農場訪問


2023年7月21日付で、コロナ感染防止に関する規制の撤廃が、マルコス大統領により宣言されて、遅ればせながらフィリピンもいよいよ本格的なコロナ明けとなった。しかし、入国規制の変更のアナウンスは未だ無し、しかし、空港の入管では、スマホにe-Travelの入力しても提示しても誰もチェックもせず、現場レベルでは規制撤廃を先取りしているようだ。 そんなわけで、未だに出かけるだけでもおどおどしていた私だが、前回の訪問からパンデミックを挟んで4年ぶりとなるビコールの農場を訪問することを決意した。もちろん、キアン13歳とその妹のクッキー6歳、弟のココ3歳も一緒、クッキーは2歳の時に行ったことがあるが、全く、おぼえていない、ココにとっては正真正銘、初めての訪問となる。 まずは、チケットの予約だが、キアンが奮闘してオンラインでPALの便を取ってくれた、しかし、以前は一人5000ペソ程度で行けたものが、出発直前だったせいか、倍以上の一万ペソを超えていた。しかも幼児の割引もなかったそうで、私のチケットがシニア割引きで一番安かった。航空会社はパンデミックで被った赤字を挽回しようと必死なのだろう。また、PALからは、前日にオンラインチェックインの案内がきており、これもすべてキアンがやってくれた。 このパンデミック中に、従来のレガスピ空港は閉鎖され、新しい空港がレガスピ市の郊外のダラガ市に完成していた。空港の名前もダラガ空港と変更され少々戸惑ったが、出発、そして到着に当たって、空港ではコロナ規制を匂わせるチェックは全く無くて、従来の手荷物検査だけだった。 それが、私のポシェットが引っかかってしまったのだ。飛行機とは4年間縁がなかったのとコロナのことが気になって、うっかりポシェットに小さめのアーミーナイフを持ち歩いていたのを忘れていたのだ。さすが伊達のX線検査ではなく、しっかり発見されてしまった。たしか、息子たちから還暦祝いにもらったものだが、そんな言い訳は聞いてもらえず、情け容赦なく取り上げられてしまった。 ダラガ空港は小さ目ながらもまさに、最新鋭の空港で、国際空港を一部切り取ったような、きれいな空港だった。周囲は一面の畑で、野中にポツンとできた空港だ。しかし、従来、空港から農場まで30分足らずだったものが、一時間半もかかってしまい、タクシー料金も3000ペソと、従来の3倍だ。PALとセブパシフィックがそれぞれ、一日、5便と、4便で、一日、10便程度しか飛んでいないのだから、従来の空港で十分なはずだ。噂では、新空港が建設されて土地は、空港のあるアルバイ県の知事の持ち物だったそうで、何やら胡散臭いうわさがある。 懐かしいレガスピ市を経由して、農場のあるタバコ市につくころは夜になっていた。そしていよいよ待望の我が農場に到着した。ママ・ジェーンのお母さん、兄弟のお嫁さんとその子供たちの歓迎を受けた。 ファームハウスで夕飯はあるのかと心配したが、しっかり、ママ・ジェーンの兄弟が用意してくれていた。しかし、肉と魚だけで、一切の野菜と果物がないことに不安を覚えた。 翌日は、早速、子供たちの庭のプール遊びが始まったが、曇天でマヨンの絶景は拝めない。家の周りには、数匹の雑種の犬がつながれていて、新たな客人に驚いたのかしきりに吠えてうるさいことしきり。農場とファームハウスは息子が2年ほど住んでいたので、手入れが行き届いていた。 しかし、今回の目玉は、wifiだ。しばらくここに生活していた息子の置き土産で、wifiは生かしてあるはずなのだが、なぜか、ルーターが戸棚にしまってあって、しかも鍵がかかっていて使えなかった。事前にこの情報を入手して、息子の嫁からから鍵を受け取っていたのが役にたった。やっと機器を見つけると、キアンはいとも簡単にセットして、携帯、パソコンのE-メールやメッセンジャー、そしてテレビ(大型のスマートテレビ)でYou TubeやNetfrixがが見放題となった。しかも私が持参したチャンネルボックスで、私専用のテレビで日本のすべてのチャンネルも視聴可能になって準備完了だ。 子供たちは、プールとテレビでご満悦、キアンはラップトップと携帯でゲームやNetfrixで満足、さらに私が将来、引退して住むためには必須条件である日本のテレビが見れることがわかった。あるいは、引退しないで、タガイタイの代わりにマニラから500㎞離れたここに住んで在宅勤務ないしリモートワークも不可能ではない。以上の効果に対して、月々1600ペソのwifiの経費は決して高いものではない。 そんなわけで往復日も入れて10日間、どこにも出かけず、農場で退屈もせずに子供たちとすごすことができた。これ恒例の朝夕の散歩も欠かさないで済んだのも、農場の中をはじからはじまで歩いて往復で1㎞くらいあるから、さもありなんである。 しかし、今回は、新たなる発見があった。それは家の周りにパッションフルーツの実が落ちていて、毎日食べ飽きるほど食べられたことだ。甘酸っぱくておいしいが、アンチエイジング、免疫力の強化、糖尿病、高血圧などなどに効果のあるスーパーフードなのだ。それが好きなだけ只でたべられるという、なんともうれしい話だ。 さらに農場には50本くらいのココナッツが植えてあって、ブコジュース、ココナッツミルク、バージンココナッツオイルなどが、これも食べ放題で、スーパーフードの名がとどろいているすぐれものだ。 […]

コロナ明け、4年ぶりに訪問した農場でスーパーフードを満喫 2023年8月5日


台風19号ロリーにより甚大な被害を被った農場の片付けと樹木や屋根の修復も一段落してきた。しかし、上流側の洪水の元凶となった水路の道路横断部の修復については、難工事であり、手がついていない。農場を横断している水路自体はさほどの規模ではないのだが、台風で水かさが増すと、信じ難い大量かつ巨大な流木が流れてくる。道路の下に埋められている3本の既存のパイプカルバートでは手に負えず、いとも簡単に詰まってしまい、上流は洪水と化してしまうのだ。以下の写真により、状況の把握ができたものの、既存の道路横断部の構造が不明なので、いかにするべきか逡巡しているところだ。 修復の方法としては、下記の2案が考えられるが、現地の状況を十分把握して決定する必要があり、次の台風シーズンまでの宿題として残すことにした。 ①道路横断部の既存のパイプ・カルバートを全てを撤去して、3mx3m程度の断面を持つボックス・カルバートを建設する。その場合、パイプと道路の間が土か砂利で埋め戻されているのであれば問題ないが、コンクリートで埋め戻されている可能性があり、撤去費用が膨大になる恐れがある。 ②3本のパイプのうち、上の2本のパイプは道路を支える役割を持たせて残しておいて、下のパイプをはつって、さらにその下に掘り込んで、2mx2m程度ののボックス・カルバートを建設する。この場合、既存の橋の部分を2本のパイプと共に残すため、トンネル工事になってしまう。その場合、道路と2本のパイプの間の埋め戻しが土か砂利だとすると工事中に崩落する恐れがあり、事故のリスクがあり、上記の①案を採用しなければならなくなる。

台風襲来 その2 水路の道路横断部の修復計画 2020年11月28日



3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。 わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。 台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。 農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。 一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。 災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。

3週連続の台風襲来に悲鳴 2020年11月15日


7月1日からは封鎖がさらに緩和されるものと期待していたが、あえなく7月15日まで現状維持と発表され、その期限も近づいてきた。今度こそMGCQ(もっとも緩い隔離措置)と期待出来そうなので、在宅勤務であるならば、どこにいようと関係ないと、キアンを伴ってビコールの農場に疎開することにした。 仮に7月16日からMGCQになったとしても、毎日1000人を超える感染拡大が止った訳でもないので、当面、20歳未満と60歳以上は在宅自粛が求められ、外国人の入国も許されず、本業のビザ取得サポート業務も開店休業状態だろう。さらにPRAも半身不随でID更新のアポをとるだけでも容易なことではなく、当方としては最低限の業務をこなすことしかできない。この状態がいつまで続くかわからないので、当面、ビコールの農場で過ごすのが肉体と精神の健康を維持するために賢い選択というものだ。マニラへの帰還の目安としては、とりあえず外国人の入国が許されてPRAが本格稼動するまで、あるいはキアンの学校が再開されるまでということだとうが、数ヶ月に及ぶ可能性もある。 そもそも、この話は、今回の封鎖期間中、嫁の田舎に疎開していた息子が、それに懲りて、今度、地方への移動が許されたら、ビコールの農場に疎開したいと言い出しのがきっかけだ。3ヶ月間の田舎のスコーターでの暮らしは、なんだかんだ言っても辛かったようだ。それで、7月16日以降の封鎖緩和を見越して、息子一家、そしてキアンを伴って一年ぶりに農場に行こうということになった。それを聞いたキアンは飛び上がって喜んだのはいうまでもない。 問題は、ママ・ジェーンがキアンの一人旅を許すかどうかなのだが、キアンはどうせ許されないと、はなからあきれめ顔だった。しかし、意外にも、自分も、他の二人の子供を連れて2~3週間ジョインすると言い出したのだ。彼女としても週に一度の外出(食料の買い出しとPRAの用件など)だけで、毎日、料理と昼寝に明け暮れるのもいい加減に飽きが来ているに違いない。それに他の子供達も4ヶ月もの間、家に閉じこもりっぱなしというのも良いはずない。ママ・ジェーンも一緒という話を聞いたキアンの顔が一瞬、苦虫をつぶしたようになったのは、まさに(笑)だ。いずれにせよ、ママの承認が取れたとキアンは上機嫌だった。 そして、私は、数ヶ月の農場滞在、在宅勤務の準備構想に思いをめぐらせた。まず、業務に必須なのがパソコンとインターネット、パソコンは現在使っている環境をそのまま持って行くことにした。別途同じ環境を整えることはあまりに面倒な作業だ。もちろんスキャナー付のプリンター、さらに田舎では停電が頻繁に起るのでUPS(無停電装置)が必須だ。しかし、これらの装置全部持っていくと、マニラでママ・ジェーンが何も出来なくなるので、予備のプリンターのインクを買って動くようにしておくことも必要だ(古いプリンターはインクカートリッジ式なのでインク代が高いが、少量なので良しとした)。インターネットは家庭用のWifiを購入して持参するつもりだが、果たして十分機能するかやってみなければわからない世界だ。去年はだめだったが、この一年の間になんらかの進歩があるだろうとの期待だ。それがだめだと在宅勤務もままならないので、毎日街にでて、E-メールを使わなければならなくなる。 さらにキアンのカシオ電子ピアノの持参もオンラインレッスンに必須だ。水泳用具一式、私の精進料理用の食材(2か月分)、糖尿病の薬(2か月分)などと、まるで引越し騒ぎとなってきてしまったが、旅行と一緒でこんな準備が楽しいものなのだ。 ママ・ジェーンは、この機会を捉えて、早速キアンに、歯ブラシを言われなくてもしっかりやることと、私には玉石混交、風が吹けば桶やが儲かる式の条件をつけていた。そして翌日、キアンが早速、ビコールには行けなくなったと、悲しげな顔をして話しかけてきた。ママ・ジェーンに承認を取り消されたというのだ。理由は、歯ブラシが上手に出来なかったからだそうだ。 キアンに行くなということは、私に行くなということに等しい。キアンは私が留守にすると、2~3歳のころから、ベッドの下を探したり、部屋でボーッとして涙ぐんでいたり、よりどころを失ったようになってしまう。それを無視して、私が、2~3ヶ月も一人で家を留守にするというようなことはありえないのだ。ハイスクールに行くころになれば、彼女に夢中になったり、乳離れすると思うのだが、あと数年、私の去就はキアン次第なのだ。 それを歯磨きがどうのこうので、このコロナ禍を逃れて、私の健康と業務を両立するための疎開プランを否定するなど、一体何を考えているのかとあきれる。しかし、どう考えても本気とは思えず、単にキアンのしつけの材料に使っているにすぎないのだろう。それで、「ママはいつでも気が変るので、しっかり歯ブラシをしなさい」とキアンを諭す。案の定、翌日にはOKになったと思ったら、その翌日にはまただめになったとか、キアンの心は乱れるばかりだ。 仮にしつけであろうが、一旦、褒美を与えて、言いつけを守れないから、取り上げるというのは、しつけの原則の真逆だと思う。これをやり遂げたら褒美を与えるというのが原則であるはずだが、ママ・ジェーンの一旦褒美を上げてしまって、それをあとから取り上げるという方式は、子供のやる気を促すのではなくて、やる気を奪うだけだ。おまけにそれでもだめなら、はったおして恐怖心を与えて言うことをきかせるというのは、決して子供の成長を促すことはなく、ひねくれた好ましからぬ大人に育てるだけだろう。 一方、ビコール行きに盛り上がっている間に、15日に封鎖がさらに緩和される見通しが怪しくなってきた。新規感染者は相変わらず、毎日1000人を越え、逆にGCQからMECQに規制が厳しくなるという観測が流れはじめた。そうなるとビコール行きも怪しくなるので、キアンには、歯磨きがどうのこうのよりも、もっと大きなところで、ビコール行きはだめになるかもしれないとキアンと自分に言い聞かせている。さらに、そうなるとPRAも再度閉鎖されるかも知れず、お先真っ暗といったところだ。 状況は大分違うものの、日本も再度感染の拡大が進んでいるが、政府は非常事態宣言も出ししぶっている。フィリピンにおいても、ここで再度厳しい封鎖を実行したら、庶民の経済的打撃から、もはや人心をコントロールできなくなるだろう。したがって為政者は、経済とコロナ感染対策を両立する策を模索しなければならないという難しい状況にある。単に封鎖措置を厳しくして逆戻りというのでは、当方としても、さらに数ヶ月間、マニラで家に幽閉されるという状況に陥ってしまう。直りかけた病気が再発するとショックで闘病の気持ちがなえてしまうというが、全くその通りだと思う。なんと目からうろこの妙手を編み出して欲しいものだが、そうでないと、このまま老いさらばえてしまいそうな気さえし始めている。

農場へのコロナ疎開は果たして実現できるのか 2020年7月11日



4月3日(月)から4月16日(日)の2週間、ホリーウイーク(4月10日~16日)を含んで農場ですごした。公には、台風被害を受けた農場の修復ということだったが、本音は、パパカーネルがKIANに少しでも長く農場生活を満喫させたいという意向によるものだった。私としては、2週間のブランクは仕事上きついものがあるが、幸い、来客の予定が入っていなかったので決行することにした。しかし、ポケットWifiを持参したものの農場では全く訳にたたず、インターネット無しでは顧客の問い合わせにタイミングよく対応することができず、ストレスがたまる一方だった。また、マニラ帰還後の17日(月)の週は朝から夜半まで多忙による地獄の一週間だった。一方、KIANは、農場のプール、ビーチ、プールリゾート、そして極めつけの誕生会(7歳)で、2週間の農場滞在を満喫してもらった。 4月3日(月)500km、12時間の旅にハイエースで出発、KIAN、従姉妹のアレア、それにヤヤとメイド、ボボイが運手する。持参した携帯のナビとポケットWifiが渋滞をさけるのにおおいに役立った。 中間点のグマカでは海沿いのレストラン・リタで食事をとるのが定番だ。なししろ安くてうまいのでいつでも満員だ ビコールに入ると道端で野菜やスイカを売っている。同行したヤヤにもと5個も買ったが、重いので誰も家に持って帰らなかった 4月5日(水)一日休んだ後、早速、近場のバカカイビーチへ繰り出した。  近場と言うことで、サントドミンゴとバカカイが候補に挙がったが、ジェーンとアランはかたくなにサントドミンゴが良いと主張する。私は、サントドミンゴには何度も行っているので、そこにはもはやビーチはないと言っても彼らは聴く耳を持たず、執拗にサントドミンゴを勧める。しかし行ってみれば一目瞭然だった。知りもしないことを強力にすすめる精神構造はなかなか理解できないが、親切心から言っているのであって、決して責めてはいけない。しかし、当方としては、それが本当なのか、こちからでまかせなのか、見極めるテクを身につける必要がある。とにかくフィリピーノは知らない道でも、聞けば教えてくれるというホスピタリティーに富んでいるのだ。 久しぶりのビーチにKIANは大満足。ただしこのビーチはマヨン火山の噴火の影響で砂が黒いのが難点だ いとこと遠浅のビーチで水遊びを満喫 4月6日(木) 従姉妹の小学校の卒業式で、農場で過ごす。KIANにとっては、従姉妹の卒業式などはどうでもいいことのようだ。 プライベートプールなので、水が汚れないように裸で泳がされている アレクサとヤナが借り物のガウンで卒業式に出席 4月7日(金) KIANのたっての願いで、再びバカカイ・ビーチへ いとこのアレクサはKIANの面倒を良く見てくれる 砂はきめが細かくて上質ではある、火山灰なので体にもいいそうだ 4月8日(土) カグラライ島訪問、偶然見つけたマタアス・ビーチは人手が入っていない秘境だ […]

KIAN、夏休みを農場で満喫 2017年4月30日


用事があって退職者のゲストを伴って農場のあるビコール、タバコ市へ出張することになった。その話を横で聞いていたKIANは即座に自分も同行すると宣言した。一年ぶりの農場行きとなって、夏休みに突入したKIANをマニラに残していくということはありえないので、2泊だけだよと言い聞かせて同行させることになった。 NAIAターミナル3の登場口で、笑顔を押さえきれないKIAN、一本歯がちょっと気になるが ひょんなことで日本旅行が実現したKIANにとっては、農場行きは当然のことと受け止めているようだ。幸い、早めにチケットを確保したこともあって、4人で1万ペソ強と、一人片道1000ペソちょっとという格安のチケットを確保することが出来た。 ボニファシオ・グローバル・シティとアメリカン・セメタリー、周りにいくらでも土地があるのにここだけに高層ビルがひしめいている しかしながら、KIANはそのまま2ヶ月の夏休み中、農場に滞在しようと企みがあった。家族の誰か一人でも一緒に農場に滞在してくれればいいからと、私に執拗に頼み込んできたが、いくらなんでも2ヶ月も仕事を休むわけにはいかない。その代わり、ホリーウイークを長めに休んで、4月1日からホリーウイークの終わるまでの2週間、農場に滞在するということで話がついた。昨年末の台風で農場がかなりの被害を受けたので、その修復のためにも一石3鳥の休暇となるわけだ。 マヨン火山は残念ながら雲の中、それでも両手をひろげて大喜びのKIAN 4月18日(土)、パパカーネルが運転するハイエースでNAIAターミナル3へ向かうKIANは終始ご機嫌で、久しぶりのレガスピのエアポートにおりたつと、その喜びを全身で表していた。農場に到着すると、早速、お気に入りのプールで水遊び、さらにトライシクルで遊び、さらに動物たちとのあいさつに忙しい。 たったの2泊だからプールに水を入れることを躊躇していたママ・ジェーンを説得して水を入れさせたが、そんないきさつはお構い無しにKIANははしゃぎまわっている。 ダシン叔父さんのトライシクルはKIANの格好の遊び場だが、マフラーに足をふれてやけどをしてしまった 豚が丁度お産をした後で、9匹の子豚が可愛い。しかし、農場の主のカラバオは死んでしまったそうだ 二匹のサルが飼われていた。前回の訪問中に死んだしまったのだが、再び手に入れたようだ。しかし、どういうわけか2匹とも雄だった 農場にはママ・ジェーンのお兄さんのアラン一家が移り住んでいた。一年ぶりだから、赤ちゃんが子供になって歩いているのが当然だが、もう一人、赤ちゃんがいたので、混乱した。どっちがどっちなのかわからなくなってしまった。聞いてみると、つい2ヶ月前に新しい子供が生まれたのだという。なんともはや電撃的なすばやさだ。これでアラン叔父さんは3人の妻にと6人の子供を作らせたことになる。しかし、面倒を見ているのはこの二人だけで、あとは、元妻の実家やおばあちゃんが面倒を見ている。もっとも4人目の子供ヤナ(10歳)は元々農場に居候しているので、現在は一緒に暮らしてはいるのだが。ちなみにヤナのお母さん(アランの二人目の妻)は癌で他界しており、それまではダバオで生活していた。 アリヤナという名前のこの子は姉さんのヤナとほとんど同じ名前だ。 一方、アランの元妻(正式な妻)もアランと別れた以降、複数の男性と5人の子供を作っているそうだ。アランの前に一人、アランと3人、そして5人、合計9人の子をなしたという子作りの達人だ。長女のアライサは、今年20になるのだが、現在、レガスピの名門私立大学に通っている。将来クルーザー(豪華客船)の乗組員になって世界を回り、8人の兄弟を学校にやるのだと頑張っているとのこと。そのためにHRM(Hotel and […]

KIANの農場訪問、2泊3日の旅 2017年3月26日



ホリーウイークの休みを利用して、レガスピの高台にあるジェーンの土地を訪問した。現在フェンスを建設中で、引き続きレストハウス(5部屋ほどの小ぶりのもの)を建設予定とのこと。近い将来完成するので、退職者の方も是非宿泊してほしい。 左手にはマヨンを望む(農場とはマヨンを挟んで丁度反対側になる) 道路沿いに所有権を主張するフェンスが張られている。              土地は、案外なだらかで資材の運搬もさほどの問題ではなさそうだ。当面はヤギや牛を放牧するということだが、まったく問題なさそうだ。 マヨンの風景は下からも十分満喫できる。 道路から一番離れた敷地の奥に小さな小屋が作られ、そこで作業員が寝泊りして建設工事に従事している。 自給自足をしようとしているのか、畑を作って作物を栽培している。またさらに敷地全体に果物の苗が植樹がされている。 この斜面でも作物を作ることができるという証明でもある。 レガスピ市を眼下に見渡す石の上で一休み。KIANは眠っていたので、私に抱っこをせがんで土地を視察した。KIANにこの土地は誰のものかと聞いたら、誇らしげに「ミー」と答えた。もっともKIANにとってみれば、農場も自分のものと思っているから、しかたのないことだ。しかし、遠い将来を見ると、この土地は確かに遺産として彼の手に入ることになるのだ。幼少にして資産を持つということはうらやましい限りだ。子供に資産を残してやりたい、これは親としての夢なのだろう。 […]

レガスピの土地(MJYハイランド)視察2016年3月27日


今年は、3月24日(木)と25日(金)がホリーウイークの祝日となり、この週、田舎は帰郷した人々で沸きかえった。我々も22日(火)から26日(土)まで農場ですごしたが、雨はまったく降らず、マヨン火山はその雄姿を満喫させてくれた。23日(水)はカーネルらが車で農場に向かったが、連休の前日とあって、ビコールへ通じつ国道は大渋滞で、朝の5時に出発し、到着は夜9時を回った。24日(木)はレいよいよ工事に取り掛かったガスピの土地を見学(別途報告)、25日(金)は、ホリーウイークの最大イベントのパレード、この日は最終日と会ってゴメスファミリーが全員集合。26日(土)早朝、車は朝5時にマニラに向けて出発、我々(KIANとその両親、それに私の息子)は飛行機でマニラに向かった。今回は4泊5日の短期間なのでで瞬く間にすぎてしまった。 私のかばんを引いて旅行客気分を出すのがKIANの最近のスタイルだ。 レガスピ空港から農場のあるタバコ市に通じる国道は4車線に拡幅工事が進められている。せっかく拡幅したが、そこは格好の籾の干し場となってしまっている。一方、拡幅のおかげで道路の中になってしまった木は相変わらず伐採されずに残っている。 たまたま、タイから戻っていた、ビッグマミーのお姉さんのソーニャが作ってくれたカニ(渡りガニ)のカレー、カニ味噌をカレーで味付けをしたタイ料理だそうだ。タイ料理店並のなかなかの美味だった。 みなで食べる食事は、とてもおいしいとみえ、KIANも、みなに混じって台所の食卓を囲んでいる。一方、私は息子と二人だけでダイニングで食事をとるはめになった。 このころ、丁度収穫の時期で、農場の水田も米がたわわに実っていた。新米にありつけるのも、もう少しだ。 闘鶏の雛がたくさん生まれていた。しかし、まだまだ、オスもメスも区別がつかない。全部で30羽ほどの雛がいたが、さらに抱卵中のメスもいたので、50羽程度になるだろう。しかし、育った闘鶏がどこへ行くのか私は知らない。これらの闘鶏はジェーンの兄弟のダシンらが面倒を見ており、当方は場所を無償で貸しているだけなのだ。もしかしたらえさ代も出させられているかもしれないが。 母豚が大きなおなかをしていて、出産もまぢかだ。KIANは、やはりまだまだ、その巨体にビビリ気味だ。  棒を拾って忍者気取りのKIAN、マヨン火山を背景に「マヨンの虎」を気取っている(ちなみにKIANは寅年生まれ、ママ・ジェーンは辰年なので、まさに竜虎となる) 巨大な芋の葉にびっくり、ちなみにこの芋は毒があって食べられないらしい。   カバヨ(馬)のジンポはマヨンを背景に草刈に余念がない。息子は、馬、牛、ヤギなどが苗木を食ってしまうので、かなり広い土地が牧草地となっていて、果物の苗を植えられないとぼやいている。しかし、これらの家畜は農場のシンボルであり、草刈に寄与しているということで処分を免れている。いずれはレガスピのジェーンの土地に移そうという話が持ち上がっているが。 オスざるが2匹いたが、オス同士、なかなか中が良い。今度のサルは、女・子供に優しいので、KIANもビビらないで、手を差し伸べたり、頭を差し出して、「しらみ」をとれとふざけていた。ちなみに、KIANにはもちろんしらみはいないが、ビッグマミーが子供達の頭の毛をかきわけてしらみを取っているのは、よく目にする光景だ。 黒豚については、正月の息子の豚ショックで、その繁殖をあきらめ、その後の処置を考慮中だ。当の黒豚たちは近づくと駆け寄ってきて、可愛らしい。 前回の訪問では見かけることができなかった「カラチュチ」が咲きはじめていた。家の周りに並んでいるので、満開になるとまるで、お花見のようになる。 […]

ホリーウイークの農場訪問 2016年3月26日



3年ほど前から、息子が黒豚の放牧養豚に挑戦して、フェンスなどを作ってきた。そして、4頭の子豚で始めたものが、15頭ほどに増えて、そろそろ収穫の時期を迎えた。 一般的な食用の豚は、放牧すると死んでしまうそうだ。要は食用に改良された豚は自然の環境では生き延びることが出来ず、豚小屋と人工的に作られた飼料を与え続けなければならない。しかし、その飼料には抗生物質などが入っていて人の体にどんな影響を与えるか計り知れない。 猪に近い黒豚(Native Pig)ならば、草や残飯、あるいは糠で成長し、手間と時間はかかるが自然農法に通じるものがある。そこに目をつけて4頭の子豚を購入して飼育を開始したのだが、意外と手間取った。ちなみに普通の白豚は半年くらいで食用に供されるが黒豚は2年ほどかかるようだ。 正月も開けて、いよいよ去勢しておいた雄豚一頭を試しに食べてみようということになった。ちなみに去勢しないと肉が臭くて食べられないそうなのだ。そして1月2日、いよいよその時がやってきた。 頭数も増えて、いつもいずれかのメス豚が妊娠している。お産の時が近づくと妊娠しているメス豚は草を噛み切ってせっせと木陰に運んでいる。誰が教えたでもないだろうに生まれてくる子豚のための巣を作っているのだ。なんともはや、心が打たれる自然の営みだ。人に食べられるために生まれてきたとは言え、メス豚は本能に指示に従って、けなげに子育ての準備をしているのだ。 この日が豚生の最後となる雄豚は、それを察しているかのように抵抗する。ファームハウスの裏手につれていくのも3人がかりだ。   いたいけのない雄豚、その目も悲しみをたたえているように見える。 鼻をなたで一撃され、どっと倒れ、即座に頚動脈を一突きされ血を抜かれる。この血も大切な食用となるから大切に回収される。 そして、お湯をかけながら毛をそる。肌は意外にも真っ白だった。息子は、これから頻繁に処分することになるので、自ら手がけることにしたが、これが後から思いがけない結果を生むことになった。 豚の頭はレチョンにしたら最高だ。しかし、静かに眠る黒豚には哀れを感じさるをえない。    黒豚の肉は硬いので数時間かけてアドボにして一部を翌日マニラに持っていった。歯ごたえがあり、脂肪までもおいしくて、みなハッピーの様子だった。 しかし、翌日、息子から連絡が入って、どうしても黒豚を食べられないという。手塩に育てきた黒豚の顔を思い起こすと、吐き気がして、とても食べることなど出来ないというのだ。黒豚を殺すときの顔が夢にまで浮かんでトラウマになってしまったのだ。ビッグマミーも感情的にとても口をつけることはできないとのことだ。そのため、数日後、冷凍された肉はすべてマニラに送られてきた。 […]

黒豚の悲哀 2016年2月11日


いよいよ大晦日、今年も盛大にクリスマス兼年越しパーティが行われた。しかしながら、はしゃぎすぎたのかKIANは熱を出して体調不良だ。 しばらく休んで体調を回復したKIANはパーティの余興に参加。それまでの不調が嘘のようにパフォーマンスを披露する。パーティ・ボーイの面目躍如だ。   CIMG4570 写真番号をクリックして、KIANの踊りの動画をみてください しかし、パーティが始まるころには再びダウン。 肝心の家族一同の記念撮影に参加できなかった。 それでも気力だ回復して復帰。クリスマスプレゼントの配布に参加。 12時の鐘がなると、悪魔祓いの儀式が開始される。   そして、深夜の食事会、これで今夜2回目の食事だ。。        外では、この日、犠牲になった豚の料理が早朝まで続けられた。これは翌日のアランの5人目の子供の洗礼式(バプティスマル)のものだと後から知った。

恒例のクリスマス兼年越しパーティ 2016年2月11日