旅行


昼食後、KIAN待望のカマヤンビーチに歩いて向かった。途中、野生のサルを見ることができたが、KIANはさほどの注意を払わず、一目散でビーチを目指した。          入場料は大人300ペソ、子供250ペソと案外高額だ。ちなみに60歳以上であれば、シニアシチズンとして240ペソに割り引かれる。依然は、無料のビーチだったのだが、数年前にホテルが建ち、それ以来、有料となったが、迷惑な話だ。スービックにはいくつものビーチがあり、他は無料だが、どこにあるかわからないので、人々は、Ocean Adventureの隣の、カマヤンビーチを目指すのだ。 砂は、ちょっと茶色いホワイトサンド。ちょっと入ると岩になっているが、泳げないKIANは、浅瀬で水遊びをするだけだから、ちょうど良い。 最初はおっかなびっくりのKIANも慣れてきたら、大はしゃぎだ。 一時過ぎにはようやく、パパとママが加わって、ビーチ沿いのレストランで一休み。 パパ・カーネルは、KIANがこんなにビーチが好きだったとは、知らなかった。これからは、毎月KIANをビーチに連れてくると決意していた。冬のないフィリピンでは、一年中海水浴を楽しむことができるのだ。 ここで、ジェーンが帰りに教会に寄って行きたいと言い出した。アンヘレス(パンパンガ)の北、ウルダネッタ(パンガシナン)にあり、一時間くらいのところだという。私は、夜の9時に空港で出迎えの約束があるので、とてもつきあえない。また、荷物が多いので車は三菱モンテーロが必要だ。議論の末、私はタクシーでマニラに帰り、別途の車を手配して出迎えに行くことになった。 めったにないカーネルの休暇なので、譲ったのだが、この後が大変だった。普段、スービックからマニラまでは3時間もかからないところが、ブラカンあたりからNLEX高速道路が混み始め、マニラまで5時間もかかってしまったのだ。さらに、マカティに入ってから、日曜というのに大雨による道路冠水でニッチもサッチも行かなくなってしまったのだ。 電話連絡で、ゲストには空港のタクシーでホテルへ向かってもらうことにして、途中から、家路についた。しかし、SLEXの延長のオカンポ通りがウンともスンとも動かない。車を置いて歩いてパソンタモに向かうと、そこは、すでに水が引いて走れるようになっている。そのため、車を呼んだが、夕飯がまだだったので、開店していたリトル東京の相撲茶屋・関取で遅い夕飯を取った。その時、すでに11時を回っていた。 そんなときの飯は、なんともうまい。そうでなくても、ここの料理の特色は、うまい出汁と量の多いことで、ちゃんこなべは有名だ。オーナーは元関取だそうで、大雨で店内まで水に浸かったというのに開店しているという根性が気に入った。 ちなみにカーネル一行が家に着いたのは、夜中の一時半だったそうだ。

KIAN、初めてのスービックの旅(その4. Camayan Beach) 2014年8月31日


翌日、夜中まで飲んだくれていたカーネルとシジェーンを宿に残し、キムと二人、それにKIANを連れ、9時になるのを待ちかねて出かけていった。午後3時くらいには帰らなければならないので、休みの日は、昼まで寝ている彼らに調子を合わせているわけには行かない。 キムとしては3人連れだと、KIANは彼女の子供かと聞かれ、おまけに、この私は亭主かと聞かれるので、まだ18歳の彼女としては、とても恥ずかしいらしい。おまけに、違うと言ってもなかなか信じてもらえないらしい。たしかに彼女は18歳になったばっかりにしては、かなり大人びている。 Ocean Adventureはスービックの観光の目玉だが、ここも広々とした海岸にきれいな海が広がり、都会にはない、開放感がある。ただし、水族館は、マニラのOcean Parkと比べるとかなり貧弱だ。 Ocean Adventureの入り口で(左)。水族館は今一(右)   4つほどアトラクションはあるが、やはり目玉は、イルカのショー。前面はスービック湾が広がり、いかにもOcean Parkの面目を保っている。いつでもイルカが泳いでいるのを見ることもできる。   イルカショーは遅めに行ったら席がなくなるほど混んでいた。KIANは、何が始まるのかと興味深深だ。 オットセイのショーにKIANはびびりがちで、途中で退場。               後は、ぬいぐるみとの記念撮影、ここで昼食をとり、昼からはパパ・カーネルとママ・ジェーンも加わって待望のビーチでスイミングだ。

KIAN、初めてのスービックの旅(その3. Ocean Adventure) 2014年8月31日



今回のスービックの旅は、KIANにZoobic(ズービック)やOcean Adventureを見学させることだ。4歳にもなれば、まさに大喜びするだろうという目論見だ。しかし、KIANは、ビーチ、ビーチと執拗に繰り返している。しかし、ママ・ジェーンは日に焼けるといやがって決して首を立てに振らない。しかし、ズービックに到着するなり、KIANはビーチのことを忘れていた。 しかし、3連休の中日とあってZoobicの混雑は半端ではなかった。目玉のタイガーサファリの前には数百人の人が順番を待ち、すでに夕方だったので、その日の内に中に入れる見込みはない。KIANには内緒で、その場を離れた。しかし、これだけの人が500ペソの入場料を支払ってレジャーを楽しむ時代にフィリピンもなったのだ。ズービックなど昔は訪れる人もほとんどいなくて閑古鳥が鳴いていたものだが。このような中間層の活躍でフィリピンもいよいよ経済勃興が始まるのだろうか   ズービックの入り口で記念撮影。ここの特徴は、街中の動物園と違って広大な敷地を誇ることだ。動物園の外にも多くの家畜が放し飼いされている。 ズービックの売りは、このWhite Tigerだ。同じユーパンコ経営のタガイタイの小動物園(タガイタイレジデンス)でも子トラとの記念撮影ができる。右は、今回入場できなかったタイガーサファリで以前撮影したもの。放し飼いされたトラの中に檻に入った人間が入っていくという趣向で鶏肉を食べるためにトラが車に襲いかかる。 家族4人が動物に扮する(左)。 動物園は、自然志向で動物を間近に見れるが、白いカラバオは今一だ。   広大な園内を回るときは汽車を模した車に乗るが、これが一時間待ち、しかたなく、乗ってきた車に乗って入場した。 園内には羊、ダチョウ、牛、黒豚、ラクダなどが放し飼いされていて、その中を車で走るサファリの雰囲気だ。 ズービックの目玉のもう一つは、このワニ園だ。数百頭の大型のワニが昼寝をしている。竹で鶏の肉を下ろして、ワニ釣りができるのだが、この日は、餌が売れ切れていてNG。 外へ出てから、KIANが大声を上げたのが、黒い車の左についていた、流行のトランスフォーマーのマークだ。KIANは、この車はトランスフォーマーで、ロボットに変身すると信じていた。 帰り道、天然記念物級のスービックの名物、大こうもりは、いつもの木々で羽を休めていた。数百、あるいは数千羽もいるだろうと思われるが、はじめて見るこの光景にKIANとキムは目を丸くして見張っていた。木の枝に果物のようにぶら下がっているのがこうもり(左)。羽を広げたら1m近い堂々としたものだ(右の写真は以前撮影したもの)。

KIAN、初めてのスービックの旅(その2. Zoobic) 2014年8月31日


8月21日(木)はニノイアキノデイ、23日(土)、24日(日)、そして25日(月)は英雄の日と、4月のホリーウイーク以来の大型連休となった。さらに、スービックで開業準備中のSUN PLAZA コンドテルから無料宿泊の誘いがあり、チャンスとばかりに4歳になったKIAN、そして、彼のつきそいに、彼の家族を誘って、スービック旅行を決行することなった。KIANもやっと遊園地や海に連れて行く年頃になって、チャンスをうかがっていたのだ。 KIANのお父さんカーネルの都合で、日曜(24日)出発、月曜(25日)帰還の強行スケジュールとなったが、私は、土曜(23日)に友人とともに先行してアンヘレス入りして、翌日スービックで皆と合流した。アンヘレスについては、すでに語りつくしているので、今回は割愛するが、前にもまして、活気にあふれていた。 以前、何度か紹介したポコ・ア・ポコ・コンドテルの和食レストラン・トマトで腹ごしらえをして、コンドテルに向かったが、それは予想外の大型5階建てコンドルテルだった。ちなみにコンドテル(ないし、サービスアパートメント)とはコンドミニアムとホテルの両方の機能を有する施設で、一日の宿泊から、月単位、あるいは年単位の賃貸ができ、場合によっては購入することもできる。サン・プラザは日本人投資家から資金を集めて建設され、いよいよ開業にこぎつけたものだ。場所は、スービック商業地区のホテル街に位置し、レストランが並ぶ海岸にも近く、また最新鋭の病院も至近距離にあって、絶好のロケーションだ。 出来立てのサンプラザは、レストランなどのアニメティは未完成だが、スービックでは珍しい5階建ての高層(?)で、周囲を圧倒する威容を呈している。 玄関やロビーもゆったりしていて、立派。何を勘違いしたのか、KIANは、自分の新しい住処と思い込んで、得意気に他人に話をしていたそうだ。そういえば、家族が一緒なのはタバコの農場やレガスピの実家で、KIANはそれらは皆自分の家と思っている。たしかにそれは一理あるのだが。 ジムやマッサージパーラー、そしてサウナなども完備していて、まさにリゾートホテルの仕様だ。 部屋は144m2の3ベッドルーム。トイレが3つもあって、後で知ったのだが、このコンドテルの最高級のユニットだった。ベッドはキングサイズが二つにツイン、われわれ5人には広すぎるくらいだ。そしてベランダも広々としていて家族団らんのバーベキューなどにはもってこいだ。カーネルとジェーンは皆が寝静まった後、学生気分になって、ワインボトル一本をあけてしまったそうだ。まだ、ちょっと飾り気がないが、リビング・ダイニングも広大だ。 ベランダからの眺めも絶景だ。ここ一体は皆、ホテルだが、灯台を模したホテルや、戸建て住宅風のものや、まるで高級住宅街の雰囲気だ。 スービック港をゆっくり走る遊覧船、ベランダの手すりは色つきのガラス製で、子供が外を見るためによじ登って落下事故にあうようなことのないように配慮されている。 そして圧巻は、ベランダから眺める夜景だ。イルミネーションを施したホテル群は、まるでデズニーの映画を見ているような雰囲気だ。そして、海岸にでると、そこは遊歩道になっていて、ホテルのプールやレストランが並んでいる。ライトアップされた遊歩道もまるで、デズニーの映画の世界に迷い込んだようだ。フィリピンの外国、スービックの面目躍如といったところだが、メインゲートの近くにできた近代的モール、ハーバー・ポイント・モールもいいが、私はここのほうがスービックらしくて、何枚も上だと思う。 ちなみに、料金は40m2のスタジオタイプのユニットで4200ペソ/泊から、われわれが泊まった最高級の3ベッドルームユニットが13000ペソ/泊、2週間以上の連泊で20%引き、1年契約ならスタジオで、27000ペソ/月からだそうだ。決して、安いとはいえないが、それなりの価値はあると思う。なお、詳細は下記にコンタクトしてほしい。 小田昇平 shoheioda3333@yahoo.co.jp

KIAN、初めてのスービックの旅(その1. Sun Plaza) 2014年8月30日



退職後フィリピンへの移住を計画している方がいるが、奥さんの同意がないと実行に移せない。そこで、奥さんに1週間ほどの体験旅行をしてもらい、大いにフィリピンの良さを味わってもらおうという計画に加担させられて、下記のスケジュールで宿泊と移動のアレンジを行った。 3月31日(土):到着 3月30日(日):マカティグリーンベルト散策、教会訪問(ホリーウイークの最終日) 4月1日(月):スービック訪問、ポコアポコ滞在 4月2日(火):クラーク経由でマニラに帰還 4月3日(水):タガイタイへ移動、パスコのゲストハウス滞在 4月4日(木):タガイタイ見物(ゴルフのコースデビュー) 4月5日(金):マニラに移動(定期預金口座開設) 4月6日(土):マニラツアー(イントラムロス、チャイナタウン、グリーンヒル、ボニファシオ、アラバン、モールオブエイシア) 4月7日(日):マカティ散策、教会訪問 4月8日(月):帰国 スービックでは、オーシャンアドベンチャー、ズービック、デューティフリーショップなどを回り、黒豚親子の散歩、自然の猿など、奥さんは歓声を上げていたが、圧巻は大型コーモリの群生地の再発見だ。以前の場所から移動してしまったそうだが、道中注意深く周囲を観察していると、飛行場とズービックの真ん中あたり、海岸沿いの道路の海側の木で発見することができた。世界でも類を見ない、市街地の至近距離で一千羽近い大型のコーモリが木にぶら下がっているのを観察することができる。  同行した山本のぶ子さんのたっての依頼もあり、スービックに隣接するオロンガポのマーケットに出かけた。スービックのゆったりとした雰囲気に比べて、そこは活気にあふれていた。これぞ、フィリピン。奥さんは、少々緊張気味だったが、私にとっては、スービックよりも居心地が良い。新鮮なマンゴが一キロ、40~80ペソと、デューティフリーショップの半分以下で、この安さがまた、まさにフィリピンなのだ。 オロンガポのジープニーは黄色に統一され、オロンガポに独特の雰囲気をかもし出している。 スービックからクラークへ向かう高速道路にはアメリカの軍用車と思われる車が物資を運んでいた。中国を取り巻く不穏な情勢への対応なのか、北朝鮮の挑発に対するものなのか。 […]

H夫妻のマニラ体験旅行 2013年4月14日


  浅田さんのコンドテルの視察の招待で、久しぶりにバギオを訪問した。前回の訪問は2009年の台風ぺペンの被害調査に同行した時なので、実に3年ぶりだ。 まず、驚いたのがNLEX(北ルソン高速道路)沿いの休憩所のレストランの充実ぶりだ。SLEX(南ルソン高速道路)に比べて、大分出遅れていたが、今ではそん色がない。      バギオの滞在は、たったの1日なので、観光地の訪問はできなかったが、マーケットの訪問は必須だ。ここはいつでも人であふれ、お土産屋がしのぎを削っている。 狙い目はイチゴジャムなどの瓶詰め、そして生のイチゴだ。イチゴはちょっと高めだが、上段に飾られている大粒のものが良い。マニラではちょっと手に入らない逸品だ。家に持ち帰って洗うと、まさに新鮮で輝いてさえいる。 以下は、2月にのぶ子さんをバギオに送った際のもので、この時はカーネルのしぶしぶの許可を得て、のぶ子さんお気に入りのキムが同行した。帰り道、ケノンロードの入り口にある展望台で。運転役のボボイも初めての経験だ。 帰り道のパンガシナンの名物はバゴオン、ニンニク、玉ねぎ、そして干し魚だ。とても安いので、大量に買い込んだ。ちなみにここの赤い玉ねぎはニンニク程度の大きさだが、フィリピンでは調味料に使うので、大きな白い玉ねぎよりも高価なのだ。

久しぶりのバギオ訪問 2013年3月29日



マニラ並びにマニラ近郊で、お勧めの場所をまとめてみた。これらを訪問した際の記事をブログにアップロードしているので参考にしてほしい。 ①マニラ市内:イントラムロス、チャイナタウン/キアポなどの下町、ロックウエル、マカティ、ボニファシオなどの新興都市・コンドミニアム街、グリーンヒル、モールオブエイシアなどの買い物どころ。 これらは一日ツアーで回れる。 ②タガイタイ、アラバン:マニラの南、アラバンは外国人にお勧めの住宅街だ。リゾートのようなコンドミニアムもある。タガイタイも1990年代からのブームで様変わりしているが、これらも一々ツアーで回れる。タガイタイにはパスコと提携している民宿がある。 ③スービック、クラーク(アンヘレス):往復300kmくらいのちょっと遠出になるが、経済特区として中部ルソンの開発の目玉となっており、是非視察したいところだ。ちょっときついが一日でも回れる。スービックにはポコアポコ、アンヘレスにはフレンドシップ、という日本人経営の宿泊施設がある。 ④バギオ:マニラから車で5~6時間、ここは最低一泊必要だ。ビクトリアライナーなどのバスで行けばいいので、わざわざマニラから車をチャーターすることもない。バギオにはタクシーがたくさん走っている。 ⑤プエルトガレラ:マニラから一番近い海浜リゾートで、数百軒のコッテージがひしめいている。車で、2時間、さらに船で1時間の所にあるが、数日のんびり過ごすのに最適だ。 ⑥コレヒドール島:マニラ湾に浮かぶ第2次世界大戦の遺跡、日帰り良好に丁度良い。  

マニラ及びマニラ近郊の案内(概要)2013年3月28日


   8月27日(月)は英雄の日で祝日となり、先週に続いて連休となり、再びプエルトガレラを訪問した。先週、騙し取られた50ペソを取り返そうと意気込んでいたが、呼び込みの輩は姿を消して、乗船賃や港の使用料の支払いはスムーズに済んだ。  今は、オフシーズンのプエルトガレラは熱帯モンスーンの影響で風が強く、波が大きく、乗船に苦労する一方、船中では船酔いの人が続出した。  今回の目的地はホワイトビーチだが、ここは船着場がなくて、この時期、船がつきにくくてプエルトガレラ港で下船、小型のバスで、目的地のホワイトビーチに向かう。 プエルトガレラ港は、入り江の奥深くで波が全くなく、数多くのヨットが停泊している。  ホワイトビーチは名の通り、サバンに比べて広い砂浜が続く。宿泊は、前回と同じホワイトビーチロッジで一泊1500ペソ。サバンに比べて、高級なレストランはなくて、バーベキューが一皿ライス付で100ペソと安い。 500mほど内陸に歩くと普通の田舎町が続く。ここからプエルトガレラまではトライシクルで、往復400ペソ、サバンまでなら800ペソもとられる。しかし値切ればサバンまで往復500ペソだ。ちなみに乗り合いのジープはない。 今回は、ホワイトビーチの先にあるタリパナン・ビーチに足を延ばした。 一番奥まったところにあるのが、エル・カノネロ・リゾートで一泊1800ペソで、リーゾナブルだ。  プライベートビーチの雰囲気が良い。客はまばらだ。  帰りはプエルトガレラまで小型バスで行く、乗船賃275ペソのうち、45ペソがバス代になる。このバスに14人がぎゅうぎゅう詰めなって、役15分の道のりだ。 12時発の筈が、出発は1時近く、その間、のんびりと海を眺めて待つ。 近所に小さなレストランが数軒あり、そこにはコッテージや土地の売り物が張り出されている。価格的にはマニラの郊外の物件と大差ない。価格はどういうわけかドルやポンドで示されている。15000平米のビーチの土地がなんと89万ドルという売り物があった。  オフシーズンは便数が少なくて、かえって満員だ。帰りは波はあったものの追い風で比較的スムーズな船旅がエンジョイできた。 バタンガス港について空腹のため食べるところを探したが、ターミナルの中に入らないと何もない。何故乗船客には食べ物を提供しても下船する人間にはなにも食べるところがないとは、なんという矛盾か。おかげでバスに乗ったら、車中は食い物を売る人であふれていた。我々もハンバーグと卵を買い求めて一息ついた。

プエルトガレラ・ホワイトビーチ、シーズンオフの訪問 2012年8月29日



   8月21日(火)はニノイアキノ記念日、20日(月)はブリッジ休みとなり、土日を含めて4連休となった。さらに先々週の8月7日(火)と8日(水)は洪水で官庁が休みで仕事にならなかった。さらに来週27日(月)は英雄の日で祝日となるので、ここのところ平均して週休3日という超先進国並みのゆとりある日々だ。しかし、日本のお盆を挟んで休暇をとり、限られた日数で退職ビザ取得を計画された退職者が多く、当方としてはやきもきする毎日だった。しかし、なんとかビザの発行をつつがなく終え、20日(月)と21日(火)は息子とプエルトガレラの海浜リゾートに遊びに出かけた。今回は特に息子の趣味の釣りに挑戦することにした。  今年は3度目のプエルトガレラ行きなので、慣れているつもりだったが、バタンガスの船乗り場で、船会社の社員と称する連中がしつこく付きまとい、つい言いなりに乗船賃(310ペソ)を支払うと、別の人間が環境税(一人50ペソ)を支払えという。しかも往復で一人100ペソだという。合計410ペソとられた。よく聞いてみると乗船賃が230ペソ、環境税が50ペソ(帰りの便には環境税は不要)、ターミナルフィーが30ペソ。全部で310ペソだ。最初の男に支払った310ペソですべて入っているはずだが、別の男に支払った環境税が二重払いだった。往復100ペソの嘘は見抜いて50ペソを取り返したものの、二重払いに気がつかず、50ペソを騙し取られる羽目になってしまった。たったの50ペソだが、金額の多寡にかかわらず騙されたということが癪にさわる。だから、この手の支払いは決して人任せにせず、窓口で自分で支払うべきだ。彼らはあの手この手で客を煙に巻いて小銭を騙し取ることに汲々としているのだ。きっとそれが彼らの生活の糧なのだろう。 今回はサバンに泊まった。ここはプエルトガレラの中でも最も繁華でゴーゴークラブさえも数軒ある。ただ、ビーチはそれだけ汚れた感じもする。リゾート客の多くは、ここを起点にボートで岬や島をめぐり、海水浴やダイビングをエンジョイする。 プエルトガレラはミンドロ島の北端の入り組んだ岬や島で、数百軒のコッテージがひしめく。今回泊まったのは海に面した部屋で1000ペソ/泊、3~5月のピークシーズンは5割り増し程度になるそう。プール付の立派なリゾートでも3000ペソ程度で泊まれるようだ。 浜の魚(そーだがつお?)の即売と浜で遊ぶ子供たち。 飾りを売る屋台が道端にある。みやげ物売り場はホワイトビーチの方が豊富だが、商品は似たようなものだ。 天気は雨は降ってはいなかったものの曇り空で、波も若干荒かった。 このような豪華なリゾートも、3~4千ペソ/泊で泊まれる。 浜に面したちょっとしゃれたレストラン、一品大体300~600ペソと、やや高めだが、チキンアドボを頼んだ息子はその量と味にいたく満足していた。 さすがマニラに一番近いダイビングのメッカとあって、ダイバー用のボートが並ぶ。 二日目、釣り船をチャーター、昼には帰らなければならないので、3時間、1500ペソを800ペソに値切って乗船。 途中、以前息子と一緒に泊まったビッグ・ラ・ラグナの端にあるリゾートを懐かしく眺める。息子といえば、船長の勧めでトローリングの道具を早速流して、大物を狙っている。 山の中腹にあるコッテージはとても洒落ている。 ここではボートが庶民の足だ。しかし、息子はトローリングの道具をスクリューに巻き込まれて無くなってしまい、浮きだけで3000円もしたのにとぼやくこと仕切り。 […]

プエルトガレラで釣りに挑戦 2012年8月25日


  6月も半ば近くというのに日本は肌寒かった。しかし、フィリピンに帰った直後、台風一過の日本は30℃を越える真夏日だったそうで、この寒暖の差は年寄りにはこたえるだろう。  庭の梅の木はそろそろ収穫時で、おいしそうな実をたわわに実らせていた。 人と会うために関内の伊勢崎町を訪れたが、有燐堂には我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」(右中段)が並べられていた。 平日のせいか伊勢崎町は、さほどの賑わいはなく、通りすがりの人の話す声を聞いてみると、ほとんどが中国語や韓国語で、日本もいよいよ外国人が闊歩する場所になったのだとつくづく感じる。 6月が旬のアジサイがいたるところに咲き乱れていたが、このアジサイはミルクに薄いピンクがかかり、なんとも味わいのあるアジサイだ。 6月15日は二人目の孫娘、夕芽(ゆめ)の1歳の誕生日だ。しかし、それまで元気に遊んでいたのが夕食時になると眠ってしまい、夕芽抜きの誕生会になってしまった。  夕芽の代わりに主役を演じたのが姉の結月(ゆずき)だ。久しぶりに両親のじっじとばっばがそろったので、すこぶるご機嫌だ。  この日、久しぶりに私と会って、まずは写真館で記念撮影、その時は、そっぽを向いて知らん顔をしていた。しかし、私の自宅によって、お土産をたくさんもらって、自分の家に戻ったら、私に対する態度が急変した。レゴで遊ぼうとか、私にくっついて離れようとしない。やはり女を口説くにはプレゼント攻勢が一番で3歳の子供にも通用するらしい。 幼稚園の年少に通いはじめて制服もイタについた結月。得意そうに見せびらかせてポーズをとっている。 食後、嫁さんのご両親がフィリピンに旅行された際のビデオ鑑賞会が始まった。プエルトガレラやマニラを見学したのだが、そのとき行ったカラオケ「夢の中へ」がとても面白かったと感想を述べていた。  ビデオ鑑賞かが終わるころにはすっかり眠くなり、夢後心地の結月。ひごろヤンチャで陽気なKIANを相手にしているせいか、女の子はどう扱っていいのか戸惑う一日だった。しかし、寝顔は世界共通で無邪気なものだ。

半年振りの日本は肌寒かった 2012年6月24日