退職者情報


 サロン・デ・パスコの開所式を15人の招待客を向かえ、盛大に(?)執り行った。3時からの予定だったが、料理の準備が遅れ、4時近くになって開始されたが、日本人の招待客のほとんどは3時前に姿を見せ、フィリピンの生活についての話題に花を咲かせていた。  特に、この日の朝、ロングスティ財団から届いた「ロングスティ海外サロン」の認定証を紹介するとともに5月18日に東京で行なわれる「フィリピンセミナー」にロングスティアドバイザーの勉強会「査証の詳細セミナー」に小職が講師として招かれたことなどタイミングよく紹介することができた。今後、このサロンが日本人ロングスティヤーのゲートとしておおいに利用されることが期待される。 この日、何よりもうれしかったのは、元PRAの副長官のマルセロ氏が何の予告もなしに姿を現したことだ。マルセロ氏は小職のPRAジャパンデスク時代にボスだった人で、日本からより多くの退職者を招聘するためにどのようなサービスの改善が必要かなど話し合い、日夜励んだものだった。 そもそも退職者のたまり場、情報交換の場として発足したものだから、特に儀礼的なものは無しで、皆さん料理や飲み物を楽しみながら時をすごされた。  パラニャケにご在住の日本人は、退職者の死後、SRRV用の定期預金やフィリピンの財産はどうなるのか、遺言書はどこまで有効で間違いのない遺言書はどうやって作成・保管できるかというテーマで、夜の8時まで熱心に相談されていった。今後、この問題が重要になると現在鋭意研究中のテーマだけに興味ある話題だった。   さらに介護施設「アモーレの里」の運営を始めようとされている岸田さんは、認知症の入居者の支払いや財産管理をいかに引き受けるかなど銀行などと詰めているそうで、介護を必要とされている方が安心してフィリピンで過ごすことができるシステムの構築が急がれる。

サロン・デ・パスコ開所式2009年3月19日


 サロン・デ・パスコの準備が一週間遅れでようやく整ったので、3月9日よりオープンすることになりました。また、3月18日(水)午後3時より開所式を行ないます。どなたでも自由に参加出来ます。お知り合いの方も誘って是非お出でください。簡単なスナックと飲み物を用意します。   場所はパソンタモ通りとバグチカン通りの角(ブエンディア通りからパソンタモ通りを北へ3本目、1階はMETRO BANKの支店)、GMA LOU-BEL PLAZAの9階です。入り口のドアにPASCOのロゴが張ってあります。 入り口を入るとレセプションの両側に歓談、読書あるいは碁や将棋などを楽しめるテーブルが2脚あります。  奥はインターネット、DVDあるいはCD鑑賞、ゲームなどを楽しめるインターネットカフェとなっています。さらにその左は小さなミーティングルームとなっており、少人数でのミーティングや英会話教室などにご利用いただけます。  休憩あるいはマッサージなどが行なえる個室があり、ベッドが2脚供えてあります。本棚には「課長島耕作」などの本があります。本の数はまだ少ないのですが、おいおい充実していく予定です。  サロンの主目的は退職者の方の情報交換や憩いの場ですが、地方にお住まいの方、あるいは日本からフィリピンを訪問された方にとってもフィリピンの生きた情報を得られる場所として機能することを目指しています。また、志賀が常駐し、色々な相談を受け付けていますが、出かけることもありますので、事前にアポをとっていただけると幸いです。サロンの利用料は毎月1000ペソ、一日会員は200ペソ/日です。利用時間は無制限です。月曜~土曜、8時~18時、日曜、祝日は休みです。

サロン・デ・パスコ開所式のお知らせ2009年3月8日



   1月6日、タガイタイ・シランに近々開業が予定されている介護施設アモーレの里の新年会に参加した。この日はあいにく私の相棒がアンヘレスに行く用事があり、車が使えない。仕方が無いので、バスとジープニーを乗り継いでいくことにした。事前のヒアリングによると直行のバスは無く、まずメトロマニラの南の玄関となっているアラバンまでバスで行き、そこからジープニーを乗り継いで行かなければならないとのこと。アンヘレスで大分ジープニーの修行を積んだので何とかなるだろうとで1時間以上余裕を持って出かけていった。アラバンまではスムーズに行けたが、そこから先は乗り合わせた人にジープニーの乗り代え場所と行き先を聞きながら、手探りの旅となってしまった。   アンヘレスのバリバゴといえば有名なフィールドアベニューのあるところだが、同じな地名のところにタガイタイ等に向うジープニーステーションがあった。ようやくそこでタガイタイに向う最後のジープニーに乗ることができたが、すでに開会の3時をとうにすぎていた。知っているつもりのビニャンやサンタロサも実は高速道路沿いのほんの一部を知っているだけで、おかげ様でアラバンから南の一般道路沿いの多くの街をこの機会に見学することができた。 アモーレの里に到着したのが4時半近く、会はすでにたけなわだったが、おかげ様ですぐに食事にありつくことができた。   地上5階、地下一階の大変立派な建物だが、1階部分の内装が完成しており、モデルルームもできて、開業を待つばかりになっている。野菜畑では立派に野菜が育っている。玄関にはアモーレの里のモットーが掲げられていた.   。   中央通路は広々としていて入居者がくつろげるようになっている。また、クリニック、キオスク、喫茶店、ジム、客室、事務所などが地下に配置される予定だ。  建物の前、屋外にしつらえられた宴席にはすでに40~50名の客が、スタッフによるカルチャーダンスを楽しんでいた。久々のおせち料理やつきたてのもちを楽しんだ後はゲームやビンゴなど皆でを楽しんだ。   5時過ぎ、8名のシスターが到着した。なぜシスターか招待されたのかわからないが、ビンゴの時間になると日本語での数値の読み上げに対して躊躇せず紙に穴を開けている。このシスターは日本語がわかるかと疑問に思って耳をすましていると、日本語で話している。そこで話しかけてみると全部日本人だという。ラグナのドンボスコ校の人だそうだが、確かに良く見ると日本人だ。日本人のシスターがフィリピンにいるなんてはなから思っていないから、てっきりフィリピン人だと思いこんでいた。そうやって見ると日本人もフィリピン人もあまり見てくれには区別がないようだ。    […]

アモーレの里の新年会 2009年1月7日


 12月ともなると街のあちこちはクリスマスの飾り付けでにぎわう。世界的不況の影響か年々地味になってきているような気もするが、フィリピーノにとってクリスマスは絶対欠かせない、1年でもっとも大事な行事だ。16日からは熱心な信者が早朝暗い内からミサに出かけるから、教会周辺の警護が厳重になっているという。PASCOの事務所のあるGMA LOU-BELプラザでも入り口にキリスト生誕を模した人形が飾られた。  引越しから2ヶ月近くたってPASCOもやっとここの住民と認めれ、入り口に会社名が誇らしく掲げられている。各階に3室しかないから、9階にさえ来てもらえれば大きなPASCOのロゴがあるので迷うことはない。ちなみにこのガラスドアは前の事務所のドアを移設したもので、ロゴもそのまま持ってきている。   事務所にもクリスマスの飾りつけが取り付けられた。スタッフの工夫で見事にクリスマスの雰囲気をかもし出している。来週23日、仕事の山が過ぎたところで、ささやかながらクリスマスパーティを開催する予定だ。社員はそれを心待ちにしているが、きっと翌日のクリスマスイブまで24時間パーティを続けてしまうに違いない。それが過ぎたら、25日から翌4日まで11連休という歴史的長期休暇に突入するのだ。   現在、PASCOは退職者関連の業務のほかに、日本から建築の積算の業務を受けている。積算スタッフ8名にシステムエンジニアー1名の構成だ。マンション不況のせいで仕事が滞りがちなのが頭痛の種。ほとんど皆エンジニアーでコンピューターの取り扱いには慣れているので、なにか他の仕事ができないか模索しているところだ。  また事務所スペースにも空きがあるので、これからビジネスを立ち上げようとしている人の連絡事務所、あるいは当座の執務スペースとして利用してもらえるだろう。事務所の場所も便利なところにあるので規模の小さいうちは余分な経費を節約できる。会社登録には、まず初めに事務所を手配しなければならないが、その目的にも利用できる。会社設立登記等はPASCOの本業なので、会社運営のインフラにまで一歩踏み込んだサービスができるのではないかと期待している。

PASCOの事務所にもクリスマスがやってきた2008年12月17日



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 約1年がかりで執筆を手がけていた「金なし、コネなし、フィリピン暮らし!・・・ゼロからはじめる異国生活マニュアル・・・」が2008年6月出版された(定価:1600円+税)。本書はイカロス出版の「金なし、コネなし、...暮らし」シリーズの一巻として企画されたもので、すでにタイ、ベトナム、沖縄、ハワイなどが出版されている。本シリーズは単なる観光ガイドや紀行文あるいは私的なフィリピンの感想文ではなく、これからフィリピンに住むことを計画あるいはすでに住んでおられる方に、フィリピンの正しい情報を伝え、より快適で安心なフィリピン生活を実現する一助となるよう、フィリピン在住13年間の経験のすべてを駆使し、全力を尽くして執筆したものだ。 特に、フィリピンで金銭的なトラブルに巻き込まれないようにどんな注意が必要か、フィリピン人と仲良くやっていくにはどういう心構えが必要か、などなど、フィリピン人の心の奥底にも触れている。   2008年6月某日、出版社から見本を郵送したと連絡を受けた折、距離の関係で日本のカミさんの元には数日早く出版社から届くので、電話で以下の通り、根回しをした。「たくさんの人に読んでもらう都合上、ナイトライフ等も詳しく紹介しているが、私が夜な夜なそんなところを徘徊しているなどという余計な憶測は決してしないように。」 それに対してカミさん曰く。「エイズだけには気をつけてね。」 思わず、絶句。カミ(神)さんはなんでもお見通しなのだと悟った。  ところで、本書はフィリピンで生活するうえで必要な知識やフィリピンあるいはフィリピン人に関して理解していなければならないことを細大もらさず取りまとめており、日本人がフィリピンで生活していく上でのバイブルともいえる462ページの大作であると自負している。私の13年にわたるフィリピンでの生活、会社運営経験、個人のビジネス経験、退職庁での退職者のサポート、農場経営の経験、などなどの集大成といえる。フィリピンに興味のお持ちの方、あるいはフィリピンにロングステイあるいは永住することを計画している方には是非目を通して欲しい。ちなみに目次は下記の通りとなっている。 Chapter 0  金なし、コネなし、フィリピン暮らし!のススメ 1  フィリピン暮らしの基礎知識 –フィリピンという国を知る 2  フィリピンで暮らすための準備 –日本でやっておくべきこと 3  […]

カミ(神)さんは何でもお見通し 2008年6月18日


日本とフィリピン間の経済連携協定(EPA)/自由貿易協定(FTA)の締結によりフィリピン人介護士が日本で就労することが可能になると期待されて、はや数年の歳月が経ってしまった。一方日本での介護士の不足、質の低下が叫ばれて久しく、多くの介護施設がフィリピン等からの介護士の派遣を待ち望んでいる。2007年9月現在、フィリピンの議会でようやく議論がはじまったが、その批准には遠い道のりがあるようだ。 日本の介護現場の状況は悲惨なものがある。日本の経済の立ち直りの影響で介護の現場を離れ他の職につく若者が激増しているそうだ。まるで3Kの現場で安い賃金で働くことに若者が嫌気をさしているのだ。介護士不足に対して介護を必要とするお年よりは増え続ける一方で、これは誰にも止めることはできない。人手に頼るしかない介護の現場では、数十人のお年寄りの世話を夜間はたったの一人か二人でしなければならない。だからお年よりいじめが発生してしまうのだ。日本が今後数十万人単位で介護士を海外から受け入れなければ介護制度そのものが破綻することは火を見るよりも明らかだ。 FTAによるとまず、800人の看護士/介護士を受け入れるものとし、資格は4年生の大学を出て、看護士あるいは介護士の資格を持っていて、さらに日本語検定2級の資格に合格しなければならない。そして日本に研修生として派遣され、2年以内に日本語の看護士あるいは介護士試験に合格することが条件だそうだ。日本語検定2級といえばフィリピンでは日本語の先生ができるほど。さらに日本語で資格試験に合格するということは読み書きもすらすらできなければならない。これがどれだけ高いハードルであるか容易に想像できると思う。 フィリピン人介護士の卵たち 当地で介護士といえばメイド/ヤヤ(子守)と看護士の中間的存在で、家庭に入り込んでお年寄りの食事の世話から掃除から簡単な医療行為まで何でもする。したがって、高校を出て、なにか専門的知識を身につけようとする若者が、6ヶ月間のトレーニングを経てとることができる資格だ。大学卒の介護士はほとんどいない。しかも大学を出た人はこのようなメイドのような仕事はやりたがらない。FTAの要求する大卒、日本語検定2級、日本語の資格試験等々の条件がフィリピンの介護士養成の現状といかに乖離しているかということだ。一方、お年寄りの世話をするのにそんなに高度な知識なり学歴がいるのだろうか。私はハートさえあれば誰でもできると思うのだ。現にフィリピン人は小さいときかから、家族の赤ちゃんやお年寄りを、愛情を持って世話してきており、天性の介護士なのだ。 訓練を受ける介護士の卵 2005年の春POEA(フィリピン海外雇用庁)のNo.2のディムソン氏と対談した折、日本政府は政府対政府のアレンジで介護士を受け入れることを強調しているのとことだった。それはジャパユキさんの受け入れがやくざの大きな資金源になったことの反省から来ているものと推察される。介護士や看護婦など天使の職業が日本の裏社会とつながっていたとあったのでは、国際社会になんとも顔向けでいないというのは理解できるところだ。しかしながら、フィリピンの事情を知っているものにとっては、日本政府の示した条件がいかに現実離れしていて、実質的にフィリピン人介護士をシャットアウトしようとしていると受け止められてもいたしかたのないことだ。看護士組合の圧力だとか色々推察されるが、そんな流暢なことをいっていられる状況でないことは百も承知とも思うだが。 簡単な医療訓練も受ける フィリピンには数百の介護学校が日夜介護士を要請しているといわれる。そして毎年数万人の介護士が生まれているのだ。そうなるとフィリピンにおける介護士の需要は大変なものだと思われるだろうが、逆にほとんどないのだ。フィリピンでは介護が必要なお年よりは家庭で面倒をみる。人手はいくらでもある。なくても月々数千円の安い賃金で人手が雇える。フィリピン人はお年寄りや赤ちゃん、そして弱いものを深い愛情でいたわるので、フィリピンには介護施設がほとんど必要ないのだ。それではなぜフィリピンには介護学校がこんなにあるのだろうか。それは例のOFW(海外出稼ぎ労働者)の一環として、介護士の資格を引っさげてより良い条件で海外に向おうという魂胆なのだ。 介護学校のマネージャーのTeeさん ちなみにカナダでは2年間カナダで介護士の仕事をすると永住権が与えられるという。イギリスでは6ヵ月後には子供を同伴することができて、しかも子供の学費は全額免除されるそうだ。このように先進各国ではあの手この手でフィリピン人介護士を獲得しようとしている。それに対して日本の対応はいかがだろうか。やがてFTAが締結されたとしても、日本へ向う介護士は皆無ではないだろうかか。大学を出て日本語がぺらぺらだったら、何も安月給で3Kの介護士をやっていなくてもいくらでも他に就職先はある。 授業風景 こんな状況だから、日本で質の高い介護を受けるなどということは早晩ありえないということになるだろう。そうなったら、フィリピンにやってきて現地直売のサービスを受けることだ。そのためには元気なうちにフィリピンにやってきて、そのときに備えることが肝要かと思う。あるいは介護が必要なお年寄りを抱えていたら皆でフィリピンに来て、介護をフィリピン人介護士に任せて、自分たちは第2の人生を楽しむというのはいかがだろうか。  

雑記帳 世界の介護の助っ人ケアギバー(介護士)



    フィリピンーナは年の差を気にしないので、熟年独身男性にとっては、フィリピンで若い女性とめぐり合って結婚するチャンスが大いにある。二まわり、三 まわりも年の離れたカップルなども珍しくない。もちろん頭のはげた我々を愛してくれるのには、それなりの打算はあるだろう。フィリピーナにとっ て、金と愛はセットだといわれるが、愛の前提として金があるのは、いたし方のないことだろう。それでも本気で愛してくれて結婚してくれるのだからありが たいものだ。しかもフィリピンには離婚という制度はないから、生涯にたった一人の男として結婚を決意してくれるのだ。 こんなカップルも珍しくない  しかしながら、フィリピンの結婚生活は日本とは大分様相を異にするので、その辺を十分に認識しておかないと、あとで後悔すること必須だ。その違いは色々あるだろうが下記の3点に要約することができる。 フィリピーナはかかあ殿下である フィリピン人の家庭は妻中心に動いており、すべての決定権は妻にある。女の子を口説いても、すぐにお母さんに怒られるとか、お母さんの許可が必要と か、決してお父さんの名前は出てこない。家で食事を作るのは亭主、けんかして相手を張ったおすのは亭主ではなくて女房だ。だから、人前で女房を怒鳴ったりした ら、とんでもないことになる。 すべての財産は夫婦共有となる 婚姻後取得した財産はすべて夫婦共有名義となる。たとえ金は旦那が出しても関係ない。取得した財産が婚姻前だとしても、それを証明することは容 易でないので、すべての財産は共有と思ったほうがよい。離婚に至った場合は、どっちに原因があろうが、半分は確実に持っていかれるということだ。だからフィリピンでの生活に必要のない財産は日本において置くことだ。 3. 妻の親族の面倒を見ることは必須である […]

豆辞典 フィリピン人と結婚する


フィリピン人女性と結婚している日本人男性の数は一口に10万人とも言われている。年の差を気にしないというフィリピン人女性の考え方、海外出稼ぎ労働者(OFW)で代表される海外へのあこがれ、そして貧困というバックグランドがフィリピン人女性を日本人との結婚に駆り立てるのだろう。フィリピン女性が日本へ嫁いだ場合、比較的うまくいっているとの話を耳にする。一方日本人がフィリピンに来た場合、10年もうまくやってきた仲なのに、一年足らずで破綻してしまった言う話を聞いたことがある。 世界でもまれな離婚制度の無いフィリピンでは教会でおごそかに式が執り行われ、牧師と立会人が婚姻を承認する 私 なりに原因を分析すると、日本で結婚生活をした場合は、フィリピン人奥さんが必死に日本の習慣になじもうと努力し、日本語も覚え、旦那は、今までどおりに 日本流を押しとうすことができる。奥さんは月々わずかの家族への仕送りを条件に「おしん」になるのだ。しかし、日本人の旦那がフィリピンにやってきた 場合は、英語もタガログ語もできない、フィリピンのことはなにもわからず、奥さん頼り。おまけに稼ぎも無い、いかにも頼りない旦那なのに怒ることだけは一 人前、家族の前でも平気で奥さんを馬鹿にして怒鳴る、時には暴力を振るう。これでは奥さんはたまらない。フィリピン人にとって人前で怒鳴られたり、はったおされたりすること は死ぬほど恥ずかしいことで、許すことはできないのだ。 そうなるともはや離婚しかなく、奥さん側は買ったばかりの家や車は、慰謝料として当然我が物にしようとするだろう。旦那の婚姻ビザ(13aビザ)を キャンセルして、フィリピン国外に追放しようとしたりもするだろう。一方、旦那は何がいけないのかわけわからずおろおろするばかりだ。さて、不幸にも 離婚となったとき、フィリピンでの離婚に関する法律はどうなっているのだろうか。フィリピンには離婚という制度はない。だから、フィリ ピン人はいったん結婚すると離婚することができないのだ。 し かし、旦那は日本人だから、離婚できるはずだ。正確に表現すると、日本人とフィリピン人のカップルが、日本に居住している限りは、日本の法律に従い、 離婚でき、フィリピンに居住している場合は、フィリピンの法律により、離婚できないのだ。だから、離婚するなら、日本へ行って離婚すればいいのだ。し […]

豆辞典 フィリピン人配偶者との離婚は可能か



入国ビザ(ENTRY VISA,EO-21Visa)   フィリピン入国にあたって、帰りないし次の訪問国への航空券を所持し、かつ6ヶ月間有効のパスポートを持っていれば、30日間有効のビザが発行されます。ただし、入管の調査でブラックリストに名前が記載されていたり(同姓同名の人が記載されている場合、問題となることが多々あります)、なにか怪しげな風体をしていると入国を拒否される場合があります。特に最近は刺青をしていたり、やくざ風の場合、入国拒否の対象となります。   ビザの延長手続き   フィリピン滞在が30日を越える場合、ビザの延長が必要です。マカティあるいはイントラムロスの近くの入管本庁に出向いて、申請することにより、その場で延長ができます。トラベルエージェント等に依頼すれば本人が出向く必要はありません。申請料は3000ペソ程度ですが、パスポートを忘れずに持参してください。延長は29日間、合計で入国より59日間有効のビザが発行されます。2ヶ月毎に延長することにより最長2年間の滞在が可能です(延長申請料は毎回異なりますが6ヶ月有効のビザも申請可能です)。最長3年間まで延長できます。

フィリピン暮らし ビザ 入国ビザ


SRRV保持者は雇用され働く事ができる。もちろん自営業もOKだ。但し、AEP(Alien Employment Permit)をDLOE(労働局)から取得する必要がある。フィリピンでの一般社員の給与の相場はせいぜい2万~5万ペソ、日本人で英語が堪能であれば、その倍の給与はもらえるだろう。フィリピンであれば、この金額で充分家族を養っていける。AEPなしに働くと不法就労になり、逮捕、国外退去となるので注意してほしい。 日系の就職斡旋会社、サガスコンサルティングという就職斡旋会社が活発に活動しています。 E-mail: jph@sagass.com URL: www.sagass.com Tel 02-893-8815, Fax 02-893-3944  

フィリピンで働くために