KIANの成長記録


パンデミックでタガイタイに疎開した当初、キアンのラップ・トップ・パソコン、台湾製のTHINK PADが熱で、頻繁に動かなくなり、しかもスタート・アップに10分ほどかかるなど、どうしようもなくなってしまった。それで仕方なく私が使っているHUAWEIのASUSのラップトップ・パソコンをオンライン授業に使わせてやった。パソコンがないと、パンデミック中のオンライン授業に参加できず、パソコンはキアンにとっては命綱だ。この、ASUSラップトップはパパ・カーネルの弟のノンさんの選択だが、中国ブランドで大丈夫かと当初心配したが、これが優れもので、すでに5年目はいった今、びくともしない。それ以来、私とキアンが一台のパソコンを共有してパンデミックを乗り切らなければならない羽目になったが、私はさほど仕事もないので、何の支障もないばかりか、いつもキアンがパソコンを使うために部屋にいてくれて退屈しのぎになるので返ってありがたかった。 パンデミックもあけて、パパ・カーネルが使い古しの同じASUSのラップ・トップ・パソコンをアップ・グレードして使えと言ってくれたのだが、パソコン・ショップに持って行ったら、このタイプのラップ・トップはアップ・グレードが出来ないことが分かった。そのため、これは、単にEメールとメッセンジャーのやりとりと文書の作成に使える程度で、キアンの好みの戦争シュミレーター・ゲーム等には使えないので、学校に持って行って使う予備のラップ・トップとすることにした。多分、私とっては十分だろうが、いまさら、ラップ・トップを交換する気にはなれない。 そして今度は、デスク・トップ・タイプの中古パソコンをくれるから、アップグレードして使えということになった。アップ・グレードに必要なCPU(演算処理装置)とGPU(画像処理装置)はパパカーネルが手配して、キアン(すなわち私)はPSU(電源装置)とクーラー(冷却装置)などマイナーな部品を手配しろというもの。価格的には私の負担が7000ペソ程度なので、OKとした。しかし、その後、CPUとGPUは合計で3万ペソ程度で高額であるためか、キアン(すなわち私)が手配しろとのお達しがきた。そうなると新品のラップ・トップを買うのと一緒になってしまうので、大いに躊躇されたが、一台のラップトップを共有しているのもいずれ限界になるので、思い切って決断した。 それで、CPUとGPUを手配すべく、マカティスクエアのパソコン部品ショップのPC‐Expressに行ってヒアリングを行ったが、件のCPUは製造元のインテル社そのものが、すでに生産が中止しており、新しいタイプのCPUにしなければならない。しかし、その場合、マザーボードも交換しなければならないとのこと。さらにケースも交換しないと収まらない、SSD(記憶装置)も必要と、総額が5万ペソを超えるだろうとのこと。そうなると逆に元のパソコンの一体何が使えるのか、これはアップグレードと呼べるのかという疑問が出てきた。ほんの一部の部品で良かったものがじわじわと増え続けて、話をするたびに、さらに増え続ける。ちょっと腹が立ち始めたものの、キアンはすっかりその気になっており、いまさら、ボツにするのも可哀そうだ。 しかし、果たして、こんな高級なパソコンを組み立てたとして、一体それを必要としているのか、今まで通り、一台のラップトップを共有していてもいいのではないかという疑問がわいてきた。そこでキアンに質問した。「なぜ、こんな高級パソコンを必要とするのか、私がコツコツためているキアンの名義の預金を使ってもいいと言うが、これはキアンの来年の授業料のための預金だ。もしも、来年の6月までに再度貯めることが出来なかったら、ドンボスコから公立学校に移らなければならない羽目になるかもしれない」とちょっと脅した。 キアンは、私の脅しにパニックになっていたが、頑なに”I want”と言うだけで、何故かは答えない。そのころ、幸い、思いがけない収入があったのと、珍しくあきらめの悪いキアンを見ていて、ここまで来てボツにしたら、あまりにキアンが可哀そうなので、OKを出した。その時のキアンの喜びようは尋常ではなかったが、さらにフライト・シュミレーターのゲームに操縦桿が必要だと言い出した。パソコンそのものではないものの、5000ペソもするものだ。そしてキアンが白状したのは、フライトシュミレーターのソフト(170ギガバイト)を入れて、遊ぶためには高級なパソコンが必要だったのだ。初めからそういえば、私は快くOKを出しただろうが、キアンとしては私にNOと言われるのが怖くて黙っていたそうだ。 キアンによると古いパソコンのRAM(演算記憶装置)だけが使えるだろうとのことだが、そうなったら、古いパソコンには手を付けないで、すべての部品を購入して、全く新規のパソコンを組み立てて、古いパソコンはクッキーかココに使わせれば良かろうとアドバイスした。RAMだけ回収して古いパソコンを使えなくするよりも、クッキーとココ用にするのであれば、今のままで十分な性能なのだし、近い将来彼らに新しいパソコンを買ってやる必要もなくなる。 次の問題は、誰が、これらの部品を調達して、組み立てるのかということだ。結論として、キアンの教育的観点から、キアンが挑戦することにした。備えとしては、PC Expressでまとめて買えば、組み立てでトラブっても相談できるし、部品同士の相性もアドバイスしてもらえるであろうという目論見だ。因みにPC Expressに組み立てを頼んだら、幾らになるか聞いたら、たったの1000ペソということなので、キアンが失敗したら、簡単にやってもらえるものとにらんだ。 正月明け、学校休みを利用して、お年玉という位置づけで部品を買い求めたが、意気揚々と帰宅したキアンは、同日、組み立てを完了して、無事に稼働させることが出来た。さらに各種ソフトのアップロードも瞬く間に終えて、本格的に使いはじめた。ただしスペースがないので、机だけが相変わらず共有だ。キアンにとって大いなる挑戦だったがパソコンを組み立てて使ったという経験は、レゴやプラモデルの組み立ての延長線上のものであろうが、社会に出るための一歩ともいえる成長だ。

キアン、パソコン組み立てに挑戦 2025年1月27日


キアンが通うドンボスコスクールがあるチノロセス(通称パソンタモ)通りのマカティスクエア近傍は、私が1989年に初めてフィリピンに訪問して事務所を構えたところだ。その後、この10年はキアンの送り迎えに毎日うろついている馴染みの街で、リトル東京レストラン街もあって我々日本人にとっては、極めて居心地が良い日本人街とも言えなくもない。 マカティスクエア内にはキアンが通っている音楽教室もあるのだが、さらに今、キアンが夢中になっているプラスティックモデルを売っているホビーショップがある。さらに日本食材の買い出し、セルフォンショップ、近所のウオルターマートの日本城やMr. DIなどの日用品雑貨、スーパーマーケットなどなど生活に必要なものはなんでもそろう。 パンデミックが明けて、ドンボスコスクールも対面授業を開始して、外出が自由になった今、レゴの後釜としてキアンが目を付けたのがプラスティックモデルだ。私の息子たちが子供のころブームで夢中になっていたものが、再びブームを迎えようとしているらしい。パンデミックの初めは、キアンと私は争ってレゴの組み立てに挑戦した。しかし、レゴは高いので、パンデミックの後半は我が家では下火になっていたが、にわかにプラモデルが脚光を浴びた。 初めは小さなもので試したが、キアンはその難しさに逆に興味を示して、次から次へと要求がエスカレートとしていった。左右両手使いのキアンは、ピアノのレッスンも相まって手先が器用だ。細かな仕事を、時間も忘れて根気強く続けている。男の子のココは、やはり興味深々でタンクを組み立てて欲しいと注文したらしい。女の子のクッキーは全くの無関心だ。 この手の趣味は生涯の趣味になるし、また、子供の脳の発達に大いに役立つ、さらに、私自身の認知症予防にもうってつけではないかと思う。しかし、こんな細かい作業をいまさらやる気にはなれないので、せいぜい、キアンを金銭面で応援するのがやっとだ。一つ、1000~2000ペソ、するので、かなりの負担でもあるが、さらにペイントや接着剤、等々の消耗品の費用がバカにならない。消耗品で儲けるのは古今東西、どこの業界では定石なのだ。 あまりにキアンが夢中になっているので、いつもの通り、ママ・ジェーンから、禁止令が出た。①すでに組み立てて、クッキーやココがバラバラにしたレゴを再度組み立てなければ、新規プラモデルの組み立ては許さない、②組み立ては土日の休みに限定する、③室内ではペイントや接着剤を使用してはならない、等々。何かにつけてイチャモンをつけて後ろ向きの決定をするのが彼女の流儀だ。クッキーと同じで、プラモデルなどの男の趣味は全く理解できず、金と時間の無駄遣いにうつるのだろう。 私が説得しても火に油なので、パパ・ジェネラルに話すようにアドバイスした。彼は、キアンのプラモデルの組み立てにいたく興味を示しており、その楽しさや効能を理解している。彼がどうやってママ・ジェーンを説得したかわからないが、しばらく後、②と③の条件付きで許可が下りた。 土日に限定され、しかも土日はママ・ジェーンとパパ・ジェネラルのモールのショッピングにつきあわされたり、外出が多くて、プラモをやる時間が無いとキアンは嘆いている。両親がキアンを連れて外出したがる理由は、クッキーとココの子守と買い物の運搬係に重宝であるからで、休みにはプラモに没頭したいキアンにとってはとんでもない迷惑なのだ。 キアンは組み立てが終わった飛行機やタンクを学校に持って行って自慢しているようだ。そうすると学友は是非、完成品を売って欲しいという申し出があるそうだ。正直で欲のないキアンは、材料代だけで売ってもいいと言っているらしいが、自分としてはプラモの組み立てそのものが楽しみで、それで十分というわけだ。私としては手間賃を入れて、材料代の倍くらいの値段で売って、売り上げの半分を新しいプラモの材料代に充てて欲しいところなのだが。 この春、キアン一家が日本を訪問した折、キアンの希望はプラモデルの雄、TAMIYAがある本場、日本で、プラモデルの材料を調達することだった。新品は高いので、中古品を探すべくリサーチしたところ、Hobby Offという店がチェーン展開していることがわかった。そこで以前、預けた一万円札でプラモを買うのがキアンの旅の目的となった。上野・御徒町のアメヤ横丁で念願のHobby Offを発見したとき、キアンの興奮は頂点に達した。 上野、御徒町そしてアメヤ横丁と聞けば、私は必ずしも良い印象は持っていないが、キアンにとっては、街は清潔で、ホテルに直結したコンビニでは必要なものはなんでもあるし、将来は是非、日本に住みたいとまで言い始めた。商品は何でも質が良いし、食べ物はおいしいし、日本製の車は故障もしないし、プラモのせいか、すっかり日本びいきになってしまったようだ。日本で働きたいとしたら、日本語が話せることが必須で、キアンは何度か試みたものの未だ、片言も話せない。私という日本語ネイティブスピーカーが傍にいるのだから、練習には事欠かないし、プラモの後は日本語に挑戦するよう強く促している。 一方、キアンは、中国をいたく嫌っている。オンラインで買っても製品は質が悪く、説明書も中国語で、車だってすぐに故障する。ドテルテ大統領の中国寄りの政策のせいか、パンデミック前はオンラインカジノなどで大量の中国人が流入して、やりたい方だいで礼儀知らずで、いたくフィリピン人のひんしゅくを買っていた。そこで私が、そもそもキアンはハーフ・チャイニーズで、名前もYANG(楊)だろうと横やりを入れた。フィリピンは人口の一割の中国系であり、そのまた一割は中国語を話して、中国の文化を維持しているという。キアンは中国系であろうが、心は100%、フィリピン人なのだ。

キアンはプラスティックモデルに夢中 2025年1月24日



7月21日のマルコス大統領のコロナ明け宣言、8月8日の入管の入国規制の撤廃、そして8月17日のPRAのトラベルパスの撤廃と、矢継ぎ早にコロナ明けのニュースが流れた。そして、さらに8月の新学期シーズンを迎え、いよいよ本格的に対面授業が再開された。8月7日、クッキーの小学校、8月16日、ココの幼稚園、そして8月22日はキアンのハイスクールの対面授業が開始され、我が家は、3人の送迎にあわただしかった。 キアンがハイスクールを卒業するまでの5年間、もうひと踏ん張りするつもりだが、コロナ規制撤廃により、外国人の往来も活発になり、当方の主要業務であるPRA関係の動きも活発になりつつある。当方としても、3年半続いたパンデミックの自宅軟禁で、だらけ切った生活に区切りをつけて、すみやかにコロナ前の状態に戻さなければならない。 パンデミック中は、タガイタイに疎開して、用がある都度マニラにでてくるという二重生活をしていた。当方は、いずれの場所でも自宅に閉じこもって、もっぱらリモートで仕事をしていたが、外国人の往来が規制されている状況では、ビジネスは壊滅状態で、有り余る時間を日本のテレビで過ごす毎日だった。同居している子供達もオンライン授業で自宅にこもる不健康な生活を強いられてきた。それが、外出禁止も解かれて、顧客との面会、子供たちの対面授業に伴う通学の送迎、などいよいよ普通の生活にもどることになる。 そうなると必要不可欠なのが、足だ。コロナ前は運転手付き自家用車を使っていた。しかし、そんな贅沢を続けるわけにもいかないので、タクシー/グラブ、ないし、ジープニー、さらに近場は歩くことになる。グラブが良いと勧められるのだが、パンデミック前に試したところ、一度たりとも指定の場所にきてもらえずギブアップした経験がある。しかし、幸い、PRAや日本人街のマカティスクエアには徒歩で30分程度で行けるので、とりあえず、健康のためのエクササイズとして歩くことにした。 問題は、PRAが未だにアポイント制を採用していることで、好きな時間に行って複数の用事を済ませるという芸当ができないことだ。退職者が一つだけの用事のためにアポを取ってやるのは良くても、数件の用事を毎日のように時間と闘いながらこなすのは至難の業。それで、オンラインに頼らざるを得ないだが、パンデミック中の外出禁止の状況では避けられないとしても、返事が来るのに時間がかかって、対面でやるよりもはるかに効率が悪い。早く、日本大使館の様にアポイント制を廃止してほしいものだが、このアポイント制は役所にとっては大変心地の良いもののようで、PRAに限らず、ほとんどの役所で採用しているようなので、果たして元へ戻るかどうかは甚だ疑わしい。 疎開先のタガイタイを引き上げて、少なくとも平日はマニラの常駐しなければならない主な理由は、子供たちの通学だ。やはり、子供たちの発育は人との交わりが大切で、毎日パソコンをにらんでいても人間性というものは身につかない。 下から、もうすぐ4歳のココは先週から幼稚園に通っている。喋るのが遅く、果たして幼稚園に通えるのかと両親は心配していたが、ここ一年の特別レッスンにより、見違えるように上達して、めでたく医者から幼稚園通園可能のお墨付きをもらった。未だ喋る言葉は聞き取りにくいものの、こちらの言うことはほとんどわかるようで、即座に”YES”または”NO”と返事を返す。因みに英語以外にタガログ語やビコラノ語もある程度理解して口走るとのことだ。まあ、幼児の言葉が聞き取りにくく、母親しかわからないという現象は万国共通のものだが。 歩いて10分程度のキアンも通っていた私立幼稚園だが、当初はココを育ててきたヤヤが毎日、トライシクルで送って、そのまま外で待っていて、連れて帰るというシナリオだった。しかし、ちょうどその時ヤヤが具合が悪く、ママ・ジェーンとキアンの役割となった。通常、ママかヤヤが待っていないと3~4歳の幼児は泣き叫んでしまうのだが、気丈なココはへっちゃらで、今日は、トライシクルで一人で出かけて行くという芸当をやってのけた。これからは、専用のトライシクルで、毎日送迎してもらうことになっているそうだが、バッグの中には哺乳瓶を忍ばせながらココが一人で通園するという勇気に感心した。因みにキアンが迎えに行ったとき、先生はキアンのことを覚えていたそうだ。私のことまで聞いていたと言うから、これまた、感心した。 一足先に先々週から小学2年生のクラスに通い始めたクッキーはスクールバスでの通学が楽しいようで、ご機嫌だ。クッキーの強情で負けん気の性格にはキアンが手を焼いており、こんな状態では、学校では皆に疎外され、いじめられるのではないかと心配したが、案外とうまくやっているようだ。これは、弟のココという好敵手の出現により、喧嘩して、逆によく泣かされているので、自分の意地を通すだけではやっていけないということを身に染みて感じているらしい。因みにココに仕返しすると、大人たちは弟のココの味方で、キアンに対する時とは事情が異なり、クッキーも自重するということを身に着けたようだ。クッキーとココの喧嘩の様子は動画を見てほしい。 昨日から名門ドンボスコスクールのハイスクール2年生のクラスに通い始めたキアンは、3年半ぶりに友達と再会して大いにコロナ明けを実感したようだ。小学校一年からパンデミック前の4年生まで、毎日、出迎えに行っていた私にとって、3年ぶりのこの日の出迎えは、感慨深いものがあった。毎日、下校時にはシウマイやアイスクリームを食べさせてやって、一緒に帰るのが日課だった。さらにピアノやタイコンドーの稽古のあとは、日本レストランで昼食をとるのが楽しみだった。注文は決まってエビフライ定食だ。因みにピアノのレッスンはオンラインで継続してかなり上達したが、タイコンドーはオンラインというわけにも行かず、断念した。 キアンの出迎えは、この3年半、自由に外へ出ることが出来なかった私にとって、大いなる自由への解放だ。買い物も外食も自由にできるし、客との面会もキアンを出迎える前に実行できる。自宅からは2km程度なので30分も歩けば、到着して、毎日の健康のための運動としては丁度良い、まさに一石3鳥だ。マカティスクエアの近くまで来ると、新しい日本食レストランが数軒、オープンしていたが、いつか攻略してやるつもりだ。 近所に住んでいる息子夫婦との交流も、晴れて自由となった。二人の孫とも食事をして、特にもうすぐ2歳になるケイラとは、いままで数分程度だった面会が、初めて食事や外出で数時間を一緒に過ごすことが出来た。ジイジと呼ばれるのは照れ臭かったが、私を見つめて、一体誰なんだろうと考えをめぐらして、味方と判断したのか、笑顔を見せてくれた。リオも誕生日ごとにプレゼントをくれる私を肉親と理解してか、初めて抱っこをさせてもらった。 特記すべきことは、日本からのお客さんとの面会や案内が可能になったことで、コロナ明けの最初のお客さんが、かの有名作家の橘玲さんだ。一日タガイタイを案内して、疎開先にもおいでいただいた。因みに橘さんとは、2015年に出版した「ダブルマリッジ」という本の取材に協力し縁があり、その後、しばらく、私のブログをダイヤモンド社のサイト、橘玲の「海外投資の歩き方」に掲載していただいた。

コロナ明け、新学期‐対面授業再開そして疎開終了 2023年8月24日


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インターナショナルスクールマニラと言えば、泣く子も黙る名門中の名門学校(幼小中高一貫)であるばかりか、その月謝の高さで名をとどろかせている。幼稚園が7900ドル/年、小学校が12,460ドル、中学校が13,600ドル、高校が14,460~16,160ドルと言った具合で、毎年、100万円から200万円の月謝がかかるという、けしからん学校なのだ。 それがどういうはずみか、このハイスクールに、キアンを奨学生/特待生として授業料免除で入学させようとパパ・カーネルとママ・ジェーンが画策していたのだ。この学校のセキュリティーのチーフと知り合いだそうで、誘われたというのだが、何か情実があるのかと聞いたら全く公正な受験だという。それでは、子供を象に挑戦させるようなあまりに無謀な試みでキアンが可愛そうだ。 まず書類審査では、学校の成績がすべての科目で80点以上であること、日本でいえばオール4以上といったところだろうか。これには辛うじてパスしており、可能性は無きにしもあらずだった。書類提出後、一週間ほどして書類審査にパスしたという連絡をもらって、両親は大喜びだったが、当のキアンもホッとしたようで、これに落ちたら、ママ・ジェーンの雷が落ちることは間違いない。 そして、2月11日が入学試験日だ。目次を見ると、入学試験と言ってもペーパーテストばかりではなくて、グループ討論やプレゼンテーションなどが盛り込まれた人間としての総合力を問うものだった。私も微力ながら協力しようと、テストの目次を吟味して、30秒のプレゼンテーションにはピアノ演奏を披露すること勧めた。ペーパーテストは算数と英語だけなので、キアンの苦手な分数の足し算、引き算、掛け算、そして割り算を復習させた。 そして試験当日がやってきた。朝の7時集合、朝食が振舞われるとのことで、朝6時に出発するというお触れが出た。キアンの晴れの舞台に私の存在が重要と駆り出されたのだが、私は早々と朝食をとって、皆の出発準備が整ったのは6時半、遅れるのではない方やきもきさせられた。土曜の朝なので車はほとんど走っておらず、6時39分に出発して7時ちょうどに到着した。 会場に行ってみると、ほとんどの受験生がすでに到着して、受付を待っていた。27人の受験生といっても、皆つき添いが複数いて100人近い人が集まっていた。ISMの中には初めて踏み入ったが、その施設の充実ぶりに肝をつぶした。 まずは朝食なのだが、私にとって2回目の朝食で血糖値が上がるのではないかと心配だった。そしてオリエンテーションの会場へ。会場には7名の先輩奨学生も参加しており彼らも入学試験の催しに参加して、合格生を決める一票を投じるそうだ。父兄の参加はここまでで、これから6時間、受験生と先生と先輩の入学試験が始まる。 それで思い出したのが、プレゼンテーションのピアノ演奏のために電子ピアノのキーボードを車に積んだままだったのだ。パパ・カーネルが知り合いに頼んでキアンに届くようアレンジしてまずは一安心。そして、昼食をとって、午後から、クッキーとココ、それにヤヤも伴ってキアンを迎えに行った。 キアンを迎えて、開口一番、「どうだったと」、聞くと、キアンは嬉しそうに「楽しかった」とこたえた。特に、ピアノ演奏が受けて、機会を見つけて数回にわたって披露したらしい。そのたびに、校長先生や先輩、そして受験生から拍手喝さいがわいたそうだ。テストの方は英語は得意なのでやさしかったそうだが、算数は、私がやらせた分数の復習がドンピシャリだったとのこと。その他、グループアクティビティでもリーダーシップを発揮して、皆の注目をあびたとのこと。 27人から5名の選抜と聞いて、可能性は、5%程度かと、キアンと話をしていたが、ピアノの演奏に校長先生がいたく、印象付けられていたと聞いて一気に50%程度の確立に跳ね上がった気がした。ピアノについては苦節7年、週2回、教室に通わせて、毎回付き添って膨大な時間と費用を費やしたかいがあったというものだ(特に稽古のあとのご褒美の食事代)。算数もコロナパンデミック中、毎日、家庭教師をやったかいがあった。 キアンから、ありがとう、と繰り返し言われたのは光栄の至りで、この上ない喜びだった。両親からも久しぶりの感謝の意を示してもらった。しかし、この受験は始まったばかりで、これにパスしたとしても家庭訪問、インタビューがあり、道のりは遠い。しかし、もしこれに受かったとしたら、キアンにとって、初めてのチャレンジであり、この成功体験は、彼のこれからの人生にとって貴重なものになるだろう。まさに芸が身を助ける、一芸に秀でたがゆえの金字塔だ。 一方、これに受からなかったとしても、これからの人生におけるチャレンジの良い糧となるだろう。両親には、これに失敗したからと言って責めてはいけない、この経験をバネに、さらにチャレンジを続けるよう励まさなければならないと、諭した。 今回の受験にはピアノの存在が大きなウエイトを占めた。たまたま、ピアノのアンドレ先生には本物のピアノを買い与える時が来たと、強く勧められていたそうで、エドサのシャングリラ・プラザの地下にあるLyricという店を紹介されていた。 その店を探し当てて行ってみると店の前には中古のピアノが大量に並んでいる。価格は中古とは言え、アップライトの75000ペソから15万ペソ、さらにグランドピアノの60万ペソと私にとっては、目の玉がが飛び出るような価格だ。しかし、高いものはそれなり良いようで、どんどんと高いもに目が行ってしまう。しかし、懐具合と相談して、どんな決定をするのか見ものだ。私としては、お鉢が回ってこないように、少々、距離を置いて見守ることにした。「キアンのピアノ演奏の動画」ちょっと時間がかかりますが見てやってください。 そのあと、フードプラザでピザのおやつタイム、私にとって、この日、4回目の食事で血糖値が気にかかってならなかった。

キアンがインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)の奨学生に挑戦 2023年2月11日



3月1日から警戒レベルがレベル1に緩和され、一か月が経過し、4月からもレベル1が継続されることになった。レベル1となると役所、レストラン、公共交通機関、建設現場など100%の稼働が可能で、ワクチンを接種していて、マスクさえしていれば、普通の社会生活を送ることができる。 かと言って諸外国に目を向けるとコロナ感染の最盛期ともいえる感染者数で、東京だけでも毎日一万人前後の感染者数もウクライナに気を取られているのか、麻痺してしまったいるのか、たいした話題にもなっていない。しかし、この状況がいつフィリピンにやってくるかわからないので、まだまだ油断をするの早い。 そういうわけで我が家は警戒レベル3を自主的に維持して、高齢者と子供は外出禁止となっている。しかし、世の中が動き始めていると、そうばかりも言ってられない状況が出てくる。そういうわけで今週は、2年ぶりの外出を果たすことが出来たのでその感想を述べたい。 2月に退職ビザの申請者がおいでになったときは、まだ警戒レベルは2で、高齢者の外出禁止は活きていた。そのため、申請者とは面会することなく、リモートで、申請、発行までこぎつけた。しかし、3月末においでなった方から、パスポートを含む書類の引き渡しをリモートで行うことを拒否され、警戒レベル1では高齢者の私でも外出できるので、断りきれなかった。 その後は、キアンの卒業写真の撮影(Pictorial)だ。久しぶりに訪れたドンボスコスクールは、人っけはまばらだが、毎日の出迎え、水泳教室、テコンドウ教室などなど4年間のキアンとの思いでがこみあげてくる。この2年間、そんな日常を奪われしまったことが、悔しくてならない。 ママ・ジェーンの話によると、キアンは更に2年間、ドンボスコに通うそうだ。そうしたら、また、私に出迎えをして欲しいと言う。車と運転手がいると言ったら、キアンはもう大きいのだから、ジプニーか歩きで十分だという。確かに1.5km程度の距離だから、歩いても20分程度で、雨でも降らなければ歩けない距離ではない。自転車という手もあるが、車が多い通りなので、ちょっと怖い。この提案に、キアンも私も、してやったりとほくそ笑んだ。私にとっても糖尿病予防の散歩になって一石2鳥だ。 実はこの卒業についてはひと悶着があった。オンラインレッスン中、キアンがゲームをやっているという疑いから、卒業はさせられないという通知が学校からあったのだ。キアンは否定するもののジェーンは黒と決めつけてキアンをつるし上げた。確かにそんな気配も去年はあったが、両親にこっぴどく叱られて懲りているはずだ。そうこうしている間にジェーンは学校と話をつけたと豪語して今日の卒業写真撮影にこぎつけた。 ドンボスコの目の前にはWalter Martのモールがある。ここは、キアンと私が毎日、学校帰りに立ち寄って、シウマイやアイスクリームをごちそうするのが日課になっていた。このシウマイとアイスクリームがキアンをデブにしてしまったという話もあるが、キアンにとっては至福の時だった。そういえば、学校の門の外の売店でポケモンカードを買うのも日課だった。ママ・ジェーンもその点を理解していて、自主規制を解いてもらって、ひとしきり、モールの中を散策させてもらった。 入り口でワクチンカードの提示があるのかと思ったが、2年前と何の変化もなかった。4階のシウマイはさすがに立ち食いは許されず、冷凍を買うことになった。さらに100円ショップの日本城では老眼鏡などの日用品を買い求めた。必要な物がすぐに手に入るということは、2年間、味わうことが出来なかった喜びである。 そして、翌々日、3月31日の期末はキアンの12歳の誕生日だ。キアンもいよいよ、ハイスクール、日本で言えば中学生だ。ママ・ジェーンは、何もしないと言っていたのだが、やはり、ロースト・チキンにケーキと、キアンの喜ぶものが用意されていた。 恒例のHoppy Birthday to youの後の会話の中で、キアンがダダ(私のこと)と大きな声で言ったので、耳を傾けていると、ママ・ジェーンから誰が一番好きかと聞かれ、即座にダダと答えたのだ。なんともうれしい限りで、ママ・ジェーンとは仕事の話をしたかったのが、この時だけは、憚れて黙っていた。 […]

マニラに活気が戻ってきた 2022年4月2日


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東日本大震災から明日で10年を経ようとして、日本のTVは、その話題で持ちきりだ。一方、マニラ・コロナ封鎖は15日で一年を迎えようとしている。この封鎖で開店休業となって時間をもてあまし、キアンの算数の家庭教師をかって出た。あれから一年近い歳月、ほとんど毎日一時間ほどのレッスンで、ようやくキアンがオンラインテストで満点を取って結果を出してくれたのだ。キアンの喜びようは尋常ではなかったが、それよりも、私自身、よくここまで我慢してやってきたものだと、自分を褒めてやりたくなるほどの感激だった。今年に入ってから、コロナ/PRA/SRRV関連以外にブログのトピックになるような話題はなくて、すっかりご無沙汰していたのだが、ようやく筆を執る気になるニュースだった。参照ブログ「封鎖中はキアンの家庭教師に再就職 2020年4月25日」 昨年、キアンの算数レッスンを開始した当初、九九が完璧でないこと、一桁の+-に指を使うことなど、小学校低学年での算数学習の基礎がなっていないことに気がついた。これは、3年前に私自身が教えることをギブアップしてしまって、家庭教師に任せてしまったのが原因だ。今更、後悔しても始まらないし、もはや手遅れだが、いまや四則演算は計算機がやってくれる時代なのでおおきなハンディになることもないだろう。 4年生の教科書が学校においてあって、封鎖で取りに行けないので、Beastというオンライン算数問題集でレッスンをはじめた。4年生の復習を主に行なったのだが、オンラインなのと、式や計算を紙に書いてやる習慣が不十分なので、暗算で出来ないと、すぐにギブアップして、思いつくままに適当に回答してしまう。キアンは、学校の試験は四択(a,b,c,d)だから、でたらめに選んでも25%は正解となることを知っているのだ。 そこでしつこくしつけたのが、まずは式を紙に書け、そして計算の手順を書いて、回答を導け、決して暗算を頼りにするな、である。一桁の四則演算も暗算でろくすっぽ出来ないくせに、文章問題を暗算でこなすなんて10年早い。また3桁以上の計算になると、きちんと紙に書いて計算できないので、位取りが混乱してしまって、正解を導くことができない。 ここ数ヶ月はキアンが大きらいという分数に挑戦した。足し算引き算に必要な通分や計算結果の約分、私自身、算数に関わる英語がわからないので、その概念を教えるのに苦労した。教科書には詳しく概念を教えてあるのだろうが、その教科書がないので、どうにもならない。 そして分数の掛け算・割り算に進むと、何故、割り算は分母と分子をひっくり返して掛け算をすれば良いのか、なかなか覚えてくれない。その時はテクニックとして覚えても、次の問題に移ると、掛け算も割り算も同じになってしまう。私としても、これは繰り返して叩き込まなければならないと覚悟して臨むのだが、つい、アホかと声を荒げてしまう。 そうなるとキアンは萎縮してしまって、ちんぷんかんぷんになってしまう。これを脳みそという言葉の連想からみそスープと名づけ、脳みそがみそスープになると、キアンは思考が停止してしまうだ。 キアンの勉強の敵はクッキーだ。遠慮という言葉を知らないクッキーは算数レッスン中でも平気で、キアンの邪魔をする。時には、私がキアンが算数のレッスンを行なうことを拒否する。強引にやったとしても周囲で大騒ぎするのでキアンの脳はみそスープになって意味がない。 ママ・ジェーンは「クッキーがいたくらいで気が散って勉強ができないなんてことは許されない」と精神論を唱えて、クッキーの邪魔立てを放任した。最近は、さすがにクッキーの邪魔立てがどんなものか、身を持って知ることになり、キアンがオンラインスクールや算数レッスンでしているときは邪魔をしないようにクッキーを注意するが、それにさえ歯向かうクッキーなのだ。 そんなわけで、家庭内で孤立気味のクッキーはパパカーネルが帰宅してハグをしようとすると、「ウイルスがいるから、まずはシャワーを浴びて来い」と怒鳴る。さすがカーネルは冷静にクッキーに従うが、私ならはったおしているところだ。 一方、1歳と4ヶ月目を迎えたココは、部屋をヨチヨチと走り回って、周囲の喝采を浴びる人気者だ。私の部屋を訪れるのが大好きで、ひとしきり私の周りのものを投げ散らかして遊んでゆく。しかし、それにクッキーが加わると、わざと叫び声を挙げたり、他人が嫌がることをやる、典型的な嫌われ者役で、私の顔はしかめっ面のままだ。それに対して、クッキーは”I don’t like your […]

コロナ封鎖下、苦節一年、キアンの快挙 2021年3月10日



トランプ大統領もコロナに感染して3日で大統領選の戦線に復帰して意気軒昂だとか、ヨーロッパの二次感染が深刻であるとか、Go To TravelやGo To Eatの混乱、休業補償金の不正受給など世の中は相変わらずコロナの話題で持ちきりだ。フィリピンの感染者数も2000~3000人超で相変わらず収まる気配もなく、一次も2次もない連続する高台だ。この調子だと、年内の終息など夢物語で、私の仕事の糧の外国人の入国禁止が解除される見通しは全くたたない。 そうなると、自宅軟禁も年単位の長期戦に備えて、耐え忍ぶ生活ばかりではなくて、それなりの潤いがなくては長続きできない。仕事も学校もない生活では、楽しみは3度の食事だけだ。しかし、軟禁生活が半年も越えると、食事を準備するメイドもマンネリのせいか、手抜きも甚だしい。外食ができない状況で、食事ごとの落胆は辛いものがある。 私の毎朝の精進料理は、納豆と豆乳(自家製ヨーグルト用)、それに卵が日本食材店から姿を消して、モンゴ豆と牛乳、それにローカルの卵で代替しているが、精進とは言いがたく、早く脱却しないと体の変調をきたすのではないかと心配している。さらに醤油と味噌が品切れになった時は、世も末と危機感を持った。 それに、昼夜の食事は、ほとんど、イワシないしサバの缶詰あるいはぶつ切りの魚の煮物か揚げ物の繰り返して、食卓に座るたびに今日もかとため息をつく。子供達の食事についてはほとんど毎回、卵焼きにライス、それにコンビーフがついたら御の字だ。キアンは、私と同じ魚のぶつ切りについては私によこして、ライスに醤油をかけて済ますといった按配だ。 まさに貧困層か難民キャンプの食事でメイドにとってはそれが日常で、食べられるだけで幸せではないか、今は緊急事態なのだ、と思っているのかもしれない。かつては外食という手があって、毎週土曜、テコンドーとピアノのお稽古の後の日本レストランでのランチ他、週2~3回の外食でおいしいものが食べたいと思ったことはなかった。因みにママ・ジェーンは料理が得意で、彼女が用意した食事はなかなかのもので、満足できるのだが、せいぜい月に2~3回気が向いたときしかやってくれない。 そんな子供達の楽しみは、ミロとヤクルトで食事の後では欠かせない。ミロは大匙に数杯、ヤクルトは食事ごとに2本ずつ、楽しそうに食しているのを見て、コメントを挟む気にはならなかった。しかし、ここのところ、キアンの腹の出具合が異常になってきた。初めはライスの摂り過ぎだと思ったが、どうも、このミロとヤクルトに原因があるのではないかとにらんだ。 そしてミロを舐めてみると、やけに甘い。ヤクルトもしっかりと甘い。ミロもヤクルトも健康食品という認識があったが、フィリピン産はフィリピン人の嗜好にあわせて、たっぷりと砂糖を含んでいて、もはや健康食品とはいいがたい。そもそもキアンがデブになることを案じて決してソフトドリンクは飲ませず、当たり前のことではあるが、食事中は水だけだった。 しかし、ヤクルトという落とし穴があった。一日一本くらいならいいだろうが、毎食後、2本となったら話は違う。やけにミロとヤクルトが子供達に人気があると思ったら、これらはオリジナルとは似ても似つかぬ甘味食品となっていたのだ。ママ・ジェーンにそのことを伝えると、デューティー・フリー・ショップに行って砂糖が少ない輸入品を買ってくると豪語していた。もはや子供達にはこの二品は欠かせないというのだが、キアンに言わせるとヤクルトとミロはママ・ジェーンの好物であるとのことで、そこまでこだわることが解せた。 最近、食中毒にやられてしまった。午前中から軽い吐き気を覚えて、横になって、食欲もない。便も水のような下痢で、その夜に思いついて重曹を水に溶かして飲んだら、てきめんで、胃の中のものを全部吐き出した。それですっきりして、翌日はバナナだけで済ませて、夜にはすっかり元気になった。原因は、ローカルの卵を生で食したせいではないかと疑っているが、もともとフィリピン人は卵を生で食する習慣はないので、鶏卵の生産流通において衛生管理が十分ではない。日本食材店の卵であれば、生食を前提としているので、その点はしっかりしているものと期待され、その分、値段も倍はする。 首都圏封鎖がGCQに緩和された6月1日、レストランのテイクアウトやデリバリーが盛んとなった。早速、デリバリーを利用したいとママ・ジェーンに話したが、とんでもない、コロナを出前でとるつもりかと一蹴されてしまった。しかし、ここ最近、日曜ごとにパパ・カーネルがやってきて、子供達を連れ出して、必ず、マクドナルドからフライド・チキン・ライスをテイク・アウトしてくる。決してハンバーガーでないところが味噌だが、フィリピンではさすがのマクドナルドもジョルビーの看板メニューのまねをしているのだ。 マクドナルドからのテイク・アウトが許されて、他のレストランからのテイク・アウトが許されないのか、ふと疑問に思って、近所にある馴染みのとんかつ屋レストランからのデリバリーを提案した。キアンは早速、エビフライと醤油ラーメンとさけび声をあげた。キアンの食いものに対する執着はすさまじいものがあり、特に毎週末の日本料理レストラン巡りはキアンにとっての至福の思い出なのだ。 […]

出前で我が家の食卓に花が咲いた 2020年10月14日


ハーレーダビッドソンの組み立ても一段落して、FJクルーザーの組み立てに取り掛かった。これは模造品なのでキアンが興味を示さない。そのために、かえって私が自由に取り組むことが出来た。事務所はクッキーの邪魔が入るので、自分のベッドルームに舞台を移したのだが、ここもクッキーに占領されることになってしまったのだが、キアンがこなければ、クッキーも現れず、数時間レゴに熱中することが出来る。 ブロックもカチカチとはまって、台車部分はなかなか頑丈に組みあがって、部品の不足にもお目にかからない。しかし、フロント部分の取り付けに模造品であることの馬脚を現した。ある程度組み立てて本体にはめ込むのだが、どこにはめればいいのか良くわからず、適当にはめ込むと、別のブロックがこぼれ落ちるといった具合だ。 ドアの開閉部分の筒状のブロックが一個見当たらない。似たようなものがあったが、筒の端が詰まっていて少し長い。どうしても見つからないので、爪切りのやすりでこすってなんとかはめ込んだ。しかし、ドアを本体に取り付けてみると、斜めになってどうしてもうまくはまらず、ドアもきちっと閉まらない。 仕方がないので、後回しにして、他の部分をを完成させて、キアンに助けを求めた。キアンに説明している最中、キアンが手を触れるとやすりで削ったブロックがこぼれ落ちた。よく探してみると筒の端をふさいでいたブロックは別の小さなブロックがはまっていて、はずすことが出来たのだ。キアンは私のアホさ加減に開いた口がふさがらないという顔をしていた。FJクルーザーも仕上がりで部品がぼろぼろ落ちるという欠陥があって、達成感にしたるには今一だったが、少なくとも認知症予防の訓練効果には十分であるようだ。 続いてとりかかったのが、ムスタングの純正品だ。到着から数日間、コロナ除菌でお預けを食らったが、キアンのノリは半端ではない。オンライン授業で、先生のお小言があって、学校から退学させられかねないとかで、すかさずママ・ジェーンは月曜から木曜日までスマホの使用を禁止されてしまったためで、やることがないのだ。 先生のお小言というのはオンライン授業中にキアンがオンラインゲームをやっているというもので、私にその現場を押さえるように指示がママ・ジェーンから出た。本当だとしたら、キアンに強烈なお仕置きが施されるのは間違いない。 これは一大事と、熟考したのだが、キアンのオンライレッスンを後ろから見ていて現場を押さえるなんてことは、到底やる気はしない。そんなことをしたらキアンの私の信頼と愛着はもろくも崩れ落ちてしまうに違いない。フィリピン人で、私が絶対の信頼を置いて頼りに出来るのはキアンだけであって、私の将来、老後の生活の保障でもあるのだ。 そこで決意したのはキアンに状況を耳打ちすることだ。おかれた状況を知っていれば事の対処も可能だろう。因みにフィリピンでは罪を認めると有罪となって処罰される。「すみません、私がやりました。2度と同じ過ちは繰り返しません」という言動は最悪で、あくまでもシラをきることが大事なのだ。だからこそママ・ジェーンは私に現場を押さえるよう依頼したのに違いない。 キアンの試練に対して、私は友人として情報を提供する選択をしたわけだが、因みにキアンに聞いてみると「休憩時間にオンラインゲームをやっているのであって、授業中は決してやっていない」とシラを切っていた。本当のところはやっていたのかも知れないが、私にとっては、事の真偽はさほどの問題ではなく、子供時代には誰でもやっていた悪さの範疇にすぎないのだ。 キアンはムスタングに熱中して瞬く間に仕上げて、2日(2~3時間/日)で終わってしまった。隙を見て私も挑戦したが、3分の一しかやれなかった。ブロックの不足もなく、エンジンルームや室内も凝ったものでキアンの達成感はかなりのものだった。キアンは、私がやった部分は間違いだらけという馬鹿にするが、私には何がまちがいなのかわらない。一方、当方としては一週間を見込んでいたので、とんだ見込み違いで、次の注文品が届くまで間が空いてしまうことになってしまった。 次に注文したのが、フィアット500の純正品、ブロック数960個、約7000ペソ。多くの純正品は1万ペソを越えるのでなかなか手が出ない。こんなものでも適応年齢が16歳以上で大人用だ。 私の練習用には往年の名車、キャデラックとジープの模造品(それぞれ1300ペソ程度)を注文したが中国から来るので到着するのは2週間先だ。キャデラックは私が中学校の時、大いに夢を掻き立てたアメリカ全盛時代のアメリカンドリームを象徴したものだった。 ジープは、このシリーズの製品がたくさんあるので、試してみて良かったら買い続けようと思っている。模造品だから純正品の三分の一からご5分の一で済むし、キアンが興味を示さないので、あまり邪魔されることもないだろう。

レゴに挑戦、その2 2020年10月9日



予測どおり、マニラ首都圏は9月末まで現状維持(GCQ)となった。ある程度の社会経済活動は継続するものの、私にとっての一番の関心事である高齢者の外出禁止は継続し、さらに外国人の入国禁止についての音沙汰もない。これがいつまで続くのか、ワクチンが普及するまでとの話があるが、それがいつになるのか、誰も確定的なことは予測・約束できない。 現状維持と一口で片付けられてはたまらないのがこの防疫隔離措置(封鎖)により職=生きる糧を失った人々だ。国も何の援助も出来ないというのだから、どうやって生きていけばいいというのだろうか。GCQで限定的に社会経済活動が可能となっていたとしても焼け石に水だ。 私にとっても外国人の入国禁止、高齢者の外出禁止、官庁の限定的運営は、三重苦で、上記の失業者の一翼をなしているわけだが、何よりもつらいのがやることがないことだ。さらに、これがいつまで、続くのがわからないとなると、他山の石と眺めているわけにもいかず、不安がつのる一方だ。 ところで、そんな外界の出来事には、あまり興味のないキアンがShopeeとかいうオンライン・ショッピングのサイトを開けて、スペース・シャトルのレゴが欲しいと盛んにモーションをかけてくる。よく調べてみるとクレジット・カードかデビット・カードでの支払が可能だという。クレジット・カードや自分のデビットカード(兼ATMカード)はスキミング詐欺でやられる恐れがあり躊躇されるのだが、新生銀行のGAICAカードならば使用する額だけ都度チャージしておけばいいので、被害は、チャージした額に限定されるので心配がない。しかも、たったの数百円の買い物でも、日本から直ちにE-メールで引き出しの報告が来て、残高もチェックできるので、安心だ。これでコロナ封鎖で自宅にいても自由に買い物ができることになり便利この上ないのだが、おかげでキアンの買い物癖が復活してしまった。コロナの影響もあって世の中はオンライ・ショッピングが買い物の主流になりつつあるようだが、外出もままならない状況では、現金主義の私も遅ればせながら、その波に乗らざるを得なくなってしまったようだ。 今回はスペース・シャトルのレゴ(2300ペソ)をねだられたわけだが、3月31日の10歳の誕生日にはコロナ封鎖に突入しており、何もプレゼントできなかったので、その見返りとしてよしとした。そうなると、9月誕生のリオ(近所に住む孫)と10月誕生の妹のクッキーも買ってやらないと納得してもらえない。しかし、ママ・ジェーンの事前了解を取り付けておかないと、あとから何を言い出すかわからないので、メッセージで打診したものの、返事がなく、”バハラカ(勝手にして)”なのかと念を押すと、ようやく”うん”との答えだった。日本なら、うれしそうにありがとうと礼を言われるはずなのだが、どうも恩を着せられるのが嫌らしい。 そういうわけで3個で5000ペソの出費となったわけだが、4日後の27日に到着すると告げられたキアンの待ちわびる様は尋常ではなかった。そして到着の日がやってきた。午後一で来たのだが、配達物は半日以上天日にさらして、消毒してからでないと家に入れることはまかりならぬというママ・ジェーンのお達しがある。コロナウイルスで汚染しているかもしれないというわけで、キアンが夕方開けていいかときくと、明日の朝にしろと、言われた。翌朝になると昼過ぎといわれ、さらに午後、3時にママ・ジェーン自らに厳かに封をあけ、消毒をして、いよいよ子供達に手渡された。 キアンの至福の時も一時間と続かずあっという間に組み立てを終わってしまったが、そのあと、クッキーの分の袋を開けてキアンが組み立ててやろうとした。しかし、クッキーは、その申し出を断って、自らがチャレンジするという言って、キアンにさわらせない。4歳前のクッキーにはまだ無理なのだが、それでも、自分が買い与えられたということに大いなるほこりをもっているようで、付属の箱に部品を入れて後生大事に持ち歩いている。過去に私がキアンに買ってやったレゴの山を見て、「世の中不公平だ」と嘆いていたクッキーにとっては、私からのプレゼントがよほどうれしいらしい。今回もキアンだけにしか買わなかったら、一生恨まれるところだった。 キアンは、その日、翌日、翌々日と携帯の使用をママ・ジェーンに禁止された。あたかも、レゴをもらった喜びに対してのお返しで、何でも思い通りになったら大間違いという甘えへの戒めなのだろう。おかげで時間を持て余したキアンの次のレゴ獲得への執念はすさまじく、Shopeeのサイトを食い入るように眺めて、物色している。次のターゲットはクリスマス・プレゼントというわけだ。 3歳間近のリオにはレゴの組み立ては無理で、そこでパパ(私の息子) の出番となるのだが、彼の子供の頃はスマホもなくて、プラモデルとレゴで育ったと豪語するくらいで、自信はある。その彼が、今時のレゴは、とても精密で、1980年代のレゴとは似ても似つかない、これならは大人の趣味としても十分通用すると感心していた(よほど組み立てに苦労したらしい)。私も認知症予防に挑戦してみるのも良いかもしれないが、チェスと同じようにきっとキアンにはかなわないだろう。世代は交代していくのが世の常というものだ。

待望のレゴが到着した 2020年9月2日


8月4日から始まった防疫隔離措置(MECQ)は19日から元のGCQに緩和された。8月1日からGCQの延期、4日からMECQへの再強化、そして19日からGCQへの再緩和へのめまぐるしい変化は、行政の迷いの表れだ。こちら立てればあちら立たずで、ドテルテ大統領も苦渋の選択の繰り返しだったのだろう。 GCQからMECQの規制強化は公共交通機関の運行停止、レストランの店内飲食の禁止、さらに諸官庁の業務停止と、6月1日のGCQへの規制緩和により、動きはじめていた経済活動を再度停止するものだった。これは、ジプニードライバー、トライシクルドライバー等の運転手、レストランのウエイトレスら、貧困層の職を奪い、諸官庁の業務停止は経済活動の首を絞めるものだった。コロナ感染の増大による医療崩壊の危惧が、8月4日の規制強化の原因だったそうだが、今度は経済、そして庶民の生活の糧を奪い、はるかに多くの被害者を発生させることになってしまった。 防疫隔離措置(封鎖)も5ヶ月も継続してしまうと、感染拡大防止という大義名分よりも、経済そして庶民の生きる糧を奪うという側面が大きくなって、もはや庶民、経済界の同意を得ることが出来なくなってしまっている。しかもそれを補填する金が国庫にないとすると、感染拡大か庶民の餓死/暴動のどちらを取るかの選択肢になってしまう。 そこでタイミングよく宣伝されているのがロシアをはじめとするワクチン開発で、すでに成功した、成功間近と騒がれている。これは医療関係者も庶民、経済界にとっても希望の光を与えている。これが効果のあるものだとすると、すべてが丸く収まり、外国人旅行者もワクチン接種により、自由に渡航できるとすれば、私のビジネスも復活する。そうとなれば、後、2~3ヶ月は我慢のしようもあるというものだ。 相変わらず在宅隔離を強いられている子供達に事件が起った。とるにとらない些細なことがきっかけなのだが、キアンにとって人生初の怒りの原因に発展してしまった。そのとき、キアンは怒りに30分以上、体の震えが止まらず、私も一体何がキアンに起きているのかわからず、聞いてみると「Angry 怒り」と震えながら答えた。怒りに震えるという言葉があるが、私にとっても初めて見る光景だった。キアンにとっても生まれてはじめての経験だったという。 事の起りは、キアンが部屋にいるクッキーにランチタイムを知らせたことだ。その声に寝ていたココが起きてしまった。そのことを子守役のマミー・ソンがキアンをたしなめた。キアンは、「ココが寝ていたことを知らなかった」と言い訳を言ったのだが、マミー・ソンはそれを「I don’t care、そんなこと知るか」と聞き損ったらしい。それでマミー・ソンに火がついてキアンに罵声を浴びせかけた。キアンがいくら言い訳してもその罵声は止まらず、キアンは見る見るうちに表情を変え震えだしたのだ。 その時は状況をよく把握できなかったのだが、後で聞いてみるとマミー・ソンの罵声は以下のようなもので、キアンには耐え難い屈辱だったようだ。「ダダ(私のこと)の前では、なんでお前は、生意気なことをいうんだ」「ママに言いつけてやる」「携帯の使用を禁止する」など、普段でも大声で子供達をつまらぬことで叱りつけているのだが、火がついているときのマミー・ソンの罵声は強烈なものがあった。キアンは、何の罪を犯したわけでもないのに、マミーソンはキアンの言い訳に耳を貸さず、キアンを怒鳴り続けたことに対して、キアンはプライドをいたく傷つけられ、それが怒りに繋がったようだ。人間、例え子供であろうとその日の糧を得るのに汲々としているもスコーターの人間だとしても、それなりのプライドがあって、それを傷つけられると怒りに繋がって暴力事件に発展する。決して公の場で人を侮辱してはいけない、というのはフィリピンばかりでなく人類共通の教訓だとおもう。 私は、怒りで震えるキアンを部屋に連れて行ってなだめることしか出来なかった。しかし、たかがキアンの呼び声でココがおきたとしても、マミー・ソンがなにもそこまで熱くなることはあるまいと思うのだが、ママ・ジェーンの叔母であるためか、ママ・ジェーンに輪をかけたような勢いだった。両親にに怒られるならばまだしも大叔母にどやされてキアンとしても我慢できないものがあったようだ。相手が同級生だったとしたら、きっと殴りかかっていただろう。 私は生涯、子供時代を含めて、暴力的喧嘩というものをしたことがない。したがって、怒りで体が震えるという経験もない。比較的穏やかな性格で、せいぜい妻と口げんかをするくらいだった。しかし、普段は優しさの権化みたいな10歳の子供ーキアンが体が震えるまで怒るということはちょっと信じ難い事件であった。因みにマミー・ソンはママ・ジェーンに言いつけるといっていたが、それはさすがになかったようだ。なんと言ってもキアンにとって一番恐ろしいのはママ・ジェーンなのだ。しかし、子供達は外出禁止で外へ出られず、ただでさえストレスが溜まっているときに、大の大人が赤ん坊が起きたくらいで大騒ぎをしなくてもいいと思うのだが。

キアンが怒りで震えが止らなくなった 2020年8月22日