PRA・退職ビザ


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退職ビザの取消手続に必要な書類と手順は下記のとおりだ。 ①取消要請のためのレター;取消の理由と預託金の振込み口座(日本)の詳細を記入する必要がある ②脱会面談記録:所定の用紙に住所と名前等を記載し、署名する ③Affidavit of Quitclaim;何かあった場合PRAを免責する旨の証明書、公証が必要 ④委任状:引き出し許可証の受領と銀行手続を代理人に代行させる場合必要、公証が必要 ⑤年会費の償還要請レター;年会費前払いをしている場合は、月割りで償還される ⑥上記の書類を提出して、インタビューを受け、パスポートとIDの原本をPRAに預け、1.5ヶ月程度で取消手続が完了し、預託金を手することが出来る。ただし、預託金がDBP(Development Bank of the Philippine)のPRA口座以外の一般認定銀行にある場合、PRAから引き出し許可証(Withdrawal Clearance)を受取って、銀行で送金手続を行う必要がある。 そのため、申請後、合計2ヶ月程度フィリピンで待機する必要がある。また、その場合、取消と同時に59日間有効の短期ビザが発行されるが、出国に当たっては入管からECC(出国許可)を取得する必要があり、面倒だ。 […]

退職ビザの取消が容易になりました2016年2月4日


経費節減のため、見送られてきた30周年創立記念パーティがクリスマスパーティを兼ねてPRAのあるCitibank Tower34階のHill Top Restaurantを借り切って12月11日に開催された。Inivitation for PRA Party 20151128_0001 創立記念パーティーが行われるということを耳にしたのは、ほんの一ヶ月前のことで、PRAのハビタン部長に、毎日のように例のCenturyan(世紀人)を招待して欲しいと頼まれた。PRA会員の最高齢の鏡さんは102歳で、ヌエベヘシアのカバナツアンに住んでいる。同じくPRA会員の息子さんにコンタクトをとったところ、元気ではあるものの、長旅は無理だという。その旨をハビタン部長に伝えるとせめて息子さんに出席してもらって代理で賞を受け取って欲しいととのこと。鏡さんは申し出を快く受けてもらったが、ハビタン部長からは、そのほか、5人の日本人を招待して欲しいと頼まれた、マカティにお住まいの方に声をかけたが、フィリピンで子育て中の奥様、3組(総勢10人)に参加してもらえた。 広くアナウンスされていなかったせいか、招待客は案外と少なくて、日本人と欧米人が主体だった。しかし、色々な出し物や景品があり、楽しいもだった。ただ、鏡さんの案内役なのでVIP席に座らせられて、皆さんと交流できなかったのが残念だった。また、隣の席には、入管のKANTA弁護士(アトニー・カンタ)が座っていて、彼のサインのある私のパスポートを見せたら、記念にと写真に取っていた。ちなみに彼は、私がPRAにいたころ(2004~2006年)マカティの入管のトップで、退職ビザのスティッカーのサインは、すべて彼が行っていた。 パーティに先立ってPhili Health(国民健康保険)とPRAの合意書のサイン会(右がPRA新GMのカバンサッグさん)。今日からSRRVメンバーはPhilihealthに加入が可能となったが、年間の掛け金は15000ペソと意外と高く、還付金の詳細は今のところ不明。 すべてのセレモニーは、国家斉唱で始まる。歌や踊りを披露してくれた少女隊は孤児で毎年PRAのセレモニーに参加している 前列のVIP席にはPRAのGMのほか、Philihealthの会長さんなどのお偉いさんが座っている。Centuryanの表彰をお父さんの代理で受け取る鏡さん。一緒に移っているのはカバンサッグGM、家田PRA日本人クラブ会長、それにハビタン部長   […]

PRA 創立30周年記念パーティ 2015年12月21日



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PRAのGMが交代して3ヶ月経過して、ようやくお目にかかる機会があった。最近は、朝一、8半ごろにはPRAに出向いて用事を済ますのを日課にしているが、それは、いつもNO.1の札をもらって、人が来ないうちに諸々の用事を済ましてしまおうという魂胆だ。10時を回ると、客が増えて、長時間待たされることが必須だ。 受付のマリーと話をしていると、丁度、GMの出勤に遭遇し、彼が私を好奇の目で見ていた。即座に立ち上がって、自己紹介をしたが、彼は私のことをよく知っていて、うれしそうに挨拶をしてくれた。実は2年ほど前に、東京ビッグサイトで行われたロングステイフェアで挨拶をしたことがあるのだが、彼は、それを覚えていた。 ブログに乗せたいからとの申し出に、マカティの街並みを臨むGM執務室で気軽に撮影に応じてくれたValentino L Cabansag GM。 Valentino L. Cabansagという覚えにくい名前だが彼は観光省の代表として東京に8年赴任していた日本通で、かなり流暢に日本語をこなす。私と話をしていても語尾に日本語が混ざるくらいだ。ほんの5分くらいの挨拶だったが、近々行われるロングステイフェアに参加して欲しいとしきりに要請された。しかし、ロングステイ財団のマカティサロンとしての公認を辞退した私は、出席できないことをしきりに弁解した。 GMはさらに、日本が注目すべき市場であること、SRRVの制度を改善することを主張していた。確かに、5年前に前GMのVeredigno P. AtienzaさんがGMになった時は、現在のスマイルプグラムの導入、預託金先のDBPへの変更など、全面的に制度の変更を行い、その複雑な制度がゆえに、落ち着くまで一年近い時間を要した。現在も、色々な面で不都合があり、強く、その改善が望まれている。 先日、ハビタン部長と話したおりも、今まで禁止されていた色々なプログラム(スマイル、クラシック、年金、50歳以上と50歳未満など)の間の移動を自由にするなど、退職者にとって、使い勝手のよい制度にするよう検討/提案中であると話をしていた。 退職者とPRAに間に立って動いている私にとって最大の悩みはシンプルなもので、なにもかもにも時間がかかることだ。これを改善すれば、SRRV申請者は倍増すると思うのだが、今後、機会をとらえてGMに進言していきたい。 PRAの担当者は、入管やDBP(銀行)などが遅いのだと、外部の組織のせいにするが、純粋な内部手続きについても数週間の時間を要し、内部的制度および意識の抜本的な改革が必要になることは間違いない。しかし、それをやる価値はおおいにあり、それこそが新しいGMの使命だと思う。 1.預託金の入金確認(DBP銀行のPRA口座);2週間(従来の民間銀行の個人口座への振込んだ場合は、3日程度) […]

PRAのGMが交代 2015年9月13日


退職ビザ(SRRV、Special Resident Retirees Visa)は、下記の特徴を備えた世界でも類のない万能ビザといえる。条件に応じて、1万ドル、2万ドルあるいは5万ドルの預託金が必要だが、この預託金の取り扱い関する明快な指針がないので、申請者にとって頭痛の種だ。そこで今回、この預託金をキーワードに退職ビザにまつわるルールや実務をまとめてみた。 (1)滞在期間に制限が無く、出入りも自由。フィリピンに滞在する義務もない。ただし、年会費360ドルを支払ってIDカードを更新する必要がある(代理可能) (2)出入国に当たって、再入国許可、出国許可、などの手続きは不要。さらにACR(外国人登録票)も不要(PRA発効のIDカードがその代わりをなす)。 (3)35歳以上であれば、2万ドルの預託金でほとんど無条件で取得できる。配偶者と子供(21歳未満未婚)の同伴が可能(合計2名まで、3人以上は追加の預託金が必要)。就労もできる(ただしAEP-就労許可証、取得のこと) (4)預託金は一定の条件のもとに使用することができる。また、ビザをキャンセルすることにより、全額が返却される(利子も若干付く)。 1.退職ビザ取得のために必要な預託金の条件 35歳以上、50歳未満の申請者の預託金;クラシックプログラムでは5万ドル、スマイルプログラムでは2万ドルの預託金が必要。ただし、介護、療養を必要とする場合(ヒューマンタッチプログラム)、1万ドルとなるが、月間、1500ドル以上の年金を受け取っている必要がある。 クラシックでは、預託金をコンド購入あるいは住宅の長期リースとして利用できるが、スマイルでは投資への転用はできない。 50歳以上の申請者の預託金;クラシック、スマイルプログラムとも2万ドル、ただし、年金を800ドル(単身者)あるいは1000ドル(夫婦)以上もらっている場合は、1万ドルとなる(クラシックプログラムの一部)。 投資の条件は(1)と同様。 年会費;預託金の他に年会費が必要で、同伴者2名までを含んで360ドル、ただし、3人目の同伴者は一名に付き100ドル追加される。条件が整っていれば、3年分の年会費を先払いして3年有効のIDカードを発行してもらうこともできる。そうすれば、3年間、何もしないでも、ビザは維持される。 これらの預託金は事前にフィリピンのPRA認定銀行に送金され、その証明書を申請書の一部としてPRAに提出しなければならない。その際、重要なことは、これが、海外から送金されなければならないということだ(日本あるいは香港、シンガポールなど)。フィリピンにある預貯金、あるいは現金を持ち込んで、預金したのでは認められない。ただし、以前、フィリピンに送金した外貨で定期預金を作った場合、送金先銀行から、それが海外から送金されたという証明書が出ればOKとなる。 […]

退職ビザ預託金の行方2015年7月30日



Working Visa(9g)あるいはPeza Visa(47(a)2 )などで、フィリピンで働いていて、その後、退職ビザ(SRRV)を申請する場合は、これらのビザは、前もってダウングレーディングと呼ばれる短期ビザ(9a)への切り替えが必要となる。もし、それが終了している場合は、それらの手続きの書類をPRAに提出すればよい。 SRRV申請にあたって、PRAが要求する書類は下記なので、元の雇用会社に依頼して事前に準備しておく必要がある。 ① 9g等のビザの発行の入管の決定書(Order) ② 9g等のビザの切り替え(取消し)の入管の決定書(Order) ③ 所得税の納税申告書(Income Tax Return) 通常、このダウングレーディングは前の雇用主の責任で行われるのだが、雇用契約終了後、ほったらかにされてしまうこともしばしばだ。そのため、ある退職者のたっての依頼で、当方が面倒見ることになった。しかし、それは、退職ビザの取得以上、予想を上回る難敵だった。とにかく、相手が入管であるということがことを面倒にしている。その手順は下記だ。その時々に色々な用紙に本人の署名を求められるので、それぞれのステップの申請ごとに本人同行が必要となる。 ① ACR (Alien Certificate of […]

SRRVの申請準備-難敵ダウン・グレーディング2015年5月24日


現在、SRRV取得のためのPRAへの預託金はDBPのPRA口座に送金するのが一般的だ。現在、申請中の方は、Working Visa(9g)でフィリピンに滞在していたので、そのダウングレーディング(短期ビザへの変更)というややこしい事前手続きを完了して、ようやくSRRV申請にこぎつけた。 預託金の着金の確認や無犯罪証明書の認証などはとっくに済んでおり、ようやく申請書一式を提出したら、PRAの担当が、DBPの預金証明と日本のゆうちょ銀行からの送金票を見比べながら難しい顔をしている。そして口にしたのが、DBPの預金証明には、送金はLand Bank(フィリピンの国営銀行)からされており、それが日本のゆうちょ銀行から送金されたという記載がない。預託金は国外から送金されなければならないので、その証明をLand Bankからもらって来いというのである。 そんなことを言われても、送金は退職者の友人が行い、受け取りはPRAとなっており、私ないし退職者がLand Bankにかけあっても相手にされるはずがない。なにかの間違いではないのか、あるいは、PRAからDBPに掛け合って必要な書類を受け取って欲しいと依頼した。一方、退職者に対しては、ゆうちょ銀行が、一体どこを経由して送金したのか、問い合わせて欲しいと依頼した。 PRAのDBPへの問い合わせによると、間違いなくLand Bankからお金は送られてきており、それ以上の情報は得られないという。一方、ゆうちょ銀行は、間違いなくPRAにお金は届いており、それ以上の情報は提供できないとのことだった。 間違いなく、退職者の名前で預託金は入金しているものの、その経由がわからないので、このままではビザの申請は受け付けられないという。銀行間の手続きの問題で、申請ができないという、とんでもない事態になってしまったのだが、要は、預託金の送金経路が、途中でつながらないのという摩訶不思議な状況(ミッシングリング)に陥ってしまったのだ。 こんな時、PRAの担当者のアドバイスは、PRAの財務部門のトップであるフィリップ部長に相談しろというのだ。幸い、フィリップさんと当方は、大変親しい間柄にあるので、相談を持ちかけると、快く応じてくれた。しかし、フィリップさんの尽力にも関わらず、DBPからは情報が得られない。しかし、彼は、Land Bankの担当者に連絡をとり、たしかにLand Bankはゆうちょ銀行と提携しており、ゆうちょ銀行からの送金をLand Bankが中継してDBPへ振り込むことはあるとの情報をうることができた。 さらにフィリップさんは、ビザ発行部門のハビタン部長と掛け合って、フィリップさんのメモを海外からの送金の証拠として、ビザの申請を受け付けてくれることになった。まさに迷宮入り寸前でフィリップ部長の尽力により解決にこぎつけたのだ。 これで、なんとか申請にこぎつけることができたのだが、ゆうちょ銀行からの送金について、今後とも同じ問題がおきかねない。フィリップさんは、Land BankからDBPへ再送金するとき、送金元の銀行を明記する、あるいはLand Bankから海外送金の証明書を発行させるとか、なんらかの仕組みを作らねばならないと話していた。 […]

PRA預託金送金の怪(ゆうちょ銀行使用の注意) 2015年5月24日



先日、退職ビザ(SRRV)を保有する若い退職者から、「入管のホームページによると、フィリピンに在住するすべての外国人はSSRN(Special Security Registration Number)を取得するよう義務付けられたとのことだが、SRRV保有者も該当するのか?」という問い合わせがあった。 早速、入管のホームページ(http://www.immigration.gov.ph/)にアクセスしてみたが、たしかに、そのようなアナウンスがある。隅から隅まで読んでみたが、SRRV保有者は免除されているという記述はない。しかし、ページの右下の隅に、「Exemption(免除」という欄があり、「法律によって免除されているもの」、という記述があり、SRRVがそれに該当するのかもしれない、ということが読み取れた。 クリックして拡大してみてください これは、PRAに聞いてみるより他に方法はないと、翌日早速、PRAに出向いた折に受付のミッシェルにに聞いてみた。彼女は、早速、件のアナウンスの紙を取り出して、SRRVは上記の「法律で免除されたもの」に該当すると、教えてくれた。一体、どの法律で免除されているのか、わからないが、RPAがそういうのだから、間違いはないであろう。しかしながら、ここに、「SRRVなどは免除」とはっきり記述されていれば、悩むことはないのに、なんとも不親切なことだ。 さらに、「ACR I-Cardの保有者」あるいは「滞在が59日を越えないツーリスト」も対象外となっている。このことは、すべての外国人というよりも、ACR(Alian Certification of Registratioー外国人登録証)を保有せず、59日以上滞在してる外国人、すなわち短期滞在ビザ(9a)で延長を繰り返して滞在している一部の外国人が対象のようだ。(ちなみにACRはSRRVやSIRVなど以外の長期ビザを保有している外国人はその取得が義務付けられている) そうなると、すべて外国人というよりも、長期ビザを保有せず、フィリピンに長期(60日以上)滞在している、ごく一部の外国人が対象となっているようだ。見出しに「ALL FOREIGN NATIONALS」となっているのは、まるで脅し文句のようで、なんとも人騒がせな話だ。   […]

SSRNの取得が義務付けられた? 2014年10月12日 


2014年7月4日、第29回、PRA創立記念パーティが開催された。今回のパーティは3年ぶりになるが、PRA職員、マーケッター、10年あるいは20年目など節目の退職者など、限定的な招待客に限定されたパーティだった。私は、今回の表彰の目玉の鏡さんのお父さんの招待に成功したという功績で、Shiga and Familyという招待状をもらって、キムやKIANを引き連れて参加した。他にも5~6名の退職者の招待枠をもらって、皆さんに楽しんでもらった。ちなみに、鏡さんのお父さんは101歳、PRAの会員としては最高齢、さらにフィリピンに在住する日本人の最高齢というわけで、日本政府からも、つい最近、表彰されたそうだ。 今年のPRAのロゴはかなりあっさりしている。パーティ好きのKIANは緊張気味であごを突き出している。 会場はロハスブルバード沿いのGolden Empire Towerだが、そこに一時間遅れで到着するころ、PRAのGMの秘書から、TV局がインタービューのために待っていると催促の電話がかかってきた。この日、某TV局が取材に来ていたのだが、二人の退職者/マーケッターの一人としてインタビューの依頼を受けていたのだ。PRAの活動に協力している外国人の話をTVプログラムの一部として流したいということだ。 こんなチャンスを見逃さないジェーンは息子のKIANを抱きながらのインタビューの演出に成功。本人もTVに出たくて仕方がないのだが。かなりのスタッフに囲まれてのインタービューだったが、私は、中の会場でのパーティの演説がうるさくて、司会者の英語が聞き取れず往生した。ちなみに、いつ放映されるのかあるいはされたのか、いまだに不明だ。 会場へ入ると、退屈な演説は終わっており、退職者の表彰に移っていた。10年、20年、そして最長は、25年、1985年にPRAは創立され、4年目の1989年にビザを取得した場合、25年勤続となる。PRA日本人クラブ会長の家田さんが名誉ある25年勤続として表彰されていた。1989年といえば、現役だった私が、初めてフィリピンに来て駐在を開始した年だ。表彰の目玉は、101歳の鏡 末吉さんだ。アナウンサーは「なんと、一世紀と一日!」と驚きのメッセージを送っていた。日本では100歳というのは、さほど珍しくはないが、フィリピンではかなりまれなことらしい。 鏡さんを囲んでカガヤンデオロの議員さんとPRAのGMらが記念写真。外の会場では着飾ったPRAのきれいどころがポーズを取る。 この日のパーティはダンス、手品、さらにはプレスリーなども出演して、かなり盛り上がった。特にカガヤンでオロの議員さんの歌と踊りにやんやの喝采だった。 PRA GMのVIPのテーブルにキムとKIANをちゃっかりと同席させてご満悦のジェーン 会場の3箇所のビュッフェには普段と違い、かなり大量の食事が用意されていた。オープンテラスにもたくさんの席が設けられて、もっとたくさんの退職者を招待してもよさそうだった。 パーティは予定を一時間オーバーして7時ごろお開きとなったが、鏡さんは特等席で最後まで出し物を楽しんでいた。キムやKIANもちゃっかりと隣に座ってはしゃいでいた。

第29回PRA創立記念パーティ開催される 2014年7月13日



PRAの創立記念パーティが来る7月4日(金)に、3年ぶりに開催される。今回は29回目の創立記念ということだが、2011年26回目以来、久しぶりのことだ。その間、創立記念は行っていたのかもしれないが、ごく内輪でやっていたようで、私の耳に入ることはなかった。 今回も、10年、あるいは20年目の節目の退職者の表彰などをやるそうで、限定された招待者に限られるそうだ。私も、何も知らされていなかったが、退職ビザを保有する最年長退職者として、101歳のKさんが表彰されるということで、その招待に私が駆り出され、ことの次第を知ることになった。 しかし、急遽、他の退職者にも連絡してほしいといわれて、このブログで紹介することにした。しかし、出席する場合は、事前に連絡がほしいということなので、PRAに直接連絡するか、私に連絡をしてほしい。 2010年に行われた25周年記念は節目の年ということもあり、ソフィテルホテルのボールルームで盛大な式典が行われた。PRAの職員も着飾ってレセパショニストを務めていた。 ヌエバ・エシアにお住まいの101歳のKさんの息子さんに連絡をとったら、快く了承してくれた。しかも、お父さんご本人も遠くからやってくるということで、PRAの担当も大喜びだった。ちなみにKさんは先ごろ、フィリピンに在住する最高齢ということで、日本政府からも表彰され、安倍総理直々の表彰状をもらったそうだ。こういう名誉ある賞には、お父さんもお喜びのことなのだろう。 2011年におこなわれた26回目の創立記念は、前年とはうって変わって、大変地味なもの だった。1歳と3ヶ月になっていたKIANは縦横無尽に会場を走り回って、彩(ご迷惑?)を添えた。そのKIANもすでに4歳、今年はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。 場所は、エルミタのロハスブルバード沿いのGolden Empire Towerなのでわかりやすい。受付は午後、3時からだが式は4時ごろから始まるそうで、6時には終わる。ちなみにPRAはこの日、午後からオフィスを閉めるそうなので、気をつけてほしい。

第29回PRA創立記念パーティのお知らせ2014年6月29日


5月xx日、夜明け前から、携帯が長いこと鳴っていたが、どうせ間違い電話だろうと出ずに切ってしまった。そうしたら、朝早く、とある退職者(Aさん)と一緒に暮らし、面倒を見ていたJが、Aさんが亡くなったと知らせにやってきた。以前から病弱で、つい先日、「床ずれの良い薬を知らないか」と電話があり、「医者に相談してほしい」などと話したばかりだった。 Jにはとにかく、肉親に連絡して、フィリピンに来てもらうこと、その際、家族関係を証明するために戸籍謄本を持ってくることとアドバイスした。 翌々日、Aさんのお子さん(Bさん)が会いにやってきた。結論としてお骨を一刻も早く日本に持ち帰り、葬式を日本でしたいとのこと。当方としては、Aさんは、退職ビザのスマイルプログラムであるために、ビザ預託金2万ドルをEnd of Term needs and obligation(終末のニーズ) に使えるから、下記の書類を準備することをアドバイスした。 ① 預託金を引き出したい旨のPRA宛レター ② 出生証明書の取得(退職者と申請者の関係を証明する文書) ③ 委任状(当方がPRAと折衝、手続きを遂行するため) ④ 入院費、葬式等の領収書ないし請求書 月曜朝一、再度、JとBさんがやってきた。結論として「葬式の費用を払わないと、遺体を火葬することができない。しかも、そのような費用は準備してこなかった。」ということで、一刻も早くPRAに葬式の費用を支払ってもらうことが、急務となった。ちなみに預託金はDBP(Development Bank […]

退職者が死んでしまったら その4 2014年6月7日