ココの成長記録


7月21日のマルコス大統領のコロナ明け宣言、8月8日の入管の入国規制の撤廃、そして8月17日のPRAのトラベルパスの撤廃と、矢継ぎ早にコロナ明けのニュースが流れた。そして、さらに8月の新学期シーズンを迎え、いよいよ本格的に対面授業が再開された。8月7日、クッキーの小学校、8月16日、ココの幼稚園、そして8月22日はキアンのハイスクールの対面授業が開始され、我が家は、3人の送迎にあわただしかった。 キアンがハイスクールを卒業するまでの5年間、もうひと踏ん張りするつもりだが、コロナ規制撤廃により、外国人の往来も活発になり、当方の主要業務であるPRA関係の動きも活発になりつつある。当方としても、3年半続いたパンデミックの自宅軟禁で、だらけ切った生活に区切りをつけて、すみやかにコロナ前の状態に戻さなければならない。 パンデミック中は、タガイタイに疎開して、用がある都度マニラにでてくるという二重生活をしていた。当方は、いずれの場所でも自宅に閉じこもって、もっぱらリモートで仕事をしていたが、外国人の往来が規制されている状況では、ビジネスは壊滅状態で、有り余る時間を日本のテレビで過ごす毎日だった。同居している子供達もオンライン授業で自宅にこもる不健康な生活を強いられてきた。それが、外出禁止も解かれて、顧客との面会、子供たちの対面授業に伴う通学の送迎、などいよいよ普通の生活にもどることになる。 そうなると必要不可欠なのが、足だ。コロナ前は運転手付き自家用車を使っていた。しかし、そんな贅沢を続けるわけにもいかないので、タクシー/グラブ、ないし、ジープニー、さらに近場は歩くことになる。グラブが良いと勧められるのだが、パンデミック前に試したところ、一度たりとも指定の場所にきてもらえずギブアップした経験がある。しかし、幸い、PRAや日本人街のマカティスクエアには徒歩で30分程度で行けるので、とりあえず、健康のためのエクササイズとして歩くことにした。 問題は、PRAが未だにアポイント制を採用していることで、好きな時間に行って複数の用事を済ませるという芸当ができないことだ。退職者が一つだけの用事のためにアポを取ってやるのは良くても、数件の用事を毎日のように時間と闘いながらこなすのは至難の業。それで、オンラインに頼らざるを得ないだが、パンデミック中の外出禁止の状況では避けられないとしても、返事が来るのに時間がかかって、対面でやるよりもはるかに効率が悪い。早く、日本大使館の様にアポイント制を廃止してほしいものだが、このアポイント制は役所にとっては大変心地の良いもののようで、PRAに限らず、ほとんどの役所で採用しているようなので、果たして元へ戻るかどうかは甚だ疑わしい。 疎開先のタガイタイを引き上げて、少なくとも平日はマニラの常駐しなければならない主な理由は、子供たちの通学だ。やはり、子供たちの発育は人との交わりが大切で、毎日パソコンをにらんでいても人間性というものは身につかない。 下から、もうすぐ4歳のココは先週から幼稚園に通っている。喋るのが遅く、果たして幼稚園に通えるのかと両親は心配していたが、ここ一年の特別レッスンにより、見違えるように上達して、めでたく医者から幼稚園通園可能のお墨付きをもらった。未だ喋る言葉は聞き取りにくいものの、こちらの言うことはほとんどわかるようで、即座に”YES”または”NO”と返事を返す。因みに英語以外にタガログ語やビコラノ語もある程度理解して口走るとのことだ。まあ、幼児の言葉が聞き取りにくく、母親しかわからないという現象は万国共通のものだが。 歩いて10分程度のキアンも通っていた私立幼稚園だが、当初はココを育ててきたヤヤが毎日、トライシクルで送って、そのまま外で待っていて、連れて帰るというシナリオだった。しかし、ちょうどその時ヤヤが具合が悪く、ママ・ジェーンとキアンの役割となった。通常、ママかヤヤが待っていないと3~4歳の幼児は泣き叫んでしまうのだが、気丈なココはへっちゃらで、今日は、トライシクルで一人で出かけて行くという芸当をやってのけた。これからは、専用のトライシクルで、毎日送迎してもらうことになっているそうだが、バッグの中には哺乳瓶を忍ばせながらココが一人で通園するという勇気に感心した。因みにキアンが迎えに行ったとき、先生はキアンのことを覚えていたそうだ。私のことまで聞いていたと言うから、これまた、感心した。 一足先に先々週から小学2年生のクラスに通い始めたクッキーはスクールバスでの通学が楽しいようで、ご機嫌だ。クッキーの強情で負けん気の性格にはキアンが手を焼いており、こんな状態では、学校では皆に疎外され、いじめられるのではないかと心配したが、案外とうまくやっているようだ。これは、弟のココという好敵手の出現により、喧嘩して、逆によく泣かされているので、自分の意地を通すだけではやっていけないということを身に染みて感じているらしい。因みにココに仕返しすると、大人たちは弟のココの味方で、キアンに対する時とは事情が異なり、クッキーも自重するということを身に着けたようだ。クッキーとココの喧嘩の様子は動画を見てほしい。 昨日から名門ドンボスコスクールのハイスクール2年生のクラスに通い始めたキアンは、3年半ぶりに友達と再会して大いにコロナ明けを実感したようだ。小学校一年からパンデミック前の4年生まで、毎日、出迎えに行っていた私にとって、3年ぶりのこの日の出迎えは、感慨深いものがあった。毎日、下校時にはシウマイやアイスクリームを食べさせてやって、一緒に帰るのが日課だった。さらにピアノやタイコンドーの稽古のあとは、日本レストランで昼食をとるのが楽しみだった。注文は決まってエビフライ定食だ。因みにピアノのレッスンはオンラインで継続してかなり上達したが、タイコンドーはオンラインというわけにも行かず、断念した。 キアンの出迎えは、この3年半、自由に外へ出ることが出来なかった私にとって、大いなる自由への解放だ。買い物も外食も自由にできるし、客との面会もキアンを出迎える前に実行できる。自宅からは2km程度なので30分も歩けば、到着して、毎日の健康のための運動としては丁度良い、まさに一石3鳥だ。マカティスクエアの近くまで来ると、新しい日本食レストランが数軒、オープンしていたが、いつか攻略してやるつもりだ。 近所に住んでいる息子夫婦との交流も、晴れて自由となった。二人の孫とも食事をして、特にもうすぐ2歳になるケイラとは、いままで数分程度だった面会が、初めて食事や外出で数時間を一緒に過ごすことが出来た。ジイジと呼ばれるのは照れ臭かったが、私を見つめて、一体誰なんだろうと考えをめぐらして、味方と判断したのか、笑顔を見せてくれた。リオも誕生日ごとにプレゼントをくれる私を肉親と理解してか、初めて抱っこをさせてもらった。 特記すべきことは、日本からのお客さんとの面会や案内が可能になったことで、コロナ明けの最初のお客さんが、かの有名作家の橘玲さんだ。一日タガイタイを案内して、疎開先にもおいでいただいた。因みに橘さんとは、2015年に出版した「ダブルマリッジ」という本の取材に協力し縁があり、その後、しばらく、私のブログをダイヤモンド社のサイト、橘玲の「海外投資の歩き方」に掲載していただいた。

コロナ明け、新学期‐対面授業再開そして疎開終了 2023年8月24日


PRA関係のアポイントと日本から調達したハンモックの受け取りのために疎開先タガイタイから一族一同、マカティにやってきた。しかし、役所はクリスマスパーティやら多忙で、タガイタイへの帰還は翌週に延期された。一方、子供たちはクリスマス休暇に突入していて、オンラインスクールも休みで退屈していた。 そんな折、ママ・ジェーンが突如として、ロックウエルのDIN TAI FUNGに小籠包を食べに行こうと言い出した。私としては、日本の楽天に注文した待望のハンモックが2日遅れで届くとDHLから通知があったので、家にいなければならなかった。しかし、DHLなら、EMSと違って不在だからといってほったらかしにされる心配もないので、久しぶりの外食、しかも小籠包を楽しむために皆と出かけることにした。 小籠包はBGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)で何度か味わったのだが、店の名前(DIN TAI FUNG)というのは忘れていた。それで、ロックウエルに到着したら、小籠包(ショーロンパオ)とバカの一つ覚えで聞きまくって無事にたどり着くことが出来た。店の雰囲気は小ぶりではあるものの、一目でそれとわかる店構えだった。 メニューはBCGと同じで特に目新しいものではないが、久しぶりなので料理を選ぶのが楽しかった。要はシュウマイが中心の台湾の点心料理なので、子供たちにとってはとっつきやすい、特にココは珍しさに目を輝かせていた。 食事が終わって、クリスマスのパンダの飾りつけのある広場で、ジェーンが勘定を終えるのを待っていたがいつまで待っても現れない。そうこうしている間に、ココが他の子が持っているミニカーを入れたプラスティックの筒が欲しいと言ってわめき始めた。私にしきりに訴えるのだが、私にはなんで涙まで出してわめいているのかわからない。 ようやくママ・ジェーンが戻ってきて、一しきり写真を撮ってからおもちゃ屋(TOYSRUS)に向かった。キアンになぜ遅くなったのか聞くと、そこに飾ってあったポルシェ・マカンの抽選会に行って来たのだという。値段を聞かれたので一千万円は堅いだろうと話すと、ジェーンは、当たったらすぐに売っぱらって現金にして有効に使うと豪語する。さらにどこかロックウエルのレストランで食べたいところはないかとまで、聞いてきた。突然ロックウエルの小籠包と言い出したのが、これで解せた。ポルシェ・マカンの抽選が目当てだったのだ。 クリスマスシーズンとあって、おもちゃ屋は人で溢れていた。目当てのミニカーの筒を見つけると、1480ペソもする、これは当然、私の出番となる。ココは、それだけはあきたらず、他のおもちゃを見つけて、それも欲しいと泣き叫ぶ。おもちゃ屋の前で座り込みのストライキを始めるのは、まさに古今東西共通の現象のようだ。 帰宅後、しばらくして、キアンがダダのハンモックが届いたと言うので外へ出ると15㎏の荷物を抱えて配達人が待っていた。まさにグッドタイミングだった。このハンモックは次回のブログで詳細を紹介するが、今回のマニラ行きの最大の目的でもあったので、ホッと胸をなでおろした。

ロックウエルはクリスマス商戦たけなわ 2022年12月16日



ココのおしゃべりが遅いことを心配して幼児のテラピーに通わせて以来、ママ・ジェーンが、ヤヤとココ、それにクッキーを連れて毎週、火曜と木曜の昼過ぎに出かけ始めて数か月になる。最近は、なんとか、おしゃべりとまでは行かないものの、ダダ、ダダ、と言ってうるさいくらいになってきている。しかし、午後の2時ごろ出かけると夜の7時あるいは8時まで戻って来ないので、キアンと私はタガイタイの疎開先で鬼のいぬまの洗濯にいそしんでいる。 そんな折、マニラに所用があって出かけて行くついでにココのテラピーに同行することになった。テラピーの場所は、タガイタイではなくて、サンタロサのロビンソンモールであり、その後、近くのSM City サンタロサにあるキッズーナに寄って遊んでくるのが日課になっていることを知った。 ロビンソンにはダイソーがあって、免許証の更新でお世話になったりしたが、SM City サンタロサには度肝を抜かれた。まだできて間もないと思われるが、オルテガスのSM メガ・モールあるいはマニラ湾に面したモール・オブ・エイシアに引けを取らないほどの巨大なモールなのだ。サンタロサと言ってもショッピングモールが集中するヌバリからは遠く、SLEXを挟んで反対側の草原のど真ん中に建設されたという感じなのだ。こんな場所に人が集まるのだろうから思うが、それがSMのやり方で、SMの進出で街が出来てしまうのだ。 中に入ると、広大なエリアにはまだまだ空きスペースが多いもののユニクロなどが出店しており、レストラン街には名の知れたレストランが軒を連ねている。その奥まった2階に日本のイオンが経営するキッズーナ(KIDZOOONA)がある。キッズーナはかつて、マカティ・パソンタモ通りのウオルターマートにもあって、キアンが幼少のころお世話になった。しかし、規模の観点でここのキッズーナは圧倒的なのだ。 入場料は子供一人、240ペソ/一時間、340ペソ/2時間、440ペソ/3時間、で子供一人につき、大人一人の付き添いが無料だ。それで、2時間コースで入場したのだが、私とキアンにとっては長すぎる時間だった。しかし、適齢期のクッキーとココにとってはあったという間の2時間だったようだ。これで、タガイタイによる遅く帰ってくるのが解せた。

SM City サンタロサ キッズーナで遊ぶ 2022年12月11日


NHK BSプレミアムの毎週火曜の夜の番組、ヒューマニエンスで最近「言葉」と「文字」という興味深いテーマを連続で取り上げていた。要は「言葉が人間の思考を育み、文字が人間の文明を育んで人間と動物の違いを生み出し、現在の繁栄をもららした」というのである。ホモサピエンスが発生して20万年、言葉により、人間の思考が大いに発達し、道具を作り、効率の良い狩猟や耕作を行って、地球を征服した。一方、文字は、ピラミッドの時代から5千年程度の時間しか経っていないのだが、その間に人類はそれまでとは比べられない速度で高度な文明を築き上げた。 言葉は十数万年の時を経ているためか、子供は2~3歳でかなり流ちょうに話すことが出来るようになる。そして言葉を覚えて、思考力がついて、人間として成長してくのだ。一方、文字については、幼稚園ないし小学校で、子供たちは「いろは」ないし「ABC」を徹底的に叩き込まないと覚えることができない。これは文字を覚えるというDNAがないので、脳に無理やり押し込まないとだめで言葉の様に自然に覚えるというわけにはいかないのだ。 文字が生まれて5千年というが、庶民にまで文字が普及したのは、ここ数百年にすぎない。要は、人間は文字などなくても立派に生きていくことが出来たのだ。文字はつい最近まで権力者に独占され、庶民は読み書きができなかった。言葉と文字の違いは、言葉は、その人が死ねば、すべて消えてしまうが、文字は時空を超えて、広範囲にそして長期間、情報を伝達することが出来る外部記憶装置として、積み重ねが可能で、文明を構築する重要なツールとなった。 ヒューマニエンスで次に取り上げてもらいたいのが、「数字」だ。子供たちにとって、数字は、多分文字よりも難解で、たったの0から9しかないのに、小学校、中学、そして高校と延々と学ばなけれならず、誰しも途中で投げ出してしまう。日本の大学受験でも、数学ある場合は、志望校/学科から真っ先に外してしまう人が多い。フィリピンにおいては、小学校低学年でギブアップして長い生涯を数字から逃げ回って暮らす人が大半だろう。しかし、この数字こそが、現在の超文明ともいえるコンピューターの世界での要なのだ。ちなみにコンピューターは0と1しか扱っていないのだが、その威力は誰しもスマホで思い知っており、スマホ無しでは一時も過ごすことが出来なくなっている。 この言語、そして文字、さらに数字まつわる人類史を目の当たりにさせてくれるのが子供達だ。我が家の女戦士クッキーは最近6歳になって、小学一年生で、オンライン授業を受けているのだが、3歳のころから母親、顔負けの言い争いができる子で、我が家のボスに上り詰めるのも時間の問題と思われた。しかし、パンデミックで幼稚園が閉鎖されてり、オンラインの家庭教師を雇っていたものの、文字の学習が滞っていた。しかも、クッキーは小学校に入学してから、6歳の誕生日を迎えたので、多分、一年、早く入学したらしい。しかもろくすっぽ幼稚園の授業を受けていないから、算数の授業に全くついていけない。優秀で飛び級というならまだしも、年齢をごまかして、一年、早く入学するなんてことは百害あって一利なしだ。 さらに数字となると、ちんぷんかんぷんで私に白羽の矢が飛んできた。しかし、数えることさえらくすっぽできない子供に、1たす1は2といくら唱えてもらちがあかない。まして、引き算や二けたの数字なんて夢のまた夢だ。私は幼児に数の概念を教え込むというノウハウは持ち合わせていないが、このままでは、文字はなんとか覚えたとしても数字に関してはご多分にもれず、九九もろくすっぽできない普通のフィリピン人ンなってしまいそうだ。 いくら教科書の一桁足し算や引き算を繰り返しても数の概念が無いのだから、馬の耳に念仏だ。そこで、たまたま置いてあったFireman Ladder(すごろくの一種)という遊びに目をつけた。サイコロを二つ使って出た目だけ進む。階段のところで止まると、上にあがれて、棒に止まると滑る落ちてしまう。これを大いに気にいったクッキーは、毎日やりたいやりたいとねだる。数百回も繰り返しただろうか、数というものがなんなのか、そして1から6の足し算はすらすらできるようになった。子供が知識を蓄えるには遊びが一番で、楽しいから覚える、いやいや、やらされたのでは、何の足しにもならないどころか逆効果だ。 しかし、オンラインスクールの方は、二けたの足し算や引き算に進んでいて、すごろくでは12までの数字しか出てこないから、クッキーは相変わらずちんぷんかんぷんだ。そして、コインを使って、買い物ゲームをすることにしたが、一ペソが10個で10ペソ、10ペソコインが5個で50ペソ、10個で100ペソ、さらに10ペソコインが5個と1ペソコインが3個で、53ペソとなるというようなことがクッキーには、どうしても理解できない。このままでは将来、お金が数えられない大人に育ってしまうと危惧される。 オンラインスクールといえば、二桁の足し算にバンバンと先へ進んでいるようだが、ママ・ジェーンはオンラインに後れを取らないように強制的に答えさせようとする。クッキーとしては、いくら怒鳴られてもわからないものはわからないから、対応のしようもない。挙句の果てには、ひっぱだいたりしていたが、まさに愚の骨頂で、クッキーは数字がトラウマになって、算数というだけで、逃げ回るようになるのは必定だ。その結果、自ら算数を教えることをギブアップしたようで、それ以来、口をはさむのやめて、兄のキアンに任せてしまった。 文字の方はどうなんだとキアンに聞くと、数字に比べてはましで、そこそこ上達はしているらしいが、ちょっと長い単語は読ませると、口でもごもご言ってごまかしているらしい。あれだけ流ちょうにしゃべれるのにと、変に感心するが、言葉の十数万年の歴史と文字の数百年の歴史の差なのだろう。一方、数字に至っては、フィリピンではまだまだ庶民レベルでは使いこなしているとはいいがたい気がする。しかし、今では計算機というものがあるから、なんとか辻褄を合わせることが出来ているようだ。キアンに至っては、幼稚園からの公文から始まって、パンデミックの3年間私がじっくり仕込んだので、なんとか追っついているようだが、クッキーについては、なるようにしかならないのだろう。 2019年11月生まれで、パンデミックの最中に育ったココは、つい最近まで、外出ということを知らず、家に閉じ込められていた。今日、3歳の誕生日を迎えるココ(Bernard 3rd、因みにキアンはBernard Jr.で実に親子3人が同じ名前なのだ)は、いまだに言葉を使ってしゃべるというには、ほど遠い。ようやく、周囲の人間をダダとかヤヤとか呼べるようになったところで、半年くらい前から、異常ではないかと、幼児の会話教室に週2回通わせられている。そのおかげで「what […]

言葉、文字、数字、そしてクッキーとココの苦行 2022年11月9日



子供たちが、2年間待ちわびたこの日がついにやってきた。退職者の来訪、ビザ発行などの用件を済ませて、10日ぶりに疎開先のタガイタイに戻ってきた。マカティでは、あいかわらず、ほとんど家にこもっていたのだが、タガイタイへの道すがら、ママ・ジェーンが、高速道路沿いのプール・リゾートのスプラッシュアイランドを見て、子供たちが、2回目のワクチン接種が終わったら、連れて行ってあげると言い出したのだ。さらに戻ってからは、明日は、子供たちにとってのタガイタイ観光の目玉、スカイランチ(遊園地)に行こうと言う話がまとまった。 確かにマカティでもタガイタイでも車や人の出は、もはやパンデミックの気配は見えないし、これ以上、子供たちを家に閉じ込めておくことはできないと悟ったのだろう。毎日数万人の感染者が出ている日本でさえ、緩和の動きがあるのに、数百人の感染者、しかもワクチン接種も終わっているのにいつまでもおどおどしているわけにもいかないというわけだ。 この日は、平日なので、午前中はオンライン授業がある、そして午後のお昼寝を終えて、もたもたしているうちに4時ごろの出発となった。真昼間は暑いし、すぐ近くだし、帰りは夕飯でも外で食べるならばちょうど良い時間だ。 田舎からの居候のハイスクールの女の子二人、ママジェーンの子供達、キアン、クッキー、ココのKKK団、それにヤヤと私の7人、それに運転手役のママ・ジェーン、総勢8人で出かけた。 平日にも関わらず、道すがら観光客の姿が目立った。車の数も渋滞こそおきてはいないが、そこそこ混んでいる。やはり皆、外の空気が吸いたいので、タガイタイにやってきたのだろう。当方は、昨年の8月以来、ここに住んでいるものの、今日が初めて外出だ。 スカイランチが近づくと、子供達、特に5歳のクッキーがシンボルの観覧車を見つけて歓声をあげた。車窓からしか外の世界を知らない2歳のココは一体、ここがなんなのか見当もつかない。 入場料が一人一律100ペソ、大人はくっついているだけだから、入場料が安いのはありがたい。乗り物は別料金で、それぞれの乗り物ごとにチケットを買わなければならないのが面倒だ。料金はあらかた100ペソ/回で、一人につき、500ペソの予算では少々物足りないが、5人もつれていると、それでも乗り物代だけで、2500ペソになってしまう。 ハイスクールの居候にはちょっと物足りないが、小学校間近のクッキーから、中学間近のキアンあたりまでがちょうどよい。ココにはちょっと早いが、それでも大いに楽しんでいた。平日にも関わらず、そこそこの人出で、決して閑散としているという雰囲気はない。タール火山の絶景を望む高台にあって、それを楽しむピクニックととして位置付けても大人もそこそこ楽しめる。 このほか、タガイタイには、ピクニック・グローブ、ピープルズ・パーク、レジデンスイン・ミニ動物園、マホガニー・マーケットなど観光の目玉があるので、疎開中に順繰りに攻めて行きたい。

コロナ解禁、タガイタイ・スカイランチ(遊園地)訪問 2022年4月9日


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東日本大震災から明日で10年を経ようとして、日本のTVは、その話題で持ちきりだ。一方、マニラ・コロナ封鎖は15日で一年を迎えようとしている。この封鎖で開店休業となって時間をもてあまし、キアンの算数の家庭教師をかって出た。あれから一年近い歳月、ほとんど毎日一時間ほどのレッスンで、ようやくキアンがオンラインテストで満点を取って結果を出してくれたのだ。キアンの喜びようは尋常ではなかったが、それよりも、私自身、よくここまで我慢してやってきたものだと、自分を褒めてやりたくなるほどの感激だった。今年に入ってから、コロナ/PRA/SRRV関連以外にブログのトピックになるような話題はなくて、すっかりご無沙汰していたのだが、ようやく筆を執る気になるニュースだった。参照ブログ「封鎖中はキアンの家庭教師に再就職 2020年4月25日」 昨年、キアンの算数レッスンを開始した当初、九九が完璧でないこと、一桁の+-に指を使うことなど、小学校低学年での算数学習の基礎がなっていないことに気がついた。これは、3年前に私自身が教えることをギブアップしてしまって、家庭教師に任せてしまったのが原因だ。今更、後悔しても始まらないし、もはや手遅れだが、いまや四則演算は計算機がやってくれる時代なのでおおきなハンディになることもないだろう。 4年生の教科書が学校においてあって、封鎖で取りに行けないので、Beastというオンライン算数問題集でレッスンをはじめた。4年生の復習を主に行なったのだが、オンラインなのと、式や計算を紙に書いてやる習慣が不十分なので、暗算で出来ないと、すぐにギブアップして、思いつくままに適当に回答してしまう。キアンは、学校の試験は四択(a,b,c,d)だから、でたらめに選んでも25%は正解となることを知っているのだ。 そこでしつこくしつけたのが、まずは式を紙に書け、そして計算の手順を書いて、回答を導け、決して暗算を頼りにするな、である。一桁の四則演算も暗算でろくすっぽ出来ないくせに、文章問題を暗算でこなすなんて10年早い。また3桁以上の計算になると、きちんと紙に書いて計算できないので、位取りが混乱してしまって、正解を導くことができない。 ここ数ヶ月はキアンが大きらいという分数に挑戦した。足し算引き算に必要な通分や計算結果の約分、私自身、算数に関わる英語がわからないので、その概念を教えるのに苦労した。教科書には詳しく概念を教えてあるのだろうが、その教科書がないので、どうにもならない。 そして分数の掛け算・割り算に進むと、何故、割り算は分母と分子をひっくり返して掛け算をすれば良いのか、なかなか覚えてくれない。その時はテクニックとして覚えても、次の問題に移ると、掛け算も割り算も同じになってしまう。私としても、これは繰り返して叩き込まなければならないと覚悟して臨むのだが、つい、アホかと声を荒げてしまう。 そうなるとキアンは萎縮してしまって、ちんぷんかんぷんになってしまう。これを脳みそという言葉の連想からみそスープと名づけ、脳みそがみそスープになると、キアンは思考が停止してしまうだ。 キアンの勉強の敵はクッキーだ。遠慮という言葉を知らないクッキーは算数レッスン中でも平気で、キアンの邪魔をする。時には、私がキアンが算数のレッスンを行なうことを拒否する。強引にやったとしても周囲で大騒ぎするのでキアンの脳はみそスープになって意味がない。 ママ・ジェーンは「クッキーがいたくらいで気が散って勉強ができないなんてことは許されない」と精神論を唱えて、クッキーの邪魔立てを放任した。最近は、さすがにクッキーの邪魔立てがどんなものか、身を持って知ることになり、キアンがオンラインスクールや算数レッスンでしているときは邪魔をしないようにクッキーを注意するが、それにさえ歯向かうクッキーなのだ。 そんなわけで、家庭内で孤立気味のクッキーはパパカーネルが帰宅してハグをしようとすると、「ウイルスがいるから、まずはシャワーを浴びて来い」と怒鳴る。さすがカーネルは冷静にクッキーに従うが、私ならはったおしているところだ。 一方、1歳と4ヶ月目を迎えたココは、部屋をヨチヨチと走り回って、周囲の喝采を浴びる人気者だ。私の部屋を訪れるのが大好きで、ひとしきり私の周りのものを投げ散らかして遊んでゆく。しかし、それにクッキーが加わると、わざと叫び声を挙げたり、他人が嫌がることをやる、典型的な嫌われ者役で、私の顔はしかめっ面のままだ。それに対して、クッキーは”I don’t like your […]

コロナ封鎖下、苦節一年、キアンの快挙 2021年3月10日



封鎖開始から2ヶ月、在宅隔離も我慢の限界が近くなってきている。そんな矢先、13日、再び、31日まで封鎖継続のニュースが流れた。MECQ(修正強化地域防疫)と称しており、工場や事務所の限定的再開などの緩和措置があるようだ。庶民の生活としては食料品の他に日常品の販売が解禁になる。ただし、外出禁止は継続しており、公共交通機関も動いていないので、庶民に取ってはジョギングなどが許されたことくらいが大きな違いだろうか。私としても二ヶ月間一歩も外に出ておらず、外の空気に触れるのは一日一回、新聞を取りに玄関に出る時だけで、いい加減飽き飽きしているのだが、60歳以上は外出厳禁なので、全く変らない生活が続くことになる。 フィリピンの封鎖解除の順番は、現状の最高度の(1)ECQ (Enhanced Community Quarantine、強化地域防疫)の次が今回の (2)MECQ (Modified Enhanced Community Quarantine修正強化地域防疫) で、マニラ首都圏以外の(3)GCQ (General Community Quarantine一般地域防疫)、最後は(4)MGCQ (Modified […]

クッキー(3歳半)の反逆 2020年5月15日、5月17日、18日追記


今日の朝、マニラ封鎖が5月15日まで延長されることが発令された。これで、都合、2ヶ月間の封鎖となる。日本でも緊急事態宣言が発令されてから2週間たって、果たしてその効果はと、周囲はかしましいが、フィリピンはもっと厳しい封鎖(移動禁止、外出禁止、娯楽施設の閉鎖、公共交通、官庁、銀行等の機能停止、モールを始め 食品と医薬品販売以外のほとんどの商店の閉鎖)を3月15日と早々に開始して徹底されているにも関わらず、その成果らしきものは見えず、2度目の延長となった。韓国、中国、台湾などは、終息といえる状況になっていることが、唯一の救いだ。しかし、欧米は終息の兆しが見えるというものの、いわば、高止まりであって、終息とはいいがたい状況で、きっと為政者の得点稼ぎに違いない。 最近のカリフォルニア等での抗体検査によると、抗体をもっている人の数が感染者の十数倍いるとの調査結果が出ているそうだ。ということは、抗体を獲得した多数の無症状感染者がウイルスをばら撒いていたわけで、その結果、抗体を獲得した人が大多数となると、感染が終息を迎えるというわけだ。スウェーデンではあえて封鎖や外出禁止などの規制をしないで、感染後抗体を獲得した人が自然に増えて、ウイルスが封じ込まれることを期待しているそうだ。 それが真実だとしたら、要は、ウイルスに感染して抗体を獲得しなさい、ウイルスに負けたら、運が悪かったですね、となってしまう、いわゆる歩留まりというやつだ。そうなると、感染者が減って封鎖が解除されたからといって、無症状の感染者はいくらでも巷をうろついているわけで、2ヶ月もの間、自宅に謹慎していた持病持ちで抗体を持たない私をはじめとする無垢の高齢者が、のこのこと街に出て行くことは 極めて感染リスクが高いといわざるを得ない。おまけに、感染して入院したら、重症化しやすいし、退院してもしなくても(死んでしまっても)百万ペソ単位の治療費の請求がくるらしい。私は、一切の保険というものは加入しておらず、日本の住民票を抜いているので健康保険に加入できないので、自分が死ぬだけならまだしも残された家族に大いなる負の遺産を残すことになり、空恐ろしく思う。 こうなると自分の身を守るために、封鎖解除後においても当面の間、自主的に自分自身を隔離して感染防止に努めざるをえない。業務は自宅にこもってインターネットと郵送で、顧客とは面会すること無しに遂行する、いわゆる在宅勤務だ。 もっともコロナ大戦後も海外から客が継続してやってくるかどうかも定かではないのだが、そんな在宅勤務がが可能かどうかPRA等の役所の対応次第だ。それが、だめだとしたら、廃業ということも視野にいれなければならないと危惧し始めている。 ところで、海外から顧客が入国できないし面会もできないという状況で、我がビジネスはご多分にもれず、すでに休眠状態なのだが、そこで目をつけたのが、同じく休校で、自宅にこもりっきりのキアン(10歳小4)の家庭教師に再就職することだ。キアンは、3人兄弟となって、それなりに楽しんではいるものの、学校が休みで、ピアノやテコンドウにも通えず、さらに、3ヶ月の夏休みが継続するとなると、半年近いブレークとなる。これは小学校高学年を目前にしたキアンにとって学業そして成長の遅れは取り返しのつかないものになる恐れがある。 封鎖の初期、学校の宿題を手伝っていたとき、キアンが九九が怪しげであることに気がついた。小学校へ入る前に公文に通わせて、算数を徹底的に仕込もうと思っていたのだが、挫折した。 「 キアン、ついに公文をギブアップ 2017年10月13日 」参照。 その後、しばらく私が教えたのだが、やはり餅屋は餅屋にということで、ドンボスコの先生を家庭教師に雇って、2年が経過した。その時、九九の7x、8x、9xをやり残して、家庭教師に任せたのだが、あれから2年、相変わらずそこでつまずくのだ。この2年間全く成長していないのかと唖然とした。 そこで、2年前を思い出して、4年生の教科書の復習から始めようということになった。そこで、教科書も持ってくるようにというと、学校においてあって、ないと言う。しかし、封鎖中で、学校に取りに行くわけにもいかない。そうしたら、しばらく前にBeast Academyという、まさにうってつけのWebsiteのアプリを購入していて、毎日、2時間、その問題集をやることにした。 […]

封鎖中はキアンの家庭教師に再就職 2020年4月25日