退職者情報


フィリピンでは外国人は土地を買えないので、住宅建設あるいは住宅を購入する場合は土地をリースする必要が出てくる。PRAの定期預金を使用して土地をリースする場合は、リースする土地が登記/TCT(Transfer Certificate of Title) してある事が要件となる。リースしようとしている土地がきちんと登記されているかまず確認する必要がある。 フィリピンでは登記されておらず、単に税金の支払い領収書の存在を持って所有権を証明する事が多く行われているが、リスクがあるのでPRAは定期預金の投資の対象として、このような土地をリースしたり、住宅を建設することは認めていない。また、SRRV取得用の定期預金を引き落として使用する場合は、契約期間分のリース料を一括して支払う必要がある。 また、リース契約の発効後、TCTには、土地の所有主がPRAの許可無しに抵当に入れたり、売却する事を禁止する旨の裏書をすることを要求している。これは退職者が住宅を失うリスクを最小限にするための処置だ。

暮らし 住宅 土地のリース


フィリピンにきた当初に慌てて家を買うことは決してお奨めできない。住んでみたらあれやこれやと問題があって、いやになる。しかし買ってしまった家はなかなか売れない。挙句の果てに2足3文で売り払って大損ということになってしまう。住み慣れるためにしばらくは借家に住むのが賢いといえる。 しかし、終の棲家と決めて、10年、20年と住むとなると、借家ではどうか思う。通常、10年程度の家賃で新規に購入するのと同じになってしまう。やはり、退職金の一部あるいはPRAの定期預金で家を買い、年金で暮らすというのが、一番経済的だ。フィリピンに少なくとも1年くらいは住んで、ここぞと思ったら、購入するのがいいと思う。 都市に住むとすればコンドミニアムが安全に購入できる。建築前あるいは建築中に購入するプレセールは安く買えるもののやはり危険だ。すでに出来上がっていて、住人のいるコンドミニアムを、そこの住人から色々ヒアリングして納得して購入すべきだ。 大都市圏以外では土地を買って(あるいは借りて)家を建てるか、あるいは建売を買うことになる。建売はデベロッパーのマージンが大きいので、土地を買って家を建てる、さらに請負業者を使わず、自分で材料を買って、大工を雇って建てるのが一番経済的だ。しかしながら、ここに落とし穴がある。大概の人は自分で家など建てたことなどないから、知り合いの自称他称の建築屋さんに面倒を見てもらうことになる。 この建築屋さんは、こちらが素人なのをいいことに、材料調達のコミッション、職人の人数の水増し、あの手この手で建築費を水増しし、結局、工事費は相場の2~3倍になってしまう。それでも日本よりはるかに安いので、感謝して法外な謝礼まで支払ってしまう。よほど信頼できる建築屋さんを雇わない限り、請負者に一括して発注したほうが有利だ。しかしこれも信頼できる請負者を知っている限りいえることだ。請負者が手抜き工事をしたり、あれやこれやと追加を要求してくることもめずらしくない。 最後の手段は、結局、建売を買うのが安全ということになる。これなら現物を見て決めることが出来るから、大幅予算オーバーなどということはありえない。最近、退職者用に各種サービスや施設をセットにした、退職者ビレッジが計画されているので、予算に合わせていい買い物が出来るようになると思う。ここでは、外国人でも住宅が安心して買えるように契約がアレンジしてあるので、頭を痛めることなく購入することができるだろう。

雑記帳 持ち家あるいは借家どっちが得か?



フィリピンに介護や老人の問題はない。なぜなら、家族が皆、お年寄りを愛し、尊敬し、大切にして、こぞって面倒を見るから、お年寄りは幸せな生涯を送ることが出来るのだ。大家族で生活するフィリピーノは子供のころから赤ちゃんやお年寄りを面倒見ながら育つ。だから、彼らは生まれついての介護人なのだ。しかも彼らは外国人を心から迎え入れるホスピタリティにあふれている。フィリピーノに老後の面倒を見てもらえるとしたら、これは、もはや一つの幸せといえる。 フィリピンには介護学校が500校以上ある。フィリピーノの天性をいかして介護士を目指す若者が毎年何万人と卒業しているのでだ。多くは海外を目指す。カナダなどでは数年間介護士として働くと、カナダの永住権が与えられる。したがって、介護士はいまや憧れの職業でもあるのだ。 ご承知のとおり、フィリピンの賃金レベルは日本の10分の1以下だ。フィリピンで自分あるいは親が介護が必要になったら、小遣い銭程度で住み込みの介護士を雇うことが出来る。介護状態の親を抱えていても、自分の生活は十分確保できる。介護疲れや介護ノイローゼなどというものは無縁な世界なのだ。 定年を迎え、介護状態の親を抱えているとしたら、フィリピンに移住することを考えてみだらいかがだろうか。収入の低下、介護に関わる費用の増加など、すべてが解決できる究極の解決策がそこにある。

雑記帳 フィリピンは介護天国


保険金殺人、スクオーター、モスリム、NPA、等々、フィリピンのイメージを悪くする言葉があふれている。確かにこれらはすべて事実だろう。しかし、ここに生活する人々にとって、これらのことは、ほとんど無縁な他山の石なのだ。子殺し、家庭内暴力、少女監禁、通り魔殺人等々の言葉が日本のニュースで流れているが、ほとんどの日本人はニュースとして楽しみ、決して我がことだとは思っていないのと同じだ。 フィリピンは安全ですよと、いくら言っても、お住まいになるご本人が安心していられなければ、意味のないことだ。また、安全とはちょっとニュアンスが違うが、日本人が金銭的被害に遭う確立は相当高いようだ。しかし、日本人の不注意な言動が危険を呼ぶということが一番大きな問題なのだ。 フィリピンに安全にそして安心して住むには、まず第一にフィリピンの習慣を知らなければらない。そして危険なところや人には近づかないことだ。日本でも、やくざを怒鳴りつけたり、大金を持って歌舞伎町をうろうろしたりしたら、バカかと相手にされない。危険を感知する技を学ぶことだ。簡単に言えば、慣れるまでは信頼できるフィリピーノと一緒に行動することだ。 フィリピンで一番大事な習慣は、フィリピーノを人前で叱り付けたりバカにしたり、あるいは公衆の場で怒ったりしてはならないいうことだ。PRAにやってきてフィリピン人職員を怒鳴りつけたりしている人を見受けるが、そのような人はフィリピンに住む資格はない。直ちに国外追放になっても仕方がないことだ。我々退職者はフィリピンに住まわしてもらっているのだということを忘れてはならない。この国の人とは尊敬の念で接しなければいけないのだ。 ここでは、なぜ日本人が怒っているかということは問題ではないのだ。原因はフィリピーノ側にあろうが、その結果として、人前で叱責した、怒鳴ったという事実が問題なのだ。理解しにくいかもしれないが、これがフィリピン流の発想であり、フィリピンに住む上での鉄則なのだ。これが理解できない人には、どこに住もうが安心はない。逆にこれが実行できたら、どこに住もうが安心で安全だ。周りのフィリピーノが皆であなたを守ってくれる。そして、フィリピーノはなんて優しいんだろうと感激するのだ。 日本人が殺されたという件で、それにフィリピーノの奥さんが関わっているらしいという話を良く耳にする。一番親しくて、守ってくれるはずの奥さんが殺しに関わっているというのだ。その時私は、その奥さんの長年にわたる悲痛な屈辱の歴史が伝わってくるような気がする。さぞ、日本人の夫による人前での叱責に耐え続けてきたのだろうと。

雑記帳 フィリピンは、本当に危険な国?



現在、退職者の住まいは、ほとんどがマニラ、セブ、バギオおよびダバオの大都市圏だ。名前になじみがあること、インフラが整っている、大きなショッピングモールがある、そこそこ遊び場がある、施設の整った医療施設がある、などが理由だろう。したがって大多数の退職者用ビレッジは、これら大都市圏に計画されている。特別なのはスービックやクラークの元米軍施設の経済特別区だ。 それぞれの都市には特徴があり、それぞれのライフスタイルに応じて選択するのが良いと思う。なんと言っても喧騒と興奮のマニラ、白砂ビーチのセブ、高原都市バギオ、広大なダバオ、そしてフィリピンの外国‐スービック/クラーク、それぞれの都市に体験ステイをして、これと思ったら、居を定めたらいいと思う。 しかしながら、フィリピンはこれら、5つの地域だけではない。他に数百数千の市町村がある。ミンダナオの一部の地域を除いて決して危険なことはない。大都市よりも返って安全だ。なにしろ人心が穏やかで、皆親切だ。憧れのビーチや景色がそこにはある。そして何よりも安いのだ。物価も、住宅も、賃金も、何しろ安いのだ。 少し、フィリピン通になってきたら、是非、地方の町に足をのばしてみたい。そこに理想の住まいが見つかるだろう。それぞれの町にはビレッジと呼ばれるセキュリティが完備された住宅地がある。フィリピンを100%満喫したかったら、地方に住むことだ。そこには忘れられた故郷があるのだ。

雑記帳 フィリピンのどこに住むのが賢いか?


フィリピン人にだまされて家をとられた、あるいはフィリピン在住の日本人にだまされて店をとられた、とかいう話しを良く耳にする。なぜ日本人は簡単にだまされるのだろうか。それは、フィリピンでは外国人は土地を買えない、小売や飲食店等の諸々のビジネスがフィリピン人に限定されている、というフィリピン人を保護する法律があり、そこで、簡単に他人名義で土地を買ったり、ビジネスをする、といった安易な方向に動いてしまうからなのだ。 また、フィリピン人と親しくなると、あれが儲かる、これが儲かると盛んにビジネスを勧める。日本人は何しろ金を持っているから、それを当てにして一山当てようと一所懸命勧める。もちろん、その時点ではだまそうなどとは思っていないから、なかなか説得力がある。確かに儲かりそうで、相手もとても信用できそうだ、そこで、だめもと、賭けと思って金を出す事になる。この位なら、例えなくなっても首を吊ることもなさそうだと。 実を言うと、そのフィリピーノもほとんどがビジネスをするのは初めてで、はじめてみると思いもよらぬ費用がかかる。そのため、さらに追加の費用がかかることになる。それがないとビジネスが前に進まないので、投資額が嵩んでいく。初めの予定の2倍にも3倍にもなっていく。 そこで、ビジネスが頓挫してしまう事が多いのだが、それでも何とかうまく行ったとする。そこでフィリピーノは一生懸命やって儲かったのだから、当然、自分もその利益を受け取る権利があると考え、バンバン金を使い始めるので、投資したあなたにはいつまでも儲けが回ってこない。回ってきたとしてもまったく投資金額に見合うものではないだろう。結局やめたという事になって、だまされたとなるのだ。その時はもうフィリピーノとの仲は冷え切っているので、事業を解散して投資金を回収することなどできるはずもない。法的には、発足と同時にすべてが名義を貸したフィリピーノのものとなっているのだ。 さて、土地と家だが、やはり、フィリピーノの友達や彼女は、いとも簡単に名義を貸すという。色々な約束や契約もしてくれる。最初は慎重だったのだが、相手が熱心に進めるので、つい踏み切ってしまうことになる。相手のねらいは多分コミッションだろう、特に彼女のおじさんや友人に頼んで家を建てたりすると、建築費の半分は軽く抜かれてしまう。それがフィリピーナの奥さんであるとすると、きっと別れたときの慰謝料の確保ということだろう。 しかし、時がたって、あなたとの関係が冷たくなってくると、簡単に言葉を異にする。特に相手が死んでしまったりすると、相続人が出てきて、家から出て行けとか言いはじめる。いくら頭にきても、法律上完璧に相手のものだから、手の打ちようがない。約束や契約を盾にしても、その契約そのものが法律違反だから何の役にもたたない。結局、騙されて家を取られたということになる。 ある退職者の一件で、当地の裁判官に相談をしたことがある。回答は“There is no medicine for stupidness.(バカにつける薬はない)”の一言だった。フィリピン人にとって、何でこんな状況で金を出すのか、とても信じられないことを日本人はいとも簡単にやってのけるのだ。すべてが終わった後では、裁判官といえども手の施しようがないのだ。 このように他人名義の家やビジネスはご法度だ。コンドミニアムの購入やリースで済ますべきなのだ。ビジネスをやるなら、面倒くさくても会社を設立して権利を守るべきだ。しかし、そんな手続きをすることなど、英語も苦手な日本人には至難の技だ。適切なアドバイスをしてくれる人もなかなか見当たらない。アドバイスすべき人が騙す側に回ってしまう事が日常茶飯事で、弁護士さえももっとも信用できない人種の一つであるという世の中なのだから。 決して周囲の甘い言葉に迷わされる事なく、これといった確信ができるまで、あるいは絶対に信用のおけるアドバイザーやパートナーが現れるまで、是非大事なお金は銀行にしまっておいてほしい。 日本人が日本人を騙すという事が、とり沙汰されているが、これはフィリピンやフィリピン人の特殊性あるいは日本との法制度の相違を巧みに利用したとんでもない行為と憤りを感じる。フィリピン通の日本人に対してはさらに兜の緒を締めて気をつけることだ。

雑記帳 日本人は、なぜだまされる?



K.Kさんは2004年、私がPRAにいたころに退職ビザをとった。その方が、ご両親を連れて、奥さんの故郷、フィリピンに永住するためにやってきた。当時は、両親の介護があるので、フィリピン移住は当面先のこととおっしゃっていた。しかし、今回の大震災で両親の介護を日本でやることに不安を抱き、一家でフィリピンに移住することを決意したのだ。当時、両親の介護が必要だったら、ますますフィリピンに来るべきだと、私が主張したのを覚えている。ちなみに K.Kさんは東北、山形県在住だ。  ビザ申請の準備として、事前に日本大使館で婚姻証明を取得した。その時、窓口係りのMさんが、申請本人が1913年生まれと知って驚嘆の声を上げていた。数えで99歳、もうすぐ1世紀となるのがお父さんのS.Kさん、そしてお母さんのC.Kさんは89歳だが認知症を患っている。ともに大正生まれだ。 (下の写真はNBIで指紋をとっているところ。) 初日は、NBI、クリニック、銀行、PRAそして大使館を回ったが、車の乗り降りに20~30分かかるのと相変わらずの渋滞で、やっとのことで回りきった。さらに、ビザ申請と同時に、無税輸入、お母さんの口座開設、ビザ取消の委任状と口座の共同名義への変更、K.Kさんの免許証の書き換えなどを翌日の午後までに終えるために、おおわらわの二日間だった。たったの2日でこの有様だから、高齢のご両親を伴って一家で日本から移動してきたK.Kさんのご苦労は言葉に尽くせないものがあったと思う。  ビザの受け取りは私が代行する予定だが、そのため、事前にPRAを訪問して、ビザの受け取りの手続きをするようにとPRAにリクエストされた(まだ申請もしていないのだが)。窓口のミッシェルは営業部長のノエルに連絡し、さらにノエルがGMに報告して、PRA一同がK.Kさん一家を迎えた。恒例の記念写真をとってもらったが、多分、PRAの高齢者ビザ取得のレコードだと思う。帰り際、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんに遭遇したが、高齢の退職者のビザ申請に「すばらしいことですね」とうれしそうに励ましてくれた。 (Dusit HotelでK.Kさん夫妻と、ヤヤに抱かれてなぜか泣き叫ぶKIAN) 2日目の午前中に免許証の書き換えを終わり、午後は、お母さんのレントゲンの取り直しと銀行で通帳の受け取りだけを残すところととなった。少々リラックスできたので、宿泊先のDusit Thani Hotelで食事をとることになった。当方もKIANを含む全員で参加したが、どうも奥さんの機嫌がよくない。  実は、当初私が、K.K さんのためにNTTホテルを予約したのだが、駐車場がないので、急遽ホテルを変えてしまった。ところがK.Kさんは、かつて日航が運営していたHotel Nikko Manila Garden(今のDusit Thani)しか知らないので、そこに宿を取った。しかし、宿泊料がNTTホテルの5倍位するので、しっかり者の奥さんが腹を立ててしまったのだ。レストランのメニューを見てまたびっくりして、自分達の分は注文はしないという徹底振りだ。奥さんにとっては、これから退職金などの預金だけで生活していかなければならないので、倹約ということがなによりも大事なことなのだろう。 […]

1913年生まれの申請者に大使館もびっくり 2011年10月20日