KIANの誕生日は3月31日の年度末なのだが、ホリーウイークにタバコ市に帰郷した折に近所のかたがたを招待して、再度誕生会を催した。主催者である ジェーンによると先日のパーティは内輪のささやかなパーティだったとのこと。今回の誕生会はご近所のほかに、スコーターから100人近い子供達を招待し て、総勢150人のゲストによる盛大なものだった。
フィリピン一の問屋街デビソリアで買い集めた招待客(スコーターの子供達)へのプレゼント、一個10円、20円の品物が部屋中に並んでいる。さらに、こ の日、農場の2匹の子豚がいけにえとなったが、KIANにとっては知るすべもない。一匹はフィエスタとパーティには欠かせないレチョン、もう一匹はアドボ (しょうゆ味に煮付け)だ。
料理の準備は前日から始められ、ジェーンの姪の娘達はひたすら大量のチーズロール(棒状に切ったチーズを春巻きの皮で巻いて油で揚げたもの)を作ってい る。そしてパーティには欠かせない甘いスパゲッティ、ホッ・トドッグ(ソーセージ)、サンドイッチと続く。どれも安い食材で手作りだから、150人で食材 費はせいぜい、1万ペソ程度だろうか。それにギフト代やピエロの司会とやらで、しめて3万ペソ程度のバジェットで済んだようだ。たったの3万ペソと思うか もしれないが、これでも庶民にとっては大変豪勢なパーティなのだ。
スコーターから招待された子供達は行儀良くいすに座って出番を待つ。もちろん狙いは食べ放題の食事と、大量のお土産だ。ちなみにご馳走やお土産をやるの は誕生日を迎えた本人で、招待客は「Happy Birthday to you」の一言のお返しをするだけで十分なのだ。
道路サイドには子供達用のおやつが並んでおり、それを配るのは娘達の仕事だ。後ろの背の高いのが私の息子だが、娘達に混ざって一所懸命子供達におやつを配っていた。
スコーターからはジープで続々と子供達が到着する。一方、司会役のピエロも到着して、いよいよパーティの始まりだ。時刻は予定の3時を大幅にすぎて、そろそろ陽もかげりはじめて涼しくなり始めていた。
パーティの最初のプログラムは植樹式、20本ぐらいの果物の木を用意して農場に植えた。赤い服のKIANも興味深げに見つめているが、何をやっているかが分かるのは数年後のことだろう。
ピエロによる司会はとても楽しそうだが、当のKIANはこの日体調が悪く、終始泣き顔だった。たった1歳の本人にとって見れば、なんともありがた迷惑だったことに違いない。
それでも周囲の雰囲気に飲まれたのか、ぬいぐるみが登場すると、いたく興味を示していた。泣き顔も止んで、いよいよパーティの雰囲気になじんできたようだ。ちなみにパーティを取り仕切ったピエロのギャラは3000ペソ。3人でやるのだから、リーゾナブルと言える。
一段落していよいよ食事だ。150人ものゲストがいるので大量に用意した食物もまたたくまになくなっていく。お皿は竹で編んだ小さめのざるに紙を敷いた だけ、紙を代えれば何度でも洗わずに使える。紙がなくなったら、その辺に生えているバナナの葉を切って使う。至極合理的だ。
ファームハウスの庭いっぱいに幸せそうな笑顔があふれる。スコーターの子供達にとって食べ放題というのはめったにあるものではない。家にいるお父さんやお母さんに、この喜びを分かちあおうと、ポケットに食べ物をつめて帰る感心な子供達もいたそうだ。
お腹がいっぱいになったら、次はゲームだ。大量の景品付だから子供達の目の色が違う。KIANも参加しようと目が爛々として、口のへの字になっていた。 オレンジ色の包みは紐を引っ張ると袋が破れてお菓子がこぼれ落ちるようになっている。紐を引っ張るのはもちろんKIANだ。あとで聞いたらKIANもしっ かりとお菓子を掴み取っていたそうだ。
夕方になってきたら、パーティ会場の向こう、マヨン火山が雲の間に顔を見せ始めた。一方、子供達は椅子取りゲームなどに興じていた。
陽が落ちると子供達は引き上げて、大人達の飲み会が始まった。大量のサンミゲル・ライトが振舞われて、夜半未明までカラオケが続いた。私は9時過ぎ早々と耳栓をして眠りについた。