風俗・風物


いよいよ大晦日、今年も盛大にクリスマス兼年越しパーティが行われた。しかしながら、はしゃぎすぎたのかKIANは熱を出して体調不良だ。 しばらく休んで体調を回復したKIANはパーティの余興に参加。それまでの不調が嘘のようにパフォーマンスを披露する。パーティ・ボーイの面目躍如だ。   CIMG4570 写真番号をクリックして、KIANの踊りの動画をみてください しかし、パーティが始まるころには再びダウン。 肝心の家族一同の記念撮影に参加できなかった。 それでも気力だ回復して復帰。クリスマスプレゼントの配布に参加。 12時の鐘がなると、悪魔祓いの儀式が開始される。   そして、深夜の食事会、これで今夜2回目の食事だ。。        外では、この日、犠牲になった豚の料理が早朝まで続けられた。これは翌日のアランの5人目の子供の洗礼式(バプティスマル)のものだと後から知った。

恒例のクリスマス兼年越しパーティ 2016年2月11日


今年のクリスマスイブは数十年振りの満月となった。曇りがちだったが、見事な満月の写真を撮ることができた。夜はもっぱら農場で過ごしていたが、ビザの発行を待っている間、農場を訪問された退職者を伴って、タバコの夜の街を散策した。 タバコ市の夜はクリスマスの飾り付けで賑わい、市役所前の広場はなんと雪だるまが並んでいた。 大晦日の夜は花火で新年を迎えるのが慣わしで、街は爆竹と花火の煙でかすむ。市役所の前には年に一度の花火売りの屋台が並ぶ。 昨年は子供達が喜んでいたので、今年も大量に花火を仕入れようとしたが、ママ・ジェーンのきついお達しで、アティ・キムとKIANが見張っていて、購入を断念した。毎年、全国で花火の事故でけが人が続出するためだ。特に中国製の花火は暴発して危険だとママ・ジェーンは眉を吊り上げる。 マーケットの前の駐車場は、衣類、果物などを売る店で屋台で埋め尽くされていた。 特に果物は豊富で、これは丸いものは福を呼ぶ縁起物であるためらしい。 私の好物のダランダン(柑橘系)も豊富だった。 年末年始の田舎町は故郷にUターンした人々で人口が2倍程度になっているのではないかと推定されるが、それにしてもこれだけの豊富な物資が並ぶということは、フィリピンも豊かなのだとさえ感じる。 この地方の名物のピリ・ナッツも豊富だ。カラメルを絡めたのが主流だったが、最近はガーリック、塩、など味付けも多彩になった。私は、単純に炒ったものが好きだ。  食べ物の屋台は、やはりチキンのから揚げが圧倒的だ。 ロンガニサと呼ばれるソーセージも多いが、赤い卵(塩漬け)に興味を示すKIAN。 KIANは毎週、2回、公文に通って、足し算を勉強しており、5歳にしてはかなり算数の達人になりつつある。その公文がこんな地方都市にも進出している。

クリスマスの街は屋台で溢れていた2016年2月11日



フィリピンはクリスマスをもっとも長く楽しむ国というのが定説で、10月に入ると、街はクリスマスの飾りでにぎわい始める。さらに11月1日のハロウインが終わると、街はクリスマス一色だ。そこで、クリスマスの飾り付けを紹介したい。 我が家のクリスマスランタンとコンドの入り口の飾り 高級コンド街、ロックウエルのパワープラントモール内部の飾りつけ、このトナカイは電動で動くすぐれものだ       マニラ空港(NAIA)ターミナル3はキリストの生誕の場面で飾り付けをしている マカティスクエアの和食レストラン街、リトル東京内ではバンドが入っていた、主要な飾りはなんと提灯だ マカティ市の目抜き通り、アヤラアベニューは毎年、道路の端から端まで精細なイルミネーションで色どられる シャングリラホテルのロビーはさすがに見事な飾り付けだ           最近、土曜のランチでお世話になっている「はつはな亭」の入っているHERALD SUITES Hotel のロビー 久しぶりに立ち寄ったCITY OF […]

クリスマスがやってくる2015年12月21日


今年もハロウィンの季節がやってきた。KIANは一週間も前からハロウィン、ハロウィンと楽しみにしていたが、幼稚園でのパーティではたくさんのお土産をもらって、喜んで帰ってきた。そして、今日、10月30日はコンドミニアムのパーティだ。コンドの敷地の一角に簡単な準備がされ、そこでお土産の配布やゲームをやっていた。子供達は(母親の)思い思いの衣装を着てやってきた。特に年齢制限はないが、11歳のアリヤはもう卒業とばかりに衣装を着けず、せいぜい小学校低学年までの子供達が参加していた。 アイアン・マンの衣装をつけてパーティに臨んだKIAN。少々、緊張気味だ。 ところで、ハロウィンとはなんなのか、ためしに、ビアンカやキムに聞いてみた。宗教的な行事なので、さぞかし詳しく解説してもらえると思ったが、意外とまともな答えが返ってこなかった。 そこで私がしたり顔で解説した。「そもそもAll Saint Day(万聖節)とは亡くなったすべての人が聖人となり、年に一回、家族とあうことができる日だ。そのため、生と死の世界の境界の扉が開かれる。そうする と、霊界の妖怪などが生の世界にやってくる。子供達がこれらの妖怪の格好をして家々を回り、キャンディなどをせしめて歩く」、それがハロウィンなのだ。 この説明に納得したのかしないのかわからないが、ふんふんと興味なさそうにうなずいていた。子供達が衣装をまとって、キャンディももらって楽しむ、それでいいではないかといった感じだった。 ハロウィンパーティではしゃいでいるのは子供達よりもお母さん方のようだ。 プレゼントを配ったり、ゲームを始めると、KIANの反応が今一だ。普段の活発さと裏腹にわけがわからずぼけっとしている感じだ。いわれるがままに写真に納まるだけだ。 しかし、キャンディをもらいに家々を回る段になってにわかにKIANらしさがよみがえった。どうもタガログ語が不自由なKIANには、係りの人の説明が理解できず、何をしたらよいのかわからなかったらしい。 家に帰った後、その話をママ・ジェーンにして、タガログ語の禁止を解除したらどうかとアドバイスした。そうしないと、家庭や学校の外で、周囲の話について行けなくなるし、すでに英語は身についているので、タガログ語を聞いたり話したりしても支障は出ることはあるまいと。しかし、フィリピン人の子供にフィリピン語(タガログ語)を話すことを許すなんて会話は、フィリピンだけでありうる会話だろう。   キャンディをもらいに家々を回ることになって、やっとKIANらしさが戻ってきた。

ハロウィンパーティ 2015年11月5日



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8月24日、家族法の改正案が下院を通過した。これは外国人配偶者と離婚したフィリピン人の再婚を容易にするもので、これで消滅している婚姻に縛られて再婚ができない幾多のフィリピーナが救われることになるだろう。従来、仮に日本での離婚が成立していても、フィリピンでさらに裁判所の裁定がない限り、フィリピンでは既婚者と記録されており再婚ができなかった。ジャパユキさんの試練 2010年7月7日 それが、日本の裁判所が発効した離婚証明書をフィリピン大使館で認証し、それを提出すれば、再婚可能となるのだそうだ。詳細な手順は不明だが、フィリピンでの裁判は、15万ペソ程度のお金と半年の時間がかかるので、離婚して帰国したジャパ行きさんが手続きを行うことはまれだった。特に、偽装結婚で日本にわたり、その後、離婚手続きをして帰国したジャパ行きさんは、一生涯、結婚ができないとうとんでもない高い代償を支払わなければならなかった。彼女らは日本からは離婚を証明する戸籍謄本などを渡されて帰国するのだが、フィリピンで離婚を成立させるためのハードルが高すぎるのだ。 市長室で行われた結婚式。市長さんの署名で、婚姻証書が成立する そもそも、フィリピンには離婚という制度がない。これは世界中に二ヶ国しかないという時代錯誤の法律といわれているが、これにより、数多くのカップルが正式な配偶者とは別れた後、新しい配偶者とは事実婚で夫婦生活をしている。確かに、相続とかややこしい問題さえなければ、事実婚でも子育てや夫婦生活には支障はないだろう。 ただし、離婚に代わるものとしてアナルメントという制度がある。これは、この結婚が、そもそも存在していないと裁判所に訴えて裁判所の裁定で結婚を取り消すことができるのだ。しかし、それには数百万ペソの費用と数年の歳月が必要なので、財産のあるお金持ちの特権となっている。 教会で厳かに執り行われたジェーンの結婚式。ここでは牧師の承認で結婚が成立する 日本人がフィリピーナと仲良くなって、いざ結婚となると、何故かフィリピーナが躊躇することがある。その場合、ほとんどが、件のフィリピーナは過去の婚姻歴のために結婚資格がないのだ。特に日本帰りの場合は、ほとんどがそうともいえる。この結婚資格/独身証明はシノマ(Certificate of No Marriage)と呼ばれ、NSO(National Statistic Office)にて発効される。結婚をほのめかす彼女にシノマはあるかと聞いたら、敵はびっくりしてひっくり返るだろう。 日本人の場合は、戸籍謄本に出生から、婚姻/離婚、子供、死亡まで、すべて記載されているが、戸籍制度のないフィリピンの場合は、出生証明、婚姻証明、独身証明、死亡証明など、それぞれが独立の書類となっており、個人の履歴が把握しにくい。たとえば、結婚しようとしているフィアンセに子供がいるのかどうか、調べようがないのだ。ただし、どういうわけかその辺についてフィリピーナ決して嘘をつかず、堂々と子供がいると宣言する(聞きもしないのに)。 ジェーン夫妻は教会での式に4ヶ月ほど先立って、裁判所でも結婚式を行った。届出に使った結婚証明は教会のものか裁判所のものか定かではない […]

家族法の改正で外国人との離婚手続きが容易に 2015年8月31日


三が日も開けた4日(日)、今をときめくオカマのタレント、バイス・ガンダが、なんと、こともあろうに大統領とトークショーを行ったのだ。数日前から、テレビで予告していたが、見逃すまいと、皆に檄を飛ばしておいた。参考ブログ「バイス・ガンダの物語 2014年2月24日」参照。 トークの内容は、大統領の私生活に関する他愛もない質問で、大統領は、笑みを浮かべながら質問に答えていた。たとえば、シャンプーは何を使っていますかなど、毛の薄い大統領に対して、予想外で他愛のない質問をぶつけていた。 アキノ大統領は私立の雄、アテネオ大学の出身だが、経済学を前大統領のアロヨに教わったとか、知られざるエピソードも紹介された。 それにしても一介のコメディアンが、大統領を相手に一時間番組をこなすなど、日本では考えられないことだ。一方、我が家の聴衆は、終始、笑顔で、バイスガンダの話術に聞きほれていた。私と言えば、写真を撮るだけで、彼らに何を話しているのかと聞いても、ちょっと訳しようがない、ジョークの連発だったらしい。

バイス・ガンダが大統領とトークショー 2015年2月7日



台風22号(ルビー)が、何事もなく過ぎ去って、街はいよいよクリスマス一色だ。何とはなしに、街には人が溢れている。19日(金)、若い退職者のビザの発行を無事に終えて、3時ごろ、事務所に向かったが、タクシー待ちの人がたくさんいて、タクシーがどうしても拾えない。ちなみに、この日、相棒のジェーンが友人のクリスマスパーティのためにパラニャケに出かけてしまい、車が使えなかったのだ。仕方なく、歩きとジープの組み合わせ事務所に戻ったが、途中雨が降り始めた時は、少々あせった。ジェーン曰く、「クリスマスパーティ真っ盛りで、人々は忙しくて、仕事どころではないのだ」と。 今年の年末年始の休みは24日(水)のクリスマスイブの特別休日から始まる。そして、25日(木)がクリスマスで休日、26日(金)はブリッジ休み、27日(土)と28日(日)をあわせると実に5連休となる。 29日(月)は平日だが30日(火)は英雄リザールの処刑の日で休日、31日(水)は一年の締めくくりの日で休日、翌年、1月1日は新年の休み、2日(金)はビリッジ休み、そして3日(土)と4日(日)を加えて、これまた、実に6連休となる。 5連休と6連休の狭間の29日(月)に働こうとする人はいないので、結局、24日から4日まで、12連休を取る人がほとんどだ。ちなみに、23日(火)は天皇誕生日で、日本大使館は休み。そうなると22日(月)も休んで、20日(土)から4日(日)まで、16連休が実現してしまうことになる。そんなに休んだとしたら、その間、一体何をしたらいいのか悩ましい、あるいは、商売をしている人は、半月も営業を止めたら死活問題だ。 したがって、今年は、15日の週と、22日(月)、23日(火)そして29日(月)しか残っていないことになり、PRAの玄関には、今年は22日、23日、そして29日しか営業日がないこと、そして来年の営業開始は1月5日(月)であることを誇らしげにアナウンスしていた。 しかも、最近のニュースでは、来年、1月15日(木)から19日(月)までローマ法王が来比するということで、首都圏に大渋滞の発生がする恐れがあり、MMDA(首都圏開発局)が、その間、5連休にするよう大統領に提言することが決まったそうだ。こんな休みばかりで、フィリピン経済はどうなるのだろうかと、余計な心配をしたくなる。 一方、この年末年始の大型連休を前に、KIANと言えば、サンタの大きな靴下を毎朝、調べるのが楽しみだ。4歳と9月目を迎えたKIANは、靴下の中にプレゼントを見つけると、「サンタがくれた」と、疑いもなく喜んでいる。         PRAの玄関に誇らしげ掲げられた年末・年始の営業日のアナウンスは、当方にとっては非情とも映る(左)。KIANはサンタの靴下をクリスマスプレゼントを生み出す魔法の袋とでも思っているのだろうか(右) マカティ北に位置するロックウエルは元発電所、その跡地に20年ほど前、最高級のコンドミニアム街が出現した。パワープラント(発電所)モールは小さめながら、高級感を漂わせる。  すべての店はクリスマスの飾り付けで覆われ、そこかしこにクリスマスのオブジェがしつらえられている。            サンタの出現にKIANは大喜び、サンタはKIANに「月曜日には幼稚園に出かけて行ってクリスマスプレンゼントをあげるからね」とささやいた。もちろんこれはジェーンが頼んだもので、私がトイザラスで買ったトランスフォーマーのおもちゃのことをさしている。KIANは、そんな作り話を素直に信じて、両手を挙げジャンプして奇声をあげて喜んでいた。  

年末年始の大型連休 2014年12月14日


モールと言えば、映画とゲーセン(ゲームセンター)はつきものだ。中でも、マカティ グロリエッタのゲーセンは群を抜いている。KIANも、ここが大好きだ。恒例のサイカでのランチの後、KIANにおもちゃかTime Zoneかとたずねたら、間髪をいれずにTime Zoneという答えが返ってきた。 私自身は、ゲーセンブームのかなり前に育っており、かつ、子育て時代にも、ゲーセンはブームとなっていなかった。思い出すのは、せいぜい、お祭りの夜店くらいのものだ。フィリピンに置いてあるものは、セガなど、ほとんどが日本で使い古したものを改造したもののようだ。しかし、中には最新のキャラクター、トランスフォーマーなどもあるが、これらの看板のゲームは、使い古しではなさそうだ。 4階は映画とゲーセンで、入り口ではカードにポイントをロードしてもらう。3人で1000ペソロードした。ゲームの景品の切符で再度ロードすることができる。 入り口にはトランスフォーマーのコーナーがあった。ここの売りらしい。 画面にあわせてダンスをする少女たち 小さい子供用の乗り物などもある 日本にあるかどうかわからないが、バスケットボールをゴールに入れるゲームが人気がある(右) KIANはヤヤ・ドナに見守られてゲームに夢中だ トランスフォーマーのゲームをゲットしてご機嫌のKIAN シェルのプロモのディスプレイの前で記念撮影

フィリピンのゲーセン、TIME ZONE(グロリエッタ) 2014年11月29日



昨夜、ビッグ・マミー(相棒のジェーンのお母さん)の髪が赤いのに、ふと気がついた。マミー(ママ・ジェーン)に聞いてみると、グスト・コ(好き、したい)と回答しただけだった。ジェーンとしてもお母さんに少しでも若く、きれいでいてほしいと言う娘心なのだろう。 長髪は若い娘の特権なのか、マミーともなると、皆、髪は短くしている。しかし、茶髪ブームは老若男女に共通のようだ。左がビッグマミー、右がマミー。 ちなみに、ビッグマミーは孫のジェムジェム(ジェーンの弟、ボボイの子供)とともに、一ヶ月ほど、我が家に滞在している。その前、一週間おいて、一ヶ月以上滞在していたから、かれこれ3ヶ月、ほとんど続けて滞在していることになる。その目的は定かではないが、特に田舎(ビコールノ農場)にいなければならない理由もないので、好きにしているのだろう。 相棒のジェーンは、我が家ではマミーと呼ばれ、我が家のボスとして君臨して、我が家のメンバー全員は、マミーの許可なしでは何もできない。しかし、ジェーンのお母さんの登場で、区別が付かないので、お母さんはビッグ・マミーと呼ばれ、やはり、義理の孫にあたるキムやヤヤ・ドナに指示を飛ばしている。本来ならばロラ(おばあさん)なのだが、農場では、現役でマミー役をこなしているので、まだまだ、引退してロラにはなっていないという意思表示なのだろう。 キムの同級生は長髪で一部茶髪だ 話を茶髪に戻すと、確かに最近、やたらと街に茶髪があふれているのが気にはなっていた。若い女性のほとんどが髪を染めている。20年ほど前に、日本で茶髪ブームが巻き起こったころ、フィリピンでは、長い黒髪はフィリピン女性の誇りであり、美の象徴だった。私は勝手に茶髪文化はフィリピンには受け入れられないものと信じていた。 しかし、昨今、あるいは今年に入ってから、にわかに茶髪が目立つようになり、あの1メートル近い長髪を見事に茶色に染めている女性も目に付く。カラオケに行っても、ほとんど100%のGRO(ホステス)が髪を染めている。 キムの友達は、服装を替える様に、髪の色や模様を替えて、まさにファッションとして着こなしている 流行に敏感な10代ともなると、女子大生の大半が髪を染めているそうで、キムの通うマプア工科大学でも茶髪はもちろん、金髪、赤毛、果ては青や緑の多色髪のオンパレードだそうだ。キムのコメントによると、火付け役はK・POPやJ・POPあるいはゴスプレイやアニメで多分に日本や韓国の影響によるものとのこと。ちなみにキムは黒髪のままだ。            まるで、その日のできばえを競うようだ             

フィリピンにも茶髪ブームが到来 2014年11月29日


フィリピンでは1歳と7歳の誕生日が特別な意味を持つ。日本の七五三のようなものらしい。KIANの一歳の誕生日では、農場で150人もの人を招待して盛大に催したが、この日は近所の子供、Luigi君の7歳の誕生日に招待された。 City Garden Hotel屋上レストランを借り切って行われて誕生会は、50人くらいの招待客でにぎわっていたが、ピエロやマジッシャンを呼んだ豪華なものだった。子供達は、ピエロやマジッシャンのパフォーマンスを楽しんでいたが、4歳のKIANもお兄さんやお姉さんに混じって負けずに参加していた。 KIANも7歳になったら、これに負けない誕生会を開かなければならない。きっと、レガスピの丘の上の土地に計画/希望しているレストハウスで、盛大に開くことになるだろう。3年後のブログに期待してほしい。 こんな誕生会を催してもらえるのは、中間層以上の子弟だが、フィリピンの子供に対する投資は日本の比ではない    マカティアベニューに位置するCity Garden Hotelの屋上からは、マカティの中心街を眺望する絶景だ        Happy Birthday Luigi~~~~~~と、どれだけ息が続くかのコンテストだが、KIANは、それが理解できず、Happy Birthday to youの歌を歌うだけだった。それでもアティ・キムは、たても上手とおだてて、KIANとしては達成感を感じたようだ。司会者は、KIANに「名前は何ですか」と日本語で聞いて、聞かれたKIANはどぎまぎしていた。私が、うろうろしていたせいか、てっきりKIANを日本人と思ったらしい。     子供達はマジッシャンのパーフォーマンスを真剣に見つめている。その後は、早めの夕食、子供向け料理に舌鼓をうつ 恒例の記念撮影の後は、プール遊び。この日KIANは水着を持ってこなかったので、誘惑に駆られながらも決して泳ごうとはしなかった。パパカーネルはパンツで泳げと促したが、すでに恥じらいを覚えたKIANは決して首を縦に振らなかった。翌日、私がKIANの水着を買いに言ったのはいうまでもない。 6時ごろにはすでに暗くなり、マカティアベニューやビル街の夜景がきれいだ           フィリピンで一番高いとされる新築のコンドミニアムが夜空に浮かび上がる。ホテルのクリスマスツリーの前で記念撮影におさまるKIAN

KIAN、誕生会に招待される 2014年11月23日