退職者情報


Yさんの死により、ビザのキャンセル手続きが暗礁に乗りあげてしまった。 Yさんの失効パスポートと死亡証明書を持ってPRAにキャンセル手続きの継続を依頼したら、担当者の第一声はこうだ。 「入管の手続きはすでに完了しているものの、2万ドルの定期預金の引き出し許可証は、発行する相手が死んでいるので、家族の誰かが、家族であるという証明を持って受取に来て欲しい。」 このまま黙って引き下がるわけには行かない。状況を再度説明して、再検討を依頼したら、出張中の上司に相談して決定すると云うので、とりあえずPRAを後にした。もはやあせっても仕方がないので、とりあえず引き下がることにしたのだ。数日後、その上司に面会し、事情を説明した。上司は、これまでのいきさつを充分承知しており、かつ今回の事態がPRA担当者のお役所的対応の末に起きてしまったことを充分認識している。担当者を呼んで、1時間程度、喧々諤々の議論した。その結果、下記の結論を得た。 「この退職者は家族と縁が切れており、引き出し許可証を家族が受け取ることはありえない。一方、日本では弁護士が法定代理人として退職者の財産を管理している。したがって、、引き出し許可証のコピーに代理人である弁護士の署名をもらって、退職者本人の署名とみなす。許可証の原紙は、退職者からの委任者であり、かつ代理人の依頼を受けている私が受取る。それ以降、銀行からの引き出し手続きは委任状を持った私と銀行との交渉次第とする。」 まずPRAの攻略に成功した。翌日、引き出し許可証のコピーを受取り日本の弁護士へ送付、翌々日は許可証の原紙の受取と銀行への提出と、駒はとんとん拍子に進んだ。銀行は、「委任状については本店の法務部門の承認が必要」と事務的に言うだけだった。ここで重要なことは、ややこしい議論を避けるために退職者の死亡という事実を伏せておくことだ。そして、1週間後、銀行から「委任状が承認された」という連絡があり、胸を高鳴らせて銀行へ向った。2~3枚の書類に署名をして、待つこと約30分、ついに2万ドルの引き出しに成功したのだ。 銀行での引き出しに成功した後、そのまま大使館に向ってYさんの死亡届を提出した。大使館もすでに状況を知っているので、快く私の申請を受け付けてくれた。これで一件落着だ。私のなすべきことはすべて終わった。後は介護婦が2万ドルの現金を下ろすだけだ。 以前、報告したように、2万ドルは退職者と介護婦の共同名義の口座に振り込まれるので、退職者の死亡の事実が銀行に知れると、その口座そのものも凍結されてしまう恐れがある。したがって、この2万ドルを引き出して他の口座に移動してしまうまで安心できない。休み明けに引き出すこととして、銀行には現金の予約をしておいた。そして、月曜日、農場からの帰りの空港タクシーの中で、介護婦から「2万ドルの引き出しに成功した」との報告を受けて、やっと肩の荷がおりた。病院への支払いを完了して事務所に現れた介護婦の顔には安堵の笑顔が溢れていた。

ある退職者の死の教訓(2)その3 2010年3月23日


退職者のYさんはフィリピンに移り住んで15年、そして7年前、脳梗塞を患って倒れた。幸い、回復して退院したものの、口も聞けず、感情を表すのがやっとだった。Yさんにとって幸いだったのは、倒れる前に介護婦のMさんと知り合い、色々面倒を見てもらっていたことだ。「Yさんはとてもやさしい、いい人で、近所にもたくさんの友達がいた」と、7年間介護を続けたMさんは思い出を語る。  1日24時間、週7日、休みなしに一人のメードと交代で介護を続けたMさんは、月々の収支報告を日本の弁護士に送り、家計から家事、そして介護とまさに献身的な働きをした。そのため、結婚話にも耳を傾けず、Yさんの回復を祈っていたという、まさに美談だ。一度、日本の記者を連れて行ったことがあったが、女性記者と話をしていて、二人が号泣していたのを憶えている。彼女はYさんの遺体を故郷のネグロスの実家に葬り、一生、一緒に過ごすと語っている。  Yさんは元気なうちにMさんという人と知り合えて、とてもラッキーだった。それもYさんの人柄がよくて、皆に愛されていたからだろう。家族の方の出席は無かったものの、フィリピンの家族に囲まれてYさんは天国へ旅立った。葬儀には大勢の方々が参列してくれたそうだ。通夜の間中、Mさんの家族は24時間、交代で寝ずにYさんのなきがらを見守った。Yさんが寂しくないように誰かが24時間つきそうのがフィリピンの習慣だそうだ。 Mさんはネグロスになきがらを運ぶのは大変なので、火葬にすると言っていた(弁護士からはなきがらはMさんに預けると言う了解をもらっていた)。しかし、その前日、Yさんが熱い熱いと叫んでいる夢を見て彼女は気が変わった。そもそもフィリピンでは土葬にするのが普通で、なきがらがあれば毎年ホリーウイークには現世に帰ってきて再会できると信じている。だから、なきがらはフィリピン人にとってとても大事なのだ。  Yさんは夕方、近所の教会に行くのが日課だった。だから教会の牧師やシスターも知りあいだ。葬儀には教会から牧師が来てミサを行い、多くの方が別れを惜しんでくれたそうだ。フィリピン人の別れ行く人への思いいれは格別なものがあるのだ。  

ある退職者の死の教訓(2)その2 2010年3月13日



先日、バタンガスのアニラオのビーチに退職者を案内していたおり、Yさんという退職者の危篤の一報が入った。翌朝早速、Yさんを面倒見ている介護婦と面会し、ことの次第と今後の策について話し合った。 Yさんは、5年前、私がPRAに入ったころ、脳溢血のためほとんど意思が表示できない状況にあった。そのため日本から来た代理人の弁護士らと話し合い、今後の生活や生活資金などについて、ルールを決めたいきさつがある。それから5年経過し、体調が悪化して入院し、医師から長くはないと告げられ、介護婦がどうしたらよいものかと相談してきたのだ。日本の弁護士とも連絡を取っているが、言葉の問題でうまく意思が伝わらないと言う。ちなみに、Yさんには家族はあるが、訳があって縁が切れており、代理人の弁護士がYさんのすべての財産を管理している。 問題は、年金生活をしているYさんには入院費を支払う預金がないことだ。もしこのまま亡くなってしまったら、入院費が払えず、病院は遺体を引渡さないばかりか死亡証明も発行してくれない。いわば人質として取られてしまうのだ。そうなると問題を解決する方法がない。入院費は最終的に100万ペソ程度になると予測され、葬儀などの経費も合わせると百数十万ペソの資金が必要になる。退職ビザを保有するYさんは幸い5万ドルの定期預金が手付かずで残っていた。これを速やかに引出し、入院費等に当てるしかない。Yさんが亡くなってからではその引き出しには相続手続きという気の遠くなるような手間暇が必要で、その間、遺体は病院においておかねばならないという、とんでもない事態になってしまう。 そのため、PRAとも話し合い、代理人の弁護士の了解のもとに下記の方針で進めることとした。 1. 5万ドルの内、現行の必要定期預金2万ドルとの差額、3万ドルをすみやかに引き出す PRA並びに銀行職員と一緒に病院に赴き、申込書や定期預金証書にYさんの拇印をもらい、手続きを進めこととした。さらに、私宛の委任状に拇印をもらい、私がPRAから引き出し許可証を受け取り、銀行に提出するなどの手続きをできるようにもした。翌日、PRAからの引き出し許可証の受取、翌々日、銀行で引出し手続きを行なったが、所詮お堅い役所と銀行のやることで、何やかやと丸々二日間事務所で待ち続けるはめになってしまった。ほとんどが上位者や本部の承認待ちだが、特に銀行は本人が署名できる状況にないことから、ことのほか慎重で、ずるずると時間だけが経過していった。 引き出した3万ドルはYさんと介護婦の共同名義の口座に振り込むこととしたが、もしYさんが死亡したばあい、共同名義とあれども口座は凍結され、一方の名義人はおろすことができなくなる恐れがある。したがって、介護婦には別の口座を作成して、速やかに資金を移動するよう指導した。ところがこの銀行はどういうわけか介護婦が別のドル口座を開設することを許さなかった。そのため、ドルを現金で下ろして別の銀行にドル口座を開設して移動した。現金にした理由はデマンド・ドラフト(外貨の銀行振り出し小切手)ではクリアランスに2週間程度かかり、その間現金に手をつけられないからだ。なんともはや、お堅い銀行で、やることなすこと、この調子で、呆れて腹が立ち、ついに銀行員を怒鳴りつけてしまったことには多いに反省している。 2. ビザを速やかにキャンセルして、残りの2万ドルを引き出す 問題はパスポートが昨年の11月で切れており、Yさんは現在有効なパスポートを保有していないことだ。失効したパスポートの更新には日本から戸籍謄本を取り寄せなければならない。戸籍謄本の入手を待って、パスポートを更新して、それからキャンセルと銀行手続きでは、Yさんにそれまで、とても待っていてもらえないだろう。そのため、PRAと入管に、有効なパスポート無しに失効したパスポートだけでビザをキャンセルして2万ドルの引き出し許可証を発行したもらうよう交渉した。しかし、PRAと入管はお互いけん制しあって、どうしても有効なパスポートがなければビザのキャンセル手続きはできないと言い張る。いずれにせよビザのキャンセルには多少の時間がかかるので、とりあえず申請して手続きを進めてもらう一方、並行してパスポートの更新をおこない、新しいパスポートの発行と同時にビザのキャンセル手続きと引き出し許可証の発行が完了するよう段取りした。 3. パスポートの更新 大使館によると、パスポートの申請代行は出来ても、署名と受領は本人がしなければならないという。しかし、医師の診断書の提出と日本の弁護士の了解のもとに、申請と署名は私が代行して、受取は領事が病院に出向いて行うということで見通しがたった。 申請から4日で発行される新規のパスポートを受取り、それをPRAに持ち込んで、直ちにキャンセル手続きを行ない(入管からはキャンセルのオーダーがすでに届いている)、引き出し許可証を発行してもらうことが出来る。そして、銀行手続きも一両日の内に完了する、というところまでこぎつけた。これでまずは一安心、あと1週間で私の大事な役目は終了するはずだった。 ところが、翌朝未明Yさんが亡くなったと言う報が入ったのだ。早速、大使館に赴きパスポートの申請を取り下げようとしたら、死亡証明を持ってこなければ、提出した書類は返せないと言う。それもそうだろうと、早速病院に赴いて死亡証明をもらって、なんとかパスポートを大使館から取り返した(ここでも、大使館には、市役所に登録した正式な死亡証明をもってこいなどと言われ、少々切れてしまった。それでもなんとか説得してOKとなり、逆に「頑張ってください」と励ましの言葉をいただいてしまった)。 その後、PRAに失効したパスポートを提出し、キャンセル手続きを進め、すみやかに引出し許可証を発行するよう依頼した。しかし、PRAの担当者は即決できず、上司が出張から戻ったら相談すると言う。退職者本人が死亡している状況では、引出し許可証は相続人が受け取り、さらに煩雑な相続手続きを経て現金の引き出しが可能になるのが通例だ。それを私が退職者の生前の委任状を楯にすべての手続きを代行してしまおうとしているのだ。 手続き中の退職者の死という、私が恐れていたことが現実となってしまったが、今後どうなるか予断を許さない。 続く

ある退職者の死の教訓(2)その1 2010年3月7日


 2ヶ月ほど前にマニラの北120kmにあるターラックに移住した退職者の方がジャンク・ショップを始めるというのでジャンク・ヤードの建設現場を訪問した。ちなみにターラックは昨日なくなった元アキノ大統領の実家のあるところだ。   まだまだ自分は若いのでフィリピンでなにか事業をやろうと思っていたのだが、ジャンクショップをはじめたフィリピン人の知り合いがやたらにはぶりが良いのでこれ しかないと即決した。この方は日本で道路建設に携わった土木屋さんで、現場工事や人夫の使い方、資材の調達、運搬等については腕に覚えがある。事業モデル が単純なので、これならやれると自信を持ったそうだ。  まず、鉄くずなどを保管するヤードの確保に1,000m2の用地を平米500ペソ、50万ペソで購入した。次に鉄くずを集める2トントラックと引き取り 先の工場へ搬送する14トントラックを100万ペソで購入。さらに敷地の造成、舗装、事務所等に50万ペソ、運転資金に50万ペソ、締めて250万ペソ (500万円)の資金を投入する予定だ。   さすがに土木屋さんでやることがしっかりしている。ジャンク・ヤードは砂を50cm程度敷き詰め、その上に10cm程度のコンクリート舗装を行なう。そうし ないと粘土質の地盤は大型トラックの通行で泥沼になってしまう。飲料や洗浄用の水も必要だ。井戸は約60フィート、泥水を循環させ、手掘りで堀進めてい る。これで岩も貫いてしまうらしい。   ジャンク・ショップ経営の採算性の計算は単純だ。10ペソで鉄くずを購入。それを14ペソでマニラの北方のバレンツエラの工場におろす。スモーキー・マウンテンで有名になったようにフィリピンにはゴミを拾い集めて生計を立てている人がごまんといる。まとまった鉄くずの出るウエルディング・ショップ(鉄工所) などからは2トントラックで回収する。この14トントラックには実質25トン詰めるそうで、一回の輸送で10万ペソの粗利が出る(1kg4ペソの粗利なら […]

ジャンクショップの勧め(廃品回収業)2009年8月2日



  5月18日に開催されたロングステイ財団とフィリピン観光省共催のフィリピンセミナーに参加するため日本に出張した。はじめは気楽なつもりで参加を申し込んだところ、ロングステイ財団にしっかり抑えられて、講演「フィリピンの退職者査証について」、相談コーナー、パネルディスカッションのパネラー、そして番外のロングステイアドバイザーを対象とした勉強会と、ほとんど息の継ぐ間もないほどのスケジュールとなってしまった。 ロングステイ財団事務局長、根崎さんの挨拶 フィリピンでロングステイヤーを対象としてビジネスを展開する賛助会員の出展準備、右の写真は介護施設アモーレの里を経営する岸田さんと賛助会員の古堅(フルゲン)さん(左) 賛助会員でアンヘレスにペンション「フレンドシップクラブ」を経営する根本さん  退職ビザの概要はどこのHPでも見れるが、いざ実際にビザを申請しようとすると、色々判らないことが出てくる。今回の講演及び勉強会ではそのような部分にスポットを当てて解説したが、以下にその原稿を公開する。 フィリピンセミナー 退職ビザ手続きに関するFAQ 2009年5月18日 志賀和民 1.無犯罪証明書の取得について  現在、無犯罪証明書については従来のNBIクリアランスだけでの申請認められておらず、日本の県警で取得する必要があります。県警に申請するとき、パスポート、住民票、戸籍謄本のほかに、無犯罪証明書の使用目的を示す証拠として、記入済みの退職ビザ申請用紙の提出が求められます。  さらに、本来、この無犯罪証明書を外務省、フィリピン大使館に持っていって認証してもらわなければなりません。しかし、この認証は大変な手間を必要とするために、PRAは、後付で提出するという約束(Affidavit of Undertaking)とNBIクリアランス及び無犯罪証明書(未認証)の提出でビザを発行しています。これはPRAが入管の要求に対して行っている苦肉の策といえます。なお、無犯罪証明書は開封すると無効になるので気をつけてください。  交通違反や軽微な事件等で警察に厄介になったことがあったとしても、送検されない限り、無犯罪証明書への記載はされないそうです。また、長期間経過した軽微な事件も時効で記載されないそうです。もしそのような身に憶えのある方は、申請時に県警に問い合わせてみてください。 […]

ロングステイ財団主催のフィリピンセミナーに参加2009年5月24日


 4月29日アロヨ大統領はPDIC(Philippines Deposit Insurance Corporation)が行なう、銀行預金の保護の上限を25万ペソから50万ペソに引き上げる法律(RA9576)に調印した。施行は5月15日からだ。  これにより、約一万ドルの預金が保証されるので、年金プランで退職ビザを取っている方は、そのままでも全額が保証されることになる。また、2万ドルあるいは5万ドルを預けている方も、2ないし5行に分散して預金すれば、全額が保証されることになる。

銀行預金の保護上限が50万ペソに増加 2009年5月12日



 近々SRRV申請を予定している退職者の依頼でPRAビザ申請用定期預金の利率をBank of Commerceに問い合わせた。  退職者はPRA定期預金開設に当たって余分のドルを生活資金として送金し、できる限りよい金利で運用しようと考えているが、昨年の世界的金融恐慌の影響でフィリピンでのドル建て定期預金の金利も1%程度に落ち込んで、退職者にとっては頭痛の種になっているところだ。   PRAビザ申請用定期預金:満期30日~1年 1.25~1.5%   特別ドル建て定期預金(2009年8月4日現在):   5万~10万ドル未満 満期6ヶ月 3.25%、 満期1年 3.25%  10万~25万ドル未満 満期6ヶ月 3.50%、 満期1年 4.25%  25万ドル以上     満期6ヶ月 3.75%、 満期1年 4.25%    PRA定期預金は残念ながら下降気味だが、特別定期は、昨今の低金利時代になんとも朗報だ。もともとBank of CommerceはPRA定期預金の金利を4~5%に設定し、圧倒的な高金利を誇っていた。しかし、昨年来、ずるずると下降し、なんとかNo.1の地位は保ってはいるものの、他の銀行と大差がなくなってしまっていた。世界景気も回復の兆しが見えてきたようだが、そのさきがけかもしれない。またこの“特別” としているのは、PRA定期預金のように、既存の定期預金はそのまま据え置いて、新規にドルを集めるために設定されたものと推定される。興味のある方はお近くのBank of […]

Bank of Commerceの特別定期預金(2009年8月4日改定)2009年5月1日


 昨夜、NHKの「追跡A to Z」という番組で「無届老人ホームの闇」というのをやっていた。生活保護を受けている介護が必要な老人が特別養護老人ホームにも入れず、行くつくところは、全国に600箇所もある劣悪な環境の「無届老人ホーム」しかない、と言った内容だ。またさらに、全国に特養の順番待ちが30万人おり、これら老人はその一部だそうだ。  特養は従来、貧困層を優先していたが、介護保険の導入以来、富裕な層も平等に扱うべきという建前から、貧困層が行き場を失い「無届老人ホーム」に流れているそうだ。しかも、その「無届老人ホーム」に入居を斡旋しているのが市役所だというのだ。市役所の担当者もそれ以外に貧困介護老人を世話する方法がないのだろう。さらに新規の特養はよりよい環境という掛け声で高級/高額化し、特養に入居の申し込みさえできない貧困層が出ているそうだ。放送の中で識者が「いつのまにこんな日本になってしまったのか」とコメントしていた。  フィリピンなら生活保護で支給される10万円程度のお金で家賃と食事さらに介護も含めて十分やっていける。ビザ取得のための1万ドル(年金生活者)と施設建設の初期投資が問題だが、これを制度的に解決すれば、これら介護老人に個室や手厚い介護を提供することが可能だ。これは日本のゴミ捨て場に追いやられている老人を救う大いなる慈善事業ともいえる。  ところで、私のタバコの農場には日本人退職者が一人ロングステイしている。個室、3食、その他すべての面倒を月々4万ペソ (約8万5千円)で賄っている。人手は十分あるので介護が必要になったとしても何の問題もない。彼は新しい家族に囲まれて極めて快適な生活を送っている。これをヒントに思いついたのが、フィリピンにおける介護老人のホームステイだ。   フィリピンで居室に余裕がある家庭に日本の介護老人を預けるのだ。1ヶ月4万ペソを支払うとすれば、ほとんど無数の人が手を上げるだろう。そして住環境や家庭環境を調べたうえで合格と判断されたら、日本から介護老人を招聘して送り込み、定期的に巡回して満足度をチェックするという仕組みだ。フィリピン人の老人を大事にする心は定評があるから、きっと手厚い介護をしてくれるだろう。ビザの問題はPRAと掛け合って年金や生活保護費だけで退職ビザ発行されるようなアレンジが必要だろう。  上記の仕組みの問題点は医療の問題だろう。いろいろな病気を抱えているお年よりも多いから、それに適切に対応できるかだ。すくなくとも「無届老人ホーム」よりはましだろうが、色々なところから疑問の声が上がることは目に見えている。日本人がこれならばと思える医療施設や介護施設を整えるとなると、どうしても一人数百万円の初期投資がかかってしまう。既存の施設などを利用してそれをいかに安く押さえるかが鍵だろう。医師を巡回させるなどという仕組みも必要だろう。

「無届老人ホームの闇」2009年4月26日



 京都大学 東南アジア研究所の清水教授を案内して、介護施設、アモーレの里を訪問した。教授の専門は文化人類学だが、フィリピンへの退職者の移住というテーマにも取り組んでいるとのこと。また、留学も含めてフィリピンに7年滞在した経験を持つフィリピン通だ。  アモーレの里の 岸田さんの話によると、4月中に、地下のレストラン、厨房、クリニック、スパ、など運営に必要な最小限の施設を完成し、6月開業とのこと。現在、地下の工事が鋭意進められていたが、1階の居室については全室、ほぼ完成しているとのこと。  教授は、施設の充実度は日本の有料老人ホームと比較してもそん色ないと絶賛していた。また、日本の介護の状況を考えると、フィリピンで介護ということが切り札になろうとも仰っていた。このことはフィリピンの雇用を創出するばかりでなく、介護保険の破綻がささやかれている日本の現状においては日本の政府をも救う手立てとなろうとのこと。  しかし、その良さを理解して海を越える決断を介護老人にさせるのが難儀であることも事実で、突破口として誰がどんな策をとるべきかなど話し合った。その中で、具体的かつ比較的簡単にできるであろうことは、PRAが、介護が必要な両親を申請者の同伴者と認め、追加の定期預金なしに両親を同伴できるという施策ということになった。60歳の定年を迎え、フィリピンなど海外で暮らしたいが、介護が必要な両親のために日本を離れられない、というような状況にある退職者にとって、1石2鳥、あるいは3鳥の解決策となるだろう。   アモーレの里の岸田さんはオーナーである兄、あるいはPRA退職者クラブの家田会長などを動かして、PRAアグリパイ会長に本件を働きかけてみるとのことだった。なお、このアイデアは私がPRAに在籍しているときにマルセロ副長官を通じて働きかけていたが、日の目を見ないままでいたもの。

介護施設‐アモーレの里の進捗状況2009年3月25日


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 マカティ在住の退職者が美人局の被害に遭った。以下その方のレポートだ。  3月12日夕方5時ごろ、マカティのグリーンベルトの噴水付近で休んでいると、二人の若いフィリピーナに声をかけられた。「今、何時?」から始まって、コーヒーショップでお茶を飲むことになり、後で考えると実に巧妙に誘われた。10月には交換留学で日本に行くことになっている女子大生という触れ込みで、もう一人の女性は同じ部屋に住んでおり、今日が誕生日だという。 家で誕生パーティをやるから一緒に来ないかと誘われ、食材とビールを買ってカラオケなどを楽しんだ。ひとしきりすると一人が誕生ケーキを買いに行くといって出かけ、女子大生と二人きりになった。  街までケーキを買いに行っているから1時間は帰らないと、件の女子大生は執拗に誘ってくる。悲しいかな男の性で、段々その気になってくる。女子大生は言うことを聞かないせがれをたくみに奮い立たせ、丁寧にコンドームまで装着してくれて、行為に至った。その後、彼女はやたらと痛がり、トイレの便座は鮮血で不自然によごれていた。やがてケーキを買いに行った女性と、さらに別の女性が現れ、女子大生を慰めていた。その間女子大生は私に腰をさすらせて、その震えを感じさせるという迫真にせまった演技だった。  さらに女子大生の兄という男が現れ、妹は18歳のバージンで、自分はポリスだと脅された。さらに年の行った女性が現れ、今から病院に連れて行くから手術代が50万ペソかかるという。パニックに陥っていた私はクレジットカードで35万円(17万5千ペソ)分の支払いを薬局で決済してしまった。その後、撮ったはずの彼女らの写真が私のカメラから削除されていたので、騙されていたことに気がつき、クレジットカード会社に連絡を取って決済を中止するよう依頼して、幸いにも金額的な損失は免れた。 退職者が被害にあったグリーンベルトの噴水付近  こんな見え透いた詐欺にまさか自分がひっかかるなんて、思いもよらなかった、振込め詐欺もきっとこんなものなんだろう、というのがこの退職者の感想だ。いざ渦中の人となると自分を見失ってしまうものなのだ。次に、別の手口をアンヘレスのホテルのガードから聞いたので紹介する。  某国の退職者が街で女性と知り合いになり、ホテルに連れてきた。18歳ということなので中に入ることを許したが、その直後に警官が現れ、18歳未満の少女にセクハラをしようとしたということで、退職者を逮捕してしまった。少女は16歳で、理由は何であれ、18歳未満のアンダーエイジと行為に至ると犯罪である。退職者は示談ということで10万ペソを支払い釈放してもらったが、これは明らかに警官と16歳の少女がぐるになって仕組んだものだ。  だからホテルのガードは同伴の女性にはIDの提示を求め、18歳以上であることの確認と身元を調べる。一見面倒くさいが、顧客をこの手の犯罪から守る重要な役割なのだという。  そもそも、この年になってこと女に関していい話があるはずがない。100%金が目当てだ。しかも法外な金額だ。ならば、その手の店でリーゾナブルな対価を払って一時のアバンチュールを楽しむべきだ。ホテルのガードも、「素人は危ない、店で買ってくるのがもっとも安全」と言っていた。いざとなったらお店にクレームできるし、お店が厳しく管理しているから問題ないというのだ。お店がバーファイン(連れ出し料)の半分以上取ることが搾取以外の何物でもないと思っていたが、それも安全のためのコストと思えば高いものではないのかもしれない。

美人局にご用心2009年3月23日