PRA・退職ビザ


3年ほど前にPRA本体が隣のビルのシティバンク・センターの4階に移動して以来、受付(シティバンクタワー29階)と本体が離れて、書類等の受け渡し においては、紙一枚受け取るのに30分も待たされるなど不便を強いられてきた。以前のように受付のすぐそばにPRA職員がいれば、ちょっとややこしいこと など直接職員と話が出来たものが、いちいち4階と29階を行き来をしたり、電話で話をしなければならず、効率が著しく悪かった。それがやっと、PRA本体 がシティバンクタワーの29階に戻ってきたのだ。現状においては我々に関係の深い、ビザ・プロセッシング部門、サービス部門、マーケット部門などが移動済 みだが、いずれすべてが移動するとのことだ。そのため、受付のレイアウトも変更され明るい感じになった。入り口を入ってすぐ左にはNBIの出店が移動してきて、中々便利になった。    レセプションの後ろの部分は退職者が打ち合わせたりするゆったりしたスペースが設けられている。ここには元々会長室やミーティングルームがあったので、 GMなど偉いさんが移動してきたらこのスペースがなくなってしまうのではないかと危惧される。さらに受付の左奥は会議室でビザ発行などもここで行なわれて いる。 PRAスタッフの執務スペースはレセプションから左へ行ったところ、従来諸々の業者が入っていたところだ。元アグリパイ会長の発案と思われるが、ここでは、退職産業を振興させようと、退職者をマーケットとする業者が入って直接、営業をさせていたのだ。当初は多くの人が張り付いていたが、1年もしないうち にほとんど常駐する人がいなくなってしまった。人を貼り付けてもほとんど用事がないのだ。業者にとっては家賃だけ払わされてとんだ出費となってしまったよ うだ。  このスペースとは反対側、レセプションの右側のエリアにはPRI(PRA組合)が入っていたが、アグリパイ会長の更迭とともに胡散霧消してしまったようだ。私がPRAにいたころ、ずかずかと執務室に入ってきて大声を上げて張り 切っていた元通産大臣のオドネスPRI会長も、ここのところとんと見かけない。  ちなみに最近、PRAは通 […]

PRAが移動しました 2010年5月14日


本年はPRAが1985年に創立されて以来、25周年の節目の年だ。またさらにPRAを管轄している官庁がBOI(投資庁)からDOT(観光省)に移行され、PRAの新しい時代が始まる。先日、観光省のドラノ大臣がPRAを訪問し、関係者との会合が持たれたが、大変気さくな人だとの評判だった。また、彼は先日瀬里奈で我々と遭遇したことを憶えており、相棒のジェーンはどこかとPRAスタッフに質問をしたとのこと。PRAが観光省の配下に入ったことを契機にアグリパイ会長は退いて、ドラノ大臣がPRA会長を兼務することになったそうだ。ドラノ大臣が実質的にPRAを運営すると言うことはありえないが、幸先の良い出会いをしたものだと思う。  今年は、例年の創立記念パーティを開くだけはなく、色々な催しものが企画されている。退職者の方も参加できるので、是非連れ立って出かけてほしい。なお、、電話かE-メールで事前に予約が必要とのこと。 3月の行事    20日(土) 海水浴、 場所:キャノンコーブ    退職者とPRA職員の手工芸品の展示会、 場所:PRA受付、Citybank Tower 29階 ゲートボール 4月の行事 18日(土)家族ゲーム、開催場所:アヤラ・トライ・アングル、集合時間:午前6時 5月の行事 15日(土)歴史探訪(イントラムロスなど)、 集合場所:PRA、集合時間:午前7時 6月の行事 […]

PRA創立25周年記念行事 2010年3月24日



 リトル東京「神楽」の取材の後、翌朝は退職庁、ゼネラル・アグリパイ会長の取材だ。ゼネラル・アグリパイは元国家警察長官の著名人だ。8時からのアポだが、シティバンク・センターへカメラを持ってはいることは撮影許可やらなんやらとが必要なので、7時半にはビルの前に到着した。案の上、ガードに止められ、先行してPRA事務所に行って許可証の段取りをしてもらい、8時近く入門できた。  この日の朝、アグリパイ会長はフィリピンの著名カリスマ美容師、リッキー・レイエスと朝食ミーティングをしており、インタービューに加えて、リッキーとの朝食の模様も取材させてもらった。リッキーはマニラの南のカラタガンに退職者用のリゾートを建設する計画だそうで、その協力を要請するためにアグリパイ会長と面会したとのこと。アグリパイ会長の右隣に座っているのが、私が頼りにしているフィリップ・モレノ部長。PRAのRRSC部の部長で退職ビザの発行や退職者の諸々の手続きを一手に引き受けている。  TV愛知のスタッフは撮影の下打ち合わせに余念がない。アグリパイ会長とは約20分、単独インタビューを行なった。通訳はこの私。アグリパイ会長はTV インタビューとあって、こちらの質問はお構い無しにフィリピンやPRAの宣伝をまくし立てていた。TV愛知の方は編集が大変とこぼしていた。朝食ミーティングの様子も一緒に撮影したが、この方が絵になるようだ。    TV愛知のスタッフもアグリパイ会長やリッキー・レイエスなど著名人に囲まれてご機嫌。ちなみに右にある胸像はフィリピンの英雄、ホセ・リザールだ。   PRAのあとはPASCO事務所の撮影を行なった。不肖私もインタビューの栄光に預かったが、とても自分でTV番組を見る気にはなれないが。   撮影終了後、事務所のとなりのトロトロ・レストランで食事。フィリピン庶民の食事どころだがここは比較的高級で、料理の種類も多くてとてもおいしい。8人で、飲み物付でたらふく食べて、7人全部で1200ペソ足らず。TV愛知の取材陣は値段の方も大満足だった。

TV愛知の取材(その2 PRAとPASCO) 2009年12月12日


 今年も退職庁(PRA)の創立記念日がやってきた。5年前、2004年の創立記念日に出席したのが初めてだったが、その時、当時のマルセロ副長官やリリヨ長官に強く勧められ、PRA入りを決意したのが昨日のように思い出される。 今回のパーティ会場は、開発が目覚しいボニファシオ・グローバルシティのJAIPURというインド・アラブ料理レストランだ。とても雰囲気のあるレストランで、30分ほど遅れて入ったら、アラビック・ダンスの真っ最中だった。ただ、中規模のレストランなので、参加者が数百人のパーティ会場としてはあまりに狭い。バギオを皮切りにマニラ、クラーク、セブ、ラグナ、ダバオとフィリピン全土でパーティを催すために予算が限られてしまっているためなのだろう。ちなみに、となりはEMBASSYという超高級レストラン・バーで、多くの有名女優や男優が集まることで有名だそうだ。    この日の成果は、私のPRA時代のボスである元副長官のマルセロさんに会えたことだ。元々の彼のビジネスである金鉱山の経営も、昨今の金の値上がりで順調で、そのほかにアメリカの退職者の医療保険のビジネスをやっているそうだ。その外、PRAの会長で、元国家警察長官のゼネラル・アグリパイ、ゼネラル・リンガット長官などと挨拶を交わした。またすでにPRAを辞めているかつての同僚で、カナダ国籍を取得したロエルは私を抱きしめてなかなか放してくれなかった。  ゼネラルリ・ンガット長官の隣にいるのがPRA職員のスカーレットだが )、彼女はパーティで見かけるたびに妊娠している。私の記憶では、これで5人目の子供だと思うが、子沢山は幸せな家族の象徴だそうだ。 フィリピン人の写真好きは格別なものがある。ゼネラル・アグリパイ会長を囲んでのPRAスタッフの記念写真に皆笑顔で集まってきてポーズをとってくれる。まるでパーティを開くのは写真を撮るのが目的と勘違いしているのではないかとさえ思ってしまう。

退職庁、24回目の創立記念に参加 2009年7月8日



  5月18日に開催されたロングステイ財団とフィリピン観光省共催のフィリピンセミナーに参加するため日本に出張した。はじめは気楽なつもりで参加を申し込んだところ、ロングステイ財団にしっかり抑えられて、講演「フィリピンの退職者査証について」、相談コーナー、パネルディスカッションのパネラー、そして番外のロングステイアドバイザーを対象とした勉強会と、ほとんど息の継ぐ間もないほどのスケジュールとなってしまった。 ロングステイ財団事務局長、根崎さんの挨拶 フィリピンでロングステイヤーを対象としてビジネスを展開する賛助会員の出展準備、右の写真は介護施設アモーレの里を経営する岸田さんと賛助会員の古堅(フルゲン)さん(左) 賛助会員でアンヘレスにペンション「フレンドシップクラブ」を経営する根本さん  退職ビザの概要はどこのHPでも見れるが、いざ実際にビザを申請しようとすると、色々判らないことが出てくる。今回の講演及び勉強会ではそのような部分にスポットを当てて解説したが、以下にその原稿を公開する。 フィリピンセミナー 退職ビザ手続きに関するFAQ 2009年5月18日 志賀和民 1.無犯罪証明書の取得について  現在、無犯罪証明書については従来のNBIクリアランスだけでの申請認められておらず、日本の県警で取得する必要があります。県警に申請するとき、パスポート、住民票、戸籍謄本のほかに、無犯罪証明書の使用目的を示す証拠として、記入済みの退職ビザ申請用紙の提出が求められます。  さらに、本来、この無犯罪証明書を外務省、フィリピン大使館に持っていって認証してもらわなければなりません。しかし、この認証は大変な手間を必要とするために、PRAは、後付で提出するという約束(Affidavit of Undertaking)とNBIクリアランス及び無犯罪証明書(未認証)の提出でビザを発行しています。これはPRAが入管の要求に対して行っている苦肉の策といえます。なお、無犯罪証明書は開封すると無効になるので気をつけてください。  交通違反や軽微な事件等で警察に厄介になったことがあったとしても、送検されない限り、無犯罪証明書への記載はされないそうです。また、長期間経過した軽微な事件も時効で記載されないそうです。もしそのような身に憶えのある方は、申請時に県警に問い合わせてみてください。 […]

ロングステイ財団主催のフィリピンセミナーに参加2009年5月24日


 2月19日、ロングスティ財団の山田部長及びフィリピン観光省東京支局の横山チーフ一行が来比され、PRAを表敬訪問した。山田部長とはPRA時代に色々コンタクトはあったもののお会いする機会がなかった。そのため、今回の  訪問の情報を得て、PRAで面会することをお願いして了解いただいた。 PRAの入り口で皆さんと挨拶して帰ろうとしたら、山田部長もPRA営業のノエル部長も、そうはいかない、PRAリンガットGMとのミーティングに出席しろ、と無理やり中に連れ込まれてしまった。   ミーティングではリンガットGMがMr.Shigaを連発していた。多分はじめて会う人々に色々質問されて緊張していたのだろう。私の助け舟が必要だったようだ。また、山田部長の方も私の解説が必要な場面もあり、思わずPRAジャパンデスクとして働いていたころを思い出した。 皆で記念撮影。左から3番目が山田部長、その隣がリンガットGM、横山チーフ、そして右端がノエル部長だ。

ロングステイ財団とPRAのミーティング2009年2月20日



 12月11日フィリピン退職庁(PRA)のクリスマスパーティがボニファシオ・グローバル・シティで開催された。この後、クリスマスパーティはタガイタイ、セブ、ダバオなど各地で開催され参加するPRAのオフィサーはフィリピン全国周りをすることになる。マカティ市のシティバンクタワー29階にある PRAの受付では写真の二人のフィリピーナが新人ながら必死に世界各国の退職者のお相手をしている。  今回はトラディショナルな民族衣装を着て参加することとなっていたが、ほとんどの客は無頓着で、PRAのスタッフだけが皆民族衣装に身を固めていた。  会場の外、パーティ会場の入り口では民族舞踏が披露されていたが、ひとしきり挨拶が終わった後、ステージで民族舞踊が披露された。この手の舞踊を見る機会はなかなか無いので、各国の退職者は興味深く鑑賞していた。  民族舞踊の後は当地の結婚式さながら、著名人であり、PRAの顔でもある元国家警察長官のゼネラル・アグリパイ会長がそれぞれのテーブルを回って記念撮影をしていた。  我が相棒は皆との記念撮影では飽き足らず、しっかりとアグリパイとツーショットにおさまっていた。  昨今、PRAのメンバーを退会する退職者が多く頭を痛めているとそうで、アグリパイ会長も必死に笑顔を振りまいていた。しかし29階の受付を新米二人にまかせきるなど、退職者へのサービスが何か、どうすれが退職者が満足してフィリピンに滞在し続けるか、もっと真剣に考えたほうがいいと思うのだが、余計なお世話だろうか。

フィリピン退職庁クリスマスパーティに参加2008年12月15日


 7月4日(金)、フィリピン退職庁(PRA)の第23回創立記念パーティが催された。PRAは退職者ビザを発行する機関で、日本を始めとする中国、韓国、アメリカ、イギリスなど世界各国の退職者に退職後の人生をフィリピンですごしてもらい、フィリピン経済に寄与してもらうことを推進する政府機関だ。PRA のトップはゼネラル・アグリパイという元フィリピン国家警察(PNP)の長官を務めた著名人だ。  この日はPRAの職員のほか、銀行などの協力機関、フィリピン在住の各国の退職者を招待し、年に一回の顔合わせのパーティだ。場所はマンダルヨンのランカスタースイートというコンドミニアムのメザニン(中2階)で、聞いたことも無く、まずその場所を探すのに一苦労した。駐車場も少なく、大きなパーティを開くにはどう見ても適しているとは思えない。会場も狭く、入り組んでいてなぜこんなところで開催したのだろうかと疑問に思い、PRAの職員に聞いてみると、MRT(電車)の駅に近く職員が帰るのに都合がいいからだという。そもそもPRAは毎年会場を代えるのでいつも場所を探すのに苦労する。どうも地理に疎い退職者のことは二の次のようだ。  翌日、とある退職者から私に抗議の電話が入った。パーティの通知が来ず、知らなかったというのである。しきりに文句を言っていたが、私に言われても仕方がない。私はもはやPRAの職員ではないのだ(私はかつてPRAに2年間コンサルタントとして勤めていた)。考えてみると退職ビザを持っている私にも招待状は来なかった。ただ仕事がら多くの退職者の住所に事務所の住所を使っているため、招待状の存在を知っていたのだ。PRAとしては退職者の便宜を図ることに傾注はしているものの、どうもやることがちぐはぐで、所詮フィリピンの役所の域を出ることは困難なのだろう。とかく文句の多い各国の退職者の目から見ると PRAは一体何をやっているのだという批判が絶えない。

フィリピン退職庁の創立記念パーティ2008年7月8日



雇用促進のための特別ビザ SVEG(Special Visa for Employment Generation) 1.SVEGとは フィリピンにおける雇用促進のために、フィリピンで10名以上のフィリピーノを雇用している会社において社員の雇用、昇進、解雇等の実行を行なう地位あるいは権限を有している外国人に与えられる非移民ビザ。配偶者と18歳未満の未婚の子供を同伴することができる。   申請が許可されると暫定特別ビザ(Probationary Special Visa)が与えられ、10ヶ月経過後、再度申請することにより、SVEGが与えられる。ただし、このビザは10人の雇用等の申請時の条件が満たされている限り有効なビザで、条件を満たすことが出来ないと更新出来ない。そのため年次報告の義務を有する。   2. 資格 SVEGを有している限り、下記の条件を継続的に満足していること […]

フィリピン暮らし ビザ SVEG


特別投資家居住ビザ(SIRV) (SPECIAL INVESTOR’S RESIDENT VISA) SIRVはBOI(Board of Investment)で発行されるが、条件は75000ドルをフィリピン株式に投資すること(現状ではコンドミニアム等への投資は認められていない)。年齢制限は21歳以上なので、35歳未満でSRRV(退職ビザ)が取れない人に好適だ。また、配偶者と21歳未満の未婚の子供の同伴が可能で人数に制限がない(SRRVは2名まで、3人以上は一人当たり15000ドルの追加定期預金が必要)。 株式投資は、上場会社に投資するのが承認されやすいが、株式の売却はBOIが承認が必要なので、簡単に売り買いができず、塩漬けになる。そのため、ブルーチップと呼ばれる、価格が安定し、高配当を望める会社に投資するのが一般的だ。 ステップが複雑なのでSRRV(退職ビザ)より、かなり時間と経費がかかるが、申請料は返って低めだ。また、SRRVのように年会費(360ドル)がないので、維持費が少なくて済む。 手順は下記の通り。 日本での準備 ①日本からDBP(Development Bank of […]

フィリピン暮らし ビザ 投資家ビザ