KIANの成長記録


いよいよ防疫隔離措置の規制(現状MECQ)の期限(18日)が近づいて、果たして緩和されるのか(GCQへ)、さらに強化されるのか(ECQへ)世間は興味しんしんだ。医療関係者は、新規感染者が6000人を超え、高止まりしている現状から規制強化を訴え、経済界は、このままではコロナに感染する心配よりも、5ヶ月に及ぶ隔離措置により、経済が破綻して職を失い生きる術を失う者が膨大となり、果ては国家経済の破綻を招くことになると、規制緩和を主張している。 確かに5ヶ月もの間、収入の道を絶たれ、これがいつまで続くのかと思うと、感染は自己責任として扱って、いい加減に行政は口を挟んで欲しくないという気持ちがわいてくる。国に支援する金が無いとなれば、貧しい人々が他人の富みを奪ってまでも生き延びようとするのは当然の成り行きで、それを防止するための警察そして軍隊の出動で内乱状態になったとしてもおかしくない。それならいっそ、隔離措置をやめてしまったほうが、はるかに得策だというわけだ。何しろ5ヶ月はあまりにも長すぎる。 一方、最近、フィリピン人の外国人配偶者の入国に当たって、事前に入国ビザが必要である旨の通知が発表された。従来は、フィリピン人の配偶者であればビザ無しで入国を許されたものが、事前にビザを取得せよ、ということだ。参照 入管Press Release(8.08)。しかし、そこには「Appropriate Visa-適切なビザ」となっていて、具体的な記述がない。今まで、Permanent Visa とかLong Term Visaとか表現が使われて、果たしてSRRVは含まれるのかといつも議論が沸騰したが、今回もSRRVが含まれるのか不明で、PRAに聞いて見ても返事をもらえない。 さらに入管の内部資料を入手してみると(外部秘となっているために添付できませんのでご了解願います)、SRRVは認められるものの、今度は「Foreign nationals exempted under FSC No.360‐2020 […]

トランプゲームは防疫隔離措置克服の切り札となるのか 2020年8月16日


7月16日政府通達で「長期ビザ保有者のフィリピン入国を許可する」というニュースが流れ、多くのメディア、ユーチューブ等がこぞってとりあげた。私もローカル新聞の報道を目にして「遂にやった」と思ったが、正式な通達を目にするまで、ニュースを広げることを控えていた。そして通達を手して良く見ると「長期ビザとは移民ビザの13ビザ」と記載されていた。13ビザとはクオータビザや13a婚姻ビザをさすもので、9gワーキングビザ、SRRVなどの一般的な長期ビザを含まず、ごく限定されたビザをさす。そもそもこれらを長期ビザといっぱひとからげに呼ぶことは間違いであり、通達を読んだ人々が全ての長期ビザと解釈することは容易に想像できる。メディアやユーチューブの発行者もそう思ったに違いない。 その後、大使館からも報道されたが通達を翻訳しただけで、具体的にどのビザが含まれているのか、解説がない。その他の雑誌の記事を見ても大使館の情報の再掲載に留まる。要は一般の人がわかるように解説してあるのは、私のホームページ以外にみあたらないのだ。さらに入国に当たっては隔離施設とPCR検査の予約を独力で行なうこととあり、一体どうしたらいいのやら一般人には皆目見当がつかない。そのため、通達の真意を確かめるために多くの人から質問が私にもあったが、旅行社やフィリピン大使館はこの通達の要求にどうしたら良いのか説明するためにてんやわんやで、混乱のまま8月1日を迎えるのではないだろうか。 先日、歯医者に行くために久しぶりに外出したが、それから数日して、倦怠感に襲われ、半日も机に向うとげんなりしてしまった。しかし、熱は36度台の微熱程度で咳も全くない。ひょっとしてコロナとも思ったが、その後も熱も咳もなくてコロナと迷っているうちに、一週間程度で倦怠感がなくなった。ひょっとすると、これは無症状のコロナで、あっという間に直ってしまったのかという気もしている。そうであるとするとこれで抗体を獲得してもはやコロナに罹患しない天然のワクチン接種ということになったのかもしれない。こんな形で、抗体獲得者が増えて、コロナが自然消滅するのが理想的と淡い期待をいだきたくもなる。 キアンの大好きなキッザニアが閉鎖されるというニュースが流れたが、果たしてドリームプレイはどうなるのだろう。このままコロナ封鎖がさまざまなレベルで継続すると、経済・社会活動が停止して、世の中真っ暗になって、まさに「End of the World」がやってきて、コロナ怖さに為政者が国を滅ぼしてしまうという結果になるかもしれない。ブラジルの大統領がコロナなんぞはインフルエンザのようなものだと言ったそうだが、もしかしてそれが正解かもしれない。日本の為政者も緊急事態宣言の発令を躊躇しているがそんなジレンマがあるのだろう。 ところで、キアンのオンライン授業がやっとはじまった。ドテルテ大統領の話によると、ワクチンが出来るまで、対面授業は来年あたりになるだろうということなので、あと半年も自宅待機では学業への影響は計り知れない。学校としても授業料を取ることが出来ず、私立校は倒産の憂き目にあってしまうから、先生方もいつまでものんびりしているわけにはいかない。そのためキアンは朝の7時から11時半までラップトップにかじりついており、やっとニューノーマルの体制になったわけだ。 一方、クッキーも3歳と9ヶ月、本来ならば幼稚園に通っているところだ。そのため、ここ2ヶ月間、私にお鉢が回ってきて、ABCマウスというオンライン教材で、毎日レッスンをしている。しかし、お絵合わせ(ジグソーパズル)やお絵書きに歌など、遊び相手で退屈で仕方がない。しかもクッキーは強情で自分の思い通りに行かないと私からマウスをとりあげて勝手にクリックして、気に入ったところでブレーキしていつまでも遊んでいるので、私の手におえない。しかも私のパソコンを占領しているので、机の前でぼんやりしているしかない。 そこでママ・ジェーンが白羽の矢を立てたのがメイ先生だ。キアンの通っていた幼稚園の先生でキアンの家庭教師でもあり、キアンの英語の恩師といえる存在だ。しかし、メイ先生は現在スペイン在住で、本来ならばありえない話だが、クッキーのレッスンをオンラインで引き受けることになった。まさにニューノーマルで地球の裏側のスペインからレッスンを受けるということが現実になっていているのだ。 コロナ封鎖前、キアンの家庭教師をしていたドンボスコの先生ラニョラ女史にクッキーも一緒に面倒を見てもらうべくレッスンを開始したのだが、数回にしてクッキーのヤンチャぶりにギブアップした経緯がある。メイ先生は幼児教育のベテランなのでやり遂げるに違いないと期待しているのだが、ちなみにママ・ジェーンは、はなからギブアップしている。

キアンのオンライン授業とクッキーのオンライン家庭教師が始まった2020年7月26日



6月16日からの封鎖緩和(GCQからMGCQ)が見送られた。MGCQになれば、日本の自粛要請程度のゆるい規制になって、60歳以上、21歳未満の外出も許可され、レストランや遊技場も部分的に開いて、自由度が大幅に向上する。結局、6月30日まで、現在の外出制限と役所、事務所、銀行等の50%稼動が継続することになってしまったのだが、6月30日というのは暫定的なものであり、その後、緩和されるという保証はなく、感染が一向におさまらない状況では逆にセブのように強化されるかもしれない(GCQからECQに逆戻り)。 PRAは8日の再開から、2週間を経て、その運営体制があきらかになった。要は、当初、業務の要と見られていたオンライン申請は全面的に取りやめ、事前予約による面前での申請のみとされている。 再開前の7日にID更新について質問状を発行したが 、その返事が未だに無いという徹底振りだ。さらに、この事前予約もごく少数の来訪者に限定され、2~3週間先でないとアポが取れないという状況だ。しかも一回の面会で原則一件の申請のみ扱うということで、当方のように常に複数の申請を扱っている代行業者にとっては死刑宣告に等しい。こんな状況も未だおさまらない感染拡大に職員を守るための方策であり、いつかは過去のものになるということを信じて、当面、顧客には我慢してもらうしかなさそうだ。 さて、学校も休みが継続しておりも、3月7日以来、4ヶ月目に突入している。したがってキアンのお稽古事もストップしたままだ。ピアノなど自習するよう促してはいるものの、せいぜい現状を維持する程度でしかない。先生も収入の道を絶たれて苦しい状況にあるに違いない。そんな折、ピアノ、テコンドーなどからオンライン・レッスンの声がかかった。ピアノの授業料は8500ペソ/月と70%アップだが、背に腹は代えられない(これは年間で10万ペソに達してドンボスコ・スクールの授業料と変らない)。ドンボスコ・スクールからもダンスや空手のオンライレッスンの声がかかったが、こちらは無料なのでありがたい。 テコンドーや空手はオンラインといわれてもピンとこないが、ピアノとダンスは待っていましたと乗ることにした。ピアノは5年目に入って、やっと人に聞かせる程度まで上達したのでなんとか伸ばしてやりたい。一方、ダンスは知らぬ間にプロはだしのステップを踏めるようになっており、要は天賦の才があるようなのだ。それにずっと家に閉じこもっているための運動不足を補うことも出来るし、ストレス解消もしかりだ。 さて、レッスンの前日、ママ・ジェーンからキアンにラップトップにズームのアプリをインストールするよう命令が下って、キアンが私に助けを求めてきた。すでに準備済みときいていたのだが、前日の夜になって、何も準備をしていないことがわかった。私は、自慢ではないが、アプリのインストールは滅多に成功したことがない。後から良くきくとママ・ジェーンがパスワードを忘れてズームにアクセスできなくなってしまったということらしい。キアンと私が四苦八苦して新たにズーム・アプリをインストール、あるいはインストール済みのアプリのパスワードを回復しようと試みたが、どうにもうまくいかない。ラップトップのOSもウインドーズ8で使ったことがないのでキアンを頼りにせざるをえず、結局ギブアップする以外に手はなかった。 コロナ封鎖が一段落して(GCQに緩和)妻の田舎から戻っている息子に応援してもらおうとしたが、まだGCQだから、他所から人を入れてはいけないとママ・ジェーンは認めようとしない。そこで封鎖中の3ヶ月間、警察で寝泊りしているパパ・カーネルに応援してもらってようやく事なきをえた。彼は、PCR検査で陰性であることが確認されているので入室を許されたのだ。 翌日、オンライン・ピアノレッスンが開始される10時半になってもキアンは準備を始めるわけでもない。催促すると、やっとラップ・トップやイヤ・フォンなどの準備を始めて、先生とうまくビデオ通話が出来るころには11時をこえていた。それでも、何とかレッスンが開始できたのでホットした。 キアンには、エリーゼのためになどポピュラーで人に聞かせられる曲を10曲小学校卒業までにマスターするようにいいつけた。私専用のピアニストとして演奏会を毎日開かせようという魂胆で、ハイスクール卒業までに100曲マスターのターゲットも与えた。 さて、翌日はダンス・レッスンだ。これまた、はじまる時間までに何もしようとしない。時間になって、Meetingとかいうアプリを開けるのでママ・ジェーンのYahooメールのパスワードを教えて欲しいとキアンがいう。「そんなもの知るか、マミーにきけ」とつい声が荒がる。とにかく事前に準備するということができないというフィリピン人の特性を10歳のキアンも十分受け継いでいるようだ。 ダンスのレッスンはXボックスでおなじみの対面でステップをまねするもので、キアンにとってはおなじみの手法だ。キアンに何故、あんなにダンスがうまいのかときくと、Xボックスで練習したのだというので、オンライン・レッスンも効果的であろうと期待できる。はじめはクッキーも参加していたが、すぐにあきて床を転げまわる始末だ。 ひさしぶりに先生と話したり、ピアノやダンスのレッスンをして、ここ3ヶ月間籠りっきりだったキアンはストレス(特に私の算数レッスン)から十分解放された様子で、机に足を投げ出してくつろいでいた。そこで、私が品が無いと注意したところ、脇でクッキーが私に声をかけてきた。見ると、クッキーが机の上に足を乗せて笑っている。 このことをママ・ジェーンに話したら、大笑いをして自分の子供の頃にそっくりだという。英語で天邪鬼(アマノジャク)をなんて言ったらいいのかわからなかったが、 事前準備の悪いことと同様 […]

キアンのオンライン・レッスンが 開始された 2020年6月20日


今日の朝、マニラ封鎖が5月15日まで延長されることが発令された。これで、都合、2ヶ月間の封鎖となる。日本でも緊急事態宣言が発令されてから2週間たって、果たしてその効果はと、周囲はかしましいが、フィリピンはもっと厳しい封鎖(移動禁止、外出禁止、娯楽施設の閉鎖、公共交通、官庁、銀行等の機能停止、モールを始め 食品と医薬品販売以外のほとんどの商店の閉鎖)を3月15日と早々に開始して徹底されているにも関わらず、その成果らしきものは見えず、2度目の延長となった。韓国、中国、台湾などは、終息といえる状況になっていることが、唯一の救いだ。しかし、欧米は終息の兆しが見えるというものの、いわば、高止まりであって、終息とはいいがたい状況で、きっと為政者の得点稼ぎに違いない。 最近のカリフォルニア等での抗体検査によると、抗体をもっている人の数が感染者の十数倍いるとの調査結果が出ているそうだ。ということは、抗体を獲得した多数の無症状感染者がウイルスをばら撒いていたわけで、その結果、抗体を獲得した人が大多数となると、感染が終息を迎えるというわけだ。スウェーデンではあえて封鎖や外出禁止などの規制をしないで、感染後抗体を獲得した人が自然に増えて、ウイルスが封じ込まれることを期待しているそうだ。 それが真実だとしたら、要は、ウイルスに感染して抗体を獲得しなさい、ウイルスに負けたら、運が悪かったですね、となってしまう、いわゆる歩留まりというやつだ。そうなると、感染者が減って封鎖が解除されたからといって、無症状の感染者はいくらでも巷をうろついているわけで、2ヶ月もの間、自宅に謹慎していた持病持ちで抗体を持たない私をはじめとする無垢の高齢者が、のこのこと街に出て行くことは 極めて感染リスクが高いといわざるを得ない。おまけに、感染して入院したら、重症化しやすいし、退院してもしなくても(死んでしまっても)百万ペソ単位の治療費の請求がくるらしい。私は、一切の保険というものは加入しておらず、日本の住民票を抜いているので健康保険に加入できないので、自分が死ぬだけならまだしも残された家族に大いなる負の遺産を残すことになり、空恐ろしく思う。 こうなると自分の身を守るために、封鎖解除後においても当面の間、自主的に自分自身を隔離して感染防止に努めざるをえない。業務は自宅にこもってインターネットと郵送で、顧客とは面会すること無しに遂行する、いわゆる在宅勤務だ。 もっともコロナ大戦後も海外から客が継続してやってくるかどうかも定かではないのだが、そんな在宅勤務がが可能かどうかPRA等の役所の対応次第だ。それが、だめだとしたら、廃業ということも視野にいれなければならないと危惧し始めている。 ところで、海外から顧客が入国できないし面会もできないという状況で、我がビジネスはご多分にもれず、すでに休眠状態なのだが、そこで目をつけたのが、同じく休校で、自宅にこもりっきりのキアン(10歳小4)の家庭教師に再就職することだ。キアンは、3人兄弟となって、それなりに楽しんではいるものの、学校が休みで、ピアノやテコンドウにも通えず、さらに、3ヶ月の夏休みが継続するとなると、半年近いブレークとなる。これは小学校高学年を目前にしたキアンにとって学業そして成長の遅れは取り返しのつかないものになる恐れがある。 封鎖の初期、学校の宿題を手伝っていたとき、キアンが九九が怪しげであることに気がついた。小学校へ入る前に公文に通わせて、算数を徹底的に仕込もうと思っていたのだが、挫折した。 「 キアン、ついに公文をギブアップ 2017年10月13日 」参照。 その後、しばらく私が教えたのだが、やはり餅屋は餅屋にということで、ドンボスコの先生を家庭教師に雇って、2年が経過した。その時、九九の7x、8x、9xをやり残して、家庭教師に任せたのだが、あれから2年、相変わらずそこでつまずくのだ。この2年間全く成長していないのかと唖然とした。 そこで、2年前を思い出して、4年生の教科書の復習から始めようということになった。そこで、教科書も持ってくるようにというと、学校においてあって、ないと言う。しかし、封鎖中で、学校に取りに行くわけにもいかない。そうしたら、しばらく前にBeast Academyという、まさにうってつけのWebsiteのアプリを購入していて、毎日、2時間、その問題集をやることにした。 […]

封鎖中はキアンの家庭教師に再就職 2020年4月25日



キアンが4歳のときに空手に挑戦してギブアップしてから4年半の月日が経過した。それ以来、リベンジを目指して、チャンスを狙っていたのだが、なかなかほどよいクラスが見つからないで、キアンもいよいよ4年生になってしまった。ママ・ジェーンもキアンに空手を習わせたいとの希望も強く持っており、キアンに話してみるとまんざらでもないようだ。 KIANが極真空手に挑戦 2015年1月27日 そして4年生の新学期にあわせて、学校からテコンドー教室の案内が配られた。出来れば空手か合気道あるいは柔道など日本の武術を希望していたが、無いものねだりなので、この際、韓流も良しとすることにした。毎週土曜日8am~10amで11amからのピアノレッスンにも時間があう。月謝が2500ペソというのもうれしい。 かなり太ってしまったキアンに、果たしてついていけるのか一抹の不安はあったものの、肝心のキアンがやる気があるので、何とかなるだろうと、月謝をおさめて、ユニフォームを買って準備完了。朝飯を食べてないので、キアンの食料(フライドチキンとライス)を買いに外へ出た。そして懐がさびしくなっていたので、メトロバンクに金を下ろしに行った。 そして戻ってみると、皆、体育館一杯に横とびなどの準備運動をしている。キアンは私を見るや息を荒げて、泣き出しそうに近づいてきてグロッキーであることを訴えてきた。あれだけ動けばメタボのキアンが音を上げることは無理あるまい。指導員に話をしてしばし休憩をさせてもらうことにしたが、キアンの泣き顔になっており、それを見て先生は泣いてはいかんとたしなめていた。こんな危機的状況においてキアンが泣いてしまうのは、ママ・ジェーンからはさらなる叱責が来ることに対する過剰反応であろう。 出鼻をくじかれたキアンを励まそうと、躍起だったが当のキアンは心臓をパクパクさせて息絶え絶えの様子だった。しかし30分ほどして先生がキアンを呼ぶと、”Finally”と叫んでキアンが元気良く飛び出していったのでほっとした。 さらに翌週、キアンは何事もなかったようにいそいそとレッスンに向ったのでこれで一息ついた。キアンのメタボ振りにはなにか強制的な手段でダイエットもしない限り、おでぶちゃんのそしりは免れない。もう一年か2年前に再挑戦すべきだったと後悔されるが、3ヶ月も我慢すれば、練習についていけるであろうし、3年後小学校を終えるころには、立派な格闘家になっているだろう。 そうすればキアンも鬼に金棒、持ち前の優しさに勇気と自信がみなぎって、すでに軌道に乗っているピアノもあいまって、感性豊かな理想的少年に育っているだろう。この際、学校の成績などは、さほど重要視することもあるまいし、日本の受験戦争に明け暮れる子供達がかわいそうにさえ思える。 そして3週目、元気に出かけて行ったものの台風11号の影響で雨模様。キアンも適宜、手を抜くことも覚えてなんとかついて行っているようだ。先輩たちの練習試合を見て大いに刺激されていることだろう。雨にも負けず、とにかく続けることが肝心なのだ。 2時間の練習を終えてみると、外は大雨で道路は冠水して大渋滞、この日はアランが孫のリオを迎えに行ってランチを一緒に摂ることになっていたが中止、この後、ピアノのレッスンを終えてモールの中でランチを摂って帰るころには道路冠水も無くなっていた。

キアン テコンドーに挑戦 2019年8月25日


キアンが口を開くとすぐに飛び出してくる7つの言葉がある。その1.セルフォン、その2.アイスクリーム、その3.シューマイ、その4.ジャパニーズ・フード(日本菓子)、その5.ソール・ガルビ(韓国料理)、その6.ポケモンカード、その7.サーキット(カートレーシング)だ。キアンの欲求は、この7つに集約されるのではないかという気さえする。 その1.セルフォン(携帯)については長い確執がある。3歳くらいに2,000ペソくらいの中国製タブレットを買ってやったのだが、すぐに壊してしまって、小学校に入る頃は私が使っているソニーのタブレットを借りてもっぱら使っていた。その頃は、もはや、はやらなくなっていた大き目のタブレットで、日本で中古を2万円で買い求めたものだ。私としてはあくまでもインターネットとスケジュール管理用に使っており、携帯機能としてはあくまでも古風なノキアを使っていた。 キアンがあまりにもタブレットにのめりこんでいるので、ママ・ジェーンは、私にタブレットを使わせないように懇願した。しかし、キアンは時間が空くと退屈で仕方が無いので、私にセルフォン、セルフォンと懇願する。根負けした私は2017年の末にスマート・フォンを使うことを決心をして、使い慣れたソニー製のスマート・フォンを2万ペソ程度で手に入れ、旧来のソニー・タブレットをキアンに与えて、その管理をママ・ジェーンに任せた。 しばらくすると、ソニーのタブレットが姿を消した。私はてっきりママ・ジェーンが隠したのだと思って黙っていた。そしてキアンのセルフォン合唱が始まって私とのセルフォンの取り合いが始まった。新しいのを買って与えた方が簡単なのだが、どうせママ・ジェーンが隠すから、無駄な出費になる。 そして一年近い月日が流れただろうか、ソニーのタブレットが私のベッドのサイドテーブルの下においてあるのを発見したのだ。かつてはキアンのものとなっていたソニー・タブレットは、居候していた双子のいとこと共有しており、故障してバッテリーをチャージできなくなったので、そっと返しておいたらしい。ジェーンはジェーンで無くなってしまったとも言えず黙っていたらしい。皆が私が怒るのを恐れて黙っていたのだ。 チャージャー(スマホのコネクター)を直してキアンに再度与えたが、乱暴に扱うために、毎週チャージャーを直す必要があって700ペソを出費する羽目になった。さらに電池交換、64ギガのSDメモリーの追加など大枚6000ペソをはたいて大改修をしてやった。携帯ショップは、こんなにお金をかけるのなら新品を買えばよいと、いぶかしげにしていたが、ママ・ジェーンの手前、そうもいかない。 これで解決と思いきや、携帯ショップからチャージしながら使わないようにとアドバイスされ、タブレットの電池がなくなると、私の携帯を使おうと、キアンのセルフォン合唱は相変わらず絶えることがない。 その2.アイスクリームはキアンの大好物だ。外食する都度必ず注文する。外食ない時は夕食が終わるとヤヤにアイスクリームを買いに行かせる。自分だけではなくて、周囲にも振舞おうとするので、大きな出費になるのが頭痛の種だ。 夏休み中はいつも私についてPRAや銀行(バンクオブコマース)に出かけて行ったが、近くのコンビニで1.5リッター入りの箱(260ペソ程度)で買って、職員全員に振舞うのが慣例だ。したがってキアンのあだ名は、サンタ・クロースをもじってサンタ・キアンとなっている。 問題はキアンの好みはバニラとチョコレート、それにクッキーズ・アンド・クリームに限定されるので、ヤヤが品切れで他のものを買ってくると、キアンはすぐに切れてしまい、決して手をつけないことだ。そうなると、キアンの好みを知り尽くしている 私の出番となってしまう。 その3.シウマイは学校帰りやピアノ教室に行く時は必須だ。朝飯を食べないキアンは土曜10時半過ぎにマカティ・スクエアのピアノ教室に着くと、腹がすいてたまらない。ピアノ教室が終わったら恒例のランチだからと言っても聞く耳はもたず、シウマイ屋台に直行する。4個入り(35ペソ)を2皿で70ペソ、瞬く間に平らげる。さらに学校帰りは3時過ぎになるので、ミリエンダ(おやつ)の時間で、対面のWalter Martの5階のシウマイ屋台で、やはり2皿が定番だ。このほかの場所では、セブン・イレブンのシウマイがあれば文句は無い。 その4.ジャパニーズ・フード(日本菓子)は常に机の引き出しにストックして、つまみ食いしている。したがって、マカティ・スクエアに行くと、飛び出すのがこの言葉だ。定番は天乃屋の歌舞伎揚、亀田の柿の種そして不二家のMilkyと日本でも人気商品でうまいものはやっぱりうまいのだ。価格的には円貨がそのまま概ねペソになるので日本の値段の倍程度になり、フィリピンのジャンクフードの5倍程度 、かなりの高級食品といえる。 […]

キアンの7つの大好物 2019年 8月25日



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マニラで発刊されているPLECOMMという無料週刊誌に毎週「グローバル時代の子育て」という題で、子育てについてのノウハウが連載されている。「習い事が人生を決定付けるほど重要な理由」「やる気を延ばす家庭教育とは」「本気で習い事をしている子は、勉強も本気でやる」「子供を暇にしてはいけない理由」「子供がよい習慣を身につけるには」「コミュニケーション能力を高める方法」等々、目にうろこの記事が続く。元ねたの「全ての子供は天才になれる、親(あなた)の行動で。」(ダイヤモンド社刊)を是非一読したいところだ。 中でも習い事の重要性については、まさにこれだと、唸らされた。曰く、習い事は、何もそれで身を立てる技術を身につけるということよりも、習い事によって培われる「やり通す気力と忍耐」、「達成感と喜び」そして「自分が優れているという自信」が重要で、机に向って勉強しているだけでは決して培われないものである。これは学業にも寄与するばかりか、そしてこの力が将来社会に出たときに発揮され、いわゆる「出来る」人間になるのだ。欧米の世界有数の大学では学科試験のほか、スポーツあるいは芸術の腕前、さらにボランティア活動の実績などが問われ、文武両道が要求される。 キアンが4歳のころ、私がイニシアティブを取って、公文、空手そしてピアノと習い事のオンパレードが始まった。私の狙いは、①公文:数字に滅法弱いのが当たり前のフィリピン人に育ってほしくない。②空手:自分自身に自信と誇りを持つとともに自己防衛力を見につけて欲しい。③ピアノ:音楽は頭の回転を早め賢い子になる、音楽で人生が豊かになる、人に自慢できて自信がつく、そして女の子にもてる、という多目的で、自分がなしえなかったことへのリベンジでもある。 ①公文は やたら宿題が多くて キアンにとって苦悶でしかなく、DNAのなせる業か、挫折した。現在は家庭教師にまかせきりだ。②空手は時期尚早だったのか、キアンの抵抗でギブアップ。代わりに水泳に路線変更をして本人も喜んでチャレンジしているが、いずれ何らかの武道への再挑戦の機会をねらっている。③ピアノは大成功、キアンも毎年一回開かれるリサイタルを楽しみにしている。現在は「エリーゼのために」を聴衆の前で演奏できるようになるのが目標だ。④さらに最近は週一で日本語のレッスンに通わせており、これはおまけだが、先生に言われて日本語のアニメをユーチューブ(英語の字幕付き)で楽しんでいる。 そして最近出会ったのが「グローバル時代の子育て」で、習い事が学校の授業よりも優先される、ないし重要度が高いという情報だ。ママ・ジェーンは学校の試験前や家族の外出などと重なると平気でピアノや水泳を休ませる。不満顔をすると「学校の試験とピアノとどっちが大事なの?」とありきたりの言葉を発する。ピアノのお稽古を単なる私のお遊び相手と思っているらしい。しかし、「グローバル時代の子育て」の教えによると、学業よりも大事なのだと、自信を持って言い返すことができるようになった。「キアンのために今日の試験が何点などということは、どうでも良い、キアンの成長、将来のために必須なんだ」と。 実はキアンにとっては、口うるさいママ・ジェーンと離れて、私と一緒に出かけたり食事をする時間がこの上ない安らぎなのだが、それは決して口に出すわけにはいかない。何故そうなのかはこのブログの後半に述べる。 さらに「グローバル時代の子育て」では「何をなすべきか、具体的な指示はしない」「自主的なやる気が原動力となる」「干渉が多すぎると自信が育たない」「小言や尋問は厳禁」「何でも話せる家庭環境づくりが重要」「親が子供と真剣に向き合うことが基本」などなどと説く。学校や塾で勉強さえして、良い成績さえとっていれば、いい大学に行って一流会社に入って人生の目標が達成できる、と信じている教育ママにとっては耳の痛い話ばかりが続く。会話の無い家庭環境や親の過度な干渉が、子供を木偶(デク)に育ててしまい、社会に出たとき、いわゆる「出来ない」人間になってしまう。 フィリピンの子育てを見ていると、まさに、その真逆を行っている気がする。何しろ子供の一挙一動に口を挟んで思い通りに動かそうとする。言うことを聞かないと罵声と張りピンタが飛ぶ。子供が話しかけても耳を貸そうとしない。子供を枠にはめて、しつけと称して伸びようとする枝を全て切り取ってしまう。その結果、フィリピンの子供達は自分で何も決めることができず、周囲の流れに身を任すだけの自主性の無い大人に育ってしまう。これはパキキサマと呼ばれるフィリピン人独自の習性だ。ただ、工場等で使うにはすこぶる都合の良い性格だが、いったん歯車が狂うと過激な労働組合運動に集団で走るマイナス面もある。 このしつけにキアンは日夜苦しんでいる。ママジェーンの気持ちもわからないではないが、キアンにはほとんど自由がない。やりたいことはすべて悪いことというレッテルをはられて、やらせてもらえない。親の判断基準からすればそうなのかも知れないが、そこには自主性、自信、判断力の醸成などいうお題目が入り込む余地はない。私が口を挟んでも「親のしつけに口をだすな、そんな考えはフィリピン人として通用しない、キアンの将来のためにならない」ときっぱりと釘を刺されてしまう。 だから、キアンは親の前ではとてもいい子で、親の命令や小言に決して反発せず、素直なのだが、私に対してはわがまま放題だ。こんな二面性も社会に出たら必要なのかとも思うが、キアンは「親と一緒にいると緊張して疲れるので、私と一緒にいたい、私と一緒なら安らげる」としみじみと語る。そんなキアンのコメントに、キアンもそろそろ子供時代を脱却して少年になったのだとつくづく思う。

グローバル時代の子育て(キアンのお稽古事)2019年4月22日


キアンがいよいよ9回目の誕生日を迎えた。一歳の盛大な誕生日が昨日のことのように思えるが、10年近い歳月が流れたなんて信じ難い。新学期が始まると4年生だが、ティーンエイジャーも間近だ。私が齢を取るのも無理はない。 KIANの誕生会 パート2 2011年5月14日 今年は、キアンの通うドンボスコスクールの夏休みが毎年少しずつ後ろにずれて、いずれ欧米と同じ9月を新年度とすることを目指しているため、夏休みの開始は4月末になること、 ホリーウィークが4月15日からであることなどの兼ね合いで、誕生日はマニラですごすことになった。 数年前の教育制度の改定でハイスクールは2年間延長されて6年となり、義務教育が6+6=12年間、日本ないし世界標準になった。キアンが小学校を卒業するまで、後、3年間、このくらいは現状維持で行くだろうが、ハイスクールの6年間はキアンの成長と私の衰えでキアンと私の関係は一体どうなるのだろうか、と最近とみに気がかりになっている。 女の子は思春期を迎える頃、なぜか父親を遠ざける、お父さん不潔とか、生理的に父親を嫌うのは周知の事実で、父親にとっての悲しい現実だ。それでいて、他の男の子に興味を持ち初めて、中学校にあがったあたりでは男子への憧れは果てしないものがある。 これについて、ある方は、これは近親相姦を避けるための本能だと仰った方がいた。そんな話を11歳の女の子を連れてマニラにやってきたお母さんに話をしたら、それは母親も同じで、とあるママさんは思春期の自分の息子の放つにおいがいやで、息子が遠ざけるようになったという。 なるほど、女の子と父親の関係は男の子と母親の関係と同じなのだが、嫌がるのはいつも女で、決定権は女にあるようだ。ならば男の子と父親、女の子と母親はどうなるのだろうか。そういう目で周りを見てみると、特にそのような決定的な別離はなくて、生涯の友であるようだ。事実、私もいまだに息子と友達のように接している。 11歳の女子を持つ母親は、そんな結論に安心したようで、いつまでも娘がべったりしていてほしい、喜んでいた。そして、私とキアンの関係も生涯の友達ですよと、うれしいことを言ってくれた。 キアンが生まれたとき、男の子と聞いて、私には3人の息子がいるから、興味無しと言っていた。しかし、生まれて一年もすると、3度の食事を私のひざでさせるなど、今になってみれば、とんでもない勘違いをしていたようだ。 この日は、住宅の売却の話をするために仲介業者と面会する予定があったので、皆でタガイタイに出かけて行った。一方、パパ・カーネルは現地集合となった。誕生日のお祝いと言っても、全員でレストランで食事を摂るだけなのだが、将来、それがキアンの思い出、宝となるのだ。 クリスマスが終わると、キアンは、次は誕生日プレゼントとばかり、指折り数えて楽しみにしていた。このときも誕生日の1ヶ月以上前から、いつ買いに行くのか、どこで買うのか、プレゼントはポケモンカードがいいと、計画に余念がなかった。 誕生日の一週間前に、計画通りグリーンベルト5のトイザラスに行って吟味した。そこで、なんとあろうに6000ペソもするポケモンカードのセットに目をつけたのだ。前回クリスマスで買ったせいぜい2000ペソ程度と目論んでいたものの、その熱意に負けて、一桁の年齢最後の誕生日ということで踏み切った。誕生日まで開けないという条件をつけたものの、私に隠れて開け始め、誕生日を迎えた時にはすべて影も形もなかった。

キアン9歳の誕生日2019年4月5日



ママ・ジェーンが外出していると、もっぱら私の部屋で時間を過ごすキアンだが、最近テレビでアニメをやっているのをみていて、一つ目のキャラが出ていた。しばらく、見つめているうちに疑問がわいてきた。「なぜ人間はあるいは動物は目が二つあるのか、何故一つや三つではいけないのか」しばらく考えて一つではだめで二つなければならないのかわかった。三つではいけないのかは答えがでなかったが、早速キアンに同じ質問をしてみた。 久しぶりに一家で外出してご機嫌のクッキー、カメラを向けるとお決まりのすまし顔をして首を傾げる、ママ・ジェーンと一緒の髪飾りがユニークだ キアンは、なるほどという顔をして、早速回答して来た。「一つだと、それがだめになると目が見えなくなるが、二つあればもう一つの目で見ることができる」まあまあの回答だが正解ではない。しかし、質問の意図を解釈してそれなりの回答を出したことについて評価できる。これはきっと幼稚園のときに大量に買い与えた百科事典を日ごろ読んでいるせいに違いない。 大きく口を開けるのもクッキーの決まり顔だ それで片目をつぶらして、私の指を顔の前に立てて、つかんでみろと指示をした。キアンはつかむことができない。今度は、両目を開けてつかんでみろといったら、こともなくつかむことができた。要は目が二つあることで物体の距離ないし位置を把握できる、すなわち立体視ができるのだ。それだけでは一つ目小僧がいない説明にはならない。立体視が出来ないと何故この世に存在できないのか。答えは簡単で獲物を捕まえることができなくて飢えて死んでしまうので、目が二つある動物だけが生き延びているのだ。だから魚から昆虫まで世の中の動物といえるものはすべからく二つ目なのだ。 指付がかわいらしいが、なにか指すときに人差し指を使うのは本能のようだ しかし、ここで収穫だったのはキアンはもはや幼児ではなくて立派な少年に成長していることだった。先日、ヤヤが血相を変えて、タガログ語で私とキアンに何か訴えていた。誰か外にいて車がどうのこうのと言っているので来て欲しいという。そこで二人で降りていったらセキュリティガードがタガログ語で黄色いFJクルーザーが違法に駐車してどうのこうのと言っている。するとキアンが英語で、「その車のプレート番号は何だ」、ガードが番号を答えると、「それは車の前後についているのか、この家のFJクルーザーはまだプレート番号がないからそれは違う、誰か他所のものだ」と、堂々とよどみなく対応した。ヤヤと私は顔を見合わせて感心した。まさに大人顔負けの少年だ。この話をママ・ジェーンに話をしたら喜んで飛び上がらんばかりで、キアンも得意満面でその場の会話を早口で繰り返していた。 泣いたり笑ったりする表情は万国共通だがこれも本能なのだろう、しかし動物は何故泣き笑いしないのだろうか そして数日後、車の中で現在私のドライバーをやっているアランおじさんに同じ質問をした。しかし、彼からは何の答えも返ってこなかった。それでさらに矢継ぎ早に質問をしてみた。動物は何故耳が二つあるのか、何故水面は水平なのか、何故海には満潮と干潮があるのか、何故海には波があるのか、などなど、全く答えは返ってこなかった。ハイスクールで教わらなかったのかと問い詰めたが、学校では先生の話は全くうわの空で聞いていなかったというのが答えだった。フィリピーノは計算に弱いのは定評があるが、理科や社会も弱いようだ。しかし、子作りだけは上手で3人の妻との間で6人の子供をもうけているのがしゃくにさわる。キアンは子作りはそこそこでも算数や理科に強い大人に育って欲しいと願う。ところで三つ目人間が存在しないのは未来が見えるので、皆失望して自殺してしまったのではないだろうか。 昨日、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で六つの目をもつ世界一美しい蜘蛛(孔雀蜘蛛)が登場していた。この六つ目のおかげで視界が360度あるというのだが、六つの目で360度の物体の形や遠近を把握するという、脳の機能はいかほどのものなのか想像がつかない。しかもからだそのものの大きさが4mm程度というのだから脳の分子数は知れたものだろう。二つの目でさえややこしいのに世の中には想像を絶する世界があるものだ。ちなみにこの蜘蛛の美しさはメスを獲得するためのもので、求愛に失敗するとメスに食われてしまうのだそうだ。

動物は何故目が二つあるのか 2018年8月5日


ブログへの登場はしばらくなりを潜めているが、相変わらずいつも私と行動をともにしているキアンだ。そのキアンに大いなる試練がやってきた。 今年は新学期が7月から始まったが、キアンもいよいよ3年生だ  先日、親しくしている札幌の退職者の誘いがあり、冬の北海道家族旅行が現実化しつつある。はじめはキアンと二人だけの日本行きのはずだったが、パパ・ママに加えてクッキーまでが付き添うことになって、総勢5人の大旅行となってしまった。パパカーネルの長期休暇取得とキアンの学校休みの都合で、年末クリスマスをはさんで一週間の旅程を組んだ。年末はさぞ航空チケットが高いだろうと検索してみるとエクスペディアでマニラー札幌、往復5万円/人・程度で買えることがわかった。格安とまでは行かないが年末にしてはオンの字だ。しかし、9月10日から運行されるはずのPALの直行便は見当たらず、乗り換え時間を含んで14時間とはいかにも辛い。しかし、2日がかりでゆっくりいけば、乗り換え時間を利用して、韓国、台湾、あるいは東京も見物できるという息子のアドバイスで、結局東京経由で行くことにした。それでも同じ5万円少々だから返って得な気がした。日本に行ったことがないカーネルのたっての願いで往復は早足で東京見物も組み入れることになった。ママ・ジェーンの念願のママ・のぶ子さんとの夕食会も実現するかもしれない。 7月6日PRAの創立記念パーティ、18歳未満お断りのはずだったが、PRAのユニフォームに身を包んだキアンは当然のごとく参加した  一方の私の肺炎での入院をきっかけに家族全員の肺のレントゲン検査を行った折、キアンが結核に感染しているという疑いがあって、予防のために薬を3ヶ月飲むように医者からアドバイスされていた。しかし、キアンは錠剤を飲み込むことが出来ず、液体の薬にしたが、それも血液を飲んでいるようで気持ちが悪いとどうしても薬が飲めないでいる。一見、まったく健康で、そんな心配はないと思うのだが、医者は執拗に繰り返して、鉾をおさめない。そんな心配を抱え続けるのもいやなので、「このままでは、日本の入管に入国を許可されないから、なんとしてでも薬を飲んで憂いを取り去ろう」という提案をした。キアンもそれには納得しているようだった。 7月20日札幌の客の農場視察に同行してレガスピ空港に降り立ったキアン、客先接待係の面目躍如といったところだ 金曜の夜、遅く帰ってきたママジェーンとパパカーネルの特訓が始まった。私は、寝てしまっていたので、その様子を聞いたのは翌日、ピアノにキアンを連れて行ったときのことだった。早朝寝起きに携帯を見ると「キアンの罰として私との食事、パソコンを禁止する」というメッセージがママ・ジェーンから入っていたので、キアンは薬を飲むことができなかったのだと予測された。10時過ぎキアンを起こしてピアノ練習に行く準備をさせると腫れ目のキアンはなんとなく元気がない。夕べはこっぴどく叱られて泣き寝入りしたらしい。 農場からの帰還の飛行機の中でくつろぐキアン。私と一緒にいるときがキアンの最もくつろげる瞬間だ。出発前、ジェーンが同行すると言ったら、キアンのがっかりした様子に笑ってしまった  すったもんだの挙句に果てに結局キアンとのランチの許可が下りて恒例の樹海での食事となった。キアンに夕べのことを聞くと、やはり錠剤を飲み込むことができず、パパ・カーネルに壁に向かって立っていろ命じられたとのこと。また、「ママが怖い(I’m scared of mommy)」としみじみつぶやいていた。同席したジェーンの兄、アランもあまりにキアンが可哀想なので止めに入って、ようやくキアンへの折檻が収まったとのこと。キアンは、私にしがみついて甘えていたが、自分が愛され守られているという実感を感じようとしていたのに違いない。 7月22日デュシットホテル、パントリーのビュッフェに招待されて、大盛りの料理におどけるキアン、食べ放題のアイスクリームも無常の喜びだ  問題は、キアンが大きめの錠剤をどうしても飲み込めない、という単純なものだ。これは物理的に飲み込めないのであって、単なる物理現象であり、子供の責任ではない。だったら飲めるように工夫してやるのが親の責任であろう。それをあたかも悪さをした子供を叱るように折檻するというのは全くの見当違いだ。マット運動や鉄棒ができないからといって先生が子供を張ったおしたり壁に立たせたりするだろうか。何故出来ないのか、できるようにするにはどうしたらよいのか教えるのが先生の役割だ。その辺は、日本的発想かも知れないから、ジェーンに兄としてじっくり話して欲しいとアランに頼んだら、横で聞いていたキアンが「僕はわかる、I understand」とすかさず口を挟んできた。彼の側に立っている人がいると言うことを認識して心がめげてしまわないよう祈るばかりだ。 […]

薬が飲めないからといって何故折檻されなければならないのか 2018年8月5日