PRA・退職ビザ


  本年度のPRAクリスマスパーティは第3ターミナルの先、パラニャケにある、デューティ・フリー・ショップで行われた。ここは通常空港内にあるデューティ・フリー・ショップが空港とは別途に設けられているもので、フィリピンに入国してから数日以内であれば、パスポートを提示して買い物ができる。一昔前は空港のまん前のピラミッドのような建物(現在はカジノ・パラニャケが入っている)にあったのが、現在はここに移転されている。 何度か訪れたことはあるのだが、ここに催し物ができるような会場があったものかと訝った。しかし、入り口には確かにPRAの案内が出ているので間違いないようだ。クリスマスが近いとあって、ここにもキリストの生誕のモチーフが飾られている。         巨大なショッピングエリアの中央あたりにクリスマスパーティの会場はしつらえられていた。単に売り場をかたづけてスペースを作ったにすぎない。午後3時から6時までという時間設定から、食事もスナック程度だ。この節約志向はどうしたのだろう、PRAはよほど予算的にきついのだろうか。毎年多額の上納金を政府に献上しているPRAは、そんなはずは決してないのだが。前代のマネージメントのように職員をむやみに海外に派遣して無駄遣いしている様子もないのだが。 昨年と同様、出し物はハイスクールの音楽クラブにお願いして出演してもらっているようなもので、会場も、なんらかのコネでただで提供してもらっているのだろう。そういえば、ビザ発行の際、必ずここのパンフレットを渡されるが、きっとPRAのスポンサーとして強いつながりがあるのだろう。  顔なじみのPRAの幹部と記念撮影。左上がトップのアティエンサGM、左下が営業部長のノエルさん、右上が総務部長のルパさん。だ。 この日司会を務めた、唯一PRAがお金を払って呼んだであろうプロらしき女性に抱っこしてもらって、ご機嫌のKIAN。21ヶ月目にはいったKIANは美女がことのほか大好きだ。サンタから渡されるクリスマスプレゼントも皆が持ち寄ったものを交換しただけだ。当方も二つ提供したのでしっかり二つもらって帰った。  日も暮れたところでお開きとなって、しばしデューティ・フリー・ショップを見物することにした。フェルガモ、シャネルなど聞きなれたブランドや耳にしたことないブランド(もちろんブランド音痴の私が知らないだけの話だが)が、所狭しと並んでいる。価格はドル表示なので80倍して円換算すると安く感じる。しかし44倍してペソ換算すると高くてびっくりする。ブランド品に興味のある人は、コピー商品が氾濫する巷と違って安心して買い物ができるだろう。 階を下っておもちゃ売り場にでた。SMあたりのおもちゃ売り場とは比較にならない充実振りだ。特にLEGO売り場の商品の豊富さに圧倒された。もちろん値段にも圧倒されたが、KIANがもう少し大きくなったら日本へ行くたびに、ここによってLEGOを買い求めることになるかもしれない。 LEGO売り場にはサービスにたくさんのLEGOが置いてあって子供達がLEGO遊びをしている。何を思ったかKIANはLEGOの中に入ってLEGOを外にほうり始めた。このLEGOは子供の創造力を養う優れもののおもちゃで、私の子供達はLEGOとプラモデルで育ったようなもので、ファミコンやプレイステーションで育つ現在の子供達に比べて、とても創造力豊かに育っている(すでにもう皆、30代だが)。  デューティ・フリー・ショップにはスーパーマーケットもあって輸入食品を豊富においてある。輸入品が大好きなフィリピーノには格好のお土産となりそうだ。さらに大きなフードコートもあって、まさにショッピング・モールの様相を示している。買い物客もカート一杯に食品を買っていて、単に海外帰りのフィリピン人だけではなく、日常的にここで買い物をする客もいるのではないかというような気がする。

2011年PRAクリスマスパーティは節約志向 2011年12月18日


2011年も押し迫って、恒例のPRAクリスマスパーティが12月16日(金)に開催される。毎年開催場所を変えるのだが、今年は、空港第一ターミナルをパラニャケに向かって少し行ったところにあるDuty Free Philippines Fiesta Mallで3時から開催される。ちなみに去年は、なんとフィリピン国家警察の総本山キャンプ・クラミで行われた。 今年のプログラムの目玉は、退職者によるパーフォーマンスの披露だ。一組5分で何を披露しても良い。あらかじめ登録が必要で、携帯0917-985-3715 あるいはsocialdynamics pra@yahoo.comに名前、ビザ番号、出し物を連絡する。8組しか参加できないので早めに申し込んでほしいとPRAは案内している。賞品は全員に出るが、特に優秀な3組には特別賞が与えられる。  服装は赤か金色の帽子を被ってくること、それから交換用の500ペソ程度のギフトを持参してほしいとのこと。キャンプクラミで行われた昨年のパーティには多くの退職者が参加した。

PRAクリスマスパーティ(2011)のお知らせ 2011年12月8日



K.Kさんは2004年、私がPRAにいたころに退職ビザをとった。その方が、ご両親を連れて、奥さんの故郷、フィリピンに永住するためにやってきた。当時は、両親の介護があるので、フィリピン移住は当面先のこととおっしゃっていた。しかし、今回の大震災で両親の介護を日本でやることに不安を抱き、一家でフィリピンに移住することを決意したのだ。当時、両親の介護が必要だったら、ますますフィリピンに来るべきだと、私が主張したのを覚えている。ちなみに K.Kさんは東北、山形県在住だ。  ビザ申請の準備として、事前に日本大使館で婚姻証明を取得した。その時、窓口係りのMさんが、申請本人が1913年生まれと知って驚嘆の声を上げていた。数えで99歳、もうすぐ1世紀となるのがお父さんのS.Kさん、そしてお母さんのC.Kさんは89歳だが認知症を患っている。ともに大正生まれだ。 NBIで指紋をとっているところ 初日は、NBI、クリニック、銀行、PRAそして大使館を回ったが、車の乗り降りに20~30分かかるのと相変わらずの渋滞で、やっとのことで回りきった。さらに、ビザ申請と同時に、無税輸入、お母さんの口座開設、ビザ取消の委任状と口座の共同名義への変更、K.Kさんの免許証の書き換えなどを翌日の午後までに終えるために、おおわらわの二日間だった。たったの2日でこの有様だから、高齢のご両親を伴って一家で日本から移動してきたK.Kさんのご苦労は言葉に尽くせないものがあったと思う。  ビザの受け取りは私が代行する予定だが、そのため、事前にPRAを訪問して、ビザの受け取りの手続きをするようにとPRAにリクエストされた(まだ申請もしていないのだが)。窓口のミッシェルは営業部長のノエルに連絡し、さらにノエルがGMに報告して、PRA一同がK.Kさん一家を迎えた。恒例の記念写真をとってもらったが、多分、PRAの高齢者ビザ取得のレコードだと思う。帰り際、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんに遭遇したが、高齢の退職者のビザ申請に「すばらしいことですね」とうれしそうに励ましてくれた。 Dusit HotelでK.Kさん夫妻と、ヤヤに抱かれてなぜか泣き叫ぶKIAN 2日目の午前中に免許証の書き換えを終わり、午後は、お母さんのレントゲンの取り直しと銀行で通帳の受け取りだけを残すところととなった。少々リラックスできたので、宿泊先のDusit Thani Hotelで食事をとることになった。当方もKIANを含む全員で参加したが、どうも奥さんの機嫌がよくない。  実は、当初私が、K.K さんのためにNTTホテルを予約したのだが、駐車場がないので、急遽ホテルを変えてしまった。ところがK.Kさんは、かつて日航が運営していたHotel Nikko Manila Garden(今のDusit Thani)しか知らないので、そこに宿を取った。しかし、宿泊料がNTTホテルの5倍位するので、しっかり者の奥さんが腹を立ててしまったのだ。レストランのメニューを見てまたびっくりして、自分達の分は注文はしないという徹底振りだ。奥さんにとっては、これから退職金などの預金だけで生活していかなければならないので、倹約ということがなによりも大事なことなのだろう。 […]

1913年生まれの申請者に大使館もびっくり 2011年10月20日


NBIクリアランス(フィリピンの無犯罪証明書)の発行の混乱は前にも報告したが、現在はNBIの本庁で集中的に扱っており、その混雑と発行にかかる時間 は尋常ではない。以前はPRAに出張所があって、退職者の利便に供していたが、現在は、そのような特別扱いはなく、フィリピン人と一緒に申請をしなければ ならない。申請に2~3日、発行に2~3週間かかるとあっては、それに耐えられる外国の退職者はいない。PRAはその状況に手をこまねいているだけだが、退職者のビザ申請をアシストしているマーケッターの組合がNBIのトップと、優先的に取り扱ってもらえるよう交渉中だ。  しかし、鈴木、佐藤、田中、中村、小林などありふれた名前の方は、同姓同名の犯罪者が存在する可能性が強く、その場合、さらに余計な手続きと時間がかか る。したがって県警の発行する無犯罪証明書を日本で外務省とフィリピン大使館で認証して、NBIクリアランスを不要とするのが得策だ。 さらに、9月19日から、従来の認定銀行で発行する定期預金証書でビザを申請することができなくなり、すべてのドル預金はDBPへ一本化された。突然の ことで戸惑ったが、そこで浮上した問題が、DBP(Development Bank of the Philippines)による預金証書の発行に入金から1週間~2週間もかかることだ。ビザ申請の際、PRAにはDBPへの送金書を提出するだ けだが、PRAはDBPから預金証書が発行されるまで、ビザの手続きを開始できない。だから、PRAから書類が入管へ回るまで1週間以上かかってしまうこ とになる。従来、申請から2週間でビザの発行がなされていたが、このおかげでビザ発行に3週間以上かかってしまっているのだ。 例えば、Kさんの場合、申請が9月2日、書類が入管へ回ったのが9月9日、入管内部でのビザの承認は15日に下りたものの、そのおかげで9月13日まで の短期ビザが切れてしまった。その延長に1日、結局ビザが出たのが、9月23日と、丁度3週間目の発行となってしまった。一方Yさんは、どうしても休暇が 取れないということで、入管に手配して1週間でビザの取得をこころみた。しかし、DBPの預金証明を待たなければならず、月曜に申請して、DBPの証明書 […]

退職ビザの発行が遅れています 2011年9月24日



 7月22日(金)、第26回目のPRA創立記念パーティが開催された。昨年は25周年という節目のためか、Sofitel ホテルで豪勢なパーティを行ったが今年は、ロックウエルのはずれのメトロポリタン・スポーツ・クラブのボール・ルームでこじんまりとしたパーティだった。    レセプションは相変わらず、PRAの若手社員が大勢受付をしていたが、見知らぬ顔もかなりいた。会場は狭く、ビッチリ並べられた椅子には招待客が200 人ばかり狭苦しそうに座っている。1時間ほど遅れて行ったせいで、プログラムはかなり進行していたが、それでもGMのスピーチや、リム観光大臣のスピーチは聞くことができた。大臣のスピーチによると、アチエンサGMはリム大臣のクラスメイトで、彼の指名による登用だそうだ。右下の写真が大臣だ。  この日、ちょっと躊躇されたが、KIANを私の同伴者として連れて行った。退職者は1名の同伴者を伴うことができるとなっており、年齢制限もないのだから、良しとした。それにフィリピンではこんなパーティに子供が参加することは当たり前だ。KIANにはこのようなパーティに場慣れさせて物怖じしない子に育てたいと思っている。KIANを抱いているのはPRAマーケッティングのノエル部長だ。 PRAに退職者を紹介してビザ取得のお手伝いをする役割でPRAに認定された者をマーケッターというが、パスコは、紹介した退職者数で昨年は第2位となり、表彰状と記念品(缶詰の詰め合わせ)を受け取る相棒のジェーン。左はPRAアドミのエテル部長。 レセプションではプロの絵描きが数人、参加者の無料で似顔絵をスケッチしてくれていた。KIANもしっかりとモデルになって似顔絵を描いてもらった。式典が終わると記念撮影とダンスタイムだ。退職者の客はほとんど帰り、PRA職員が大臣やGMとともに記念撮影をしている。KIANといえば、その前を行ったり来たりして、すっかり場になじんでいた。  さらに舞台に上がってプロの歌をバックにダンスを披露。音楽にあわせて踊るのが大好きなKIAN、1歳と3ヶ月の晴れ舞台だ。

第26回、PRA創立記念パーティ開催される 2011年7月23日


7月22日(金)、フィリピン退職庁設立記念パーティが開催される。昨年は25周年記念ということで、かなり盛大なパーティがソフィテル(フィリピン・ プラザ)ホテルで開催されたが、内容的には少々盛り上がりを欠くものだった。今年は午後3時~6時という、ちょっと中途半端な時間帯なので、どんなパー ティを考えているのか気になるところだ。  会場となっているthe Metropolitanは、マカティ、ロックウエルの東のはずれのエステレリア(Esterella通り)沿いにあるので分かりやすい。EDSAあるい はロックウエルの両方からアクセスできる。PRAの案内状についている地図はきわめて不明瞭なので、マニラ新聞発行のNAVIにある地図が分かりやすい。  PRAのホームページを見ても記念パーティのお知らせは掲載されておらず、例年開催される地方都市でのパーティの詳細は不明だ。しかし、新GMの元、緊 縮財政の嵐がPRAを吹き荒れているようなので、今年は見送るのではないかと推察される。考えて見れば、アグリパイ会長の時代は、会長自ら地方都市のみな らず世界各国を精力的に歩き回り、PR活動に励んでいた。しかし、肝心の足元はどうも怪しくて、成果は今一だったようだ。新GMはその点を反省し、退職ビ ザそのもの仕組みの改善に力を入れるという方向に転換しているように思える。  

第26回、退職庁創立記念パーティのお知らせ 2011年7月11日



 銀行口座のジョイント・アカウント(共同名義)というものは日本には存在しないようだが、フィリピンではごく一般的に用いられる、きわめて便利な制度だ。  AND/ORアカウントとも呼ばれるが、会社の口座においてはほとんどの場合、これだ。印鑑という概念がない外国では、会社の口座からお金を引き出す場合においても個人のサインで引き出される(小切手を使うのが普通だが)。これを1名に限定しておくと、その人が出張していたり、あるいは病気で休んでいたり、さらには急死した場合など、会社としてお金が使えなくなり、会社としての機能が停止してしまう(印鑑さえあれば誰でも会社のお金が引き出せる日本とは大違いだ)。したがって、複数の人をサイナーとして指名する。当然のことながら、このサイナーの指名は役員会で決議しなければならない重要事項だ。しかし、1名のものがサイン権をもちお金を引き出せるとなると、今度は逆に会社のお金を不正に使用するというリスクが出てくる。したがって、小切手のサインは次のようにするのが一般的だ。  仮にA、B、C および D の4人にサイン権を与えるとする。小切手のサインは2名連記で行い、次の4つの組み合わせとする。普通AとBは会社の代表、一方CとDはトレジャラー(監査役)やアカウンタント(会計係)だ。これにより、会社のお金が勝手に使われてしまうことを相互に監視させようというわけだ。この場合、C and Dではおろせないのが味噌だ。 ①A and C または A and D […]

ジョイント・アカウントの勧め 2011年7月7日


 6月29日にPRAを訪問した際、明日、6月30日(木)と7月1日(金)はNBIの担当官がPRAで執務せず、NBIクリアランスの受付をしないと、 PRAから告げられた。さらに7月4日以降は不明だという。週末にお二人の退職者が来比される予定なので、途方にくれた。無犯罪証明書を日本のフィリピン大使館で認証してもらってくれば、NBIクリアランスは不要なのだが、これらの方は、それをやっていない。だから、NBIクリアランスがないと退職ビザの申請ができなくなってしまう。 (NBI=National Bureau of Investigation、国家捜査局)  6月30日と1日はシステム変更のため、NBIはすべての機能を停止し、7月4日から再開するということだった。そして、4日(月)、PRAの入り口にはNBIからの通知が張ってあった。 ①受付はメトロマニラのいくつかの市役所と、ロビンソン・モールで行い、本庁では受け付けない ②クリアランスの申請は新規受付に限り、更新は受け付けない ③退職ビザ等を申請する外国人も一般のフィリピン人と同様、これらの場所で列に並んで申請すること ④発行には3週間程度かかる ⑤この措置はシステムの運用が軌道にのるまで継続される(2~3週間?)  7月4日当日、仕方がないのでお二人の退職者を案内して一番近いロビンソン・オティスに行ってみた。そこはまるで人の塊で、列もほとんど進んでおらず、 1時間や2時間並んだからといって埒があきそうにない。今日中に受け付けてもらえば幸いといった感じだった。NBIクリアランスがないと就職も海外出稼ぎもままならないフィリピン人にとっては死活問題だ。こんなとき、彼らは辛抱強く何時間でも列に並んで待っている。他に術がないのだ(他にやることがないこともあるが)。   […]

NBIがシステム変更で大混乱 2011年7月6日



5月5日より退職ビザのルールが変更されたことはすでに報告したが、それに伴い、退職ビザ取得に必要なドル定期預金の預け入れ銀行が DBP(Development Bnak of the Philippines)に一本化された。6月8日にPRAとDBPの合意書が締結され、今後、新規申請者はDBPに必要なドルを預け入れなければならない(ただし既存のビザ保有者は従来の認定銀行にそのまま預け続けることができる)。しかしながら、今までのように各人がDBPに口座を開設する必要はなくて、DBPに開かれたPRAの口座に預け入れることになる。いわば、PRAに預けるという形になる。 送金方法としては左の用紙に必要事項を記入して、最寄の銀行に持っていって送金すればよい(左の写真をクリックして拡大して見てください、様式はPRAホームページよりダウンロード可能)。 1. 日本からの送金 送金は下記の二つの方法があり、どちらか便利な方法によればよい。 ①日本の銀行から直接、DBPに振り込む。  この場合、ビザ申請の際、PRAには日本からの振り込み用紙を提出するだけで、従来のように定期預金証書の写しを提出する必要はない。DBPがチャージする受け取り手数料(最大で20ドル)を余分に送金する必要がある。この手数料で必要な金額に満たない場合は申請時にPRAに支払えばよいとのこと。余分には送金した分の引き出しには、PRA にその旨、文書で申し入れて、引き出し許可証を発行してもらわなければならないので、かなり面倒だ(2週間程度かかる)。入金確認は渡比してから海外送金依頼書などの送金の証拠書類をPRAに提出して確認してもらう。なお、日本から入金を確認するには、誰かマーケッター等に送金書類を送付して確認してもらわなければならない。 ②日本の銀行からフィリピンの銀行へ送金して、そこからDBPに振り込む  この場合はPRAにフィリピンの銀行が発行する振込用紙と日本から送金する時に使った海外送金依頼書の両方を提出する必要がある。とりあえず従来のPRA 認定銀行に振り込んで、渡比後、DBPに必要なドルを移動することにより、従来どおり、生活費や申請料を余分に送金して、そのまま普通ドル預金口座として使用することができる。 […]

退職ビザ取得のための外貨送金とジョイント・アカウントについて 2011年6月18日


昨年の11月以来、来月から、来月からとアナウンスされ続けてきたPRAの新ルールが、いよいよ5月5日(木)から適用された。なお、すでにビザをお持ちの方、あるいは、5月4日以前に定期預金開設に必要なドルを送金した方で旧ルールを選択した方は、今回のルール改正の影響は受けない。 新ルールは先に報告したものとは大分内容が変更されており、主に3つのプログラムが用意され選択できるようになっている。 1.SRRVクラッシック(既存のプログラムの改訂版) 2.SRRVスマイル(新規プログラム) 3.SRRVヒューマン・タッチ(治療あるいは療養のためのプログラム) 1.SRRVクラシック 35歳以上、50歳未満は5万ドルの定期預金をPRA指定の銀行に預けること、50歳以上は2万ドル、年金申請は1万ドルは従来と同様、ただし、年間360ドルの会費を前払いでPRAに支払う(3人以上の同伴者には一人100ドル追加)。ドル定期預金はコンドミニアムの購入や戸建住宅の長期リースのに転用することはできるが、それらの物件は入居可能な状態であること(プレセールのコンドミニアムや住宅の建設には使えない)。また、投資総額は5万ドル以上であること。この場合、あらたにビジトリアルフィーは発生しない。なお、ビザ申請に必要な書類は従来と同様。 2.SRRVスマイル  35歳以上一律、2万ドル。この2万ドルは投資に転用することはできず、将来必要となるであろう医療費や埋葬費用などに使用することを前提とする。年会費等については(1)と同様。 3.SRRVヒューマン・タッチ  35歳以上、一律1万ドル。その他の条件は(2)と同様。ただし、年金は月々1500ドル以上必要で、年金証書ならびにフィリピンで年金を受け取っている証拠、健康保険証書さらに療養あるいは介護が必要であるという診断書等を提出すること。同伴者は配偶者等1名のみ。  4.既存の退職ビザ保有者  既存の退職ビザ保有者は(2)のSRRVスマイルに乗り換えることができる。その場合、50歳未満で5万ドルあるいは7万5千ドルでビザを取った人は360ドルの年会費を支払うことにより、差額3万ドルあるいは5万5千ドルを引き出すことができる。さらに50 歳以上で5万ドルでビザを取得し、現在の2万ドルとの差額3万ドルを引き出した退職者(ハーモニゼーション)は、従来450ドルを支払っていたものが、 360ドルに減額される。あるいは、5万ドルをすべて投資に転用している人は2万ドルを再預金することにより、500ドルのビジトリアル・フィーが360 ドルに減額される。もちろん現状維持を選択することも可能だ。 (5月4日新ルール適用の前日に行われた新ルールの説明会の様子と自ら説明するGM)   ルールの細則 […]

PRA新ルールが5月5日から施行されました 2011年4月17日