東京(駅)見物を終えていよいよ本命の札幌に向う。羽田空港から千歳空港への空の旅は私にとっても初めてのような気がする。学生時代の旅行あるいは出張で北海道や九州、あるいは四国にも足は延ばしたことはあるものの、当時は夜行列車が主体だったような気がする。なにしろ40~50年も前のことなのですっかり忘れてしまった。 瞬く間に千歳空港に到着して期待に胸を膨らませる彼らは、荷物を待っている間、まずは北海道到着の証拠をFace Bookに載せるため、写真撮影だ。 千歳から札幌まで電車で約40分、札幌到着でまずはFace Book用の写真撮影。ママ・ジェーンに仕込まれて久しいキアンは素直にポーズを取っているが、まだまだ赤ん坊気分のクッキーは知らん顔だ。一方、カーネルは荷物と格闘中で姿が見えない。 札幌在住の知り合いの方の出迎えでホットする一行。特に一人増えると運び手が荷物の数と一致するので大いに助かる。このときばかりはキアンも一丁前だ。 駅からさほど遠くないホテルモントレエーデルホフ札幌という長ったらしい名前のホテルに泊まった。普通に歩けば駅から10分もかからないはずなのだが、いてつく寒さの夜の札幌で一人あたり20kgの荷物での移動は苦行に近いものがあった。それでも無事にチェックインを終えて、いよいよ札幌の夜の探索だ。と言っても子連れで長旅で、すすき野というわけにもいかず、駅の近くのラーメン共和国に連れて行ってもらった。 どこも行列ができていたが、やっと待望のラーメンにありついてご満悦のキアンとクッキーだ。 ホテルに帰る道すがら降り出した雪を両手を広げて喜ぶキアン。雪降りに遭遇するなんてもちろん生涯初めての経験だ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その3札幌到着)2019年2月10日


早朝、成田空港から成田エクスプレスで東京に到着して、まず探したのは大量の荷物を預けるところだ。ロッカーのありかを聞いて行ってみても、全て使用済みのランプがついている。さらに地下にいくとびっくりするほど量のロッカー地帯を発見した。奥のほうにはまだ空きが大分あったので、ややこしい操作で戸惑ったが、 係の人に教わりながら なんとか三つの大型ロッカーに荷物をおさめることができた。これで身軽になっていよいよ東京見物だ。 東京駅と皇居か、あるいは原宿と明治神宮かと決めていなかったのだが、この日は日曜なのに人が多い、さらに日の丸が掲揚されている。しばらく考えてみて気がついたのが、今日は天皇誕生日だったのだ。恥ずかしながらこのことを失念していた。 これは、皇居に入ることが出来る滅多に無いチャンスで、原宿/明治神宮の線は消えた。カーネル一家も天皇を拝めるということは大変な名誉だろう。私自身も始めての経験になる。 東京駅の写真撮影が一段落して皇居の方向に進むと、大勢の人が行列をなしていたが、どうやらが天皇の参詣のために皇居に向う人の列のようだ。沢山の警官も交通整理に余念がない。 しばらく進んで小雨が降り始めたが、列は一向に進まない。このままでは札幌行きの便に間に合わないと察して行列を離脱することにして、丸の内をぶらぶらして東京駅に戻った。 東京駅のロッカー地帯に行って、再び大量の荷物を引き取って、これから山手線で浜松町、そして東京モノレールで羽田に向った。ロッカーはすでに使用済みで多くの人が列をなしていた。昼から東京見物の予定だったとしたらどうしようもないところだった。 大量の荷物を格闘しながら電車の乗り換えは容易ではない。最近でこそエレベーターやエスカレーターのない駅はないが、それがなかったらとっくにギブアップだった。クッキーも疲れてしっかりとお荷物となっている。 カーネル念願の東京見物も東京駅と皇居前で終わってしまったが、帰りの上野、秋葉原、アメヤ横丁などの下町見物に期待して欲しいところだ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その2東京見物)2019年1月20日



昨年7月(2018年)、札幌から来客を迎え、皆でドーシットホテルで食事を取った際、客から札幌の話を聞いて、にわかに札幌旅行の話が持ち上がった。フィリピン航空の札幌直行便の運航開始、さらには北海道地震がらみの復興割りなどのニュースもはっぱをかけた。せっかく行くのだから一週間くらいは滞在したい、北海道といえば雪、大通り公園の雪祭りも欠かせない、などと話は盛り上がった。カーネルもまだ見ぬ雪景色に思いを馳せた。 まずは、いつ行くのかが問題だが、カーネルはクリスマスあたりしか休暇を取ることができない。キアンの学校もクリスマス前から休みになる。そうなると12月23日の週しかないことになるが、 年末年始は航空券が高いので悩ましいところだ。 札幌直行便はまだないので、韓国あるいは東京経由とするかだが、結論としてはカーネルは日本に行ったことがないというので、東京経由、しかも行きと帰りに一泊して半日程度の東京観光を含めることにした。どこかの国の空港で数時間の乗り換え時間を過ごすよりもその方が私にとっても楽だろうという目論見だった。したがって、往復に4日かけて、札幌滞在はネット5日、合計9日、22日(土)出発、30日(日)帰還の日程を組んだ。 早速航空券を当たってみると、EXPEDIAのサイトで、マニラー成田/羽田ー札幌の往復で一番安いのが一人6万円足らず、5人で28万円程度と、年末にしては意外にもまともな値段だった。しかもLCCではなくてJALという豪華版だ。 東京見物は、成田と羽田を移動する際の空き時間を利用するので、行きは山手線一周と東京駅/皇居、あるいは原宿/明治神宮、帰りは秋葉原/アメヤ横丁を候補とした。行きも帰りも日曜でしかもアメ横見物はみそかとあって、大混雑が予想され、2歳のクッキー連れでいかがなものかと危惧された。一方、最終日の夜には、ジェーンの念願の”のぶ子さんとの会食”が実現できることになりそうだ。翌朝はスカイライナーの一番列車で成田に向かうので上野駅前のホテルに泊まることにしたが、年末のせいか安ホテルが一泊一室28000円もした。予算は10,000円なので大幅な超過だ。 札幌見物は件の客のアドバイスで、札幌に3泊(円山動物園、大倉山ジャンプ競技場、サッポロビール園、もいわ山ロープウエイ、小樽または苫小牧日帰り)、そして定山渓温泉に2泊して、最終日は翌朝、朝の便なので千歳に泊まることにした。宿の予算は朝食付きであらかた一泊一万円の予算に収まった。 東京は自分の生まれ故郷なのであらかた見当はつくものの、札幌は出張で2~3度行っただけで、観光地など、どこに行ったらいいのか、見当もつかない。私の役割は案内役だから、知らないでは済まされないので、インターネットを駆使して観光案内や地図を集め、一冊のファイルにまでなってしまった。 しかし、いざ旅行が始まると、飛行機の予約表と東京ー成田間の時刻表(行きは成田エクスプレス、帰りは京成スカイライナー)それにホテルの予約票以外は一切見ることは無かった。それでも旅行というものは事前の準備が楽しいもので、始まったら、必死でスケジュールをこなし、あっという間に終わってしまうものだ。しかし、旅行というものはチケットと宿さえ用意しておけば、後は、ぶっつけ本番で何とかなるものだとこの年になって悟った。 大量の荷物とクッキーというお荷物を抱えての日本旅行はさぞかし辛いだろう、とクッキーのヤヤ(子守)の同行を提案したのが10月だった。それから1ヶ月ほどして、にわかに現実味を帯びて、まずはヤヤのパスポートを手配することになった。しかし、身分証明書等の書類入手に手間取って、12月に入ってもパスポート発行の目処がたたず、ヤヤの同行の中止宣言をした。 しかし、12月の半ば、出発まで一週間を残すという段階で、パスポートが発行されてしまったのだ。ヤヤにとっては一生にあるかないかのチャンスで、彼女の期待が半端でないことはひしひしと感じる。そこでママ・ジェーンから、日本行きのビザは2~3日でなんとかするから緊急にチケットを手配せよとの号令がかかった。 早速、EXPEDIAのサイトにアクセスしてチケットを探してみたが、同じ日にJALでマニラー札幌を往復する便はあるものの、便が違う。クッキーのお守りをするのに同じ日といえども便が違うのでは意味がない。そこで行き帰りの便を個別に当たってみたが、ジェーン一家が予約した便はすべて満席で、ギブアップ。ママ・ジェーンもヤヤに対して、いい訳ができたので一件落着だ。 12月に入って荷物の準備にいそしんでいるジェーンに忠告をした。荷物は最小限にして、大型トランク一個、その他一人につき一つの手荷物とすること。成田ー羽田ー札幌ー羽田ー成田の移動にあたってクッキーを荷物とみなすと、大型の荷物は一個が限界で、指の痛みの持病をもつ私を期待してはならないと。 ジェーンはその指示に大いに反発して大型とランク3個が限界と耳を貸さない。ベッドの上に山のように積まれた衣類を全部持っていく気だ。どっかの有名女優でもあるまいに、毎日服を替えるつもりでいるらしい。それには防寒具まで含まれるからたまったものではない。 前日荷物の重さを調べてみると、それぞれ、20、25、30kgで、調べてみると国際線が25kg、国内線が20kgが限度だ。それぞれを20kgに押さえるように指示したら、量は減らさず、はみ出た分を別のカバンにいれて持っていくことにしたので、総数で10個を越える荷物になってしまった。 […]

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その1出発)2019年1月20日


1
いよいよ12月に突入し、街は俄然、にぎわしくなっている。デパートは買い物客でごった返し、道路は車で埋まっている。こんな時は家でじっとしているのが一番なのだが、どうしても外出せざるをえないのがクリスマス・パーティだ。 PRAとしてもこの行事は、GMの晴れ舞台なので欠かすことができない。今年もいつものPhilippine International Convention Center(PICC)で、12月14日(金)午後6時から開催されるとの通知が今日、パーティの一週間前にやっと手に入れることができた。 我が家としてはジェーン一家総出で参加することなるが、2歳を迎えたクッキーのはしゃぎようが今から目に浮かぶ。キアンとしても若い退職者のお子さんたちに会うのが楽しみだ。 一歳を迎えたばかりのクッキーはよちよち歩きで舞台に立った。 昨年の300~400名規模のパーティはなかなか豪勢だった 先日行なわれたマーケッター感謝パーティで舞台に上がって踊る2歳のクッキー 昨年のパーティの様子は下記のブログ参照。 PRAクリスマスパーティ開催 2017年12月16日  

2018年PRAクリスマスパーティへの招待2018年12月7日



肺炎を患って入院して以来半年を経過して、体力もおおかた元へ戻った。そして、去年古希を迎えた今、いつまでも現役でいたいという願いをかなえるために良いものを選んで口にするうちにたどりついた自己流精進料理を紹介したい。 毎朝の食事は体に良いものを求めている間にかなりボリュームのあるものになってしまった 上段左から順に 1.味噌汁:発酵食品の味噌は日本食材の傑作で欠かすわけにはいかない。味噌はなるべく高い本物志向のものを買うようにしている。具はわかめと椎茸で日本食材店で乾燥したものを買いだめしているが、椎茸やわかめが癌予防になるのではないかと期待している。 2.ご飯:ライスは極めて少量で生卵と納豆をかけて食べるが、卵は日本食材店で通常の倍の値段のものを買っている。フィリピン人は卵は生で食べないので、スーパーで売っているものは衛生管理が行き届いていない恐れがある。出来れば自家製の地鶏の卵を食べたいが、それは引退して農場で暮らすようになってからの楽しみにとってある。卵は完全食品の優れものだが、一昔前はコレステロールが多いから一日一個までなどという濡れ衣を着せられていた。ライスは生卵と納豆を食べるためのおかずのような位置づけだ。 3.ダランダン生ジュース:一年中飲めるわけではないが、すっぱいみかんの原種ようなダランダンはフィリピン産で農薬の心配もない。認知症予防に効果があるのではないかと期待して飲んでいる。 みかんの原種のようなダランダンはフィリピン産。そのまま食べるには今一だが、ジュースはすっぱみがあっておいしい 4.豆乳:しばらく忘れかけていたがふと思いついて飲み始めた。ローカル製もあるが甘みや味がついていて飲む気になれず、わざわざ日本製を買っている。いずれは大豆を買ってきて自家製の豆乳を飲もうと思っているが、農場では残念ながら大豆ができない。豆乳を飲み始めてから便通が劇的に改善して、毎朝、欠かさず大量の便が出るようになった。三食欠かさず飲んでいたら、少し腹が出てきたので朝食に限って飲むようにした。 5.日本茶:水代わりにいつも飲んでいるのが日本茶だ。テーブルにはポットにいれていつでも飲めるようにしている。 外で食事を取る時は、定食を取って、数人分の野菜や味噌汁、漬物を一手に引き受ける 下段左から順に 6.粉末ウコン:知り合いから自家製のウコンをいただいて小さじ一杯程度飲んでいるが、今のところこれといった効果は出ていない。個人差があるようで、息子は数日で劇的な効果が出たが、末期癌まで治してしまうというので根気よく飲み続けている。 農場で育ち始めた春ウコンと紫ウコン、約400坪の家庭菜園はウコンで埋め尽くすつもりだ 7.漬物:梅干とたくあん、それに最近はキムチも加えた。日本食の原点の発酵食品で胃腸を整えるという算段だが、梅干とたくあんは日本食材店でも欠かせない人気商品のようだ。梅干のすっぱさに顔をしかめるたびにクエン酸の効果を実感する。 8.納豆:いわずもがなの日本食の傑作だ。納豆の効果を記述すると1ページにもなってしまうが、日本食びいきのフィリピン人も納豆だけは手が出ない。納豆が大好きだったキアンも最近は手が出なくなった。問題は、日本食材店でよく品切れを起こすことだが、それだけ納豆は日本人の食卓には欠かせないということだ。 […]

自己流精進料理(朝食)の紹介 2018年9月2日


しばらくブログを休んでいる間に、退職ビザの発行が遅れに遅れ、2ヶ月近くかかるというていたらくだった。申請時にいつ発行されるかとPRAに聞くと20ー30営業日(4週~6週)と答えるが、それもうつろに響いた。要は時間無制限の完全な退職者でなければ申請できない状況になっていた。そのせいか、PRAで日本人を見かけることは、めったになくて、日本人申請者は激減している。実際問題、当社のとり扱い日本人は年初からたったの6人で、2010~2014年は40~50人で推移していたものが2015年から減り始め、半減、半減を繰り返している。 その原因は、 1.円安:一時1ドル80円が、現在の110円となると、2万ドルの預託金は160万円から220万円に跳ね上がって、40%近く増加してしまった 2.物価差:フィリピン経済は順調で、毎年6%程度の経済成長と供に物価の上昇に見舞われている。これが10年も続けば物価は1.8倍になる。一方、日本の物価はあいかわらず平坦で、これに円安110/80を掛け合わせると、なんと円換算のフィリピンの物価は3.3倍に跳ね上がって、10年前に5倍の物価差と言われていたものがせいぜい1.5倍にしかならない。これでは年金暮らしの退職者にとってわざわざフィリピンくんだりまで来て暮らすメリットがなくなってしまう。ただし唯一の救いは人件費は相変わらず業種によるが5分の一から10分の一を維持していることで日本の人手不足を考えると天国の様ではある。 3.発行期間:私がPRAで働いていた2004~2006年には5営業日で発行するとPRAは豪語していた。それが、2週間になって、しばらくして3週間、ここいらあたりが現役組の滞在の限度だった。それが昨年あたりから4週間(1ヶ月)の大台をこえて一気に2ヶ月という声を聞くようになり、現役組の申請者は途絶えた。発効日が日単位が週単位になってついには月単位で数えなければならなくなってしまったのだ。 円安と物価差はいくらあがいても致し方ないのだが、何故ビザ発行にこんなに時間がかかるようになったのかとPRAスタッフに聞くと、申請者が増えているのにスタッフの数は同じで書類がたまる一方、さらに入管は書類の審査を厳密にして、一体いつ書類が入管から戻ってくるかブラックボックスだと、わけのわからぬ言い訳をする。私に言わせれば、余計なルールを作って担当者の負担を増やしているだけで、要は顧客=退職者の視点に立った改善の姿勢がないからだ、といいたいのだが、そんな声はまるで、猫に小判、馬の耳に念仏だ。民間会社だったら競合相手に負けてとっくに倒産しているはずなのだが、それが親方日の丸で相変わらず中国人や韓国人、それにインド人で繁盛している。 しかし、当社のような日本人相手のマーケッターにとっては死活問題で、そのせいか、相変わらずPRAに出入りしている日本人は私くらいのもので、他社のSRRV部門は開店休業のようだ。ちなみに、本年度の当社のビザの取り扱い合計は現在、13名、そのうち欧米人が7人で逆転しており、発行待ちも日本人一名にたいして欧米人が4名だ。なぜ欧米人が最近になって急増したのかはわからないが、欧米人の退職者にそのことを聞くと、英語版HPを運営している相棒のジェーンはこの世界では、良い仕事をするマーケッターとして欧米で名が轟いているそうだ。そのせいか毎日のように問い合わせが来る。 7月10日(火)はパスコにとって記念すべき一日となった。その日は、どういうわけか3人の欧米人が同時に申請の手続きをしにやってきたのだ。オーストラリア人、カナダ人、それにイギリス人で3人は異郷で故郷の友に再会したように話が弾んでいた。それもそのはずでカナダ人もオーストラリア人もイギリスからの移民で、まさにグレート・ブリティン(大英帝国)を髣髴させる状況だったのだ。 3人の大英帝国人のビザ発行の予定としては1ヶ月強と見込んだのだが、3週目に状況をヒアリングしてみるとすでに最終段階のビザの貼り付けを終えてサイン待ちだという。結果として3.5週で発行の運びとなったのだが、意外な早さに地方でスタンバイしていた彼らがやってくるのに一週間待つ羽目になった。ここ10年以上、遅れる一方だったビザ発行が予測より1週間も早くなったことを称賛しようとPRAスタッフに話をしたら、「入管のお偉いさんが雨で外出できず、部屋に閉じ込められていたので早くサインがもらえただけ、たまたまよ、当てにしないほうがいいわよ」という冷めた返事だった。

退職ビザ(SRRV)の発行が早まっています 2018年8月17日



ママ・ジェーンが外出していると、もっぱら私の部屋で時間を過ごすキアンだが、最近テレビでアニメをやっているのをみていて、一つ目のキャラが出ていた。しばらく、見つめているうちに疑問がわいてきた。「なぜ人間はあるいは動物は目が二つあるのか、何故一つや三つではいけないのか」しばらく考えて一つではだめで二つなければならないのかわかった。三つではいけないのかは答えがでなかったが、早速キアンに同じ質問をしてみた。 久しぶりに一家で外出してご機嫌のクッキー、カメラを向けるとお決まりのすまし顔をして首を傾げる、ママ・ジェーンと一緒の髪飾りがユニークだ キアンは、なるほどという顔をして、早速回答して来た。「一つだと、それがだめになると目が見えなくなるが、二つあればもう一つの目で見ることができる」まあまあの回答だが正解ではない。しかし、質問の意図を解釈してそれなりの回答を出したことについて評価できる。これはきっと幼稚園のときに大量に買い与えた百科事典を日ごろ読んでいるせいに違いない。 大きく口を開けるのもクッキーの決まり顔だ それで片目をつぶらして、私の指を顔の前に立てて、つかんでみろと指示をした。キアンはつかむことができない。今度は、両目を開けてつかんでみろといったら、こともなくつかむことができた。要は目が二つあることで物体の距離ないし位置を把握できる、すなわち立体視ができるのだ。それだけでは一つ目小僧がいない説明にはならない。立体視が出来ないと何故この世に存在できないのか。答えは簡単で獲物を捕まえることができなくて飢えて死んでしまうので、目が二つある動物だけが生き延びているのだ。だから魚から昆虫まで世の中の動物といえるものはすべからく二つ目なのだ。 指付がかわいらしいが、なにか指すときに人差し指を使うのは本能のようだ しかし、ここで収穫だったのはキアンはもはや幼児ではなくて立派な少年に成長していることだった。先日、ヤヤが血相を変えて、タガログ語で私とキアンに何か訴えていた。誰か外にいて車がどうのこうのと言っているので来て欲しいという。そこで二人で降りていったらセキュリティガードがタガログ語で黄色いFJクルーザーが違法に駐車してどうのこうのと言っている。するとキアンが英語で、「その車のプレート番号は何だ」、ガードが番号を答えると、「それは車の前後についているのか、この家のFJクルーザーはまだプレート番号がないからそれは違う、誰か他所のものだ」と、堂々とよどみなく対応した。ヤヤと私は顔を見合わせて感心した。まさに大人顔負けの少年だ。この話をママ・ジェーンに話をしたら喜んで飛び上がらんばかりで、キアンも得意満面でその場の会話を早口で繰り返していた。 泣いたり笑ったりする表情は万国共通だがこれも本能なのだろう、しかし動物は何故泣き笑いしないのだろうか そして数日後、車の中で現在私のドライバーをやっているアランおじさんに同じ質問をした。しかし、彼からは何の答えも返ってこなかった。それでさらに矢継ぎ早に質問をしてみた。動物は何故耳が二つあるのか、何故水面は水平なのか、何故海には満潮と干潮があるのか、何故海には波があるのか、などなど、全く答えは返ってこなかった。ハイスクールで教わらなかったのかと問い詰めたが、学校では先生の話は全くうわの空で聞いていなかったというのが答えだった。フィリピーノは計算に弱いのは定評があるが、理科や社会も弱いようだ。しかし、子作りだけは上手で3人の妻との間で6人の子供をもうけているのがしゃくにさわる。キアンは子作りはそこそこでも算数や理科に強い大人に育って欲しいと願う。ところで三つ目人間が存在しないのは未来が見えるので、皆失望して自殺してしまったのではないだろうか。 昨日、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で六つの目をもつ世界一美しい蜘蛛(孔雀蜘蛛)が登場していた。この六つ目のおかげで視界が360度あるというのだが、六つの目で360度の物体の形や遠近を把握するという、脳の機能はいかほどのものなのか想像がつかない。しかもからだそのものの大きさが4mm程度というのだから脳の分子数は知れたものだろう。二つの目でさえややこしいのに世の中には想像を絶する世界があるものだ。ちなみにこの蜘蛛の美しさはメスを獲得するためのもので、求愛に失敗するとメスに食われてしまうのだそうだ。

動物は何故目が二つあるのか 2018年8月5日


年を取るとちょっとしたものにけつまずいて転びやすくなる。入り口の段差はもとより、道路のでこぼこ、数ミリのタイルの段差にけつまずいて転びそうになり、そのたびにヒヤッとする。これほどまでかと自分でも思うくらい大げさに体を投げ出して転んでしまう。これがもう少し齢を重ねると足や腰の骨を折って寝たきりになってしまうだろう。そうなると人生はお終いで自分も周囲にも不甲斐ない長々とした介護生活が待っている。クッキーを見ているとしょっちゅうすっころんでいるが、七転び八起きですぐに立ち上がって走り回っている姿がうらやましい。したがって年を取って一番の大敵は癌や糖尿病よりも転倒だと思う。 家で履いているサンダルはひょっとすると手のひらを下に折り曲げるように底の先が丸まってしまい、平らな場所でもつまずいて転びそうになる。はだしになった方が安心なのだが、スリッパをはかないとひっぱだかれるのが我が家の掟だ(キアンはスリッパをはかないで家の中を歩くとよくひっぱだかれていた)。私にとっては階段の途中ですっころんだりしたら骨折というリスクがあり、再起不能に陥ること間違いないが、それでも掟は破れない。 日本のデパートで買ったスリッパ、底が固くてちょっとやそっとで折れそうにないので気に入った  そんな矢先、先日(5月)に兄弟会に出席するために日本に行った際、孫娘の七五三の撮影会でデパートの中をうろうろしていて目に付いたのがこのサンダルだ。2000円程度してサンダルとしては高額だったが、その硬さが気に入った。底の周囲はそりあがっていて頑丈になっており、手で曲げることはできない。店においてあるサンダルといえば、そんな形が主流だったが、健康というか事故防止のために早速一足買い求めた。フィリピンに戻ってはいてみると極めて心地よくて、室内でひっくり返る危機に見舞われることはなくなった。それでもう一足買おうと近所のデパートに行ったが、いかにもという安物しかなくて形は似ていても底が柔らかくて役にたたない。 フィリピンのものは数百ペソで買えるのだが底が柔らかくで役にたたない  そんな折、サンタロサのアウトレット街、買い物のメッカにキアンの通学用の靴とサッカー用の靴を買いに行った。二足で5000ペソという予算にびっくりしたが、キアンの新学期用となると財布を紐を緩めるしかない。 サンタロサはマニラッ子の買い物のメッカ 2016年12月7日 Adidas Outletは5割引き3割引きはざらなので、いつも買い物客で溢れ返っている  自分では履いたこともないAdidasブランドの通学靴が2000ペソ、サッカーシューズは探し回って、なんと900ペソのものを見つけることができた。似たようなものが4000ペソもするのにどういうわけか900ペソという掘り出し物だ。キアンも履き心地に満足したようで、迷うことなく買い求めた。 キアンのAdidasサッカーシューズは格安900ペソで手に入れることができた  アウトレット街をうろうろしていてジェーンが教えてくれたのが、件のサンダルだ。確かに日本で買ったサンダルと一緒で履き心地も良い。しかし、なんと5000ペソを越える値段だ。まさかサンダルに一万円強とは、日本で一緒に買った革靴の倍もするではないか。底には「BIRKENSTOCK Made in Germany」と得意げに書いてあり、ジェーンによるとブランド物で健康に良いという。ブランドなどどうでも良いが、たかがサンダルに5000ペソ払う馬鹿がどこにいるのかと思わずつぶやいた。しかし寝たきり生活の防止に役に立つとあれば、5000ペソの投資も高くはないかという考えも浮かんできた。結局、ジェーンは、いずれ半値で買えるからと店を後にした。しかしさすがドイツ、世界にとどろく商品を開発するものだが、日本で買ったのもこれをまねたものだったのだろう。しかし、これまたさすが日本でオリジナルとそん色ない品質で価格は五分の一だ。ちなみにフィリピン製の価格は十分の一だが役立たずだ。 […]

5000ペソもするサンダルとは一体何者なのか2018年8月5日



ブログへの登場はしばらくなりを潜めているが、相変わらずいつも私と行動をともにしているキアンだ。そのキアンに大いなる試練がやってきた。 今年は新学期が7月から始まったが、キアンもいよいよ3年生だ  先日、親しくしている札幌の退職者の誘いがあり、冬の北海道家族旅行が現実化しつつある。はじめはキアンと二人だけの日本行きのはずだったが、パパ・ママに加えてクッキーまでが付き添うことになって、総勢5人の大旅行となってしまった。パパカーネルの長期休暇取得とキアンの学校休みの都合で、年末クリスマスをはさんで一週間の旅程を組んだ。年末はさぞ航空チケットが高いだろうと検索してみるとエクスペディアでマニラー札幌、往復5万円/人・程度で買えることがわかった。格安とまでは行かないが年末にしてはオンの字だ。しかし、9月10日から運行されるはずのPALの直行便は見当たらず、乗り換え時間を含んで14時間とはいかにも辛い。しかし、2日がかりでゆっくりいけば、乗り換え時間を利用して、韓国、台湾、あるいは東京も見物できるという息子のアドバイスで、結局東京経由で行くことにした。それでも同じ5万円少々だから返って得な気がした。日本に行ったことがないカーネルのたっての願いで往復は早足で東京見物も組み入れることになった。ママ・ジェーンの念願のママ・のぶ子さんとの夕食会も実現するかもしれない。 7月6日PRAの創立記念パーティ、18歳未満お断りのはずだったが、PRAのユニフォームに身を包んだキアンは当然のごとく参加した  一方の私の肺炎での入院をきっかけに家族全員の肺のレントゲン検査を行った折、キアンが結核に感染しているという疑いがあって、予防のために薬を3ヶ月飲むように医者からアドバイスされていた。しかし、キアンは錠剤を飲み込むことが出来ず、液体の薬にしたが、それも血液を飲んでいるようで気持ちが悪いとどうしても薬が飲めないでいる。一見、まったく健康で、そんな心配はないと思うのだが、医者は執拗に繰り返して、鉾をおさめない。そんな心配を抱え続けるのもいやなので、「このままでは、日本の入管に入国を許可されないから、なんとしてでも薬を飲んで憂いを取り去ろう」という提案をした。キアンもそれには納得しているようだった。 7月20日札幌の客の農場視察に同行してレガスピ空港に降り立ったキアン、客先接待係の面目躍如といったところだ 金曜の夜、遅く帰ってきたママジェーンとパパカーネルの特訓が始まった。私は、寝てしまっていたので、その様子を聞いたのは翌日、ピアノにキアンを連れて行ったときのことだった。早朝寝起きに携帯を見ると「キアンの罰として私との食事、パソコンを禁止する」というメッセージがママ・ジェーンから入っていたので、キアンは薬を飲むことができなかったのだと予測された。10時過ぎキアンを起こしてピアノ練習に行く準備をさせると腫れ目のキアンはなんとなく元気がない。夕べはこっぴどく叱られて泣き寝入りしたらしい。 農場からの帰還の飛行機の中でくつろぐキアン。私と一緒にいるときがキアンの最もくつろげる瞬間だ。出発前、ジェーンが同行すると言ったら、キアンのがっかりした様子に笑ってしまった  すったもんだの挙句に果てに結局キアンとのランチの許可が下りて恒例の樹海での食事となった。キアンに夕べのことを聞くと、やはり錠剤を飲み込むことができず、パパ・カーネルに壁に向かって立っていろ命じられたとのこと。また、「ママが怖い(I’m scared of mommy)」としみじみつぶやいていた。同席したジェーンの兄、アランもあまりにキアンが可哀想なので止めに入って、ようやくキアンへの折檻が収まったとのこと。キアンは、私にしがみついて甘えていたが、自分が愛され守られているという実感を感じようとしていたのに違いない。 7月22日デュシットホテル、パントリーのビュッフェに招待されて、大盛りの料理におどけるキアン、食べ放題のアイスクリームも無常の喜びだ  問題は、キアンが大きめの錠剤をどうしても飲み込めない、という単純なものだ。これは物理的に飲み込めないのであって、単なる物理現象であり、子供の責任ではない。だったら飲めるように工夫してやるのが親の責任であろう。それをあたかも悪さをした子供を叱るように折檻するというのは全くの見当違いだ。マット運動や鉄棒ができないからといって先生が子供を張ったおしたり壁に立たせたりするだろうか。何故出来ないのか、できるようにするにはどうしたらよいのか教えるのが先生の役割だ。その辺は、日本的発想かも知れないから、ジェーンに兄としてじっくり話して欲しいとアランに頼んだら、横で聞いていたキアンが「僕はわかる、I understand」とすかさず口を挟んできた。彼の側に立っている人がいると言うことを認識して心がめげてしまわないよう祈るばかりだ。 […]

薬が飲めないからといって何故折檻されなければならないのか 2018年8月5日


PRAの催し物はいつも突然声がかかるのが通例だが、今朝、今回のツアーの幹事と思しきスタッフから、8月2日(木)のコレヒドールツアーに参加して欲しいと声がかかった。私としては何度も行っているし、キアンは学校を休ませるわけにはかないから、やんわりと断ると、知り合いの退職者に声をかけて欲しいと懇願する。参加者が若干名不足しているらしいので、ブログで声をかけるので連絡を待って欲しいということで納得してもらった。 コレヒドールといえば第2次世界大戦の遺跡がそのまま残っていることで有名な観光スポットで、興味がつきない場所だが、詳細は下記のブログを参照して欲しい。 コレヒドール島訪問 2010年8月4日 バラックと呼ばれる兵舎が延々と続く 巨大な大砲がそこかしこに置かれている 巨大なトンネルは日本軍の駐屯所だった 以下はPRAの案内、明日中に予約を入れて参加して欲しい。集合場所のサンクルーズのターミナルはMOA(モールオブアジア)の至近距離だ。 Good day! It is with great pleasure […]

PRAのコレヒドールツアー参加の誘い2018年7月30日