学校・教育情報


7月21日のマルコス大統領のコロナ明け宣言、8月8日の入管の入国規制の撤廃、そして8月17日のPRAのトラベルパスの撤廃と、矢継ぎ早にコロナ明けのニュースが流れた。そして、さらに8月の新学期シーズンを迎え、いよいよ本格的に対面授業が再開された。8月7日、クッキーの小学校、8月16日、ココの幼稚園、そして8月22日はキアンのハイスクールの対面授業が開始され、我が家は、3人の送迎にあわただしかった。 キアンがハイスクールを卒業するまでの5年間、もうひと踏ん張りするつもりだが、コロナ規制撤廃により、外国人の往来も活発になり、当方の主要業務であるPRA関係の動きも活発になりつつある。当方としても、3年半続いたパンデミックの自宅軟禁で、だらけ切った生活に区切りをつけて、すみやかにコロナ前の状態に戻さなければならない。 パンデミック中は、タガイタイに疎開して、用がある都度マニラにでてくるという二重生活をしていた。当方は、いずれの場所でも自宅に閉じこもって、もっぱらリモートで仕事をしていたが、外国人の往来が規制されている状況では、ビジネスは壊滅状態で、有り余る時間を日本のテレビで過ごす毎日だった。同居している子供達もオンライン授業で自宅にこもる不健康な生活を強いられてきた。それが、外出禁止も解かれて、顧客との面会、子供たちの対面授業に伴う通学の送迎、などいよいよ普通の生活にもどることになる。 そうなると必要不可欠なのが、足だ。コロナ前は運転手付き自家用車を使っていた。しかし、そんな贅沢を続けるわけにもいかないので、タクシー/グラブ、ないし、ジープニー、さらに近場は歩くことになる。グラブが良いと勧められるのだが、パンデミック前に試したところ、一度たりとも指定の場所にきてもらえずギブアップした経験がある。しかし、幸い、PRAや日本人街のマカティスクエアには徒歩で30分程度で行けるので、とりあえず、健康のためのエクササイズとして歩くことにした。 問題は、PRAが未だにアポイント制を採用していることで、好きな時間に行って複数の用事を済ませるという芸当ができないことだ。退職者が一つだけの用事のためにアポを取ってやるのは良くても、数件の用事を毎日のように時間と闘いながらこなすのは至難の業。それで、オンラインに頼らざるを得ないだが、パンデミック中の外出禁止の状況では避けられないとしても、返事が来るのに時間がかかって、対面でやるよりもはるかに効率が悪い。早く、日本大使館の様にアポイント制を廃止してほしいものだが、このアポイント制は役所にとっては大変心地の良いもののようで、PRAに限らず、ほとんどの役所で採用しているようなので、果たして元へ戻るかどうかは甚だ疑わしい。 疎開先のタガイタイを引き上げて、少なくとも平日はマニラの常駐しなければならない主な理由は、子供たちの通学だ。やはり、子供たちの発育は人との交わりが大切で、毎日パソコンをにらんでいても人間性というものは身につかない。 下から、もうすぐ4歳のココは先週から幼稚園に通っている。喋るのが遅く、果たして幼稚園に通えるのかと両親は心配していたが、ここ一年の特別レッスンにより、見違えるように上達して、めでたく医者から幼稚園通園可能のお墨付きをもらった。未だ喋る言葉は聞き取りにくいものの、こちらの言うことはほとんどわかるようで、即座に”YES”または”NO”と返事を返す。因みに英語以外にタガログ語やビコラノ語もある程度理解して口走るとのことだ。まあ、幼児の言葉が聞き取りにくく、母親しかわからないという現象は万国共通のものだが。 歩いて10分程度のキアンも通っていた私立幼稚園だが、当初はココを育ててきたヤヤが毎日、トライシクルで送って、そのまま外で待っていて、連れて帰るというシナリオだった。しかし、ちょうどその時ヤヤが具合が悪く、ママ・ジェーンとキアンの役割となった。通常、ママかヤヤが待っていないと3~4歳の幼児は泣き叫んでしまうのだが、気丈なココはへっちゃらで、今日は、トライシクルで一人で出かけて行くという芸当をやってのけた。これからは、専用のトライシクルで、毎日送迎してもらうことになっているそうだが、バッグの中には哺乳瓶を忍ばせながらココが一人で通園するという勇気に感心した。因みにキアンが迎えに行ったとき、先生はキアンのことを覚えていたそうだ。私のことまで聞いていたと言うから、これまた、感心した。 一足先に先々週から小学2年生のクラスに通い始めたクッキーはスクールバスでの通学が楽しいようで、ご機嫌だ。クッキーの強情で負けん気の性格にはキアンが手を焼いており、こんな状態では、学校では皆に疎外され、いじめられるのではないかと心配したが、案外とうまくやっているようだ。これは、弟のココという好敵手の出現により、喧嘩して、逆によく泣かされているので、自分の意地を通すだけではやっていけないということを身に染みて感じているらしい。因みにココに仕返しすると、大人たちは弟のココの味方で、キアンに対する時とは事情が異なり、クッキーも自重するということを身に着けたようだ。クッキーとココの喧嘩の様子は動画を見てほしい。 昨日から名門ドンボスコスクールのハイスクール2年生のクラスに通い始めたキアンは、3年半ぶりに友達と再会して大いにコロナ明けを実感したようだ。小学校一年からパンデミック前の4年生まで、毎日、出迎えに行っていた私にとって、3年ぶりのこの日の出迎えは、感慨深いものがあった。毎日、下校時にはシウマイやアイスクリームを食べさせてやって、一緒に帰るのが日課だった。さらにピアノやタイコンドーの稽古のあとは、日本レストランで昼食をとるのが楽しみだった。注文は決まってエビフライ定食だ。因みにピアノのレッスンはオンラインで継続してかなり上達したが、タイコンドーはオンラインというわけにも行かず、断念した。 キアンの出迎えは、この3年半、自由に外へ出ることが出来なかった私にとって、大いなる自由への解放だ。買い物も外食も自由にできるし、客との面会もキアンを出迎える前に実行できる。自宅からは2km程度なので30分も歩けば、到着して、毎日の健康のための運動としては丁度良い、まさに一石3鳥だ。マカティスクエアの近くまで来ると、新しい日本食レストランが数軒、オープンしていたが、いつか攻略してやるつもりだ。 近所に住んでいる息子夫婦との交流も、晴れて自由となった。二人の孫とも食事をして、特にもうすぐ2歳になるケイラとは、いままで数分程度だった面会が、初めて食事や外出で数時間を一緒に過ごすことが出来た。ジイジと呼ばれるのは照れ臭かったが、私を見つめて、一体誰なんだろうと考えをめぐらして、味方と判断したのか、笑顔を見せてくれた。リオも誕生日ごとにプレゼントをくれる私を肉親と理解してか、初めて抱っこをさせてもらった。 特記すべきことは、日本からのお客さんとの面会や案内が可能になったことで、コロナ明けの最初のお客さんが、かの有名作家の橘玲さんだ。一日タガイタイを案内して、疎開先にもおいでいただいた。因みに橘さんとは、2015年に出版した「ダブルマリッジ」という本の取材に協力し縁があり、その後、しばらく、私のブログをダイヤモンド社のサイト、橘玲の「海外投資の歩き方」に掲載していただいた。

コロナ明け、新学期‐対面授業再開そして疎開終了 2023年8月24日


退職ビザ申請中のお若い奥さんご一家の要望で、マニラ郊外の居住エリアの住まい、学校、買い物どころなど、生活環境の視察ツアーに同行した。行き先は、日本人などの外国人が比較的多く住むメトロマニラの南のはずれ、アラバン/パラニャケ/ラスピニャス、ラグナ県のサンタロサ、そしてカビテ県の別荘地帯、タガイタイ。サンタロサは時間の都合で素通りしたが、アラバン/パラニャケ/ラスピニャスとタガイタイに関してそこにお住まいの方に案内をお願いしてつぶさに観察することができた。 足は11人乗りのハイエースを使ったので4歳と0歳のお子さんを含む4人一家とヤヤ(子守)、それにガイド役の私とキアンを乗せ、さらに途中で二人のガイド役の日本人に同乗してもらってもまだまだ余裕があった。8時半にラスピニャスのSMサウスモールの前のマクドナルドで待ち合わせたが、日曜日ということもあってマカティからスカイウエイ経由で30分で到着した。 アラバン、パラニャケ、ラスピニャス地区はアヤラアラバンビリッジを始めとする高級ビリッジや中級ビリッジ、それにコンドミニアムが多数あり、フェスティバル・モール、タウンセンター、さらにはSMサウスモールなどの巨大ショッピングモールも近くにあって住環境は申し分ない。学校についても、サン・ベーダ(San Beda)、エリザベス・セトン(Elizabeth Seton)、モンテッソーリ(Montessori)などの一流私立、さらにサウスビル(South Vill.)などのインターナショナル・スクールが通学圏にあり子育てにも申し分無い。ただ、この地域を横断するアラバン・ザポテ道路がいつも渋滞しているのが難点だ。 はじめに訪問したのがオハナ・コンドミニアム、フィリピンの建設会社の雄、DMCIが開発した大型コンドミニアム群だ。ちなみにここは私が日本人退職者の依頼でユニットを管理していて、賃貸や売却のお手伝いをしている。たまたま、新しいテナントが入るというので改装中だったが、リゾート風のつくりで、生活環境は抜群。ただし、歩いて買い物に行くのはちょっとかったるいので、車が必須だろう。 アラバンの高級コンドミニアム”OHANA” 2012年8月19日 オハナはまさにリゾートビラといった雰囲気で住環境としては申し分無い 次に訪問したのが、アラバン・ヒルズ・ビリッジに入ってすぐのサン・ベーダ、休日で閉まっているの写真を撮り損ねた。 San Beda College Alabang […]

マニラ郊外の生活環境視察ツアー2017年8月14日



先日、内藤さんという女性が事務所を訪問された。ご本人は近い将来、フィリピンの退職ビザを取得して、子育てをフィリピンで行うことを計画しているのだが、それよりもオンライン学習塾を立ち上げるので、その辺のアドバイスを、ということだった。 話を聞いてみると、確かに海外で子育てしているお母さん方には耳寄りの話という気がした。海外でどんなに良いインターナショナル・スクールやローカル校に通ったとしても、日本の学習指導要領との違いにより、いざ日本に帰ってきて再び日本の学校に通ったとすると、その学力のギャップに戸惑うことが多い。必ずしも学力が劣るということではないが、要は違いなのだ。もちろん、英語力は格段のプラスのギャップが付くだろうが、他の教科では海外では習わないことが多いという。特に国語となると致命的だ。 そこで、そのギャップを埋めるために、カリスマと呼ばれる講師陣の指導をもとにした教材でオンライン学習をするのだが、教材はアニメになっていて、子供達が喜んで学習に励むようにプログラムされている。さらに、個々の子供の学習の程度により、カリキュラムが選択されるというシステムもあって家庭教師的な要素もあるそうだ。 しかもオンラインだからどこの国で学んでいようが、どんな時間帯であろうが、子供の都合で学習できるというまさにいいこと尽くめだ。費用も月々8800円と容易にまかなえる範囲だ。 詳細は「170517_オンライン学習塾」をクリック。 私ができることは、このようにブログで情報を発信することぐらいなので、内藤さんには、日本人会、マニラ新聞などを訪問して紹介するよう薦めた。日本人会ではちらしを置いてもらうようなことはできないと、断られたけども、担当の日本人がチラシを欲しがったとのこと。きっとお子さんをマニラで学校に通わせているのだろう。 塾長である内藤さんは、大変気さくで、キャリアウーマン、頼りになりそうな姉御肌で、自らを有言実行の人と称していた。

オンライン学習塾 JPOSの紹介 2017年6月18日


最近、松本文夫さんというセブとバギオで英会話学校を経営されている方が訪問された。訪問の目的は今後色々なビジネスをはじめるにあたっての行政手続きの相談、サポート依頼をされたのだが、退職者の英会話学習、あるいはお子さんの英会話学習などにも話が及んだ フィリピンの公用語は英語であり、法律、公的文書、契約書等はすべて英語、学校教育も小学校から国語、社会以外は英語だ。しかも、私立幼稚園や小学校では原則英語以外を使ってはいけない。したがって、KIANも小学校一年で英語がべらべら、一方、国語であるタガログ語はたどたどしい。国民の大多数がそれなりに英語を操り、大学卒業レベルになると、イギリスやアメリカのネイティブに引けをとらない実力を蓄えている人も多い。このことが人口の10%、1000万人が海外で働いているという、まさに世界が彼らの活躍の場なのだ。 ここの大学を出ていれば、大概の人は英会話の先生としても十分やっていく実力を持っている。したがって、フィリピンには英語の先生が無数におり、オンライン英会話スクールや英会話学校が設立ブームになっている。利点は、なんといってもアメリカやイギリスで英語を勉強しようと思ったら、桁違いのお金がかかることだ。ちなみに、英会話学校では月々10万円程度から宿舎、3食、英会話レッスン付の英会話留学を実践することが出来る(一人部屋か2~4人部屋か、レッスン時間などによって、~20万円程度までの幅がある) 退職後の人生をフィリピンで送ろうとしたら、この国の言語、英語を話すことは、豊かで実りのある快適な老後を過ごすためには必須だ。また、放射能汚染を逃れ、お子さんをバイリンガルの国際人に育てようとフィリピン移住を目指すお母さんも多い。そのため、多くの方は退職ビザの発行を待っている間、英会話学校に通う。しかし、感想は今一だ。その方の姿勢もあるだろうが、学校の選択にも問題があるようだ。 実は松本文夫(ミオ)さんは、山本のぶ子さん(山本太郎参議院議員のお母さん)の紹介で、彼女のバギオ、そしてセブでの受講体験で、お墨付きをもらったものだ。私としてもブログで紹介する限りは、自分自身で体験してからという思いがあったが、KIANの面倒でなかなか家を空けることが出来ない。そんなおりミオさんから下記のメールがあった。なかなか有利なオファーなので是非、読者と情報を共有したいと思い、紹介することにした。ご興味のある方は是非、ミオさんに直接コンタクトしてほしい。 志賀 様 先日はお忙しいところ、 お時間おとりいただき大変ありがとうございました。  フィリピンで信頼できる人は非常に少ないのですが、 志賀さんにはとても安心してなんでも相談できます。 ①語学学校紹介について 志賀さんもご多忙によりなかなか学校へ体験入学できないというこ と畏まりました。  既に語学学校を決めている方が多いという現実もうかがいました。 そこで心配な事があります。  […]

英会話学校Storyshareの紹介 2016年9月11日



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6月6日、いよいよ、KIANが小学校に入学するときがやってきた。ちょっと前まで赤ちゃんだったのに、それが小学校に入学するというのだから、時の立つのは早いもので、私が歳を取るのも無理ないことだ。 ドンボスコ、正式にはDON BOSCO TECHNICAL INSTITUTE(DON BOSCO Makati)と称し、Saint John Boscoが1954年に開設した、ラサール、サンアガスティンなどと並んでフィリピン有数のカソリック系の名門校だ。ちなみに、日本のラサール、ドンボスコなどと根っこはいっしょだ。幼稚園、小学校、ハイスクール、さらに電気、機械の専門学校も併設し、5000人の生徒を有し、教職員は400人に上るマンモス校でもある。ちなみにドンボスコは男子校で女子はいない、ただしオカマは10~20%程度いるので、注意が必要だそうだ。ちなみに学費は年間89000ペソと20万円強だ。パソンタモ通りに面した入り口を飾る表札 通学初日、早朝6:45、KIANの雄姿 まさにぴかぴかの一年生だ 当然のことながらママ・ジェーンとアテ・キムが同行する。パパ・カーネルは次期大統領、ドテルテ・ダバオ市長の表敬訪問でダバオに出張して留守。彼は、かつてダバオ警察署長を務めていたのでドテルテ市長とは面識があるそうだ。 一クラス約40人は理想的な人数だ。KIANは手前から2番目の列の最後尾 ルンルンわくわくで先生の話に聞き入るKIAN 外観からは想像できない広大なサッカー場 これまた広大な体育館はバスケットコートが4面もある […]

KIANが名門ドンボスコ・スクールに入学 2016年6月10日


KIANがピアノのレッスンを開始したのが、2015年1月、したがって、はや1.5年が経過した。週一回のレッスンはほとんど欠かさなかったものの、家で練習することなどほとんどないので、その上達は、ほとんどなしといっても過言ではなかった。そのKIANが発表会に参加するというのだ。そこで早速、弾いてみなと促すと、そらで2~3曲弾いて見せてくれた。もちろん、ABCDEFGなどの定番ものだが指使いも様になっている。苦節一年半、ここまで来れば演奏が楽しくなって急速に上達するだろう。まさに根気以外の何ものでもないということだ(ただし私の根気)。毎週土曜日、サイカで食事をとり、タイムゾーンで遊ばせて、おまけにレゴのおもちゃを買ってやるというニンジンにりんご、それにトマトまでぶら下げて興味を持たせるという気遣いは不要になったようだ。これで、大枚をはたいたキーボードの投資もいよいよ役に立つときがやってきた。 ピアノ教室(EUPHONY MUSIC CENTER)の入り口。マカティスクエアの中2階の右奥にある 発表会の開始前に記念撮影   この日は60人ほどの生徒が演奏を行うことになっていた。午後一時開始なので、夕方までかかりそうだ。KIANは5番目だったので、早めに終わりそうで、KIANの出演が終わったらさっさと帰るつもりだった。はじまってからわかったのだが、要は、KIANは60人中下から5番目という技量だっただけなのだ。発表会まで約一時間待たされたがKIANはNO.5の札の指定席に座っておとなしく開演を待った。心細いだろうとアティ・キムが傍に行くと、”Stay away”と追い返されてしまったそうで、KIANはやんちゃではちゃめちゃだが、決められたルールは守るという意識が強いようだ。昨日もドンボスコの入学説明会にママ・ジェーンと出席した折、一時間以上の説明会もしっかりと集中して聞いており、説明の内容もしっかり把握していたそうだ。幼稚園のKid Schoolに2年間通っている間にしつけられたらしい。 これから始まる発表会に期待に胸を弾ませていたに違いない いよいよ本番。2曲演奏して、途中間違えたりもしたが、終わったら大拍手、本人も得意げに”Am I good”と繰り返し聞いていた。もちろん答えは”Very good”だ。ここで否定的なことを言ったら、KIANは二度と鍵盤の前には座らないだろうが、一方のKIANはあがることもなく、終始ご機嫌だった。こんなことを言ってはKIANに失礼だが、「豚もおだてりゃ木に登る」という格言を忘れてはいけない。 いよいよ本番、KIANは堂々とピアノを演奏した […]

KIANのピアノ発表会 2016年6月5日



最近、BGC(Bonifacio Global City) にオープンした、子供の教育的遊戯施設、キザニア(KIDZANIA)をKIANの付き添いとして訪問した。オープンしたてのせいか、9時に到着すると入り口にはたくさんの子供達が待機して入場の順番を待っていた。 付き添いも有料で、3時間で420ペソと決して安くはない。ちなみに子供は750ペソだ(団体割引の値段、正規料金は付き添いが630ペソ、子供が900ペソとかなり高額)。中に入ると、食事以外は、すべて無料。当方は、KIAN一人に3人付き添って、その方が高くついた。 内部は、2階建てで、かなり広く、街を子供のサイズに縮小したようなもので、そこで、様々な社会生活の疑似体験ができる。幼稚園の園児あるいは小学校の生徒に格好の体験学習の場を提供している。ただ、Dream Play(City of Dream)のようにハイスクールやカレッジの若者が楽しめるという施設ではない。 朝の内は、色々楽しめたが、昼近くになると続々と小学校の生徒がやってきて、混雑が激しくて、体験学習をゆっくり楽しめる状況ではなくなった。休日は一般客、平日は学校の団体で、当面、体験学習どころの話ではなさそうだ。 入り口で入場を待つ生徒たち(左)。受付は、空港のチェックインカウンターを模している(右)。 荷物の代わりに入場する子供の体重を量っている(左)。銀行でお金(模擬)を引き出すことができる(右)。        入り口中央は子供が喜びそうなディスプレイが並んでいる。 天井は、空をイメージさせる彩色が施され、街並みのイメージを再現している。 […]

キザニア(KIDZANIA)訪問 2015年10月4日


マカティ市中心街(EDSA通り、ブエンジア通り、パサイロード、パソンタモ通りに囲まれたエリア)は、四つの地区に分けることができる。グロリエッタやグリーンベルトなど、国際的な商業施設が立ち並ぶコマーシャルエリア、高級住宅街のウルダネッタビレッジ、事務所とコンドミニアムが立ち並ぶサルセ・ドビレッジとレガス・ピビレッジの四つだ。これらの地域を区分しているのが、マカティアベニュー、パセオデロハス、そしてアヤラアベニューの三本の大通りだ。そして、その中心にアヤラ・トライアングルの緑地公園がある。これらの位置関係が頭に入っていれば、マカティで迷うことはない。 サルセ・ドビレッジのど真ん中にあるのが、最近、KIANがお気に入りのサルセド緑地公園だ。公園の少ないマニラにおいては貴重な存在で、まさに都会のオアシスだ。毎週、火曜と木曜日、公文での数字のお勉強の後、この公園で遊ぶのがKIANの日課となっている。公文に行くのは、お勉強というよりは、ここで遊べるのが楽しくて通っている気配が多分にあるが、一石2鳥、大いに結構なことだ。ちなみにKIANが通う公文は、公園の目の前のツー・サルセドという高級コンドミニアムの2階にある。           公園の周囲は、高層のコンドミニアムが立ち並び、まさに、ビルの谷間のオアシスで、隣の駐車場では、毎週、土曜日、蚤市が開かれ、有機食品などユニークな商品を売っている。サルセド・ビレッジには、モールなどの商業施設が全くないので、この市は周囲の富裕な外国人でにぎわっている。 ここで、遊ぶ子供達は、フィリピン随一の高級コンドミニアム街の住人の子弟だから、ほとんどが外国人で、欧米、韓国、日本、アラブ人などなど、まさに国際色豊かだ。通用する言葉はもちろん英語。KIANはしゃべり始めたころから英語を主体に話すようにしつけられているから、違和感無し、躊躇なく、周囲となじんでいる。ちなみに公文に通う子供達もほとんどが外国人の子弟で、KIANは着々と国際人として育っている。 KIANの付き添いはビアンカの役割だが、子供一人に、ヤヤが付き添い見守っている。こんなことができるのもフィリピンならだろう。ちなみに、母親が付き添っているのは日本人くらいのものだ。 この公園を知ったのは、3年ほど前に、公園の正面にあるワン・サルセドという高級コンドミニアムの改装のお手伝いをした時だ。完成間近いコンドミニアムにKIANを連れて行った時、KIANはこの公園を見つけて、目の色を変えた。KIANが2歳を間近に控えた時で、そのあどけない顔が今でも目に焼きついている。 それが、公文の通い始めて、懐かしい公園に気がついたKIANは、ここで遊ぶといってきかなかった。その時は、公園は工事中で、地面にスポンジ状のゴムを敷き詰め、転んでも怪我をしないようになった。 KIANにとって、ここで遊べる2時間はあっという間に過ぎてしまう。現在、KIANのお気に入りのNO.2で、ちなみに、第一位はKidzooona(キズナ)だ。しかし、そこは、一回400ペソもかかるが、ここなら只なので、私にとっては大いにありがたい。

サルセド・パークはKIANのお気に入り 2015年2月14日



KIANは、4歳にして、幼稚園に通う傍ら、英語の家庭教師、公文、ピアノ教室と親馬鹿チャンリンの典型みたいな生活をしている。テレビで漫画ばかり見て時間をつぶすよりも、よほどましだと、私と両親は気にかけない。今度は、毎週、土曜日通っているマカティスクエアの2階に極真空手の道場があるのを発見して、早速、様子を見に行った。 MAKATI SQUARE ARENAという、多分、元ボーリング場だったところに各種格闘技の練習場があった。ボクシング、テコンドウ、キックボクシング、それに極真空手の看板を発見。その時は、ボクシングしかやっていなかったが、パンフレットによると、空手教室の入会金が2000ペソ(ユニフォーム代込み)、月謝が、子供は1000ペソ、大人は1500ペソで、なんとか賄えそうだ。ちなみに、日本人の月謝は、何故か倍だ。     道場があるのは、月水金の5時半からと7時からの2回、日曜が10時半から12時までなので、KIANは毎週、日曜に通わせることにした。とにかく、体を動かすのが大好きなKIANだから、きっと、喜ぶだろう。Kidzooonaで毎回、400ペソ払うより、よほど安上がりだ。 それに、空手や柔道などなら、KIANのメタボ気味の体も締まり、礼儀作法も身につけることができるばかりか、自分が強いという自信がついて、精神的に強い人間になれると思う。正直な話、公文やピアノはKIANに、似合っているとはいい難い。しかし、学校の成績ばかりではなくて、格闘技や音楽を身に着けたいというのは、私の、子供のころからのあこがれでもあった。そんなわけで、私(と両親)の期待を一心に背負って、お父さんの後を継いで、未来のフィリピン国家警察長官の道を歩むのがKIANの人生なのだ。そのころは、私は100歳を越えていて、この目で見ることは不可能だろうが。      日曜に出直して、朝からMakati Squareに行ってみると、あいにく、その日はボクシングのコマーシャルビデオの撮影があって、場所が使えないそうで道場はやっていなかった。しかし、極真館フィリピン支部の滝田さんがおられて、簡単な質疑の後、早速、入門することになった。 その時、同行したアテ・キムの目が輝いており、やはり国家警察の幹部を目指す彼女にとって、日本の格闘技は憧れだった。そこで、迷うことなく、姉弟そろって入門の運びとなった。彼女が一緒に通えば、KIANの面倒が見れるし、励みにもなる。現に、ピアノのレッスンに双子の一人、アレクサが参加したら、大いに盛り上がったそうだ。また、夜と日曜なら彼女にとっても時間的にも都合が良くて、KIANも、きっと姉の熱心に励まされて長続きするだろう。帰り際、滝田さんとアシスタントの人が、一声、「オス」と声を発していたのが、いかにもという感じで、日本の雰囲気を感じた。 次の日曜まで待ちきれず、月曜の夜、食事を早々と済まして、道場に向かった。遅れること、約5分、丁度始まるときで、なんとか、フィリピーノタイムの汚名をかぶらずに済んだ。20人ほどが参加していたが、黒帯もいて、少年あるいは若い女性が、きびきびと動いていた。KIANも早速、溶け込んで周囲の動きにあわせて掛け声をあげる。指導者は一人だが、ベテランがキムやKIANを指導してくれて、新人とベテラン、一緒に練習するあたりは、道場の独特な雰囲気を醸し出している。 一時間も経つと、KIANは疲れてしまった、ドクターストップ、私に抱かれて見物に回る。1時間半の練習は、KIANにとってはきついようで、集中力が全く途切れてしまう。しかし、数週間も通えば、ついていけるようになるだろう。姉のキムの集中力はすごくて、1時間半丸まる必死に先生の動きを真似ていた。このことからも、キムが学校の成績が良いというのはよくわかる。 レッスンが終わると、KIANも戻って、礼儀、そして片付け、これが大事なのだ。片付けの段になると、KIANは大喜びで参加していたが、邪魔をしているだけのようにも見えたが。 家に帰ると、KIANは得意になって、空手のレッスンを皆に話し、ビアンカや双子も、空手を習いたいといい始めた。5人となると、さすがに費用が嵩んで大いに躊躇するところだ。

KIANが極真空手に挑戦 2015年1月27日


毎週土曜は、サイカでランチを取った後、まずは、ピアノのレッスン、そしてKidzooonaでお遊びというスケジュールを決めた。そして、いよいよピアノレッスンが始まった。場所は、サイカにほど近いマカティ・スクエアの中だから、いたって通いやすい。この日は、飛び入りだったが、30分後の2時からはお目当ての先生の予約が取れた。これから、毎週土曜は2時から一時間、ピアノのレッスンがKIANの日課となった。そして、その後は、Kidzooonaか、おもちゃの、どちらかがご褒美だ。 何のためにKIANにピアノを習わせるのかは、KIANの頭脳の性能アップを図る上で欠かせないということだが、下記のブログに詳細が記載されている。KIANの輝かしい未来のためには、回転の速い頭脳が欠かせないと信じている私だが、楽器を器用に使いこなして音楽を演奏したかったという果たせぬ夢の実現でもある。参考ブログ「キーボードを買いました 2014年5月31日」「脳内革命、第2弾 2014年5月10日」参照。          料金は、一時間のレッスン12回で、4800ペソ。前回、キムが4500ペソに値切ってくれた。早速、支払って、先生を待つこと30分。その間、私は、薬や、ロード、あるいはタブレットの電池の修理など、一人でマカティスクエアの中を歩き回って時間をつぶした。 レッスンと言っても、初心者のKIANは5本の指でドレミファソラシドの鍵盤を押すことに終始いしている。一緒にくっついていたビアンカによると、KIANは飽き飽きして「今、何時、家に帰りたい」を繰り返していたそうだ。これでは、次回、ピアンのレッスンと聞いただけで泣き出してしまうのではないかと心配だが、そのために、当面おもちゃの褒美は欠かせないだろう。 その後は、Kidzooonaでお遊びの時間だが、この日は、ピアノのレッスンで神経をすり減らしたのか、あるいは、前日もビアンカと2時間も遊んだので飽きたのか、おもちゃを抱えて、まっすぐ家路についた。 しかし、先週のKidzooonaでのKIANのはしゃぎようは、久しぶりだったせいもあって、尋常ではなかった。この日は、息子とビアンカ、それに双子も一緒で、大騒ぎだった。19歳のビアンカは、18歳以上の付き添いの入場料は只と喜んでいたが、入り口では何歳かと聞かれて、ちょっとがっかり、いつも体が細いので子供と見られてしまうのだ。ちなみに体重は36kgというから無理もない。昨年、ビールを買いに行かしたら、18歳未満にみられて、どうしても売ってくれなかったという。この日も、童心に帰ってKIAN以上にはしゃいでいたが、KIANの方は、新しく設置された消防車がお気に入りだった。       

KIANがピアノ教室でレッスン開始 2015年1月19日