退職者情報


パスコはロングステイ財団のフィリピン、マカティサロンとして公認されているが、来る11月13日(土)、東京ビッグサイトで開催される「ロングスティ&移住フェア」に招待され、参加することにした。パスコとしては相談コーナーを与えられ、参加者の相談に応じることになっている。出展予定数は 100、参加人数は8500人を予定しているそうで、ロングステイ財団としては最大の催し物となる。詳細はhttp://www.dokodekurasu.jp/にアクセス。  フィリピン観光省の横山さんもブースを設けて多いにフィリピンを売り込むとのことで、フィリピン退職庁(PRA)からもマーケット担当が参加するとのこと。その他、フィリピン関連の案内をしている方々も出展されるはずなので、久しぶりに皆さんにお会いできるのが楽しみだ。

ロングステイ&移住フェア 2010への参加2010年10月15日


10月2日(土)と3日(日)の2日間でパスコの事務所を引っ越した。引越し先は旧事務所から歩いて3分のMAKATI PRIME CITY CONDO. 内、我々の住居の1階だ。住宅街なのでご訪問の際はパスコというより、志賀の住居ということで訪問してほしい。詳しい道順についてはパスコ のホームページを参照。http://www.pasco-ph.com/main/index.php?pid=102 事務所は3階建てのタウンハウスの1階の今の部分を利用したもので、従来の事務所の半分程度の広さだが、パスコの事務所としては充分な広さだ。入り口は 狭いのだが、中は意外と広く、退職者用のパソコンや有川整体師のマッサージベッドもある。また、中庭があるので、いずれ植物などをおいて憩いの場として機 能させたいと思っている。 下の写真は旧事務所の前で撮ったもの。フィリピンでは伝統的に牛に引かせた車で生活物資の行商に歩く人たちがいるが、パンパンガから来るらしい。しかし牛ならともかく、自転車でこれだけの荷物を運んで進むのは容易ではないと思うが、坂がほとんど無いマニラならではの風景だろう。ちなみに今回の引越しは車は 使わず、台車を使ってすべて人力で荷物を運んだ。もちろん私は高みの見物としゃれ込んでいたが、家ごと人力で運んで引っ越してしまうこともあるフィリピン だから、この程度の引越しを人力でやるのは、どうってことはないのだろう。

パスコの事務所が移動しました 2010年10月14日



9月に入って来年枠のクオータ・ビザの問い合わせが急増しています。  そのため、入管に来年度枠の価格など詳細を入管に問い合わせていたのですが、このほど入管の弁護士より、下記のような連絡が入りました。したがってパスコとしてのクオータ・ビザの案内は当面ペンディング゙となります。 To: Mary Jane Gomez maryjanegomez2008@yahoo.com.ph; Sent: Monday, October 11, 2010 12:36:37 PM Subject: Sec. […]

クオータビザについてのお知らせ 2010年10月12日


 8月30日と31日、「文芸春秋」に掲載予定の介護に関する特集記事のためにフィリピン取材に訪れた橘さんご夫妻の案内をした。もともと介護施設などほ とんど必要としないお国柄だから、案内すべき施設がほとんど無い。しかも日系の介護施設はすでに取材済みなので、家庭での介護を中心に案内することにし た。  またPRAの紹介で「Wellness Place」という施設を見学したが、これは介護施設というよりも普通の住宅に数名ずつ介護の必要なお年寄りを収容し、原則として、入居者対介護士(ある いはヘルパー)の比率を1対1で面倒を見ている、いわばグループホーム的施設だ。  「アモーレの里」の立ち上げに関わり(現在未開業)、現在新規に介護施設を計画している岸田さんに面会した。岸田さんに連れて行かれたのがサンタ・ロサ の「竜馬レストラン」だ。流行の坂本竜馬の名をとったのだろうが、和洋折衷のインテリア、同じく和洋折衷の衣装を着けた大勢のウエイトレスなど、なんとも 形容のしがたい、ユニークなレストランだった。 岸田さんと別れて次に向ったのが、パラニャケ、BFホームズのイリジウム住宅。野呂さんが経営するタウンハウス方式の住宅街で200戸以上を完売し、今、最終の2棟を売り出している。野呂さんはこれが終わったら、引退して悠々自適の生活をするといっている。ここでオーナーのお一人が脳梗塞で倒れ、意識の無 いまま住み込みの看護婦の面倒を見てもらっている。すでに1年以上この状態だというが、看護士やヘルパーは、この方を親しみをこめて「おじいさん」と呼ん で献身的な介護を続けているとのこと。いつまでこの状態が続くのかわからないが、二人の介護人を専属で雇い、自宅で面倒を見てもらうという贅沢ができるの もフィリピンならではだろう。まさに個々のお年寄り専用の介護施設が自前で実現してしまっているのだ。   「Wellness […]

文芸春秋の取材 2010年9月1日



私の住まいはマカティのはずれ、パソンタモから少し入ったサン・アントニオ・ビレッジの一角のマカティ・プライム・シティ・コンドミニアムで、パーム・ タワー・コンドミニアムと隣接し、高層、低層そしてタウンハウスの建物が10数棟建ち並ぶマカティでも有数の集合住宅街だ。このほどわけあってこの住宅街 にある3階建て延べ床面積200平米のタウンハウスの取引に関わることになった。  一階は駐車場とリビング、2階がダイニングとキッチンそしてマスターベッドルーム 、3階にはベッドルームが3室、さらにバス・トイレが全部で4つあり、ちょっと古いタイプの大型の住居だ。現在建築中のコンドミニアムは、ほとんどが25 平米あるいは50平米、大きくても100平米を超えることはない。それは新築コンドミニアムの平米単価が10万ペソ近くになり、100平米なら1千万ペソ (2千万円)となってしまい、とても庶民の手が出る範囲ではなくなってしまった。25平米~50平米の小さなスツジオあるいは1ベッドルームなら250 万~500万ペソで、なんとか住宅ローンが組める範囲なのだ。  マカティの中心街を外れるこの付近の中古コンドミニアムは平米単価が5万ペソ程度で、50平米程度のものが200~250万ペソで手に入る。したがって、 新築にこだわらなければ半値以下のお買い得で、人気がある。一方、200平米となると、そのままの単価を適用すると、1千万ペソとなってしまい、買う人は いない。そのため、平米単価はぐっとさがり、今回ハードなネゴにより、400万ペソで取引が成立した。平米単価は2万ペソでかなり有利な取引となった。し かし問題はこの取引に関わる税金だ。 ちなみに不動産の取引には下記の税金がかかる。 1.  キャピタルゲインタックス(Capital […]

コンドミニアムの路線価格の怪 2010年7月27日


退職ビザの取得に当たって、1万ドルの定期預金すなわち年金スキームで申請する場合、必ずしも年金をフィリピンで受け取っていなくても、年金証書の翻訳 (大使館で認証)さえ提出すればよいことは、以前にも報告した。さて、めでたく退職ビザを取得して、実際にフィリピンで年金を受け取るにはどうしたらよい のだろう。年金事務所に問い合わせると送金先銀行口座の他に、フィリピンに在住している証拠となる書類の提出を求められるはずだ。  通 常、日本大使館で発行される在留証明がそれにあたる。在留証明の発行条件としては住民票を抜いておかなければならない。また、在留届けを提出してから、 3ヶ月経過していること、あるいはバランガイ証明書などの住所を立証できる書類の提出が必要だ。もし、住民票を抜くのに支障がある場合は、バランガイ証明 書でも年金事務所はフィリピン受給を認めている。  フィリピンで年金を受給した場合はメリットは下記だ。 1. 所得税がかからない(退職ビザを保有している場合はフィリピンでもかからない) 2. 送金手数料は年金事務所負担 3. 日本での収入がなくなるから、住民税や健康保険の支払いが最小になる  さらに住民票を抜いている場合は下記のメリットがある 1. 地方税がかからない 2. 国民健康保険料がかからない(逆に言えば、国民健康保険に加入できない) […]

年金のフィリピン受給の損得 2010年7月8日



 タレントあるいはジャパユキさんの日本行きのビザの発給がストップして以来、若いフィリピーナにとって唯一の日本行きの方策は日本人との結婚しかなくなった。すでに結婚をして日本に在住して、アルバイトでフィリピンパブで働くフィリピーナも多くはいるが、若いフィリピーナにとって夢の日本行きは結婚によってのみ実現されると言っても過言ではない。とはいいつつもフィリピンにいて日本人の配偶者を見つけるのは至難の技だ。そのため、プロモーターの斡旋で見ず知らずの日本人と形だけ結婚して、日本行きを目指す、すなわち、イミテーション(偽装)結婚だ。  日本の入管もこの偽装結婚を厳しく監視していて、本当に結婚生活をしているか、自宅訪問をしたりするそうだ。この偽装結婚の謝礼に日本人男性には月々数万円を払うそうで、プロモーターへの支払いなど、ジャパユキさんにとってほとんど収入が見込めないこともある。そうなると、もっと稼ごうと体を売るなどという、かわいそうなはめになっているジャパユキさんも多いようだ。 この子達の日本行きは遠い夢か 晴れて日本行きの目的も達して、それなりの収入も得て、フィリピンにもどり、元の生活に戻る。もちろん結婚という話も出てくるだろう。しかし、日本で離婚手続きをしたとしても、フィリピンでもちゃんと手続きをしないと、結婚の経歴はそのまま残ってしまう。プロモーターに在日フィリピン大使館に届けたから大丈夫だよと言われ安心していても、いざ結婚しようとすると、フィリピンに婚姻の記録が残っていて、婚姻の資格証明書が出ないということが多発する。  従来は、離婚の事実が記載されている戸籍謄本を在比日本大使館に提出して離婚証明をもらい、それをCity Civil Registryに提出し、証明書を最寄の市役所に提出すればよかった。市役所からNSO(国家統計局)に書類が送られ、婚姻の資格証明書が発行された。さほどの手間ではなかったが、ジャパユキさんにとっては必ずしも簡単とも言えない手続きで、これを怠って結婚できないはめになっているフィリピーナも多い。しかし、昨年法律が改正され、こんな簡単な手続きで離婚することが出来なくなってしまったのだ。   ご承知の通り、カソリックの国、フィリピンには離婚という制度がない。一旦結婚したら、それは生涯有効なのだ。しかし、裁判に訴えて、この婚姻が無効であるという判決を裁判官が出したら、その婚姻は初めからなかったことになり、晴れて独身に戻れる(アナルメント)。このようなお国柄だから、日本に行くために結婚して、フィリピンに戻ったら離婚、などという神を冒涜するような行為が許されるはずがない。  そのためか、日本で行なった離婚をフィリピンにおいても有効にするために、裁判所に届けて離婚が正当であるという判決をもらわなければならなくなったのだ。そのためには10万ペソ程度の弁護士費用と半年~1.5年の月日が必要とされるそうだ。ジャパユキさんにとっては気の遠くなるような話だ。念願の日本行きを果たしたとしても、本命の彼との結婚も当分お預けとなってしまう。また、日本人との結婚・離婚を繰り返し、日本行きの手段にしてきたベテランジャパユキさんにとっても頭の痛い話だ。 カラオケはジャパユキ予備軍のたまり場だ   次に結婚だが、かつては出生証明をもっていけば、市役所から比較的簡単に婚姻許可をもらえたものが、現在はNSOからシノマ(Certificate of No Marriage、CENOMA)という婚姻資格証明をもらわなければならなくなった。戸籍という制度がないから、出生証明と婚姻証明がすべてだったフィリピーノには頭の痛い問題だ。同姓同名の人間が結婚しているとすると、その人とは他人であることを証明しないと、シノマが出ない。もちろん過去に婚姻歴があるとそれを正式に抹消していない限りシノマは出ない。  これらの措置は、偽装結婚や重婚による日本行きのビザ取得が日常化ないし商業化しているという状況に政治家が業を煮やしたものと思われる。たしかに神聖な結婚をビザ取得の手段にするなどということは許されるべきものではない。しかも、それをえさにジャパユキ志望の若いフィリピーナの体をもてあそんだり、月々の謝礼を当てにしたり、日本男児の名折れともいえる輩もいるのも腹が立つ。しかし、可哀想なのはかのジャパユキさんだ。こんな手段までとって念願の日本行きを果たし、故郷に錦を飾ったまではいいが、その偽装結婚に生涯縛られるはめになってしまうかもしれないのだ。したがって、政府の狙い通り偽装結婚による日本行きも下火になることは間違いないだろう。

ジャパユキさんの試練 2010年7月7日


先日、PRAの友人であるロエル・ギリタンよりメールが入った。ロンドンで心臓の手術をしている姪の輸血ために1400ポンドの資金がいる。至急いくらでもいいから送金して欲しいというものだった。cc蘭にはこのメールが多数の人に送られていることが見て取れた。 私としては、先日、1ヶ月もの長期休暇を取ってカナダに旅行してきたばっかりのロエルに、たかだか1400ポンドのお金の融通が出来ないはずはないし、お 金の送り方も面倒くさそう、さらに2~3日前にPRAで彼に会ったばっかりなので、半信半疑で、とりあえずほっておいた。 そして次に入ったのが、次のメールだ。ロエルとは親交のある日本人退職者の方からだ。 “皆さん、お早うございます。お元気でお過ごしでしょうか。当地はやっと雨季に入り、一寸涼しくなりました。 ところで、日本では電話による「振込め詐欺」の被害が多く出ていることを知っていますが、Eメールでも「振込め詐欺」があることをお知らせしたいと思います。 昨朝、あるフィリピン人からEメールが届きました。メールのタイトルは「緊急なお願い」でした。彼は私がフィリピンの永住ビザ゛を取得する際にお世話に なった公務員で、その後、彼をイロイロの拙宅やタイの農園へ招待しりして親交を深めてきました。そのメールの内容は、彼の姪が心臓の手術をロンドンで受け なければならなくなったので、緊急にロンドンへ来た。しかし、輸血や手術の費用が莫大であるので、至急支援をお願いしたいというものでした。そして送金先 や受取人の名前(彼の名前)と住所も併記してあり、CC欄にはたくさんのアドレスが書かれており、それには私の別のアドレスも含まれていましたので、その メールを信頼し、なけなしのお金を近所にある指定の送金屋から送金すると同時に、送金したことをメールで彼に知らせました。 その直後、 彼から電話が掛かりました。彼は「私はロンドンにいない。マニラにいるよ。お金を送らないで!国家警察に事件を知らせる調書を出す。」というものでした。 彼は他の友人からの問合せで「振込め詐欺」に気付き、関係の友人に電話してきたのです。私は急いで送金屋へ行き、送金をキャンセルし、お金を払い戻しても らいましたが、送金手数料(800ペソ)の払い戻しはできませんでした。 […]

フィリピン版振込め詐欺にご注意 2010年6月30日



今年に入ってから、退職ビザを申請する方々の傾向に顕著な違いが出てきている。昨年はフィリピン人の妻を持ち、日本に見切りをつけて妻の国であるフィリピンで暮らそう、という方が目立ったが、本年度は下記の傾向が目立つ。 1. 昭和21~22年生まれの団塊の世代が、いよいよ動きだした。独身ないし単身で第二の人生をフィリピンでやってみようというのだ。奥さんは奥さんで好きに生きて、必ずしもご夫婦でフィリピンに住まおうとするわけでもない。 2.  30代あるいは40代の方で、ある程度の資産を持っている方たちが、夫婦、子供連れで移り住もうとしている。この方々は最低5万ドルを定期預金としなけ ればならないのだから、その年齢でそれだけの余裕の資金があるということだ。そして当然のことながら、フィリピンで何らかのビジネスを模索する。 3. 子育てをフィリピンで経験した駐在員の妻達が、亭主が日本へ帰国してもフィリピンに居残るケース 。   団塊の世代は、いつフィリピンにやって来るかと首を長くしていたところだ。3年前の60歳で動きだすかと思ったら、年金支払いの繰り延べの関係で、実質的 定年が63歳まで延長され、しばし顕著な動きがなかった。戦後の日本を担ってきた団塊の世代の老後の生活の選択肢は海外なのだ。  一方、若い資産家の方々は、日本の経済の先行きに不安を持ち、フィリピンに生活の拠点を移動することにより、自分達の資産ないし生活を防衛しようという考えのようだ。   確かに、小泉政権後の国政をつかさどる首相の在任期間は自民党、民主党合わせて、4人連続して1年に満たなかった。所詮、誰が首相になろうが閉塞された日 本の経済はどうしようもなく、いずれ破綻するのは目に見えている。極最近でもギリシャの国家財政の破綻により、ヨーロッパ中がパニックに陥ったように、国 家でさえ破綻する時代なのだ。アメリカがくしゃみをしたら、日本の経済は肺炎で入院してしまうだろうとさえ言われている。そのアメリカも黒人大統領オバマ […]

退職ビザ申請者の最近の傾向 2010年6月20日


どなたかが日本で亡くなった場合、ほとんどの場合、家族の方がいろいろ動いてことを運ぶ。しかしながら、独り身で滞在していることが多いフィリピンで は、誰か他人がことを運ばなければならないことも多々ある。その場合、多くのことが、家族の同意を必要とするから、なかなか難しい面がある。一方、例え家 族の方がフィリピンにやってきたとしても、なれない外国で色々ことを運ぶのは、言葉の問題もあいまって、大変難しい。  最近、家族の方がやってきた場合と、家族の方が誰も来られなかったケースについて、退職者の危篤に至ってから、死後までのお世話をする機会があったので、必要な手順や問題点、その対処法などをまとめてみた。 1. 危篤になったら   日本人が重病にかかるとフィリピンでももっとも高いとされるマカティ・メディカル・センターなどの一流病院に入院させられてしまう。その場合、治療費も含 めて毎日数万ペソの金がかかる。日本の健康保険は効くことは効くが、とりあえず立替払いをしなければならない。一方、当地の医療保険に入っていれば、 キャッシュレスのサービスもあるが、まだまだ普及していない。だから、まず入院させる前に財布の心配をしなければならない。ところがフィリピン人の多く は、日本人はお金持ちと思っているから、即座に一流病院に入れてしまう。あとから「あんな病院に入れたから、死んでしまった」などと家族から文句を言われ たくない、という思いもあるのだろう。  そのため、入院となったら、本人とともに周囲が初めに考えなければならないことは、どこまでの治 療あるいは手術をするかだ。その退職者の資産状況により、行なうべき治療の限界を見定めておかなければならない。そうでないと面倒を見た周囲の人が入院治 療費をかぶらなければならなくなってしまうことさえある。例え、家族の方が責任をとるとしても思いがけない負担になる。  フィリピンでは […]

退職者が死んでしまったら 2010年6月17日