風俗・風物


ビアハウスとは文字通りビールを飲ませる場所だが、日本のビアガーデンやビアホールと違い、女性がお相手をしてくれる場所だ。もちろん相手をしてもらうためには、その女性にビールをご馳走しなければならないが、自分が飲むと50ペソとかせいぜい100ペソ止まりで、大変安くてうれしいのだが、女性の場合の料金は200とか300ペソもする。しかしそれ以外は基本的に何もかからないので、よしとするしかないのだが。 ビ アハウスはフィリピーノ庶民の癒しの場として、全国津々浦々にある。横丁で、はでなピンクや赤い光があったらそこはビアハウスだ。中では若いけれど もちょっと太目の女性が退屈そうに客を待っている。あるいは下手な歌をがんがん歌っている。中にはいるとママさんらしきおばさんが女性はいかがです か、とまずは聞いてくる。面食いの私にはまず誰も選ぶことができないのだが、仕方がないから、一番若い人などといって、人任せにしてしまうことになる。それでビールということになるのだが、彼女たちは、よくまあと思うほどビールをガブガブ飲みする。だから大概の女性が太っているのだ。 ビアハウスの女性は連れ出しができる店もあるそうだ。地方では1000とか1500ペソ程度ですむそうだが、女でさえあればなんでも、というような人向きかと思う。特にタガログ語がほとんどできない私にとっては会話を楽しむこともできないし、なんともお付き合いのしようがないのだ。 マカティ市内でもちょっとはずれるとビアハウスが点在している  アルバイ ポランゲ 私 の家のあるビコール地方アルバイ県周辺のビアハウスで働く女性はほとんどポランゲという町の出身だそうだ。ポランゲでは女の子が生まれると両親が大変喜 ぶそうだ。この子が大きくなったら売春婦として働いて家計を助けてくれるといって。そんなことが今のご時世にあるはずがないと、巷のことに詳しいある女 性に尋ねてみたが、本当だというのだ。そうなったら、その本家本元のポランゲにあるビアハウスに、ことに真偽を確かめに行くしかない。しか し、私の農場から車で一時間もの距離にあり、夜中、酔っ払い運転をするわけにもいかず、長い間、実現しなかった。 先 日のホリーウイーク明けの日曜日、日本からの訪問客とともにフィリピーノの案内で伝説のポランゲを訪問した。小さな街で、ことの真相は確かめることは […]

豆辞典 ビアハウスは庶民の遊びどころ


        キ リスト教徒が大半を占めるフィリピンでは、人生の最初のビッグイベントはバプティスマル(洗礼式)だ。世間への紹介を兼ねたバプティスマルでは両親の親 戚、友人、等が集まり、両親の資金力に応じて盛大なパーティが行われる。バプティスマルの儀式により、クリスチャンとして認められる一方、不病息災と幸 せな生涯を送ることができると信じられている。バプティスマルは原則として生後1年未満に行われるが、両親のパーティ資金の都合により、1歳を過 ぎてから行われることもある。通常は節約のため、1歳の誕生日を兼ねて行われることが多いようだ。 洗礼式の名の通り、頭に水をかける どこでもやり方は同じ(フィリピン人夫婦の次男の洗礼式)  フィリピン人は見栄っ張りで外国人が好きだから、あなたの知り合いに子供が生まれたとしたら、まずニノン・ニナン(God Farther・Mother) になってほしいと頼まれるだろう。これを決して断ってはいけない。友人であるフィリピーノと家族としての絆を築くチャンスでなのだ。ニノン・ニナン になると生涯、後見人として誕生日やクリスマスにはギフトをやり、そして就職の世話など、何かと面倒を見てやらなければならない。一方、その子供はあな たをファミリーの一員として一生忠誠を誓うのだ。したがって、両親は、出来るだけ力のある人、地元の有力者やお金のある外国人を依頼しようとする。ち なみに、かのマルコスは10万人の子供のニノンになったそうだ。 バプティスマルを無事に終えて喜びのご両親(日本人とフィリピン人のカップル) […]

豆辞典 バプティスマル(洗礼式)は人生のスタート



フィリピンでは、例え幾つになっても誕生日は、一年間に一度だけ誰もが自分に着目し祝福してくれる大切な行事だ。どういうわけか、皆お互いの誕生日を承知していて、その日が来ると“Happy Birthday”と声をかけあう。何とも友達がいがあって良い習慣だ。特に高齢者の誕生日は、長寿ということで特に祝福される。 歯科医小林さんの69歳の誕生日は盛大なものだった 来客に挨拶する小林さん 事務所では、ある日突然、スナックや昼食が皆に振舞われる。聞いてみると名前も聞いたことのない職員の誕生日だというのだ。フィリピンでは誕生日を向かえた人が皆に振舞わなければならない。これを“Blow out”といい、ポケットを空にしてまで皆に振舞うのだ。だから皆お互いの誕生日を覚えているのだろう。“Happy Birthday”と声をかけるのは、昼食を振舞って頂戴という催促でもあるのだ。もちろん誕生日プレゼントを上げるのはごく親しく大切な人あるいは恋人くらいで、ひたすら“Happy Birthday”の一言で振舞いにありつく。 バースディは事務所全体で祝うのが慣わしだ 薄 給職員にとってこの出費は痛手だろう。しかし、これをやらないと“けちんぼ”と陰口をたたかれるので、ひたすら皆、無理をする。だから私は誕生日を内 緒にしている。誕生日プレゼントをくれそうな人だけに教えるというわけだ。というわけで当事務所では毎月一度誕生会を開催して、その月に生まれた人を 祝うことにしている。もちろん費用は会社持ち。それでも個人的に宿舎で別途一人一人誕生会をやっている。これがフィリピーノの最大の楽しみなのだす。 今月は、この4人が誕生日を迎えた

豆辞典 いくつになっても誕生日はおめでたい


キリスト教徒が大半を占めるフィリピンでは、人生の最初のビッグイベントはバプティスマル(洗礼式)だ。世間への紹介を兼ねたバプティスマルでは両親の親戚、友人、等が集まり、両親の資金力に応じて盛大なパーティが行われる。バプティスマルの儀式により、クリスチャンとして認められる一方、不病息災と幸せな生涯を送ることができると信じられている。バプティスマルは原則として生後1年未満に行われるのだが、両親のパーティ資金の都合により、1歳を過ぎてから行われることもある。通常は節約のため、1歳の誕生日を兼ねて行われることが多いようだ。 洗礼というくらいだから本当に水をかける  フィリピン人は見栄っ張りで外国人が好きだから、知り合いに子供が生まれたとしたら、まずニノン/ニナン(God Farther/Mother)になってほしいと頼まれる。これを決して断ってはいけない。友人であるフィリピーノと家族としての絆を築くチャンスなのだ。ニノン・ニナンになると生涯、後見人として誕生日やクリスマスにはギフトをやり、そして就職の世話など、何かと面倒を見てやらなければならない。一方、その子供はあなたをファミリーの一員として一生忠誠を誓うのだ。したがって、両親は、出来るだけ力のある人、地元の有力者やお金のある外国人を依頼しようとする。ちなみに、かのマルコスは10万人の子供のニノンになったそうだ。  ニノン・ニナンを頼まれたら、必ずしもバプティスマルに出席しなくてもいいのだが、最低500ペソ程度のお金を渡す必要がある。親しさの度合いにもよるが、日本人なら、最低1000ペソを渡す必要があるだろう。両親にとっては、これがパーティの費用をまかなう貴重な収入源にもなっているそうだ。このパーティ費用が賄えない貧困層の両親はマス・バプティスマルといって、教会で子供たちを集めてまとめてやってしまうこともあるそうだ。こうして、フィリピーノはたくさんのニノン・ニナンに見守られて人生の第一歩を踏み出すのだ。 先日友人の子供のバプティスマルに招待された。教会で行なわれたバプティスマルの参加者は20人程度と意外と少数だったが、パーティではなぜか式よりもはるかに沢山の人がいた。一緒に出席したフィリピン人に聞いたら、当然とのことだった。フィリピーノもなかなかちゃっかりした人が多いようだ。

バプティスマル(洗礼式) 2008年6月24日



 フィリピンにやってきて、まず目に付くのがジープニーと呼ばれる公共交通手段だ。全国津々浦々、毎日たくさんの人々をのせて走り回っているのが、このジープニーだ。ジープニーとはもともと戦後アメリカ製のジープを払い下げ、公共の輸送手段に使ったのが始まり。唯一の純粋国産車で、全国で10万台といわれる数のジープニーが日夜、乗客を乗せて走り回っている。エンジンはほとんどが中古のいすゞ製のジーゼルエンジンで、大気汚染の元凶ともなっている。  ジープニーは路線が決まっていて、一日中、同じ路線を走っている。料金は4kmまで一律で、4kmを越えると1kmにつき1ペソ加算される。特に特定の駅はなく、どこでも止まって客が乗り降りできる。これがまた渋滞の元凶であり、どこにでも突然止まるジープニーにドライバーはいらだつ。たとえぶつかったとしても、あのステンレスあるいはブリキ製の頑強なジープニーはびくともしない。壊れるのはこちらだから、ただひたすら、The King of Roadといわれるジープニーに道を譲るのみだ。 まさに美女と野獣だ  ジープニーは路線マップもなにもないわけだから、このジープニーが一体どこへ行くのか、車のフロントガラスに書かれた行き先の地名から判断するしかない。街の地名を熟知していないと、たとえ乗り込んだとしても意図したところに行くかどうか神頼みだ。マニラでジープニーを乗りこなせたら、もはや一人前のフィリピン人なのだ。  私も10年以上フィリピンにいて、やっと二つの路線、パソンタモ通りの自宅とマカティスクエア(日本食レストランやカラオケがたくさんある)の間の路線、および事務所の近くのカラヤアン通りを、やはりレストランや遊び場がたくさんあるマカティアベニューまでを結ぶ路線を乗りこなせるようになった。たった 7.5ペソでしかもほとんど待たずに乗れるジープニーは大変重宝な乗り物なのだ。  さて、料金の渡し方だが、これが感心するのだ。ジープニーは運転手だけのワンマンカーだが、後ろのほうに乗った乗客は、バヤッド・ポといって、料金を乗客から乗客へと手渡する。そして、お釣りがある場合はやはり手渡しで戻ってくる。これでお金を払った客と払わない客をどうやって見分けるのかと、不思議に思うのだが、無賃乗車などは皆無だそうだ。 降りるときは目的地が近づいたら、パラと言って止めてもらうか、その言葉を忘れたら天井をこつこつとたたけばとめてくれる。ただ、速やかに降りないとまだ足が地面に着く前に動き始めてしまうので、転ばないように、気をつけなければならない。一度、パラという言葉を忘れてしまい、天井をたたこうとしたら、天井が柔らかくなっていて、音が出ない。それであせって、Stopと叫んだら、誰かがパラといってジープニーを止めてくれた。フィリピン人はそんな時とても親切なのだ。  フィリピーノに通勤距離を聞くと、ジープニーの乗り換え数(1 ride あるいは2 rides等)で答えることがよくある。通勤時間が結局乗り換え数で決まるということだろう。もしかしたら通勤費のことを言っているのかもしれない。簡単に行けることを、ジープニーに一回乗るだけ(One […]

フィリピン名物ジープニーを乗りこなそう 2008年6月21日


マニラではやたらと一方通行が多い。左折禁止についても左折できる交差点を探すのが大変なくらいだ(フィリピンでは車は右側通行なので右折禁止ではなくて左折禁止が多い)。これがマニラの道路を複雑にしており、ドライバー泣かせとなっている。そのような交通規制が無い場合と比べて道を覚えるのに10倍くらいの労力が必要になっているのではないか。マニラ在住10年以上というベテラン3人が、どこか新しいレストランに行くことになって、一体どこを通ったらそこへ車で行きつけるのか喧々諤々の議論になってしまうほどだ。もちろん交通規制まで網羅したような気の利いた道路地図があるはずもない。行きと帰りでは道順が違うし、時間帯で規制が変わってしまう場合もあり、せいぜい自宅と事務所、行きつけの食堂など数点を結ぶ道路を覚えるのがやっとだ。だから、通いなれた通勤路をタクシーでいく場合は、タクシーに道順を教えてやらなければならないほど。たとえプロでもなれていないところはわからないのだ。  そんなドライバーの弱みに付け込んで、間違いやすい場所には必ず交通警官が隠れていて、車を止めて得意げに交通違反であると告げ、免許証を要求する。大概の場合は免許証にうまく500ペソ札を忍び込ませて無罪放免となる(フィリピーノなら100ペソ程度が相場らしい)。逆に酒気帯び運転やスピード違反についてはほとんど取り締まっていない。これらの違反を捕まえることと、その証明に手間がかかるので小遣い稼ぎとしては割に合わないのだろう。  これらの交通規制を実施しているのはMMDA(Metoropolitan Manila Development Authrity)という機関だ。マニラの交通を複雑にしているため、道順が限定されてしまい、いたるところにボトルネックが生じ、交通渋滞になっている。また、ほんの近場でも大回りしなければならず、ガソリン代や大気汚染もバカにならない。挙句の果てに交通混雑を解消するために、カラーコーディングと称する車のナンバープレートの末尾番号により、週に一度運転できない日をもうけるなど、市民をいじめることを楽しみにしているとしか思えない横暴非道ぶりだ。  結論としては、マニラでは車を持つなどという贅沢はあきらめて、ジープニーやトラシクル(サイドカー付きバイク)あるいはパジャック(サイドカー付き自転車)に乗ってつつましい市民として生きて行けということなのか。あるいはいっそ究極のエコカーである馬車にでも乗ったほうがいいかも知れない。マニラの下町であるチャイナタウンでは馬車が現役で活躍しているのだ。  

MMDAの横暴非道 2008年6月20日



 マニラ、マカティにあるカラオケ「アカシア」が250万ペソで売りに出た。ちなみにカラオケ「アカシア」といえば1980年代後半から20年以上営業を続けてきたカラオケの老舗中の老舗だ。現在ではマカティアベニュー沿いの「大好き」、「ナポレオン」、パソンタモ通りの「夢の中へ」、「カルチェ」などと共に数少ない家族的なカラオケの一つだ。現在はマニラの下町のエルミタ地区あるいはマカティのパサイロード沿いも大型のショークラブ的カラオケが隆盛で、カラオケよりもショーを見に行くという雰囲気が強い。  長年、フィリピンの駐在日本人企業戦士を慰め続けてきたカラオケも栄枯盛衰が激しく、生まれては消え、消えては生まれる歴史を繰り返してきた。最近はジャパユキさんが日本にいけなくなったせいで、日本が話せるGRO(Guest Relation Officer、要はホステス)が激増し、大半を占めるようになっている。1990年代はマカティのカラオケは駐在員用、マニラエルミタ地区のカラオケは観光客用と住み分けられていたのだが、最近は企業の接待費の使用が絞られたせいか、マカティのカラオケも観光客を相手にしないと生きていけなくなったようだ。 かつてマカティにはほとんどいなかった日本語を話せるGRO が、今や日本語は必須となっている。すなわちほとんど全員が日本のどこかで働いた経験があるのだ。また、これら観光客相手のカラオケはイリュージョン、アップステージ、ブルーエンジェル、シアワセ、ニュー・サチなどパサイ通りあるいはパソンタモ通り沿いの大型店が主体で、昔ながらの駐在員相手のアカシヤ、夢の中へなどのカラオケは隅のほうでひっそりと営業を続けている。  日本人駐在員のおじさん達がフィリピーナと仲良くなるというのは、現実的にカラオケくらいしかない。普通のオフィスレディは鼻も引っ掛けてくれない。しかし、カラオケはビジネスだから、GROは得意のホスピタリティを発揮して、なんともやさしく対応してくれる。これがお互いに大きな勘違いを呼んで、本当の恋人同士になってしまうのだ。したがってカラオケは駐在日本人男性の恋人予備軍の基地という役割を果たしていたのだ。そして幾多の恋物語を生み出してきた。(ところで日本人用カラオケは決して女性を連れ出してホテルへ連れて帰るなどと言う場所ではないので、誤解のないように。その点、ゴーゴー・クラブ、ショー・クラブ、置屋、等とは一線を画している。)  同伴という制度が日本から導入され、店は積極的にGROに客との同伴を奨励している。最低週一回の同伴を義務付けているところもあり、それが達成できなければ首とか、厳しいノルマを課している。この同伴がどうにも勘違いを呼び起こすきっかけのような気がするが、50過ぎのおじさんと20前後の小娘が二人で恋人同士のように食事をしているはいかにも奇妙な光景だ。しかしはじめから、1対1の同伴は気が引けるので、必ず、同伴の同伴がいて二人でやってくる。だから二人分の食事をご馳走しなければならない羽目になってしまう。  GROは上記のノルマを達成するために、今様は携帯電話を駆使している。なじみの客には朝昼晩と一日3回、10名近い客にメールを打つそうだ。一回1ペソだから、彼女達にとってはかなりの出費だ。文面は How are you? Did you finish […]

カラオケ・クラブの栄枯盛衰 2008年6月13日


長年、フィリピンの駐在日本人企業戦士を慰め続けてきたカラオケも栄枯盛衰が激しく、生まれては消え、消えては生まれる歴史を繰り返してきた。最近はジャパユキさんが日本にいけなくなったせいで、日本が話せるGRO(Guest Relation Office、要はホステス)が激増し、大半を占めるようになった。1990年代はマカティのカラオケは駐在員用、マニラエルミタ地区のカラオケは観光客用と住み分けられていたのだが、最近は企業の接待費の使用が絞られたせいか、マカティのカラオケも観光客を相手にしないと生きていけなくなったようだ。 大型カラオケの雄、イルージョン  かつてマカティにはほとんどいなかった日本語を話せるGROが、 今や日本語は必須となっている。すなわちほとんど全員が日本のどこかで働いた経験があるのだ。また、これら観光客相手のカラオケはイルージョン、アッ プステージ、ブルーエンジェルなどパサイ通りあるいはパソンタモ通り沿いの大型店が主体で、昔ながらの駐在員相手のアカシヤ、夢の中へなどのカラオケは隅 のほうでひっそりと営業を続けている。 パサイロード沿いには10軒ほどの大小カラオケがある  日 本人駐在員のおじさん達がフィリピーナと仲良くなるというのは、現実的にカラオケくらいしかない。普通のオフィスのレディ達は鼻も引っ掛けてくれない。しかし、カラオケはビジネスだから、得意のホスピタリティを発揮してなんともやさしく対応してくれる。これがお互いに大きな勘違いを呼んで、本 当の恋人同士になってしまうのだ。したがってカラオケは駐在日本人男性の恋人予備軍の基地という役割を果たしていた。そして幾多の恋物語を生み出 してきた。(ところで日本人用カラオケは決して女性を連れ出してホテルへ連れて帰るなどと言う場所ではないので、誤解のないようにしてほしい。その 点、ゴーゴーバー、ナイトクラブ、置屋、等とは一線を画している。) 家族的雰囲気をかもし出すカラオケ […]

豆辞典 カラオケは日本人ご用達の社交場



フィエスタ(Fesitival) は日本のお祭りと同様に、地方ごと、町ごとに異なる日に開かれる。その季節になると毎日のように隣町のフィエスタに出かけていき、親戚や知り合いの家に 集まりご馳走にありつくのが楽しみなのだ。事務所のある地域のフィエスタでは屋台が並んだ 外 国人にとっては地方ごとに趣向を凝らした出し物が観光の楽しみとなっている。セブのシヌログなどが有名で、フィリピンに住んでいたらフィエスタめぐりなども いいのではないだろうか。しかし、有名な祭りとなると、どこのホテルも予約でいっぱいで、ホテルがなかなか取れないのが難点だ。 タバコ市のフィエスタのパレード。有名なフィエスタでもない限りこんなもんだ あ る程度の有力者の家となるとフィエスタの準備で前々日くらいから大変だ。一人の知り合いを呼ぶとその一族郎党がジプニーでやってきて大量の食事を平らげ ていく。数百人から数千人の客が来ることもめずらしくなく、ありったけの鍋と皿で料理を用意しなければならない。祭りの料理にレチョン(子豚の丸焼き)は欠かせない。半年ががりで育てた子豚が大量に丸焼きにされ、豚にとってはフィエスタは災難の日となっている。 フィエスタの目玉はご馳走(特にレチョン)にありつくこと。パレードなどは地元に人にとっては重要ではない フィ エスタが近づいてくると、町をこっそり逃げ出す人もいる。周囲からはお金持ちと見られてはいるものの、ここのところ商売の按配がよろしくなく、不特定多 数の客人もてなす資金の余裕がないのだ。そのため、仕事でどうしても海外へ、などと口実をつけて町を離れるのだ。しかしまじめな人は、なんとしてでも 皆の期待に答えようと、なけなしの貯金をはたくかあるいは借金までして、料理を用意する。そして、その借金の返済のために、来年のフィエスタまで一生懸 […]

豆辞典 フィエスタ(祭り)訪問


ゴーゴークラブといえば夜のマニラの顔といえるくらい、いかにもマニラらしい光景だ。かつてはマニラの下町、エルミタのデルピラール通りにひしめいていたが、1990年 代初頭、当時のマニラ市長リムが(先の選挙で上院議員から再びマニラ市長に返り咲いたが)がすべての店を閉鎖してしまった。現在はマカティ市マカ ティアベニューから右に入ったブルゴス通り、そしてエドサ通りがマニラ湾沿いのロハスボリバード通りにぶつかる手前、エドサ ・インターナショナル・ エンターテイメント・ コンプレックス(通称エドコン)に集中している。それからマニラの北、高速道路を2時間くらい行ったアンヘレス市(Angels City)のフィールドアベニューはその規模は圧倒される。 ゴーゴークラブ街のブルゴス通りの左側 同じくブルゴス通りの右側 ゴーゴークラブのステージではツーピースで曲に合わせてだるそうに体を動かしている(アンヘレスにて) ゴーゴークラブは数十のテーブル席の前に舞台があり、10人程度のビキニ姿の踊り子が気のない踊りをしている。しばらくすると交代して新しいグループが出てきる。そして気にいった子がいたら席に呼んでドリンクをおごる。自分で飲んでいる分にはビール一杯100ペソ程度で安いのだが、レディズドリンクはなぜか200~300ペソと値段が跳ね上がる。もともと、連れ出し専門のところだから、気に入った子がいないと、一杯で切り上げて次へ店へと駒を進める。だからゴーゴークラブは固まってあるのだろうか。連れ出し料はバーファインといって店に払う分と女の子に直接払う分を合わせて3000~4000ペソ程度。店に全部払うシステムのところもあるようだ。事前に女の子にいくら払えばよいかママさんに確認しておいたほうがよい。 マカティ市制記念日にはゴーゴーガールが通りへ繰り出して営業中 そ もそもゴーゴークラブは欧米人の観光客を当てにしたもので、支払いに厳格な欧米人に合わせて、一杯飲むつどに請求書にサインしておいていく。その合計 しか要求されないから、いたって明朗会計だ。しかし、店によっては女の子が寄ってたかってレディズドリンクをせがみ、いいよ、いいよと鼻の下を長くし […]

豆辞典 ゴーゴークラブはフィリピンの夜の顔