生活情報


女性のセクシーなボディは男性のあこがれであると共に女性にとっては女であることの証でもある。美白と同様、美容に関わるものにとって永遠のテーマだ。。下の写真はアンヘレスのゴーゴー・クラブ「アトランティス」、ほとんどの女性が10代でセクシーなボディを誇らしげに披露している。   数年前、女優クリス・アキノが脂肪サクション(吸引)により、セクシーなボディを取戻して再びスターダム(ちょっと言葉が古いけど)にのし上がったことにより、その手術を行なったベロ美容クリニックが大繁盛した。左下の写真がクリニックのオーナーのベロ、右は兄ノイノイ・アキノ大統領候補の応援演説をするクリス・アキノ。  したがって、フィリピンではちょっと太った女性でお金持ちは、食べすぎと運動不足でたるみきった腹、腕そして太ももの脂肪を手術で簡単に取り除いて、セクシーなボディを取戻そうとする。ちなみに手術料は25万ペソ程度というから、こんなことのために大金を払える人はそういるもんではない。   手術はまず、機械で脂肪をぐちゃぐちゃにしてチューブで吸引するそうだが、脂肪には神経がないからさほど痛くないらしい。こんなことをして細くなったとしても、食習慣を変えない限り所詮元の木阿弥だと思う。しかし、ダイエットで食事を制限するのは辛い、でもセクシーになりたいという女性の願望を留めることはできない。   私がPRAにいる時代に色々とお世話をした日本人のカップルがいる。しばらく日本に帰っていたのだが、先日電話がかかってきた。フィリピン人と結婚している奥さんの妹さんがこの脂肪サクションをやって、1週間後に亡くなってしまったのだという。入院費や葬式代はクリニックで持ったものの、このままでは気がすまないから、何とかしたいという。話は単純なので、弁護士を雇って法廷闘争に持っていくしかないだろうとアドバイスした。   私に言わせれば、そもそも体の一部を機械的に取り除くなんて、体に良い訳がない。クリニックから戻って2日目に痛いと言い出して、肌が茶色に変色し始めたという。そして入院し、1週間足らずの命だった。詳しい原因はわからないが、健康だった人が術後に変調をきたしたのだから、手術に起因していることははっきりしている。どこが大事な神経や血管を傷つけてしまったのかもしれない。 脂肪サクションが死と隣り合わせた危険な手術であることなど報道されたためしがないが、ここで大いなる警鐘を鳴らしたい。これは、まさに死亡サクションなのだ。やはり、地道な食事のコントロールと運動でセクシーな体を取戻すあるいは維持して欲しいと思うが、それがいやならセクシーな女であることをあきらめるべきだ。何事を達成するにも努力は欠かせないのだ。    余談だが、娘さんは日比混血でいわゆるメスチーサの美人だが、日本語とタガログ語と英語を自由にあやつる才女だ。名門ラサール大学を卒業して近々航空会社でスチュアーデスとして働くことが決まっている。5年前にあったときより随分やせているので、セクシーになったねと冷やかしたら、この1週間で13kgやせてしまったのだという。ほとんど食事も喉を通らなかったそうだ。そこで「怪我の功名」だねと言ったら、わかってもらえなかった。日本で小学校を卒業してからフィリピンに来たそうなので、無理のないことかも知れないが。

脂肪サクションの恐怖 2010年7月29日


フィリピンに暮らしていて大変便利だけれども難敵なのがジープニーだ。いつでも待たずに乗れて、格安でぼられる心配もないジープニーが乗りこなせたら、一人前のマニラッ子だ。ご承知の通り、ジープニーは路線が決まっていて、行き先をちゃんと把握して乗らないととんでもないところに連れて行かれてしまう。だから、行き先の地名を知らないとどうしようもない。私も、自宅付近を基点に毎日のように行くマカティ・スクエアー(リトル東京)やPRAなどはジープニーで行くことが出来るが、そのほかは全くだめだ。  そこで誰でもが思うのがジープニーの路線図があったら、何とか乗れるであろうと、いうことだ。それが、ついに発刊されたのだ。作成したのは久保田さんという人で、とりあえずは英語版が7月1日に発刊され、いずれ日本語版も出るそうだ。ジープニーの他にバスやフェリー、国内航空便の情報も載っているコンパクトなマップだ。版権の関係で中身を紹介できないのが残念だが、是非手にとって見て欲しい。一冊250ペソでマニラではフレンシップ・ツアー(電話840-1060)で発売している。ドーシットホテルの3階に事務所があるので、ついでがあったら寄ってみるとよい。 ところでジープニーをもっぱら利用しているのはフィリピン人なんだから、何故フィリピン人向けのジープニーの路線図が存在しないのだろうか。私の推定ではマップに書かれた路線をフィリピン人は理解できる人が少ないためと思う。実際、彼らはどこへ行くにも住所さえわかれば、人に聞いて目的にたどり着いてしまう。地図を見せても使わない、あるいは使えない。要は地図を見て、場所を鳥瞰してとらえるのではなくて、平面の上に立ってとらえているのだ。すなわち、一番目の角を右に曲がって大きなビルが見えたらその先100m位のところ、てな具合である。たしかにそのほうが混沌としたフィリピンでは実際的かもしれない。

待望のジープニー路線図が発売された 2010年7月28日



 とんでもない時代がきたものだ。インターネットさえつないであればフィリピンのどこでも日本の地上波テレビ(NHK、日テレ、TBS、フジな ど)がパソコンでいくらでも楽しめるというのだ。最初に小さなUSBを11,000ペソで買えば、月々の使用料や視聴料は只だ。USBの大きさも普通の USBメモリーと同じだから、それだけ持ち歩いて、どこのパソコンでも使える。設定もいたって簡単でパソコンを使い慣れている人には何の苦労もないだろう。 地方にお住まいでケーブルTVで日本の放送を流しておらず、日本のTVを全く楽しめない日本人にとってはとてつもない朗報だ。しかもUSBさえ持ち歩け ば、どこに旅行しても日本のTVが見れるという、なんとも信じがたいことだ。ビコールの我が農場も大金をはたいてケーブルを引いたのに日本語のNHKワー ルドが無く、日本のTVが見れないことだけがネックとなっていた。しかし、無線のインターネットも普及してきており、近い将来農場で日本のTVが格安で楽 しめることになりそうだ。  インターネット回線は最低410kbps必要で、それ以下の場合は途切れたり、画像が悪くなるそうだ。画質 は、やはり普通のTVと比べてはかわいそうだが、なんとか見れる程度。もちろん高速インターネットがつないであれば、断然良くなるそうだ。通常、インター ネットは月極の固定料金だから、USBの購入費以外の出費はないので、TV好きの人にはありがたい。 詳細は左のパンフレットをクリックしてみてください。また、申し込みはアンヘレスにお住まいの木田さんまで。携帯:0919-442-2745。もし木田さんが不在の場合は下のマニラ新聞の広告を参考にしてください。  

日本のテレビが見放題 2010年4月29日


  4月14日、退職者の相続手続きのサポートのために日本に出張した。昨年の5月以来、ほぼ1年ぶりの日本訪問だ。桜の季節には残念ながら間に合わなかっ たが、つつじの花や新芽がほころぶ春のぽかぽか陽気を期待して行った。ところが春どころか冬の寒さ真っ盛りの気候なのでびっくり。女房には寒いわよと念を 押されていたものの、一体この寒さは何なのか。真冬用の皮のコートを倉庫から引っ張り出して着こんで出かける始末だった。電車の中も全くの冬模様だ。  フィリピンの夏は3月~5月で、現在夏真っ盛り。しかも今年はエルニーニョの影響とかで連日暑い日が続いている。だから、真夏から真冬への急転直下の変化だったわけだが、幸い体調は何の変化もなかった。 数日後の日曜日からは、なんとか春らしい陽気になった。近所の八重桜も急遽ほころび、住宅の周囲の花壇はいろいろな花が咲き誇っていた。やはり、春はこうでなければならない。        15、16、17日そして19日と所用で東京や千葉に出かけたが、そこでやたらと目に付いたのが駅のドリンクの自動販売機だ。一方煙草の自動販売機はめったにない。あったとしても認証カードを持っていない私には買うことができず役立たずだが。   このドリンク類を見てみると、かつての日本あるいは現在のフィリピンにおけるソフト・ドリンクの 主流であるコーラ、ファンタ、スプライト、オレンジジュースなどが全く見当たらない。緑茶、紅茶、ミネラルウオター、コーヒーをベースにしたものがほとん どで、砂糖を含んでいると思われるドリンクがない。コーヒーでさえ「微糖」をうたい文句にしたものばっかりで、いかにも健康・メタボリック症候群にはよさ そうだ。しかしフィリピン人はたっての甘党だから、この自動販売機の前ではさぞ困ることだろうと思う。   最終日の21日は孫の結月(ゆずき、1歳と8ヶ月)とその両親(私の息子と嫁)と女房と八景島シーパラダイスを訪問した。その夜は嫁の両親も含めて新杉田の焼き鳥屋で久々の再会を楽しんだ。   […]

久しぶりの日本は寒かった 2010年4月25日



各種栄養素が豊富なばかりではなく、多くの抗酸化、抗炎症物質を含み、糖尿や高血圧、メタボや性欲減退等々、熟年世代のあらゆる悩みに効き、免疫機能の改善や体力増強、老化防止に効果があるという、奇跡の野菜と注目されているのがマロンガイだ。お茶やカプセルとして大々的に売り出されており、日本にも輸出されている。先週、マニラ新聞でも1週間くらい連続して紙面半分を使って広告されていた。  そもそもマロンガイは珍しくもなんともない庶民の野菜で、田舎に行けば各家庭の庭に植えられ、その小さな葉が食用とされている。モンゴという緑色の小豆のような豆と一緒に煮てスープにして食べるのが一般的だ(ギネサン・モンゴ)。残念ながらレストランでは食べられないが、お世辞にもおいしいとはいえない料理だ。しかし、健康的であろうことは実感できる。良薬は口に苦しと云う例えの通りだ。  バギオのマーケットでは健康野菜を豊富に売っている 2~3年前から話題になっているので、農場で散歩するたびに庭に生えているマロンガイの葉をそのまま食してみるが、独特な苦味があり、決しておいしいものではない。野菜なんて生で食べておいしいはずもないが、フィリピンでは古い時代からの知恵で、家庭の常備薬として庭に植えて食してきたのだろう。 糖尿の気のある私もアンパラヤ(ニガウリ)のカプセルと共に常用しているが、その効果を実感するには至っていない。しかし、薬無しで血糖値はコントロールできているし(空腹時で100~120、食後で160~200程度)、ほとんど疲れも感じないし、風や下痢、腹痛などにも滅多にかからない。もしかしたらアンパラヤとマロンガイの相乗効果なのかもしれない。今度農場に帰ったら、マロンガイを菜園の周りに大量に植えようと思う。フィリピンの植物は挿し木で簡単にいくらでも増えるから楽勝だ。そしてお客さんにはマロンガイとモンゴのスープを薬用食として提供しようと思う。ほっておけば勝手に育ってくれて、奇跡の良薬が只同様に手に入るのだから、利用しない手はない。 マロンガイは枝ごと収穫して、枝から葉っぱを取り除く。小さな葉なので中々手間がかかるが、子供でも出来るので、小さい女の子の役割だ。 フィリピンで一般的に食用に供される野菜の中で健康に良いとされているのが、アンパラヤ(ニガウリあるいはゴーヤ)、アルバティ(つる紫)、サルヨット (モロヘイヤ)、オクラなどだ。アンパラヤを除いて、いずれも粘り気のある野菜だが、強い日差しを浴びてフィリピンではいくらでも育つ。特にオクラはシネガンスープなど日常的に食され、日本にも大量に輸出されている。    

奇跡の健康野菜「マロンガイ(モリンガ)」の紹介 2010年3月16日


マニラ観光のメッカ、イントラムロスの城壁の周りを囲むようにレイアウトされているのがクラブ・イントラムロス・ゴルフ場(パー66、4326ヤード)だ。マニラ市内のど真ん中に位置するゴルフ場は貴重な存在で、まるで皇居の周囲のお堀がゴルフコースに改修されたようなものだ。パブリックなので誰でもプレイできるが、土日は混むので予約を入れたほうがよい(527-6612)。 ショートコースとは言え、なかなか難関なコースで、ドライバーで攻めるコースもいくつかあるが(フェアウエイが狭いのでドライバーの方向性に自信があればの話だが)、砲台グリーン、池、バンカー、城壁などに多いに悩まされることだろう。ボールは1ダースほど用意しておいたほうが良いかもしれない。この日はある退職者のたっての誘いで、3年ぶり、21世紀2回目のプレイをすることになり、前の日から良く眠れなかった。 受付やクラブハウスは城壁の一部を利用しており、近代的なゴルフ場と比べたら、ちょっと物足りないが、返って情緒があっておもしろい。いかにも歴史地区のゴルフ場といった雰囲気がある。 キャディは男性と女性がいるがプレイヤー、一人に一人のキャディがつくのがフィリピンの常識だ。それに日中の暑さに備えてアンブレラ・ガールをリクエストすることができる。キャディもアンブレラ・ガールも同じ1ラウンド300ペソとは少々不公平な気もするが、それが定価だ。そのため4人一組のプレイヤーにお供が8人、全部で12人でコースを回ることになるから、プレイ中はとてもにぎやかだ。 ちなみにプレイ費はフィリピンの住民かどうか(長期ビザを持っているかどうか)、昼間か夜間かによって大きく異なる。住民で、平日の昼間ならば1100ペソからプレイが出来る。 コースは街中にあるためにイントラムロスに通じる道路を横断するところが数箇所ある。城壁の上を渡ったり、スペイン時代の服装の交通警官の案内で道路を横断したり、なかなかユニークだ。イントラムロスの中にはマプア工科大学など4つの大学あるから、この道路は女子学生などが多く歩いている。 コースにはカラチュチの花がたくさん咲いていた。ここのは白いが、赤、ピンク、黄色など様々な色のものがある。この花は強い芳香があり、ハワイのレイなどに使われるそうだ。ちなみにこの白いカラチュチは墓地に植えられるものだそうで、私が農場にこの花を植えるという試みはことごとく拒否され未だに実現していない。 イントラムロスの城壁の周囲は日本のお城のようにお堀があったようで、各ホールには大小の池がプレイヤーに立ちはだかる。池越えのショート・ホールはざらで、半数近くのミドル・ホールのグリーンの手前には池があるし、フックをしてもスライスをしても池ポチャというゴルファー泣かせのコースが多い。  歴史地区だけあって、由緒のあるビルが周辺に見える。左は国立博物館、右はマニラ・ブルテン(老舗の新聞社)だ。さらに左下の塔はLYCEVM大学。そういえば、夕べ出会ったカラオケのGRO(ホステス)がここのツーリズム専攻の3年生と言っていた。大学3年といってもフィリピンでは中高(ハイスクール)あわせて4年しかないから、まだたったの19歳だ。右下はマニラ市庁舎。かつてエルミタのデルピラ通りのゴーゴー街を閉鎖し、最近ではベイウオークの店を一掃した悪名高いリム市長がいるところだ。 アカシヤの大木の向こうにそびえているのがかつてのフィリピンNo.1の老舗ホテル、マニラホテル。池の広さも半端ではない。 18番ホールでスライスすると城壁の中に叩き込んでしまう。案の上、やったかと思ったらセーフでとなりのグリーンのそばに落ちたらしい。そこからサングラスの人相の悪い人が声をかけてきたので、ぶつけてしまったかとひやりとした。ところが、いつもカラオケに誘ってもらう退職者の方で、私とは「夜に会うことが多いが昼間に会うのは初めて」と言っていたが、とんだところを見つかってしまった。これからはゴルフの誘いが多いのではないかと心配している。 ゴルフ場料金の詳細は左の写真をクリックして拡大して見てください。単位はペソ。

イントラムロスのゴルフ場で久しぶりにプレイ 2010年3月1日



フィリピンにおいて天候に左右されずマーケットに安定的に供給されているのが養殖魚のテラピアとバゴスだ。しかも、一般の海水魚がキロ、300~400 ペソもする昨今、その半値以下で買える庶民の味方だ。テラピアは淡水魚でフナか鯉のような形をしているが、白身のあっさりした味で、鯉のように泥臭くなくとてもおいしい。塩焼き、から揚げ、ココナツ・ミルク煮など、食べ方も色々ある。  一方、バゴスは淡水と海水が混じるブラッキッシュ・ウオーターと呼ばれる海岸沿いの養魚場で育ち、鯉のように小骨の多い魚だ。独特の味わいのある魚で、開きのグリル、シネガン・スープ、ラリヤノ・バゴス(後述)、ダイニンナ・バゴス(酢漬けで骨まで食べられる)、ティナパン・バゴス(骨抜きの燻製)など、色々に料理される。この魚の代表的料理であるラリヤノ・バゴスはその厚い皮を生かした面白い料理だ。まず、マーケットの魚屋さんで背骨と肉をえらの部分から全部抜きだして皮と中味に分けてもらう。その手際はなかなか見事なものだ。次に肉から小骨をぬきとるが、これがなかなか大変な作業だ。だからラリヤノ・バゴスを出すレストランは少ない。骨を抜いた肉を細切れの野菜といためて、魚の腹に戻す。そして、それを油で揚げて出来上がりだ。なかなかおいしい料理なので是非試してみて欲しい。この料理はイカなどでもあって、ラリヤノ...と名がついていたら、同じ料理法だ。 テラピアは淡水さえあればどこでも育つ。地方に出かけて大きな池があったら、そこはテラピアの養魚場と思って間違いない。下の写真はタガイタイのタアル湖。無数に浮かぶいかだはテラピアの養殖生簀だ。湖岸の屋台では取りたてのテラピアの塩焼きを安く食べさせてくれる。下の写真はアンヘレスでフレンドシップ・クラブを経営する根本さんの所有する典型的なテラピアの養魚場。1ヘクタール(10,000平米)位の養魚場に数万引きのテラピアが育てられている。ここで育つテラピアは、メスは薬で人工的にオス化され、全部オスだそうだ。オスの方が育ちが早いし、オスとメスが一緒だと子育てを始めてしまい、何かと具合が悪い。そして収穫は、養魚場の水を落とし一気におこなわれるが、池からテラピアをすくうのは買取業者の役割だそうだ。これだけの規模でやるとソコソコ儲かるそうだ。   下の写真は私の農場のテラピアの養魚池。このサイズでは商用にはならず、趣味程度だ。ここではオスとメスが一緒なので、時には稚魚も見ることができる。テラピアは母親の口の中で子育てをする。水面に顔を近づけると、1cm位の稚魚の下に母親がいて、すうーっと稚魚を口の中に吸い込んでどこかへ行ってしまう。テラピアは魚類では珍しい子育てをする魚なのだ。左下写真はバギオのマーケット。山間部のマーケットではほとんどが、テラピアとバゴスで占められる。新鮮な海の魚は入荷が不安定なのだろう。右下の写真はアンへレスのマーケットの行商。やはりバゴスやテラピアが主体だ。

養殖魚の王様、テラピアとバゴス 2010年2月14日


 パンデサール(Pandesal)とはパンの一種だが、直訳すると塩パンといったところだ。かすかに甘みがあって焼きたてはそのまま食べてもとてもおいしい。直径5cmくらいの小さなパンで、一個たったの2ペソだ。評判のパンデサールを売る店がマカティの北のはずれ、パシッグ川沿いのJPリザール通りにある。フィル・マリスというパン屋さんは裏でパンデサールを焼いており、焼きたてのパンを売る午後3時ごろになると店先に人が絶えない。 しばらく前、小さな女の子を連れて事務所にやってきた退職者がいた。まだフィリピンに来て数日という3歳くらいの女の子は、お腹がすいたようで、パンデサール、パンデサールとフィリピン人の母親におねだりしていた。その時はまだパンデサールが何かを知らなかった私は、あとからそれを見せられてびっくりした。しかし、食べてみると意外とおいしくて、その子がねだっていたのもわかるような気がした。  先日、児童養護施設でボランティをしていてなくなった日本人は、おやつ時になると、このパンデサールを買ってきて施設の職員に配るのが習慣だったそうだ。パンデサールは店先にはおいてなくて、注文すると売り子が中に入って行って、熱々のやつを持ってきてくれる。一つたったの2ペソだから、50ペソで25 個、100ペソ買ったら50個でかなりの量になる。 その売り子がなかなか愛想が良くて一枚写真を取らしてもらった。ポーズもとってくれたが、良く写っていないので割愛する。

熱々のパンデサールはいかが 2010年2月12日



児童養護施設でボランティアをしていて先日亡くなった退職者の影響で、養護施設にいたく興味を抱くようになった。英語ではOrpharnage(孤児院)というそうだが、フィリピンでは避妊が宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されているから、いやでも望まれない子供がたくさん生まれてくる。大概の場合は家族が、神が授けてくれた天使として育てるのだけれど、売春婦と不特定の客の間に生まれた子供など、親が面倒見ることがままならないケースも多い。そのような子供やストリートチルドレンを預かって育てるのがOrphanageだ。 Tuloy Sa Don Bosco(ドンボスコに来たれ)はアラバンにある、7ヘクタール(7万平米)もの敷地を持つ大きな施設だ。野菜畑や養魚池を持ち、子供達が自然の恵みを得て、伸び伸びと暮らしていると聞かされ、私がタバコの農場に作ろうと心に描き始めた養護施設にイメージが似ているので早速見学に行くことにした。ちなみにドンボスコは有名な牧師で、有名な教会や学校の名前になっている。  中に入ると立派な建物が並び、高級住宅街のようだ。しかし、子供達の姿が全然見えない。それは、日曜の午前中なので、皆教会に行っているためだそうだが、何かフィリピン独特の喧騒とは無縁の世界だ。  そこで教会に行ってみると、養護施設の教会というよりも高級住宅街にある由緒ある教会といった面持ちだ。中世の教会の雰囲気を出すためにレンガを使い、建築的にもすばらしい。中に入ってみると数十人の子供達が大人に混じって牧師の話を聞いていた。入り口には誇らしげに教会建設のために寄付した人たちの名前を刻んだ碑がかざってある。その中にはアヤラ・アラバンビ・レッジに住むフィリピンNO1財閥の総帥、ゾベル・デ・アヤラの名前もあった。 ミサの間、周囲を見学してみた。体育館は大学並みの立派なものだ。サッカー場まである。体育館の通りにはロータリークラブが職業訓練の施設として30万ドルの寄付を行なったという碑があった。 野菜畑もきれいに手入れがされている。しかし、これだけの施設にいる子供達に食べさせるにはいかにも貧弱だ。きっと職業訓練の一環なのだろう。 教会の外にいた人に聞いてみたら、現在施設には50人足らずの子供しかおらず、二つの宿舎はスポンサーがいないので空っぽだという。現在二つのスポンサー(マクドナルドとカルテックス)の寄付で9歳から18歳の子供達が50人ほど暮らしているそうだ。平日は外の子供が勉強や職業訓練に通ってくるそうで、赤ん坊や幼児は対象としていないそうだ。宿舎にはマクドナルドのシンボルマークが飾られている。  教会のミサが終わって子供達が出てきた。こんな施設で生活しているなんて、どこかのエリートの集団かなにかと勘違いしてしまいそうだ。これほど立派な宿舎、教会、教室、体育館を建設したのだから、きっと相当な額の寄付があったのだろう。しかし、それが子供達のために役立っているのだろうか。寄付を集めることが目的となり、何か肝心なことを忘れているのではないか。平日に来れば印象は違うのかもしれないが、いずれにせよ、私が描いている農場の養護施設とは程遠いので、さっさと退散することにした。  外に出てみると、目の前で闘鶏をやっていた。公式のものではないらしいが、そこにはフィリピンらしい活気と喧騒があり、なぜかほっとした。

Tuloy Sa Don Bosco児童養護施設の見学 2010年1月24日


アヤラ・アラバン・ビレッジといえば、フィリピン有数の高級ビレッジとして有名だ。マニラから南に約20kmほどSLEX高速道を下り、アラバン出口あるいはフィルインベスト・コーポレートシティ出口を出て右に進み、2kmほど先の左側一帯がこのビレッジだ。ここはモンティンルパ・シティの一部で、日本の戦犯を収容していたことで有名な刑務所がある所だ。「モンティンルパの夜は更けて」という歌を通じて、団塊の世代以前の方々には懐かしい地名だ。 飛行機からアヤラアラバンビレッジを望む。写真の手前のビル群がフィルインベスト・コーポレートシティ。その向こうゴルフ場を中心に広がっているのがアヤラアラバン・ビレッジだ。(写真の画面をクリックして拡大してみてください)  アヤラ・アラバン・ビレッジの面積は1000ヘクタールを超え、中に18ホールのゴルフ場さらにはラサール大学の付属校などまでがある。駐在員の時代、都合2年ほどこのビレッジに住んで、ここのゴルフ場の会員になっていた。名門ゴルフ場のクラブハウスはいかにも重厚で、お金持ち気分をいやが上にも味わされたものだ。 この日は、EIEN英会話学校の体験宿泊のご夫婦を案内して、フィリピンでの住居、医療の現状を把握するという目的だった。そして初めに向かったのがフィリピン最高級クラスの住居が数千軒建ち並ぶこのビレッジだった。  このビレッジにお住まいの日本人退職者を訪問するというのが、入り口で入門許可をもらうための算段だ。そのため、退職者のかたには、ゲートのセキュリティガードから家の固定電話に電話が入るから、口裏を合わせてほしいと、連絡を入れてあった。しかしながら、急の用事で家を空にすることになってしまって、対応できないというのだ。それでも一か八か、運転手に住所を名前を教えて、入門許可をもらうように指示をした。結果として入門できたのだが、車の中が皆日本人だと言うので敵も油断したようだ。ちなみに、このようなビレッジは入門管理が大変厳重で、容易に中に入ることが出来ないのだ。 ビレッジの中に入って、日本人ご夫婦、そしてEIENのスタッフは、こんなところがフィリピンにあるのかとびっくりしていた。一軒一軒の家も超豪邸といえる立派さだが、それが行けども行けども無数といえるくらい並んでいるのだ。その中でも特に豪邸というので、下の写真の家に行ったが、塀の外からなので残念ながらよい写真が取れなかった。しかし、玄関にはフルサイズのベンツが2台置かれ、想像しがたい贅沢な暮らしをしているのがうかがわれた。 下の写真はここにお住まいの退職者の家だ。家賃は10万ペソ/月。2階にはバストイレ付の大きなベッドルームが4部屋ある豪邸だ。庭にプールがあるのは当然のことだ。  ちょっと古い写真だが、ここにはこんな豪邸はざらにある。そものそも高級ビレッジの原理は簡単で、1区画が1000平米以上に造成して、それを分割することを禁止するのだ。そうすると土地だけでも、現状で10~20百万ペソ、すなわち、2千~4千万円となり、並みの金持ちでは家を建てることができない。1000ヘクタール(1ヘクタールは1万平米)のビレッジにその50%が宅地として、500ヘクタール。それを1000平米で割ると、5000区画、すなわちこんな豪邸が5000軒ある勘定になる。 この周辺はマニラのベッドタウンとして戦後開発され、高級住宅街として多くの日本人を始めとする外国人が暮らしている。アヤラアラバン・ビレッジとアラバン・ザポテ・ロードを挟んだ反対側一帯はBFホームズという広大なビレッジ群だ。その住民を目当てにフェスティバル・モールやタウン・センターなどの高級な買い物、食事どころがある。さらにちょっと先へ行くと巨大なSMサウス・モールもある。 さらにSLEX高速道路に近いところには最新鋭のエイシアン・ホスピタルがあり、ここには生活インフラのすべてが揃っている。退職者がマニラに暮らすとしたら、一押しのエリアだ。 アヤラアラバン・ビレッジに隣接するフィルインベスト・コーポレートシティはマカティ、オルティガスに次ぐ副都心として開発されたが、バブルがはじけた 1990年代の終わり、10棟弱の高層ビルが建設された以降手がつかず、最近ようやく建設の槌音が聞こえ始めた。しかし、マカティの隣のフォートボニファシオグローバルシティはここ10年、目覚しい発展を遂げているために、第4~5番目の副都心に地位を落としているようだ。左写真がマドリガル・ビジネスパークを中心に上方左にアヤラアラバンビレッジ、下方にBFホームズのビレッジ群jを望む。左の赤い屋根がタウンセンター・ショッピングモール。右の写真はフィルインベスト・コーポレートシティ。画面の左にフェスティバル・モールが見える。(写真画面をクリックして拡大して見てください)

フィリピンの高級ビレッジ「アヤラアラバン」2010年1月24日