2016年の祝日が大統領府より発表になった。 1月1日(金)元日;金土日と3連休となるが、前年の12月30日(水)がリザールデイ、31日(木)大晦日で休みなので、あわせて5連休となる。しかもさらに、12月24日(木)クリスマスイブ、25日(金)クリスマスで、土日を含めて4連休となっており、この間の平日28日(月)と29日(火)をはさんで、11日間、休む人が大半だ。 2月8日(月)旧正月;チャイニーズニューイヤー、2月6日(土)、7日(日)とあわせて3連休となる。 2月25日(木)エドサ革命記念日;26日(金)ブリッジ休みをとれば4連休となる 3月24日(木)、25日(金)ホリーウィーク;ほとんどの国民が故郷に帰るので21日(月)から25日(金)の1週間は仕事にならない。19日(土)から帰省ラッシュが始まって、27日(日)まで9日間、マニラは空になる 4月9日(土);勇者の日;もともとバターン死の行進と呼ばれた第二次世界大戦の記念日 5月1日(日)メイディ;2日(月)が振り替え休日になる可能性がある 6月12日(日)独立記念日;13日(月)が振り替え休日になる可能性がある 8月21日(日)ニノイアキノディ;22日(月)が振り替え休日になる可能性がある 8月29日(月)英雄の日;27日(土)、28日に(日)と合わせて3連休となる 11月1日(火)万聖節オールセイントデイ;前日の10月31日(月)がブリッジ休みとなり、10月29日(土)、30日(日)とあわせて4連休となる。ほとんどすべての人々は墓地に行って先祖に再会し一晩を過ごす。 11月30日(水)ボニファシオディ; 12月24日(土)クリスマスイブ、12月25日(日)クリスマス;来年のクリスマスは土日にかかり、休みがない 12月30日(金)リサールディ、12月31日(土)大晦日、1月1日(日)正月;さらに年末年始の3日間の休みは金土日と最小限で、毎年10日~2週間の大連休となるのだが、めったにないことだ。 このほかにイスラム教のラマダンと犠牲祭の2日間の休日があるが、日程は未定だ。さらにこの年は、大統領をはじめとする統一選挙があるので5月に休みがはいる。 […]

2016年の休日 2015年9月6日


家族付き合いともいえる賓客のぶ子さんを久しぶりに迎えて、先々週の8月21日Ninoy Akino Day(金)の3連休を利用して季節はずれの農場行きとなった。ちなみにジェーン一家は、先週、この8月31日英雄の日(月)の3連休を利用して再び農場を訪問した。なにかビジネスの用事があるそうだが、車で出かけていったので、きっと、新車FJクルーザーのお披露目も兼ねていたのだろう。KIANは、ことのほかハッピーだったが、帰る日になって、農場に残りたいと泣いてすがったそうだ。そしてとりあえず、マニラに戻って、私を連れて農場に引き返すという約束で帰ってきたそうだ。だから、そんなことを知らない私と話が通じず、一悶着があった。近い将来、KIANと農場で一緒に暮らす日が来るかもしれない。 行きの飛行機(フィリピン航空)はプロペラ機で、その巨大なプロペラに興味をそそられた。 農場に着いたら、早速KIANと農場を一回りして、動物たちに挨拶だ。 アヒルは常においしい卵を供給してくれる。ヤギは、将来、乳を搾って、ミルクやチーズを賞味するつもりだ。   闘鶏の飼育場では大きなグアバの実を発見。闘鶏の実演には遠くから眺めている。 母豚と三匹の子豚がいたが、KIANは豚小屋に入りこんで、あんなに怖がっていた母豚にタッチした。 黒豚には2頭の子豚が生まれ(左写真の手前)、合計13頭に増えていた。 牛の赤ちゃんも大分成長した。KIANもさすがにカラバオには近づけない。        果物や花は少々、端境期だったが、パパイヤはいつでもたくさん実をつけている。        食事は基本的にすべて農場の収穫で材料を賄う。この日は、のぶ子さん迎えたというわけで、マミーが腕によりをかけて、ビコールそして農場の名物料理をふるまった。のぶ子さんには、どこのレストランで食べるよりおいしいとほめてもらった。 […]

季節はずれの農場訪問 2015年9月6日



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8月24日、家族法の改正案が下院を通過した。これは外国人配偶者と離婚したフィリピン人の再婚を容易にするもので、これで消滅している婚姻に縛られて再婚ができない幾多のフィリピーナが救われることになるだろう。従来、仮に日本での離婚が成立していても、フィリピンでさらに裁判所の裁定がない限り、フィリピンでは既婚者と記録されており再婚ができなかった。ジャパユキさんの試練 2010年7月7日 それが、日本の裁判所が発効した離婚証明書をフィリピン大使館で認証し、それを提出すれば、再婚可能となるのだそうだ。詳細な手順は不明だが、フィリピンでの裁判は、15万ペソ程度のお金と半年の時間がかかるので、離婚して帰国したジャパ行きさんが手続きを行うことはまれだった。特に、偽装結婚で日本にわたり、その後、離婚手続きをして帰国したジャパ行きさんは、一生涯、結婚ができないとうとんでもない高い代償を支払わなければならなかった。彼女らは日本からは離婚を証明する戸籍謄本などを渡されて帰国するのだが、フィリピンで離婚を成立させるためのハードルが高すぎるのだ。 市長室で行われた結婚式。市長さんの署名で、婚姻証書が成立する そもそも、フィリピンには離婚という制度がない。これは世界中に二ヶ国しかないという時代錯誤の法律といわれているが、これにより、数多くのカップルが正式な配偶者とは別れた後、新しい配偶者とは事実婚で夫婦生活をしている。確かに、相続とかややこしい問題さえなければ、事実婚でも子育てや夫婦生活には支障はないだろう。 ただし、離婚に代わるものとしてアナルメントという制度がある。これは、この結婚が、そもそも存在していないと裁判所に訴えて裁判所の裁定で結婚を取り消すことができるのだ。しかし、それには数百万ペソの費用と数年の歳月が必要なので、財産のあるお金持ちの特権となっている。 教会で厳かに執り行われたジェーンの結婚式。ここでは牧師の承認で結婚が成立する 日本人がフィリピーナと仲良くなって、いざ結婚となると、何故かフィリピーナが躊躇することがある。その場合、ほとんどが、件のフィリピーナは過去の婚姻歴のために結婚資格がないのだ。特に日本帰りの場合は、ほとんどがそうともいえる。この結婚資格/独身証明はシノマ(Certificate of No Marriage)と呼ばれ、NSO(National Statistic Office)にて発効される。結婚をほのめかす彼女にシノマはあるかと聞いたら、敵はびっくりしてひっくり返るだろう。 日本人の場合は、戸籍謄本に出生から、婚姻/離婚、子供、死亡まで、すべて記載されているが、戸籍制度のないフィリピンの場合は、出生証明、婚姻証明、独身証明、死亡証明など、それぞれが独立の書類となっており、個人の履歴が把握しにくい。たとえば、結婚しようとしているフィアンセに子供がいるのかどうか、調べようがないのだ。ただし、どういうわけかその辺についてフィリピーナ決して嘘をつかず、堂々と子供がいると宣言する(聞きもしないのに)。 ジェーン夫妻は教会での式に4ヶ月ほど先立って、裁判所でも結婚式を行った。届出に使った結婚証明は教会のものか裁判所のものか定かではない […]

家族法の改正で外国人との離婚手続きが容易に 2015年8月31日


バリクバヤン・ボックスとは、海外の出稼ぎ労働者(OFW)がフィリピンの家族のもとに様々な物品を無税で送れる優れものの宅配便だ。大中小の段ボール箱にいっぱいの荷物をつめて、5000円から1万円、2週間程度玄関まで届けてもらえる。ちなみにバリクバヤンとは帰郷という意味だ。詳細は次をクリック(マニラ生活電話帳の広告)IMG_20150831_0002 一口に一千万人のフィリピン人が海外で働いているといわれているが、バリクバヤン・ボックスは、それらのOFWと国に残された家族をつなぐ大切な絆だ。免税範囲は、一箱につき500ドル以下、利用頻度は月に一回などと制限はあるものの、中を調べるわけでもないので、無制限に等しい。 これが、密輸や違法物品の輸送などにも使われていることが発覚し、税関が通関検査の厳格化を打ち出した。これに対して、中身が盗まれるなど、多方面から抗議が出て、翌日、大統領が開封検査を取りやめるよう税関に指示を出した。 これで一件落着だが、実は、このバリクバヤンボックスは息子も大いに利用している。しばらく農場に滞在していた息子は、フィリピンを故郷のように想い、日本には出稼ぎに行っているという感覚がある。だから、ビアンカにプロポーズして、いずれはフィリピンに家族を持とうと目論んでいる。 その息子が、ビアンカ攻略に利用しているのがバリクバヤンボックスだ。ダンボールボックス一杯に、お菓子、即席めん、缶ビール、中古屋で買った衣類、などなど、大量の物品を年に1~2度、送ってくる。これが届くと子供達は大喜びで、目当ての品を競い合って手にする。もちろん早い者勝ちだ。 息子から送られてきた食料品を独り占めにするKIAN、その後、ボックスの中で遊んでいたら、姉のキムに唇を奪われてしまった。 逆に、日本に何か送りたいがどうしたらよいかという相談をたまに受ける。書類などはEMS(郵便局の国際宅急便)やFEDEXなどの航空宅配便で、一通、1000ペソ程度、2~3日で届くが、お菓子などの日用品を送るのにはコストが嵩む。日通や佐川急便、クロネコヤマトなども進出しているが、こっちは駐在員の帰国にともなう引越しなどには利用するのはよいが、例えダンボール一個でも一般の貨物扱いとなって、宅配便のような手軽さがない。早く、バリクバヤンボックスのようなサービスを始めて欲しいと思うが、そもそもフィリピンから日本へ日用品を送るようなニーズはほとんどないのだろう。 以前、犬の血清を検査のために日本に送ろうとしたら、FEDEXなどの航空宅配便では扱ってくれなかった。そして、某大手運輸会社からは、一辺が20cm程度の発泡スチロールの箱、一個が、冷凍宅配で、10万円の見積もりが出てきて度肝を抜かれたことがある。

バリクバヤン・ボックス(ふるさと宅急便)2015年8月31日



退職ビザ(SRRV、Special Resident Retirees Visa)は、下記の特徴を備えた世界でも類のない万能ビザといえる。条件に応じて、1万ドル、2万ドルあるいは5万ドルの預託金が必要だが、この預託金の取り扱い関する明快な指針がないので、申請者にとって頭痛の種だ。そこで今回、この預託金をキーワードに退職ビザにまつわるルールや実務をまとめてみた。 (1)滞在期間に制限が無く、出入りも自由。フィリピンに滞在する義務もない。ただし、年会費360ドルを支払ってIDカードを更新する必要がある(代理可能) (2)出入国に当たって、再入国許可、出国許可、などの手続きは不要。さらにACR(外国人登録票)も不要(PRA発効のIDカードがその代わりをなす)。 (3)35歳以上であれば、2万ドルの預託金でほとんど無条件で取得できる。配偶者と子供(21歳未満未婚)の同伴が可能(合計2名まで、3人以上は追加の預託金が必要)。就労もできる(ただしAEP-就労許可証、取得のこと) (4)預託金は一定の条件のもとに使用することができる。また、ビザをキャンセルすることにより、全額が返却される(利子も若干付く)。 1.退職ビザ取得のために必要な預託金の条件 35歳以上、50歳未満の申請者の預託金;クラシックプログラムでは5万ドル、スマイルプログラムでは2万ドルの預託金が必要。ただし、介護、療養を必要とする場合(ヒューマンタッチプログラム)、1万ドルとなるが、月間、1500ドル以上の年金を受け取っている必要がある。 クラシックでは、預託金をコンド購入あるいは住宅の長期リースとして利用できるが、スマイルでは投資への転用はできない。 50歳以上の申請者の預託金;クラシック、スマイルプログラムとも2万ドル、ただし、年金を800ドル(単身者)あるいは1000ドル(夫婦)以上もらっている場合は、1万ドルとなる(クラシックプログラムの一部)。 投資の条件は(1)と同様。 年会費;預託金の他に年会費が必要で、同伴者2名までを含んで360ドル、ただし、3人目の同伴者は一名に付き100ドル追加される。条件が整っていれば、3年分の年会費を先払いして3年有効のIDカードを発行してもらうこともできる。そうすれば、3年間、何もしないでも、ビザは維持される。 これらの預託金は事前にフィリピンのPRA認定銀行に送金され、その証明書を申請書の一部としてPRAに提出しなければならない。その際、重要なことは、これが、海外から送金されなければならないということだ(日本あるいは香港、シンガポールなど)。フィリピンにある預貯金、あるいは現金を持ち込んで、預金したのでは認められない。ただし、以前、フィリピンに送金した外貨で定期預金を作った場合、送金先銀行から、それが海外から送金されたという証明書が出ればOKとなる。 […]

退職ビザ預託金の行方2015年7月30日


最近、ビジネスチャンスをうかがってフィリピンに滞在される若い方が増えてきた。不動産取引、英会話学校、コールセンター、日本語学校、人材派遣など、日本の会社あるいは個人との取引を仲介したり、サービスを提供する業種だ。ビジネスに当たって、会社を設立したり、個人的に活動したり、その形態は様々だ。 フィリピンでは、外国人の活動が制限され、ほとんどのビジネスでは、会社の60%の株式(マジョリティ)がフィリピン人に保有されていなければならない(土地の保有もこのようなフィリピンマジョリティの会社に限られる)。ちなみに小売業/レストランの場合は100%がフィリピン資本でなければならず、したがってすべからくフィリピン人の名前を借りて営業をしなければならない。当然のことながら、両者も代表者(社長)等は、フィリピン人となり、このことが多くのトラブルを生む原因になっている。 そうなると、日本人は、会社の代表として、あるいは、小売営業などでは経営者として表に出ることができない。会社組織の場合は、少なくとも役員として経営者の一角と占めることはできるが、小売業では、被雇用者として参画するのがせいぜいだ。そんな法的制限により、日本人が、裏でビジネスを切り盛りするという違法まがいの状況が発生してしまう。 また、一方、会社あるいは個人として政府に登録しないとビジネス行為を行うこと禁止されているので、不動産仲介などにおいて、個人的な活動でに利潤を得ることはできない(フィリピン人の間では、かなり一般的に行われているようではあるが)。ただし、個人の所有するコンドミニアムなどを賃貸する場合は、特に登録しなくても大目に見られているようだ。ただし、最悪、賃貸料にVAT(付加価値税)を課せられる可能性はある。 フィリピンで仕事をする場合、6ヶ月以内であれば、入管からSpecail Work Permit(SWP、特別労働許可証)を取って就労することができる(3ヶ月有効、一回に限り延長可能)。それを超える場合は、労働雇用省(DOLE)からAEP(Alien Employment Permit 外国人就労許可証)を取得する必要がある。さらに、AEPを取得して9gビザの申請中はProvational Work Permit(PWP 暫定就労許可証)が発行されるが、3ヶ月有効で延長は不可)。これは、フィリピンの会社に雇用される場合であるが、会社の経営に参画する場合も原則同じことだ。 これらは、フィリピンに滞在するためのビザ(査証)とは別物で、SWPの場合は、9a(入国ビザ/ツーリストビザ)でOKだが、AEPを取得して長期に就労する場合は、9g(Pre-Arranged Employee Visa 就労ビザ)などの長期ビザの取得が前提だ。ただし、この場合のAEP-9gは、フィリピン人では代替できない高度な技術、日本人でなければできない仕事(日本語の教師、和食の板前など)に限られ、誰でも取得できるわけではない。要は、フィリピン人の仕事を奪うような単純労働者の受け入れを防ごうという狙いだ。 […]

不法就労の落とし穴 2014年7月19日



子供のころ、車(初代トヨタ・コロナ)を父が購入し、家に新車がやってくる日、家の前の道路で心待ちにしていた。やがて、向こうの角から新車が曲がってくるのが見え、一同歓声をあげて新しい家族の一員を迎えたことを、今でも鮮明に覚えている。 KIANも新しい車がやってくるということは十分認識しており、当日は、親子でトヨタの販売店に車を引き取りに行った。うわさは耳にしていたものの、ある日、突然、7月中にトヨタFJクルーザーがデリバーされるとジェーンから聞かされた時はびっくりした。お金の相談は、全く無かったので、彼ら夫婦の勝手だが、どこからそんな金をやりくりしたのか見当が付かない。      車両価格は180万ペソ、優に500万円を超えるので、頭金だけでも100万~150万円はかかっただろう。それに月賦が4~5年間、4~5万ペソをはらい続けなければならない。給与レベルが日本の10分の一といわれるフィリピンでは、まさに家を買うほどの覚悟が必要なのだが、かれらの車に対する執着は並大抵ではない。 頭金の資金調達のためか、翌日、カーネルの友人が訪ねてきて、三菱のモンテーロを引き取っていった。5年乗って、73万ペソで売ったそうだが、新車価格は120万ペソくらいだったと思うので、いい値段だ売れた。翌日、彼らの部屋には無造作に73万ペソの現金が袋に入れておいたあった。 最近、ビザを取りに来る退職者が、はじめてフィリピンを訪問したが、街を走っている車が、きれいで高級なのでびっくりしたと感想をもらいしていた。まるで、どこか、アフリカか中南米の国のようにポンコツ車が排煙を上げて闊歩しているのではないかと思っていたが、BMW、ベンツ、ポルシェ、レクサスなどの高級車がそこかしこにあり、日本よりはるかに高級車が多いと。フィリピンと言えば、スコーター(スラム街)とスモーキーマウンテン、それに睡眠薬強盗と保険金殺人くらいのニュースしかないから、そう思っても無理はないかもしれない。 ちなみにFJクルーザーとは、4輪駆動でエンジンはガソリン4リッター、5速オートマティック、ミリタリー調の本格的SUVで、フィリピンで今、一番人気といえる、急増中の車だ。4ドアだが後ろのドアは外に取っ手はなく、中から開く観音ドアーというユニークなものだ。前のドアが開いていないと開くことができず、後ろのドアが真ん中のポストの役割を果たしており、意外とゆったり乗降ができる。 ちなみに街を走っている車は、三菱モンテーロ、トヨタフォーチュナー、ホンダCRV、それに欧米メーカー(BMW、ボルボ、フォード、クライスラーなど)や韓国(現代や起亜)のSUVないしFamily Carと呼ばれる3列シートの車が、半数を占めていると言っても過言ではない。道路冠水が頻発し、大家族のフィリピン人にとっては、これが重宝なのだ。 カーネルは職業柄か、ミリタリー調の車が好きで、できれば、ハマー、Jeep、ランドローバーあるいはランドクルーザーなどを欲しかったらしい。しかし、これらは一千万円を優に越え、さすがに逆立ちしても手がとどかない。そこで妥協したのがトヨタのFJクルーザーだったようだ。 KIANにとっては、派手な黄色のボディカラーが気に入ったらしい。子供達のアイドル、トランスフォーマーのバンブルビィーをイメージさせるからだとジェーンが説明する。翌日、KIANは、幼稚園にFJクルーザーで通園し、先生や園児に「My New Car」と得意になってお披露目したそうだ。私としては、日本からの退職者を乗せるにはちょっと気が引けるところだが。

新車が家にやってきた 2015年7月18日


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最近、食の常識が覆され、今まで見向きもされなかった当たり前の食品が見直されている。カカオ(チョコレート)、コーヒー、バナナ、パパイヤ、ナッツ類などなど、そして、その際たるものがココナッツ・オイルだ。日本でも、今やブームとなっており、その効用が、Yahooのサイトでも頻繁に取り上げられている。 一方、コレステロールや血圧の上限値が上げられ、しかも脂肪の摂取や塩分の摂取と関係がないという考えが主流になっている。このため、数百万の人々が高脂血症や高血圧から解放された。そのため、悪玉の塩や脂肪が無罪となるなど、今まで唱えられきた食の常識が見直されている。そんなときに注目を浴びたのがココナッツ・オイルだ。        先日、日本に帰った折、家族に持って帰ったのが、バージン・ココナッツ・オイルだ。一リットル380ペソ(約1000円)は安くはないが。日本では格安だ。さらに、そのココナッツオイルで作った石鹸は透明でいかにも自然の手作り石鹸だが、肌に優しいと評判の石鹸だ。 10年ほど前、アメリカではバージン・ココナッツ・オイルが高値で取引されており、フィリピンで小さな工場を立ち上げたいとアメリカ人の退職者が話をしていた。その時は、半信半疑で聞いていたが、従来、アメリカでは大豆やコーンの植物油を売り込むために、ココナッツオイルのパッシングが行われ、ココナッツ・オイルは毒物扱いをされていたそうだ。その結果、植物油で揚げられたフレンチフライやポテトチップの食べすぎで、肥満や糖尿病がアメリカそして全世界に蔓延した。ところが、その後、ココナッツオイルの有用性が見直され、逆にブームとなっていたらしい。ちなみにバージン・ココナッツ・オイルとはバージン・オリーブ・オイルと同様、実を絞っただけのもっとも自然な製法によるオイルだ。 フィリピンでは、米を栽培できない斜面など、国土の大半がココナッツの木で覆われていると言っても過言ではない。ご多分にもれず、我が農場でもココナッツの木が100本ほど植えられている。ココナッツの木は、肥料もやらずにほったらかしにしておいても、数十年間、一年中、実をつけ、捨てるところがないというすぐれものの木だ。しかも、強烈な台風がきても、実と葉を落とすだけで、幹は折れず、たくましく生き続ける頼もしい存在だ。 ジェーンの保有するレガスピ市の丘の上の土地から後ろを眺めると延々とココナツ林が続く。農園のココナッツの木は、10年目を迎え、たわわに実をつけている。 ココナッツの若い実は、ブコ・ジュースと呼ばれる透明の液体で、そのまま飲むことができる。ポカリスエットをあっさりさせたようで、まさに天然のスポーツ飲料といったところだ。さらに実を割ると、内側に柔らかなゼリーのような白い実がついており、スプーンですくって食すことができ、ほの甘く子供達のおやつの定番だった。しかし、最近は、ご多分にもれず子供達はポテトチップなどのジャンクフードを好んで食べている。 ブコ・ジュースを売る屋台は街のいたるところで見かける。1個25ペソ、20年前は2ペソだったがずいぶんと値上がりしている。田舎ではこのブコ・ジュースがソフトドリンクのかわりにのどをいやしてくれる。 ココナッツは十分熟すと茶色になり、中は白い硬い実が1cmほどの厚さになる。これを細かく砕いて、そまま料理に使ったり、あるいは、水を加えて絞ってミルク状(ココナッツ・ミルク)にして料理の味付けに使う。また、ココナッツ・オイルもこの実から取れる。南の国の料理と言えば、このココナッツ・ミルクで味付けるのが定番だ。 ココナッツの実は熟すると茶色になり、料理用のココナッツ・ミルクやココナッツ・オイルの原料となる。左の写真は熟して、芽を出しているココナッツの実、右は、マーケットでココナッツ・オイルを絞っている職人さん。 農場の面倒を見てもらっているマミー(ジェーンの母親)にバージン・ココナッツ・オイルが日本で脚光を浴びている話をした。身近にあり、日常、食しているココナッツが、奇跡の食品と聞いて、マミーはご機嫌だった。 その効能と言えば、心臓病、脳溢血、認知症、糖尿病、癌などありとあらゆる生活習慣病に有効で、おまけにインフルエンザやエイズ/肝炎などのウイルス感染、さらにはアレルギー疾患にも効果があるそうだ。さらに、ダイエットばかりでなく、にきびや老人斑などの肌の手入れいにも有効だそうで、特に石鹸やシャンプーなどの薬用品の影響で潤いや感染防止力を失った肌に塗ると若々しい素肌を取り戻せるという。まさに、健康の秘訣、アンチエイジングの秘薬というものだ。 ココナッツ・オイルは中鎖飽和脂肪酸とかいうもので、酸化しにくく、高熱にさらされても変質せず、体の老化を防ぐ抗酸化作用があり、揚げ物に使っても、その効能はかわらないそうだ。価格は一般の植物油と同じ1リットルあたり100ペソ少々だが、バージン・ココナッツ・オイルとなると400ペソ程度にはねあがる。 そのため、我が家からは、大豆油やコーン油は姿を消し、料理用には無味無臭のココナッツ・オイルを使い、ドレッシングや食用にはバージン・ココナッツ・オイルを定番とした。また、以前から、ブコ・ジュースは毎日買い求め常飲することにしており、砂糖たっぷりのソフト・ドリンクは子供達を含めてご法度だ。また、私自身、毎晩、バージン・ココナッツ・オイルを体中に塗って床についている。 […]

奇跡の食用油、ココナッツオイル2015年7月13日



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先日、事務所で、双子の片割れアリア(10歳)がKIANをひっぱだいた。勉強しているところを邪魔をされ腹を立てたらしい。KIANはアリアにスパンクされたと、丁度通りかかったアリアの母親(Mae)に訴えた。Maeはけんかしちゃだめよと軽くたしなめただけだったが、アリアは、一言、”I have reason” とつぶやいた。 ちなみにMaeは海外出稼ぎの募集に応募するために、たまたま我が家に逗留しているのだが、元彼のボボイ(ジェーンの弟)は口もきかず、顔も合わせないようにしている。詳しい事情はわからないが、ジェーンはボボイとMaeの間にできた子供を4人とも預かり、双子はマニラ、下の男の子二人は農場に住まわせ面倒を見ている。なんのことはない、ジェーンと私が4人の子供の面倒を見ていることになる。ジェーンの私への言い訳は、双子はKIANの遊び相手になって面倒見てもらえるから、農場にいる二人の男の子は、将来、農場のCare Taker(管理人)として役に立つから、住まわしてやりたいというものだ。 したがって、私のアリアのつぶやきに対する反応は、”You have reason to spank Kian,but you have no […]

マミーの怒りが爆発した2015年6月14日


5月26日はキアンの姉のアテ・キムの19回目の誕生日だった。昨年は、18歳の誕生日(デブー、女としてのデビュー、あるいは成人式)ということもあってルートン・マカオで誕生会を執り行ったが、今回は、家で質素に済ませた。 昨年の18歳の誕生日と、ヤヤの作ったケーキで誕生日の予行演習をするKIANとキム。 この日の夕方、2階のダイニングに見知らぬ若者が座っていた。不審な顔をすると、向こうは親しげに話かけてきた。キムの友人だというが、そのアクセントから韓国人であることがわかった。そういえば、2~3度、家にやってきたことがある、マプア工科大学のキムの友人であることを思い出した。 内輪のささやかな誕生会ながらも意外ともりあがっている 彼は、キムの誕生祝に駆けつけたのだ。特につきあっているわけでもなさそうだが、思い出したようにたずねてくるのだ。キムに気があるのは明らかだが、フィリピーノのアタックに比べて実に遠慮深い。ジェーンも女子を口説こうと思ったら、彼のようにまずは家族と仲良くなるのが、先決だと、まんざらでもないようだ。 恒例のHappy Birthday to youの歌のあとは、KIANはキムと一緒にロウソクを吹き消す キムには、なにやらハングル文字で書かれたケーキ、それに大きな誕生日プレゼントを持って来ていた。そのプレゼントを開けてみると、大きなリモコン式のヘリコプターだった。これは、どう見てもきKIAN用で、まさに、将を射んとせば、馬を射よ、の諺を地で行っている。スペインの文化を引き継ぐフィリピンでは、家の外でギターを奏でたり、まさに女心をくすぐる作戦に出るところだが、中国文化の影響を受ける日本そして韓国は、ちょっと異なるアプローチをとる。 誕生ケーキにはKIANの名前もしっかりと書かれている。ヘリコプターはダイニングテーブルいっぱいの大きなものだ ヘリコプターについては、コンド街の中ではちょっともてあそぶので、広い農場で存分遊んでもらうことにして、KIANには当分お預けとなった。パーティは、夜中まで続いたようだが、翌朝、KIANは彼を探していた。ヘリコプターの効果は絶大だったようだが、キムの心の琴線に響いたかどうかは、定かではない。

アテ・キムの19回目の誕生日 2015年6月7日