生活情報


熱気気球見物にアンヘレスに入った際、常宿のアメリカホテルは満員で、いくつか当たった他のホテルも満員、仕方なくDAUバスターミナルのすぐ隣の SOGOに泊まった。しかし、ここも30分ほど待ってようやく泊まることが出来たが、12時間で819ペソと他のホテルに比べて格安だ。  この日はバレンタインデイの前々日の土曜と会って、昼間から満員の盛況だったそうだ。ガレージ付の部屋と一般の部屋があって、1階がガレージ付、4階建てで全部で125室もあるそうだ。入り口は駐車場に入るようで、一般のホテルに比べていかにもわびしいが、レセプションは普通の3流ホテルよりましだ。ただ、大きな待合室がいかにもモーテルらしい。バレンタインデイが近いとあってバラで作ったハートがいかにもと言った感じだ。 部屋は小ぶりだが、清潔でこじんまりしていて、寝るだけの目的には充分だ。ルームサービスも充実していて、格安のアメリカホテルが、1150ペソ、普通のホテルは1500ペソが相場だから、ここはその半額程度で一晩寝れるのだから超格安といえる。 料金表は金~日曜の価格だが、平日はもっと安いそうだ。予約は全く受け付けず、First Come First Serviceだが、少し待てば泊まれるので、問題ない。この日は旅行者風の韓国人も空きを待っていた。SOGOは首都圏を制圧し、パンパンガやセブに進出し、さらにバギオ、ダバオと全校制覇に野望を抱く、すでに23ヶ所のホテルを経営し、最も成功した日本人の一人と言えるだろう

ホテル・モーテルチェーンSOGOの大躍進(その2)2011年2月16日


 このほど会社を受取人としてソニー・ライフの生命保険に加入した。(2013年現在ソニーライフはフィリピンから撤退して、すべての保険は別会社に移動して継続されています。) ことのきっかけは、今の事務所兼居住スペースのコンドミアムを買うために少々借金をしたことだ。5年もすれば悠々返せると思うが、もしその前に私が死んでしまうと、フィリピンとしてはそこそこ大きい借金が残ってしまう。今のところ営業的には一枚看板で、その後事業が継続できるかどうかは今後の後継者の育成ににかかっている。そんな状態で、周囲のフィリピーノに大きな借金を残して逝ってしまうのはいかにも無責任だ。しかし、長生きするために極端な節制をする気にもなれない。子供もとうに巣立って、いつ死んでも誰にも迷惑をかけることもない、と思っていたが、周囲のフィリピーノが私の事業で食っているとなると、そうおいそれと死ぬわけにも行かなくなった。そこで思いついたのが生命保険だ。そこでソニー・ライフの門をたたいて話をしてみると、事業の継続資金として会社のキーマンが生命保険に加入するのは極普通のことだという。その話を聞いて、私の今やっていることが事業と呼べるまでになってきたのだと、なにかこそばゆい感じがした。   (待望の押し車付3輪車を買ってもらってご機嫌のキアン。お勘定を払ったあとはパパに押してもらいながら悠々凱旋だ)  (この日は歯ブラシも買ってもらって生えかけの歯を自分で磨いて得意げだ) 借金が300万ペソなので、保険金は同等の額として、掛け金は1万~2万ペソが長続きできる範囲だ。それに基づいてソニー・ライフの担当者(中村さん、携帯0906-572-3408)が保険を設計してくれた。数日後メールが来て下記の提案があった。 1.毎月4万ペソの掛け金で5年払い、終身保障 2.毎月1万ペソの掛け金で5年払い、保障期間は5年間、掛け捨て 3.毎月2万ペソの掛け金で5年払い、3百万ペソの保障を5年間、その後は百万ペソの終身保障 今後5年くらいは頑張れるだろうと想定と、借金も5年もあれば返せるだろう、そして葬式代くらいは欲しいということで、(3)の案が最も適しているということで決心した。   52歳のときにA型肝炎をやって、生命保険の類には入れないと思っていたが、10年たった今はもう時効ということだ。さらに4年前、糖尿病で投薬を半年続けたが、その後、薬をやめて食事療法と運動で血糖値をコントロールしていることについては、健康診断の結果を見て決めるということだった。後日健康診断を実施して、その結果、コレステロール、血糖値、HbA1cが若干高めということで、月々8000ペソの割増金を取られてしまったが、これは1年後再検査してなくなることもあるそうだ。   (ベビーカーはもはや無用の長物になった。散歩は必ずこの3輪車で出かけるのが日課だ。) (小守やメイドにかしづかれ、そしてママに抱かれてまるで王子様のキアン) ちなみに保険金の受取人(Beneficiary)が親族でなくて赤の他人ということはもはや許されないことだそうだ。まあ、あれだけ保険金殺人がまかり通れば、保険会社もそんな犯罪を誘発する可能性のあるようなことはやれないだろう。しかし、会社が重要な地位の人間に保険をかけ、受取を会社とすることは可能とのこと。 […]

ソニー・ライフの生命保険に加入 2011年2月16日



2014年2月1日追記 3年前、コンドミニアムの建設ラッシュについて報告した。これらは投資マネーの流入によるもので、実需を伴わないバブルの兆候ではないかと警鐘をならした。そして3年たった今、それらのプロジェクトが完成し、入居開始となっているが、賃貸用の空室が大半を占めているようだ。一方、コンドミニアム建設の槌音は相変わらず衰えないが、空き地のまま着工を見合わせているプロジェクトも目立ってきている。かつて隆盛をほこった販売エージェントも売れ行きが鈍化し苦戦しているようだ。 2014年1月11日のマニラ新聞の一面では、「不動産投資評価で躍進」と題し、アジア太平洋域内23都市の不動産投資・開発の見通しに関する報告で、マ ニラ首都圏は東京、上海、ジャカルタに続く4位となり、前年の12位から大きく順位を上げた、と報じていた。さらに、コンドミニアムや商業用施設では域内一 位、オフィス物件では2位にランクされたそうだ。一方では小見出しで「バブル予兆裏付け」とも位置づけていた。 今は、こんな風にはやし立てられているが、皆が皆、儲かるといい始めたらもはやピークで、あとは下るしかないのが、バブルというやつだ。販売エージェントは相変わらず、いいことだけを並べ立てているが、尻に火がつき始めていることは、百も承知の上だろう。フィリピンあるいはマニラに暮らしているものにとって、現在のコンドミニアムの相場がいかにきちがいじみているか、火も見るよりもあきらかなのだから。 完成間近のSMDC開発の巨大プロジェクトJAZZ、マカティ最大の商業、コンドの複合プロジェクトだ 以下、2011年1月28日記載 今マニラは、まさにコンドミニアムの建設ラッシュだ。マカティだけでも数えられるだけで20件、計画中のものまで入れれば30件はくだらないだろう。したがって、マニラ全体では100件を下らないだろうと予測される。作るからには売れる見込みがあるわけで、この旺盛な需要は一体どこから来るのだろうか。一昨年の9月のマニラの北、マリキナを中心とした洪水に懲りて、冠水の心配の無いコンドミニアムに需要が集中しているという理由だけでは説明がつかない。海外出稼ぎフィリピーノ(OFW)が買っているというが、それにしても限度があるだろう。 (高層化から取り残された感のあったパサイロード付近は今、高層コンドミニアムの建設ラッシュ。写真に写っている高層ビルのすべてが建設中のコンドミニアムだ) (スカイ・ウエイから眺めたマカティ市。ここ十数年の間に見違えるように高層化したが、右側にとりわけ目だっているのがアヤラが開発した最高級コンドミニアム、ザ・レジデンス・グリーンベルトだ) (マカティの北の新興都市、ボニファシオ・グローバルシティは、かつての国軍の基地が民間に払い下げられ、ここ10年で出来上がった近代都市だ。右の写真はボニファシオの中心街マーケットマーケットの前にアヤラが開発中のコンドミニアム群のセレンデラで、数十棟のコンドミニアムが建ち並ぶ) アヤラ、フィル・インベスト、メガ・ワールド、シティ・ランド、フェデラル・ランドなど老舗のデベロッパー以外に、デパート・チェーンのSMやロビンソン、建設会社最大手のDMCI、果ては食品業界の巨人サンミゲルなどもこのコンドミニアムの開発に乗り出している。まさに作れば売れる、売れるから作るの様相を呈しており、儲かりそうだというので、猫も杓子もコンドミニアムの開発に乗り出しているようだ。   (パソンタモとパサイロードの交差点近くに開発中のBEACONのユニットは25~50平米と小型で、価格は10万ペソ/m2程度。一棟目の骨組みが完成した時点で、すべて売れきれ、現在は2棟目を販売中だ) […]

マニラではコンドミニアム・プロジェクトが目白押し 2011年1月28日(2014年2月1日改定)


今年も街にはクリスマスの飾りがちらほら見られる様になり、いよいよ今年も残すところ2ヶ月となった。そろそろ来年のことが気になる季節だ。ところで2011年度の祝祭日が発表されたので、本年度の残りの祝祭日もあわせて列記した。 2010年 11月1日(月)  All Saints’ Day(万聖節):10月30日(土)から3連休 11月30日(火) Bonifacio Day(ボニファシオ記念日):29日(月)はブリッジ休みとなって4連休になる可能性あり 12月25日(土) Christmas Day(クリスマス):前日の24日(金)のイブから1月2日(日)の正月明けまで実質10連休とする会社ないし個人が多い 12月30日(木) Rizal Day(リザール記念日): 12月31日(金) New Years’ Eve(大晦日): 2011年 […]

2011年のフィリピンの祝日 2010年10月29日



今回、日本在住のご家族が12、10、2歳の3人のお子さんを、フィリピンで英語を自由に操る国際人として育てたい、という計画を持ち、そのための視察ということで案内をした。   新興都市として発展がめざましいボニファシオ・グローバル・シティの一角に外国人子弟が多く通うインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)、ブリティッシュ・スクール・マニラ(BSM)、マニラ日本人学校(MJS)などがある。 新興ビル群の間を抜け、セント・ルークス病院、STIコンピュータースクールの前を通り、マーケット・マーケットの手前を左に折れたところがこれらの学校街だ。  まず、目に飛び込んでくるのが ISM。その規模と近代的な概観に圧倒される。1990年代にマカティのマカティ・アベニューから移設したものだが実際に見るのは初めてだった。校庭では 金髪の子供や色の黒い子供など世界各国の子供達が運動をしていた。ちなみに生徒数は2000人に達するが、授業料も年間150万円前後と超高級だ。学年は 小、中、高、4-4-4制で合計12年、日本と一緒。幼稚園もある。メトロマニラにはISMのほかにもBrent ISM(ラグナ)、Southville IS(パラニャケ) Britesparks IS(ケソンシティ)などいくつかのインターナショナルスクールがあるが、授業料はISMより安めのようだ。ISは教育環境といては理想的だが、高額の授 業料は個人として負担するには限られた人以外は難しいだろう。なお英語を覚えるまでの間はESLクラスという特別クラスで授業を受けることができる。 左に見えるのがBSM。規模は不明だが、授業料はISと同等だそうだ。その次がMJS。少々規模的には劣るが立派な外観だだ。 この日は飛び込みで担当者に面会した。午後しか受け付けないといわれたのだが、ご家族が門の前に来ているとなれば、会わないわけにも行かないだろう。ここ は主に駐在員の子弟が数年間学ぶところで、いずれは日本へ帰国して学校に戻れるようにすべてのシステムは日本式に運営されている。学費は月々1万ペソ程 […]

メトロマニラの学校事情 2010年10月14日


        グリーン・ヒルのショッピング・センターが過激に完全復活を果たした。もしかしたらと思って、2週間ぶりにグリーン・ヒルを訪問してみたら、見事に元通 りどころか、もっと店が増えていたのだ。完全復活を果たしたその辺のいきさつは知らないが、まずはめでたいことだ。相棒が、「何日かすれば元に戻るわよ」 と言ってたが、あれだけ完全に消えてしまったものが、まさか元に戻るとは思わなかった。まさに奇跡の復活だ。 特に時計売り場は以前の数倍に増えていた。バッグを売っていた店が時計も取り扱い始めたのだ。これだけのロレックスや他のブランドの時計の時価総額はいく らになるのだろう。この小さなショーケースに大きなロレックス専門店の一軒分の商品はあるだろう。ショーケースの前には「レプリカ」という表示があり、コ ピーであることを示すことで、当局との折り合いがついたようだ。  衣類売り場も以前より充実しているようだ。バンコック・ドレス3着で1000ペソなどユニークな売り方をする店もあり、なかなか楽しめる買い物の穴場だ。ただ、デビソリアやバクラランよりも多少高めだが、冷房の利いたモールの中にあるので家賃も高いのだろう。 2階の携帯電話の売り場も盛況だ。無数ともいえる数の店がひしめき合う。はやりのアップルやサムソンのスマートフォンの中古品を格安で売っている。なんで これだけのI フォンの中古品が出回るのか不思議だ。にせものもあるようだから注意が必要だ。ここでは日本から持って来た携帯もあっという間にローカル仕様の携帯に作り 変えてくれる。すなわち、新しいシムに入れ替えてスマートやグローブのプリペイド・カードで使えるようになってしまうのだ。 真珠のネックレス等を売る百軒以上の装飾店も健在だが客足は今一だ。そして事件は客でごった返すバッグ売り場の横で起こった。  写真を撮るに夢中になっている間に、なんとこの私がスリに会い、財布をポシェットから抜かれてしまったのだ。幸い伸縮自在の携帯ストラップにつないでおい たカメラや携帯、鍵などは無事だったが、現金、キャッシュカード(円とペソ)、名刺入れ等が取られてしまった。銀行残高といっても数万円で、現金も2千ペ […]

グリーン・ヒルが復活(ただし、スリにご用心) 2010年8月29日



ここのところ毎日のようにデング熱流行に関する記事が流れている。8月14日までに感染者は全国で5万人を突破したそうだ。  蚊が媒体する病気としてはマラリヤが有名だが、これはジャングルに限られ、都会で感染することはなく、話題になることも無い。一方のデング熱はここ10年くらいの間に多くの人が感染するようになった。こっちは熱帯しま蚊が媒体し、都会で繁殖し、しかも昼間に活動するという厄介な蚊だ。政府や大使館も、蚊が生息できる環境、すなわちプールや池、古タイヤや缶などの水たまりを消毒あるいはなくすこと、など原始的な方法が有効と奨励している。  デング熱にかかると、高熱、頭痛、関節痛、筋肉痛さらに吐き気、血圧の上昇と低下などマラリヤ以上の苦しみで、死亡する場合もある。回復には数週間要するが、体験者によると死ぬほどの苦しみだという。現状ではデング熱に対する予防ワクチンもなく、蚊に刺されないことが唯一の予防法だそうだ。幸いにも人から人への感染はしないので、劇的な感染の広がりはありえない。  昨夜、私の部屋のコンセントにおかしなものが装着されていた。相棒のはからいで電気蚊取り器をセットしたようだ。少し、変なにおいがしたが、この時期、我慢するしかない。  

デング熱が大流行 2010年8月26日


  日本ではあまり無いが、東南アジアでは唐辛子(チリー)を丸のまま料理に入れてあることが多々ある。それを知らずに食べて口の中が火事になってしまう経験をした人も多いと思う。特に韓国料理に唐辛子は不可欠だ。キムチなどあの赤い色が食欲をそそる。日本では七味唐辛子などそばに入れるが、好みの辛さになるように粉末になっている。韓国人は平気で丸のまま唐辛子を食べる。赤唐辛子はさすがに辛すぎるので、大きめで緑色の唐辛子を食べるが、唐辛子は小さいほ うが辛味が強い。 西洋では唐辛子が東洋から持ち込まれるまで、胡椒が一番辛く、肉の味付けなどはこの胡椒が主体だ。そもそもこれら香辛料(唐辛子、胡椒、わさび、辛子、 ニンニク、生姜、塩、酢など)は味付けというより、食品の保存に用いられたものだ。冷蔵庫の無い時代、どうやって作物のとれない冬や航海中の食物を保存するかが大きな問題だった。香辛料は抗菌性があるから腐敗するのを防ぐあるいは遅らせる。刺身にわさびをつけるのもそもそもナマの魚を腐敗から守るためのも のだ。 大航海時代の航海の目的はアジアやアメリカからこの香辛料を西洋に持ち帰って巨大な利益を得ることだった。また、砂糖も大変高価な調味料で、甘いケーキを食べるのが当時の貴婦人の無常の喜びだったらしい。そのため、糖尿病が不治の病として流行したらしい。 フィリピンでは唐辛子は小さな木にいくらでも出来るので、とても安い。一皿たったの5ペソだ。フィリピン人は甘党だが、ニンニクや唐辛子、生姜や小粒の玉ねぎを料理の味付けに多用する。ほとんどの料理の味付けが、この4つの香辛料と塩・醤油ですましてしまうといっても過言ではない。フィリピンで唯一辛い 料理が、下の写真のビコール・エクスプレスだ。刻んだ唐辛子に豚肉や小さなエビやオキアミを混ぜる。これに白い飯があれば充分いける。だから、フィリピンで辛党なのはビコラノだけだ。  さて本題だが、唐辛子を食べてしまい、口の中が火事になったとき、普通は水を飲んで消そうとするが、そう簡単には消えない。辛いというより、その痛みに 長いこと耐えなければならない。しかし、これを一瞬にして消し去る方法がある。それは、フィリピンならどこにでもある、あの小さなカラマンシーをいくつか 絞って水にいれ、それで口をゆすぐのだ。アルカリ性の液に酸を入れると一瞬にして色が消えて水になってしまう、という実験を中学のときにやったと思うが、まさにそれだ。辛味と酸味が中和して一瞬にして消える。カラマンシーでなくても酸味のある柑橘系の果物、レモンやカボスなどでも同じだろう。  このカラマンシーもフィリピンでは一袋10ペソ程度と格安だ。しかもカラマンシーの皮には認知症に効く成分が含まれているという有用植物なのだ。韓国料理やインド料理を食するときは是非前もって食卓に用意しておくことをお勧めする。

伊東家の食卓(フィリピン版)2010年8月15日



私がフィリピンに始めて足を踏み入れたのは1989年の初頭、そして、その年の8月から駐在を開始した。そのころの記憶を頼りに20年後の現在との物価の比較をしてみた。また同時に日本の価格も併記して、後述する物価10倍原則や比日の生活レベル格差等について考察してみた。なお、1990年ごろは1ペソが5~6円で、現在は約2円だ。なお、これらは正確な統計に基づいたものではなく、あくまでも私の記憶と知識の範囲内のものなので、正確さを欠いている部分は容赦願いたい。なお、日本の物価は私がほとんどフィリピンに暮らしていたことから良く把握していないが、ここ20年の感覚的平均値を記載した。                1990年         2010年        日本             ペソ    円換算    ペソ  円換算     円貨 大卒初任給/月     2500ペソ     1万3千円    1万ペソ  2万円    20万円    ガソリン/リッター     8        40     […]

フィリピンの物価(20年前との比較)2010年8月7日


7月29日から31日まで開催されたPhilippine Real Estate Festival 2010を見学した。場所はモール・オブ・エイシアのあるマニラ湾の埋立地で、大きな会場には数え切れない住宅のデベロッパーが集合していた。しかし、業 界大手のアヤラコーポレーション、メガワールド、フェデラルランド、シティランド、SMDCなどが見当たらなかったので、メトロマニラ周辺の開発案件の半数程度が出展されているものと推定される。        入り口にはサンミゲルの名前をかぶせたジオラマが飾られていた。あの食品業界の巨人、San Miguelよ、お前もかといったところだ。なぜなら、最近目に付くのが異業種からの住宅開発への参入だ。SMシューマートはマカティを初めタガイタイ、 オルティガスなどに大型の開発を進めている。建設業界の雄、DMCIも他人の儲けのために建設工事を請け負って必死に頑張るよりも自らが販売まで手がけて 大きな利益を手にしようという魂胆だ。  かなり広い会場だったが、平日のせいか人出は少なく、各ブースの係りの人の方がはるかに多かった。ブースに飾られた物件は、ほとんどが高層のコンドミニア ムで、メトロマニラのあちらこちらに建設中のコンドミニアムを売り込もうというだろう。しかし、これだけの数のコンドミニアムを建設していて、果たして勝 算はあるのだろうか。入居者が集まらず、ゴーストタウンになってしまうことはないのだろうか。  たしかにメトロマニラには数百万人もの人々が住居とも呼べない、狭い、汚い、危険なところに住んでいる。名物のスコーターには一人一畳もないところで […]

フィリピン不動産フェアを見学 2010年7月30日