を迎えるのが決まりなのではないか。動物界では閉経を終えたメスは速やかに死を迎えるそうだ。であれば生殖能力を失ったあるいは食料を獲得することが出来なくなったオスはそれで生涯を終えることになる。しかし、人類においては閉経を迎えた女性はさらに数十年間生き続ける。子供を作ることができないおばあさんが娘の子供、要は孫の面倒を見ることにより、より多くの子孫を残すことができる。すなわちおばあちゃんのいる家族の存在こそが人類繁栄の鍵だったのだそうだ、 神様はオスとメスを作り、セックスという快楽を与え、それによって意図せずとも子孫が残されるという、奇想天外な仕組みを生物に与えた。そこまではどんな動物でも同じだ。しかし、人類は百万年の歴史の中で恋愛、結婚、家族という仕組みを獲得することにより、ここまで繁栄できたのだ。介護問題や少子化問題でゆれる日本、この家族という仕組みを捨てようとしている日本はやがて滅びの道を歩むのではないかとさえ思う。フィリピンでは家族の絆は相変わらず強烈だ。巷は子供で溢れている。そんなフィリピンに人類としての力強さを感じる。期せずして本年のマニラ生活電話帳は家族の象徴でもある子供を抱く女性の姿が表紙となっていた。

恋愛・結婚・家族のメカニズム2009年3月4日



  2006年7月退職庁を辞め、フィリピンで新しい事業を開始した。その時の日本人パートナーが月の内3週間くらいフィリピンにいて、毎日の様に食事そしてカラオケに付き合わされた。そして3ヶ月くらい経過して、体重が10kgくらい減ってしまい、体の異常が気になり始めた。後で知ったことだが、尿が異常に増える、喉が渇いて仕方がない、水虫になりやすい、足がつる、疲れやすい、昼間から眠い、目がかすむ、などなど糖尿病の典型的な自覚症状のオンパレードだった。   翌年の2007年1月、60歳の誕生日で年金の手続きを行なうために日本に帰ったおり、病院をたずねた。成田空港に到着するやいなや、ペットボトルの飲料水を買い、成田エクスプレスを待ちながら、もう一本、横浜に着いたら、また一本と、ペットボトルを離すことが出来なかった。病院の検査を待っている間も喉の渇きや眠気に襲われ続けた。検査結果は血糖値が375、Hb-A1cが12.7、合併症がでる寸前で、危ないところだったと脅かされた。早速薬を処方されて、2~3日で渇きや眠気などの症状はなくなり、体調は回復した。  早速、糖尿病に関する書物やパンフレットを読み漁ったが、これは直ることがない病気で生涯付き合っていかなければならないが、血糖値のコントロールさえしっかりしていれば合併症など起こすこともなく、生涯を健康に過ごせるものだと知った。しかし、食後の急激な血糖値の上昇を阻害するαグルコシダーゼ阻害剤のベイスンは低血糖を引き起こすことがあるので、常にブドウ糖を持ち歩き、めまいでフラフラするような低血糖の症状が現れたら、服用するようにと強く注意された。低血糖は死に至る怖いものだそうだ。もう一つの薬はスルホルニ尿素剤のソロサという薬だ。これはすい臓からインシュリンの分泌を盛んにする薬らしい。  2ヵ月後の2007年3月おふくろがなくなり、その葬式に参加した折、再び病院を訪れたが、血糖値は77、Hb-A1cは7.4で、血糖値は低めだが、順調に推移しているということで安心した。普段はフィリピンに住んでいるので、日本から持っていった薬だけでは間に合わない。そこで当地の医者にかかって薬を処方してもらったが、その医者はコレステロールも高いので、それを下げる薬、血液をさらさらにするアスピリン、さらに魚の油(DHA)を飲むように指示された。都合5種類の薬を毎日飲むはめになった。   そして6ヵ月後の9月、所用で日本に出張した際、病院で検査をした。血糖値が70、Hb-A1cが5.5だった。医師は順調と言ってくれたが、血糖値が 70というの低血糖の寸前ではないか、このまま薬を飲み続けるべきなのか、不安な気持ちになった。その帰りに出会ったのが「糖尿病は薬なしで治せる」(渡邊昌著、角川書店発行)という本だった。医師が自分の糖尿病を薬なしで直したという経験を紹介した本だ。  著者の主張は「生活習慣病の治療は生活習慣を改善することにあり、薬にだけ頼っていては、やがて症状が悪化し、ますます薬漬けの生活を送ることになり、数々の副作用に悩むことにもなる」というものだった。ちなみにベイスンは低血糖の危険をはらみ、他にも副作用がある。ソロサは弱ったすい臓を鞭打ってインシュリンを出させ、いずれすい臓が機能しなくなり、インシュリン注射に頼らざるを得なくなる、とのことだ。  目からうろこに内容に、5種類もの薬を飲んで、いつも低血糖におびえていた私は、この主張に飛びついた。まず、簡易血糖値測定器をフィリピンで買い求めた。日本では保険がきかず数万円の高価なものだがフィリピンでは1万円はしなかったと思う。薬を段階的に減らしながら、血糖値が食後180以下、空腹時120以下におさまっているよう務めた。食事は六分目、油脂類は最小限、野菜を多め、そして食後は30分間の散歩が日課だった。はじめは空腹と物足りなさで情けなかったが、慣れてくると従来の半分くらいの量でも充分満腹感は得られる。それには良く噛んでゆっくり食べるのが秘訣だ。   そして1年後の2008年9月、初孫のお宮参りのおり、いつもの病院を訪れた。前回の検査とは時間があいたので初診扱いとなり保険外併用療養費というわけのわからない金を余計に取られた。しかし、なにか道場破りの思いで検査に臨んだ。初診なので、いつもと違う先生で、血糖値135、Hb-A1c、5.7という結果を見て「異常ありません、薬ももちろん必要ありません」ということだった。道場破りの成功だ。(左の写真が簡易血糖値測定器)  あれから、さらに1年近く、医者のお墨付きで慢心してしまい、ついつい甘いものや脂ののった肉に手を出してしまうこともあり、血糖値も200を超えることもしばしばだ。しかし、血糖値を計って異常がある場合は、即散歩に出て、30分も歩いて帰ってくると、50~100くらいは血糖値が下がっている。先日、 262という数字に真っ青になり、普段の2倍の1時間の散歩を消化したら、112に下がっていた。なぜ軽い運動で、こんなに劇的に血糖値がさがるのか、よくわからないが、間違いなく下がるのだ。だから薬無しでも食事と運動で血糖値がコントロールできると確信している。 […]

糖尿病体験記 2009年8月4日


日本とフィリピン間の経済連携協定(EPA)/自由貿易協定(FTA)の締結によりフィリピン人介護士が日本で就労することが可能になると期待されて、はや数年の歳月が経ってしまった。一方日本での介護士の不足、質の低下が叫ばれて久しく、多くの介護施設がフィリピン等からの介護士の派遣を待ち望んでいる。2007年9月現在、フィリピンの議会でようやく議論がはじまったが、その批准には遠い道のりがあるようだ。 日本の介護現場の状況は悲惨なものがある。日本の経済の立ち直りの影響で介護の現場を離れ他の職につく若者が激増しているそうだ。まるで3Kの現場で安い賃金で働くことに若者が嫌気をさしているのだ。介護士不足に対して介護を必要とするお年よりは増え続ける一方で、これは誰にも止めることはできない。人手に頼るしかない介護の現場では、数十人のお年寄りの世話を夜間はたったの一人か二人でしなければならない。だからお年よりいじめが発生してしまうのだ。日本が今後数十万人単位で介護士を海外から受け入れなければ介護制度そのものが破綻することは火を見るよりも明らかだ。 FTAによるとまず、800人の看護士/介護士を受け入れるものとし、資格は4年生の大学を出て、看護士あるいは介護士の資格を持っていて、さらに日本語検定2級の資格に合格しなければならない。そして日本に研修生として派遣され、2年以内に日本語の看護士あるいは介護士試験に合格することが条件だそうだ。日本語検定2級といえばフィリピンでは日本語の先生ができるほど。さらに日本語で資格試験に合格するということは読み書きもすらすらできなければならない。これがどれだけ高いハードルであるか容易に想像できると思う。 フィリピン人介護士の卵たち 当地で介護士といえばメイド/ヤヤ(子守)と看護士の中間的存在で、家庭に入り込んでお年寄りの食事の世話から掃除から簡単な医療行為まで何でもする。したがって、高校を出て、なにか専門的知識を身につけようとする若者が、6ヶ月間のトレーニングを経てとることができる資格だ。大学卒の介護士はほとんどいない。しかも大学を出た人はこのようなメイドのような仕事はやりたがらない。FTAの要求する大卒、日本語検定2級、日本語の資格試験等々の条件がフィリピンの介護士養成の現状といかに乖離しているかということだ。一方、お年寄りの世話をするのにそんなに高度な知識なり学歴がいるのだろうか。私はハートさえあれば誰でもできると思うのだ。現にフィリピン人は小さいときかから、家族の赤ちゃんやお年寄りを、愛情を持って世話してきており、天性の介護士なのだ。 訓練を受ける介護士の卵 2005年の春POEA(フィリピン海外雇用庁)のNo.2のディムソン氏と対談した折、日本政府は政府対政府のアレンジで介護士を受け入れることを強調しているのとことだった。それはジャパユキさんの受け入れがやくざの大きな資金源になったことの反省から来ているものと推察される。介護士や看護婦など天使の職業が日本の裏社会とつながっていたとあったのでは、国際社会になんとも顔向けでいないというのは理解できるところだ。しかしながら、フィリピンの事情を知っているものにとっては、日本政府の示した条件がいかに現実離れしていて、実質的にフィリピン人介護士をシャットアウトしようとしていると受け止められてもいたしかたのないことだ。看護士組合の圧力だとか色々推察されるが、そんな流暢なことをいっていられる状況でないことは百も承知とも思うだが。 簡単な医療訓練も受ける フィリピンには数百の介護学校が日夜介護士を要請しているといわれる。そして毎年数万人の介護士が生まれているのだ。そうなるとフィリピンにおける介護士の需要は大変なものだと思われるだろうが、逆にほとんどないのだ。フィリピンでは介護が必要なお年よりは家庭で面倒をみる。人手はいくらでもある。なくても月々数千円の安い賃金で人手が雇える。フィリピン人はお年寄りや赤ちゃん、そして弱いものを深い愛情でいたわるので、フィリピンには介護施設がほとんど必要ないのだ。それではなぜフィリピンには介護学校がこんなにあるのだろうか。それは例のOFW(海外出稼ぎ労働者)の一環として、介護士の資格を引っさげてより良い条件で海外に向おうという魂胆なのだ。 介護学校のマネージャーのTeeさん ちなみにカナダでは2年間カナダで介護士の仕事をすると永住権が与えられるという。イギリスでは6ヵ月後には子供を同伴することができて、しかも子供の学費は全額免除されるそうだ。このように先進各国ではあの手この手でフィリピン人介護士を獲得しようとしている。それに対して日本の対応はいかがだろうか。やがてFTAが締結されたとしても、日本へ向う介護士は皆無ではないだろうかか。大学を出て日本語がぺらぺらだったら、何も安月給で3Kの介護士をやっていなくてもいくらでも他に就職先はある。 授業風景 こんな状況だから、日本で質の高い介護を受けるなどということは早晩ありえないということになるだろう。そうなったら、フィリピンにやってきて現地直売のサービスを受けることだ。そのためには元気なうちにフィリピンにやってきて、そのときに備えることが肝要かと思う。あるいは介護が必要なお年寄りを抱えていたら皆でフィリピンに来て、介護をフィリピン人介護士に任せて、自分たちは第2の人生を楽しむというのはいかがだろうか。  

雑記帳 世界の介護の助っ人ケアギバー(介護士)



FTA協定で200人の介護士を試験的に日本に受け入れるというニュースに熱い視線が集まっている。ジャパ行きさんの受け入れを大幅に制限されるということから、ビジネスを奪われたリクルートエージェントがビジネスチャンスをうかがっている。巷の介護士養成学校で質問すると全員が日本に行きたいという。何しろ需要と供給が合致しており、その規模も10万人規模と予測され、莫大なものになるはずだ。 私も熱い視線を送っている一人だ。今まで、退職者ビザを取得した多くの日本人が可愛らしいフィリピーナを伴ってやってくる。危険、汚い、金欠の3Kのフィリピンにわざわざ永住しようなどという日本人はまれだ。それを乗り越えてやってくるのは、フィリピンを救おうと身ぐるみ一つで日本に飛び出していった勇気あるフィリピーナ、ジャパ行きさんを通して、本当のフィリピンを知り、フィリピンの魅力に取り付かれた、独身熟年諸氏なのだ。 10万人とも言われるジャパ行きさんたちが、夜な夜な、日本―フィリピンの文化・経済交流を実施し、それにより多くの日本人がフィリピンというものを肌で理解してきた。今ジャパ行きさんが激減しようとしているとき、次の日比文化経済交流を担うのは、他ならぬ介護士さんたちだと期待されているのだ。 フィリピン人は天性の介護人だ。日本のお年寄りがフィリピン人の介護士にお世話されるとなると、当の介護を受けるお年よりのみならず、その家族が優しくて勤勉なフィリピン人の姿を目の当たりにして、真のフィリピンを理解することになると思う。そして、こんなフィリピン人に囲まれて老後を過ごしたいという退職者が激増するのではないかと期待するのだ。 だから、早くフィリピン人介護士の日本への派遣のルールが確立され、より多くのフィリピン人が日本に行って、日本の、介護の現場の助っ人となって、真のフィリピンをより多くの日本人に理解してもらう日比友好の架橋となってほしいのだ。

雑記帳 介護士は日比友好の架け橋


2015年には日本の人口の4分の1が65歳を超えるといわれている。戦後のベビーブームで生まれた700万人の団塊の世代が60歳の定年を迎え、大定年時代が出現しようとしている。いったい誰がこれらの人達の老後を支えるのだろうか。年金も介護保険もいずれ破綻すると言われている。老後の生活は自分で守らなければならない時代が近づいている。 退職者ビザ(SRRV)は、フィリピンに外貨を呼び込み、雇用を増大させる目的で1985年に発足された。たくさんの退職者がフィリピンに来れば、ビザ発行時の定期預金(現在、合計1万人、5億ドルの外貨収入)に加え、一人あたりの生活費が少なくとも年間1万ドル、1万人で年間1億ドルの外貨収入が見込めます。これはフィリピンにとって国を救う貴重な外貨収入だ。 一方、メイドを雇ったとしても、一ヶ月10万円もあれば、ゆうゆう暮らせるということは退職者にとって大きな魅力だ。介護人が住み込みでも2万円程度から雇えるということは、介護が必要なお年寄りを抱える家庭にとっては夢のような話だ。また、介護施設に入ったとしても介護、3食つきで7~8万円で済むということは、公的介護施設の不足する日本に比べると天国のようなところだ。ちょっと発想をかえて、老後をフィリピンで過ごすということは、すべての悩みを解決する切り札だと思うのだ。 これから、年金はさらに遠く、さらに少なくなることはその原資を支える人達の数が減っていく中で、必然といえる。そして、老後を年金に頼る人達が生活していけないレベルになると、日本では暴動が発生するとさえ言い切る人がいる。しかし、多くの人達が、フィリピン等を老後の生活を送る場所として選べば、問題は一気に解決するのだ。SRRVはフィリピン国ばかりではなくて日本国をも救う救世主だと思うのだが、いかがだろうか。

雑記帳 退職者ビザ(SRRV)は救世主



フィリピンにきた当初に慌てて家を買うことは決してお奨めできない。住んでみたらあれやこれやと問題があって、いやになる。しかし買ってしまった家はなかなか売れない。挙句の果てに2足3文で売り払って大損ということになってしまう。住み慣れるためにしばらくは借家に住むのが賢いといえる。 しかし、終の棲家と決めて、10年、20年と住むとなると、借家ではどうか思う。通常、10年程度の家賃で新規に購入するのと同じになってしまう。やはり、退職金の一部あるいはPRAの定期預金で家を買い、年金で暮らすというのが、一番経済的だ。フィリピンに少なくとも1年くらいは住んで、ここぞと思ったら、購入するのがいいと思う。 都市に住むとすればコンドミニアムが安全に購入できる。建築前あるいは建築中に購入するプレセールは安く買えるもののやはり危険だ。すでに出来上がっていて、住人のいるコンドミニアムを、そこの住人から色々ヒアリングして納得して購入すべきだ。 大都市圏以外では土地を買って(あるいは借りて)家を建てるか、あるいは建売を買うことになる。建売はデベロッパーのマージンが大きいので、土地を買って家を建てる、さらに請負業者を使わず、自分で材料を買って、大工を雇って建てるのが一番経済的だ。しかしながら、ここに落とし穴がある。大概の人は自分で家など建てたことなどないから、知り合いの自称他称の建築屋さんに面倒を見てもらうことになる。 この建築屋さんは、こちらが素人なのをいいことに、材料調達のコミッション、職人の人数の水増し、あの手この手で建築費を水増しし、結局、工事費は相場の2~3倍になってしまう。それでも日本よりはるかに安いので、感謝して法外な謝礼まで支払ってしまう。よほど信頼できる建築屋さんを雇わない限り、請負者に一括して発注したほうが有利だ。しかしこれも信頼できる請負者を知っている限りいえることだ。請負者が手抜き工事をしたり、あれやこれやと追加を要求してくることもめずらしくない。 最後の手段は、結局、建売を買うのが安全ということになる。これなら現物を見て決めることが出来るから、大幅予算オーバーなどということはありえない。最近、退職者用に各種サービスや施設をセットにした、退職者ビレッジが計画されているので、予算に合わせていい買い物が出来るようになると思う。ここでは、外国人でも住宅が安心して買えるように契約がアレンジしてあるので、頭を痛めることなく購入することができるだろう。

雑記帳 持ち家あるいは借家どっちが得か?


フィリピンに介護や老人の問題はない。なぜなら、家族が皆、お年寄りを愛し、尊敬し、大切にして、こぞって面倒を見るから、お年寄りは幸せな生涯を送ることが出来るのだ。大家族で生活するフィリピーノは子供のころから赤ちゃんやお年寄りを面倒見ながら育つ。だから、彼らは生まれついての介護人なのだ。しかも彼らは外国人を心から迎え入れるホスピタリティにあふれている。フィリピーノに老後の面倒を見てもらえるとしたら、これは、もはや一つの幸せといえる。 フィリピンには介護学校が500校以上ある。フィリピーノの天性をいかして介護士を目指す若者が毎年何万人と卒業しているのでだ。多くは海外を目指す。カナダなどでは数年間介護士として働くと、カナダの永住権が与えられる。したがって、介護士はいまや憧れの職業でもあるのだ。 ご承知のとおり、フィリピンの賃金レベルは日本の10分の1以下だ。フィリピンで自分あるいは親が介護が必要になったら、小遣い銭程度で住み込みの介護士を雇うことが出来る。介護状態の親を抱えていても、自分の生活は十分確保できる。介護疲れや介護ノイローゼなどというものは無縁な世界なのだ。 定年を迎え、介護状態の親を抱えているとしたら、フィリピンに移住することを考えてみだらいかがだろうか。収入の低下、介護に関わる費用の増加など、すべてが解決できる究極の解決策がそこにある。

雑記帳 フィリピンは介護天国



保険金殺人、スクオーター、モスリム、NPA、等々、フィリピンのイメージを悪くする言葉があふれている。確かにこれらはすべて事実だろう。しかし、ここに生活する人々にとって、これらのことは、ほとんど無縁な他山の石なのだ。子殺し、家庭内暴力、少女監禁、通り魔殺人等々の言葉が日本のニュースで流れているが、ほとんどの日本人はニュースとして楽しみ、決して我がことだとは思っていないのと同じだ。 フィリピンは安全ですよと、いくら言っても、お住まいになるご本人が安心していられなければ、意味のないことだ。また、安全とはちょっとニュアンスが違うが、日本人が金銭的被害に遭う確立は相当高いようだ。しかし、日本人の不注意な言動が危険を呼ぶということが一番大きな問題なのだ。 フィリピンに安全にそして安心して住むには、まず第一にフィリピンの習慣を知らなければらない。そして危険なところや人には近づかないことだ。日本でも、やくざを怒鳴りつけたり、大金を持って歌舞伎町をうろうろしたりしたら、バカかと相手にされない。危険を感知する技を学ぶことだ。簡単に言えば、慣れるまでは信頼できるフィリピーノと一緒に行動することだ。 フィリピンで一番大事な習慣は、フィリピーノを人前で叱り付けたりバカにしたり、あるいは公衆の場で怒ったりしてはならないいうことだ。PRAにやってきてフィリピン人職員を怒鳴りつけたりしている人を見受けるが、そのような人はフィリピンに住む資格はない。直ちに国外追放になっても仕方がないことだ。我々退職者はフィリピンに住まわしてもらっているのだということを忘れてはならない。この国の人とは尊敬の念で接しなければいけないのだ。 ここでは、なぜ日本人が怒っているかということは問題ではないのだ。原因はフィリピーノ側にあろうが、その結果として、人前で叱責した、怒鳴ったという事実が問題なのだ。理解しにくいかもしれないが、これがフィリピン流の発想であり、フィリピンに住む上での鉄則なのだ。これが理解できない人には、どこに住もうが安心はない。逆にこれが実行できたら、どこに住もうが安心で安全だ。周りのフィリピーノが皆であなたを守ってくれる。そして、フィリピーノはなんて優しいんだろうと感激するのだ。 日本人が殺されたという件で、それにフィリピーノの奥さんが関わっているらしいという話を良く耳にする。一番親しくて、守ってくれるはずの奥さんが殺しに関わっているというのだ。その時私は、その奥さんの長年にわたる悲痛な屈辱の歴史が伝わってくるような気がする。さぞ、日本人の夫による人前での叱責に耐え続けてきたのだろうと。

雑記帳 フィリピンは、本当に危険な国?


現在、退職者の住まいは、ほとんどがマニラ、セブ、バギオおよびダバオの大都市圏だ。名前になじみがあること、インフラが整っている、大きなショッピングモールがある、そこそこ遊び場がある、施設の整った医療施設がある、などが理由だろう。したがって大多数の退職者用ビレッジは、これら大都市圏に計画されている。特別なのはスービックやクラークの元米軍施設の経済特別区だ。 それぞれの都市には特徴があり、それぞれのライフスタイルに応じて選択するのが良いと思う。なんと言っても喧騒と興奮のマニラ、白砂ビーチのセブ、高原都市バギオ、広大なダバオ、そしてフィリピンの外国‐スービック/クラーク、それぞれの都市に体験ステイをして、これと思ったら、居を定めたらいいと思う。 しかしながら、フィリピンはこれら、5つの地域だけではない。他に数百数千の市町村がある。ミンダナオの一部の地域を除いて決して危険なことはない。大都市よりも返って安全だ。なにしろ人心が穏やかで、皆親切だ。憧れのビーチや景色がそこにはある。そして何よりも安いのだ。物価も、住宅も、賃金も、何しろ安いのだ。 少し、フィリピン通になってきたら、是非、地方の町に足をのばしてみたい。そこに理想の住まいが見つかるだろう。それぞれの町にはビレッジと呼ばれるセキュリティが完備された住宅地がある。フィリピンを100%満喫したかったら、地方に住むことだ。そこには忘れられた故郷があるのだ。

雑記帳 フィリピンのどこに住むのが賢いか?