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10月29日(土)早朝、目を覚ますと風雨で外が騒がしい。前日、大型台風が近づいているという情報をえて、進路を確かめると、農場のあるビコールとマニラを直撃する見込みだった。しかし、大型とはいえ、広範囲なだけで、中心気圧は990パスカル程度、風速も30m程度で、さほど警戒するに値するものではないと判断された。早速、現在地を調べてみると、幸い、農場(赤マーク)を北に掠めたものの首都圏、そして私が疎開しているタガイタイ(赤マーク)を虎視眈々とうかがっており、29日夜半まで暴風雨が吹き荒れる見込みだった。 早朝、窓の外を眺めるとバナナの木が風前の灯の様相を呈していた。さらに、街灯用のソーラーパネルが風に吹かれてバタバタしていたり、2階のベランダに雨水がたまって、排水管を通して家の天井から雨漏りしている。そこでヤヤ(子守)とキアンが雨の中をずぶぬれになって、パネルを固定したり、ラバーカップで排水管の詰まりを取り除いたり、活躍してくれた。当方は、先日腰を痛めていたせいもあって高嶺の見物をしていたのだが、久々の事件でエキサイトぎみだった。 午後3時ごろには、いよいよ、台風が至近距離まで近づいたが、風雨は特に強くなることもなく、時間さえ立てば終わる問題と思えた。なお、台風通過後のビコールの農場からも連絡があって、バナナが数本倒れただけで、特に被害はないとのことだった。夜になると、停電となり、Wifiがないので、インターネットTVも見れず、相変わらず外は風雨でうるさいが、もはや寝るしかなかった。ちなみにこの停電は、特に送電施設に被害があったわけではなくて、台風通過前ないし通過後、一旦配電を止めて、送電・配電施設に異常がないか確かめて上で、配電を行うという電力会社の安全管理の一環として行われるものだ。動画をアップしたので参照してほしい。 翌朝、台風はすっかりおさまってすでに南シナ海に抜けていた。ルートを調べてみると、台風は、赤マークのタガイタイ直前で進路を北に変えて、北上し、マニラ首都圏を掠めて、再び進路を西に変えて、南シナ海に抜けていた。一方、台風被害は、セブのあるビサヤ地方とダバオのあるミンダナオ島に集中して、マニラ首都圏は、被害と呼べるものはなかったようだ。それでも29日の台風通過中は道路冠水で方々で交通が遮断されたとのことで、パパ・カーネルはタガイタイに来れず、31日にようやくやってきた。 翌朝、いつもの散歩に出てみると、ビレッジ中に木の葉が散乱していたが、被害と呼べるようなものは見当たらなかった。バナナはもともと木ではなくて草の一種なのでこの程度の風で倒れてしまう。しかし、すぐに新しい芽が出て成長するからかまわない。一方、南国の象徴のヤシの木は強風に対しては葉を落として、細い幹をしならせて風速60mにも耐えることができるすぐれものだ。 被害の中心は、ミンダナオとビサヤ地方で、洪水や土砂崩れのために死者48人、避難者36万人と報告されているが、ルソン島においては特に被害の報告は聞こえてこない。タガイタイで被害があるとしたら、土砂崩れだろう。しかし、ここの造成は自然のままの丘陵地形に道路を付けただけで、特に盛り土をして平らにしているわけではないので、その危険性も少ないと思う。その点、バギオは、かなり無理をして造成しているので、大雨による土砂崩れに被害は甚大になる。 台風22号パエンが去ったと思ったら、引き続き、23号(クエニー)発生のニュースが入った。ミンダナオ島の東にあり、さほどの被害をもたらすことは無いとのことだが、日本と違って、フィリピンでは11月、12月が台風シーズンでこれからが本番なのだ。 29日(土)の台風襲来日以来、フィリピンはハロウィンの1日(火)まで4連休となっている。したがって、この台風でいくら雨が降ったとしても休み明けの2日(水)には水は引いているはず、停電になったとしても回復しているとの読みがあった。しかし、過去、2006年の台風レミン、2009年の台風オンドイ、さらに2013年の台風ヨランダ級の台風に襲われると週単位ないし月単位のインフラの機能マヒが発生するので恐ろしい。 私の食卓に欠かせないアッチャーラ(未熟パパイヤの千切りの酢漬け、フィリピンの唯一とも言える漬物)の原料となるパパイヤは、種から育てて、やっとここまで育ったので楽しみにしている。未熟パパイヤは、消化、美肌に効果があり、完熟パパイヤは果物としておいしいし、まさに奇跡のフルーツだ。それがいくらでも只で手に入る日も近いのが、台風で根こそぎやられてしまうのが一番の心配だった。 バナナについては、日本でもブームで、これぞ南国のNO. 1の奇跡のフルーツと言える。パパイヤほど手軽の作れるわけではないが、一旦うえれば、ほっておいても、どんどん増えて、かなり大量の実をつけてくれるので、うれしい限りだ。

台風22号パエン襲来 2022年11月1日


3月1日から警戒レベルがレベル1に緩和され、一か月が経過し、4月からもレベル1が継続されることになった。レベル1となると役所、レストラン、公共交通機関、建設現場など100%の稼働が可能で、ワクチンを接種していて、マスクさえしていれば、普通の社会生活を送ることができる。 かと言って諸外国に目を向けるとコロナ感染の最盛期ともいえる感染者数で、東京だけでも毎日一万人前後の感染者数もウクライナに気を取られているのか、麻痺してしまったいるのか、たいした話題にもなっていない。しかし、この状況がいつフィリピンにやってくるかわからないので、まだまだ油断をするの早い。 そういうわけで我が家は警戒レベル3を自主的に維持して、高齢者と子供は外出禁止となっている。しかし、世の中が動き始めていると、そうばかりも言ってられない状況が出てくる。そういうわけで今週は、2年ぶりの外出を果たすことが出来たのでその感想を述べたい。 2月に退職ビザの申請者がおいでになったときは、まだ警戒レベルは2で、高齢者の外出禁止は活きていた。そのため、申請者とは面会することなく、リモートで、申請、発行までこぎつけた。しかし、3月末においでなった方から、パスポートを含む書類の引き渡しをリモートで行うことを拒否され、警戒レベル1では高齢者の私でも外出できるので、断りきれなかった。 その後は、キアンの卒業写真の撮影(Pictorial)だ。久しぶりに訪れたドンボスコスクールは、人っけはまばらだが、毎日の出迎え、水泳教室、テコンドウ教室などなど4年間のキアンとの思いでがこみあげてくる。この2年間、そんな日常を奪われしまったことが、悔しくてならない。 ママ・ジェーンの話によると、キアンは更に2年間、ドンボスコに通うそうだ。そうしたら、また、私に出迎えをして欲しいと言う。車と運転手がいると言ったら、キアンはもう大きいのだから、ジプニーか歩きで十分だという。確かに1.5km程度の距離だから、歩いても20分程度で、雨でも降らなければ歩けない距離ではない。自転車という手もあるが、車が多い通りなので、ちょっと怖い。この提案に、キアンも私も、してやったりとほくそ笑んだ。私にとっても糖尿病予防の散歩になって一石2鳥だ。 実はこの卒業についてはひと悶着があった。オンラインレッスン中、キアンがゲームをやっているという疑いから、卒業はさせられないという通知が学校からあったのだ。キアンは否定するもののジェーンは黒と決めつけてキアンをつるし上げた。確かにそんな気配も去年はあったが、両親にこっぴどく叱られて懲りているはずだ。そうこうしている間にジェーンは学校と話をつけたと豪語して今日の卒業写真撮影にこぎつけた。 ドンボスコの目の前にはWalter Martのモールがある。ここは、キアンと私が毎日、学校帰りに立ち寄って、シウマイやアイスクリームをごちそうするのが日課になっていた。このシウマイとアイスクリームがキアンをデブにしてしまったという話もあるが、キアンにとっては至福の時だった。そういえば、学校の門の外の売店でポケモンカードを買うのも日課だった。ママ・ジェーンもその点を理解していて、自主規制を解いてもらって、ひとしきり、モールの中を散策させてもらった。 入り口でワクチンカードの提示があるのかと思ったが、2年前と何の変化もなかった。4階のシウマイはさすがに立ち食いは許されず、冷凍を買うことになった。さらに100円ショップの日本城では老眼鏡などの日用品を買い求めた。必要な物がすぐに手に入るということは、2年間、味わうことが出来なかった喜びである。 そして、翌々日、3月31日の期末はキアンの12歳の誕生日だ。キアンもいよいよ、ハイスクール、日本で言えば中学生だ。ママ・ジェーンは、何もしないと言っていたのだが、やはり、ロースト・チキンにケーキと、キアンの喜ぶものが用意されていた。 恒例のHoppy Birthday to youの後の会話の中で、キアンがダダ(私のこと)と大きな声で言ったので、耳を傾けていると、ママ・ジェーンから誰が一番好きかと聞かれ、即座にダダと答えたのだ。なんともうれしい限りで、ママ・ジェーンとは仕事の話をしたかったのが、この時だけは、憚れて黙っていた。 […]

マニラに活気が戻ってきた 2022年4月2日



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年明け、感染状況が落ち着いてきて、外国人の入国が緩和され、2021年2月16日より基本的に有効なビザを保有している外国人の入国が可能となった。マニラ首都圏のコロナ隔離措置もGCQからMGCQへと緩和されるものと期待され、いよいよ庶民の生活が戻ってくるものと胸がふくらんだ。ちなみにフィリピンのコロナ隔離措置は4段階に分類され、一番厳しいのがECQ(Enhanced Community Quarantine)で、以下 MECQ(Modified CQ)、GCQ(General CQ)、 MGCQ(Modified CQ)でMGCQにいたって、かなり自由な行動が可能となる。ちなみに上から3番目のGCQあたりが、日本の緊急事態宣言に相当し、一番厳しいECQにいたると、いわゆる封鎖(ロックダウン)であり、ほとんどすべての経済、社会活動が停止され、庶民は自宅に軟禁、街はゴーストタウンと化す。 しかし、結局、いまだ時期尚早ということで、3月1日からのコロナ隔離措置はGCQが維持されることになったが、昨年の3月15日から始まったコロナ隔離措置(ECQ=封鎖、ロックダウン)以来、一周年を迎えることとなった。ところが3月後半になって、首都圏を中心に新規感染者が急増してフィリピン全体で毎日1万人を超える状況となり、3月22日、一部例外を除いてフィリピン人を含む外国からの入国を一ヶ月間禁止、さらに4月4日から11日までの一週間、首都圏はECQが発令された。まさに、一年前の封鎖(ロックダウン)に逆戻りしてしまったわけだが、欧米ではワクチンの接種され始めた状況で、規制緩和の期待が大きかっただけに、庶民の落胆は大きいものがあった。しかし、ドテルテ大統領の強力な指導力のたまものか、暴動のような社会不安には至らなかった。 このままでは経済、庶民生活がなりたたず、コロナ感染による死亡よりも餓死者のほうが多くなるという経済界の圧力のせいか、その後、4月12日からはMECQへと一段階、緩和され、5月1日からはフィリピン人はもとより外国人の入国も有効なビザを保有している限り可能となった(ただし、SRRVと9aビザおいては外務省からの入国許可書-EEDが必要)。感染者数も減少傾向を見せており、ワクチン接種も開始されたので、コロナ規制もMECQからGCQさらにはMGCQへ緩和され(その後、5月15日からGCQに緩和された)、外国人の入国も、従来のようにビザ無しで自由に行き来できるようになることが期待されるところだ。しかし、インド変異種の拡大も報じられているので、まだまだ予断は許されない。 封鎖一周年などと浮かれていた3月20日過ぎ、首都圏の感染が急拡大していたおり、同居人のママ・ジェーンから陽性だったと告げられた。我が家では唯一彼女が買い物などの外出可能で、他の者はこの一年、クリニック以外は外出できない、まさに自宅軟禁状態だった。ウイルスの感染源は彼女か、あるいは郵便物か食材等の配達人のいずれかだ。直後、私は具合が悪くなり、キアン(10才)は高熱、二人のメイドのうち一人は2週間ほど入院するはめになった。検査の結果は、国家警察幹部のご主人が陰性だった他は、全員陽性、ただしクッキー(4才)とココ(1才)の幼児二人と二十歳のメイドは無症状だった。キアンの高熱は一日で下がり、ジェーンもほとんど無症状だったが、市役所の指示にしたがって一週間ほど部屋にこもって自主隔離をした。ジェーンが隔離で、メイド一人が入院で家事戦線を離脱、残されたメイド一人が幼児二人と寝たきりの私の世話、そして家事全般をこなさなければならないという、まさに、ジェーンの戦線復帰までの一週間は家事崩壊の危機だった。 問題は、高齢者の私なのだが、熱はないが、トイレに行くだけで息が切れて、横になっていても呼吸が今一難しい、まさに肺炎の症状だ。嗅覚や味覚は正常だが、食欲がなく、上向きでベッドに横たわっているしか術がない。医者には往診してもらったのだが、取りあえず自宅で療養して重症化するようだったら入院するよう告げられた。しかし、マニラの主要病院のベッドは満杯で、数十人の順番待ちがあり、入院することさえままならない、まさに医療崩壊の状態のようだ。さらに、なんとか入院できたとしても保険制度がお粗末なフィリピンでは、症状により入院費は数十万ペソから数百万ペソの自己負担で、コロナよりも返って恐ろしい。 幸い3週間程度で症状も治まって、検査も陰性となった。しかし、家の階段の上り下りも息が切れ、ほとんど体力がなくなっている。いわゆるコロナ後遺症で、この状態が回復するには数ヶ月かかるそうだが、さらに2週間養生して、一日、1~2時間の在宅執務が可能となとなった。しかし、コロナ後遺症で血栓が出来やすくなっており、無理をすると脳梗塞や心筋梗塞などの致命傷になりかねないと、経験者の退職者からアドバイスを受けた。血栓の原因となるのは、長時間椅子に座っての執務なので、最長一時間程度に限定する必要があるそうだ。しかし、体力が回復するにつれ、つい執務をしたくなるのを、思いとどめて、休む/怠けるというのも辛いところではある。ちなみに、この一ヶ月あまりで10kgほど痩せてガリガリになってしまった。 5月に入って外国人への無料ワクチン接種も可能と報じられた直後に、市役所からワクチン接種の案内メッセージが携帯に届いた。場所と時間が指定されていて、その時刻に行って見ると、多くの高齢者が並んでいたが、一時間半程度で接種をすませた。日本のように予約もへったくれもない、事前の登録と身分証明書を提示するだけのファースト・カム・ファースト・サービスだ。日本もフィリピンのように、予約など、いっそ無くしてしまえば、予約殺到の混乱も起きないはずだ。また、心配していた外国人であることも関係なかったが、もっとも、外国人であろうがなかろうが、同じく感染源になるのだから除外するとしたら、まさに本末転倒というものだ。 接種会場にはマカティ市では「2万人が接種済み」という横断幕が掲げられていたが、接種を進めることが市の最重要課題となっているようで、職員は皆、熱心だった。ジェーンによると、私が受けたワクチンはロシア製のスプートニクで数日前に届いたばかりのものだそうだ。効果が50%程度といわれている中国製でなくてほっとしたが、因みに接種に当たって、当方がワクチンを選択する権利はない。 […]

コロナに感染してしまいました 2021年5月13日掲載、6月7日、13日追記


2月末、マニラ首都圏は現状の封鎖措置(GCQ)が3月末まで延長されることが発令された。誠に残念ではあるもののワクチン接種も開始されていない状況ではやむなしとの声が多数だ。これで、めでたく(?)封鎖措置も一周年となり、高齢者と子供達にとっての外出禁止措置による自宅軟禁状態が2年目を迎えることになった。 一方、2月4日に発令され政府通達(IATF No. 98)による「外国人の入国緩和措置」については、いつもながらとは言え不明瞭な記述で大いなる混乱を呼び起こし、その後、PRAは、その対応に追われることになる。以下、通達の原文そのままを掲載する。 B. 1. Beginning February 16, 2021, the following shall be included/added […]

PRAの正念場そして退職者の試練 2021年3月6日



3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。 わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。 台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。 農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。 一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。 災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。

3週連続の台風襲来に悲鳴 2020年11月15日


フィリピンは、連日5000人前後の新規感染者が発生し、合計で20万人を越える感染者数は東南アジア最大という不名誉な記録を達成してしまった。アンケートによると、失業中という回答は45.5%と、なんと二人に一人は失業中で、しかも国家の支援も受けられない状況だ。これでは、悪事を働いてまでも生きる糧を手にしようとする輩が増えて、治安の悪化していくのは必須だ。その辺を考慮しためか、8月19日から、首都圏はMECQからGCQへと隔離規制が緩和されたものの、経済の復興には程遠い。そんな折、フィルヘルス(国民健康保)の大規模な汚職が発覚しフィルヘルスの総裁が辞職に追い込まれ、スルー州のホロ島では爆破テロで死傷者は90人を越え、さらにバタンガス港では海上武装強盗事件(海賊)が発生するなど、8月初めにの日本人老女強盗殺人事件とあいまって治安の悪化を印象づけるニュースが流れている。 さらに、学校の再開は8月24日の予定が、オンライン授業の準備不足という理由で10月5日に延期された。しかも、440校もの私立校が生徒の不足から休校に追い込まれた(全国で私立校は14,435校というから幼稚園などが大多数なのであろうが)。これは、保護者の収入がコロナ封鎖により減少して私立校から公立校へ転校したためだそうだが(因みに公立校の授業料は無料)、まさに経済の停滞は貧困層の食料だけではなくて幅広く国民経済を蝕んでおり、まさに国家存亡の危機ともいえそうだ。 現状のマニラ首都圏の隔離措置、GCQの期限は8月31日で来週の月曜までだが、果たしてその先はどうなるのか。ドテルテ大統領の決断次第だが、新規感染者の数は一向に収まりを見せず、一方、治安の悪化や国民の経済状況はますます蝕まれる状況で、まさにコロナをとるか、経済をとるかの瀬戸際に追い詰められている。しかし、一番望まれる外国人の渡航許可については世界的にますます感染が拡大する中で、絶望的とおもわれる。また、せめて高齢者(私を含む)の外出を許可して欲しいのだが、その場合、現状のGCQが地方並みのMGCQ緩和される必要があるが、それも絶望的であろうか。 こんな折、私の部屋のエアコンが故障してしまった。機械そのものは動くのだが、リモートで操作できない。手動のスイッチもないので、そのまま、つけっぱなしにするしかない。しかし、昼間は部屋にいないし、寝る時はあまり使わないので、電気代がもったいない。それでブレーカーのスイッチを切って消すことにした。つける時もブレーカー頼りだ。早速、業者に依頼して修理したが、数日後にまた故障してしまった。再度、修理したのだが、今度は「普段私が、27度に設定しているのが高すぎるので、22度以下にして使え」と言う。それでは寒すぎると言うと、オンオフを繰り返せというのだ。そうしないと、中のマザーボードが焼けてしまうと、訳のわからない理由で、私の使い方のせいにされてしまった。 仕方がないので、22度で使ってみたのだが、その日の内にまた故障してしまった。そうなると、業者はマザーボードを取り寄せて交換しなければならないのでエアコンは1ヶ月使えない、ブレーカーでのオンオフはコンプレッサーが壊れるので、不可と最後通牒を突きつけられた。ママ・ジェーンは空いている子供部屋で過ごせとか、いつになく気を使っていたが、「この時期(雨季)ならばエアコン無しでも大丈夫」とつい豪語してしまった。 エアコンがないとなると、保育所と化していた部屋には誰も寄り付かなくなった。雨模様の日はいいのだが、天気の良い日は、日当りのよい私の部屋はかなりの暑さになっていて、夜になっても30度以下になることはない。私の子供の頃は、もちろんエアコンなど無いわけで、耐えられないことはないのだが、南国育ちで暑さに慣れているはずのキアン達にはエアコン無しでは耐えられないようだ。 2日ほど、寝苦しい夜をすごしたのだが、3日目に件の業者が姿を現して、修理して行った。きっとマザーボードとやらの在庫があったのだろう。隔離措置で外出も出来ず、エアコンも無しとなると、二重苦で、この上さらにインターネットがなくなったら三重苦となって、私にとっての生きる術を失ってしまうことになるところだった。

エアコンが壊れてしまった 2020年8月27日



8月4日から始まった防疫隔離措置(MECQ)は19日から元のGCQに緩和された。8月1日からGCQの延期、4日からMECQへの再強化、そして19日からGCQへの再緩和へのめまぐるしい変化は、行政の迷いの表れだ。こちら立てればあちら立たずで、ドテルテ大統領も苦渋の選択の繰り返しだったのだろう。 GCQからMECQの規制強化は公共交通機関の運行停止、レストランの店内飲食の禁止、さらに諸官庁の業務停止と、6月1日のGCQへの規制緩和により、動きはじめていた経済活動を再度停止するものだった。これは、ジプニードライバー、トライシクルドライバー等の運転手、レストランのウエイトレスら、貧困層の職を奪い、諸官庁の業務停止は経済活動の首を絞めるものだった。コロナ感染の増大による医療崩壊の危惧が、8月4日の規制強化の原因だったそうだが、今度は経済、そして庶民の生活の糧を奪い、はるかに多くの被害者を発生させることになってしまった。 防疫隔離措置(封鎖)も5ヶ月も継続してしまうと、感染拡大防止という大義名分よりも、経済そして庶民の生きる糧を奪うという側面が大きくなって、もはや庶民、経済界の同意を得ることが出来なくなってしまっている。しかもそれを補填する金が国庫にないとすると、感染拡大か庶民の餓死/暴動のどちらを取るかの選択肢になってしまう。 そこでタイミングよく宣伝されているのがロシアをはじめとするワクチン開発で、すでに成功した、成功間近と騒がれている。これは医療関係者も庶民、経済界にとっても希望の光を与えている。これが効果のあるものだとすると、すべてが丸く収まり、外国人旅行者もワクチン接種により、自由に渡航できるとすれば、私のビジネスも復活する。そうとなれば、後、2~3ヶ月は我慢のしようもあるというものだ。 相変わらず在宅隔離を強いられている子供達に事件が起った。とるにとらない些細なことがきっかけなのだが、キアンにとって人生初の怒りの原因に発展してしまった。そのとき、キアンは怒りに30分以上、体の震えが止まらず、私も一体何がキアンに起きているのかわからず、聞いてみると「Angry 怒り」と震えながら答えた。怒りに震えるという言葉があるが、私にとっても初めて見る光景だった。キアンにとっても生まれてはじめての経験だったという。 事の起りは、キアンが部屋にいるクッキーにランチタイムを知らせたことだ。その声に寝ていたココが起きてしまった。そのことを子守役のマミー・ソンがキアンをたしなめた。キアンは、「ココが寝ていたことを知らなかった」と言い訳を言ったのだが、マミー・ソンはそれを「I don’t care、そんなこと知るか」と聞き損ったらしい。それでマミー・ソンに火がついてキアンに罵声を浴びせかけた。キアンがいくら言い訳してもその罵声は止まらず、キアンは見る見るうちに表情を変え震えだしたのだ。 その時は状況をよく把握できなかったのだが、後で聞いてみるとマミー・ソンの罵声は以下のようなもので、キアンには耐え難い屈辱だったようだ。「ダダ(私のこと)の前では、なんでお前は、生意気なことをいうんだ」「ママに言いつけてやる」「携帯の使用を禁止する」など、普段でも大声で子供達をつまらぬことで叱りつけているのだが、火がついているときのマミー・ソンの罵声は強烈なものがあった。キアンは、何の罪を犯したわけでもないのに、マミーソンはキアンの言い訳に耳を貸さず、キアンを怒鳴り続けたことに対して、キアンはプライドをいたく傷つけられ、それが怒りに繋がったようだ。人間、例え子供であろうとその日の糧を得るのに汲々としているもスコーターの人間だとしても、それなりのプライドがあって、それを傷つけられると怒りに繋がって暴力事件に発展する。決して公の場で人を侮辱してはいけない、というのはフィリピンばかりでなく人類共通の教訓だとおもう。 私は、怒りで震えるキアンを部屋に連れて行ってなだめることしか出来なかった。しかし、たかがキアンの呼び声でココがおきたとしても、マミー・ソンがなにもそこまで熱くなることはあるまいと思うのだが、ママ・ジェーンの叔母であるためか、ママ・ジェーンに輪をかけたような勢いだった。両親にに怒られるならばまだしも大叔母にどやされてキアンとしても我慢できないものがあったようだ。相手が同級生だったとしたら、きっと殴りかかっていただろう。 私は生涯、子供時代を含めて、暴力的喧嘩というものをしたことがない。したがって、怒りで体が震えるという経験もない。比較的穏やかな性格で、せいぜい妻と口げんかをするくらいだった。しかし、普段は優しさの権化みたいな10歳の子供ーキアンが体が震えるまで怒るということはちょっと信じ難い事件であった。因みにマミー・ソンはママ・ジェーンに言いつけるといっていたが、それはさすがになかったようだ。なんと言ってもキアンにとって一番恐ろしいのはママ・ジェーンなのだ。しかし、子供達は外出禁止で外へ出られず、ただでさえストレスが溜まっているときに、大の大人が赤ん坊が起きたくらいで大騒ぎをしなくてもいいと思うのだが。

キアンが怒りで震えが止らなくなった 2020年8月22日


いよいよ防疫隔離措置の規制(現状MECQ)の期限(18日)が近づいて、果たして緩和されるのか(GCQへ)、さらに強化されるのか(ECQへ)世間は興味しんしんだ。医療関係者は、新規感染者が6000人を超え、高止まりしている現状から規制強化を訴え、経済界は、このままではコロナに感染する心配よりも、5ヶ月に及ぶ隔離措置により、経済が破綻して職を失い生きる術を失う者が膨大となり、果ては国家経済の破綻を招くことになると、規制緩和を主張している。 確かに5ヶ月もの間、収入の道を絶たれ、これがいつまで続くのかと思うと、感染は自己責任として扱って、いい加減に行政は口を挟んで欲しくないという気持ちがわいてくる。国に支援する金が無いとなれば、貧しい人々が他人の富みを奪ってまでも生き延びようとするのは当然の成り行きで、それを防止するための警察そして軍隊の出動で内乱状態になったとしてもおかしくない。それならいっそ、隔離措置をやめてしまったほうが、はるかに得策だというわけだ。何しろ5ヶ月はあまりにも長すぎる。 一方、最近、フィリピン人の外国人配偶者の入国に当たって、事前に入国ビザが必要である旨の通知が発表された。従来は、フィリピン人の配偶者であればビザ無しで入国を許されたものが、事前にビザを取得せよ、ということだ。参照 入管Press Release(8.08)。しかし、そこには「Appropriate Visa-適切なビザ」となっていて、具体的な記述がない。今まで、Permanent Visa とかLong Term Visaとか表現が使われて、果たしてSRRVは含まれるのかといつも議論が沸騰したが、今回もSRRVが含まれるのか不明で、PRAに聞いて見ても返事をもらえない。 さらに入管の内部資料を入手してみると(外部秘となっているために添付できませんのでご了解願います)、SRRVは認められるものの、今度は「Foreign nationals exempted under FSC No.360‐2020 […]

トランプゲームは防疫隔離措置克服の切り札となるのか 2020年8月16日



8月3日(月)早朝、防疫隔離措置が4日よりMECQに再強化されるというショッキングなニュースが流れた。おりしも4日(火)にPRAとのアポが、2週かがかりでやっと取れて、ID更新など数件の案件を処理する予定だった。MECQになれば、PRAは閉鎖され、当面案件の処理はできなくなる。それらを3日(月)のうちに処理しようとPRA内部にコンタクトを取って、朝からてんやわんやでなんとか終わらせることができた。 翌日(4日)PRAと入管の通達を手に入れたが(PRA通達8.3、入管通達8.3参照)、案の定、最低限の業務以外については、早々と機能停止を決め込んでいる。一応、18日までとは期限を区切っているが、政府の通達に従ったものでしかなく、政府は、この先も延期、あるいはさらにECQに規制をより強化するかもしれない。とにかく、毎日、新規感染者が4000、5000、6000人とうなぎのぼりなのだ。この点は日本と状況が同じで、医療関係者も医療崩壊を引き起こすと声を大にして大統領を突き上げている。一方、大統領も国には食糧支援を実施する金もないと、宣言しており、MECQではレストランでの飲食の禁止、公共交通機関の停止など、それらに従事する大量の貧困層が再び職を失い、生き延びる術を無くしてしまうだろう。 貧困層でなくても、すでに5ヶ月間の操業を制限されてきたビジネス界も、もはや限界で、この先、どれだけ続くかわからない隔離措置に嫌気をさして、廃業という選択肢を選ぶ企業も出はじめている。例えば、子供達の天国キッザニアが廃業を決断したが、ここでも大量の失業者が発生して生きて行く術を失った。私のビジネスも同じで、永住ビザの代行業にとって外国人が入国できず、PRAや入管が閉鎖してしまったら、ビジネスのネタが消滅してしまう。2~3ヶ月で状況が改善するものと期待していたものが、すでに5ヶ月たってしまったが、この先、いつまで続くかわからない状況では、まさにこの世の末だ。 そんなフィリピンの状況を象徴するような事件が発生した。3日朝、MECQへの規制強化でバタバタしている折に、マニラ新聞で報道されたのが、ラグナ州、カブヤオで一人住まいの日本人老女(82歳)が強盗に殺された事件だ。手足を縛られ、猿轡をされて絞め殺されたという悲惨なものだが、日本のニュースでも流されてフィリピンの治安の悪化を印象付けた。遠因がコロナ隔離措置があるのか、いつでも起りうるもの盗りなのかは定かではないが、封鎖で食い詰めた貧困層が富裕層から収奪するという混沌の世界に突入してしまうのではないかと一抹の不安がよぎる。 さらに5日(昨日水曜)のテレビではレバノンのベイルートで、まるで核爆発のような大規模な爆発が発生したことが報道されていた。タガログ語のニュースなので、よく様子がわからず、核爆弾でも投下したかのような巨大なキノコ雲の映像が流され、すわ、第3次世界大戦かと勘違いしそうになった。肥料の原料になる硝酸アンモニウムが大量に貯蔵されていて、何らかの原因(過失あるいはテロ)で爆発したそうだ。核爆発でなかったものの、被害は惨憺たる有様で、当地の人にとっては、この世の終わりと思ったに違いない。 先月の熊本の水害もすさまじいものがあったが、コロナで動きがとれない状況の災害で、まさに、この世の末がやってくるのかと思わせる一週間だった。8月1日からは隔離措置の緩和で、農場に疎開してゆっくりと長丁場に備えようと思っていたのだが、とんでもない8月が始まってしまった。

果たして、この世の末(End of the World)がやってくるのか 2020年8月6日


7月16日政府通達で「長期ビザ保有者のフィリピン入国を許可する」というニュースが流れ、多くのメディア、ユーチューブ等がこぞってとりあげた。私もローカル新聞の報道を目にして「遂にやった」と思ったが、正式な通達を目にするまで、ニュースを広げることを控えていた。そして通達を手して良く見ると「長期ビザとは移民ビザの13ビザ」と記載されていた。13ビザとはクオータビザや13a婚姻ビザをさすもので、9gワーキングビザ、SRRVなどの一般的な長期ビザを含まず、ごく限定されたビザをさす。そもそもこれらを長期ビザといっぱひとからげに呼ぶことは間違いであり、通達を読んだ人々が全ての長期ビザと解釈することは容易に想像できる。メディアやユーチューブの発行者もそう思ったに違いない。 その後、大使館からも報道されたが通達を翻訳しただけで、具体的にどのビザが含まれているのか、解説がない。その他の雑誌の記事を見ても大使館の情報の再掲載に留まる。要は一般の人がわかるように解説してあるのは、私のホームページ以外にみあたらないのだ。さらに入国に当たっては隔離施設とPCR検査の予約を独力で行なうこととあり、一体どうしたらいいのやら一般人には皆目見当がつかない。そのため、通達の真意を確かめるために多くの人から質問が私にもあったが、旅行社やフィリピン大使館はこの通達の要求にどうしたら良いのか説明するためにてんやわんやで、混乱のまま8月1日を迎えるのではないだろうか。 先日、歯医者に行くために久しぶりに外出したが、それから数日して、倦怠感に襲われ、半日も机に向うとげんなりしてしまった。しかし、熱は36度台の微熱程度で咳も全くない。ひょっとしてコロナとも思ったが、その後も熱も咳もなくてコロナと迷っているうちに、一週間程度で倦怠感がなくなった。ひょっとすると、これは無症状のコロナで、あっという間に直ってしまったのかという気もしている。そうであるとするとこれで抗体を獲得してもはやコロナに罹患しない天然のワクチン接種ということになったのかもしれない。こんな形で、抗体獲得者が増えて、コロナが自然消滅するのが理想的と淡い期待をいだきたくもなる。 キアンの大好きなキッザニアが閉鎖されるというニュースが流れたが、果たしてドリームプレイはどうなるのだろう。このままコロナ封鎖がさまざまなレベルで継続すると、経済・社会活動が停止して、世の中真っ暗になって、まさに「End of the World」がやってきて、コロナ怖さに為政者が国を滅ぼしてしまうという結果になるかもしれない。ブラジルの大統領がコロナなんぞはインフルエンザのようなものだと言ったそうだが、もしかしてそれが正解かもしれない。日本の為政者も緊急事態宣言の発令を躊躇しているがそんなジレンマがあるのだろう。 ところで、キアンのオンライン授業がやっとはじまった。ドテルテ大統領の話によると、ワクチンが出来るまで、対面授業は来年あたりになるだろうということなので、あと半年も自宅待機では学業への影響は計り知れない。学校としても授業料を取ることが出来ず、私立校は倒産の憂き目にあってしまうから、先生方もいつまでものんびりしているわけにはいかない。そのためキアンは朝の7時から11時半までラップトップにかじりついており、やっとニューノーマルの体制になったわけだ。 一方、クッキーも3歳と9ヶ月、本来ならば幼稚園に通っているところだ。そのため、ここ2ヶ月間、私にお鉢が回ってきて、ABCマウスというオンライン教材で、毎日レッスンをしている。しかし、お絵合わせ(ジグソーパズル)やお絵書きに歌など、遊び相手で退屈で仕方がない。しかもクッキーは強情で自分の思い通りに行かないと私からマウスをとりあげて勝手にクリックして、気に入ったところでブレーキしていつまでも遊んでいるので、私の手におえない。しかも私のパソコンを占領しているので、机の前でぼんやりしているしかない。 そこでママ・ジェーンが白羽の矢を立てたのがメイ先生だ。キアンの通っていた幼稚園の先生でキアンの家庭教師でもあり、キアンの英語の恩師といえる存在だ。しかし、メイ先生は現在スペイン在住で、本来ならばありえない話だが、クッキーのレッスンをオンラインで引き受けることになった。まさにニューノーマルで地球の裏側のスペインからレッスンを受けるということが現実になっていているのだ。 コロナ封鎖前、キアンの家庭教師をしていたドンボスコの先生ラニョラ女史にクッキーも一緒に面倒を見てもらうべくレッスンを開始したのだが、数回にしてクッキーのヤンチャぶりにギブアップした経緯がある。メイ先生は幼児教育のベテランなのでやり遂げるに違いないと期待しているのだが、ちなみにママ・ジェーンは、はなからギブアップしている。

キアンのオンライン授業とクッキーのオンライン家庭教師が始まった2020年7月26日