風俗・風物


夕食で皆が集まっているとき、KIANやキムが「ちんちん・たまたま」などと、はしたない歌詞の歌を声を張り上げて歌っていた。一体どこからこんな言葉を教わって来たのかと、問いただすと、流行歌だという。「たまたま」というのは、私の聞き間違いで正確には「タバタバ」であり、「タバ」はタガログ語でお腹の贅肉のことで、「マタバ」となるとデブちゃんのことだ。「ちんちん」は特に意味のない、語呂合わせの言葉だとキムが言う。 そこで、私が、それは日本語に違いないと説明する。誰か歌の製作に携わった日本人が「タバタバ」という言葉を私のように「たまたま」と聞き間違えて、その連想から「ちんちん・タバタバ」という歌詞が成り立ったのだろう。17歳の花も恥らう乙女のキムにはやんわりとその意味を説明して決してこの歌を日本人の前では決して歌うなと注意した。 後で、ジェーンにこの話をすると、即座に「ちんちん・タバタバ」と歌い始めた。かなりはやっているらしい。歌のタイトルは「TabaChingChing」で、歌っているのは、Sexbomb Girlsというセクシー・ボディを売り物にしている女性ボーカル・グループだ。 歌詞は以下のとおりだが、最近、巷に急増中のおでぶちゃんをからかった内容らしい、それにしても「ちんちん・ちんちん」と連呼して、赤面ものだ。そういえば、おでぶちゃんのカップルを集めてジムでトレーニングに励む様子を映したバラエティ番組(BIGGEST LOSER)をテレビでやっていたが、いよいよフィリピンもおでぶちゃんの急増を無視できない状況となってきている証拠だ。 TABACHINGCHING by Sexbomb Girls *Unfair ang buhay, dapat masanay […]

チンチン・タバタバ 2014年2月22日


我が家の日本食を保管するキャビネットは、ややもすると長いこと放置され、せっかくの日本食が賞味期限切れになっていることが多発する。なにしろ、炊事役のヤヤは、それが何であるかわからないから、私自身が食卓に引っ張り出さないことには日の目を見ることができないのだ。 先日、退職者の方から海苔をいただいたが、KIANの好物であることを思い出して、毎回、食卓に供することになった。そこで日本食キャビネットを開けてみると、2~3年前の湿気ってしまった海苔が大量に出てきたのだ。賞味期限どころか腐敗している恐れもあるので、廃棄処分にしたのは当然だ。そのとき発見したのがデズィニーのキャラを使った永谷園の子供用のふりかけだ。 誰かにいただいたものだが、封も開けずに放置されていた。賞味期限は若干過ぎていたが、乾物であるし、2重に封もしてあるので、よろしかろうと子供たちに振舞った。そうしたら、おいしいと皆が目を丸くしていたのだ。ふりかけはフィリピン人の好物であることは以前から認識していたものの、すっかり失念していた。魚や卵、海苔やゴマなどを原料としてできているのだから健康に悪いはずはない。KIANも喜んでいるので、野菜嫌いの子供たちには絶好の栄養補給になりそうだ。       そもそも、フィリピンの子供たちはご飯が主食であり副食でもある。ご飯におかずのソースをかけて味をつけて食べるのが普通で、他にはなにもいらないくらいだ。KIANにしてもご飯にポン酢をかけて食べるのが定番で、おかずがなければケチャップや醤油があれば、何とかなってしまう。そんな食習慣にふりかけはぴったりであって、醤油に比べればよほどましだ。 翌日、すでに20袋入りの一つがなくなっていた。これはあまりと思ったら、双子が学校に持っていって、皆に自慢をしたらしい。友達も喜んで食べていたとのこと。これはいけると思って、早速、日本食材店で探してみた。そうしたら、丸美屋と永谷園のふりかけがおいてあった。20袋入りで150ペソ、一袋7.5ペソ(17円)は、高い。しかし、日本で買えば、150円、フィリピンで作れば、50円くらいまで値段は下がるだろう。そうしたら庶民の食卓の定番となるのは間違いない。 そんなわけで、海苔とふりかけは毎回、我が家の食卓を飾ることになった。朝食は毎回、納豆と地鶏の生卵とご飯が半カップ、それにわかめと豆腐の味噌汁、たくあんと梅干少々、という私のメニューにも少々色を添えることになった。その影響で、KIANの食事も味噌汁と納豆にご飯、それにふりかけと海苔、という、まるで日本の子供のようになっている。まあ、普段、ホットドッグにご飯だけというような食事をしているので、それよりは大分ましだろう。 一方、すでにフィリピン庶民に定着しているのが、日本であまり見られなくなったお椀のマークの味の素だ。フィリピンでは欠かせない調味料となっている。はじめはビン入りだったそうだが、あまり売れないので小口のパックにしてみたところ飛ぶように売れ出した。小が5ペソ(約12.5円)、大が10ペソ(約 25円)。1回の料理に必要な分だけ入っているので、その日暮らしの庶民の味方となり、塩、胡椒、砂糖、調理オイルなどとともにサリサリ(街の小売店)の 定番商品になっている。このふりかけも、一袋づつ小口でうることが成功の秘訣だろう。

フィリピーノはふりかけが大好き 2014年2月18日



ご承知のとおり、2月14日のバレンタインでは、男性が意中の女性(妻やステディな恋人はもちろん)にバラの花をささげて、食事をともにするのがフィリピンの慣わしだ。一方、女性がチョコレートを配りまわるのは日本だけの習慣だ。 14日の朝、今にはこれ見よがしに豪華な赤いバラの花束が居間に飾られていた。もちろん、カーネルからジェーンへのプレゼントだ。朝一、一本の赤バラの花をおすそ分けしてもらったKIANは、それを持っていそいそと幼稚園に出かけていった。女先生にプレゼントするのだという。若い女先生の喜びようは目に浮かぶが、KIANのババエロ(女ったらし)の面目躍如といったところだ。 バレンタインに赤いバラの花束欠かせない。だから、その前日にはバラの値段が高騰する  現在、ジェーンのお兄さんのアランが居候しているが、この日、彼女とのデートは欠かせない。運転手役のジェーンの弟(ボボイ)も2泊3日でデートに出かけていった。二人とも4人の子持ちだが、前妻と分かれて、新しいパートナーの獲得に躍起だ。ジェーンは、カーネルからのバラの花束をばらして、数本づつ、彼らに持たせてやったそうだ。 さて、この日、カーネルは仕事でどうしても戻れないそうで、家に残ったのはジェーン、カーネルの娘のキム(17歳)、ボボイの双子の娘(8歳)それにKIANの5人だ。こうなると、特にデートの相手もいない私が皆に、ご馳走をしないわけにいかない。幸いサイカのポイントカードが2800ペソほどたまっていて、それを使えば、只で食事ができる。ちなみにサイカのポイントカードは客の少ない夜しか使えないので、長いことためたままにしておいたのだ。 ここのところカーネルはATMカードの詐欺事件で多忙で、この日も、護身用のショットガンを持って出かけていった。17歳のキムがガンを車に運んでいたが、薬師丸弘子の「セーラー服に機関銃」の歌を思い出してしまった この日はバレンタインデイというほかに、金曜日、そして給料日が重なって(フィリピンでは月に2回給与を支払うのが普通)大渋滞が予測された。サイカのあるマカティ・スクエアまでの道のり(約1km)は渋滞を極め、歩いて15分のところを車で30分かかったが、サイカは意外とすいていた。  ジェーンは刺身、キムには、彼女のお父さん(カーネル)の大好きなさば塩焼き、双子にはカツカレーとえびフライ、KIANには、いつものハーフ塩ラーメンを頼んでやった。そこで、秘密兵器として頼んだのが、特盛り枝豆だ。250ペソで、普通の枝豆よりちょっと高いだけだが、量が半端ではない。枝豆のほかにも焼き鳥など割り得の特盛りメニューがある  この枝豆が出てくるなり、ジェーンの目の色が変わった。ジェーンの久しぶりの大好物だったのだ。特大のお皿を引き寄せて、枝豆をわしづかみにして食らいついた。キムや双子は始めてみる枝豆に興味深々だったが、KIANは、豆飛ばしに、はしゃいでいたが、決して手をつけなかった。 そういえば、先日、日本観光旅行を終えて、いろいろお世話したお礼にと建築家のジーナに食事をご馳走になったが、大分遅れてきたので、このサイカで枝豆とビールをとって待っていた。残った枝豆を試してみて、これが未熟の大豆と知って驚いていたが、私が残した枝豆の鞘を指差して、食べていいかというのだ。びっくりして、それは食べるものではないと説明したが、彼女は鞘まで全部食べてしまっていたのだ。 ちなみに、枝豆は、たんぱく質だからお母さんの乳の出を良くするというし、若い女の子のおっぱいを大きくする効果があるという。この話は小さめのおっぱいのキムに話をするのはちょっとためらわれた。また、数十年前にアメリカ人が、日本に来てこの枝豆に感激したが、未熟の大豆と聞いてびっくりしたそうだ。アメリカでは家畜のえさとしか捉えられていないが、こんなにおいしいものだとは想像がつかなかった。アメリカで売り出したら、ヒットするに違いないと。現在は、きっとアメリカでもビールのつまみの定番になっていることだろう。  フィリピンの男性の最も忙しい2月14日は4人の女性とKIANを食事に招待して大役を果たした サイカでは男性客用にチョコレートを用意してあって、ひとつ持ってくると、思わず双子が手を出した。しかし、それが、わたし用であって、ひとつだけと知って、がっかりしていた。期せずして今年はチョコレートを一つゲットしたが、こんなことは10年ぶりのような気がする。

バレンタインデイと枝豆 2014年2月18日


最近、街を歩いていて目立つのがおでぶちゃんが急増していることだ。「3人寄れば二人はデブ」というのが、知り合いの建築家の女性の言葉で、細身の女子大生を探すのが容易でないぐらいだ。「太っていることは豊かな証拠で、美人の条件」というのがアラブ、そして南太平洋のサモアあたりでもも太目がもてはやされていたと思う。しかし、フィリピンは。そんなはずはなくて、セクシーが良いとされている。ちなみに、最近を話題をさらった、ミスワールドやインターナショナルもセクシーなスリム・ボディだ。いち早く20歳をこえて大人になったデバイン(右から2番目)は見る間に巨漢となってしまった。周囲のいとこ連中は当時まだ、15-6歳なのでセクシーなスリムなボディをしているが、数年もするとデバインの後を追うのだろうか 足がすらっとしてお尻の上がったフィリピーナの後姿はとても魅力的だ。それが最近は、そんな女性を見かけることが少なくなってきたのだ。最近、お世話になっているPRA指定クリニックの担当看護婦がPRAに出入りしているのだが、目も顔も体もまん丸の愛想のいい子だ。PRAから紹介を受けるときに、「あの太目の子?」と聞いたら、「太目ではないチャビー」だという。チャビーとは太くもやせてもいない、その中間という意味らしい。 KIANの出産後、60kgをこえっるまで太ってしまい、出産後、太目が解消するために毎日数時間ジムに通っているジェーンは、世間的には、もはや、やせの領域にはいるらしい。女性の視点では太目にたいしてとても寛容だが、明日はわが身ということなのだろうか。しかし、男性の目としては、依然、ウエストとヒップの比率は7:10の理想を譲るわけには行かない(たとえば、スリーサイズが10:7:10すなわち85cm、60cm、85cmなど)。それが10:10:10(90cm、90cm、90cm)というのでは、ちょっといただけない。ジェーンの同窓生が農場に集まってダンスを披露してくれたが、30代半ばになると、チャビーとは言いがたい女性が大半となる。右のオカマはスリムボディなのだが そもそもフィリピン人は野菜が嫌いで鶏のから揚げや脂身たっぷりのポーク・アドボ(豚肉のしょうゆ煮)、クリスピーパタ(豚足の油揚げ)などが大好きで、朝昼晩と大量の米を食する。さらに午前と午後のミリエンダ(おやつ)にスパゲッティやピザあるいはポテトチップなどのジャンク・フードをのべつ幕なしに食べる。それにコーラなどのソフ・トドリンクがことのほか大好きだ。ジョルビーやマクドナルドを上回る勢いのファースト・フード・チェーンのイナサールの売りは、鶏のバーベキューにお代わり無料のライスだ。 彼らは、おかずのソースをご飯にかけて食べる。そうすれば少ない具でもたくさんで食事ができる。おかずがなければしょうゆをかけて食べることもある。これが少ないコストで最大のエネルギー得て、大家族が生き延びるすべなのだろう。 ジェーンもデバインも女性の視点の標準ではチャビーということになるのであろうが、男性の求める標準では間違いなくオーバーウエイトだ こんな食生活が常識で身についている彼らは、貧しくて、3度の食事もまともにありつけない状況にあってはちょうど良い。しかし、経済の発展に伴う中間層の勃興により、多くの人々が食に不自由しない生活を始めている現在、このような食生活を根本的に変えないかぎり、街がおでぶちゃんだらけになるのは必然だ。  メディアは、相変わらずジャンク・フードやインスタント食品の宣伝に明け暮れ、コンビニの売れ筋もジャンク・フードとソフト・ドリンクが本命だ。国をあげて、早く食の改善に取り組まないと、国を滅ぼすことになりかねない。メタボ予備軍のKIANの食生活も周囲の意識の不足のためか、ジャンク・フードに席巻されつつあることに危機感を抱いている今日この頃だ。             ポッコリとしたおなかを誇らしげに見せるKIAN

3人寄れば二人はおでぶちゃん 2014年1月26日



 Sacred Heart Churchの式に引き続き、マカティの北、高級コンドミニアム街、ロックウエルにあるRockwell Clubで披露宴を行った。 私の役割は、日本人の招待客の足のない方を車で来た方に便乗してもらうアレンジ、そして無事に披露宴会場の席に案内することだ。そこで問題だったのは、入り口に並ぶ幹部候補生のために、すでに会場に入っていいのかどうか、さらに席のアレンジはどうなっているのか、見当がつかなかったことだ。誰かに聞こうにも誰にきけばいいのかさえもわからない。式をアレンジしたジェーン本人は花嫁で、見当たらないし、一々客のことを構っているわけにもいかない。田舎からかけつけたジェーンの兄弟たちもなにもわかっていない。そこで、意を決して、10人がけのテーブル、2台半を独断で確保して、連れも含めて約25名の方々を生バンドの前の一番良い席に案内した。  新郎の挨拶の後、すでに5時を回っていたので、早速食事の開始だ。テーブル数は10人がけのテーブルが15~6ほど用意されたテーブルは若干の空席もあったので、140~50人程度の参加者と思える。そのため、ビュッフェスタイル恒例の長蛇の列ができていた。 中央に新郎新婦の席が設けられ、その両側にニノンとニナンの席。 食事が一段落したら、生バンドをバックに定番のカラオケだ。この日は、キムと一緒に一ヶ月近く練習した退職者も得意の喉を披露した。新郎新婦も当然、一曲披露する。緑の服はプロ歌手のシャーロン。 ケーキカッティングの瞬間を撮ろうと多くのカメラマンが殺到。 クラブの前面のガーデンには子供達用のテーブルが置かれていた。だから、KIANは中と外を行ったりきたりだ。        いよいよ恒例の写真撮影、それぞれのグループごとに新郎新婦の後ろに並んで記念撮影だ。KIANは昼寝の時間でダダをこねている。   この日は、PRAのアチエンサGM、ノエル営業部長、フィリップ財務課長さんが駆けつけてくれた。 ハイスクール4人組、そしてキムとKIAN。姻戚関係の女の子の服装は赤に統一されて、皆新調の赤いドレスを着て、うれしそうだ。 パーティもそろそろ終わりに近づいて、新郎新婦がダンスを披露、それから、バンドのギタリストが得意のロックを披露。ギタリストとして有名なフランキーの演奏は、なかなか見ごたえがあり、退職者の方々も見とれていた。 最後はKIANが締めくくって幕を閉じた。KIANは退職者からいただいた現金のギフト(赤い封筒)をしっかりと握り締めていた。お金の持っている意味と力をしっかりと把握しているようだ。すべてを片付けて帰るころは8時になっていた。昼の12時ごろから約8時間の大イベントだった。

ジェーンの結婚式ー教会編(その2ー披露宴)2014年1月1日


暮れも押し迫った12月30日、ジェーンの結婚式がSacred Heart Church執り行われた。8月に市役所の裁判所で簡単な式を挙げたが、今回がいよいよ本番だ。当初、新郎と新婦共通の田舎、アルバイのレガスピ市で、行う予定だったが、マニラからの招待客の交通費やホテル代など膨大な費用がかかる見込みだったので、急遽、マニラで執り行うことになったそうだ。 田舎からは、結婚式に参加するために約20人のジェーンの姻戚がやってきて、もともとの住人を合わせて約30人が我が家に泊まった。クリスマス前からやってきていたので、この1週間はまさに子供達の喧騒で明け暮れた。さらにゲストハウスには10人程度の新郎の姻戚が泊まった。結婚式当日は、朝から女性たちは化粧や髪結いで大忙しだ。 1時半過ぎ、いよいよ、ホテルに泊まっていた新郎新婦が教会に到着した。昨夜からロックウエルのホテルに泊まった新郎新婦はリムジン(リンカーンコンチネンタル)でやってきたが、披露宴会場のロックウエルと教会の往復だけで15000ペソの大枚をはたいたそうだ。 新郎の右に位置する恰幅のよい肩はジェネラル・ソーサ、新郎(カーネル・ヤン)の上司にあたる。 教会の入り口はジェーンの姻戚の子供たち、この日のためにしつらえて赤いドレスで統一されている。右は新婦を迎えるために、ポリス・アカデミーの国家警察の幹部候補生たちがサーベルを持って新婦を迎える。 リムジンの中はまるで部屋のようで、新婦のジェーンを姪たちが囲む。KIANはジェーンと一緒になりたくて涙を浮かべている。KIANの左は化粧担当のバクラ(オカマ)。 いよいよ新婦の入場だ。軍服に身を固めた幹部候補生たちに付き添われてバージンロードを進むジェーン。一方、警官姿のKIANはママを迎えて、敬礼。         この日、式を執り行ったのは、Bishop Ruben Profugo、フィリピンのキリスト教界でNo.2の重鎮だ。彼は、我が家のはす向かいに住んでいる隣人でKIANとも親しい。そのため、Bishopは式のあと、この式はKIANの取り持つ縁であることを聴衆に向かって話をしていたそうだ。式は、厳かに進むが、当方はわけがわからない。従ってもっぱら写真撮影に専念。子供達も神妙に牧師の話を聞いている。 式もクライマックスを迎えると、ニノン、ニナン(立会人もしくは証人)を携えて、結婚の誓いを述べる。もちろん、KIANも同席して承認となる。この日は縁の深い、5組の日本人にニノン・ニナンをお願いした。        前列には右にニナン、左にニノンが並ぶ。 式が終わると、ニノンやニナンの参加者に対して、牧師のブレッシングが行われる。そして、その後は記念撮影だ。 まずは軍服姿でサーベルをかざす幹部候補生と、こんな光景はめったに見れるものではない。そして、新婦の家族。 新郎の家族、ニノン、ニナン、友人、と延々と記念撮影が続く。 […]

ジェーンの結婚式ー教会編(その1)2013年12月31日



12月30日の結婚式まで2週間と少し、ジェーンはその準備に、毎日のように、教会やデビソリアに出かけていく。教会では式次第、ニノン/ニナン、それぞれの参列者の役割、などなどの打ち合わせ、デビソリアでは出席者の衣装の調達だ。 さらに、甥のシステムエンジニアーのNONGは当日、披露宴で公開するためのビデオ作りに、毎日のように 事務所を訪問している。 さらに、披露宴の出し物として、日本人退職者とキムのデュエットの練習に毎週土曜日に練習においでいただいている。披露宴にはプロ歌手を呼んでおり、その合間にデュエットが入るそうだ。退職者はできれば、プロの演奏前に歌いたいと恥らっているが、その方も、かつてアマチュアバンドのボーカルとしてならした、喉自慢だ。 新婦側の衣装は赤となっており、何らかの役割を持って参列する女性は、下記のような赤いドレスを着ることになっている。しかし、こんなドレスを持っている人はいない。従って、すべての人が新規に調達することになる(フィリピンにも貸し衣装という商売はあるようだが、種類が少ないうえに、他人が着たものは、ためらわれる。しかも、これからも着る機会もあるし、長い目で見れば、安上がりと考えているようだ)。 フィリピンでは参列者のドレスは一色に統一される  ジェーンが故郷のタバコから招待している姻戚関係は20数名、そのうちの半数の女性には赤いドレス、半数の男性にはバロンを自前で準備しなければならない。赤いドレスはすべて注文服とあって、何度もデビソリアに出かけていくことになる。彼女によると、デビソリアで買うとマカティの半値くらいで済むそうだ。すでに出来上がった赤いドレスは、私のクローゼットを占領して入る。これら20数名の招待においては、旅費から食費まですべてを賄ってやるそうで、それだけでも大変なものだ。そして、結婚式の前後は、この20数名の招待客で我が家は占領されることになる。         最近、ちょっと変わった訪問客があった。女性の格好はしているものの、直感的にバクラ(おかま)とわかる。なにやら大きめのカバンを持って、2階にあがる。そして、1時間後くらいにジェーンがおかしな顔をして、得意顔で、写真をとって見せてくれとおりてきたのだ。 普段のジェーンとは似ても似つかない顔をしておりてきた彼女は、私の感想を求めてきた。多分「ビューティフル」という、感嘆の声を期待したらしいが、私の反応は「パンゲット(ブス)」の一言だ。今回、結婚式の予行演習として化粧を施し、写真家に写り具合などのチェックをしてもらうためのものらしい。しかし、化粧の後の顔は10~20歳くらい年を取ったようで、お世辞にもきれいになったとは言えない。こんな仕事に4000ペソも払ったなんて、なんとも信じがたいところだ。 左がバクラの化粧後、右が普段の顔、どっちが良いか一目瞭然だろう バクラの名前はタイラ、同じ敷地にあるパームタワー・コンドの住人だ。ジェーンが偶然出会ったらしいが、有名女優の化粧をてがけるちょっと名の知れたアーティストだそうだ。近々、バクラの美人コンテスト(BINIBINING-GAY PHILIPPINES)に出場するらしいが、確かに美形のバクラだが、話してみると声の太さが尋常ではない。 フィリピンでは、美容師、ダンサー、スタイリストなどは、ほとんどがバクラで、彼ら(あるいは彼女達)バクラはこの方面の才能に長けている。ちなみに、コメディアンのバイス・ガンダは、現在フィリピンで最も人気のあるタレントの一人、バクラの英雄だ。

ジェーンは結婚式の準備におおわらわ 2013年12月13日


 11月1日はALL SAINT DAY(万聖節)その前日をハロウインと呼んで、子供達が悪魔や妖怪の格好をして、家々を訪ね、お菓子をもらう。まさにクリスマスイブといった雰囲気のキリスト教の重要な催し物だ。 プライムシティコンドに門に飾られたハロウインパーティのお知らせ  日本ではクリスマスと同様、宗教的な意味合いは忘れられ、単なるイベントとしてとらえられ商業的に利用されている。しかし、フィリピンでは、翌日は家族一同がお墓に参り、故人と一夜を過ごす重要な日だ。帰省ラッシュのため地方へ行くバスはこの前後、満員となり、ターミナルには人があふれる。 入り口にはモンスターの人形が飾られる、首にはコンドへの入門票が下げられている    All Saint Day(万聖節)とは、年に一度、死の世界と現世との門が開かれ、死者が現世によみがえり、家族と過ごすことができる日だ。開かれた門からは死者だけでなく、悪魔や妖怪も一緒に出てきて、人々を怖がらせる。その魔よけとしてカボチャの中身をくりぬいて飾るのがジャック・ランタンだ。  仮装したKIAN(中央)とカンバル(双子)、田舎からやってきたヤナ   それが、いつしか、子供達が悪魔や妖怪の仮装をして、家々をまわり、お菓子を受け取るという、行事に替わっていった。子供達は死の世界からやってきた悪魔や妖怪で、家々では彼らに渡すお菓子を用意しておく。お菓子がもらえなかった家は悪魔や妖怪の復讐を受けるので、必ずお菓子を用意しておく。 どこの家でもお菓子をもらえるので、子供達は大喜びで家々を回る、クリスマスについで一年で2番目に楽しいときだ。 仮装で優勝に輝いた少女   ハロウインが近づいてくると、街のあちらこちらで仮装した子供達を見かける。 […]

ハロウイン(Halloween) 2013年10月30日



 ロハスブルバード沿い、バクララン・チャーチの近くにナイトクラブが数軒並んでいるが、その一つがBinibini(ビニビニ)という変わった名前のクラブだ。  Binibiniが何を意味するのか、長い間、判らなかったが、最近ミス・ワールドの記事を書いているときに、KIMの発言で、その意味を知った。  ヤムヤムがおいしいという意味のレストランの名前だが、こちらは女の子というような、いかにも直接的な名前のクラブだ  要は、独身の若い女性、すなわち、世の男性の恋のお相手をする女性のことだ。この言葉をほとんど耳にすることがなかったのは、この言葉がスパニッシュタイムの古語に属する言葉だそうで、今では、女の子のことをBinibiniと呼ぶことはないそうだ。日本語で言えば、姫、お嬢、あるいはギャルといったところのようだ。ジェーンの姪っ子たちもいよいよビニビニのお年頃だ    年齢的には、下は、16才くらいから、上限は特にないが、独身であることが条件で、イメージ的には20代前半、最近の晩婚の傾向から30代前半くらいまでと言ってよさそうだ。しかし、これは、男性側の好みにもよるだろうが、ちなみにBinibiniのナイトクラブでで働いている子は18才~24才程度なので、この辺が一般的にBinibiniのイメージなのだろう。世間では16才~17才も立派にBinibiniなのだが、法的に許されないので、ナイトクラブにこの年齢の子はいない(はずだ)。カラオケ・ニュー・サチのダンサー達も、まさにまさにBiniBiniだ アヤラロードで見かけたBinibiniコンテストの優勝パレード  話は違うが、閉鎖の危機にさらされていた、おなじみのナイトクラブ「Asian Entertainment Network Manila」がついに消滅した。といっても名前が代わっただけで、中身は全く一緒だ。マネージャーの話によると従業員全員が辞表を書かされて、再雇用されたそうだ。「The BAY Entertainment」というのが新しい名前で、なんとも平凡でつまらない名前だが、中は相変わらずBinibiniの熱気があふれている。

Binibini(ビニビニ)の意味 2013年10月21日


報告が遅れたが、8月15日、ジェーンの結婚式がつつがなく終了した。と言っても、今回の結婚式は前哨戦というか、あくまでも法的には正式なものであるが、裁判官の前で行う、略式のものだ。社会的には別途、師走も押し迫った 12月30日(月)にマニラの教会で行われる予定だが、こちらは花婿の職業柄、ミリタリー方式で行われるそうだ。 この日、KIANはカメラマンをかってでた  このミリタリー方式がどんなものか良く知らないが、ジェーンの話によると、新郎のカーネル・ヤンのポリスアカデミーの同窓、あるいは同僚の警察官が制服を着て、銃を空に向かってかざし、その銃のトンネルを二人で歩いて行くという、まるで王室か国賓の儀式みたいなものらしい。 新郎新婦、それに3才のKIAN。何を思うのかKIANは口を捻じ曲げて興奮気味だ  カーネルの直属の上司はジェネラルなので、彼も当然出席するだろうし、場合によっては国家警察(PNP)のトップが来るかもしれない。そうなると、PNPの重鎮がせいぞろいする大イベントになりそうだ。 新郎新婦は原告席に座って、被告席は誰もいない   場所は、我々の住まいから歩いてもいけるようなSacred Heart Churchという普通の教会だが、当日、教会は警察官で埋め尽くされることになるだろう。まさに、新郎新婦の晴れ舞台だ。後日、招待状ができたら別途報告したい。 KIANもそれなりに緊張して疲れ気味に肩を落とす  今回、マカティ市役所の法廷の一つで行われた式の出席者は、20人足らず、極めて質素なものだ。新婦のPRA関係、コンドミニアムの管理組合、それに親しくしている日本人の退職者だけで、新郎のは関係者はいない。  女性裁判官が登場し、おごそかに紙に書いた決まり文句を述べ、二人には、お互いを伴侶とすることを誓わせ、さらに出席者のニノン、ニナンには証人になることを求めた。ほんの10分くらいで終わったが、これが教会ならば神父の説教が延々と続いて、1時間はかかるところだ。 法廷とはいえ、皆にこやかにことは進む   裁判官が、この結婚を承認すると、ハンマーで机をたたいて、宣言し、出席していただいたニノン、ニナンには証人として署名をしてもらい、婚姻証明書が完成する。これを市役所に提出すれば、婚姻は成立する。その後はお決まりの写真撮影だ。 […]

ジェーンの結婚式と披露宴 2013年9月2日