PRA・退職ビザ


早いものでまたまたPRAの創立記念パーティの日がやってきた。13年前の2004年にはじめてこのパーティに出席して、当時のPRA No. 2(Deputy General Manager)のマルセルさんやトップ(GM)に強くPRAに勤務することを勧められたのが昨日のことのように思い出される。あのことが、今でも私がPRAに深く関わっている原点になったのだから、創立記念パーティは私にとって欠かせない行事だ。 場所は前回と同じなのでわかりやすいと思う。また、前回は期待通りのご馳走で、食事の争奪戦で必死に並ぶ必要もなく、ゆっくり楽しめた。さらにトップのGMのChy(チ)さんには前回のクリスマスパーティで初めておめにかかったが、歌が大好きで独演会の様相を呈していた。この人の主催するパーティであれば、前回同様に楽しいパーティになりそうだ。ただ、7月7日は金曜日なので帰りの足を確保していかないと場所が場所だけにやばいことになるかもしれない。 第31回PRA創立記念パ-ティのお知らせ 2016年6月22日 第31回PRA創立記念パーティ開催 2016年7月2日 PRAクリスマスパーティ 2016年12月18日  

第32回PRA創立記パーティのお知らせ 2017年6月25日


先日、PRAを訪問した際に、PRAの営業部長のバオティスタさんから、日本人の退職者をもっと呼んで欲しいと、声がかかった。即座に、SRRVの発行に4~6週間もかかっていては、とてもできない相談だと返答した。当方が扱った去年の申請者は一昨年の半分にまで減少したが、これは偏にビザの発行期間に要する期間が長すぎるせいだ。現役の人が4~6週間の休暇をとることは不可能で、せいぜい2週間が限度だと訴えた。バオティスタさんには、来週、マーケッター(PRA認定のビザ申請代行業者)の会議があるから、是非出席して、その辺のところをGM(PRAのトップ)に訴えてほしいと依頼された。 相棒のメリージェーンに相談すると、会議はタガログ語なので、私が出席したとしてもわけがわからないだろう、自分が出席して発言するから任せておけと心強いことを言ってくれた。ちなみに彼女は、現在のマーケッター組合長に次期組合長になって欲しいと打診されていたのだ。どうすべきかと相談された折、傍にいたKIANが、私が答える前に「YES」と結論を出してしまった。KIANはかなり権力志向が強いのだが、これは、将来、PNP(国家警察)のトップになれと、日ごろから周囲に言われていることに影響されているようだ。私としてもジェーンが組合長になれば、PRAのトップに影響力を発揮できるのでしめたものではあるのだが、この日司会役のエンマさんもその席をねらっているらしい。 マーケッター・コンファレンスの会場は熱気にあふれていた。中央の黒い服がジェーン 会議中にPRAの中堅職員と記念撮影(彼はドンボスコの同級生のパパだ)  KIANの公文の塾が終わったあと、PRAに赴いて会議の様子をのぞきに行った。別の用事を終えて、会議場外でを逡巡していると、KIANも一緒に中に入れと、サービス課の課長のピットさんに背を押された。まだ内装がほどこされていない空き部屋で会議は進行中だったが、こんな会議にKIANが闖入してもとがめる人もおらず、KIANも躊躇せずママ・ジェーンの隣に座って会議に臨んだ。 会議はまさにPRAのGM(General Manager)の吊るし上げで、「かつては5営業日(一週間)を標榜していたものが、2週間となり、さらに3週間、今では4週間、あるいはそれ以上かかっていることに対してPRAは入管、入管と言い訳をするが、本当に時間がかかっているのは、PRAなのではないか」とマーケッター組合のエンマさんはGMを攻め立てる。確かにPRAに督促すると、いつも書類はGMの承認待ちという答えが返ってくる。それに対してGMは「まだ私は赴任して2ヶ月、状況を把握するために、すべての事項にGMの承認をとるよう指示をしている」必死に言い訳をする。さらにエンマさんは「入管に問題があるのであれば、私に言え、私が入管にかけあってやる」と強気だ。 マーケッターとしてもSRRVを売り物にしているのだから、その売り物が引き渡せないとしたら、商売にならないので必死だ。ベテラン・マーケッターの女闘士、エンマさんは過去のPRAの約束や現状のていたらくを並び立ててGMを追求し、まさに、GMのつるし上げの様相を呈していた。なんだか、ドテルテ大統領を髣髴させる雰囲気だ。 マーケッター組合のエンマさんと前列に座って会議に加わるKIAN、中央の後姿がジェーン、左に顔半分が写っているのが組合長 GMも必死に言い訳をするが、ベテラン・マーケッター、閻魔様(左)の敵ではない  相棒のジェーンは当方が抱えている12月12日および、12月27日申請のビザ発行状況を問い合わせたが、PRAの担当者は入管のアクションが遅いとの一点張りだ。先日のクラークで起きた1000人を越える不法就労者の摘発で、入管のトップが数千万ペソの賄賂を受け取った疑いで更迭され、入管が機能していておらず、この2週間、一通もORDER(ビザ発行の承認書)がきていないというのだ。当方としても他に3名の退職者のビザを申請中で、3週間ちょっとの期限があるので気が気ではない。とにかくビザを発行するだけが役割のPRAがビザを発行できず、いくら言い訳を並べられたとしても、ビザ発行の代行を生業とするマーケッターにとってはまさに死活問題だ。   会議が終わってミリエンダ(間食)をとるPRAの職員と談笑するジェーンとKIAN  

大荒れのPRAマーケッター・コンファレンス 2017年1月29日



2016年12月29日追記  先週、クリスマスを前にDGM(PRA副長官)のBaac氏とのインタビューが会った。目的は、当方のマーケッター公認の更新で、GM(PRA長官)の交代にともない、マーケッターとの対話を持つ機会というの意味もあるらしい。その中で、より多くの外国人にSRRVを取得してもらうためにアドバイスはないかと尋ねられた。そこで、ここぞとばかりに日ごろ胸に秘めている2点を提案した。 1.SRRV発行期間の短縮:公には3~4週間と公言しているが実際はそれを大きく超え、4~6週間かかるという悲劇的状況にある。現役世代が取れる休みは2週間が限度なので、数年前のように2週間で発行するようになれば、SRRV申請者は倍増するであろう。 2.DBPに預けられた預託金の相続:、退職者が亡くなった場合、従来、相続人は相続税を支払うことなく、PRAに所定の書類を提出するだけで、2~3ヶ月後、預託金を満額受け取ることができた。しかし、現在、BIR(税務署)からCAR(相続税等の支払い証明書)を取得してこいとの指示があり、各種相続手続きの実行を求められ、預託金の20~40%の費用と6ヶ月程度の手続き時間を余儀なくされている。このことによる相続人の落胆は計り知れないものがあり、SRRVの価値を大いに損なう結果となっている。  これにたいし副長官は、1.発行期間の短縮については、入管とも連携して大幅に短縮する手立てを打っている。2.預託金の相続については、善処したいが詳細を記載したレターを提出して欲しいとの要請があった。当初はPRAを非難するようなレターの発行は躊躇されたが、SRRVの魅力を回復しより多くの退職者をフィリピンに招待するするためには避けることが出来ないと考え、下記のレターを提出した。これによって、近い将来、相続手続きが元に戻ることを期待したい。また、PRAの存在を規定する法律Executive Order 1037のSection9ではSRRV取得のために海外から送金したお金は本国送還を保証するとなっているが、相続人が受け取る場合はどうなのか明確にはきていされていない。 PRA宛のレター:pra-letter(1) 20161229 pra-letter(2)20161229 預託金の本国送還を保証する法律:executive-order-1037-section-9-20170102   昨年、AさんがSRRVの取得が完了した直後、フィリピン人妻の家で急死した。原因は心臓麻痺、その日の朝、Aさんと懇意にしていた、妻のお姉さんから、電話がかかってきた。「夕べ元気にお祝いをしていたのに、今朝起きてみたら死んでいた、どうしたらよいのか」とパニックに陥っていた。私は「まずは、 医者を呼んでください。そうして、何をなすべきか指導してもらってください。そして、葬式と死亡証明を入手したら、私に連絡をしてください。そうしたら、 PRAからの預託金の引出しのお手伝いします。」と返答した。しばらくして、医師から電話があり、検死など、やるべきことは承知しているの連絡があった。 それからしばらくしてフィリピン人妻から連絡があり、葬式などつつがなく終わり、そして、日本大使館への死亡届出も終わったとの事だった。そうなると、いよ […]

DBPに預けたSRRV預託金相続の顛末 2016年12月19日(12月29日追記)


前回の創立記念日と同じ、PICC(Philippine International Convention Center)で行われた恒例のクリスマスパーティは、大きな会場と豊富な料理で、PRAとしては、それなりのものだったが、退職者のテーブルは空きが目立った。いつまでたってもお知らせが無いのでやきもきしていたが、ほんの10日前に招待状を入手し、マニラ首都圏在住の退職者に声をかけたのだが、多くの人が予定が詰まっていて不参加の連絡があった。しかし、参加の連絡あった3家族はいずれもお子さん連れで、当方のテーブルだけは華やいだ雰囲気だったが、PRAの案内係には、子連れの日本人は、私のテーブルに案内してほしいという、わかりやすい指示を発することが出来た。我が家としては、ママ・ジェーンが子育ての疲れか、欠席、パパ・カーネルも忙しくて、アティ・キムとKIANを同行することにした。数時間前からそわそわしていたKIANは決して彼を置いていくことがないようにと、私に何度も念を押していた。KIANはパーティが大好きなのだ。 PRAの受付嬢は、皆KIANの友達で、笑顔で彼を迎えている ゲストの参加表に名前をすらすらと書いたが、サインについては、まだ持っていないとしっかりと応えていた プロの歌手が客がそろうまでの一時間ほどプロ歌手のステージが続いた。後ろの看板のYuletideとはクリスマスシーズンという意味だ 食事は、到着から2時間も待たされしまったが、それまでアイスクリームが食べ放題とあってKIANはごきげんだった 自撮りでアティ・キムとKIANのツーショット PRAの看板娘のジュラルディンさんとのショット。KIANはアイスクリームを手放さない 予定より一時間遅れで、いよいよ式が始まったが、まずは国家斉唱だ 私にとってこの日は特別な意味があった。それはまだ面会していないPRAのトップであるGMに自己紹介をすることだった。名前は、Atty. Bienvenido Ko Chy という入管出身の弁護士だが、その名前が読めなかった。チと読むらしいが、あきらかに中国系のフィリピン人だ。なんとなく、からおけが大好きな日本の田舎のおっちゃん風で、近寄りやすいという印象を持ったが、KIAN曰く、ドテルテみたいだ。ちなみに彼はドテルテ大統領のロースクール(法科)の同級生で、私にとってPRAのGMとつながりを持つことは退職者のサービスを行う上で大変重要なことなので、意味のあるパーティとなった。 […]

PRAクリスマスパーティ 2016年12月18日



12月になっても何のアナウンスが無いので気になっていたのだが、今日、ようやく招待状を入手した。担当のローミッシェル(R. Michelle)に直接リクエストしてブログに載せるからともらってきたものだ。ローミッシェルは時間が無いので、準備にてんてこ舞いだと言っていたが、12月16日(金)の開催だから、あと一週間とちょっと、相変わらず付け焼刃のようだ。 場所は、前回の創立記念パーティと同じ、ベイエリアのコンベンションセンター(ソフィテルホテルのとなり)なのでわかりやすい(下記のブログ参照)。また前回、かなり豊富な食事だったので、大勢で出かけていってもたらふく食べられそうだ。ローミッシェルもたくさん呼んで欲しいと言っていたのでふるって参加していただきたい。KIANに話をしたら、もちろJOINと声を高らかに宣言していたが、まだ新生児のクッキーは無理だろう。 第31回PRA創立記念パ-ティのお知らせ 2016年6月22日 プログラムは取り立てのものはなさそうだが、新しいGMのAtty. Bienvenido Ko Chyには会ったことが無いので、この際、挨拶しておきたいところだ。 前回の創立記念での旧GMとショット 会場は熱気にあふれ、PRAのパーティとしては一番の食事だった

PRAクリスマスパーティのお知らせ 2016年12月6日


先日、ブログ「ドテルテ効果の逆効果」でも報告したが、退職ビザの発行が大幅に遅れている。7月28日に申請した方のビザがいまだに(9月16日現在)発行されていない。実に7週間だ。確かに入管の組織変更と承認システムの変更で、入管の承認が降りたのが、PRAから書類が入管に送られてから4週間かかってしまった。実に申請から5週間目にして、ビザ発行の目処がついた。 通常であれば、それから数日でビザが発行され、パスポートが退職者の手元に戻る。しかし、今回は承認書(ORDER)が発行されたという情報を得てから、さらに2週間たっているのに、いつまでたってもビザ発行の準備中というコメントを毎日PRAから聞かされているばかりだ。Implementationと呼ぶ作業だが、 ORDERの発行後、PRAはパスポートにビザのシールを貼って、再度、入管のサインをもらわなければならない。従来はマカティの入管の支所でやっていた が、最近、これも入管の本庁、インタラムロスでやるように変更になっている。こんな状況を退職者の方になんと報告してよいのやら、途方にくれている。 この方はそのままフィリピンに住むつもりなので、確かに発行の期限はない。しかし、申請時に入国ビザを59日間に延長して、まさか、そのビザが切れることはないと思っていたが、9月15日に切れてしまった。PRAはビザが切れてもORDERが発行済みで、法的に退職ビザが有効になっているから、滞在のためのビザは継続されており、問題ないという。しかし、これも入管がビザのシールにサインするとき有効なビザがないと、サインを拒否するという話も聞いているので、眉つばものの気もする。 なぜ、PRAはビザの準備にそれほどまでの時間がかかるのか。以前、PRAの受付の愚痴を聞いたことがある。それは、ビザのシールにサイン(Implementation)は一日に20枚までと入管が制限してきているが、これは、ビザの発行に限らず、ビザの取消、ビザシールの張替え等々、すべてを含むものだ。だから、優先順位が下がるビザの取消、特に発行を急いでいないビザ申請場合などは、後回しになって、いつまでたっても手続きが終わらない。入管としても事情はあるのだろうが、まさにPRAそして退職者を締め上げているだけの冷酷な処置だ。 こんな暴挙をなぜ、PRAが許しておくのだろうか。PRAの担当者レベルは申請者からの突き上げにひたすら耐えるだけで手の打ちようもないだろう。それこそPRAと入管のトップ同士が政治的に解決しなければならない問題だ。PRAの上部機関は観光省であり、一方、入管の上部機関は司法省だが、その辺で話は出来ないものなのだろうか。 ちなみにPRAのトップであるGM(General Manager)はカバンサッグ氏が定年で引退し、現在、不在。さらに元司法長官のデリマ上院議員は自己の麻薬密売への関与と不倫をドテルテ大統領に指摘され、その仕返しに、先日上院の聴聞会において、ドテルテダバオ市長の率いていたとされる処刑団のメンバーと称する男を証人喚問した。この男がドテルテ大統領の超法規的殺人の証言をするなど、どうもフィリピンの政治、行政は、外国人のビザ申請者の不都合などに耳を傾けている暇はなさそうだ。

退職ビザの発行が遅れています 2016年9月18日



フィリピンでは今、ドテルテ大統領旋風が巻き起こっている。麻薬撲滅のキャンペーンで2000人以上の麻薬密売人が殺され、60万人の麻薬常習者が自首するという前代未聞の状況となっている。これに対して、ロブレド副大統領をはじめとする政治家や国連が超法規的殺人と非難しているが、大統領は国連の脱退を示唆するなど、強気の構えだ。さらにアキノ前大統領が任命した6000人の高級公務員の辞職を勧告し、国家警察幹部でさえも麻薬密売関与で実名をあげて告発、さらに前司法長官、デリマ現上院議員を不倫と麻薬密売関与で槍玉に挙げている。 こんな状況に政敵、麻薬密売関係者、アブサヤフなどの反政府勢力などは、大統領を標的に巻き返しをはかることは容易に想像でき、大統領が命を張って戦っていることに庶民は拍手喝采だ。一方、9月2日にダバオでの爆弾事件が発生するなど、反大統領勢力が動き始め、大統領も就任3ヶ月目の正念場を迎えているといえる。さらにオバマ大統領の超法規殺人の指摘に対して、ドテルテ大統領はこともあろうに天下のアメリカ大統領のオバマ氏を痛烈に批判した。彼の発言の中身には、スペインそしてアメリカの植民時代にまで話が及び、積年の恨みがこめられていた。そして、フィリピンでは最高級の罵倒語である「Putan Ina mo(お前の母さんは売春婦)」という言葉まで発せられた。これに対し、記者団からは小さな拍手が起こったそうだだが、ここまで発言できる政治家は世界でもまれだろう。 さらに公務員に対しても、役所の手続きを早め、庶民に行列をさせるな、と激を飛ばしているそうだが、大統領としては意図しない役所の手続きの滞りが発生している。下記は、最近の役所の対応に苦慮させられている実例だ。そもそも役人は、ミスを犯さず、無難に仕事をこなし、庶民へのサービス向上などは興味の対象外だから(興味の対象は賄賂くらいのもの)、大統領の号令の真意はどこかへ飛んでいって、大統領の矛先が自分に向かないことだけを考えているのだろう(よく言えば、襟を正すということになるのだろうが)。 実例1;退職ビザの発行が遅れている。最近、発行された事例では、実に5週間かかって、まだ目処が立っていない。昨年までは2週間(10営業日)だったものが今年に入って3~4週間(15~20営業日)となり、それも守ることは出来なくなっている。原因はビザ発行を承認する入管のトップが退職ビザに限らず、すべてのビザを一枚一枚、一人で吟味して、多大な時間がかかっている、というのがPRAの説明だ。確かに間違ったことはしていないが、申請者の都合はかやの外、PRA(退職庁)も商売上がったりであきらめの境地だ。 実例2;外国で作成されたすべての書類は、その国の外務省で公印確認を行い、フィリピン大使館で認証しなければ入管では受け付けない。無犯罪証明書にしてもしかりだが、この認証手続きをフィリピンでも行うことが可能で、まず日本大使館で印章確認を行い、その後比外務省(DFA)で認証してもらう。それを代行するためにSPA(委任状)が必要だが、従来は形だけのもので、日本でサインしてもらったものをフィリピンで公証するという、本来は無効なものでも通っていた。 しかし、今般、このSPAを日本でサインしたのであれば、日本の公証役場で公証し、外務省とフィリピン大使館で認証してこいというのだ。この認証作業が面倒だからフィリピンでやろうというのに、SPAの認証をやるくらいなら無犯罪証明書を日本で認証するのと手間はかわらない。さらに、委任者がフィリピンにいる場合はパスポートにおされた入国印のページのコピーを提出せよとのことで、ごまかしが効かない。これは全く正論だが、退職者の便宜を図ろうとする当方の意図を叩き潰すものだ。 実例3;退職ビザの取得に必要な預託金をDBP(Development Bank of tへPhilippines)に預けてある場合、その退職者が亡くなった場合、従来、PRAに必要書類(通常のビザ取消書類の他に①死亡証明、②遺産分割協議書、③相続人であることの証明書類、④相続人の身分証明書等)を提出するだけで預託金を引き出すことが出来た。他の銀行に預けてある場合、①新聞公告、②銀行預金証明、③相続税の支払いと税務署の証明書(CAR)、④相続のボンドの取得が必要で半年~一年の時間を必要とする。 ある亡くなられた退職者の預託金の引き出しが滞っていた。そして今般、税務署からCARを取得して来いとの指示がPRAからあった。要は、PRAが預かっていた預託金とはいえ、退職者が亡くなって、相続人が受け取るのであればそれは相続税の対象になるというのだ。たしかに正論だ。しかし、退職ビザをとるために強制的に預けさせられた預託金に相続税を課すというのはそもそも退職ビザの趣旨に反するのではないかと納得がいかない。かつてPRA時代の私のボスのマルセロGM代理は、決して相続税を課すようなことは許さないと豪語していた。しかし、この要求はDBPからの要求とのことで、さすが政府系の銀行は役所と発想が同じだ。 実例4;コンドミニアムのタイトル(権利書)の名義を移動するためには、①売買契約と代金の支払い後、②税務署へのキャピタルゲインタックスの支払いと証明書(CAR)の取得、②移転登記税の支払い、③タイトルの名義変更、④納税証明書の名義変更、の手続きが必要で、3~4ヶ月の時間がかかる。 この中で移転登記税の支払いは、税金の支払いだけだから契約書とをCARをもって行って、市役所の納税課で所定の税金(契約金額の0.6~0.8%で市によって税率が異なる)を納めるだけだ。従来はその場で計算して支払うことができた。しかし、今回は税額を聞くだけで3回足を運ばされ、さらに税金の支払い証明に10日ほど時間がかかるというのだ。支払いから証明の取得までたったの一回、その場で済むと思うのだが。こんなことでは民間だったら誰にも相手にされないと思うが、ここでも庶民へのサービスという観点は微塵も見ることはできない。 […]

ドテルテ効果の逆効果 2016年9月4日


7月1日(金)、第31回目の創立記念パーティがフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)で執り行われた。午後4時スタートということで、3時半に家を出る予定だった。しかし、いつものことで、出がけにもたもたして、出発は4時を回ってしまった。ママ・ジェーンは、どうせ始まるのは5時だと、意に介さない。ちなみにPRAは朝の9時半にははやばやと事務所が閉まるとの話だった。 駐車場には大型の特製ジープニーが3台駐車していた。たまにはマカティ市内も走っているが、冷房つきの豪華ジープニーだ。きっと観光用に使われているのだろう 4時半近くになって、会場に到着したものの、周囲は人の気配がない。しかし、中に入ると、顔なじみのPRAスタッフが出迎えていたので一安心。先日、PRAの事務所でKIANに執拗に頬へのキスを迫った財務の女性スタッフが、KIANの手をつかんで離さない。KIANは迷惑そうに愛想笑いを浮かべていたが、どうも、KIANの好みのタイプではないようだ。問題は、ママ・ジェーンは一歩進むたびに「写真、写真」と叫んで、なかなか会場に近づくことができないことだ。妊娠、5ヶ月を迎えた彼女も安定期に入って、いよいよ本領発揮といったところだ。生まれてくる子は女の子だそうだがニックネームは「クッキー」と決まっていて、この10月末ごろにはKIANもお兄さんになることになる。そうなるとKIANは「クヤ・キアン」と呼ばれることになる。 この界隈は、マルコス時代にマニラ湾の埋立地に建設された大型の施設が並んでいる。後方にはソフィテル(フィリピンプラザ)ホテルが控えている 日本の京都でガイドをしている方が、「最近はフィリピンの観光客が多いが、ガイドの話を全く聞かないで、写真撮影に明け暮れているのであきれる」という話をしていた。さらにまた、このガイドさんが話していた観光客のフィリピン人とは、偶然にも私の知り合いのフィリピン人で、私が京都観光を薦め、さらにバスツアーが良いとアドバイスしたものだった。こんな話をとなりに座っていた退職者の奥さん(日本人)に話をしていたら、なんとそのガイドさんがこのパーティ会場に来ていて、私に挨拶に来たのだ。このガイドさんはフィリピンが好きで、定期的に尋ねて、私のところに立ち寄るのだが、そのガイドさんがらみの偶然の話をしていたら、そのガイドさん本人が偶然にも現れるという偶然のダブルとなった。 国の威信をかけて建設されたこれらの建造物はその広大な内部空間に圧倒される この写真撮影はパーティの開始から終了まで延々と続いて、一体、パーティに楽しみに来たのから写真を撮りにきたのか区別がつかないくらいだ。しかもフィリピン人は写真を取られることも大好きで、カメラを向けるとうれしそうにポーズをとる。さらに、写真をとるように催促してくることさえある。 パーティ会場の入り口にはたくさんのPRAスタッフが迎えてくれる。PRA看板娘の彼女はもはやKIANの友達だ GMのスピーチんいよると、1985年、マルコス政権の末期に設立されたPRA(Philippine Retirement Authority)も31年目を向かえ、会員も4000人を越え、世界100ヶ国をこえる国々から退職者も呼び込んでいる。その主たる国々は、中国、台湾、香港、韓国、日本、インド、アメリカ、イギリスなどだが、やはり中華系が圧倒している。これは、華僑という現象が退職ビザを使って脈々と続いているのだろう。ちなみにフィリピンには100万人の純粋な中国人が中国語を話し、中国文化を維持して暮らしており、さらに人口の10%、1000万人が中国の血を引いているというが、KIANもその一人だ。 観光大臣(DOT Secretary)をゲストに向かえ、得意げなポスター ママ・ジェーンの言うとおり、5時近くになってもパーティは始まる気配を見せなかった。それでも人々は、久しぶりに会った人と写真を撮ったりして退屈をすることはなかった。 PRAカバンサッグGMとしっかりカメラに収まったカーネル一家 […]

第31回PRA創立記念パーティ開催 2016年7月2日



来る7月1日、第31回目のPRA創立記念パーティがフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)で開催される。来週の金曜日という相変わらず急な知らせだが、場所はマニラ湾に面した、ココナツ・パレスやソフィテル(フィリピンプラザ)ホテルなどの隣、モール・オブ・エイシアにも近いのでわかりやすい。巨大な施設のファンクション・ホール1、2、3を借り切ってやるそうなので、今回は大勢の退職者の参加を期待しているようだ。ちなみに招待客はそれぞれ一名の同伴者を許可しているので配偶者や友人と一緒に参加できる。 式はPRAのスタッフやゲストの挨拶、PRA関係者や退職者の表彰、さらにスペシャル・ナンバーと称する歌や踊りなど相変わらずのプログラムだが、ディナーとはっきり書いてあるので、いつものように軽食でお茶を濁すつもりではないようだ。詳細は31st PRA Aniversary 20160622_0001 を参照。 第30回創立記念; PRA 創立30周年記念パーティ 2015年12月21日 第29回創立記念; 第29回PRA創立記念パーティ開催される 2014年7月13日 第26回創立記念: 第26回、PRA創立記念パーティ開催される 2011年7月23日

第31回PRA創立記念パ-ティのお知らせ 2016年6月22日


2016年2月19日追記 昨年の12月11日に申請した方のビザがようやく発行の運びとなった。さらに今年、1月22日に申請した方のビザも一緒に発行された、この場合、3週間とちょっとで発行されたことになり、ようやく元の状況に戻ったようだ。PRAとしても、ビザの発行をフォローする専門の職員を配置して入管の担当と連携をとっている。今まで、入管に書類を回した後、ブラックボックスだったものが、ようやくフォローということが行われるようになった。これで一安心というところだが、今後は、3週間以内、さらに2週間以内に縮めるという努力をしてほしいと切に願うところだ。   最近、入管のトップが汚職疑惑で更迭されたというニュースを新聞で見た。また、それ以前、11月ごろからPRAの窓口では、入管の手続が遅れそうだと告げられていた。ビザ発行を承認するコミッショナー(入管の幹部)が交代し、しかも承認をするコミッショナーが二人になって、誰が承認するかは、事前にはわか らないという。入管内部の手続が変更されると、しばし、承認手続きが滞ってしまうのが通例で、PRAも頭を抱えていた。   案の定、11月23日に申請して、12月 28日に帰国予定の退職者のビザが一ヶ月経っても発行される気配もなく、入国ビザ(30日有効)を延長して、かつ申請を中断して帰国せざるを得なくなっ た。さらに、12月10日と15日に申請した方(2名、計3名)も、1月15日現在、ビザ発行の気配もない。年末年始の休みを挟んだので、ある程度時間がかかるこ とは覚悟していたものの、なんとか入国ビザ(30日有効)の間に発行して欲しかったが、3人とも入国ビザの延長を余儀なくされた。   一方、11月3 日にビザのキャンセルを申請された方は、1月4日にキャンセルのオーダー(承認書)が発行され、通常、一ヶ月かかるところが2ヶ月かかってしまった。それでも、年が明けて入管もなんとか動き出してはいるようだが、PRAの話では、現在、200人のビザ申請が承認待ちの状態で、まさに開店休業の状況だそうだ。   幸 […]

退職ビザの発行が遅れています 2016年1月17日