風俗・風物


まだ自分が子供あるいは若いころ、街でヤクルトおばさんを見かけることが時々あった。あのヤクルトのちいさな容器を配達あるいは売り歩いていたのだ。そ れが現在フィリピンの街角でよく見かけるのだ。ヤクルトはコンビニやスーパーでも大きな顔をして売られている。手ごろな大きさなので子供たちも大好きだ。 5本で48ペソ、一本10ペソ近いから、フィリピンとしては決して安い飲み物ではない。しかし、子供たちはヤクルトを単なる清涼飲料として飲んでるきらい がある。 ご承知の通りヤクルトは乳酸菌飲料で整腸作用がある、いわばサプリメントだ。だが、子供はほっておくと冷蔵庫を開けて水代わりに何本でも飲んでおり、そ れを親も黙ってみている。体に悪いことはないだろうが、なんともいえない思いがする。ヤクルトとしてはたくさん売れてうれしいかも知れないが、本意ではな いはずだ。 ヤクルトは日本のビジネスモデルをフィリピンに持ち込んで成功したが、ほかにもフィリピンに根付いているおなじみの食品類がある。筆頭は、日清のカップ・ ヌードルだ。小が19ペソ、大が26ペソと格安だが、日本のそれとは大分趣が違う。だからフィリピン人も日本から輸入したのを好んで食べる。輸入品は 100ペソ程度と4倍もの値段なのにだ。    日清のカップ・ヌードルはジャパ行きさ んにとっては、懐かしい日本の味なのだ。彼らは、日本で稼いだお金の大半をフィリピンの実家に送ってしまうために、いつもひもじい思いをして、カップ・ ヌードルばかり食べていた。そして、たまに鼻の下の長い客に誘われると、憧れの焼肉をたべて栄養をつけた。だから、今でも日本からのお土産と言えば、口を そろえて日清のカップ・ヌードルと答え、フィリピンで食事に誘うと焼肉と相場が決まっている。だから、空港で預け入れ荷物を待っていると決まって、日清の […]

ヤクルトおばさんが街を行く 2011年3月21日


 2月3日は旧正月、チャイニーズ・ニューイヤーだ。毎年出かけているが、この日はビザを申請中の退職者の依頼で案内することになった。この方は元々中国人だが、学生時代から日本に暮らし日本に帰化した方だ。そのため中国の文化など解説付きで新年の中華街を探訪することが出来た。キアンも新年用の中国服を着せてもらってご機嫌だ。  この日は中華街ばかりではなく、マカティのデパートでも新年の飾り物を売る店ががでていた。売り子も中国服に身を固めている。中国人にとって赤色は最も縁起の良い色で、レストランのウエイトレスや売り子は皆赤い服を着ている。   中華街の中心はサンタクルス教会とビノンド教会を結ぶオンピン通り。この日は、朝早かったために竜や獅子の踊りは出ていなかった。どうにかいたのが子供の獅子だった。 「恭喜發財(Kung Hei Fat Choi)」とは日本風に言えば「謹賀新年」という意味だが、後半が「発財」すなわち「お金が手に入る」というところが、いかにも中国風だ。この言葉は東南アジアの華僑が使って入るが、中国の標準語、北京語でも共通かどうかは定かではない。ちなみにほとんどの華僑は福建か広東省、すなわち、東南アジアに面した中国の海岸地方の出身で、中国で食い詰めて一旗あげようと東南アジアに流れてきた人たちの末裔だ。末裔と言ってもつい最近渡った人も多いようで、相棒のジェーンのお父さんは若いときフィリピンに渡ったそうだ。と言っても戦前の話だが。 今年はウサギ年で、ウサギの人形をるる屋台が並んでいた。新年に初めて中華街を訪れたときは確か、イノシシ年で、イノシシならぬ豚の人形が売られていたのを憶えている。今年はウサギだから、あれから4年たったことになる。   中国では新年に丸いものをかざって新年を祝うそうだ。中国式のお餅、それから野菜や果物の丸いものを飾りにしている。丸はお金、すなわち財につながるのだ。それからどういうわけか小鳥を売っている人も目に付いた。  街角に線香をたいてたくさんの人がお祈りしているところがあった。仏教なのか何なのか、件の退職者に聞いてみたが、南の人の風習はよくわからないという。確かに戦後は共産党が中国を支配しているから、宗教は原則ご法度で、こんな風習は中国本土では見られないのだろう。またステージがいくつかあつらえてあって、夜は派手なショーが行なわれるようだ。  

恭喜發財(Kung Hei Fat Choi) 2011年2月14日



 2月5日(土)はまだニュー・イヤーの出し物があるというので、わざわざアンヘレスまで出かけて行った。残念ながらドラゴン・ダンスなどの出し物は終わってしまったようだが、街は中国式の飾りで覆われ、ニュー・イヤーの興奮冷めやらずといった雰囲気でにぎわっていた。 大型店のアトランティスや紫禁城(Forbidden)を覗いて見ると、チャイニーズ・スタイルの踊りを楽しませてくれた。ドリンク一杯95ペソでこれだけのショーを見れるのだから格安というか、ほとんど只みたいなものだ。 店のモデルやダンサーがにわか仕込みで踊るのだから、たいしたことは無いが、酔っ払っている当方にとってはほとんど区別がつかない。他の女の子達もノリノリで楽しい。 件のフィールド・アベニューはいつもどおりのにぎわいで、毎日がお祭りのような歓楽街ではこれが日常なのだ。

Chinese New Year in Angeles 2011年2月14日


マス・バプティスマルとは年に一回のキリストが生まれた12月25日に行われる集団洗礼式だ。個別に洗礼式を行えない庶民が、この日、この年生まれた赤ちゃんを連れてやってくる。 この日はボボイがこの6月に生まれた4人目の子供、ジェルミーの洗礼式に出席した。中央の通りの両側の席には赤ちゃんを抱いた母親が並ぶが、その数は100人はくだらないだろう。 神父が次々と赤ちゃんの洗礼を済ませてゆくが、実質的には、先日行われたキアンの洗礼式となんら変わりはない。バプティスマルに大きなお金を使えない庶民には大きな助けだ。 教会での洗礼式のあとはそれぞれの家に帰って、披露宴だ。姻戚、関係者を招いてご馳走が振舞われる。料理はすべて長兄のダシンが作ったそうだ。 一方、2ヶ月前に無事に洗礼式を終えたキアンはタバコにやってきても相変わらず元気だ。歩行器を与えられて元気にファーム・ハウスを走り回り、多くのいとこに囲まれてやんちゃ振りを発揮している。おもちゃで遊ぶというより、周りにあるテーブルや椅子まで持ち上げておもちゃ代わりにしている。9ヶ月まで後数日の赤ちゃんのはずが、この怪力振りだ。しかしヤヤ(子守)がいないせいか、母親に甘えていることが多い。

マス・バプティスマル(集団洗礼式) 2011年1月8日



タバコではトライシクル(サイドカーつきモーターバイク)とパジャック(サイドカーつき自転車)が交通の主役だ。フィリピンの都市では、近接交通手段として、車を所有できない庶民はジープニーかトライシクルあるいはパジャックに頼るしかない。タバコ市においてはジープニーは比較的長距離を走り、市内の交通はもっぱらトライシクルとパジャックによる。しかも、ここタバコではやたらとパジャックが多いのだ。 ここ数日雨模様のタバコ市の繁華街に行って見ると、パジャックで渋滞が発生している。強い雨なので、それでなくとも歩くのが嫌いなフィリピーのは皆、パジャックを利用している。パジャック・ドライバーもかき入れとばかり、雨の中をひた走る。LCCデパートの脇の通りの客待ちの列もいつもと比べてはるかに短いようだ。 そもそもフィリピン人、特にフィリピン女性は歩くのが嫌いだ。だから数百メーターの距離でもパジャックを使う。距離により料金は違うが、一人頭、5ペソ、 10ペソ、15ペソ程度で、タバコ市街地なら大体のところへいける。数年前は数ペソ程度だったのにずいぶんと値上がりしたものだ。タバコ市はマヨン火山の裾野にあるため、海から陸にむかってゆるい勾配がある。上りが10ペソだとすると、下りは半額の5ペソだそうだ。翌日は雨が上がって晴れ間が出たが、パジャックドライバーにとってはそれはそれで暑くて辛い。  一方トライシクルはタバコ市郊外、ちょっと離れたところに行くのに使う。やはり距離によって料金が異なり、数kmの距離で、一人頭8ペソ、10ペソ、13 ペソとなる。距離だけの比較ではトライシクルのほうがずっと安い。ジープニーあるいはGTX(乗り合いワンボックスカーで14人乗り)にも同じことが言えて、長距離、たとえば30kmも離れたレガスピ市までは35ペソともっと割安だ。まあ、人力を使うのだから、パジャックが高いのはやむをえないかもしれない。 私に言わせると、パジャックドライバーは世の中でもっとも過酷な仕事だ。自転車に人を2人も3人も乗せて走ることはどんなに大変か経験があると思うが、それを5ペソ、10ペソのために一日中炎天下で走らなければならないのだ。炎天下でなければ雨に打たれながらだ。彼らにとってトライシクル・ドライバーになるのが夢だそうだ。エンジンつきならば、少なくとも自分の心臓を使ってペダルをこぐ事から開放されるわけだ。  ジェーンの長兄のダシンによると、タバコ市には3000台のパジャックと1500台のトライシクルが営業しているという。タバコ市の人口が10万人、そのうち大人が半分の5万人、男がそのまた半分の2万5千人とすると、まさにの成年男子人口の20%近い人がこの仕事についていることになる。  それで、彼らはどれだけ稼いでいるのだろうか。トライシクル1台は約10万ペソの価格だ。それを一日100ペソで借りる(バウンダリー)。一方パジャックは自転車なのに17,000ペソもするが、新車で一日50ペソのバウンダリーだ。価格が6分の一でバウンダリーは半分というのは計算が合わないが、パジャックの償却はせいぜい3~5年、それに比べてトライシクルは15~20年程度もつためだそうだ。  トライシクルの売り上げは一日300ペソ程度、ガソリンが80ペソ、バウンダリーが100ペソで、一日の収入は120ペソ程度。一方、パジャックの売り上げは150ペソ程度、バウンダリー50ペソを引いて100ペソ程度の収入となる。どちらも100ペソ程度で大差のない収入だが、肉体の疲労度においては雲泥の差がある。 ちなみに100ペソの収入では1ヶ月休みなしに働いても3000ペソにしかならない。フィリピンの貧困との境界は5000ペソ/月、といわれているから、彼らは間違いなく貧困層だ。パジャック・ドライバーのほとんどはスコーターに住む。それでも一家に二人の働き手がいれば、なんとかまっとうに家族を養っていけるのだ。日本なら、こんなにしてまでなぜ生きるのかという疑問がわいてくるような仕事だが、子供たちに囲まれて、彼らは案外幸せなのだ。  

パジャックとトライシクルは交通の主役 2011年1月8日


遠くで花火の音が鳴りはじめたら新年が近い。市街地は爆音と煙で往生していることだろうが、農場には心地よい騒音だ。また、この花火で全国で毎年千人以上怪我をして、命を落とす人もいるそうだ。  米、卵、カラマンシー、みかんなど丸いものと現金を飾って福を呼ぶのが中国の習慣で、福建省出身の中国人を父に持つジェーンの正月恒例の飾り物だ。今年はペソの現金の持ち合わせがなくて、ドルと円の飾りになった。 大人たちは料理の準備、子供たちはからおけで年が明けるのを待った。子供たちの一番人気は相変わらずタイタニックのテーマソングで繰り返し変わりばんこに歌っていた。  しかし、犬にとっては正月もなにもない。カラオケが騒々しくても我関知せずを決め込むアイス。  あまりの騒々しさか、キアンが眠りから覚めてパーティに参加。周りでいったい何が起きているのか、と好奇の目を見開いている。キアンを抱いているのは父親、カーネルの娘のキム。ヌエバビスカヤから駆けつけた14歳のお姉さん、ハイスクールの3年生だ。このところ成長著しくお父さんの背に迫る勢いだ。  12時になると除夜の鐘ならずなべの金で悪霊を追い払うのが、やはり中国の習慣だそうだ。皆なべのふたを匙などでたたいて、思いっきり音ををたてて、各部屋や家の周りをまわり鬼は外をやる。 新年の悪霊払いを終えて、まずは家族、皆で記念撮影。ボボイの4人の子供は寝てしまったが、その他の家族は全員集合だ。 恒例の家族一同の記念写真撮影が終わると、今年最初の食事だ。昼から準備してあった大量の料理が用意されている。祝い事にはあの甘いスパゲッティが欠かせないが、私は手を出せなかった。 ちょっと前まで子供だと思っていたが、ハイスクールに進んでいるバネサ、ビアンカそしてアライサもそろそろ色気が出てきた。あの甘いスパゲッティとさらに甘いフルーツサラダをたくさん取ってきておいしそうに食べている。  上海ルンピア(春巻きを揚げたもの)に使ったチーズでHAPPY NEW YEARとまな板に書いた女の子軍団・年長組みがハイチーズ。  最後はプレゼント。マニラの問屋街デビソリアで買い求めた大量の物資が皆に手渡される。さらに最高賞金500ペソ2本のくじ引きで幕。このころ時計はすでに2時を回っていた。  

2010年おおみそかのパーティ 2011年1月8日



マカティのど真ん中、アヤラ・トライアングルのアヤラ・タワーの横で、毎晩、クリスマスの電飾ショーが行なわれている。夕方6時から8時まで、30分後 とに10分間程度、公園の木々に取り付けた数百万個の電球が点灯される。点灯と言っても、音楽にあわせてそれぞれの木の電飾がついたり消えたり点滅するの で、見るものを圧倒させる。さすがにアヤラのやることは違う。 アヤラといえば、フィリピン一の財閥で、マカティ市そのものがアヤラ一族の開発物件だった。それが現在ではフィリピンそして首都圏メトロ・マニラの押しも 押されぬ中心となり、世界に名をとどろかせている。さらに高級住宅街の代名詞のようなアヤラ・アラバン・ビレッジもアヤラの開発物件だ。マカティはもとも とカンコン(空芯菜)の生い茂るただの湿地帯で、戦後マルコスの時代、1960年代に開発が開始され、1980年代にはすでに経済の中心の地位を獲得し た。 アヤラ・トライ・アングルはマカティを横切るマカティ・アベニュー、アヤラ・アベニュー、パセオ・デ・ロハスの3つの大通りに囲まれた地域で、そこに 建っているのはアヤラタワーとフィリピン証券取引所のみで、そのほかのエリアは公園となっている。ちなみに、この3つの通りはもともと滑走路だったそう で、だからおかしな3角形を形成しているのだ。公園の中にはネルソン・タワーという小さな建物があるが、それは管制塔だったそうだ。  これだけの電球をコントロールするためにはかなり高度なコンピューターシステムと作動システムを駆使しているものと思うが、なかなかやるもんだと感心した。  

アヤラ・トライアングルの電飾がきれい 2010年12月19日


 12月ともなると街はクリスマスの飾りで埋め尽くされる。すべての事務所、レストラン、ホテル、各家庭のロビーはクリスマスツリーが飾られる。 フィリピンで最高級ホテルの名をほしいままにしているシャングリラ・ホテルさぞかし豪勢であろうとわざわざ取材にでかけたが、案外平凡だった。 クリスマス・ツリーの他には、日本ではあまり見られないキリスト生誕の様子をモチーフにしたものが飾られる。そもそもクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うものだが、日本ではそんなことは気にかけないだろうが、クリスチャンの国フィリピンではちゃんと原則を守っている。 高級デパートで有名なルスタンのショーウインドーはクリスマスの装飾で飾られていた。さすがルスタンのやることはセンスがある。 さらに道路も装飾の対象だ。道路や広場に植えられたココナツの木などに電飾を施して、クリスマス気分を盛り上げている。 アンヘレスのゴーゴークラブ街もクリスマスを間近に控えて、お店の飾りつけが派手になってきている。しかし、客の入りは12月に入って減っているらしい。  アヤラアベニュー沿いにビル全体をクリスマス・ランタンに模した飾り付けを発見。ビルのオーナーのこだわりと伺える。 リトル東京の居酒屋ではウエイトレスにサンタの服を着せている。 

クリスマスの飾りつけあれこれ 2010年12月19日



退職者の方、お二人をメトロマニラの観光に案内した。観光コースは少し欲張って、イントラムロス、キアポ、チャイナタウン、グリーンヒル、ボニファシオ・グローバルシティ、アメリカンセメタリー、そしてモールオブエイシアと駆け足で回った。 イントラムロスにある世界遺産のサン・アガスティン・チャーチは相変わらず貫禄を示しており、その横のスペイン住居のカーサ・マニラも興味深い。しかし、 この日はまだ早すぎて開場していないというので、近所を散策してみた。そこで遭遇したのが、フィリピン名物のスコーター(スラム)だ。 何故、世界遺産を有する観光名所イントラムロスのど真ん中にこんなスコーターがあるのか、極めて理解に苦しむ。最近、ケソンのSMノース・アベニュー近辺 のスコーターが取り壊された際、住民の抗議で大騒ぎになっていたがここのスコーターの撤去には誰も文句は無いと思う。      無邪気に遊ぶ子供達には罪は無いが、マニラで唯一ともいえる観光の名所、世界中の人が集まるイントラムロスでスコーターはないだろう。先日のバスジャック でも醜態をさらしたばかりのリム・マニラ市長は何をやっているのだろう。名物のベイ・ウオークを撤去し、さらに今日の新聞によると露天商の排除徹底を指示 したそうだ。庶民の生活の糧を奪い、マニラの名物をなくして、何を考えているのか。マニラの浄化作戦というが、庶民的なおもしろいものをなくして、まさに フィリピンの恥部ともいえるスコーターをこの歴史地区に残しておくなんて、なんとも解せないところだ。  同じくイントラムロスにあるフォーとサンチャゴに足を向けた。ここの堀には見事に蓮の花が咲き誇っていた。タバコの農場でも是非、蓮の花を咲かせたいと思っている。  パシッグリバーをわたるとそこはもうチャイナタウンだ。今ではマカティにとって代わられたが、戦前はビジネスの中心で日本の商社や船会社の事務所もここに あった。その近傍にあるのが庶民の信仰を集めるキアポ教会だ。その周辺はリム市長の取締りのターゲットになっている露天商が軒を連ねる。マニラ観光のもう 一つの顔だ。教会の周りは幼いキリスト像のロザリオを売る店が並ぶ。 […]

イントラムロスにもスコーターが 2010年10月21日


 マカティのど真ん中、アヤラ・アベニューとマカティ・アベニューの交差点にそびえるのがシャングリラ・ホテルだ。そのシャングリラ・ホテルが 最近ペイントの塗り替えをして新しくなった。1990年初頭に建設されて以来、2回目の化粧の直しで、ほぼ10年毎の塗りかえになる。写真ではちょっとわ かりにくいが左側の側面はまだペイントされておらず、従来の白茶けた色のままだ。 アヤラ・アベニューを東に行くと、インター・コンティネンタル・ホテルがある(左写真)。これも最近白色に塗り替えられてきれいになった。マカティのコ マーシャル・センターを挟んでエドサ通りとパサイ通りの交差点にあるのがドーシット・ホテルだが(右写真)、ここも最近塗り替え工事を行なって、従来の白 から薄い茶色から上に向って白色と変化するグラデーション模様になっている。ドーシット・ホテルといえば以前は日本航空の資本がはいっており、ホテル・ ニッコー・マニラ・ガーデンという日本人に人気のホテルだったが、現在はタイのドーシット・タニ・ホテルの系列になっている。  フィリピンではホテル、コンドミニアムなど居住用のビルの外壁は、ほとんどがペイントで、タイル仕様はほとんどない。原因はよくわからないが、確かにペイ ントの方が建設費は安いが、10年ごとくらいに塗りなおさないと外観が著しく汚らしくなる。タイルであれは汚れがつきにくく、ほとんどメンテが不要で、し かも豪華な感じがするので、日本ではほとんどがタイル仕様だ。左の写真は完成間近いパソンタモ・マカティ・スクエアのビーコンだが、これもペイント仕様 だ。確かにペイントであれば色を替えてイメージチェンジを計ることもできる。しかし、パスコの事務所に近いこのビルはちょっといかがなものかと思う。         マニラの下町に行くと、メンテがされて無いビルがほとんどで、街並みがとても汚い。もともとの色はどこかへいってしまって、ほとんどが黒か灰色だ。かといって新たにペイントを行なうにも相当な出費となり、マニラのイメージを悪くしている元凶とも言えるだろう。 建設中の「Raffles Residences」の外壁はカーテン・ウオールだ。出来上がったコンクリートの構造体にパネルをはめるだけだから、あっという間に外装が出来上がる。 […]

シャングリラホテルの化粧直し 2010年10月18日