風俗・風物


  フィリピンは、日本ではあまり知られていないカジノ天国だ。マニラ下町、エルミタ等の高級ホテルにはカジノが併設され、たくさんの人でにぎわっている。マニラにはかつて4箇所だった本格的カジノがに加えて3箇所のカジノがオープンされ、スロットマシンなどの簡易なカジノはネットワールドホテル、パンパシフィックホテル等にもある。またセブ、ダバオなど、主要な地方都市にも立派なカジノがある。 フィリピンのカジノはPAGCOR(Philippine Amusement and Gaming Corporation)という100%政府に所有された会社(公社)が独占的に運営している。いわゆる公営ギャンブルで、民間の会社が行うには免許を必要とする。PAGCORのトップはEfraim C. Genuinoといい、その資金力をバックに、アロヨ大統領のバックボーンとして大統領府に貢献し政界に大きな影響力を持っているそうだ。 マニラのカジノ 最近マニラにオープンしたカジノはラスベガス、マカオにも劣らない大型で豪勢なものが多く、一兆円の拒否を投じてモールオブエイシアの南の一帯に Entertaiment Cityと銘うってカジノ・リゾートを建設しマカオに次ぐカジノ天国を創設しようとしている。マニラ空港からはスカイウエイが建設中で、空港からのアクセス も抜群となる(2016年追記)。 リゾートワールド(ニューポートシティ、パサイ市) […]

豆辞典 カジノへの誘い


フィリピンの国民の90%がキリスト教徒と言われているが、そのうちのほとんどはカ ソリックであり、日本の神社のように全国くまなく教会があり、それぞれの町のランドマーク的存在になっている。カソリック以外は10%程度で、モルモ ン、エホバの証人、プロテスタントなどがありますが、活発に活動しているのは、イグレッシア・ニ・クリストなどの新興宗教だ。イグレッシア・ニ。クリストは、 フィリピン全土いたるところに規模こそ違え、ほとんど同じデザインの教会を建て、活発に信者を集めている。その他、エルシャダイと言われる踊る宗教があるが、その名前から私はてっきり博多かどっかのお祭りの山車か何かとトンチンカンなことを考えていた。その他にボナゲンとか零細の宗教団体がたくさ んあるそうだ。     スペイン統治時代に立てられた由緒あるタバコ教会  フィリピン人はアジアに位置しながら、ほとんどが敬虔なクリスチャンであり毎週日曜の朝、教会周辺は、お祈りに来る車や人で一杯だ。これは地方に行くほど激しく、街中の人が教会へ行き、家は空っぽになってしまう。たとえカラオケなどで夜の勤めをしているGRO(ホステス)でも同じで、日曜の早朝、仕事が終わった後、3時~5時に教会へ行って、まず祈りを捧げてから家路につくのだ。特にホリーウイークやクリスマスの宗教行事には帰郷した人々が一時に繰り出して、メインストリートは人で埋め尽くされる。 教会の祈りを終えて家路に向かう人々(St.Paul教会、マカティ) タバコ 教会の内部 ホリーウイークの行列(タバコ市)、後方に教会の塔が見える   イグレッシア・ニ・クリストはマナロ神父を教祖として、全国展開を果たした新興宗教の雄で、その町の規模あるいは信者の数に応じて大きさのの違う教会を建てている。教会の前面には誇らしくIGLESIA NI CRISTOと掲げ、一目でそれとわかる。信者は、豚の血を食べてはいけない、教会では正装で行かなければならない、スカートはくるぶしまでのものを着なければならない、また、さらに収入の一部を寄付しなければならない、などの厳しい戒律があるそうだ。 カソリック系新興宗教の雄、イグレシア・ニ・クリストの総本山 […]

豆辞典 フィリピンの新興宗教



1992年、ツーリストベルトと呼ばれ、毎夜多くの観光客を集めていたマニラの夜の顔マルセーロ・デルピラール通りに衝撃が走った。当時市長であったアルフレド・リムがすべてのゴーゴークラブなどのいかがわしい場所を閉鎖すると宣言したのだ。そんなうわさを聞いてたずねてみると、確かに、今までネオンを瞬かしていた、別称、猫、星、泡、花などのゴーゴークラブの入り口には10cm角の角材で等身大のXマークがつけられ封鎖されていた。どうせ、政治家の点数稼ぎで、せいぜい賄賂がほしくてやっただけだろうと大方の人がたかをくくっていた。しかしながら、いつまでその封印は解かれず、お店のほうはあきらめて、パサイ、マカティ、あるいはアンヘレスへとちりぢりになり、あのツーリストベルトは姿を消してしまったのだ。 たとえ、店を封鎖したところで、売春をしなければ生きていけないような人々がいる限り、売春は決して根絶できない。あるいは、売春といえでも生きるためのぎりぎりの選択であり、彼らの生きる権利を奪い去るものである、等々喧々諤々の意見を交わしたものだが、我々同士でそんなことを言ってみてもはじまらない。それから15年、人々に忘れ去られたデルピラール通りは夜もひっそり見る影もない。一方、同じエルミタ地区のアドリアチコ通り、マビニ通りなどは、健全(?)な発展をとげ、多くのレストラン、カラオケ、ショーハウスがオープンし、かつてのツーリストベルトの面影を漂わせている。 アドリアチコのオープンレストランには観光客が一杯 ところが、2005年、そのデルピラールの一角にLAカフェなるものが出現しただ。単なるカフェでコーヒーやビールを可愛らしいウエイトレスが運んでくれるところだ。ところがいつしか男女の出会いの場として、口コミでうわさが広がり、多くの観光客が集まるようになり、店は拡張に拡張を続け、通常の大型レストランの4~5つ分の規模にまでになった。中はいつも外人観光客で一杯だ。そして、その観光客のお相手になろうというフリーの売春婦が大量に集まってくるのだ。彼女たちは男性客の声がかかるまでひたすら待ち続け、声がかかると早速交渉が開始される。店が管理しているわけではないので、支払ったお金が全部彼女たちのものになる。そのためかなりの割安で遊べるそうだ(1000~1500ペソ)。 LAカフェの入り口 ところが、男と女の交わる場所にはどういうわけかママさんたるものが出現し、客に、いい子がいるよと盛んに薦めてくる。なんだか普通のゴーゴークラブと似たような状況になってきている。当然のことながらママさんは女の子の実入りをピンはねするのだろう。しかし入り口近くのフロアーは立錐の余地もないほどに混みあって、今やマニラで一番熱いスポットになっていることは間違いない。ちなみにここは24時間営業だ。   LAカフェの内部 マニラ市長から上院議員に出世したアルフレド・リムが何故か、さきごろ行われた統一選挙で、マニラ市長に返り咲いてしまった。そのため、LAカフェをひいきにしている日本人は、あの1992年の悪夢が再現されるのではないかと、夜も眠れずにいるそうだ。そして、その後、その悪夢が実現することになったのだ。しかし、幸い、名前を変えてすぐに復活した。 LAカフェは昼も夜も24時間営業

雑記帳 デルピラールの復活


ジョリビーといえば、蜂を模した人形で子供たちに絶大な人気をほこるファーストフードチェーンだ。1990年初頭から全国展開をはかり、マクドナルドを凌駕し、ファーストフード業界No.1の地位を誇っている。業務形態とメニューはマクドナルドと全く同じだが、味付けや品揃えをフィリピン人向けにアレンジして、人気を確保している。しかし、それよりも子供向けにテレビ宣伝を展開し、泣く子も、ジョルビーに行こうといえば黙るようにまで、子供の心をつかむことで成功した。 ジョリビーの外観 ジョルビーの看板人形は子供の心をつかんでいる 1990年当時は勃興期で、目ざといフィリピン人はジョリビーの株式に投資することを勧めていた。当時はジョリビーのほうがテナント募集に熱心で、100万ペソ(当時400万円)もあれば出店できるということで、出店を勧誘していた。それが現在は出店のためのロイヤリティだけで25百万ペソ(約6千万円)と跳ね上がっている。ハンバーガーを売っていかに、それだけの投資を回収するのか疑問だが、街のそこかしこに出店されたジョリビーの勢いはとどまるところを知らない。 ジョリビーの内部 ハンバーガーが主体なのですが、フィリピン人の食生活にあわせ、朝食はご飯にロンガニサ(ソーセージのようなもの)、あるいはチキンのから揚げなどが100ペソ近くして、決して安いものではない。一般のフィリピーノ・ファーストフードであれば、50ペソ位で食べられる。味も決して良くない。しかも野菜が全くついておらず、われわれ日本人には、とてもいただけない食事だ。高くて、まずくて、健康に良くない、それがジョリビーの食事だ。それでもどこも満員で、超人気だ。それは、子供達にとってジョリビーで食事することが無常の喜びであるからなのだ。 ジョリビーのカウンター テレビ宣伝にあれだけ金をかけ、ロイヤリティだけで25百万もするのですから、高いのも当たり前だ。しかし、子供たちの要求に親は答えなければならない。無理しても、ジョリビーに行って、まずい食事を取ることになる。私はジョルビーそして中華系ファーストフードのチョーキン、外資系のマクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどがフィリピンの食文化を破壊している、と思う。フィリピンにはもっと安くておいしいものが沢山あるのに、地方の街に行っても、ジョルビーにむらがる人たちを見ていて、残念でならない。そんな、自分も地方に行くとつい、名の知れたジョリビーで食事してしまう。メニューと味がどこでも同じであることに、なぜかつい安心感を持ってしまうのだ。 ローカル系ファーストフードの雄、チョーキン

雑記帳 ジョリビーはフィリピンの誇り



フィリピン国家警察、通称PNP(Philippine National Police)は、正義の味方というより、悪の味方あるいはPNPそのものが犯罪組織という印象が持たれている。最近起きた日本人の射殺事件でも警官そのものが容疑者として捕らえられ、その証言者までが殺されるという事件がおきた。日本ではあたりまえの交通マナーにしたがって運転していても、なにかとイチャモンをつけて捕まえようとする。もちろん狙いは500ペソ程度の賄賂だ(フィリピン人なら100ペソ程度が相場のようだが)。一体、フィリピンにおいて警察は庶民の味方なのだろうあるいは敵なのか。 PNPの総本山、キャンプクラミの入り口、内部は広大な街のようになっている かつて私は、公然と警察は庶民の敵と言ってきた。ところが最近、PNPのCIDG(Criminal Investigation and Detective Group、警視庁捜査一課のようなもの)の若手エリート刑事に出会って、考え方を一変させた。かれはPNPアカデミー(警察大学大学院)を卒業した後、PNPに入りダバオ警察署長を経て、現在CIDGのSuperintendent (大佐級、カーネル)で、数年の内にはゼネラル(将校)にならんかという人物だ。正義感にあふれ、うそと賄賂が大嫌い、そのため、この地位にありながら、車も家も持っていないという、正義派熱血漢だ。しかしながら、フィリピン人特有のやさしさは並大抵のものではない。 キャンプクラミに入り口近くにある本庁建物 ヘッドクオーターという文字が誇らしげに掲げられている この人とは、ある退職者が被った被害の届け出をCIDGに出したのがきっかけに知り合ったのだが、現在では家族的付き合いをして、私をダダ(おやじさん)と呼んで親しくしてくれている。冒頭のような警察官の不祥事を耳にすると、この人は悔しさに歯を噛み締めている。いつか、この人が全国12万人の警察官の頂点であるPNP長官になって、警官の規律を正し、フィリピンが世界一安全な国と胸を張って言えるようにしてほしいと思っている。 キャンプクラミの中は普通の街並み ところでPNPのランクはSPO1、SPO2、SPO3、SPO4、ルーテナント、キャップテン、メジャー、カーネル、ゼネラルというようになっており、ルーテナント以上はオフィサーでPNPアカデミーの卒業生でなければならない。SPO1から4までは1990年以前は大学を出る必要はなかったが、それ以降はすべて大学卒で占められているそうだ。只のビールの飲みすぎで大きなお腹をした警察官を街でよく見かけるが、この人たちは90年以前採用の警察官が大半を占めているようだ。PNPアカデミーはかつて大学院で、大学を卒業した後、難関を突破したエリートが学ぶ警察幹部の養成学校だったが、現在は普通の4年生の大学になっている。ただし、学生である間も給与がもらえるので、年間300人の枠への入学は至難の技とのことだ。 大きな都市の警察署長はメジャーないし、カーネルで、ゼネラルになると、フィリピンにある17の地方(Region)の警察長官になれる。その中の一人がPNP全体の長官になるわけだ。ちなみにPRA(退職庁)元会長のゼネラル・アグリパイは数代前のPNP長官だ。やはりPNP長官ともなると威厳に満ち溢れているが、その気さくさや決断力はさすがと思う。またそれよりも彼の前では、今まで生意気そうに振舞っていたフィリピーノが直立不動になってしまうのが、おかしくてならない。 […]

雑記帳 フィリピン国家警察は庶民の味方か


お祭りも結婚式もレチョンがなければ始まらないとまで言われるフィリピンフードの王様、レチョンとは子豚の丸焼きだ。炭火の炎熱でゆっくり焼き上げて作るレチョンは皮がぱりぱりして、これをレバーで作ったソースをつけて食べると、フィリピーノはお祝いの気分に浸ることができるのだ。一般の庶民にとって年に数回しか味わうことのできないレチョンは、フィエスタ(お祭り)には欠かせません。そのためフィエスタが近づくと、それぞれの家は手塩にかけて育てた生後3~4ヶ月の子豚をきれいに洗い内臓を取って、レチョン専門の業者に依頼して、レチョンを作る。これにパンシット・カントン(フィリピン風焼きそば)とビールあるいはタンドール(ローカル・ブランディー)があればフィエスタの準備は終わりだ。そして不特定多数の来客に備えるのだ。 あわれな子豚と思うなかれ ところで丸焼きにされる子豚はたまらないが、これも定め、どうあがいたところで、食べられるために生まれてきたのだから、仕方がない。私もビコールの田舎で豚を飼っており、とても可愛らしいのだが、必要以上に親しくならないように心がけている。なぜかというと、数ヵ月後には、胃袋に収める運命にあるのだから、情が移ってはいけないと思うのだ。 つぶらな瞳で可愛い子豚なのだが   フィエスタならいざ知らず、農場を訪ねてきた友人や家族を歓待するために、一匹の豚をレチョンにするわけに行かない。子豚といえども20kg~30kgは優にある。一人200g食べても、100人分以上になってしう。先日、息子が訪問した折、豚の頭だけをレチョンにするというのだ。はじめはクリスピー・パタ(豚足のから揚げ)を期待していたのだが、豚の頭のレチョンはレチョンの中のレチョンだというので、しぶしぶ承知した。なにか残り物を食べさせられるような気がしたのだが。さて、はじめに手をつけるのがほほの肉、真っ白で脂肪の固まりかと思いきや、なにかあっさりしたゼリー状で、そのおいしさにびっくり。後で知ったことだが、焼肉牛門ではこれを豚のトロとしてメニューに載せていた。日本ではとてもお目にかかれないが、きっと養豚業者がその家族だけで内緒で食べてしまい、市場には出回っていないのだろう。 なんとも言えない表情の息子 豚の頭のレチョンは飛び切りのご馳走   マニラ、パラニャケのロハスボリバード沿い、バクラランの近くに有名なレチョン専門店がある。カマヤンなどでも生まれたての子豚を丸焼きにするところを見せて、客寄せにしているが、是非試してみてほしい。ただし、おいしいからと言って食べ過ぎないようにすること。かなり高カロリーだと思う。 バクラランのレチョン専門店 レチョンの店頭販売

雑記帳 お祭りにはレチョンが欠かせない



ファイブシックとはその名の通り、5と6だが、フィリピンでは主にインド系のフィリピン人が商いにしている高利貸しのことを指す。マーケットでは、ボンバイと呼ばれるインド人がバイクに乗っ て店を回っているのをよく見かける。彼らはそれぞれの店から貸した金の返済金を回収しているのだ。彼らは一旦でもお金を貸すと20%の利子をつける。すなわち5借りたら6戻さなければならないから、5-6(Five Six)と呼ぶのだ。たとえば1000ペソ貸すと、毎日40ペソ返済し、一ヵ月後に1200ペ ソ返済することになる。きわめて高い利子だ、商売の仕入れ資金が滞ったような時、その場で審査無しの信用で貸してくれる。このような街金融はきわ めて便利な存在で、毎日の商売の利益から少しずつ返すので、さほど苦にならずに返済が可能だ。まさに、この毎日の割賦返済がこの商売が成り立っている 仕組みなのだ。 街中を走っている、トライシクルも同じような仕組みで成り立っている。サイドカー付のバイクは現金で8万ペソ程度で手に入るが、それをリースにして貸し付けるのだ。借り手はそのバイクを使って商売をして、貸し手に毎日125ペソ程度支払い、それを5年間続けるとバイクは自分のものになる。ガソリン、修理、等すべて借り手の負担だ。これを利子に計算すると年間60%、月々5%程度になる。大変高い利率だが、125ペソという金額はトライシクルを運転していると払える金額で、生活費(200~300ペソ/日)もなんとかまかなえる。生活の手段を与えられることと5年後はトライシクルのオーナーになれるということから、借りて手はいくらでもいる。 さらに街中を走っているタクシーやジープニーもほとんどがバウンダリーという支払いを行ってオーナーから車を借りて営業をしている。車の状態や、時間等で違いうが、600~800ペソ/日程度のバウンダリーを支払って、ガソリン代を負担し、それでも一日、300~500ペ ソ程度の収入になり、生活していくことができる。外資系会社の社員が海外駐在などで小銭がたまると、車一台を買って、タクシーに仕立て、人に営業させて 小使い稼ぎをしたりしている。最近はガソリン代が大幅に上がって日本と大差がなくなったのに、タクシーの初乗りはたったの30ペソ(80円)と日本の10分の一程度でやっていけるのか不思議だ。車の値段もほとんど日本と一緒なのにだ。 話をもどして、ファイブシックスはフィリピン人もやっている。しかし、一見儲かりそうでも、まずはうまくいかないのでまねしてやって見ようなどとは思わないほうがよい。一ヶ月あたり10%の利子をつけ、貸すときはその10%を前取りする。そして毎月利子分10%を支払わせ、元金はまとまった金が入ったとき払わせることとする。100万ペソの元手があると、月々10万ペソ入ることになり、こんなに利回りの良い商売は他にはないだろう。 はじめてしばらくはよくお金が回って好調なのだが、しばらくすると利子の支払いが滞ってくる人が出てくる。もちろん元金も返すはずもない。お金が一回りする3ヶ月位で10%ぐらいが不良債権と化してしまう。利子がどんどんたまっていき、返済金が何倍にもなるともうどうしようもない。担保を取ろうにも家には何もない。強く返済をせまると日本の街金融と同じになってしまい人非人呼ばわりされる。一年も過ぎると半数くらいが不良債権と化してにっちもさっちも行かなくなる。そういうことで元金くらいを何とか回収できたからもう辞めようか、ということになる。借りたまま一回も利子を払わずにチャラになった人は、きっとほくそ笑んでいることだろう。でも1000ペソのお金も返せない可愛そうな人たちなのだが。 この商売のコツは、まず日本人は決して表面に出ないこと。日本人が顔を出すと、金持ち日本人になぜ金を返さなければならないのか、私たちは貧乏なんだから恵んでくれるべきだ、といって、誰もお金を返してくれなくなる。2番 目のコツは、金のない、あるいは返済能力のない人に金は貸すな、だ。ビジネス用には金は貸しても、生活資金としては、金は貸さないことだ。それを突き 詰めていくと銀行のように、保証人だの、担保だの、となってくる。そこまではしなくても、その金が金を生んで返済ができるか、あるいは当座の資金であっ […]

豆辞典 インド人のビジネス ファイブシックス


フィ リピンにやってきて、まず目に付くのがジープニーと呼ばれる公共交通手段だ。全国津々浦々、毎日たくさんの人々をのせて走り回っているのが、このジープ ニーだ。ジープニーとはもともと戦後アメリカ製のジープを払い下げ、公共の輸送手段に使ったのが始まりで、唯一の純粋国産車で、全国で10万台といわれる数のジープニーが日夜、乗客を乗せて走り回っている。エンジンはほとんどが中古のいすゞ製のジーゼルエンジンで、大気汚染の元凶ともなっている。 街を我が物顔に走るRoad of Kingこそジープニー  ジープニーは路線が決まっていて、一日中、同じ路線を走っている。料金は4kmまで一律で、4kmを越えると1kmにつき1ペソ加算される。 特に特定の駅はなく、どこでも止まって客が乗り降りできる。これがまた渋滞の元凶であり、どこにでも突然止まるジープニーにドライバーはいらだる。 たとえぶつかったとしても、あのステンレスあるいはブリキ製の頑強なジープニーはびくともしない。壊れるのはこちらだから、ただひたすら、Road of Kingといわれるジープニーに道を譲るのみなのだ。 Kingの風格にふさわしいこの面構え  ジー プニーは路線マップもなにもないわけですから、このジープニーが一体どこへ行くのか、車のフロントガラスに書かれた行き先の地名から判断するしかない。街の地名を熟知していないと、たとえ乗り込んだとしても意図したところに行くかどうか神頼みだ。マニラでジープニーを乗りこなせたら、もはや本当の フィリピン人だ。 […]

豆辞典 フィリピン名物・ジープニー



カラーコーディングとは、マニラの交通渋滞を緩和するために、MMDA(Metropolitan Manila Development Authority)が車のプレートナンバーの末尾番号により、一定の曜日には市内を走ってはならない、という規則を定めたものだ。ちなみに末尾番号、1と2は月曜日、3と4は火曜日、5と6は水曜日、7と8は木曜日、9と0は金曜日、朝の7時から夜の7時まで、マカティ市およびパサイ市など一定の地域で運転することが許されない。土曜と日曜日は制限がないが、例え自家用車を持っていても週の一日は使用できないということになる。大変不便な制度で、私の場合、末尾番号が1なので月曜に車ででかけようとすると、今日はだめなんだと毎週、この制度をうらむことになる。特にこんなときに雨が降ってタクシーが拾えないとなると怒り心頭に達してしまう。 プレートナンバーの末尾番号0は金曜日には運転できない これはタクシーなどにも適用され、売り上げの20%近くも失うとなるとタクシーオペレーターにとっては死活問題だ。ところがこれが案外評判いいようなのだ。まず、お金持ちの方々は必ず2台以上の車を持っていますから、車を代えるだけです。その上渋滞が減るとなると、大いに結構ということになる。車のメーカーにとっても大歓迎だ。20%の車が減れば、マーケットの大いなる拡大で、お金持ちはカラーコーディング用に大衆車をもう一台購入することになる。そのため、ビリッジのお屋敷にはベンツやBMWに混ざって、カローラやセントラ(日産サニーの現地名)などの大衆車が週に一回おでますために置いてある。なんという資源の無駄遣いだろうか。 どうもこの国の制度は、お金持ちのためだけに定められているような気がするが、貧乏人の僻みだろうか。ある時、会計会社の偉いさんを接待したおり、シャングリラホテルのシャンパラスという高級中華料理店で食事をしながら、カラーコーディングの制度について文句を並べた。この制度は貧乏人を苦しめ、お金持ちや車のメーカーが喜ぶだけで、渋滞緩和の役になんか少しも立っていないと。彼はお金持ちのかたわれだから、この制度を支持しているといっていだ。それで、彼は、隣の席で食事している人はMMDAの長官で、彼がこの制度を始めたのだから、直接文句を言ったらどうかというのだ。この地のお役人の偉いさんに文句を言っても始まらないので、黙っていたが、どうにもわかっとらんと憤懣がおさままらなかった。それから、10年近い月日が経っているが、この制度は成功というお墨付きが出されたのだろう。未だに私は毎週月曜日には腹を立てているのだ。まさにブルーマンディなのだ。 ちなみにこの規則に違反した場合は、1500ペソの罰金を課せられる。これはフィリピンでは大きなお金だ。プレートナンバーは、外から見ても一目瞭然なので警官が厳しくあるいは喜んで取り締まる。それで皆、致し方なく守っているようだ。こんな悪法を許しているなんて、フィリピーノ庶民は何を考えているのだろうか。しかし、車を持てるフィリピン人はむしろ一握りで、ほとんどの人がバスやジープニーを利用しているわけだから、カラーコーディングですこしでも渋滞が緩和されるということは彼らにとっても大いに意義のあることかもしれない。1台しか車をもてない中途半端な小金もちは、この国では少数派なのだろう。 ちなみにフィリピンにはシニアシチズンシップというありがたい制度があって、60歳以上になると、ほとんどあらゆるものがディスカウントされる特典だ。しかし、原則、外国人には適用されない。しかし、マカティ市では、外国人のシニアには特典としてこのカラーコーディングを免除してもらえる。これをブルーカードと言うが、私もこれを取得して、一週間に7日、車が使えるようになっている。

雑記帳 庶民の敵 カラーコーディング


   サ リサリとはタガログ語で“何でも”という意味。自分の家の軒先に小さな窓を設けて、日用品雑貨、飲み物、スナック等を売るコンビニエントストアーの原型だす。一坪から数坪の店で、必要なものは何でも置いてある。塩、調理用油、調味料、洗剤、歯磨き等々、その日使う分を小分けにしておいてあり、その日の 数百ペソの稼ぎで暮らす人にとっては大変重宝だ。最近では携帯電話のロード(フィリピンの携帯電話はほとんどがプリペイド方式で、事前に払う通話料を ロードという)も小分けして売っているのにはびっくりした。 サリサリストアーの典型 住宅街に行くと、50mおきぐらいにサリサリストアーがあって、家を出れば数十歩で買い物ができるという究極のコンビニエントストアーと言える。値段としては割高だが、それはサリサリのオーナーはスーパーで仕入れ、それに利益を乗せるのですから、当然だ。ちなみに、煙草一箱は、スーパーなら25ペソ程度で買えるものが30ペソ。道端のベンダー(道端でタバコ、スナック、飲み物を売る人たち、サリサリの小型版)は40ペソ程度だから、良心的かもしれない。さらにこれらサリサリあるいはベンダーは、この煙草をさらに小分して、2ペソで一本づつ売るのだ。スーパーにはサリサリ用に洗剤等を小分けにして、20枚程度つなげた商品を置いている。サリサリではそれを仕入れて店の中に吊るして、一枚づつ売るというわけだ。だから、サリサリでは数ペソから数十ペソ単位の商いが普通なのだ。 私が利用するサリサリは大型店ともいえ、24時間営業 5本入りのタバコが袋入りでつながって売っている サ リサリは、場所さえあれば、数万ペソで商売が始められる。軒先を改造して、冷蔵庫を置き、あとは商品を仕入れれば、即商いを開始することができる。サ リサリの窓口は通常簡単な鉄格子がはまっていて、商品を出し入れできるだけのスペースが開いているだけだ。これは商品を持ち逃げされないための用心なのだろう。24時間営業のサリサリもあり、まさに巷のコンビニエントストアだ。セブンイレブンもフィリピンのサリサリにヒントを得たのかもしれない。 サリサリストアーの内部は商品であふれている サ リサリで買い物する人たちはほとんど日銭を稼いで生活している人たちで、常にその日の生活に汲汲としている。すなわちその日の糧もない人たちが多く、サ […]