年をとると自然に記憶力が落ちて、物忘れが頻発する。その対処法として、普段、持ち歩く現金、ATMカード、パスポート、携帯、カメラなどなど、すべてポシェットに入れて、これ一つさえあれば生活に困らないようにしている。しかも、それぞれの持ち物は入れ場所が決まっていて、どこかへ置き忘れたなどということがおきないシステムを守っている。さらにまた私が使っているポシェットはPACSAFEというブランドで、ファスナーには留め具がついていて他人が簡単に開ける事ができない、すなわち、スリも手が出せないようなっている優れものだ。バンドの止め具にも別途のフックがついていて、例えは止め具がはずれてもも腰から離れないようになっている。だから、ここ数年、物がなくなったり、置き忘れるということは一切ない(ただし充電中の携帯やカメラを置き忘れることはままあるが)。   パパ・カーネルにガンのおもちゃを買ってもらって、ガンマンを気取っているKIANはもう赤ちゃんとはいえない正真正銘のガキだ それが、最近、日本行きのチケットを購入するのにアテ・キムにパスポート番号を聞かれ、ポシェットを開けてパスポートは出そうとしたら、あるべき場所にパスポートがないのだ。周囲は、どこかへ置き忘れたのか、と聞くが、そこに無ければもはや手の届くところにはないということになる。私にとっては、こんなことは10年に一度あるかないかのことなので、パニックに陥ってしまった。パスポート番号は、コピーを持っていたので、事なきを得たが、パスポートがないとなると、チケットの予約をしても、日本に行くこともできない。だから、再発行や、ビザのリ・スタンプなど、ややこしい仕事が待っていると思うと憂鬱になった。 そこで、どこに忘れたのか、必死に記憶を呼び起こした。普段、パスポートを提出するのは大使館、それに銀行だ。早速、大使館と先日訪問したチャイナ・バンクにメールを入れた。しかし、両方とも「ない」とつれない返事が戻って来た。さらに日誌を見ると、先週、メトロバンクからちょっとまとまったお金を下ろしたので、パスポートを窓口に提出したことを思い出した。早速、出かけていって、調べてもらったが、30分探してもでてこない。そのときの担当者に電話で聞いてもらうと、たしかにパスポートは私にもどして、しかも私がポシェットにしまったのを覚えていると、もっともらしいことを言う。仕方がないので、再度探して欲しいと頼んで銀行を出た。 毎晩、私の部屋で時間を過ごすKIANは夜食に味噌汁にご飯、あるいは塩ラーメンなどをたらふく食べる ところで、ちょっと前に、私の日本行きを、ママ・ジェーンがKIANに告げたところ、KIANが涙ぐんで、私のところにとんできた。そして、日本へ行くなとしがみついて、なんと、私に噛みつ付いてきたのだ。顔を起こして噛みつかれないようにしたものの、攻撃は執拗に続けられ、周囲もびっくりした。そして、その後、私の顔を見るたびに、日本へ行くなと説得を試みている。私としては、日本の家族や兄弟の集まりに参加するのだが、周囲も、KIANがかわいそうだから、日本行きをやめるよう説得を始めた。しかし、いったん交わした約束をそう簡単に反故にするわけにもいかない。そこで、日本に行くのはKIANのお土産を買いに行くのだから、と日本に行くことがKIANにもメリットがあるのだと、フィリピン流説得術を使って納得させようと試みていた。 そんな矢先に、パスポートの紛失事件が起こった。ママ・ジェーンがKIANを問い詰めると、KIANは、「ダダ(私)が日本へ行けないようにパスポートを隠した、しかし、隠し場所は教えない」というニュアンスの話をしたそうで、ジェーンはKIANが100%犯人であると確信した。しかし、パスポートは、ポシェットの一番奥にしまってあるし、そう簡単にわかるはずがない、しかも5歳の子供にそんな知恵があろうはずはないと、私は半信半疑だった。きっとKIANは周囲が大騒ぎをするので、大人をからかっているのだろう。しかし、いずれにせよ、知らぬ間にこんな知恵がついたものだとびっくりした。 毎週、月水金は英語の家庭教師、火木は公文、土曜はピアノ、そして日曜は空手とお稽古事に忙しいKIAN、この日は双子の片割れのアレクサに英語のレッスンを受けていた。アレクサはピアノや空手でもKIANのレッスンの相棒で、ベストフレンドだ その後、スマートフォンのスケジュールを見ていたら、一昨日、マカティ・スクエアのWestern Union(銀行口座無しで海外送金ができるジャパ行きさん御用達の送金システム)で退職者からの送金を受け取った記録が載っていた。これに間違いないと、早速、行って聞いてみたら、あっという間に引き出しからパスポートを出してくれた。これで一件落着だが、KIANには内緒にしておいて、パスポートはどこにあるかと聞くと、相変わらず、おもちゃ箱にしまってあるなどと嘘をついている。

パスポートがなくなった 2015年6月6日


1
バイアグラ(成分名:シルデナフィル)のジェネリックが発売され、世の熟年男性に福音となったことは、以前、報告した。バイアグラと同様の薬効を持っているシアリスに関して貴重な情報を得た。それは、シアリスの主成分は、タダラフィルであり、これは、血管壁の弾力性を回復し血管を若返らせるアンチエイジングの特効薬/秘薬であるというのだ。 糖尿病による主要な問題は血流の障害で、糖を過剰に含んだ血液が血管を傷つけ、さらに血液がよどんでいるために体中に血液を循環させることができず、脳溢血、心筋梗塞、壊疽、視覚障害、認知症、前立腺肥大症、などなど、感染によらない疾患、すなわち成人病(生活習慣病)を呼び起こすというものだ。もちろん、食生活の注意は必須であろうが、シアリスを若干(5mgを一錠)、毎日服用することにより、全身の血管がよみがえるという。このことは、全身に十分な栄養、酸素、そして免疫細胞などを送り込むことができて、肉体を正常に機能させることができるということだ。 まさに血の巡りがよくなるということで、不治の病の糖尿病ばかりか、サイレントキラーといわれる高血圧、そしてほとんどすべての成人病(生活習慣病)を克服できるというすぐれものだ。その副作用が、男性であれば、ちょっとした刺激で容易に勃起してしまうという、まさに青春がよみがえるというものだ。こんな副作用は大歓迎だが、一説によると、セックスを頻繁に行う熟年夫婦は、若々しくて肌の色艶もよく、健康長寿を楽しんでいるという。前立腺肥大、癌に罹病する確率もセックスを頻繁に行う熟年男性はそうでない男性に比べて低いという。まさにセックスはアンチエイジングの秘訣だそうだ。秘薬で秘訣、なんとも頼もしい限りだ。 問題は、コストだ。従来のように一錠、1400円もするのでは、とても毎日、服用するのも難しい。しかし、フィリピンではシアリスのジェネリックが販売されているそうなのだ。20mg一錠入が、約800ペソ、5mgなら、約220ペソで済む。これなら十分まかなえる。そこで、ジェネリックの薬屋を数件回ったが、どこも品切れで手に入れることができない。さらにマーキュリードラッグストアに行ったら、同じ値段で、シアリスを売っていた。しかし、こちらは、処方箋がないと売れないと硬いことを言っている。 まさに健康に対する投資だが、近い将来、ややこしい病気にかかって薬漬けの生活が待っていることを考えると、大いなる投資効果が見込めるといえる。ただし、シアリスを飲んだからといって、暴飲暴食に明け暮れたので元も子もない。糖尿病の経験で培った食生活の知恵を今後も生かし続けることは言うまでもない。 人生、死ぬまで健康でいたいというのは誰しもの願いだ。感染症はいろいろな薬が開発されて治る時代になったが、薬ではどうしようもない成人病(生活習慣病)が血のめぐりを良くするシアリスで克服できるというのは、福音以外の何ものでもない。 下の写真はバイアグラ(成分名:シルデナフィル)のジェネリック、これはいくらでも手に入る

シアリスはアンチ・エイジングの特効薬2015年5月26日



1
イタリアネスといえば、大きなモールでは必ず見かける本格的イタリア料理のチェーン店だ。値段もなかなかなので、あまり入ったことはないが、ここ、グリーンベルト・ワンの端、パセオデロハス通りのマクドナルドの近くにあるイタリアネスはいつも繁盛している。 この日、ジェーンの招待で、皆で、イタリアネスへ出かけて行った。9人もで食べたら、相当な金額になるのではないかと思ったが、ディスカウント・カードがあるから大丈夫だという。 まず出てくるのは無料のパン。一流ホテルのロビーの食事と同じだが、まずは、これであらかた腹ごしらえができてしまう。もちろん、子供達にはドリンクはなし、アイスウオーターだけだ。KIANにとってはいつもと同じだから不満はない。ただし、私だけはビールを注文する。       ランチタイムならば、スパゲッティとピザのセット(895ペソ)ですんでしまうところだが、夜は、普通のメニューから選ばなければならない。それでもちょっと大き目のものを注文しても倍程度の値段ですむ。16インチ程度のピザとスパゲッティはなかなか食べごたえがあって、9人のお腹を十分くちくしてくれた。したがって、9人でディスカウントもあって1500ペソ程度の出費で済んだ。なんと、一人当たり200ペソにも届かない。 ディスカウント・カードは、2500ペソを支払って買うそうだが、すべての系列店(Bistro Group)で通用し、20~30%の割引が受けられる。ちなみに和民(ワタミ)も系列店の一つだ。さらに只のアペタイザー、コーヒー、なども付いてくるし、いたれりつくせりだ。 イタリアネスの隣にはとんかつ店が開業していたが、これもBistro系列だそうだ。次回、試してみたいと思う。そのあと、しばらくグリーンベルトを歩いてみたが、夜のグリーンベルトは外国人でいっぱいで、ここが一体どこの国なのかわからない。その、真ん中には教会があって、人々が熱心に祈りをささげている。KIANといえば、水牛(カラバオ)の背中に乗ってご機嫌だ。もちろん、このカラバオは本物ではない。

イタリア料理イタリアネスで食事2015年5月24日


Working Visa(9g)あるいはPeza Visa(47(a)2 )などで、フィリピンで働いていて、その後、退職ビザ(SRRV)を申請する場合は、これらのビザは、前もってダウングレーディングと呼ばれる短期ビザ(9a)への切り替えが必要となる。もし、それが終了している場合は、それらの手続きの書類をPRAに提出すればよい。 SRRV申請にあたって、PRAが要求する書類は下記なので、元の雇用会社に依頼して事前に準備しておく必要がある。 ① 9g等のビザの発行の入管の決定書(Order) ② 9g等のビザの切り替え(取消し)の入管の決定書(Order) ③ 所得税の納税申告書(Income Tax Return) 通常、このダウングレーディングは前の雇用主の責任で行われるのだが、雇用契約終了後、ほったらかにされてしまうこともしばしばだ。そのため、ある退職者のたっての依頼で、当方が面倒見ることになった。しかし、それは、退職ビザの取得以上、予想を上回る難敵だった。とにかく、相手が入管であるということがことを面倒にしている。その手順は下記だ。その時々に色々な用紙に本人の署名を求められるので、それぞれのステップの申請ごとに本人同行が必要となる。 ① ACR (Alien Certificate of […]

SRRVの申請準備-難敵ダウン・グレーディング2015年5月24日



現在、SRRV取得のためのPRAへの預託金はDBPのPRA口座に送金するのが一般的だ。現在、申請中の方は、Working Visa(9g)でフィリピンに滞在していたので、そのダウングレーディング(短期ビザへの変更)というややこしい事前手続きを完了して、ようやくSRRV申請にこぎつけた。 預託金の着金の確認や無犯罪証明書の認証などはとっくに済んでおり、ようやく申請書一式を提出したら、PRAの担当が、DBPの預金証明と日本のゆうちょ銀行からの送金票を見比べながら難しい顔をしている。そして口にしたのが、DBPの預金証明には、送金はLand Bank(フィリピンの国営銀行)からされており、それが日本のゆうちょ銀行から送金されたという記載がない。預託金は国外から送金されなければならないので、その証明をLand Bankからもらって来いというのである。 そんなことを言われても、送金は退職者の友人が行い、受け取りはPRAとなっており、私ないし退職者がLand Bankにかけあっても相手にされるはずがない。なにかの間違いではないのか、あるいは、PRAからDBPに掛け合って必要な書類を受け取って欲しいと依頼した。一方、退職者に対しては、ゆうちょ銀行が、一体どこを経由して送金したのか、問い合わせて欲しいと依頼した。 PRAのDBPへの問い合わせによると、間違いなくLand Bankからお金は送られてきており、それ以上の情報は得られないという。一方、ゆうちょ銀行は、間違いなくPRAにお金は届いており、それ以上の情報は提供できないとのことだった。 間違いなく、退職者の名前で預託金は入金しているものの、その経由がわからないので、このままではビザの申請は受け付けられないという。銀行間の手続きの問題で、申請ができないという、とんでもない事態になってしまったのだが、要は、預託金の送金経路が、途中でつながらないのという摩訶不思議な状況(ミッシングリング)に陥ってしまったのだ。 こんな時、PRAの担当者のアドバイスは、PRAの財務部門のトップであるフィリップ部長に相談しろというのだ。幸い、フィリップさんと当方は、大変親しい間柄にあるので、相談を持ちかけると、快く応じてくれた。しかし、フィリップさんの尽力にも関わらず、DBPからは情報が得られない。しかし、彼は、Land Bankの担当者に連絡をとり、たしかにLand Bankはゆうちょ銀行と提携しており、ゆうちょ銀行からの送金をLand Bankが中継してDBPへ振り込むことはあるとの情報をうることができた。 さらにフィリップさんは、ビザ発行部門のハビタン部長と掛け合って、フィリップさんのメモを海外からの送金の証拠として、ビザの申請を受け付けてくれることになった。まさに迷宮入り寸前でフィリップ部長の尽力により解決にこぎつけたのだ。 これで、なんとか申請にこぎつけることができたのだが、ゆうちょ銀行からの送金について、今後とも同じ問題がおきかねない。フィリップさんは、Land BankからDBPへ再送金するとき、送金元の銀行を明記する、あるいはLand Bankから海外送金の証明書を発行させるとか、なんらかの仕組みを作らねばならないと話していた。 […]

PRA預託金送金の怪(ゆうちょ銀行使用の注意) 2015年5月24日


4月も半ばを過ぎて、いよいよ、乾季の夏がやってきた。日中は、暑くて、とても外を歩く気がしない。先日もこの夏、最高の36度を記録した。夜も、西日があたる部屋は寝る時間になっても大分暑いようで、ビアンカと双子は音をあげたらしい。 そこで、つい3日前、夜の10時過ぎ、ビアンカが、一緒に寝てもいいかとドアをノックした。19歳の女の子が、一緒に寝るというのは、ただ事ではない。良く聞いてみると、エアコンの効く部屋で寝たいだけらしい、しかも9歳の双子も一緒だ。この間、数秒、いろいろな思いが頭を駆け巡ったが、OKと即答した。時間がかかると、なにかやましいことを考えているのではないかと、疑われても困る。 翌日、ビアンカと双子が私の部屋で寝たと聞いて、にわかに殺気立ったのがKIANだ。その日、KIANも私の部屋に寝るといって聞かない。ママ・ジェーンを説得してOKをもらったKIANは、ご機嫌で寝る準備をしていた。ママ・ジェーンによるとKIANはやきもちをやいていたらしい。 しかし、翌日、目が覚めたら、いつもの両親の部屋で寝ている自分に気がついたKIANは怒った。誰が、一体自分をこの部屋に連れてきたのかと、周囲を問い詰める。犯人はアティ・キムなのだが、私が自分で歩いて階段を下りてきたというと、両手を前に差し出して、自分はキョンシーみたいなまねはしないと言い張る。KIANは私の部屋で寝込んでしまうことが多々あるが、その時は、いつもアティ・キムがころを見計らって両親の部屋に連れて行くのを知っているのだ。       ちなみに私の部屋は、エアコン、TV、それに大き目のベッドがそろっているので、昼間は、子供達に占領されている。しかも、今度は夜まで占領されることになってしまった。だんだん自分の居場所がなくなってしまうのではないかと、不安になるが、こんなことはフィリピンでは常識らしい。いつもベッドの上で双子とはしゃぎまわるKIANだが、洋服ダンスの中を個室に仕立てて、立てこもるのも大好きだ。とにかく、どういうわけか私の部屋は子供達の遊技場になってしまったのだ。 他人同士の男と女が同じ部屋で一晩を過ごす、こんなことがフィリピンでは当たり前に行われており、少女が身内に犯されたなどという話が絶えない。少女が、家族と思った慕っていた男の餌食になってしまうわけだ。本人は年頃になってきて、自分が女として男の欲情をそそっているのに気がつかないで、爆睡してしまうためなのだろう。 一方、そのKIANは、相変わらず、ピアノを演奏したり、タオルマンになったりして、無邪気な遊びに忙しい毎日だ。ちなみにKIANは姉のアティキムと同様、横一本の帝王の手相を持っているので、将来は、国家警察の長官と期待される所以だ。大いに遊んで大いに学んで、両親そして私の夢を実現して欲しい。  

家族は、皆でごろ寝するのがフィリピン流 2015年4月26日



この日、日曜日は、マカティにお住まいの退職者のコンドに招待された。午前中は、丁度、柔道教室なので、皆で、お呼ばれした。この日の目玉は、私の農場で取れたお米の試食会だ。退職者によると炊き方を工夫すれば、日本の銘柄米に遜色ないというお墨付きをいただいたのだ。我が家では、おいしく炊くなどというには程遠いので、この試食会となったわけだ。 昼食の後は、屋上のプールで一遊び、アティ・キムとビアンカは、ことのほか、ご機嫌でポーズを取り捲っていた。浮き輪を使ったKIANは深いプールでも臆せず遊んでいた。それにつけてもアティ・キムのジャンプは見事で、彼女の優れたスポーツ神経をうかがわせる。         帰りは6時を回って久しぶりの夕陽がきれいだった。   

シティランドのプールで遊ぶ 2015年4月26日


いよいよマニラへ帰還する日がやってきた。KIANは、朝から、帰りたくない、農場に残るとぐずっていたが、これだけは、わがままを聞いていやるわけにはいかない。この日もマヨンは見事に勇姿を見せてくれた。 親戚の皆や農夫のダニーが送ってくれる。 教会の前ではたくさんのトライシクルが客待ちをしている。これは、ホリーウイーク最終日、キリストの復活を祝いに来ているためだ。 空港にはジェーンの親友のSOLが送りに来てくれた。SOLは4人の男の子をもうけているが、旦那も含めて、金太郎飴のようだ。空港で見るマヨンは、景色と調和していかにも美しい。 下に見えるのはレガスピの街並みだ。 機内では、朝、大泣きしたことはすっかり忘れて、カップヌードルを食べ、ご機嫌のKIAN。飛行機がゆれて必死に祈った後は、朝が、早かったせいか、居眠りだ。 30分ほどの飛行時間でマニラに到着するが、今日は、メトロマニラの街並みをたっぷり見ることができた。左上から、パシッグ川の放流水路、ワクワクゴルフ場、オルティガス、そしてボニファシだ。

ホリーウイークの農場訪問 最終日 2015年4月25日



いよいよ農場滞在も今日で終わりだ。キム、ビアンカ、双子、それに新しいメイドの5人が、ボボイの運転する車で早朝未明に出発し、にわかにファームハウスはさびしくなった。それでも、ダシンの子供たちが家がやってきていて7人の子供たちがいる。手持ちぶたさのKIANはトライシクルで遊ぶ。午前中は天気が良くてダニーが籾干しに精を出している。 ジェーン夫妻は午後からレガスピの実家に出かけたが、KIANは農場に残ると言う。彼らもそのほうが面倒がないので、二人ででかけていった。昼過ぎ、残されたKIANの要望で再びアイスクリームを買いに行く。あいにくチョコレートがなくて、バニラアイスとなった。ベランダでは再びアイスクリームパーティだ。 帰り道、雨が降り始め、大忙しで乾燥中のもみを取り込む。KIANはタリサイの木の下で荷車つきの運搬車でひとしきり遊んでいた。ちなみにタリサイはパーキングツリーとも呼ばれ、横に伸びた枝の下はパーキングの屋根の代わりをして、大きな葉は雨をしのぐことができる。これらの木を植えたのが12年前、すでに巨木になっている。また、ならの木の並木も台風に耐え、立派になっている。  

ホリーウイークの農場訪問 第8日 2015年4月25日


ホリーウイークの農場訪問第7日 昨夜は、ビアンカなど若者が、マヨン火山の展望台まで徒歩で登り、キリストの苦難を味わった。早朝帰宅したビアンカは昼まで熟睡していたが、まさに若者の特権だ。 私は、手持ちぶたさで一人で農場を回ったが、カシューナッツの実や、グアバノの花を発見。しかし、猿(モイモイ)が暑さのせいか、死んでいるのを発見、さびしい出来事だった。 KIANのたっての願いで外のサリサリストアにアイスクリームを買いに行った。KIANが徒歩で外に出るのは初めてなので、いろいろ厄介だったが、近所のサリサリで目当てのチョコレートアイスにめぐり合ってご機嫌のKIAN。テントの中で、目が覚めたビアンカも加わって、子供たちとアイスクリームパーティを催した。気前良くアイスを皆に振舞ったKIANだが、皆が勢い良くアイスを平らげ、残り少なくなってしまい、大粒の涙を流して、抗議していた。 マヨンは雲をかぶっていたが、庭には名も知れぬ鳥がやってきてバードウオッチングを楽しんだ。 ホリーウイークの目玉は、この日(金曜)のキリストの死を痛む行列だ。ジェーン夫妻をはじめ、大人は行列に参加して家を留守にしたが、KIANが恒例の足の痛みを訴えて、マッサージに翻弄された私は、行列の様子をカメラに収める機会を逸してしまった。しかし、両親が戻って来るころには痛みも収まって、KIANの笑顔が回復していて、ヨガの真似事をしていた。

ホリーウイークの農場訪問第7日 2015年4月25日