旅行


早朝、成田空港から成田エクスプレスで東京に到着して、まず探したのは大量の荷物を預けるところだ。ロッカーのありかを聞いて行ってみても、全て使用済みのランプがついている。さらに地下にいくとびっくりするほど量のロッカー地帯を発見した。奥のほうにはまだ空きが大分あったので、ややこしい操作で戸惑ったが、 係の人に教わりながら なんとか三つの大型ロッカーに荷物をおさめることができた。これで身軽になっていよいよ東京見物だ。 東京駅と皇居か、あるいは原宿と明治神宮かと決めていなかったのだが、この日は日曜なのに人が多い、さらに日の丸が掲揚されている。しばらく考えてみて気がついたのが、今日は天皇誕生日だったのだ。恥ずかしながらこのことを失念していた。 これは、皇居に入ることが出来る滅多に無いチャンスで、原宿/明治神宮の線は消えた。カーネル一家も天皇を拝めるということは大変な名誉だろう。私自身も始めての経験になる。 東京駅の写真撮影が一段落して皇居の方向に進むと、大勢の人が行列をなしていたが、どうやらが天皇の参詣のために皇居に向う人の列のようだ。沢山の警官も交通整理に余念がない。 しばらく進んで小雨が降り始めたが、列は一向に進まない。このままでは札幌行きの便に間に合わないと察して行列を離脱することにして、丸の内をぶらぶらして東京駅に戻った。 東京駅のロッカー地帯に行って、再び大量の荷物を引き取って、これから山手線で浜松町、そして東京モノレールで羽田に向った。ロッカーはすでに使用済みで多くの人が列をなしていた。昼から東京見物の予定だったとしたらどうしようもないところだった。 大量の荷物を格闘しながら電車の乗り換えは容易ではない。最近でこそエレベーターやエスカレーターのない駅はないが、それがなかったらとっくにギブアップだった。クッキーも疲れてしっかりとお荷物となっている。 カーネル念願の東京見物も東京駅と皇居前で終わってしまったが、帰りの上野、秋葉原、アメヤ横丁などの下町見物に期待して欲しいところだ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その2東京見物)2019年1月20日


昨年7月(2018年)、札幌から来客を迎え、皆でドーシットホテルで食事を取った際、客から札幌の話を聞いて、にわかに札幌旅行の話が持ち上がった。フィリピン航空の札幌直行便の運航開始、さらには北海道地震がらみの復興割りなどのニュースもはっぱをかけた。せっかく行くのだから一週間くらいは滞在したい、北海道といえば雪、大通り公園の雪祭りも欠かせない、などと話は盛り上がった。カーネルもまだ見ぬ雪景色に思いを馳せた。 まずは、いつ行くのかが問題だが、カーネルはクリスマスあたりしか休暇を取ることができない。キアンの学校もクリスマス前から休みになる。そうなると12月23日の週しかないことになるが、 年末年始は航空券が高いので悩ましいところだ。 札幌直行便はまだないので、韓国あるいは東京経由とするかだが、結論としてはカーネルは日本に行ったことがないというので、東京経由、しかも行きと帰りに一泊して半日程度の東京観光を含めることにした。どこかの国の空港で数時間の乗り換え時間を過ごすよりもその方が私にとっても楽だろうという目論見だった。したがって、往復に4日かけて、札幌滞在はネット5日、合計9日、22日(土)出発、30日(日)帰還の日程を組んだ。 早速航空券を当たってみると、EXPEDIAのサイトで、マニラー成田/羽田ー札幌の往復で一番安いのが一人6万円足らず、5人で28万円程度と、年末にしては意外にもまともな値段だった。しかもLCCではなくてJALという豪華版だ。 東京見物は、成田と羽田を移動する際の空き時間を利用するので、行きは山手線一周と東京駅/皇居、あるいは原宿/明治神宮、帰りは秋葉原/アメヤ横丁を候補とした。行きも帰りも日曜でしかもアメ横見物はみそかとあって、大混雑が予想され、2歳のクッキー連れでいかがなものかと危惧された。一方、最終日の夜には、ジェーンの念願の”のぶ子さんとの会食”が実現できることになりそうだ。翌朝はスカイライナーの一番列車で成田に向かうので上野駅前のホテルに泊まることにしたが、年末のせいか安ホテルが一泊一室28000円もした。予算は10,000円なので大幅な超過だ。 札幌見物は件の客のアドバイスで、札幌に3泊(円山動物園、大倉山ジャンプ競技場、サッポロビール園、もいわ山ロープウエイ、小樽または苫小牧日帰り)、そして定山渓温泉に2泊して、最終日は翌朝、朝の便なので千歳に泊まることにした。宿の予算は朝食付きであらかた一泊一万円の予算に収まった。 東京は自分の生まれ故郷なのであらかた見当はつくものの、札幌は出張で2~3度行っただけで、観光地など、どこに行ったらいいのか、見当もつかない。私の役割は案内役だから、知らないでは済まされないので、インターネットを駆使して観光案内や地図を集め、一冊のファイルにまでなってしまった。 しかし、いざ旅行が始まると、飛行機の予約表と東京ー成田間の時刻表(行きは成田エクスプレス、帰りは京成スカイライナー)それにホテルの予約票以外は一切見ることは無かった。それでも旅行というものは事前の準備が楽しいもので、始まったら、必死でスケジュールをこなし、あっという間に終わってしまうものだ。しかし、旅行というものはチケットと宿さえ用意しておけば、後は、ぶっつけ本番で何とかなるものだとこの年になって悟った。 大量の荷物とクッキーというお荷物を抱えての日本旅行はさぞかし辛いだろう、とクッキーのヤヤ(子守)の同行を提案したのが10月だった。それから1ヶ月ほどして、にわかに現実味を帯びて、まずはヤヤのパスポートを手配することになった。しかし、身分証明書等の書類入手に手間取って、12月に入ってもパスポート発行の目処がたたず、ヤヤの同行の中止宣言をした。 しかし、12月の半ば、出発まで一週間を残すという段階で、パスポートが発行されてしまったのだ。ヤヤにとっては一生にあるかないかのチャンスで、彼女の期待が半端でないことはひしひしと感じる。そこでママ・ジェーンから、日本行きのビザは2~3日でなんとかするから緊急にチケットを手配せよとの号令がかかった。 早速、EXPEDIAのサイトにアクセスしてチケットを探してみたが、同じ日にJALでマニラー札幌を往復する便はあるものの、便が違う。クッキーのお守りをするのに同じ日といえども便が違うのでは意味がない。そこで行き帰りの便を個別に当たってみたが、ジェーン一家が予約した便はすべて満席で、ギブアップ。ママ・ジェーンもヤヤに対して、いい訳ができたので一件落着だ。 12月に入って荷物の準備にいそしんでいるジェーンに忠告をした。荷物は最小限にして、大型トランク一個、その他一人につき一つの手荷物とすること。成田ー羽田ー札幌ー羽田ー成田の移動にあたってクッキーを荷物とみなすと、大型の荷物は一個が限界で、指の痛みの持病をもつ私を期待してはならないと。 ジェーンはその指示に大いに反発して大型とランク3個が限界と耳を貸さない。ベッドの上に山のように積まれた衣類を全部持っていく気だ。どっかの有名女優でもあるまいに、毎日服を替えるつもりでいるらしい。それには防寒具まで含まれるからたまったものではない。 前日荷物の重さを調べてみると、それぞれ、20、25、30kgで、調べてみると国際線が25kg、国内線が20kgが限度だ。それぞれを20kgに押さえるように指示したら、量は減らさず、はみ出た分を別のカバンにいれて持っていくことにしたので、総数で10個を越える荷物になってしまった。 […]

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その1出発)2019年1月20日



最近、羽田発のマニラ直行便がフィリピン航空が2便、全日空が一便、飛んでいるのでかねてから試してみたいと思っていた。全日空はターミナル3を使うので、マカティからは10分そこそこでいける。それに羽田空港には自宅から京浜急行一本でいけるのですこぶるアクセスが良い。全日空なら往復の時間帯もすこぶる良い。ちなみに行きの便は、マニラ発1440、羽田着が2000、帰りの便は、羽田発0945、マニラ着が1330で文句なしだ。 羽田に到着して、早速京浜急行の乗り場に行くと、なんと羽田空港発新逗子行き急行が乗り換え無しで金沢文庫の手前、能見台まで乗り換え無しでいけるではないか。しかも一時間もかからず、日曜のせいかがらがらで座っていける。こうなったら、今後帰国する時は羽田しかないと心に誓った。能見台について帰りの時刻表を見ると、始発の直行が6時26分で9時45分発にはゆうゆう、しかもそれ以降10分おきに出ている。ターミナル3はマカティから15分程度だし、にわかに、日本が近くなった気がしてきた。 京急、能見台駅の時刻表、羽田へのアクセスは抜群だ  兄弟会は千葉の我孫子(常磐線)の長兄の家に行かなければならない。これがまたいくつも電車を乗り換えなければならないので、一苦労する。息子の嫁さんの情報では横浜で京急から東海道に乗り換えれば上野まで直行でいけるというが、東海道線は東京どまりで上野までは行かないはずだ。そこで、電車に乗ってから路線図をよく見てみると、なんと、湘南新宿ラインのように上野東京ラインというものができていて、品川から我孫子まで乗り換え無しでいけるのだ(まるで異業種の連係プレーのような雰囲気だ)。そうなると、帰りは我孫子で上野東京ラインに乗って品川まで行って、そこで京急に乗り換えれば、あとは一本だ(上大岡で普通に乗り換える必要があるが)。これまた、長兄の家が近くなったものだと関心しきりだ。 マニラ首都圏にはLRT、MRT、LRT2、それにPNRの4本しか走っていないが、東京には上記のほかに地下鉄が網の目のように走っている。同じ1000万人の大都会といえど数十年の時の差を感じる いよいよマニラへの帰還の日を迎えた。始発の6時26分にのれば、一直線で羽田にいけるのでなんとも気楽だ。帰りは待ち時間があるのでつぶさに40年ぶりの羽田空港を観察するつもりだ。  京急羽田駅からの上りのエスカレーターに感心 まるで膜を張ったような天井は一体どうやって支えているのだろうか 出発ロビーから上に行ってみると日本橋や江戸の街並みを再現して観光日本をアピールしている 朝が早いので人通りは少ないが、外国人観光客は興味深々だろう 本屋さんでは我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」発見 映画を見ている間にマニラに到着。最新鋭のターミナル3がなぜかみすぼらしく感じる。空港スカイウエイが完成したせいか、定額制のクーポンタクシー、空港専用のイエロータクシーのほか、格安のバス(20ペソ)や普通のメータータクシーなど、街に向かう交通手段にはかなりの選択肢がある。その成果、ターミナル1やターミナル3で活躍する空港職員によりタクシーの呼び込みは姿を消していた。親切そうな彼らの後をついていくとマカティまで2000ペソなどというとんでもない価格を吹っかけてくるの、決して相手にしないことだ。 退職ビザを持っていると右端のDiplomatのブースが使えて並ばずに入国審査ができる 多くのイエロータクシーも客待ちしている 一般のタクシーも客待ちを許されているが、マカティまで150ペソ程度で行ける […]

40年ぶりの羽田空港とターミナル3 2017年7月31日


還暦(60歳)をとうに越して、いよいよ古希(70歳)を迎えてしまった。古希の祝いに帰ってこないかとの誘いに、老骨に鞭を打って一週間の旅を決行した。正直な話、貧乏暇なしというのが本音で、客商売をほとんど一人で切り回している関係上、なかなか時間と金の都合が付かないのだ。 初日の曜日は家で、うだうだしていたが、二日目、火曜日は、三男の嫁と孫二人を連れて、あこがれのスカイ・ツリーに行ってみた。いまさらどこに行きたいということはないのだが、タワーとしては世界一高いスカイ・ツリーだけは興味があった。帰国するたびに成田からの道のりで電車から建設の進捗を毎回眺めていたこともある。 スカイツリーは後回しにして、まずは併設されている「すみだ水族館」に立ち寄った。最近、テレビでも紹介されたので、是非にということだった。この水族館はあたらしいだけあって、魚と水槽がモダンに配置されていて、生き物というよりもコンピューター・グラフィックを見ているような気がした。若いときに金魚に凝った時期があったので、さすがプロは違うと感慨にふけった。しかし2050円の入場料はきついものがある。 見事なあずま錦が泳ぐ様はまさに人間がつくった造形だ 丹頂もこれだけ集まると絵になる  次にスカイツリーに行ってみると、平日のせいか、ほとんど人はいないのだが、列を作るための広大なスペースが広がっている。きっとエレベーターのチケットを買うのに休日なら数時間、並ばなければならないのだろう。その中で、シニアが座って待てる場所があって、好感を覚えた。 フィリピンでは、シニアは、どこでも並ばず、割引ありの恩恵にあずかることができるが、日本でようやくシニアという文字にめぐり合うことができた  一人2060円も払ったエレベーターだが、ほんの数分で何の違和感もなく展望デッキに到着した。窓から見る地上はまさに地上を這いつくばる生物を天国からながめるといった感じの平面の世界だった。息子の嫁さんの話によると、先日訪れたとき、息子は、エレベーターのある塔の中心から一歩も離れることができず、ガラス窓から地上を見ることはできなかったそうだ。 正に箱庭というべき平面が続き、ここに大津波が襲ってきたら、という妄想が頭からはなれなかった 子供達は、一体何を思いながらこの非現実的景色を眺めているのだろう  展望デッキの下の階に下りると、床がガラス張りの部分がある。子供達はその上で跳ねて遊んでいたが、私は、どうしてもガラスの上に立つことは出来なかった。実は、私も高所恐怖症なのだ。 孫娘の妹はほとんど私の記憶はないと思うのだが、なぜか私を見つめることが多かった  翌日、水曜日は、孫娘の姉の誕生会で、息子の家を訪問した。4LDKの立派な家だが、30台半ばで低利で購入したものの、娘二人の子育てとローン返済のために馬車馬のように働き、休息することを許されない状況にあるそうだ。 なかなかの飾り付けだ。ちなみに姉が持っている人形は女房の手作りだ  しかし、誕生会が佳境に入りかけたとたん、女房が具合が悪くなり、タクシーで帰宅させざるを得ず、誕生会をあとにせざるを得なかった。しかし、その後、嫁さんのご両親が、私と話をしたいということで、近所の居酒屋、串倶楽部で飲みなおした。 […]

古希の祝いで日本に行ってきました 2017年7月30日



仕事の方は、幸い、金曜のうちにすべて片付いたので、予備日の月曜は名古屋市内観光にあてた。この日の予定は、名古屋城、大須観音、それに時間があれば、水族館を回るつもりだった。 高山から戻って預けておいた荷物を受け取ると、ジェーンが一緒に預けたスニーカーが無いと騒ぎ始めた。レセプションとすったもんだの挙句、どうしても見つからずホテル側も恐縮していた。しかし、翌朝、バッグの中から袋に入っているのを見つけたとジェーンが言う。恥ずかしくてレセプションに言えないので自分で話せと突っぱねた。レセプションはお世辞に「良かったですね」とうれしそうな顔をしていたが、心の中では、さぞかし馬鹿にしていただろう。 名古屋城へは地下鉄名城線で栄から二駅、スニーカー騒ぎで出発が遅れて9時ごろになったため、ラッシュもなく、ゆったりと行くことができた。 日本は地下鉄でどこへでもいけるので、渋滞もなくすこぶる快適だ  名古屋城はだだっ広くて、月曜の朝一では観光客もまばら。道順が良くわからないが、急ぐ旅でもないので散歩のような気分で進んでいった。東門で入場料を取られたので、名古屋城の史跡にたどり着いたのは間違いないようだった。入り口の近くにはスターウオーズの展示テントがあり、なんとも気分を害したが、KIANは興味深々だった。 加藤清正の像を見つけてなぜか早速空手のポーズ 通路脇の石垣に登り始めたKIAN。観光客が史跡を汚すKIANの行為に非難の目で見ている 本丸御殿の英語の説明に見入るKIAN。KIANはすでにかなりの文章が読めるのだ。 なぜか忍者や侍が現れ、観光客の興味をそそる。侍に日本語で話しかけられて戸惑うKIAN 名古屋城は外観だけで、中身は鉄筋コンクリート製の博物館だ。しかし、近年本丸御殿の復元工事が2009年から開始され、江戸時代の1615年当時の姿を再現している。完成は2018年、実に9年の歳月を費やしての大工事だ。すでに建物の大部分が公開されており、当時の徳川幕府の隆盛を感じることができる。ちなみに名古屋城は1612年徳川家康により築城され、家康の9男、義直が入り、御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えたそうだ。 本丸御殿の正面玄関、総檜作りの、いかにも歴史を感じさせるたたずまいだ 表書院の中には入れず廊下から眺める 対面所は御殿の応接間だ   本丸御殿から天守閣へ向かう […]

KIAN、初めての海外旅行(その三) 2017年3月9日


翌日の土曜はいよいよ飛騨高山行きだ。列車はワイドビューひだ9号、1143発だ。荷物はホテルに預けて、なるべく手軽な格好で行くように指示したが、朝、見ると大きなトランク一杯に荷物を詰めてきたので、びっくり。地下鉄で行く予定なので、階段がきついと文句を言ったら、キムが運ぶから問題ないという。フィリピンなら、ポーターがそこいら中にいるから大丈夫だが、日本では何もかも自分でやらなければならないのだ。案の定、キムは荷物の上げ下げに四苦八苦していた。私は肩を痛めてしまうのと意地もあって手伝わなかった。 初めての地下鉄にうれしそうなKIAN 今回新幹線に乗る機会は無かったが、せめてもと入場券を買って新幹線のホームに見学に行った。タイミングよく見れるかどうかと心配したが、なんと山手線と同じくらいの間隔でやってくるので、十分写真撮影を堪能することができた。 5分おきくらいにやってくる新幹線にびっくり まるで未来から来たような新幹線の列車は日本とフィリピンの違いを見せ付ける 特急ワイドビューひだは新幹線ほどの未来性は無いものの、フィリピンのビコールエクスプレスと比較したら月とすっぽんだ。清潔で快適な車内で、2時間半の旅は瞬く間にすぎた。高山に近づくと、一面の雪景色に写真撮影に余念がない。 生まれて初めて雪を見て、驚きのポーズ たまたま先頭車両だったので、最前列の特等席に陣取るKIAN 一面の雪景色にKIANはさぞかし感動しただろう 高山の宿は純和風の旅館、外国人には人気があるそうだが、畳に布団を敷いて、バストイレは共同というのは、今風のホテルになれた我々にはいささか不便で不評だった。一度経験すれば十分だ。 旅館、あるいは旅籠といった風情 玄関もなかなか風情のあるつくりだったが 特急列車のチケットについていた6000円のタクシー券で、高山の郊外を回ろうと目論んで、まずは雪が残っている高山城址公園に向かった。雪に感激した一行は、そこに2時間も留まって、雪を満喫したが、6000円のタクシー券を使い果たしてしまった。 一生に一度あるかないかの経験に一向にここを離れようとしない KIANもアニメの世界に舞い込んだような面持ちで雪にたわむれていた […]

KIAN、初めての海外旅行(その二) 2017年3月6日



ひょんなことからKIANの海外旅行(日本)が実現した。私の仕事のからみなのだが、相棒のジェーンが主役で、私は、通訳兼ガイドのようなもの。しかし、太っ腹のお客さんは、娘のキムとKIANも同行しても良いとの話で、思わぬ家族海外旅行が実現、キムとKIANは大喜びだった。パパ・カーネルも同行するはずだったのだが、先日の国家警察による韓国人殺人事件がらみの綱紀粛正の折、おいそれと休暇を取ることができず断念した。それからというものはKIANは会う人毎に日本に行くのだと得意そうに言いふらしていた。 ターミナル2に入って、初めての海外旅行にKIANはそれとなく緊張気味だ。姉のキムはひょうひょうといつもの通り 目的地は名古屋。うまく行けば一日で用事は終わるのだが、予備日と土日をはさんで四日、往復日をいれて、2月16日~21日、5泊6日の旅程を組んだ。そうすると、3日ほどの観光が楽しめることになる。学生時代を名古屋で過ごした息子に聞いてみると、岐阜の飛騨高山は欠かせないという。それに、名古屋城、熱田神宮、大須観音あたりが適当というアドバイスをもらった。確かに神社仏閣などはそれはそれでいいとしても、やはりせっかくこの季節に行くのであれば雪見は欠かせないだろう。 出発前、PALの飛行機をバックに、KIANの緊張は相変わらず解けない 長い間、旅行などしていない私にとって旅行のアレンジは億劫でならなかった。フィリピンの国内旅行であれば、足さえ確保すれば、あとは行き当たりばったりでなんとかなった。日本の場合、そうは行くまい。航空チケットの予約、宿の予約、列車の予約と、とにかく面倒だ。名古屋の宿は街なかで買い物がしやすいところ、高山は古風豊かな旅館、など、同行するフィリピーノ優先の計画とせざるをえない いよいよ、中部国際空港に到着、ここに来てKIANも緊張が解けて日本に来たことを実感したようだ 航空チケットと宿はインターネットで安いところを探して何とかなった。しかい、高山行きの列車の予約はどうしようも無くて、名古屋についてから予約することにした。白川郷も出来れば行きたいところだが、日本は豪雪というニュースもあり、どうなるかはなりゆき次第だ。名古屋はなんと40年ぶりの訪問なので右も左もわからない未知の領域で、きっとマニラにおいでになられる退職者の気分もこんなだろう。 ひな祭りが近いとあって飛行場にはお雛様が飾られていた  空港に到着したところで懸案の高山行きの列車の予約を試みた。JTBのカウンターを見つけて問い合わせたら、高山線乗りたい放題の切符が、通常の運賃(4人で往復5万円程度)の半分で買えることが分かった。しかも高山でのタクシー券6000円までついている。しかし、午前中の列車は満員で、しかも帰りは午後の列車が満員。要は昼ごろでかけて、昼には戻ってこなければならないということで、残念ながら白川郷に足を延ばす時間はなくなった。しかし反面、ゆっくりできるのでよしとしよう、とにかく雪さえ見れればそれでいいのだ。一方、空港から名古屋はリムジンバスで向かえばホテルのある栄町に直接行けるということなので、めんどうな名古屋駅での乗換えを免れることができた。 夜の名古屋、栄町はさすがに寒い。テレビ塔の前でしばし撮影会だ  ホテルはトラスティ名古屋栄町というビジネスホテルをBooking.comで予約した。二部屋で一泊24000円。他の立派なホテルは5万円もして手が出なかったが、フィリピンだったらシャングリラホテル並みの料金だ。しかし、このホテルの部屋の狭さにはちょっと驚かされた。一方、不用意にも喫煙か禁煙ルームか指定しなかったので、一つは喫煙ルームだった。エレベーターをおりて廊下に出たとたんタバコのにおいが充満していて、KIANは私と一緒に、この部屋で寝ることをママ・ジェーンに禁止されてしまった。ちなみにフィリピンの我が家はジェーンのお達しで全面禁煙だ。日本でもレストランの全面禁煙で揺れ動いているが、フィリピンでは20年以上前から事務所やレストランでは全面禁煙となっている。 翌朝、ホテルのロビーでますは写真撮影 さて朝食だが、ホテルの朝食は一人1200円、4人で4800円は予算(全員で2000円)オーバーだ。外へ出ると、すぐにファミリーマートが見つかって、カップヌードルやサンドイッチ、それに大量のミネラルウオーターを買い求めた。しかし、レジに向かうと異様な風景があった。レジが3つあるのに客は遠くに一列に並んでいる。何をしているのだろうと思いつつ、空いているレジに行くと、「並んでください」と注意された。なるほど、客は三つのレジの手前で並んで、レジが空いたら前から順に会計するのだ。 まずは仕事。迎えに来ていただいた日本人の立派な車に乗せてもらって皆ごきげんだ 翌日、ジェーンは、そんなことはお構い無しにさっさとレジで会計をした。遠くからは「なんだ、旅行者なのか」という声が聞こえたが、きっと「なんとルールをわきまえないやつらなんだ」という冷たい視線を送っていたに違いない。ジェーンは中国系なので、日本人に見えるのだろう。さらに横断歩道を渡るとき、赤信号だが車が来ないのでジェーン一行は、信号が変わるのを待っている人々を尻目に躊躇無く渡ってしまう。人々はやはり「なんとルールをわきまえないやつらなんだ」という冷たい視線を送っていたに違いない。後からついていく私はうつむいて自分もフィリピン人の振りをしていた。 […]

KIAN、初めての海外旅行(その一) 2017年3月5日


旧正月(2月8日、月曜)の3連休を利用して家族全員でプエルトガレラを訪問した。プエルトガレラと言えば、マニラの南、バタンガス州から船で小一時間、ミンドロ島の北端に位置する海浜リゾートのメッカだ。このブログでも何度か紹介したが、今回は、家族全員(8人)で出かけることになった。2泊3日で予算は2万ペソ(ただしジェットスキー、アイランドホッピングなどの遊行費用は含まず)。KIANも、もう5歳、今年は小学校に入学する年齢で、是非連れて行きたいと、かねがね思っていた。今回は、パパ・カーネルの都合もついて、2泊3日の旅を決行した。 皆、大喜びであるが、意外と私と私の息子以外はプエルとガレラに行ったことがないという。2月6日(土)、早朝から準備して、いざ出発と思いきや、なんと雨模様。この乾季の真っ只中だというのに、朝からしとしとと雨が降り続いていたのだ。どうせすぐに止むだろうとたかをくくっていたが、この雨は、なんと翌日まで降り続いたのだ。それで、これなら陽に焼けないとほくそ笑んだのが、ママ・ジェーンだ。例え天気が悪くて寒気さえ覚えるような天気でも、海の水は温かくて水遊びには全く支障がないのが与えないのが、熱帯、フィリピンの良いところだ。 連休の初日とあって、南に向かう高速道路は料金場で大渋滞。2時間でバタンガス港に到着するはずが、3時間かかってしまった。さらに港の余計な案内人のおかげで、今回唯一の汚点となったとんでもない船会社(Challenge and Passion)を選んでしまった。2時間近く港で待つ羽目になったうえに、さらに帰りのボートが2時間遅れの末に、少々波が荒く、船体が一部破損して波が中に入り、全員がびしょびしょになってしまったのだ。 楽しい海水浴のはずが、一転して悪夢の旅になってしまい、子供達は2度とボートには乗らないと口々につぶやいていた。KIANもトラウマになってしまい、帰宅後、教会に行って、一生懸命祈っていたそうだ。また、私までがKIANによると、ボートで海水浴に行くことはご法度になってしまった。たしかにボート初体験のKIANにとっては恐ろしいものだっただろう。次回は、案内人の口車にのらず、プエルトガレラの市長が運営するBlue Penguinという船会社を無条件で選定することを肝に銘じた。 バタンガスの港で2時間近く待たされ、よやく乗船の運びとなった。船の写真を撮ろうとカメラを構えると皆が寄ってきて、船が見えなくなってしまった。 船の窓からは、小さなボートで近づいてきた子供達が物乞いをする。中と外では天国と地獄の違いだ。おそるおそるはしけを渡るKIAN,なにもかもKIANにとってははじめての経験だ。 行きの船では、皆期待に胸をはずませていたのだが、帰りの船は地獄だということは、まだ誰も知らない。 目的地はホワイトビーチだが、波が荒くて下船できず、近くの港に到着した。そこから10分ほどトライシクルでビーチの中心に到着する。ホワイトビーチは広々とした砂浜で家族で遊ぶにはもってこいだ。下の写真は帰りのもので、普段はこのようにビーチに直接船が着く。 早速撮影会。子供達の喜びようは尋常ではない。 安物のカメラしか持っていない私にはジャンプの瞬間を捉えるのは容易ではない。 セーフジャケットをつけて早速海に飛び込むKIAN。喜びを満面にたたえ、これから二日間、KIANの至福の時が始まった。波と追いかけっこをするのが楽しいKIANは行ったり来たりを繰り返していた。プールと違ってこの波があるから海は楽しいようだ。 連休の初日とあって、ホワイトビーチは観光客で溢れていた。 […]

家族みんなでプエルトガレラ訪問 2016年2月17日 



APECの6連休、さすがに退屈して農場からやってきていた息子とプエルトガレラを訪問した。ここはマニラにもっとも近いビーチリゾートとして有名で数百のリゾートが立ち並ぶ海水浴とダイビングのメッカで、このブログでも何度か紹介した。 KIANも5歳となり、先日のライアビーチの訪問で味をしめビーチには目がない。しかし、パパカーネルの都合があわず、息子との二人旅となった。前日、両親がビコラノ語で、我々がビーチに行くと、話しているのを、聞いて、KIANが血相を変えて私の部屋にやってきた。「ダダ(私)は僕をおいてビーチにいくのか?あるいは、ママは嘘を言っているのか」と詰め寄る。回答に窮して「ママを説得してKIANも同行させるようにしろ」と話をしたが、浮かぬ顔をして部屋を出て行った。 翌日、早朝、APECの交通規制を危惧してボボイにバタンガス港まで送らせ、9時ごろには港まで到着することができた。船で一時間ほどでプエルトガレラに到着したが、早速、KIANから電話が入った。「ダダはビーチにいるのか、帰ってきたら噛み付いてやるから覚悟しろ」と怒っている。 サバンビーチはマニラではあまり見かけない白人と、どこでもいっぱいの韓国人で相変わらずにぎわっている。日本人はほとんど見かけない。息子の勧めでSABANG HILL RESORTに宿を取ったが、高台で全室が海に面していて、いかにもビーチリゾートの宿だった。宿泊代は、スタンダードで一泊2000ペソ、安くはないがリーゾナブルだ。サバンビーチの眺望がすばらしい。しゃれたプールやレストランもこぎれいだ。        サバンのビーチは、同じプエルガレラのホワイトビーチに比べて、少々狭苦しいが、泳ぐというより、ここを基地にしてダイビングを楽しむ人が多い、船を下りて左に進んでビーチのはずれを右に登るとSABANG HILL RESORTがある。目印は通路を挟んでレストランにしてしまっているTind’s Restaurantだ(写真右下)。 サバンビーチの特徴は、マニラにも劣らない夜の街があることだ。家族連れならホワイトビーチが適しているが、男連れならサバンがいいだろう。狭い路地にその手の店がひしめいている。 ところでKIANの追求の手は緩まない。帰りのボートの中で、再び携帯のベルがなった。「今どこにいるのか、ビーチに行ったのか」、さらにボートのエンジン音を聞いて、「その音はビーチの音に違いない、僕はビーチの音を知っている」と、ダダはたじたじだ。昼過ぎ、戻ってきたら両親とお出かけ中で留守。夜、帰ってきたら、早速私の部屋に来たが、ドアの外で照れくさそうにはにかんでいた。息子は、どう口裏を合わせようかと心配していたが、所詮5歳の子供であり、私の顔さえ見れば期限は直るのだ。

プエルトガレラのサバンビーチリゾート訪問 2015年11月30日


万聖節の休みを利用して、バタンガスでもっとも美しいビーチというふれこみのライヤ・ビーチ(Laiya Beach)を訪問した。マニラから南に高速道路(SLEX)でリパ市(Lipa City)まで行き、高速道路を降りてからロザリオ(Rozario)、サンフアン(San Juan)を経てLaiya Beachに至る、約130km、3時間半の行程だ。ちなみにSan Juanはバタンガス州とケソン州の境界にあり、ビーチリゾートが点在するマニラ湾とは反対側にある。 この日は、万聖節ということもあってか、リパ市内の道路は糞詰まりのようにびくともせず、市内を通過するだけで一時間以上の時間を費やしてしまった。特に墓地のある付近の渋滞はすさまじいものがあった。 サンフアンにようやく到着した時は12時を回っていた。適当なレストランで食事を取ったが、周囲は、スペイン風の古風な家が並んでいた。この付近は第二次世界大戦の被害を受けず昔の民家が残っているそうだ。 サンフアンの町に入ると右にリゾートの看板が並んでいる角を右に入ると田園風景が続き、いかにもビーチリゾートに近いという雰囲気がある。宅地造成も行われており、いずれ高級住宅街が立ち並ぶことだろう。 途中、高級リゾートを左に見ながら、ライヤ・ビーチに到着すると20軒以上の宿があり、その先は工事中の道路となる。その外れ近くにあるのが、ラ・ルーツ・ビーチ・リゾート(La Luz)だ。数軒のリゾートを見たが、ここが一番評判のよいところで、値段的にもこなれているので決めた。ちなみに、宿代が2泊で9000ペソ、3食、4人で8000ペソ(1.5日分)、合計、17000ペソだった。必ずしも安くないが、この辺に立ち並ぶ宿はもっと安そうだ。          砂浜はWhite Beachとはちょっと言い難く、砂というより小粒の砂利に近い。ボラカイあたりと比べたら、2流のビーチで、スリッパを履いて歩くと砂利がかんで足が痛かった。波は少ないが、傾斜がきつくて、遠浅とはいい難い。 宿は、5人で一部屋を使ったが広々として清潔だった。もちろん温水シャワーなどはない。 海岸沿いに屋根付きのスペースがあってくつろげる。KIANもご機嫌だった。ビコールの農場にも、是非こんなスペースが欲しいと思う。 […]

バタンガス ライヤビーチ訪問 2015年11月5日