KIANの成長記録


最近、公文の帰りに、雨宿りとKIANのアイスクリームを買うために立寄ったMini Stop(コンビニエント・ストア)で面白いハプニングがあった。たまたまそこにいたKIANと同世代の子供がKIANに話しかけてきたが、英語で答えるKIANに対して、お前はアメリカ人かと問いかえす。フィリピン人でありながら英語で話すということは、件の子供には理解ができない。だからフィリピン人と言っても納得がいかない。件の子供が入り口においた私の傘をいじろうとしたので、KIANがそのUmbrella(アンブレラ)に触ってはいけない、と注意したら、子供はパヨン(タガログ語で傘の意味)だと言い張る。店の人が傘を英語でアンブレラというのだと教えていたが、その子供はやはり合点がいかない。 級友とタブレットでゲームを楽しむKIAN その子供はどこにでもいる当たり前の子供なのだが、どう見てもKIANとは一線が画されているような気がした。KIANも英語を話さない子供に遭遇して面食らっていたようだ。ちなみにドンボスコのような私立校に通う子供は、ほとんどが英語を母国語(第一言語)として話す。そこにはなにか住む世界が違う階層の違いというものを感じる。フィリピンの母国語であるタガログ語を話す人間が下級の階層で、国際語の英語を話す子供が上級の階層なのだ。関係ないかも知れないが、おまけに、これら上層の子供は色白、下層の子供は浅黒い。 左はいとこのヤナ(10歳)、KIANとの会話はもちろん英語だが、彼女は母親を癌で亡くし、父親に見放され、今は私の農場でおばあちゃんに面倒を見てもらっている。生まれ育ちは下層階級の典型だが、頭がよくて美人なので上層階級への仲間入りのチャンスがあるかもしれない。彼女もKIANと同様、中国人の血が混ざっている。 KIANが2歳になったころ、タガログ語を話すことを禁止され、周囲もKIANと話すときは英語に徹底された。テレビも英語の番組しか見ることが許されなかった。幼稚園でも先生も園児も、すべて英語だ。KIANの周囲は英語に徹底され、6歳を迎えて小学校に入学したKIANは見事に英語を母国語とする子供に育った。もし、彼がタガログ語で育っていたら、幼稚園や小学校で周囲の子供とコミュニケーションをはかることができないという不思議な現象に、ミニストップの子供のような思いを持ったことだろう。 公文で生真面目に問題をこなすKIAN しかしながら、ここはフィリピンでKIANもフィリピン人だ。母国語のタガログ語を避けて通ることはできない。学校では当然のことながら国語の時間にタガログ語を教えている。もともと周囲の会話を聞いて、ある程度のタガログ語は理解できるが、口から出てくる言葉は英語だけだ。最近、家では、アティ・キムがタガログ語を教えているが、まるで赤ん坊か外国人のようにタガログ語を話すKIANがとても可愛らしいという。私にとってもKIANがタガログ語を話す様は1~2歳のようでとても新鮮で可愛いと感じる。 ピアノの発表会も無事にこなしたKIAN そこで考え込んでしまう私だが、小学校に通い始めた子供が学校で母国語を習うというのは一体何なんだろう。南アメリカのインディオやオーストラリアのアボリジニなどの原住民が、かつての自分たちの言語を取り戻そうと、学校教育にかつての母国語を取り入れるというのは理解できる。しかしながら、フィリピンで一般に話されている言葉、そしてテレビのニュースは皆タガログ語なのだ(もちろん地方ではビサヤなどの方言が話されるが、皆、標準語のタガログ語を理解して話すことができる)。ところが上層階級の子供達は、このタガログ語が話すことができなくて、学校で勉強しなければならないのだ。こんな状況は世界でもフィリピンくらいではないだろうか。ちなみにフィリピンは英語を話す人口が世界で3番目だといい、国民総バイリンガルで、確かにどんな田舎に言っても、ほとんどの人がそれなりに英語を話す。 MOAのタイムゾーンで姉のKIMとゲームを楽しむKIAN 私は、ここにフィリピンの複雑な文化の原点があるような気がする。ハイスクールまで算数、理科などの教科書は英語、大学にいたっては英語の力がさらに要求され、英語で書かれた資料、論文などを読みこなし、レポートも英語で作成しなければならない。社会に出ると公文書はすべて英語、大統領の演説も英語で行われるなど、まさに国際社会が国内で実践されており、人口の10%が海外で働く(OFW)というボーダーレスの社会だ。 この国際社会を担っているのは、子供のころ、英語が母国語でタガログ語が話せなかった上層の子供たちで、下層の子供達は、上層の子供達の下で運転手、セキュリティガード、建設労働者、メイド、ウエイトレスなどとして、親から受け継いだ貧困を継続し、分厚い貧困層を形成しているのだ。この二つの階層を区分する制度・法律あるいは慣習などはなく、誰でもこの境界線を自由に行き来できる。しかし、私立幼稚園そして私立学校の学費、年間5万~10万ペソをまかなうことは、高々5千~1万ペソ/月の収入しかない貧困層にとって、まさに不可能なことなのだ(おまけにKIANは公文、英語の家庭教師、ピアノ、そして近々テコンドーを習い、月々一万ペソ近い月謝がかかっている)。ここにフィリピン特有の階層社会を形成する原点があるのだろう。さらに、フィリピンには富裕層という特別な階層が雲の上にあるのだが、その辺は、私にとって身近に観察することはできない。上層、下層、そして富裕層と、単に貧富の差というよりも、フィリピンではお金が階層そのものを決めており、そこにキリスト教の説く、万人の平等は存在しないようだ。

KIANがタガログ語に挑戦 2016年7月9日


最近、生理学博士のメールマガジンで興味のある言葉が紹介されていた。それは「健康長寿、アンチエイジングの秘訣は教育と教養」という言葉だ。一体、何のことか想像がつかないが、実は駄じゃれで、「今日行く」と「今日用」、すなわち今日、行くところがあって、今日、用事があるということだ。当たり前の話だが、年を取って仕事もしなくなったとしても、体が弱ってきたとしても、毎日、行くところがあってやることがある、家庭あるいは社会生活においてなんらかの役割を持っているということが、健康長寿を実現する上で重要ということだ。たとえ100歳まで生きたとしても10年も、20年も寝たきりというのでは何の意味もない。ちなみに日本では、100歳の長寿を全うしているお年寄りの80%が寝たきりというが、それでは家庭あるいは社会に負担をかけるだけだで、逆に西洋では寝たきりは20%だそうだ。 この話をとある若い退職者の方にしたら、その方は、毎日、料理をしているという。料理は、何を作るか計画し、買い物に行って材料をそろえ、そして料理、さらに、それを家族といえるような人たちと楽しんで食べる。一つのプロジェクトが完結して、実に充実するという。しかも特に外国に居住している場合、自分の口に合うものがいつでも食べられ、フィリピン人の家族にも料理を自慢できるだろうし、また、食べることは人間の最大の本能、喜びであり、生きている証でもある。まさに一石3鳥だ。 ドンボスコの帰りにサイカで食事をするのがKIANと私の楽しみだ いくら料理といっても、それなりのテクと知識がなければ、まずくて口に入れることはできない。私としては、おいしい料理は外で楽しむことにして、仕事をしてその原資を稼ぐことにしている。しかし、それだけでは、ちょっと時間をもてあまし気味なので、KIANがドンボスコ・スクールに通い始めたのを機会に、出迎え役を買って出た。朝、6時半の見送りは、ちょっときついのでアティ・キムにまかせ、11時半の出迎えをして、そのあとランチ、さらに火曜と木曜は公文、月曜、水曜、金曜は英語の家庭教師に連れて行く。私の主な仕事は朝一で済ませて、11時にはドンボスコに向かい、午後は、公文か家庭教師、それに客との面会やデスクワークをする毎日だ。 アティ・キムは警察学校の受験のために浪人していたが、今回も失敗したので、あきらめてマプア工科大学(私立工科系大学の名門)に復帰することになり、昼間は時間がとれない。ママ・ジェーンは第2子(クッキー)を懐妊中で、動きにくい。そんなわけで私としてもKIANの出迎えという家族の重要な役割を担ったわけだ。私としてもKIANと一緒にすごせる時間が長くなるし、刺身などの家では食べられない料理を毎日食べられるし、それに健康長寿の秘訣の教育と教養で、一石3鳥となっている。 KIANも私の出迎えを毎朝「Can you pick up today」と確認に来るほど楽しみにしている。公文や家庭教師もしかりで、私が一緒に行って待っているということで、喜々として出かけていく。その時、ついでにPRAや銀行に行くのが楽しみなのだ。フィリピン人は大の子供好きだから、やんちゃなKIANはどこでも人気で、PRAや銀行に行くと方々からKIAN、KIANと声がかかる。 PRAでは職員と談笑し人気者のKIAN 受付の女の子とツーショットのKIAN、ちなみに美形のこの子はPRAの看板娘だ    そして事件が起きた。 ① KIANが公文の宿題をさぼってしまった。KIANは私に言い訳を言ってほしいとせがんだが、私は、自分で説明しろと話して、彼を教室へ入れた。私がトイレから出てくるとKIANの様子が変だ。先生に宿題のことを聞かれ、パニクッて、私に応援を求めようとしたが、トイレにいた私を見つけることができない。早速、なんとか言い訳してやったが、KIANは怒りに震え、体を硬直させている。KIANが危機的状況に陥っているにもかかわらず、私が消えてしまったことに対して怒っていたのだ。いろいろなだめたが、なかなおさまらない。大好きなタブレットを渡してゲームを始め、ようやくなんとかなったが、その日は教室に戻ることはできなかった。それ以来、公文に行くときは私はガラスドアの外に待機して、トイレにも行ってはいけないときついお達しがKIANから出ている。 […]

アンチエイジングの秘訣、教育と教養 2016年7月9日



6月19日(日)の朝、ランチあるいはディナーのどっちがいいかとママ・ジェーンに聞かれた。怪訝な顔をすると、今日は父の日、だから皆で外で食事をするという。要は、父の日にちなんでご馳走しろということだ。ここのところ、KIAN以外とは、外で食事をする機会が無かったので、二つ返事でOKと返事をした。行き先は決まっていて、モール・オブ・エイシア(MOA)、そこでシャブシャブを食べることに決まっていたようだ。前日、パパ・カーネル、アティ・キム、それにKIANと4人でMOAにでかけて、目星を付けておいたらしい。 MOAの内部は、スケートリンクが移設され大改造中だが内部は人であふれていた。 行ってみるとシャブシャブと言っても、おなじみの天天火鍋と同じ台湾風のシャブシャブだ。マニラ湾面した2階にある店でいわば高級レストラン街の一角にある。早めに行ったので、店内はまばらだったが、出るころには席待ちの客がいるほどの盛況だった。店の名前はHealthy Shabu-Shabu、養生しゃぶしゃぶ鍋、明らかに中国系でシャブシャブの部分におかしな漢字をつかっている。 養生シャブシャブ鍋と銘をうった高級レストランでロックウエルにも支店があるそうだ メニューは肉の種類を牛肉、豚肉、鶏肉、マトン、和牛などから選んで、それにシーフードと野菜の盛り合わせを選ぶ。単品で注文も出来るが、8人あるいは4人セットを選ぶと、肉とシーフィードと野菜のセットが出てくる。もちろん和牛を選ぶと目が飛び出るような値段なので、一番安いローカルビーフを選んだ。 メニューは慣れないと何が出てくるのかわからないのでセットメニューを頼めば無難だ   4人前の牛肉セットを頼んで、3000ペソ弱。アイスティーがついてくるが、かなりの分量で、6人でも食べきれないほどだ。おじやも作ったが、手付かずのまま、かなりの分量をテイクアウトすることになった。特にシーフードと野菜が豊富で、満足度は100%。しかも、6人で3000ペソ弱であれば天天火鍋と大差ない値段だが、お店は高級感があふれ、大人数で食事をするにはもってこいだ。シャブシャブ鍋は小さめのものが一人一人についていて食べやすい。 特にシーフードと野菜がてんこ盛りだ KIANは、ことのほかご機嫌でママ・ジェーンや私にべたべただだった。KIANはシャブシャブといえば、イカボールとヌードルさえあれば十分。他のものには一切手を出さない。しかし、彼の狙いは他にもあった。食事も終盤になるとKIANはしきりに外に出たがる。要は遊びに行きたいのだ。パパ・カーネルとママ・ジェーンを店に残して、アティ・キムと外に出た。もちろん会計係の私は欠かせない。向かったのがタイムゾーン、毎週土曜日、ピアノのレッスンの前に楽しんでいるゲーセン・チェーンだが、さすがにMOAのタイムゾーンは人であふれ、機械の数も多い。        人であふれるタイムゾーンの内部 中は人であふれ、空いている機械を探すのは至難の技と躊躇されたが、KIANそしてアテ・キムまでもが興奮気味で留めることはもはや不可能だった。500ペソを使い切って小一時間ほどでたところで店を出たが、KIANは超ご機嫌。しかもKIANにはもう一つの狙いがあった。  KIANよりもアテ・キムのほうが興奮気味だ 前日、MOA内の自転車屋さんに立ち寄ったKIANは小さい時に遊んだスクーターを発見した。ただしこれは大人でも使える大型のものだ。KIANは、お店の人に値段を聞いて、また戻ってくるからと、ませたことを言って店を後にした。彼には私と一緒に来ればきっと買ってもらえると確信があったのだ。両親には決してダダをこねることはなく、私なら二つ返事であることを知っているのだ。値段(2250ペソ)を聞いて一安心、この程度であれば、一回の食事代にすぎない。 […]

父の日とシャブシャブ、そしてスクーター 2016年6月26日


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6月6日、いよいよ、KIANが小学校に入学するときがやってきた。ちょっと前まで赤ちゃんだったのに、それが小学校に入学するというのだから、時の立つのは早いもので、私が歳を取るのも無理ないことだ。 ドンボスコ、正式にはDON BOSCO TECHNICAL INSTITUTE(DON BOSCO Makati)と称し、Saint John Boscoが1954年に開設した、ラサール、サンアガスティンなどと並んでフィリピン有数のカソリック系の名門校だ。ちなみに、日本のラサール、ドンボスコなどと根っこはいっしょだ。幼稚園、小学校、ハイスクール、さらに電気、機械の専門学校も併設し、5000人の生徒を有し、教職員は400人に上るマンモス校でもある。ちなみにドンボスコは男子校で女子はいない、ただしオカマは10~20%程度いるので、注意が必要だそうだ。ちなみに学費は年間89000ペソと20万円強だ。パソンタモ通りに面した入り口を飾る表札 通学初日、早朝6:45、KIANの雄姿 まさにぴかぴかの一年生だ 当然のことながらママ・ジェーンとアテ・キムが同行する。パパ・カーネルは次期大統領、ドテルテ・ダバオ市長の表敬訪問でダバオに出張して留守。彼は、かつてダバオ警察署長を務めていたのでドテルテ市長とは面識があるそうだ。 一クラス約40人は理想的な人数だ。KIANは手前から2番目の列の最後尾 ルンルンわくわくで先生の話に聞き入るKIAN 外観からは想像できない広大なサッカー場 これまた広大な体育館はバスケットコートが4面もある […]

KIANが名門ドンボスコ・スクールに入学 2016年6月10日



KIANがピアノのレッスンを開始したのが、2015年1月、したがって、はや1.5年が経過した。週一回のレッスンはほとんど欠かさなかったものの、家で練習することなどほとんどないので、その上達は、ほとんどなしといっても過言ではなかった。そのKIANが発表会に参加するというのだ。そこで早速、弾いてみなと促すと、そらで2~3曲弾いて見せてくれた。もちろん、ABCDEFGなどの定番ものだが指使いも様になっている。苦節一年半、ここまで来れば演奏が楽しくなって急速に上達するだろう。まさに根気以外の何ものでもないということだ(ただし私の根気)。毎週土曜日、サイカで食事をとり、タイムゾーンで遊ばせて、おまけにレゴのおもちゃを買ってやるというニンジンにりんご、それにトマトまでぶら下げて興味を持たせるという気遣いは不要になったようだ。これで、大枚をはたいたキーボードの投資もいよいよ役に立つときがやってきた。 ピアノ教室(EUPHONY MUSIC CENTER)の入り口。マカティスクエアの中2階の右奥にある 発表会の開始前に記念撮影   この日は60人ほどの生徒が演奏を行うことになっていた。午後一時開始なので、夕方までかかりそうだ。KIANは5番目だったので、早めに終わりそうで、KIANの出演が終わったらさっさと帰るつもりだった。はじまってからわかったのだが、要は、KIANは60人中下から5番目という技量だっただけなのだ。発表会まで約一時間待たされたがKIANはNO.5の札の指定席に座っておとなしく開演を待った。心細いだろうとアティ・キムが傍に行くと、”Stay away”と追い返されてしまったそうで、KIANはやんちゃではちゃめちゃだが、決められたルールは守るという意識が強いようだ。昨日もドンボスコの入学説明会にママ・ジェーンと出席した折、一時間以上の説明会もしっかりと集中して聞いており、説明の内容もしっかり把握していたそうだ。幼稚園のKid Schoolに2年間通っている間にしつけられたらしい。 これから始まる発表会に期待に胸を弾ませていたに違いない いよいよ本番。2曲演奏して、途中間違えたりもしたが、終わったら大拍手、本人も得意げに”Am I good”と繰り返し聞いていた。もちろん答えは”Very good”だ。ここで否定的なことを言ったら、KIANは二度と鍵盤の前には座らないだろうが、一方のKIANはあがることもなく、終始ご機嫌だった。こんなことを言ってはKIANに失礼だが、「豚もおだてりゃ木に登る」という格言を忘れてはいけない。 いよいよ本番、KIANは堂々とピアノを演奏した […]

KIANのピアノ発表会 2016年6月5日


長い夏休みが終わり、いよいよKIANが小学校へ通うときがやってきた(フィリピンは3月から夏休みに入り、6月から新学期がはじまる)。毎日、朝の9時過ぎまで寝ていたKIANにとっては、朝の7時に始まるという授業に慣れるのは容易ではないだろう。昼から始まる午後の部を選択することもできたが、それでは時間にだらしない子供に育ってしまうと考えて、あえて午前の部を選択した。フィリピンでは子供の数は無限ともいえる状況なので、KIANが通う名門ドンボスコ・スクールでさえも二部制なのだ。 アティ・キム(中央)の20歳の誕生日はパパ・カーネルがパンシット・ビーフン(写真の右手前隅)を料理した KIANをめぐって最近、一つ問題がある。それは、KIANは毎晩私の部屋で過ごして、寝る時間(10時ごろ)、両親に呼ばれると、いやいやながらという雰囲気で降りていくのだ。これにたいしてママ・ジェーンはなぜ、ママに傍で過ごさないのかと苦言を呈す。KIANはダダ(私)の傍にいるとリラックスできるのだと反論し、口論が始まる。また、私が夜出かけたときなど心配していつまでも寝ないので、ママ・ジェーンがヒステリックな声で寝るように命令する。そんな状態だから、KIANはママ・ジェーンと過ごすのがいやで、私の部屋で過ごしたがる。まさに悪循環だが、こんなに愛しているのになぜKIANは私から遠ざかりたがるかと、彼女には理解できないし納得もできない。彼女に反発するのはKIANだけで、他の子供達(KIANのいとこ達)にとってママ・ジェーンの指示は絶対で、反発などありえないので、ジェーンは戸惑う。KIANが強気なのは、私の後ろ盾があるからであることは論を待たない。 私のベッドの上にジャンプするKIAN、手にしているのは英語読本 KIANは私の部屋でタブレットでユーチューブやゲームで遊ぶか、テレビを見ているかで、私は、逆に日本のテレビを見るか、タブレットでヤフー・ニュースなどを見て、KIANの過ごしたいように過ごさせている。たまに日本食材店で買ってきた「柿の種」を食べさせているが、KIANはことのほか日本のせんべえ菓子が大好きだ。そんな時間が双方にとって、とてもリラックスできるのだが、わがままなKIANは私にアイス・ウオーターをもってこい、時には日本のラーメンを作れと命令する。そんな時、私はせっせとKIANの言うことを聞いていやるのだが、この家で私にこんなけしからんことをリクエストできるのはKIANしかいない。  なにやらスマートフォンを一所懸命写し取るKIAN ママ・ジェーンはKIANを叱るのは、しつけと思っているが、私にとってはいじめに映る。たとえば、スリッパをはかないで家の中を歩くと、時にはピンタが飛ぶ。そうするとKIANはママにたたかれたと泣きながら私にしがみついてくる。私は、よしよしと抱きしめてやるだけだ。そうなるとママ・ジェーンはそれ以上、手を出せず、私は常にKIANの味方で避難港(HAVEN)なのだ。だから、KIANは私の傍にいると100%の安心感を抱いているに違いない。一方、ママ・ジェーンの傍にいると、罵声とピンタがいつ飛んでくるかわからず、心の休まる時は、寝ているとき以外にはないと感じているようだ。 ピアノを弾くことがなんとなく様になってきたKIAN KIANが、まだ2歳にもならないころ、近所のスーパーマーケットで私はKIANを見失ってしまった。いつも活発なKIANは吊るされた売り物の服の間をかくれんぼのように走り回っているうちに、どこにいるのかわからなくなってしまった。しばらくして大声で泣きじゃくるKIANを抱いて店員が店の中を歩き回っていた。たった数分のことだが、私とKIANはパニックとなってお互いを捜していたのだ。子供が泣いて大声を出すのは危険信号であり、周囲の人が状況を理解して救助する。親もその泣き声を頼りに子供を捜す、子供の本能ともいえるものだ。それをくだらぬことで張ったおして、泣きじゃくるとさらに罵声をあびせるなんてもってのほかだ。子供が危機に瀕したときに、追い討ちをかけるように罵声を浴びせる大人を誰が信頼できるだろうか。息子の誕生日は手作りケーキを楽しむ 親・家族は子供に対して、雨風、日差し、外界の危険を防ぐ24時間営業のシェルターなのだと、ちかごろ私は思う(固定された建築物に限らず家族と一緒にいること自体がシェルターの中にいるということ)。シェルターの中で子供は安全と安心に守られて成長していく。シェルターの中では、人同士の交流や社会生活を送っていく上でのルールを学んでいくが、それをしつけと呼ぶ。しかし、どうも世の親はしつけを勘違いしているような気がする。自分の思い通りにならないと、しつけと称してわが子をいじめる姿は、それは苛立ちを子供にぶつけているようにしか見えない。 良いこと悪いことなどは大人がかってに決めたことだから、それを子供が区別できないのは当たり前で、時間をかけて学ばせていくことが肝心だ。それを罵声とピンタで強制するのは親の身勝手であり、手抜きでしかない。それに、子供はいつも親を見ているので手本さえ示せば、自然に学んでくれるものなのだ。 画面の文字を読みながらカラオケを楽しむKIAN 親・家族のシェルターは子供のとって唯一のよりどころであって、生きていくための必須条件だ。このシェルターから子供追放することは、子供に対する死刑宣告とも言える。そんな事件が最近、北海道で起こった。ほんのしばらくといえども、子供を山中に置き去りにするなどいうことは、親の意図を押し計ることができない子供にとっては、まさに死刑宣告だ。この6日間、子供は地獄をさまよう囚人のような思いがしただろう。シェルターの中で親の加護の中で叱られるのは我慢できてもシェルターから追放されるという行為は、子供にとって生涯拭い去ることができない重い傷を心に残すだろう。この事件こそ、世の親への教訓あるいはしつけとなったに違いない。 私のタブレットを独り占めにしてユーチューブを楽しむKIAN 明日からドンボスコへ通うKIANにとっては初めてシェルターの外の体験となる。当面、送り迎えは欠かせないが、ドア・ツー・ドアの幼稚園のそれとはちょっと様相が異なる。そこで私はKIANが学校へ行っている間、携帯を持たせて、親と連絡がとれるようにと、たまたま予備としてもっていたガラパゴス携帯をあたえた。ガラパゴス携帯なら学校でゲームに夢中になることもあるまいと考えたのだが、学校では生徒に携帯の所持を禁止しており、目論見は外れた。学校は携帯の生徒に与える悪い面を危惧しているのだろうが、身の安全に関する配慮は忘れているようだ。ちなみにドンボスコはサイカとピアノ教室のあるマカティスクエアの近くにあり、KIANにとっては通いなれた場所なので、一年もすれば自力でもどってくることは出来るであろうが。 […]

家族の役割=シェルターがなかったら? 2016年6月5日



先日、卒園式を終え、この日、3月31日はKIANの6回目の誕生日、そして6月からはいよいよ小学校だ。小学校は名門男子校ドン・ボスコに通うことが決まっている。毎週、土曜日、食事をとるマカティ・スクエアの至近距離、いわば、彼のショバで、通学も問題ない。一時は、マカティの北方、ダスマリニャス・ビリッジにある名門校サン・アガスティン・スクールあるいは、ボニファシオのインターナショナル・スクールに奨学生(学費が高すぎてとても払いきれないので)として通う話もあったが、朝夕の通学に運転手付の車が必要とあって断念した(スクールバスも使えるが、あちらこちらから生徒を拾い、朝夕、2~3時間かかるというのでは、とてもKIANにはとても耐え切れない)。 この日は、田舎から遊びに来ている子供達、それにメイド二人も含め、家族勢ぞろいの11名て誕生会を定番の天々火鍋で挙行した。KIANは興奮気味で明日も誕生会をやってほしいと主張していた。 誕生会は、それだけのことだが、我が家の最近の話題を提供する。どっちかといえば小言だが、今のところKIANはやりたい放題のちびっ子ギャングだが、ママ・ジェーンのしつけも厳しくなっており、思いやりが合って礼儀正しい、そして国際人としての常識をわきまえた子供に育ってほしいと願う。フィリピン流は、外国人にはかなり理解しがたいところがあるので、外国人と接したとき、お互いにギャップが大きすぎる。だから、フィリピン流だけがすべてではないということも覚えてほしい。 右上KIANの顔は興奮の極地だ(テーブルの向こう側左端のKIANの顔に注目) フィリピーノの七癖、その1.フィリピーノタイム この日、誕生会のために出かける時間になっても誰も外に出てこない。特にメイドの二人は、一緒に出かけるということさえも知らされておらず、結局、私は外で30分も待たされる羽目になってしまった。これはいつものことで、約束した時間に出かけるのではなく、約束した時間に準備をはじめる、だから遅れるのはあたりまえ、遅れて何が悪い、という発想がある、報連相(ホウレン草)の欠如、そしてフィリピーノ・タイムのダブルパンチだ。ただ、その辺のいい加減さがストレス・フリーの社会のゆえんなのでもあろうが。当方にとっては、逆にストレスが絶えない。 KIANの4人家族、ジェーンのお腹の中にもう一人子供がいる その2.フィリピン流食事法 ご飯にスープや料理のたれをかけて味付けをして、もっぱらご飯をかき込むのがフィリピン流食事法だ。おかずは一切れの魚か肉あるいは野菜で十分だ。それを習ってか、KIANは、ご飯にしょうゆ(キッコーマン)をかけて、手でつまんでたべる(手で食べるのはカマヤンといい、フィリピンでは正統な食べ方)。ママ・ジェーンが塩分のとりすぎと、とがめると、KIANは食事ができなくなってしまう。あるとき私も真似をしてみたら、キッコウマンご飯は確かにいける。 KIANの主食はラーメンと焼きそば。最近までインスタントラーメンを常食にしていたが、これについてもママ・ジェーンからクレームがついた。このようなインスタント食品は添加物の宝庫だから、KIANの健康に良くないと。だから、冷凍の生めんとたれを日本食材店から買い求めて料理した。インスタントラーメンの味になれたKIANはちょっと不満げだが、なかでも豚骨スープは大いに気に入ったらしい。 しょうゆかけご飯かラーメンが用意されると、次に大声で注文するのがWATER with ICE(氷水)で、氷がないとKIANは我慢できない。天々火鍋でKIANが食べるのは、ヌードル、ライス、それにイカボールだけで、一皿ずつを独り占めにする。もちろんWATER with ICEは欠かせない。 左が農場から応援に来たヤヤ・ミッシェル、真ん中が新人のヤヤ・LC その3.メイドの流儀 前のメードがいなくなってしまったために、ホリーウイーク明けに、ビコールの農場にいたメイドと見習いを連れてきた。メイドが変わるたびにイラッとすることがいくつかあるが、今回も例外ではなかった。 […]

KIAN、6回目の誕生日とフィリピーノの無くて七癖 2016年4月6日


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KIANはKIDS Schoolという幼稚園に通い始めて、はや2年が経過し、いよいよ卒業だ。そして、3月31日に6回目の誕生日を向かえ、6月からはドンボスコ・スクールに通うことになっている(ちなみにフィリピンでは3月と5月が夏休みで、6月早々新学期がはじまる)。参考ブログ「KIANの波乱の幼稚園生活 2014年9月13日」 最近は幼稚園生活が楽しいと見えて、毎日、午後から姉のキム、ビアンカ、あるいは息子の恵之に送られて喜々として通っている。しかし、周囲が小さな子供ばかりで面白くないと、愚痴をこぼすこともあった。だから、お兄さんたちがたくさんいるドンボスコに通うことを心待ちにしている。ちなみにドンボスコは毎週土曜日、ランチを取っているマカティ・スクエア(リトル東京)の近傍、Walter Martのまん前にあり、場所的にはおなじみだ。また、男子校であり、フィリピンでは有数の名門校でもある。 3月11日(金)おりしも東北大震災の5周年にマカティ大学で卒園式が執り行われた。これから6月早々の始業まで、3ヶ月近い夏休みに突入だ。KIDS Schoolは卒園式や学芸会はマカティ大学の講堂で行うのが通例で、この日も、マカティ市からからタギッグ市を横切って、その向こうにあるマカティ大学まで1時間ほどかけて出かけていった。ママ・ジェーン、パパ・カーネル、アティ・キム、それに私と息子の5人が付き添った。この日は平日のため、キャンパスにはたくさんの学生がたむろしていた。 100名近い園児たちが日ごろの成果として踊りを披露したが、それ以上に熱心にわが子の動画を取るパパやママたちが目立った。 いよいよ、卒業生のKIANたちの出番だ。さすが年長組みは体格もよく、踊りも様になっている。白いシャツに赤いネクタイがKIANだ。 対面で指導する先生の動きを真似るだけのKIANだったが、この日は、体のこなし方が様になっていて、なかなかの出来だった。 卒業証書を受け取るKIANだが、日本のようにいちいち内容を読み上げることはなく、なにやら丸めて筒になった紙を渡すだけだ。 卒業生であるKIANには3回の出番があった、Darling Dinosというグループのダンス、卒業生全員での合唱とダンスだ。 音楽に合わせて踊るのは得意で、1歳のときから周囲を沸かせたものだが、振り付けを覚えるのは苦手で、前回の学芸会でも、いかにもぎこちない動きだったが、今回は振り付けにも自分なりの工夫があってなかなかのものだった。 この日の服装のテーマは、セブンティーズ、要は1970年代の服装をしてくることになっていた。1970年代といえば、パンタロンにアフロヘアーだ。 演芸会のあとは、先生たちの記念撮影が延々と続いた。MAY先生はKIANの英語の家庭教師でもあり、特に親しく、はにかみながら写真におさまった。 […]

KIANの卒園式と公文の挫折 2016年3月12日



農場にやってくると、KIANは、必ず、もうマニラには帰りたくないとダダをこねる。同年齢のいとこもたくさんいて遊び相手には事欠かないし、農場の中を自由に走り回って、動物たちに餌をやったり、まさに農場はKIANにとって天国なのだ。 まずはKIANとその家族のショット。 カラオケは、いつも子供達の一番人気だ。KIANも知らぬ間に画面を見ながら流行の歌を歌っている。英語の家庭教師のおかげか、KIAN読み書きも大分上達したようだ。これなら遊びながら読み書きを覚えるので、KIANにはカラオケが一番と奨励することにした。 KIANが退屈しないようにとレゴを持参したが、子供達は夢中になって遊んでいた。ビアンカはちょっと違った形でレゴに参加している。 子供達のスナップ写真。みな写真を撮られるのが大好きだ。   プールの近くに作られたベンチ、これはコンクリート製だが、なかなか風情がある。夜、照明をつけたらなかなかのムードだ。 公文の宿題を使って小学生でコンテストを行った。9+7=?や11+8=?などの単純なものだが、小学生のいとこ達は、指を使って、まるで指の体操のようだったが、KIANは指を使わないで、すらすらと解いていく。まさに公文の学習の成果だ。スピードはかなわなかったものの、指を使うことを禁止してみたら、KIANが勝っていた。KIANが小学校に入るころは5歳上の子を凌駕するのは間違いない。 KIANは動物のえさやりが大好きだ。二つ目の写真ではKIANの手のひらにトンボを受け取ろうとしている。 最後はKIANのソロ写真。一枚目はマジック、二枚目は庭の花をプレゼント。最近は、このなんともいえない表情をする。     

農場は子供達の天国 2016年2月11日


昨年、私の知らぬ間に子供用のプールの建設が始まっていた。確かに悪くは無いアイデアではあるが、先立つものの準備もなしに、突っ走ってしまい、後から金の算段をするという、まさにフィリピン流だ。もちろん、付けは当方に回ってくるのだが、KIANの期待を打ち砕くわけにはいかないの、なんとかするしかない。そしてまた、何とかなってしまうところが、フィリピンらしいところだ。直径5mくらいの小さなプールだが、KIANが遊ぶには十分だ。おかげで、玄関先の庭はプールで占領されてしまった。 このプールはKIANのために作ったようなものだから、自分専用のプールと思っている。 しかし、一人で遊んでも面白くもなんともないから、いとこ達が積極的にジョインする。しかし、喜んで一緒に遊ぶのは小学生どまりだ。 フィリピンでは、日差しが強過ぎるせいか服を着たまま泳ぐ人が多い。 特に女の子は肌を見せることを極端に嫌う。10歳のヤナにしてもしかりだ。 もともと水遊びが大好きなKIANは朝から夕方まで水に入りっぱなしで、飽きることを知らない。 KIANにとってはまさに至福のひと時だ 大分水に慣れてきたKIANは、水にもぐることも出来るようになった。   さらにKIANはダイビングに挑戦だ。     1月1日はおじさんのアランの赤ちゃんの洗礼式があり、母方の姻戚が招待され、その子供達も プールの人泳ぎを満喫した。    […]

KIAN、待望のプール遊びに満喫 2016年2月11日