ブコ・ジュースといえば、未熟のココナッツの実のなかの液体であり、まるで天然のスポーツドリンクだ。しかも純天然でほのかな甘みはあるもののシュガー・フリーの優れもので、のどが渇いた時の水分補給に最適だ。最近、昼食時に3個分ぐらい飲んでいたが、その後、血糖値を計ってみると200を越えている。原因はブコジュースとは限らないのだが、少し、控えめにすることにした。一個、30ペソで、飲み物としては必ずしも安くはないが南国ならではの健康飲料だ。ちなみにインターネットで検索してみるとセレブの飲み物だそうで、美容やダイエットに良いとある。これを日本で飲むとしたら輸送費だけでも大変なものになるから、確かにセレブでもなければ飲めないだろう。 ブコ・ジュースはココナッツを殻のまま運んできて、注文があるとその場で割って、中の液をビニール袋に入れてくれる。さらに殻の内側にはうっすらと実が付き始めていて、ゼラチンのようなとろみがあって、これがまたおいしい。ビコールの農場には捨てるほどなっているので、水代わりに飲んでいるほどだ。ちなみにココナッツは果物としては、フィリピン最大の農産物で東の横綱、西の横綱がバナナ、大関としては、パイナップル、パパイヤ、マンゴあたりだろうか。 我が家のコンドミニアムの前の道路でブコ・ジュースを売っているクヤ・ブコ(ブコ兄さん)。マニラでは最近この手の屋台を見かけることが多いが、フィリピンの中間層の健康志向のあらわれだろうか 殻を割って液を出した後、殻についているゼリー状の実をすくって入れてくれる、これがなんともいえない舌触りで美味だ 農場には十数年前に100本ほどのココナッツの苗を植え、今では、次から次へと実り一年中収穫ができる。まさに無肥料、無農薬の完全食品だ クヤ・ブコの店の隣にはバナナやさんがいつも店を出していて、一房、100ペソ程度で無農薬の完熟バナナが手に入る。売り子に産地を聞くとダバオだと言う。ダバオのあるミンダナオ島では米資本のDoleなどが輸出用のバナナを栽培しているが、輸出用=高品質というイメージからついたとっさの嘘だろう。当方にとって見れば、輸出用=農薬まみれ、で、とても口に入れる気にはなれない。ジェーンの話では、バタンガスあたりから来た代物で、こんなちゃちなバナナでは輸出できないが、これこそが本当のバナナだと言う。 無農薬完熟バナナが一房100ペソ程度だ 最近ちょっと凝っているのが、ピリナッツだ。これはビコール地方のピリ市が由来とされ、ビコール地方の特産品だ。インターネットで調べてみると、これがピーナッツ以上の奇跡のナッツらしい。マニラではなかなか手に入らないので、ビコールの農場に行った時は大量に仕入れてくるのだが、すぐになくなってしまう。それを例の日韓食材店・テッペンで発見したのだ。通常は殻から出して、キャラメルをかぶせたり、にんにくで炒ったり、あるいは単に炒ったりして売っている。しかし、テッペンで見つけたのはまだ殻に入ってままで、まさに天然のままだ。これが返って高価で、一袋280ペソもする。中身を出したら、片手でもてるくらいで、100ペソもしないはずだ。しかし、このナッツを殻から出すのが大変で特殊な道具を使って殻を割るのだが、外からつぶそうとしても、ペンチで挟んだぐらいではつぶれない。殻から出すのに一苦労で、そう簡単に食べきれないから、健康的なのかもしれない。 しゃれた袋にいれて珍しさを全面に出したパッケージで、一個一個にメッセージが印刷されている 昔、クエートに家族で駐在していたとき、季節が良くなると砂漠に三稜石を拾いに行った。その石が、まさにピリナッツにそっくりな形で、長年の間、風で3面が削られて、こんな形になる自然の奇跡と言われていた 胡桃が硬いというが、胡桃なんて比較にならない頑丈な殻だ 殻にのこぎりで刻みをいれて、そこに鉄のへらをいれて、ぐいと殻を中から開くというすご技だ ビコール地方の名物ということで、農場に50本ほどピリの苗を植えたが、台風が来るたびにやられて、なかなか収穫というほどまでにはいたらない このほか、日本でも売られているアボカドが奇跡のフルーツとされている。果物としては珍しく、脂肪分が豊富で、しかもこの脂肪分は不飽和脂肪酸で、コレステロールや血糖値をあげる心配はない。しかも、植物繊維やビタミンEやCも豊富で、ギネスに「最も栄養価の高い果物」として認定されているそうだ。美容、ダイエットさらには老化防止にも効果的で、健康志向に最適な果物だ。農場でも良く実るので、ピリナッツはあきらめて、アボカドを大量に栽培して、日常的に収穫できる様にしようと考えている。また、アボカドは動物には猛毒なので、鳥に食べられてしまうという心配もないので、農薬無用のまさに奇跡的な果物なのだ。アボカドの季節が来ると、やはり路上の屋台で売っているので、毎日のように買い求めて、家中で食している。 農場から送られてきたアボカド、小粒だが大変美味だ。かなりの大木に育った、たった一本のアボカドの木が数年前、台風でたおされてしまい、幼木を植えなおして、最近、ようやく収穫ができるようになった

奇跡の天然食品、ブコジュースとピリナッツそしてアボカド 2017年10月15日


2017年10月25日は、いよいよクッキーの一回目の誕生日だ。キアンは一歳になるまでに11回も登場したのに比べて、今年に入ってからは先日のソレイアだけでは、いかにもさびしいので、今回、一歳までの写真をまとめ掲載することにした。また、近々、一歳の誕生日を挙行することになると思うのだが、ママ・ジェーンはワラン・ペラと連れない返事をしている。キアンの誕生日会はあまりにも大げさで、1万や2万ペソもあれば、内輪の質素な誕生日は可能であろうし、万聖節で田舎に帰った折に、農場の子豚をレチョンにでもして振舞えば、立派な誕生会を開けると思うのだが、見栄っ張りのジェーンには質素という言葉が我慢できないらしい。なにしろ、一歳の誕生日はバプティスマル(洗礼式)とともに人間社会に出る一歩で、18歳のデブー(デビュー、成人式)、そして結婚式と、人生の3大イベントであるのだ。 KIANの誕生会 2011年4月2日 KIANの誕生会 パート2 2011年5月14日 生まれたばかりの赤ん坊は食って寝て糞小便をたれるだけでどうしようもない存在だが、その世話をすることが両親の喜びだ。それでも半年くらい経つと人間らしい仕草をはじめ、さらにヤヤとママ以外の人間も認識するようになり、かわいらしさが出てくる。最近では私が部屋をのぞくとうれしそうににこっとして、出て行く時は手を振ってくれるようになり、時にはダダを叫ぶときもあるようだ。 まだお座りも出来ないが、可愛らしさの出てきたクッキー、月齢4ヶ月  ホリーウイークの農場ではまだまだ赤ちゃんだった、月齢5.5ヶ月ママに抱かれて、おもちゃをかじる様子は、これまた赤ちゃんの域を出ない、月齢7.5ヶ月 お座りも出来るようになってクヤ・キアンと戯れることが多くなったが、キアンをたたくことがあって、キアンは Very Bad Girlと称する、月齢9ヶ月 口をとんがらせる仕草など、色々な表情を見せはじめたクッキー 女の子らしい衣装を着せてもらってポーズをとるクッキー クッキーがお化粧にチャレンジ、ただし、カメラの画像編集機能を使った加工だ ちょっと鼻水が出ているが子供っぽくなっている ほとんど泣くことはないクッキーだが、なにが気に食わないのかのどちんこまで見せて大声でないている、月齢10ヶ月 […]

もうすぐ一歳の誕生日を迎えるクッキー 2017年10月15日



約2年ぶりにボニファシオのキザニアをキアンのお供をして訪問した。この日は月曜でたまたま学校が休みなので、どこかに連れて行ってほしいというキアンのたっての願いで、ボニファシオのマインドミュージアムに行ったのだが、月曜は休館日で閉館。しかたがないのでキザニアに行ったのだが、それが正解だった。前回は、幼稚園の遠足でつきそったのだが、新規開館直後だったので、平日とはいえ、幼稚園や小学校の団体客で大混雑、一時間待ちの行列が当たり前で、楽しむどころの話ではなかった。5歳だったキアンも7歳になって、キザニアの社会生活体験実習にいたく興味を示し、かつ待ち無しなので、おおいに満喫できて、10時から午後4時の閉館まで、一日が瞬く間に過ぎてしまった。味をしめたキアンの願いで、それからしばらく、毎週、キザニアに通うはめになってしまった。 キザニア(KIDZANIA)訪問 2015年10月4日 この日、真っ先にチャレンジしたのが、前回、一時間待ちで涙の呑んだ消防訓練だ。 消防訓練は人気なので、順番待ちがあるが、一番で待っている間も、瞬く間に周囲の子供達と友達になってしまった 消防とはなんぞや、何が大事なのか抗議をうける。左に立っている子は智恵遅れの子供のようだが、係の人たちは親切に対応している 講習を終えていざ消防車に乗って出陣だ 放水はキアンにとっては単なる水遊び、得意とするところだ 赤いランプで燃え盛るビルに放水する 小さな街を走る消防車、救急車もある   次はアイスクリーム工場での体験学習、キアンの狙いはアイスクリームの試食だ。 記念撮影にポーズは欠かさない 説明を真面目な顔をして聞き入るキアン これが楽しみだったキアン   […]

久しぶりにキザニア訪問 2017年10月15日


先日、ママ・ジェーンが、キアンの成績が急降下して、現状のクラスを維持するのが難しい、下位のクラスに編入されるかもしれない。そうなると、成績の悪い子ばかりのクラスで、キアンの将来が危ぶまれると危機感を露にしていた。そして取った処置が、当面、パスコン・携帯ゲームの禁止だ。私にも決して携帯を貸し与えないようにと懇願してきた。私としては、携帯よりも一体何故キアンの成績が悪くなったのか、現状を把握して、適切な指導を行わなければならないと思うのだが。一方、ママ・ジェーンは公文をやめて算数など多教科をこなす家庭教師を雇うべきと主張していた。 8月某日、Intramuralsの集まりに駆り出された。Intramuralsとは何度聞いてもよく意味がわからなかったが、要は生徒の家族が集まって行う年中行事のようだ パソコンゲームを禁止されたキアンは、私の部屋に来て、やることがないからトランプゲームをやろうと言い出した。数年前、ゲームは、遊びながら子供の思考、計算能力を育てると、碁、将棋、トランプなどを奨励したのだが、今一乗ってこず、忘れ去られてしまっていた。碁や将棋をこなすには程遠かったが、トランプは、お互いの手から一枚のカードを出して、大きさを競うという単純な遊びにキアンは興味を示していた。久しぶりにそれをやろうというのだ。そこで私は、2枚づつ出して、そのトータルで勝ち負けを決める、あるいは一枚づつ出してその差を計算できたらキアンの勝ちとするルールを追加した。以前は、公文を思い出すからいやだと言っていたが、今回は計算に自信があるのか、OKとなった。 ダンスの代表に指名されてうれしそうなキアン そこで、発見したのが、キアンは一桁の足し算や引き算が暗算ですらすらとこなすことができず、もごもごと指を動かして考えていることだった。公文では3桁の足し算や引き算をやっていて、それなりにこなしていたはずなのだが。この状況は何なのか、この3年近い公文での苦悶は一体なんだったのかと、愕然とした。一方、学校の宿題を見てくれと頼まれたが、なんと二桁と一桁の掛け算ではないか。公文で引き算に明け暮れているうちに学校では九x九(ただし1から5まで)が始まっていて、二桁にまで突入していたのだ。私は、一桁の掛け算は出来るものと仮定して、二桁と一桁のの掛け算の仕組みを教科書に添って教えたが、キアンはわかっているのかわからないのか、謎だった。それでもあとで、キアンは、ママ・ジェーンにダダ(私)の教え方はわかりやすくて、Very Goodとお世辞を言っていたらしい。 入場行進では旗持ちを任された それで、気がついたのは、足し算と引き算は公文でいやというほどやっていたので、学校でもそこそこの成績を維持していたものの、掛け算に到って、しっちゃかめっちゃかになってしまったらしい。そこで、成績の急降下がおきたのではないかと推測された。やはり、学校の進捗にあわせてキアンを鍛えないと、いずれ算数嫌いになって、数字から逃げまわる人生になってしまうことは必定と思われる。両親の感想はは、小学校のときに算数の授業についていくことができず、授業中、わかったような顔をしながら授業が終わるまで我慢しているのが辛かったと、いうもので、そんな思いをキアンには味あわせたくないという。多分、フィリピンの国民の大多数がこんなものなのだろう。それでも学校をちゃんと卒業しているのは、フィリピン人特有の有事への対応力なのだろう(要はカンニング)。   小学生全員が集まって自慢の衣装と踊りを競う そこでキアンのコメントも手伝って白羽の矢が当てられたのが私だ。例え、公文を続けても、学校で劣等生では致し方ないので、即刻公文を退学させることにした。これにはキアンは大賛成で、私としては週二回、学校の出迎えと公文でのアテンドがなくなるのはかなり楽になる。そうなれば、出迎えは水曜のピアノのレッスンだけになる。ピアノの方は、かなりの成果が出ているので全員、継続に異議はない。 10月1日はFamily Dayとやらで、やはり親が参加する催し物だ、この日は2年生だけだった ドンボスコの算数の教科書は440ページもあって、2年生は二桁ないし3桁の数字の概念から始まって、その足し算と引き算、さらに現在、一桁の掛け算(5まで)と簡単な二桁x一桁まで進んでいる。そしてさらに割り算、分数までカバーしている。非常に懇切丁寧な教科書で、これに添って進めるだけで、自然に理解を深めることが出来そうだ。しかし、大多数の子供達は、この辺で暗礁に乗り上げて、数字から一生目を背けることになることは容易に想像される。この2年生で習う四則演算が今後のキアンの生涯を決める正念場となりそうだ。 いならぶ屋台になんとラーメンのちょうちんがあったが、ただの飾りつけらしい […]

キアン、ついに公文をギブアップ 2017年10月13日



リトル東京からパソンタモ通りを通りひとつ、北に向かったマービン・プラザの一階にあるのが樹海とテッペンだ。ここが刺身や寿司を提供する和食レストラン、並列するテッペンは韓国と日本の食材を提供する食材店だ。ためしにKIANを土曜のピアノのレッスンの後、午前11時ごろに樹海に連れて行ったら、大のお気に入りとなってしまった。一方、水曜のピアノのレッスンの後、午後4時ごろ行ったら、開店は5時なのであきらめようとしたら、KIANは一時間でも待つと言い張るくらいのものだった。しかし、一時間は辛いので、他を探しても、この近辺で開いている和食レストランはほとんどない。仕方無しに新宿ラーメンで食事をしたが、私のお目当ての刺身が貧弱で、しかも高い。しかし、KIANはエビフライさえあればいいので、それなりに満足していた。この時間に開いている店は、あとは、日本食材店と併設されている山崎くらいなものだ。ここはどう見ても一杯めしやで、定食とどんぶりもの、それにラーメンが中心で、安いのでかなりはやっているものの、刺身や寿司のメニューが無いのが、私にとっては致命的だ。 ビルは老朽化が進んでおり今一だ ちょっと奇妙な名前で、初めは足を踏み入れる気にはならなかった マービン・プラザと言えば、1989年、私がフィリピンに乗り込んで子会社運営を乗り出したときに入居したビルだ。当時からすでに老朽化していたビルだから、現在は相当なものだが、マカティスクエアの賑わいの拡大のおかげで、一階はかなりの店が入居している。当時、賃料は平米70ペソ/月、約900平米をかりて、総額63000ペソと、広めのコンドミニアム一ユニット分にしかならず、隔世の感がある。一年足らずで出て、近くの新築のクイーンズ・コートに移ったが、当時はこの界隈の和食レストランと言えば、新宿ラーメンともう一軒くらいしかなくて、4年間、毎日新宿ラーメンで昼食をとったいた。そんな新宿ラーメンも20軒近い和食レストランに押されてローカル客主体の和食もどきレストランに成り下がってしまったのがさびしい限りだ。 開店直後で客はまだいない店内。平凡だが落ち着いた店内 そんな中で、現在、ひときわ光っているのが樹海だ。平凡な店作りだが、刺身と寿司のメニューが豊富で昼食、夕食時はいつも満員だ。比較的安いので、ローカルの客も多い。大分前に、選挙の前日、ここだけはアルコールを提供していたので、行ってみたら、ローカル客であふれかえっていたことがある。ちなみに選挙前日は、アルコール類の販売は禁止となっている。 KIANはこの座敷がお気に入りだ  掘りごたつの中で携帯で遊ぶのがKIANの癒しのときだ KIANの注文するものと言えば、どこへ行ってもエビフライ定食だ(260ペソ)。そして私は、刺身の5点盛(430ペソ)と決まっている。それにビール2本(60ペソx2)で、それにシニアシチズンの割引があってで、700ペソ程度と、極めて安く済むのがありがたい。 私の定番は刺身の5点盛、ライス無し KIANの定番、エビフライ定食 食事の後は、テッペンで韓国製のアイスクリームを買うのがKIANの楽しみだ。テッペンは新鮮野菜や、乾燥わかめ、お茶、削り節など業務用の大袋入り食材もおいてあり、他の日本食材店とは一線を画している。 毎日新鮮野菜が入荷する 広々とした店内には韓国と日本の食品が並ぶ 品定めをするKIANだが、買うのはいつもアイスクリームだけだ […]

和食レストラン樹海と日本食材店テッペンの紹介2017年10月8日


9月末の日曜日、突如としてソレイアで宿泊の話が持ち上がった。カーネルに招待があったそうで、家族で一泊することになったのだが、一部屋だけなので、私とヤヤは夜は自宅に戻って寝て、翌朝、再びホテルを訪問することになった。ソレイアと言えば、マニラ湾沿いのエンターテイメント・シティ(モール・オブ・エイシアの南)に4年ほど前に最初に開業したカジノで、現在は、シティ・オブ・ドリームとOKADAマニラと並んでエンターティメント・シティの3大カジノ・リゾートの一角をなしている。開業当初、PRAの招待があったのだが、私には話しがなくて今まで訪問の機会がなかったものだ。 シティ・オブ・ドリームやOKADAマニラのような人目を引く派手さはないが庭園やプールなどカジノ以外でも十分楽しめるリゾート・ホテルだ シティ・オブ・ドリームやOKADAマニラと比べて度肝を抜くような装飾はないが、落ち着いた感じで、目玉のプールが格別で、KIANの楽しみだった。一方、生後、11ヶ月目のクッキーにとってははじめての外泊で、心中はいかに? 入り口も十分高級感を感じさせる 広大なカジノエリアも開放的だ 親子連れへの配慮も欠かさない 中庭に面した部屋はさすが五つ星ホテルの面目躍如で、開放感がすばらしかった。また、ゆったりしたCRにびっくり。 直接庭には出れないが大きなガラス窓で仕切られ、開放感がある KIANは早速、2週間ほどここですごしたいとダダをこねる クッキーも普段と違うことは感じているようでご機嫌だ 一般のホテルの客室ほどもあるCRにびっくり バスタブ初体験のクッキー 5階の部屋からそのまま中庭に抜けてプールに出られる。そこからはマニラ湾の眺望と、隣接する工事中のOKADAマニラも見える。 中庭がなかなかのものだ 遠方にそびえるOKADAマニラ、敷地的には隣接しているようだ […]

カジノリゾート・ソレイア(Solaire)訪問 2017年10月8日



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兼ねてより、婚活、子活に励んでいた息子(次男)についに待望の子供(男の子)が授かった。ここ数年、フィリピンで婚活に精を出していた息子だが、齢40歳を越え、少々焦りの色が見えていた。昨年の9月半ば過ぎより、意中のフィリピーナと同棲を始めて子作りに励んでいたのだが、昨年末、妊娠し、9月16日、めでたく出産の運びとなった。息子は6月から8月末までは日本で仕事をして、帰国早々のおめでたでタイミング的には絶妙だった。名前はRhio、日本名は璃音(リオ)とする予定で、フィリピンでも日本でも通用する名前だ。 数日前にヌエベエシアの実家から親子でマニラに戻ってきて、一昨日の夜、初対面となったが、まだまだいわゆる赤ちゃんで2~3ヵ月後には一皮むけて可愛くなるのだろう。しかし、息子にとってはすでに、いとも可愛いらしい。誰に似ていると聞かれてもなんとも判断できなかった。 頭につけた赤い十字は「神のご加護を」という意味らしい しかし、9月早々に帰国した息子にとって、きわめてはらはらどきどきの展開となった。赤ちゃんの母親とはまだ婚姻手続きをしていないので、未婚の出産となる。したがって父親として認知が必要だ。フィリピン式であれば、出生証明にサインさえすれば息子の子供と認められて息子の姓を名乗ることが出来る。その後、結婚したとしても、正式書類としては婚姻証明と出生証明があるだけなので、手続きとしては完璧だ。しかし、日本の場合は、戸籍というものがあるので少々ややこしい。両親が結婚していれば、自動的にその戸籍に入るが、そうでない場合は、どちらかの戸籍にはいることになるのだろうが、詳しいことは経験してみないとわからない。 未婚でしかも両親の国籍が違うとなると、一体どうなるのか、息子の依頼で大使館でヒアリングをして重大なことが判明した。息子は、いずれ結婚して、子供の認知届を大使館に提出して戸籍に入れればよいと軽く考えていた。しかし、戸籍に入れるということと日本国籍を取得するということは別問題であり、並大抵の手間ではないというのだ。大使館のHP参照「認知された子の日本国籍取得手続き 」 ジェーンの二人目の子供クッキーとご対面。もうすぐ一歳のクッキーだが、いつのまにか赤ちゃんを卒業していた 両親が未婚の場合、フィリピン人の母親から生まれた子供は自動的にフィリピン国籍となる。したがって、後日、日本人の父親が認知をしたとしても別途の国籍取得の手続きが必要となる。一方、出生前、すなわち胎児認知をした場合、子供は出生と同時に日本国籍を取得することができて、単に大使館に出生から3ヶ月以内に所定の出生届けを提出するだけでよい。その場合、その子供の戸籍謄本が別途作られるとのこと。要は日本人として出生するかそうでないかという大きな違いがあるのだ。 そこで息子は9月早々に帰国して、10月半ばの出産予定までの間に胎児認知をする段取りをすることにした。息子はフィリピン帰国後、早速、妻(ただし未婚)の田舎に行って所定の書類をそろえて大使館に胎児認知の手続きをした。しかし、なんと妻の親の名前が出生証明と独身証明とで食い違っていると拒否されてしまったのだ。単にミドルネームがあると無しの違いだけなのだが。そのため、再度、4時間かけて妻の実家にとんぼ返りをして書類を整えに行った。証明書を発行するNSOは車で一時間半のカバナツアンにあり、身重の妻を伴って息子の苛立ちは想像に難くない。 キアンには二人目の兄弟できたようなものだ そのことが、祟ったのか、その日、妻が破水してしまい、急遽、帝王切開で出産しなければならないはめになった。とんぼ返りでマニラに戻って大使館に駆け込んで胎児認知の申請を行って受理されたものの、同時に、妻からすでに出産したとの連絡があった。出生証明の日付をずらせないものかなど頭をかすめたが、すべての努力が水の泡となってしまった。さらに結果的に出生後に胎児認知を行うという嘘の申請をしたことにもなって、子供が生涯日本国籍を取得することが出来ないのではないかという危惧も心を痛めた。こうなったら、胎児認知届の取消、婚姻手続き、認知届け、そして国籍取得手続きと、じっくり取り組んでいくしかないが、お役所仕事にため息をついていた。 いずれにせよ、40過ぎで子供を授かった息子の喜びは尋常ではなくて、マニラと田舎を4時間かけて毎日のように往復するのもいとわないようだ。

フィリピンで孫が誕生しました 2017年9月29日


兼ねてから取りざたされていた禁煙令が大統領の肝いりでいよいよ7月23日から全国的に施行された。すべての公共施設で禁煙、もちろん駅や公園、道路も含まれる。かつてマカティ市でも市条例として禁煙令が施行された歴史はあるが、いつのまにかうやむやになり徹底とは言い得ないものだった。しかしながら違法薬物の取り締まりで見せ付けられたように、世界的なブーイングにもめげない大統領の強硬姿勢からか、市民は唯諾々と従っているようだ。麻薬のように超法規的殺人とまではいかないにしても高額の罰金を課しており(一回目が5百~千ペソ、2回目が千~5千、3回目で5千~1万)街からタバコが一掃されたという感がある。 それでかわいそうなのがタバコの一本売りで生計を立てていたベンダーだ。街の人が集まるところにはかならずタバコが売りがいた。、20本入りのタバコ一箱を60ペソで仕入れて、一本、6ペソで売り、一本あたり3ペソのもうけ、一日、100本(5箱)売れば300ペソの収入となり、一家の生計をまかなっていける。禁煙令以降、これらベンダーは街から姿を消した。ちなみにサリサリやスーパーではタバコは売っているはいるが、その場では禁煙となっている。 究極の小売、タバコのばら売りは公共施設のいたるところで見られた レストランなどで喫煙室を設ければ喫煙可能だが、そこは換気装置のほかに他のエリアとは壁とドアで仕切られ、かつトータル面積の20%以下という厳しい規制があり、簡単に喫煙席を設けるわけにはいかない。どこかの国では店のオーナーの反対などで規制がとんと前に進まないがフィリピンは大統領の鶴の一声で実行され、何の騒ぎにもなっていない。レストランや喫茶店ではどこも誇らしげに禁煙の看板を掲げている。 レストランの前には誇らしげにNo Smokingの張り紙がある。ちなみにRA9211とはRepublic Act 9211の略で法令第9211号という意味 それで喫煙場所を探してみると、ほとんど見当たらない。先週、ようやく我が家のあるコンドでその看板を発見した。「Designated Smoking Area」と書かれた立て札を見て、キアンに「Designated」とはどういう意味かと聞かれて説明に窮した。日本語であれば「指定喫煙所」となるのだろうが。一方、日本たばこ産業(JT)は22日、フィリピン2位のたばこメーカー、マイティの資産を総額526億ペソ(約1200億円)で買収すると報じた。こんな状況のフィリピンでタバコ事業を買収するなんてどぶに金を捨てるようなものではないのか。いくら日本の市場が縮小されつつあるとはいえ、フィリピンは縮小どころか消えてなくなりそうな状況なのだ。 Designated SMOKING AREA(指定喫煙所)という立て札を見ることはめったにない 一方、ドテルテ大統領の施策が矢継ぎ早に発表されている。8月5日「国立大学の教育無償化」、ハイスクールまではすでに無償なのだが、国立大学まで無償にするというのだ。巷では、そんな予算はないとか、大学に進む子弟はすでに富裕であり、格差是正どころか格差を広げるだけとか意見があるが、とにもかくにも英断であることには間違いないだろう。 […]

禁煙大統領令施行される 2017年8月20日



9月3日追記 土曜のピアノレッスンの折にクリークサイドをのぞいてみると、そこかしこで開店の準備をしていた。そこには得意げに9月4日にオープンとの貼り紙があった。一方、通路沿いには大量のごみが出してあったが、あわてて退去する際、部屋に残して行ったごみを処分しているらしい。 4日(月)のオープンのために準備がいそがしい、中はきれいに片付いている 通路イ沿いには大量のゴミ袋がごみ収集車を待っている ドテルテ大統領への抗議の横断幕もはずされてホテルの看板が顔を出し、開店の準備におおわらわだ 高級カラオケ店、ファラオの看板もきれいに磨かれており開店まもないようだ ついに9月9日、ファラオも開店にこぎつけた 8月26日追記 恒例の土曜のピアノ教室のためにマカティスクエアを訪れたが、なんとマカティスクエアの裏手にあるマクドナルドがオープンしているではないか。たったの10日足らずのうちに当局とネゴをして再開にこぎつけたようだ。さすがアメリカの大資本あるいは運営会社が政界にコネがあるのか、やることが早い。 めでたく再開したマクドだが裏手の駐車場は相変わらず立ち入り禁止だ   8月16日(水)、この日は午後3時にキアンをドンボスコでピックアップしてマカティスクエアの音楽教室に連れて行ってピアノのお稽古をする日だ。最近はウオルターマートの地下駐車場は満車で駐車できないことが多く、さらにマカティスクエアとリトル東京の間の道路沿いの駐車場も工事のために閉鎖され、もっぱらリトル東京の裏手、クリークサイドの駐車場に停めるようにしていた。 この日はピアノのお稽古、学校の教科書、それにピアノの楽譜を背負ったキアン この日、どういうわけかクリークサイドの通路沿い、駐車場の反対側にはトラックが隙間なく駐車しており、一台がやっと通過できるスペースしかなかった。空きの駐車場がなくて中ごろまで進んだところで対向車が来て、にっちもさっちも行かなくなってしまった。バックするにしても狭い通路を100mほどバックしなければならない。当方にくれていると駐車場が一台分空いた。しかし、駐車場の反対側には車が駐車していて、車庫入れをするには狭すぎる。警備員の案内で試みたが、私の力量ではどうしようもない。幸い、駐車中の車のドライバーが運転を代わってくれて、うまく駐車させてくれて難を逃れた。 19日、突然の退去を終えて廃墟となったクリークサイド、この狭いところに左側が駐車場、右に路上駐車の車が並び、立ち往生してしまった […]

クリークサイドに突然の退去命令 2017年8月20日 8月26日、9月3日追記


8月30日追記 30日のマニラ新聞によると、ウーバーは29日、LTFRBに一億9千万ペソの罰金と、登録運転手に対しては約3億ペソの補償金を支払い、営業停止処分の解除され、2週間ぶりに営業が再開された。庶民にとっては、これで一安心だ。 8月27日追記 27日のマニラ新聞によると、LTFRB(運輸省陸運事業認可調整委員会)はウーバーに対して、一億9千万ペソの罰金を支払い、さらに所属の全運転手に対して営業停止期間一日当たり約1995万ペソの経済的補償を行えば処分を解除すると通告した。これに対し、ウーバーは一千万ペソの罰金を支払うと申し出ていたので、その差は数十倍に上り、ウーバーがこの通告を受け入れるのかどうかが注目されている。ちなみにウーバーの登録車数は6~7万台に上るそうで、ペナルティは一台あたり3000ペソ、補償金は300ペソで、法外とは言い難い金額だ。 8月15日早朝、日本からコンドミニアムの契約に来られた方のサポートでボニファイシオに出かけるためにジェーンにウーバー(配車アプリ)で車を呼んでもらおうとした。ところがその日の新聞を見るとウーバーに一ヶ月の営業停止命令が出たというニュースがマニラ新聞の一面で報じられていた。ジェーンは別の配車アプリのグラブで呼ぶからと大丈夫と言うので、とにかく外で車を待つことにした。ところが、外ではSRRV申請中の奥さんがたまたま日本から来ていたご主人と必死に携帯をいじくっている。空港に行く前にボニファシオの住居を見に行こうと思っているのだが、一時間待ってもウーバーもグラブも捕まらないという。 注 ちなみにウーバーとはアプリをスマホにダウンロードすることにより、近くを走っている空車が地図上に表示され、自分の居場所と行き先を入力すると値段が表示される。気に入った車をリクエストすると、何分で来ると返事が来る。無線タクシーのようなものだが、自社のタクシーだけではなくて、ウーバーに登録している全ての車が対象となる。一方、この車はタクシーではなくて、一般の車で空いている時間にアルバイトで送迎サービスをしている人達だ。 最近は、運転手がいないので自分で運転して出かけるのだが、どこに行っても駐車場を探すのが一苦労だ。先日も日本大使館でちゃんとお金を払って駐車したのに車を牽引車で持っていかれそうになって、あわてたことがある。この時は駐車係の人が必死に私を探しに来てくれて、事なきを得たのだが(駐車場料金20ペソのところをいつも50ペソ渡しているので、その恩返しをしてもらったのだが、まさに一宿一般の恩義だ)、これからは遠出はタクシーで行くことにした。そこでジェーンにウーバーのアプリをダウンロードして、わたし用に車を呼べるようにして欲しいと頼んだ。一方、これを機会に手持ちのソニーのタブレットにシムカードを入れてスマホを使えるようにして、ウーバー専用に使おうという決意もした。ジェーンは案外すばやくアクションして、自分用にウーバーを使ってみたが、早い、きれい、親切の三拍子そろったサービスと感激していた。 いつ来るかわからない空車タクシーを当てもなく待つなんてことは、すでに時代遅れでウーバーやグラブは生活必需品といっても過言ではない。昔の言葉で言えば、白タクだが、GPSとインターネットそれにスマホという最先端の技術を組み合わせ、しかも空いている車(資源)を有効活用するというすぐれもののビジネス・モデルだ。ソフトバンクの孫さんが中国の配車アプリの会社に数百億円の投資をしたというニュースがしばらく前にあったが、世界的な潮流といえるようだ。一説にはウーバーの企業価値はGM(アメリカ最大の自動車会社)をも上回る600億ドル(6兆円)を越え、空いている車をシェアするという観点から車の必要台数が激減し、世界の自動車産業の未来をゆるがしかねない代物だともいう。民泊という言葉ももてはやされているが、民泊サイトのAirbnbも同じくスマホ時代のホテル業界を揺るがしかねないすぐれもののビジネスモデルだ。 しばらくして、ジェーンもギブアップして、流しのタクシーを拾って行けと連絡してきたが、こんな状況で流しのタクシーがつかまるわけないし、覚悟を決めて自分で運転していくことにした。しかし、ボニファッシのどこなのか、駐車場はどこにあるかなど、必死の覚悟で出発した。コンドの入り口では件の奥さんとすれ違った。窓を開けて聞いてみると、ご主人はなんとかグラブを捕まえたが、ボニファシオはあきらめて空港へ直接向かったとのこと。ならば、私はボニファシオに行くので一緒にどうぞと、期せずして私もカー・シェアリングをやることになった。 久しぶりに訪問したボニファシオは新たに完成した高層ビルが異次元の様相を見せていた ちょっと遅れて目的地に到着して契約は無事に済んで、食事のあと、マカティの建設中の契約物件の下見、それに銀行に寄って、一日の予定を完了した。自分で運転するという選択肢がなかったら一大事だった。電車が4本しかなくて車に頼らざるをえない交通インフラの貧弱なマニラではウーバーやグラブの配車アプリは、まさに交通インフラの要といえるものなっていて、自家用車を減らして交通渋滞を解消する切り札といえるだろう。 LTFRB(運輸省陸運事業認可調整委員会)はタクシーなどの公共交通機関の営業免許を発行する役所だが、その命令に違反したということで営業停止命令を発行したとのこと。一方、グラブは違反をしていないとのことで営業停止を免れたそうだ。ウーバーはきっと上納金の支払いが滞らせたので、当局の怒りを買ったのではないか、あるいは、ウーバーの出資者にはノイノイ・アキノ前大統領の妹の女優、クリス・アキノが名を連ねているためというのが巷のもっぱらのうわさだ。 久々に一ドル51ペソ代をつけて、円も一万円が4600ペソ代に回復して日本人退職者には一息ついた その辺の役所の都合はどうでも良いのだが、命令の翌日、即刻実施というのは庶民を混乱に陥れるだけで、クリークサイドの立ち退き問題(クリークサイドに突然の退去命令)にせよ、どうみても庶民の都合はまったく蚊帳の外いうのが癪にさわるところだ。この辺の政府の姿勢が昨今のペソ安につながっているのではないかという気がしないでもない。ジェーンは黙っていれば、ばれることはない、だからウーバーも使えると豪語していたが、警官がアプリを使って車を呼んで、やって来たら現行犯逮捕をするというのだから、たまったものではない。しかし、一旦ウーバーの利益を被った庶民は黙ってはいないだろう。早期にウーバーが営業を開始できる日を願ってやまない。  

ウーバーに営業停止命令 2017年8月20日  8月27日、30日追記