PRA・退職ビザ


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(2015年2月13日追記) 送金手続きを行うBOCの担当者が交代して、新規の方の送金手続きを行おうとしたら、BOCから待ったがかかった。その原因は、なんと、PRAの移動許可証に示されたPRAの口座番号と送金依頼票に示された口座番号とに食い違いがあったのだ。送金票の口座番号は、PRAからの指示書に基づいている。 早速、PRAに問い合わせてみると、PRAの移動許可証の口座番号が間違っていたのだ。PRAは、当方が用意した送金依頼票が正しくて、預金は、ちゃんとDBPに送られているので問題はないという。しかし、銀行としては、そのままでは、もはや、送金の実行はできないという(7名分)。さらに、調べてみると、過去に送金した分も食い違いがあり、BOCもそれに気がつかずに送金を実行していたことが判明した(15名分)。 BOCは、PRAと協議して、なんらかの訂正の文書をPRAから発行してもらって、移動許可証はそのままで、従来ならびに今後の送金が可能であるように処置するとのこと。そうであれば、再度移動許可証を退職者に署名してもらうというような面倒なことをしてもらわなくて済むので、ほっとした。しかし、それでなくても遅れに遅れてやきもきしているのに、とんだ人騒がせな話だ。 一方、昨年の10月以降に銀行移動を申請した方の移動許可証の発行が、4ヶ月が経過したのに、相変わらず無しのつぶてだ(10名分)。これらの方は、昨年、GMに直訴した時点では、まだ、申請が行われていなかった。そのため、当方の度重なる催促に関わらず、PRAの内部では、特別なアクションが取られていない模様だ。 一方、すでに、送金を実行したにも関わらず、預金の証明書が発行されていない方が、18名にもなる。一番早い人で、12月19日の送金だから2ヶ月近い。ただ、証明書を発行するだけのことに何故、こんなに時間がかかるのか、全く、理解できない。 これらことについても、再度、「伝家の宝刀=GM直訴」を使う時が来たようだ。 (2015年1月31日追記) GMへの直訴により、そのときまでに提出した銀行移動の申請は、すべて、移動許可証が発行され、逐次、処理を進めている。しかし、BOCからDBPへの送金を終えた後、預金証明の入手に正月を挟んで1ヶ月以上経過している。しかし、預金の移動が終わっているので、一安心だ。さらに10月以降に申請した10人の退職者の移動許可証の発行がまだで、引き続き催促しているが、なかなか発行されない。 一方、BOCの定期預金が共同名義だった場合、どういう取り扱いになるのか、PRAの回答が錯綜していた。そのため、DBPの預け入れは単独にすべきか、あるいは連名にすべきか、あるいは、その手続きはどうなるのかなど、適切なアドバイスができなかった。しかし、今回、実例が出て、PRAの財務とBOCと話をした結果、明らかになった。 要は、BOCの定期預金が共同名義(ORアカウント)だった場合、DBPのPRA口座への預金でも継続することができる。その場合、どちらか一方の手続きで引き出すことができるのだ。しかも、一方が亡くなったとしても、預金は、他の一方に自動的に継続され、相続などの面倒な手続きも不要だ。もし、希望するならば、共同でなくて単独名義とすることもできて、BOCからの送金票にその旨を連絡事項として記入するだけでOKとのこと。 (2014年11月25日追記) 前回の銀行移動許可証の発行から2ヶ月近く、一向に新たな許可証が発行される気配がない。退職者からの問い合わせもたくさん寄せられてくる。PRAの担当者も、GM(General Manager)が承認してくれないの一点張りで、埒があかない。これでも年も越せないと、GMに直訴状を書いた。もちろん、申請中の退職者のリストを添付して、許可証の発行状況を伝えた。 出張から帰ったばかりのGMは、早速、私を部屋に招きいれ、珍しく、言い訳と愚痴を並べ始めた。レビューあるいは承認すべき書類が山積して、どうしようもないというのだ。いずれにせよ、善処を約束してくれた。その直後、彼の秘書が私の提出してリストと格闘して、一人一人の申請書類の状況把握に躍起だった。 翌日、朝一、PRAに出向くと、秘書が声を張り上げて私を呼んだ。早速、許可証の束を手にしていたのだ。中には、関係ない日本人の書類も混ざっていたが、残り33通の内、9通の許可証を手に入れることができた。秘書と担当者にはGMからはっぱがかかっているので、今後は、スムーズに、ことが運ぶと期待される。 […]

Bank of Commerce(BOC)がPRAの認定から外れました2014年5月7日(2015年2月13日改定)


  11月2日(土)に東京ビッグサイトで開催されたロングステイフェアに参加するために日本に出張した。11月5日(火)に帰比したが、11月1日(金)は万聖節で休日、11月4日(月)は文化の日の振り替え休日で、まさに連休中の出張だった。 ターミナル1の入管はTの字型に一列に並ぶようになってブースの選択による運不運がなくなった  ジェットスターで行ったが、早朝の出発なので、家を4時半に出たが、空港は意外と混雑していた。しかし、出国手続きにおいては、退職ビザの保有者は、右端の特別ブースを使えるので、待たずに手続きが終わった。   久しぶりに日本に行ってみると、なにもかもが小奇麗で、箱もの(ビルや施設)だけが目立つが、そこにいる人影はまばらで、人の温かい息吹を感じることができない。 成田第2ターミナルの連絡電車がなくなってエスカレーターと歩道になっていた  東京ビッグサイトで開催されたロングステイフェア、今年は9671人の入場者を数え、過去最高だったそうだが、毎年9000人代で、あまり代わり映えがしない。 ロングステイフェアのパスコのブース、拙著「金無し...」を大量においたが、訪れるほとんどの皆さんがすでにこの本のファンで、1冊しか売れなかった  フィリピンブースは入り口正面に設けられ、宿敵マレーシアの半分程度のスペースだったが、同等の賑わいを見せ、フィリピンもロングステイ先として、いよいよ表舞台に出てきた感がある。 PRAからやってきたノエルさんとマービンさんは、フィリピン観光省と机を並べていた  フェアの翌日、助っ人に参上してくれた息子と共に、先般フィリピンで交流を深めた山本のぶ子さんのお宅を伺った。のぶ子さんのアレンジで、思いを一緒にする方々が20名近く集まって、フィリピン移住に関する話題で盛り上がった。 のぶ子さんと息子ののツーショット  たった一日の横浜(実家)滞在だったが、近所のすし屋で孫娘二人と会食、特に下の子(2才)が子供らしく成長していた。お姉さん(5才)のお茶目ぶりもますます磨きがかかり、おばあちゃんをやりこめることもしばしばだそうだ。 お土産のピンクの珊瑚のネックレスを首にかけるユっちゃんと妹のユメちゃんはおじさんに抱っこされてポーズ  夏の間は休む暇も無かったお父さん(私の三男坊)の肩に抱かれてご機嫌のお姉さん、洋の東西を問わず、子供はお父さんの肩車が大好きだ。そう言えば […]

ロングステイフェア2013に出展、一年ぶりの日本は? 2013年11月10日



  件の3組のご家族の到着が一時間半ほど遅れ、昼食、書類の準備やクリニックの受診を終えたときは午後5時を回っていた。それから皆でパラニャケに向かい、渋滞にいらだちながら、デューティフリーショップに到着したときは、すで午後6時、すでに暗かった。パーティは午後4時からなので、すでにプログラムの半ばだ。それからまた、会場探しに苦労して、ようやくたどり着いたときはすでにあらかたのスケジュールを終えショータイムやギフトの交換、さらにラッフルの時間となっていた。 永年継続者(Jubilarian)と称してはいたが、これはまさにクリスマスパーティだ。昨年同様、経費削減で会場費をケチったようで、普段、車やバイクが展示してあるところに、にわか仕立ての会場にギュウギュウ詰めに退職者が座っていた。 私も10年目の表彰があるはずだったのだが、遅れてきたため、もらえるはずのギフトにありつけなかった。みなの興味はギフトの交換やラッフル(くじ引き)に移ってしまっている。KIANもピーターパンの格好で駆けつけたが、おばあちゃんに固く手を握られて、どうしていいか困惑している。KIANは人に拘束されることが大嫌いなのだ。後は、歌やダンスの時間だが、音楽がなり始めると、KIANは自然に体が動いてしまう。 昨年と同じ歌手が出演していたが、KIANは覚えているのかいないのか、早速親しげにツーショット。ポールダンサーはちょっと場にそぐわない気もしたが、KIANは口をぽかんとあけて、何をやっているのだろうかと、眺めていた。 クリスマスの写真撮影用に用意されたサンタは、退屈で居眠りをしている。これも昨年と同様、どこかの学校の音楽クラブ(もしかしたらどこかの施設ののチャリティなのかも知れない)の演奏とダンス。マムジェーンはKIANのためにGANGNAM STYLEをリクエストして、KIANのダンスが披露された。動画のアップロードができないのが残念。

JUBILARIAN AND YULETIDE DAY 2012年12月17日


年、月、日と3つの同じ数字が並ぶ日は、2012年、12月12日が今世紀最後となる。昨年は11.11.11と六つの数字が並ぶシックスナインで、1世紀に一度しかない日だった。この記念すべき日にPRAは、10年、15年、20年そして25年間、退職ビザを継続している外国人を招待して、表彰するパーティを企画している。  25年前と言えば、1987年にビザを取得したのだが、この年はマルコス政権が崩壊した翌年で、退職ビザの制度ができて2年目のことだ。果たしてそんな人がいるとすれば、古代の遺跡ともいえる人だが、不肖私も10年目の節目を迎え、招待状がPRAのハビタン部長から手渡された。こうなると欠席するわけには行かない。 パーティのタイトルは、「JUBILARIAN and YULETIDE Day」という聞きなれない英語だ。辞書で調べてみると読み方は「ジュビラリアンとユレタイドデイ」で、「~周年記念者とクリスマスシーズン」という意味のようだ。  場所は空港の近くのデューティーフリーショップで、昨年、PRAのクリスマスパーティが開催されたところだ。  開催時間は午後4時から8時まで、事前に出欠を届けることになっているが、そんなのは形式で、自由に参加できる。もちろん表彰者以外の退職ビザ保有者も参加自由だ。なお、ギフトの交換会があるので、400ペソ程度のギフトを持っていくことになっている。服装は赤か緑の服となっているが、これも気にすることはない。  また、式典は平日なので、午後3時ごろにはPRAの職員は全員パーティ会場に行ってしまい、PRAは開店休業になるものと予測されるので、要注意だ。

退職ビザ永年継続表彰式(12.12.12.)の開催 2012年12月9日



退職ビザに関する2011年5月のルール改正によりスマイル・プログラムが新設された。これで、35歳以上、一律2万ドルの預託金で退職ビザがとれるようになり、50歳以下の若い退職者(?)が急増した。この2万ドルはコンドミニアムの購入等の投資には転換できないが、人生の終末のニーズ(入院費、埋葬費等)には近親者が引き出して使用できるという、画期的なものだ。  過去の預託金の推移を見てみると ① 2006年5月以前: 50歳以上 5万ドル、 35歳以上50歳未満 7万5千ドル ② ~2011年5月 : 50歳以上 2万ドル、 35歳以上50歳未満 5万ドル ③ 2011年5月~ : 50歳以上 2万ドル、 35歳以上50歳未満 2万ドル  (ただし、②と③で年金申請は50歳以上1万ドル、③でクラッシックは35歳以上5万ドル)  2011年5月以前に退職ビザを取得した人(上記の①と②)はスマイル・プログラム(③)に移行することにより、預託金の差額(5万‐2万=3万ドルなど)を引き出して自由に使うことができる。ただし、その場合、360ドルの年会費をおさめる必要がある。  その手順は下記の通りだ。 (1)スマイルへの移行をPRAに申請する(申請用紙に退職者本人が署名して提出する) (2)PRAからTransfer Clearanceが発行される(申請後1~2ヶ月後)同時に360ドルの年会費を支払う (3)上記のTransfer Clearanceを預け入れ銀行に提出して、スマイルに必要な2万ドルだけをDBPのPRA口座へ移動する (4)PRAから残りの3万ドルのWithdrawal Clearanceが発行される(2万ドルの移動後、1~2週間後) […]

スマイル・プログラムへの移行について 2012年10月16日


   PRAの主催する催し物は、いつも場所がわかりにくいので困る。この日はモール・オブ・エイシアの近くのPARK METROというところなので、すぐにわかるだろうとたかをくくっていったが、その建物の横を通っても閑散としていて判らなかった。やっと会場を見つけて入ってみると、そこにはビルの模型やモデルルームがあるので、協賛のFEDERAL LANDのモデルルームの展示場に違いない。でも、比較的広々としていて会場としては申し分なかった。  早速出くわしたのが、2年間の日本への留学を終えて帰国したばかりのPRAのフィリップさんだ(写真下右側)。留学前はPRAの RRSC(ビザ発行と各種サービス部門)を束ねる部長で、PRAの要をなしていた人だ。早速、今度の金曜日にWELLCOME DINNERを持つ約束をした。フィリップさんはKIANのニノン(名付け親のようなもの)で、2年ぶりに会ったKIANの成長振りに目を見張っていた。 今回の敬老の日のテーマはフィリピンの伝統的遊びを味わおうというもので、KIANは始めてみる縄跳びに夢中だ。 子供達の合唱もあり、フィリピンのフォークソングを歌っていた。  開催は1時から6時までで、食事はミリエンダ(間食)しかなかったが、それでもいい加減腹が一杯になったので、今夜は夕食抜きとすることにした。メニューはパンシット・マラボン(太目のヌードル)やフィリピン風もち菓子、それにチキンのから揚げだ。 食事用のテーブルは中々立派。  我々はどうも裏口から入ってしまったようだが、表には下の看板が掲げられていた。しかし、これは前の道路を走っても見えなかった。 もう一つの協賛はKULTURAという民芸品店大手だったので民族衣装を身にまとった楽団が外で演奏をしていた。  クライマックスではPRAのGMとFEDERAL LANDの社長の風船飛ばし。これがまた、いたくKIANの感心を買ったようでいつまでも飛んでいく風船を眺めていた。 […]

PRA 敬老の日開催(ELDERLY DAY) 2012年10月3日



10月3日(水)PRAは、不動産開発会社のFederal Landと民芸品販売のMagana Kulturaと共催で、PRA Elderly DayをSM モール・オブ・エイシアの前のパーク・メトロ、メトロポリタン・パークで開催する。時間は1時から6時まで、フィリピンの伝統的なゲームを楽しんでもらおうという嗜好だ。飲み物や食べ物も無料で提供され、ビンゴやくじ引きもある。友人や家族の同伴も可で、フィリピンの伝統的な文化を知る良い機会だ。詳細はPRAからの案内状を参照して欲しい。 http://www.pasco-ph.com/fileuploads/PRA%20outing%2020120924.pdf  共催のFederal Landといえば、かつてPASCOのゲストハウスとして利用していたオリエンタルガーデン、レガスピビレッジに建設中のMIDORIなどを手がける準大手のMetrobank系デベロッパーだ。  一方、KulturaはSMモール等でで民芸品店を展開し、バリクバヤンと対抗している。センスの良い品揃えで有名だ。

PRA 敬老の日の開催 2012年9月25日


従来退職ビザの発行は10営業日(2週間)とされてきたが、最近は15営業日(3週間)でようやくオーダー(入管のビザ発行の承認書)がPRAに戻ってくるという有様だ。原因はビザ発行の承認権を持つ入管のコミッショナー(高官)が海外出張で長期に不在だったとPRAは説明する。  今回は大雨も降らないし、何故遅れるのか見当がつかなかった。大統領の入管に対する小言が原因かとも思ったが、時間的につじつまが合わない。コミッショナーが不在ならば承認権を誰かに与えて出かければいいのだから、ちょっと納得のいく話ではないが、いたしかたない。  今回、発行待ちの退職者は4名いたが、どなたも長期滞在あるいは1週間程度は滞在延長可能だったので安心していたが、その1週間も食ってしまって、やばい状況になってきている。先週金曜日、ようやくオーダーが来て、目処がついたが、二人の退職者はさらに別の遅れの原因があった。  一つは、年金証書の翻訳の認証について、従来は日本大使館の認証だけでよかったものが、最近、フィリピン外務省の認証がさらに必要となったのだ。今回は、その認証をPRAに任せたところ、4日もかかってしまった。  別の退職者の方は、DBP(Development Bank of the Philippines)のPRA口座に直接送金した。申請の際、すでに入金していることを確認はしたのだが、後から、DBPからの預金証明の入手に1週間かかかってしまったので、申請後1週間は手続きが進められなかったと聞かされた。  DBPへ送金した場合、入金確認や証明書の入手はすべてPRA任せとなる。通常の銀行なら定期預金証書などその場でできるのだが、まさか、そのために1 週間の時間が費やされるとは想像がつかない。入金確認まで1週間、さらに証明書の発行に1週間、少なくとも、申請に先立って2週間前に送金を済ませておかないと、申請スケジュールに影響を及ぼすことを肝に銘じておかなければならない。  PRAのハビタン部長と話し合ったが、DBPの関連事項は財務部門が扱っているので中々コントロールできないそうだ。ならば、当方の対抗策としては、 Bank of Commerceなど他の認定銀行を使うしかない。DBPに送金する場合、事前の口座開設が不要である、引出しなどの際、PRAが銀行手続きを行うなど、数々のメリットはあるものの、スケジュール的に予測がつかないので、その利用がちょっと躊躇されるところだ。

退職ビザの発行が遅れています 2012年9月24日



2013年4月7日追記  無犯罪証明書の認証を厳しく運用し始めて大分日がたっているが、最近、過去の申請者においては、申請時に無犯罪証明書さえ提出してさえあれば、改めて無犯罪証明書を取得して、さらに認証して提出することを要求されることはなくなった。どうも入管のお咎めの沙汰もうやむやになっているようだ。しかし、今後再び復活することもありうるので、新規の申請においては無犯罪証明書を認証してくることは必須と心得ておいたほうが良い。もっとも、フィリピンでも認証できるようになったので、今後の申請者については問題はないが。  過去に無犯罪証明書の認証無しで、NBIクリアランスを提出している人は、ID更新に認証済み無犯罪証明書の提出が必要かどうか、事前にPRAに問い合わせて、必要なアクションを取って欲しい。 2013年1月24日追記  ついに、日本大使館で無犯罪証明書の認証をしてもらえることになった。代行申請も可能なので、日本で無犯罪証明書を取得して、フィリピンに郵送し、パスコが代行して、日本大使館で公認確認、さらにDFA(比外務省)で認証し、PRAに提出することが可能となった。フィリピン在住の方は日本大使館で無犯罪証明書を取得し(3ヶ月かかる)、その後、上記の手続きを踏めばよい。このためにだけに日本に帰国するという馬鹿馬鹿しい状況を回避することができる。  一方、これから申請する方は、最寄の県警で無犯罪証明書を取得した後、そのままフィリピンに持参すればよい。ただし、前述の手続きに2週間程度かかりそうので、早めに送付してもらえれば、申請までに準備しておくことができる。  このことにより、日本での準備は、預託金の送金、無犯罪証明書の取得のみとなり、申請者の手間は半減する。さらにフィリピン在住でも手続きが可能となり、今後の申請者の拡大に大いに寄与するものと考えられる。  余談だが、昨年の9月にこの問題が発生してい以来、日本大使館に認証の手続きをしてくれるように働きかけてきた。大使館としては、厳封となっているのものを提出先以外で開封するわけには行かないと拒否された。しかし、日本の外務省は現に開封して認証(公認確認)してもらっているものを、何故、日本大使館でできないのかと食い下がり、検討するという回答をいただいた。その後、状況の確認をすると、PRAあてに、本件を確認するレターを発行しているが返事がないという。そこでRPAに確認すると、そのレターが見つからない、という返答。そうこうしているうちに半年近い月日がたってしまったが、このほど、PRAからのレターも発行され、めでたく、念願がかなった。  すでにビザを取得された方で、ID更新をした際、PRAから認証済みの無犯罪証明書を要求された方、あるいはこれからビザの申請を行う方、ともにパスコで認証手続きの代行ができるので、問い合わせて欲しい。 9月23日追記    2008年4月以前は無犯罪証明書の提出は不要でNBIクリアランスのみの提出でビザが発行され、AFFIDAVITの提出も必要なかった。従って、2008年4月以前にNBIクリアランスだけで退職ビザを取得した人あるいはAFFIDAVITを提出していない人は、今回の問題の対象外だ。言い方を換えると2008年4月以降、無犯罪証明書をフィリピン大使館で認証してこないでNBIクリアランスと一緒に提出してビザを取得した人あるいはAFFIDAVITを提出している人が対象となる。 9月21日追記  一昨日PRAは、退職者がID更新を申請した際、フィリピン大使館認証済みの無犯罪証明書を提出していないから、ID更新はまかりならぬという暴挙(?)に出た。今日、PRAの担当とその話をしたが現状における結論はこうだ。 ①現在日本に在住あるいは日本に帰る予定がある退職者は新規に無犯罪証明を取得してフィリピン大使館で認証してきて欲しい。PRAへの提出は郵送でもOK。(無犯罪証明書の認証)先に取得した無犯罪証明書は期限切れかつ開封してしまってあるので、使用できない。 […]

無犯罪証明書の認証が必須となりました 2012年9月15日


 無料情報誌フィリピンプライマーの2012年8号、18ページ、PRAの公告ページに紹介された。昨日、いつものようにPRAを訪問すると、営業のロリーさんが、うれしそうな顔をしてプライマーを手にして、私に声をかけてきた。開いたページには私が提供した写真が掲載してあり、プライマー25冊の包みをくれた。          そういえばしばらく前に、そんな話があって、ロリーさんのインタビューを受けた覚えがあるが、すっかり忘れていたが、退職ビザ取得のサポートを生業としているのだから、こんな形で紹介されるのは大いにありがたいことだ。早速、紹介記事を読ましてもらったが、あまりに事実と違う記載が多いので、このブログで訂正させていただくことにした。ロリーがインタビュー結果を英文で作成し、プライマーの編集者が、それを和訳したものであろうが、昔やった伝言遊びのように、ずいぶんと違った形で伝わるものだと、感心した。 「かつて、土木技師としてフィリピンの工務店に勤務」 このような事実はない。私の勤務先は日本のプラントエンジニアリング会社だった。 「その後ローカル企業の社長として。。。」、これは退職ビザを取る前の話で「勤務するエンジニアリング会社の現地法人の社長として。。。」が正しい。 「現在、PRAのマーケッティング担当者として。。。」は「現在、PRA認定のマーケッターとして。。。」が正しい。 「趣味は本の執筆と出版」、現在趣味はないが、強いて言えば「趣味は農業で、将来マヨン火山のふもとの農場(プライマー本文中の写真)で自給自足の生活を夢見ている」といったところだ。 「現在、マカティ市で奥さんのユーコさんと3人のお子さんと暮らしている」は「妻と3人の子供は日本にいて、単身で永住を目指している(ただし、今現在息子の一人がフィリピン滞在中)」 子供達と写った写真の背景にマヨン火山がそびえているが、実際はこの方向にマヨン火山は存在せず、直角の方向にある。これは2枚の写真をPRAが合成したもの。 「フィリピンに移住を決めた理由は?」については、確かに「フィリピンは大のお気に入り」ではあるが、お気に入りの理由はたくさんある。 ① 英語圏であり、会話に不自由しない、仕事も英語でかたずく ② 日本に近い ③ 物価が安い ④ 永住ビザの取得が簡単 ⑤ 気候が温暖で寒い冬がない […]

フィリピンプライマーに紹介される 2012年7月28日