風俗・風物


   モール・オブ・エイシアのクリスマスの飾り付けがすごいという話を聞いて、出かけていってみた。EDSA通りの突き当たりにあるモール・オブ・エイシアに向かう車は、日曜だというのに渋滞して、中々前に進まない。 モール・オブ・エイシアはマニラ湾の埋立地の辺鄙なところに建設されたため、自家用車で行くしかなかった。そのためSMはモールの前に巨大なターミナルを作って、近隣へ直行するジープニーやフィルキャブなどの交通網を作り上げた。私としては帰りのタクシーを心配したが、さほど待たずに乗ることができた。   巨大なモールはどこもかしこも人でうずまっている。レストランや休憩所も人で一杯だ。しかし、買い物袋を持って歩いている人はまれで、エアコンの効いた街を映画を見たり、食事をしたり、ウインドーショッピングをして楽しんでいるようだ。  広い通路にはクリスマス用の飾りやギフトを売る店が並んでいるが、それを買い求めている人は少ない。庶民はバクラランやデビソリアで、半値以下で買い求めているようだ。そのバクラランやデビソリアに様子を見に行きたいのだが、周囲のフィリピン人には、こんな時期にとんでもないと一蹴されたしまった。  中央入り口の広場にはユニークなクリスマスツリーに北欧風のサンタの家が建っている。女性コーラスは聞き覚えのあるクリスマスソングを歌っている。        たくさんの人が並んでいるので、家の中をのぞいてみると、そこにはサンタがいて記念撮影をしている。サンタと写真を撮るためだけに人が並んでいるのだ。はじめは人形かと思っていたが、よく見ると生きた人間で、いかにもサンタの雰囲気を持った西洋人だった。 海側の催し場ではSanta Vilaと名づけ、舞台でパーフォーマンスが行われている。ショーの時間にはまだ早すぎたようだ。お店の中にもそこそこ客はいるようだが、客の数より売りこの方が多いようだ。  海沿いの広場には巨大なクリスマス・ツリーが飾られている。夜にはイルミネーションがとてもきれいだろう。また、名前は忘れたが、回転式の展望台が建設中が建設中だったが、年内の開業には間に合いそうもない。 モール・オブ・エイシアの周囲には次々とユニークなビルが建ち始めている。モールの目の前にはSMDCの巨大なコンドミニアムも完成間近で、この付近の様相も一変しそうだ。

師走のモール・オブ・エイシアは人で一杯 2011年12月12日


  いよいよ12月、フィリピンはクリスマス一色といいたいところだが、街の飾り付けは、少々地味なようだ。サウス・スーパー・ハイウエイ沿いのクリスマス・ランタン売りのお店も数が少ない。 アヤラ通り沿いの電飾は去年は雪が降るような電球が連なって幻想的だったが、今年はいたって平凡だ。アラヤ・トライアングルの飾りつけも目に付かない。  SMマカティの工芸品売り場、民芸品でBALIKBAYANの向こうを張るKULTURAには、まさに売らんかなの商魂でクリスマスの飾り付けが所狭しと並んでいたが、客はほとんどいない。せいぜいKIANが走り回っているくらいだ。庶民は去年使ったものをまた使うから、新規に買う人はあまりないのかもしれない。これだけの商品が余ってしまったら、また来年売るのか、あるいは処分してしまうのか、気にかかるところだ。 今日、ここへ来た目的はKULTURAの店員が毎日4時からはじめるダンスだ。KIANがこれにあわせて踊るから私に是非見せたいというわけだ。しかしこの日のKIANはのりが今一だったようだ。 我が家にもサンタクロースの人形が3つほど飾ってあるが、しっかりもののマム・ジェーンはデビソリアで一体200ペソで買っているが、KURUTURAでは同じものが500ペソだそうだ。

もうすぐクリスマス 2011年12月1日



  マイナー(Miner)あるいはアンダー・エイジ(Under Age)とは18歳未満の未成年者を指すが、最近マイナーをめぐる外国人の逮捕・収監あるいは花街のクラブの閉鎖が相次いでいる。ちなみにフィリピンでは、日本のように20歳ではなくて、18歳をもって成人(Legal Age)とみなされ、それ以下をマイナーあるいはアンダーエイジと呼ぶ。 フィリピンでは12歳でハイスクールに進み、16歳で卒業する。その後大学へ進む子供は30%程度で、残りの70%はハイスクールどまりで、働くことになる。大半は貧しい家庭の子供だから、一家の大切な稼ぎ手となるのだが、18歳未満の未成年者の雇用は花街はもちろん一般のレストランなどでも禁止されている。そのため、ハイスクールを卒業した18歳未満の未成年者が年齢を偽って、働がざるを得ない状況がある。 外国人男性がフィリピンに来て、大いに誘惑されるのがこのマイナーの女の子を相手に買春をしたり、あるいは裸の写真を撮ったりすることだ。些細な金で可能であるので、つい誘惑に負ける。それを斡旋するけしからぬフィリピン人も後をたたないが、時には、その斡旋をしたフィリピン人が警察にちくって外国人を逮捕させ、示談金などをせしめる、という法律を逆手にたった犯罪もまかり通っている。大抵の場合は年齢を偽って働いているのだが、「知らなかった」という言い訳は効かないのが怖いところだ。最近は、たとえ外国にいても、サイバー・セックスなるものも同等にみなされるようなので要注意だ。  つい最近でも、かのミス・ユニバーサル・ナイトクラブが警察の手入れを受けて閉鎖に追い込まれた。容疑はマイナーに売春をさせていたということで、クラブのフロアー・マネージャーなども逮捕・収監されてしまった。しかもマイナーと人身売買(売春を最近は人身売買と称している)という容疑が重なると、保釈がなくて裁判の間も収監されたままとなる。さらに恐ろしいのは、その場に居合わせた客も共犯者として逮捕されてしまうことだ。ナイトクラブに遊びに行って、そこでたまたま、マイナーの女の子が年齢を偽って働いていたとして、そこに客として居合わせただけで逮捕・収監されてしまうとは、なんとも納得できないが、それが現実なのだ。いくら注意したところで、見知らぬところでマイナーの雇用が行われていることだから、どうしようもない。フィリピンも先進国のように遊びにくくなったものだとため息が出る。 フィリピンでは、たとえ殺人事件だとしても告訴する人間がいなければ犯罪としてなりたたない。これはアメリカの法律に則ったもののようだが、犯罪者の家族が、被害者の家族を抱きこんで、殺人事件を闇に葬ってしまうことさえも可能なのだ。しかしながら、マイナーの人身売買となると、検事は、例え被害者の告訴がなくても起訴することが可能だそうだ。件の年齢を偽って働いていたマイナーの子は自ら望んだものだから雇用主や客を告訴するはずがない。しかし、検事は独自の判断で起訴することが可能で、「相手が合意したから行為に及んだ」という言い訳は、やはり用をなさないのだ。 マイナーを雇うことは花街の接客係ばかりではなくて、レストランやメイドとして雇うことさえ禁止されている。通常は問題にならないだろうが、マイナー本人が雇用主から注意され逆恨みをして警察に駆け込んだりしたら、チャイルド・アビューズ(児童虐待)ということで逮捕されてしまう。また、第3者が密告すると雇用主が逮捕され、件のマイナーは職を失う、という状況も起こりうる。だから、人を雇う場合、マイナー本人は家のために稼ぎたいから当たり前に年齢を偽るが、成人であることを念入りに調べてからでないと、とんでもない爆弾を抱えこんでしまうことになる。  そこで疑問に思うのが、フィリピンは貧しい貧しいといいながら、ハイスクールを卒業してから大学へ進学しない70%程度の国民の就労機会を2年間剥奪するということが正しい国の政策なのだろうか、ということだ。16歳ともなれば肉体的には十分大人で、もはや子供ではないくて、大概の肉体労働は可能だ。幼稚園や小学生程度の子供が働かされているということが児童の就労として世界的に問題視されてはいるが、日本でも中学を卒業しても18歳まで働いてはいけないとしたら、大問題となるだろう。私はてっきり、18歳未満の未成年者が花街で接客を行うことを禁止していると勘違いしていたのだが、すべての職種で就労の機会を奪われているということに義憤を覚える。それがめぐりめぐって、外国人を思いがけない罪に陥れていることにもなっているのだ。政治家はマイナーの保護を何か勘違いしているのではないだろうか。逆に雇用の機会を奪い、マイナー本人は年齢を偽って働き、挙句の果てに雇用主を処罰するなど、無用な犯罪を誘発しているのではないだろうか。

マイナー(未成年)にご用心 2011年11月27日


マカティのパサイロードからパソンタモのマカティ・スクエア界隈には20軒ほどのカラオケがひしめき、激戦地となっている。ドーシット・ホテルから順に、ブルー・エンジェル、アップ・ステージ、イルージョン、ラ・ジューラ、SHIAWASE、NEW SACHI、真珠の森、などの大型店や、美人座、原宿、KYO、クリーク・サイド、夢の中へ、スバル1、2、ラジューラ2などのカラオケが立ち並び、シノギを削っている。  一昨年のリーマン・ショックの後、企業の駐在員の激減や緊縮財政の結果、海岸に打ち寄せる波が引くように、これらのカラオケから客足が遠のいた。そこで始まったのが、飲み放題、歌いたい放題で400~500ペソ均一料金というディスカウント作戦だ。そのおかげで、はやっている店もあったが、それなりに台所は苦しかった。  ここのところ、長いことカラオケからは足が遠のいていたが、カラオケ友達ともいえる退職者の誘いで久しぶりにNEW SACHIを覗いてみた。去年行ったときは、客は我々二人だけで、何時間も二人だけでツーマン・ショーをやったこともあるくらいだ。これだけのGROを常時そろえて、オーナーの気苦労は大変なものだろうと、そのたびに同情したものだった。  件の退職者は風邪を引いて喉の調子が悪くて、しばらくの間、私のワンマン・ショーが続いていたのだが、ふと気がつくと、ほとんどの席がお客さんで埋まっているのだ。こんなことは記憶にないくらいのことだ。大きな席に一人二人というのもあって、満員とは言えないものの、かなりに賑わいだ。 カラオケにもかつての賑わいが戻ってきたと、なにか感動すら覚えた。 10時からのショータイムも復活している。元気の良いダンサーが踊りを披露し、オカマがバラエティ・ショーをやっている。ショーが終わるとダンサーが客席を回って、目の前でちょっとセクシーな踊りをしてくれる。以前は握手をするだけだったのだが、どうもチップのおねだりらしい。これもまた、一石2鳥の趣向で、目の前で腰をくねくねさせられると財布を開けざるを得ないのが男の性だ。 ざっと周囲を見回すと、どうも若い人が多い。企業の駐在員なのか、あるいは観光客なのか、定かではないが、1990年代のおじさま駐在員のグループとはちょっと違うニュー・ウエーブだ。彼らも日本脱出組みなのだろうか。先日、パサイ・ロードのカラオケ・ボックスのWAKOとクリーク・サイドのカラオケ、クリーク・サイドのオーナーと一緒する機会があったが、その方も長い厳冬期を乗り越えて、きっと我が世の春を謳歌しているのだろう。その方とは今度は歌比べをしようと約束しているのだ。  話は違うが、最近、マカティ・スクエアのカラオケないしナイトクラブのファラオに警察の手入れがあった。ここはフィリピン式の高級クラブで、マカティでは唯一、要は連れ出しが可能なカラオケなのだ。人身売買の容疑とあったが、起訴することに決まったそうで、しかも起訴の決め手は金魚鉢の存在だそうだ。 金魚蜂とは覗き窓のなかに女性が待機していて、客が選べるようになっている部屋だ。この手の金魚鉢はどこのショークラブにもあって、マニラでは常識だ。ファラオで働く女性達はすべて否認しているそうだが、窓から覗いて女性を選ぶというのはまさに人身売買だというのが当局の見解だ。そうなると例のAsian Entertainment Netwrk Manilaも危ない。マニラも段々遊びにくくなっていくようだ。 

カラオケにも春がやってきた 2011年10月29日



最近はゲストをもっぱらバクラランのAsianに案内しているが、先日ビザを取得した若干39歳の方は、「ステージで踊っている女の子達は、巷では見かけないような良い子が多いけれど、何故なんでしょう」と疑問を呈していた。確かに、こんな子達が事務所にいたとしたら、その争奪戦で男子社員は仕事に手がつかないだろう。そして、「そんな子が気に入れば3000ペソでちょんの間が楽しめてしまうなんて、とても信じがたい世界だ」と、ため息をもらす。 下の3枚の写真はカラオケのものだ。Asianでは写真撮影は許されておらず、あの過激なステージの様子はお見せすることができないが 残念だ。 カラオケは単に横に座っておしゃべりと歌のアシストをしてくれるだけで、決していかがわしいサービスはしてもらえないが、カラオケにしてもAsianのような春を売るような場所でも女の子のレベルは意外と似たりよったりだ。 女の子をテーブルに呼んで、ちょっと可愛い子に、ハイスクール時代はミス・ハイスクールだっただろうと聞くと、中には得意げにYESと答える子がいる。といってもまだ18歳で、ほんの1~2年 前のことだ。フィリピンではどのハイスクールでも美人コンテストがあって、毎年、学年ごとにミス・ハイスクールが決定される。たとえミス・ハイスクールで はないものの、ミューズだったとちょっと得意げに答える。ちなみにミューズとはミス・ハイスクールの候補で、準ミスといったところだ。 ミスター・ハイスクールというのもあって、ハンサムな男の子が選ばれる。ちなみにコンテストは生徒の投票によるが、選挙運動も盛んで、両親の財力がものをいうそうだ。ちなみにミスとミスターは見てくれだけだが、学業成績の優秀な子はプレジデント(クラス委員)に選ばれる。 次の3枚の写真はアンヘレス(クラーク)とバリオバレト(スービック)のゴーゴークラブの写真だが、ここにはミューズと呼べるいい子はめったにおらず、数と安さで勝負している。 ハイスクール時代を謳歌したこんな子達が、何故1~2年後には、はげ親父に媚を売ったり、体を売ったりする羽目になってしまうのだろうか。ちなみにフィリピンのハイスクールはプライマリー・スクール(小学校)を12歳で卒業して、16歳まで4年間通う。そのあとはカレッジ(大学)が4年~5年間だが、花街の子にも、たまにカレッジ在学中あるいは休学中の子がいる。ちなみに18歳といえばカレッジの2~3年生に相当する。 フィリピンでは、美人となると、皆がちやほやして宿題や試験の答えを教えてくれるので、勉強をしなくても好成績で学校を卒業できる。しかし世間に出たらそんなものは役に立たない。実力がものをいう世界だから、美人は雇うなというのがビジネスの鉄則で、彼女達の働き口は意外と少ない。しかも子供のころから男達にちやほやされ、執拗に愛を告げられるので、つい若いみそらで体を許してしまう。そして妊娠。堕胎が法律で禁止されているフィリピンでは生むしかなく、学校も追い出され、処女を奪ったハンサムで無責任な男はさっさととんずらしていない。そうなると16や17歳の若さで乳飲み子を抱えたこの可愛子ちゃん達は花街に身を落とすしかすべがないのだ。 たとえ乳飲み子を抱えていないとしても、18歳の解禁年齢になると大学新卒サラリーマンの倍や3倍は稼げる花街へ大量の可愛子ちゃんが、家族のために身を投じる。花街で売れるレベルに至らない子はメイドやウエイトレスになるが、収入は一桁違う。地方に行くとメイド・レベルの子達もかなり花街で働いてはいるが、エンターテイメントと名がつく職場で働く子はやはり美人であってほしい。 (注:18歳未満はマイナーあるいはアンダー・エイジと呼ばれ、花街等で働くことが厳格に禁止されている。かのMUが閉鎖されたのも多くのマイナーを働かせていたためだ。)

花街には何故美人が多いのか2011年8月27日


フィリピンにやってきて最初にびっくりするのが、街中いたるところにショット・ガンを構えて立っているセキュリティ・ガードの存在だ。このことが、”フィリピンは危険”というイメージを助長していると思う。銀行やポーンショップ(質屋)そしてホテルやコンドミニアムにセキュリティ・ガードは必須だ。それにオフィス・ビルやデパート、レストランやコンビニなど、お金や人の集まるところには必ずいる。 果たして、彼らが活躍するほどフィリピンでは犯罪が多発するのだろうか。私にはとてもそうは思えない。彼らが、銃を使う機会は一生に一度もないだろう。も ともと犯罪がないのか、あるいは彼らの存在のおかげで犯罪がないのか、どちらか分からないが、フィリピンの風物ないし慣習といってよいかもしれない。 慣れると、彼らの存在ははなはだ重宝で、常にそこにいて出入りする人間を見張っていてくれるというのは店の人、住人、客にとってはとても心強い。しかも、 彼らのテリトリーの中では警察権を持ち、逮捕、場合によっては犯人を射殺することもできる私設の警察なのだ。昔、ちょっと事情があって私専用にボディガー ドを雇ったことがあったが、つかず離れず24時間守られているというのは、なんともはや心地良く、安心できるものだった。 (いつも退職者を案内するBank of Commerceのガード、こちらが上客であることを知っていて、駐車や時間外の入店など、色々と便宜を図ってくれる) セキュリティ・ガード、運転手、シー・マン(船員)は巷の男の仕事の3羽ガラスといってもよい。一方、女の仕事はメイド、ウエイトレス、セールスガール (売り子)、マッサージガール、それにGRO(ホステス)などと働く機会は男よりも多い。オフィスや工場などでも男女の数は似たようなものだ。だから、巷 で所在無げにたむろしているのはほとんどが男だ。  このセキュリティ・ガード達は専門の会社に所属し、訓練を受けて、それぞれの依 頼先に派遣される。これらの会社を経営しているのは国家警察幹部のOBが多く、元PRA長官のゼネラル・アグリパイも大きなセキュリティ・エージェントを 経営し、マカティ・グロリエッタのセキュリティガードの派遣を一手に引き受けていたそうだ。 […]

セキュリティガードの賢い利用法 2011年7月21日



6月22日、1週間ぶりにぶらっとミス・ユニバーサル(MU)を覗きに行った。先週、たまには別の店ということで、退職者の案内でエイシア・エンターテ イメントとかいうロハス・ボリバード沿い、バクララン・チャーチの近くの店に行った。我々二人、女の子を一人ずつ指名して、1時間ほどいただけで4600 ペソも取られてびっくりした。その後、口直しにMUを覗いたが、同じ条件で1350ペソと3分の一にも満たない料金で、再びMUを見直したばっかりだっ た。 ところでこの日、間違いなくハリソン・ロードを走っているはずなのに、いつまでたっても、あの赤いMUの看板が見えてこず、一瞬パニックに陥った。多少 酔っていたせいもあるが、良く知っているところを走っているはずなのに、あるべきものがなくて、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったのだ。   目をこらして探し、それがあるべき場所についてみると、1月1日の新年以外は一年中消えることがなかったおなじみのネオンが寂しげに消えていたのだ。さら に近くに寄ってみると、「未成年者(18歳未満)雇用の違反により、永久に閉鎖を命じる」という看板が正面玄関に掲げられていた。退職してフィリピンに 渡って以来、10年近く私を慰め続けてくれたこの店のなきがらに、期せずして対面することになってしまったのだ。 これは一大事と、先日知り合ったばっかりのこの店の女の子に電話をして聞いてみた。彼女によると、昨日、すなわち6月21日がMUの命日だそうだ。彼女 いわく「明日から別の店で働くから遊びに来てね」とMUの閉鎖など全く意に介さない様子で、相変わらずたくましかった。    2ヶ月ほど前に、私のなじみのマネージャーがMUからいなくなっていた。その後、この子をテーブルにリクエストして色々聞いてみると、「未成年者の雇用 ということで手入れがあり、何人かの子が姿を消し、ほとんどのフロアーマネージャーが逮捕されてしまった」のだそうだ。そのうちの何人かの子の名前を聞い […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その5)2011年6月23日


先日、息子がフィリピンを訪問した折、カジノで遊びたいと誘われ、4日ほど連続してカジノめぐりをした。初日はエドサ通りとロハスボリバードの角にある ヘリテージホテルに行った。ここは、向かいにあるEDSA International Entertainment Cmplex(通称エドコン、8軒のゴーゴークラブが一つのビルに収容されている)とともに日本人におなじみの遊び場だ。ヘリテージホテルに泊まって、カ ジノで一稼ぎしてエドコンで遊ぶといった按配だ。   私は賭け事は絶対に勝たないという信念があるので、カジノに行くことはめったにない。しかし、この日は息子がスポンサーになるというので、付き合ってやっ た。ねらいは、かけ方が簡単なルーレットだ。バカラ、ブラックジャック、ポーカーなどのテーブルはたくさんあるのだが、どういうわけかルーレットは2台し かない    ルーレットは、最低賭金が台で異なっているが、2分の一の確立の赤黒、奇数偶数などは、200~500ペ ソと高く、3分の一の確立の縦の列や1~12などの数字のグループにかけるのは100~200ペソ、上限も3000~6000ペソに設定されている。その 他、1つ、2つ、4つ、あるいは6つの数字に賭けるのは10~30ペソと低く、上限もない。めったに入ることはないからそうなっているのだろうが。     […]

フィリピンでカジノめぐり 2011年5月18日



 KIANの誕生日は3月31日の年度末なのだが、ホリーウイークにタバコ市に帰郷した折に近所のかたがたを招待して、再度誕生会を催した。主催者である ジェーンによると先日のパーティは内輪のささやかなパーティだったとのこと。今回の誕生会はご近所のほかに、スコーターから100人近い子供達を招待し て、総勢150人のゲストによる盛大なものだった。 フィリピン一の問屋街デビソリアで買い集めた招待客(スコーターの子供達)へのプレゼント、一個10円、20円の品物が部屋中に並んでいる。さらに、こ の日、農場の2匹の子豚がいけにえとなったが、KIANにとっては知るすべもない。一匹はフィエスタとパーティには欠かせないレチョン、もう一匹はアドボ (しょうゆ味に煮付け)だ。  料理の準備は前日から始められ、ジェーンの姪の娘達はひたすら大量のチーズロール(棒状に切ったチーズを春巻きの皮で巻いて油で揚げたもの)を作ってい る。そしてパーティには欠かせない甘いスパゲッティ、ホッ・トドッグ(ソーセージ)、サンドイッチと続く。どれも安い食材で手作りだから、150人で食材 費はせいぜい、1万ペソ程度だろうか。それにギフト代やピエロの司会とやらで、しめて3万ペソ程度のバジェットで済んだようだ。たったの3万ペソと思うか もしれないが、これでも庶民にとっては大変豪勢なパーティなのだ。  スコーターから招待された子供達は行儀良くいすに座って出番を待つ。もちろん狙いは食べ放題の食事と、大量のお土産だ。ちなみにご馳走やお土産をやるの は誕生日を迎えた本人で、招待客は「Happy Birthday to you」の一言のお返しをするだけで十分なのだ。 […]

KIANの誕生会 パート2 2011年5月14日


 今年は4月18日の週がホリー・ウイークで、22日(金)が目玉のGood Friday、キリストが磔にされた日で、それにちなんで人々は行列を行う。地方によっては本当の十字架を背負って歩いたり、体中を紐でたたいで血を流し たりして、キリストの苦難を自ら体験しようとしているのだ。  この日、ほとんどの人はふるさとへ帰り、故郷で行列に参加する。そのため、マニラは空っぽになる一方、田舎は人々であふれかえる。前日の木曜日は Maundy Thursdayで山車の準備や行列の練習で忙しい。バランガイごとに自警団を組織して警戒に当たっているが、カメラを向けると皆が並んでポーズを取って くれた。  いよいよ行列が始まるというので、その通り道に出てみると、見物目当ての人だかりだ。それぞれが見やすいところに陣取って、行列を待っている。  6時半ごろ、陽がかげってくると、いよいよ行列の第一陣がやってきた。白い衣装に実を固めたハイスクールの生徒が行儀良く並んで歩いてきた。その後には格式ばった街の長老が続く。山車が通り過ぎた後は、良くこれほどの人がと思うほど歩いてくる。   道端で見物していた人も自分のバランガイの行列が来ると、そのまま列に入り込む。要は誰でも好きなときに行列に参加できるのだ。暗くなってくると当方もさ すがに立ち疲れ、引き上げることにした。しかし、道路は立錐の余地もない。一計を案じて、行列に加わり、歩いていくことにした。そして途中で行列から離れ てジェーンの実家へと向かった。奇しくも息子とともにホリーウイークの行列に参加することになってしまったのだ。  実家に着くとKIANが熱を出していて休んでいた。これから教会へ連れていくのだというが、翌日の誕生会を控えて大事を取って、皆で帰ることになった。KIANにとっては連日の催し物で、疲労がたまっていたのだと思う。  

ホリーウイークの行列に参加 2011年5月14日